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映画巨人5名をつないだ「わしは五十六」 大河内傳次郎 三船敏郎 本多猪四郎 円谷英二 古関裕而



映画巨人5名をつないだ「わしは五十六」 大河内傳次郎 三船敏郎 本多猪四郎 円谷英二 古関裕而





前回記事 「なぜ私は左翼と戦うのか」 テレビ番組に初膨大数出演したあっち向き映画監督とその形成先駆者







時代劇六大スター1名と丹下左膳原作者を挟んだカルテット 村田から黒澤への不思議なリレー






この部分は少々強引かもしれませんが、あるつながりへ迫ります。ボツにするか悩みましたが、この部分も公開します。

村田実は映画「この太陽3部作」の原作の林不忘の別名義の牧逸馬”を通じて、時代小説「丹下左膳」の映画が大きな代表作の”大河内と間接的なつながりがありました。黒澤と村田はロシア(映画、原作など)や外国的な路線の日本映画で大きなつながり、上記でも少し触れている、映画監督が自分のみの自分から情報を発信した多くの共通点がありますが、


大河内傳次郎は剣戟映画から時代劇形成の貢献俳優の一人としても知られています。黒澤明と大河内傳次郎は1952『虎の尾を踏む男たち』(大河内主演)、1943『姿三四郎』(大河内助演)、1945『続姿三四郎』(大河内助演)で直接的なつながりがあります。




ここで、監督村田と原作牧逸馬(林不忘)の「この太陽3部作」⇒原作林不忘と主演大河内の「丹下左膳」の映画⇒出演大河内と監督黒澤の『虎の尾を踏む男たち』、『姿三四郎』、『続姿三四郎』の2組を3度繰り返す、間接的なつながりを示すリレーができあがります。

少々強引かもしれませんが、村田と黒澤は牧逸馬(林不忘)と主演大河内を通じた炉レー手金じゃつながりもあったのだと考えています。これはだいぶ細かい部分ですが、外国路線やロシア、日本外国を含んだ文芸つながり、自己発信のつながりだけではありません。これは本人たちも気づいていない部分だったでしょう。


つまり偶然の、運命のカルテットが形成されていて、林不忘を間に挟んで、黒澤の村田への尊敬が、黒澤の映画で大河内起用を引き付けたのではないだろうかという可能性です。





村田実 この太陽 林不忘 牧逸馬 丹下左膳 黒澤明


大河内傳次郎 虎の尾を踏む男たち 姿三四郎











最多キネマ旬報ベストテンのランクイン映画の主演俳優のまやかし 最上位と最下位が共存する映画大スター大河内傳次郎







大河内傳次郎は時代劇映画や日本の映画歴代スター上位の大スターです。時代劇六大スターの一人に数えられ、特に戦前に主演に大きく活躍しました。戦前の時代劇スターの最多オールスター映画主演数と戦前の大作時代劇映画の最多主演数を誇ります。戦前と戦後含めた通産だと時代劇六大スターのライバルであり、盟友同士、30年ほどの共演歴と共演数が多い、片岡千恵蔵が両方とも歴代最多記録、


また大河内は時代劇映画のみの最多キネマ旬報ベストテンのランクイン映画の主演俳優です。これは自分の映画会社を持つことがなく、彼の大手日活、東宝などに在籍していた路線上、ある意味ぬるま湯だったことも上手に左右し、これは三船敏郎も同様です。


なぜ同様なのか、三船敏郎(出演映画現代劇約7割の俳優)は大河内傳次郎(出演映画時代劇約9割の俳優)の流れで東宝の受賞路線を受け流された部分があります。自社の会社ではないため、受賞しやすい路線の後任を任されていました。



ご存じない方もいるかもしれませんが、三船敏郎は総出演数の割合的には時代劇俳優ではなく、現代劇俳優です。映画においては時代劇でも当たった履歴を持つ現代劇俳優です。片岡千恵蔵はその逆でギャング23本、多羅尾伴内11本、金田一耕助は公式6本などを合わせて最低でも現代劇映画5000万人以上の観客動員を記録しましたが、通産の9割近くは数億人の観客を映画館に呼んでいる時代劇俳優です。



そのため、非常にキネマ旬報ベストテンへランクインやすかった部分があります。日本の数多くある映画評価賞の中の歴史が長いものですが、キネマ旬報ベストテンはあくまで映画評価の一つに過ぎないものだと考えられますが、意味があるものです。キネマ旬報ベストテンは娯楽や功労、記録の要素など多数はあまりは含まれていません。





片岡千恵蔵
 キネマ旬報ベストテン 三船敏郎










太平洋の鷲 [ 大河内伝次郎 ]


上記リンク写真は、凛々しい大河内の山本五十六の立ち姿が印象的なジャケット写真、
時代劇映画で歴代最大級に積み上げた独自な年輪を現代劇で表現しています。



大河内傳次郎(別表記・大河内伝次郎)の最大の観客動員を記録した主演映画がこの東宝の外国戦争映画の影響をふんだんに取り入れた戦争映画『太平洋の鷲』です。鷲の読みは「わし」です。大河内は、太平洋戦争の日本海軍の最高の指揮官といわれた山本五十六を演じています。

有名ではありますが、山本五十六役は、大河内が演じてから三船敏郎が引き継いでいることでも知られていますが、


この上記「最多キネマ旬報ベストテンのランクイン映画の主演俳優のまやかし 最上位と最下位が共存する映画大スター大河内傳次郎」でも取り上げている通り、この役柄は東宝としては、大河内⇒三船の流れが現実に存在したあったことを示す一つの理由です。三船は東宝時代の大河内の直属の後輩でもありました。その三船は本作にも出演、出演者上位の役柄の友永大尉役を演じています。


大河内、三船以外にも最近まで存命だった日本映画を代表する三国連太郎(三國連太郎)と小林桂樹の2大名優の若手時代、

高田稔、志村喬、山形勲、柳永二郎、千田是也、佐伯秀男、菅井一郎、小杉義男、清川荘司などの往年の名優たちが多数出演し、総勢名優20名近くの事実上のオールスター映画です。







大河内傳次郎は300作強の通産映画の9割が時代劇映画を占め、270本ほどが時代劇映画、主演は160作ほどですが、時代劇を代表する大スターです。ですが、この割合や数字と矛盾し、単発映画の最大の観客動員は時代劇映画ではなく現代劇映画です。もちろん単発ではないシリーズ物の最多観客動員は丹下左膳シリーズであり、時代劇映画です。



音楽は2020年にNHK連続テレビ小説でもドラマ化されている名音楽家の古関裕而(こせきゆうじ)です。実は古関の映画音楽の代表作数は歴代映画音楽家の中でも上位には含まれません。

大ヒットはいくつかあるものの、映画音楽数は110作ほどと歴代10位に入らず、なんと代表作数はたった20作ほどで、歴代10位さえ含まれません。ダブルで10以下なのに何故、テレビは持ち上げているのか、その理由は彼がテレビ関係者、


スポーツ系の音楽でも知られ、NHKの番組の音楽の多くが一番の功績があり、ネットに押され気味の今こそ、行われるかさえ不明の五輪も近いこともありますが、自分たち強くあれといいたい電波各社が今持ち上げたい人物なのです。


独特な和を表現するために欧州の曲調をにじませる沈みとメリハリも彼の音楽と特徴です。





山本五十六 太平洋の鷲 三國連太郎 小林桂樹

高田稔
 志村喬 山形勲 柳永二郎 千田是也 佐伯秀男

菅井一郎 小杉義男 清川荘司 オールスター映画


NHK連続テレビ小説 古関裕而 戦争映画









古関裕而の映画音楽とその代表作









古関裕而の映画代表作の一つがこの『放浪記(1962)』です。いわゆる東宝映画の文芸路線の代表的なものの1本です。




黒澤明も尊敬していた東宝映画の先輩の巨匠の成瀬巳喜男と名大女優の高峰秀子の名コンビの代表的1本の一つであり、田中絹代が母親役を熱演、日本映画歴代上位の2大女優が親子役を演じました。高峰秀子は映画出演数は160作ほどと女優歴代だとあまり上位に含まれません。

ヒロイン路線で大きく活躍した時期がある映画歴代上位の女優、田中絹代、鈴木澄子、市川春代、山田五十鈴、松浦築枝、琴糸路などは軽く200作を越していますが、彼女は200作の大台は越していません。明確な代表作は多いものの、女優歴代上位ほどの多くの映画には出演できませんでした。

高峰の映画出演数は日活、大映、東映と最初は現代劇でしたが、通産は時代劇メインで活躍した花柳小菊と近い出演数です。花柳も160本台です。これは意外な共通点です。花柳は千恵蔵、右太衛門、バンツマ、時代劇三大スターの3名などのヒロイン、助演を多数務め、数十のヒット映画に出演し、大衆的に知られています。





高峰は成瀬巳喜男と木下恵介の現代劇映画の2大巨匠との名コンビ形成と成功、本数における代表作の的中率が非常に高く、出演本数150作ほど、主演数も75作強、男女含んだ主演映画歴代40位ほどの三船と本数はそうでもないが、的中率の高さなど重なる部分が非常に多い、しかも両者とも同時期に在籍していた年数が長く、同じ東宝で長期間活動、

また、主演で活躍した俳優としても映画出演数もそれほど上位ではない、黒澤、稲垣浩の巨匠で成功を収めた三船と高峰は成瀬、木下との成功など、数字的にも似た部分が多く、事実上の女版の三船ともいえます。

ですが、高峰は女性もの文芸や、大衆的から離れた野心作の気難しい作品が多く、通産観客動員は比較的苦戦しました。木下恵介の『二十四の瞳』は大ヒットしましたが、それ以外の大ヒットは少なめです。



彼女は彼女で確立した地位があった女優のため、女版三船というのは多少失礼かもしれませんが、この記事と野関連も意識してこうした表現をここでは起用しました。



放浪記
  成瀬巳喜男 高峰秀子 田中絹代 日本映画歴代上位の2大女優 親子役

木下恵介 稲垣浩 二十四の瞳


鈴木澄子市川春代山田五十鈴松浦築枝琴糸路 花柳小菊







事実上の3者会談 本多猪四郎×円谷英二初のコンビに大河内で戦争映画最大





『太平洋の鷲』は特撮映画最大の巨匠本多猪四郎が監督、彼は「ゴジラシリーズ」などの怪獣映画の印象を持つ人もいますが、実はそれだけではなく、戦争映画の監督も手掛け、特殊技術の円谷英二は戦前から戦争映画に特撮を取り入れる実籍もあります。本多と円谷自身にとっても携わった戦争映画で最大のヒット大作が『太平洋の鷲』です。



1000万人級の観客動員を記録し、完結篇の3作目含めずに2作だけで最低でも3000万人といわれる大ヒットを記録した松竹映画『君の名は 第二部』と『君の名は 第一部』に次ぎ、1953年度の観客動員3位を記録しています。大河内傳次郎だけではなく、本多と円谷の盟友両名にとっても非常に重要な映画作品です。本多猪四郎×円谷英二の翌年からスタートする「ゴジラシリーズ」などにつながる流れの初期の活躍に、明らかに大河内が貢献していました。



最後に記事名の「わしは五十六」部分は、映画『太平洋の鷲』の鷲のよみの「わし」とこの映画に主演した山本五十六の「五十六」、そこの関連される5名をかけています。




ゴジラシリーズ 怪獣映画 君の名は 本多猪四郎 円谷英二





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2020/07/01 23:41 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

「なぜ私は左翼と戦うのか」 テレビ番組に初膨大数出演したあっち向き映画監督とその形成先駆者



なぜ私は左翼と戦うのか」 テレビ番組に初膨大数出演したあっち向き映画監督とその形成先駆者





1920年代からの彼が先頭になって定着された映画監督の地位の向上、日本の外国映画、映画監督が評論のために書籍を刊行する概念、これは自分から世の中に自分たちの考えを発信するということです。

現実に彼がいなければ、日本人映画監督の活動がしばらくは多彩なものではなかったでしょう。今回は2人の彼が登場していますし、斬新な問いかけもしています。




日本人映画監督が製作や脚本、俳優、脚本、撮影(特撮も含む)、原作の概念は日本映画の父の1910年代の牧野省三らの時代から存在していましたが、この範囲がしばらく続いたかもしれません。これが何年かずれるだけでも存在しない人物が多数生まれていくことでもあり、現代の日本映画のあり方さえも、今と多少は違うものになっていたかもしれません。そう彼以降の多くの巨匠が存在していなかったかもしれません。彼と路線が重なる後輩の黒澤明、今井正、増村保造など大勢の前衛系(=多くの左翼的映画を製作した)の監督たちもです。

ここで重要なのですが、左翼と断言はしませんし、左翼的とわからないう方々も存在するためです。また左翼的だから否定はしていません。こうした路線も映画の多様性の一つだからです。





なぜ私は左翼と戦うのか」 テレビ番組に初膨大数出演したあっち向き映画監督とその形成先駆者のスタートです。





前回記事
驚愕左翼コラボ実在 村田実&黒澤明のマクシム・ゴーリキー原作映画類似点





黒澤明 今井正 増村保造





日本のテレビ番組に初めて膨大な番組数に出演した日本の映画監督と村田実







現代の映画監督はテレビやSNSなどで自分お考えを当たり前のように発信していますが、映画監督が自分のみの自分から情報を発信した最初が日本映画戦前の巨匠の村田実です。

村田以前にも、1910年代から新聞などで牧野省三などの意見が掲載されることがあったにしても、自分のみが発信した最初が彼です。村田実の流れが源流となり、今の監督たちの情報発信のあり方にも大きくつながっているわけです。


実は日本のテレビ番組に初めて膨大な番組数(ニュースやドキュメンタリーなど)に出演した日本の映画監督をご存知でしょうか。何を隠そう村田の影響を受けている、黒澤明です。テレビが世の中に広まっていき、大衆に定着した頃に巨匠として認知されてきた次代の変化の影響もありますが、まさに村田が先頭になって定着された映画監督の地位の向上の流れに、黒澤もテレビの出演するという面で、乗っかっているわけです。映画監督が多く出演することもある種の左でした。


刊行、影響などで、多彩な映画監督の活動の形成に貢献、後のさまざまな映画監督に多大な影響、1936~1937年の日本映画監督協会(日本の映画監督の多彩なj活動と地位向上を目的)の初代理事長です。

現実に村田がいなければ日本映画における外国映画の影響作路線(悪く言えば外国映画の真似の日本映画)が違うものとして成立さいていた可能性さえもあります。




演技術の日本近代 [ 笹山敬輔 ]

村田実が参加しているの非常に貴重な書籍 
演技術の日本近代笹山敬輔

映画人、映像俳優、舞台声優、一般人にも役立つかもしれない、
全ての娯楽愛好家に贈る演劇論、

村田実は「第5章 舞台の演技から映画の演技へー村田実と演技の法則」にて登場





村田実 牧野省三


演技術の日本近代 笹山敬輔





異常な笑顔 日本企業の外国進出と彼の知名度の誇張








黒澤は外国的な日本映画ばかりを監督したことでも知られています。これは東宝の路線の一つだけではなく、彼の意思も大きなものでした。これは一つの評価と同時に、きちんとした日本映画を監督できなかった、日本らしい映画でほぼ代表作が無い大きな問題点を浮き彫りにしています。彼は評価と否定の善否の両極端な評価が存在している映画監督です。悪いことの様におもう人もいるかもしれませんが、これは一つの評価ともいえます。観る作品には多数の考え方があって、初めて映画だという捕らえ方も存在しているためです。


彼に関しては、マスコミの左と彼の左がクロスして、彼を過剰に持ち上げている理由のひとつになっています。そこには某広告会社や国も絡んでいるといえるかもしれません。国会の某広告会社の子会社をたらいまわしにした経費(国民の税金)の中抜け(不正に利益を得る)疑惑は闇が深く、これも氷山の一角だと考えています。このニュースをNHKは最低限な情報に抑え、詳しくは取り上げていません、それは何故でしょうか。外国の評価を以上に持ち上げる路線とやり方にも関与がある様に思われます。政治と映画、多少のつながりは確実にあり、必ずしも無関係ではありません。

つまり日本企業の外国進出と彼の広告会社を通した知名度の誇張にも、異常な笑顔が見え隠れします。






なぜ私は左翼と戦うのか [ 杉田水脈 ]


左も右もゆく道は人それぞれ、
どまんなかの国境は記されてはいないのだ
必ずどちらかに傾くとしたら

まさに人生の行方さえも問いかけてくれるような
なぜ私は左翼と戦うのか」の題名 杉田水脈


じんわりと染みてくるのは何故でしょう。
左向き隣、日本を外国の一部と見なして壊すことは良いことではない

たった数パーセントにも満たない一部の既得権益を持つ
優遇された上級国民の国・日本ではなく、
庶民の国であるべきだ。
庶民の安全で快適な暮らしやこの国の良き文化を守ることが重要だからだ。

なのに国は都合がいい理由をつけて
わたしたちを苦しめる、
首を絞め続ける、
痛いという、苦しいというのに何も気にしない

庶民の国なのに、いつも庶民は苦しい

なぜ私は左翼と戦うのだろうか




第一章 地方自治体は○○党に牛耳られている! 
第三章 移民を受け入れることの危険性 
第五章 まやかしの人権主義にだまされるななど


中国人の北の大地の土地の買占めを取り締まらない国はあまりにもひどい、「コノクニノミライ」を考えないのか。

映画や娯楽にも通じる部分があります。






なぜ私は左翼と戦うのか
 杉田水脈






マスメディアの同胞左翼路線の都合選出と尻拭い誇張ループ芸







外国が、外国が、世界が、世界が、テレビは企業に利益を落とさせようと、国民の気持ちを無視して、毎日必死に外国が、外国が、世界が、世界がと軽々しく叫び続けています。


本当の世界でもないに、世界とかいわれても困りものです。たとえばSNSなどで1日1位になるくらいで、世界という言葉もおかしな話です。通産で1位なら世界だと考えています。日本映画の歴代には数多くの映画系の世界記録を持つ人物がいます。そのほとんどは亡くなっています。彼らのほうが世界でした。




黒澤は日本人原作の映画や原作のない時代劇や現代劇にも外国的要素を折り込んだものがほとんど、たとえば『七人の侍』は描写、雰囲気、映像、曲の使い方など西部劇のナンバーワン監督、アメリカ映画の巨匠ジョン・フォードの真似、『用心棒』は西部劇の拳銃を刀に置き換えて、血の噴出描写など、外国で流行したバイオレンス映画の真似など数多くあり、俳優の演技も含めて、洋画のような日本らしさを排除した時代劇に仕上げています。日本映画の知識経験にも影響されますが、個人的にはこれを日本映画としてはあまり評価していません。

誤解しないでほしいのですが、日本の外国映画路線を牽引した監督である事実はあるため、外国的路線に成功する(あくまでおまけの評価)のも映画監督の多数の評価のうちの一つの評価の事実はあり、巨匠である事実は認めています。

テレビなどのマスメディアそのものが彼と同様に左翼路線が基本なので、仲間の彼を過剰に持ち上げます。そう、同胞の仲間には優しい基本中の基本、ですが、これは本当におかしな話です。

なぜなら真に概念に貢献している村田実などのきちんとした先人たちを無視して、都合の良い人物だけを選出し、尻拭いに持ち上げ続けている、テレビなどのマスメディアそのもの特有の狂った誇張行為とも思えるためです。



ジョン・フォード 七人の侍 用心棒






裏側記事の新記事、2020.6.15公開
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2020/06/16 01:01 | 邦画の探求COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

驚愕左翼コラボ実在 村田実&黒澤明のマクシム・ゴーリキー原作映画類似点


驚愕左翼コラボ実在 村田実黒澤明マクシム・ゴーリキー原作映画類似点




前回はロシア映画における両名のつながりを指摘していますが、今回はさらに直接的なマクシム・ゴーリキーに関する両名につながりにも触れます。これも、まさに左です。左翼・・・比較的に刺激的なタイトルですが、これはブログ記事、ご了承ください。



良き日本映画崩壊にも大きく関与しています。それはなぜか、日本の文化や個性が消えて、外国の一部として飲み込まれ、価値が喪失、侵食、毒されていくことです。外国の一部になると日本の価値は無くなり、外国側からの日本を求める価値も消えていきます。そう、こうなると元に戻ることは難しく、日本にとっても外国にとってもよいことはありません。こうした考え方があります。

映画における左は、政治そのものとも一定の関連がありますが、上手に立ち回らないとその国の良き文化や映画の独自性を喪失の危険をはらんでいます。






前回記事⇒村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ







日本で多く製作されている低予算ホラー映画の悲しい現実









もう少し上記の流れを広げると、たとえば日本で多く製作されている低予算ホラー映画、あれもアメリカの置き換えが基本です。


ホラー映画そのものの形成は映画創世記のフランス映画が最初ですが、1920年代の吸血鬼・ドラキュラ映画などのドイツの精神的・心理的な要素を重視したホラー映画などを経て、現在における概念の大きな定着は1980年から製作されているアメリカの『13日の金曜日』シリーズは大きなものだと考えられます。日本では1998年から「リングシリーズ」(貞子の出演映画シリーズと重なる部分があり)などの初期がスマッシュヒットを記録、これも映画としては『13日の金曜日』などの外国の流れと、時代劇映画『東海道四谷怪談』の有名キャラクターのお岩さんなどの日本の怪談の要素の流れをいじくって、日本風現代風にした作品です。


近年に再燃したアメリカの低予算ホラーの流れで大量に日本で製作されています。2007年からスタートの低予算のアメリカ映画『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなどのヒットの影響も大きく、2019の日本映画『カメラを止めるな!』などの低予算ホラー映画もこの結論的な流れです。悪くいうと日本を壊す外国かぶれの村田&黒澤にも通じているため、あえて取り上げているわけですが、これも一概に評価できない評価の原因に含まれます。日本の独自な部分に踏み込んで言えうわけではないことに落胆です。



ちなみに日本で多く製作されている低予算ホラー映画も本数だけは膨大ですが、ほとんどが当たっていません。ちなみに時代劇映画の怪談映画ジャンルは日本特有の概念、日本の特有のシステムが多く目に存在しています。日本のホラー映画がこの怪談の要素があればまだ良いわけですが、そうも考えにくいのが現実です。




13日の金曜日 吸血鬼 ドラキュラ パラノーマル・アクティビティ カメラを止めるな! 怪談映画

リングシリーズ 貞子の出演映画シリーズ 東海道四谷怪談 お岩さん






村田実の2名の大ライバル 同男性映画の牛原虚彦と同松竹の島津保次郎






村田実は映画監督が評論の書籍を刊行する概念に、牛原虚彦を関与していたことが知られています。映画監督が映画監督として書籍を刊行し、映画監督の活動の幅を飛躍的に広めました。


生涯のライバル監督でもある牛原虚彦(うしはらきよひこ、戦前の現代劇映画の主演スターの上位に数えられる鈴木傳明との名コンビ、いわゆる”傳明虚彦映画”(大衆的な喜怒哀楽を描き、さまざまな青春や人生を描く大作の若者映画)が22本作られ、映画は大ヒットを連発、事実上の松竹男性映画の形成監督として、村田などと競うレベルで、のちの日本の映像作品の概念にも多大な影響を与えている巨匠、30本ほどの戦前の現代劇最多級の大作本数を手掛けました)も関与したといわれています。



村田は40代死去したため、監督本数約60本ほどに留まりましたが、牛原虚彦は戦後直後まで活動し、多作の100本強の監督作を残しました。ちなみに黒澤は日本の歴代映画監督の巨匠としては、歴代ほぼ最下位付近の31本です。

牛原は通算30本近い主な代表作のうちの視聴可能な作品は10本強といわれていますが、そのうちの名作2本、1930年のサイレント映画の大作『若者よなぜ泣くか』や『進軍(1930)』などには作品のタイトル部分に、”傳明虚彦映画”と表記されています。『若者よなぜ泣くか』は若者の家族や仕事、男女関係、同僚、誘惑、不正行為などの幅の広い人生の苦難や哀歓の要素を描き、自身最高のキネマ旬報ベストテン2位を記録、『進軍(1930)』はさらに戦争要素を交えています。



牛原虚彦 鈴木傳明 傳明虚彦映画 若者よなぜ泣くか 進軍(1930)







若者よなぜ泣くか』や『進軍(1930)』2作の田中絹代の出番のわりに微妙な立ち位置の価値





実は『若者よなぜ泣くか』や『進軍(1930)』2作とも田中絹代が主役に近い配役の位置で出演しています。

田中絹代は国民的大女優、日本を代表する映画女優、事実上の日本歴代ナンバーワン映画女優といわれる存在、戦前の映画女優のヒロインにおける観客動員数とも考えられ、

ヒロイン数はアメリカナンバーワンの戦前を代表し、アメリカの恋人とも称される国民的女優のメアリー・ピックフォードを上回る、世界歴代上位の150作を越しています、溝口健二との名コンビを始め、数多くの巨匠と一定の成功を収めました。ですが、戦後は、特に1950年代前半くらいから、ヒロイン数が急激に減少し、代表作も急減少、比較的に苦戦を強いられました。


たとえば70代目線だと、田中絹代というと戦後のおばあさんのみの印象がある方も多いとは思いますが、戦前の小津安二郎作品などの出演作品と同様に、やはり”傳明虚彦映画”の彼女も若いが雰囲気があります。強さは抑えつつも、若く演じている、何故なら2本ともヒロインの出演であり、主演ではないため、作品全体の印象を背負う主役は鈴木傳明に譲っていることが大きな要因、彼女の出番はだいぶ多くありますが、印象は薄めですが、弱めで出演していることにも意味があります。





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松竹 戦争映画の軌跡 DVD-BOXです。発売元:松竹ホームビデオであり、2020年に戦後75年を迎えたことで発売、松竹映画の戦争映画を5本収録、「進軍」、「少年航空兵」、「西住戦車長傳」、「陸軍」、「雲の墓標より 空ゆかば」です。”傳明虚彦映画”『進軍(1930)』(「進軍」のタイトル)も収録されています。









ニッポン・モダン―日本映画 1920・30年代―

徳島県生まれのミツヨ・ワダ・マルシアーノ (著)、「国民的」経験と映画に関して、取り上げられている書籍、これに『若者よなぜ泣くか』も登場、残念ながら『若者よなぜ泣くか』は商品化されていません。







たとえば、日本を代表する数多くの大記録を持つ映画スター片岡千恵蔵の自身による千恵プロ製作の映画は、作品のタイトル部分に”千恵蔵映画”と表記されている作品が多数存在します。これは大スターの証だけでなく、彼の場合は傳明虚彦映画とは異なる部分も大きく、千恵プロ映画以外のトータルの映画主演作そのものも千恵蔵映画とも言われています。また現実に書籍”千恵蔵映画”が1980年に出版されています。


牛原は松竹男性映画、村田は日活男性映画の形成に大きく貢献しています。実は松竹初期の大作映画は牛原が最多ですが、オールスター映画の本数や牽引は戦前松竹現代劇の巨匠の一人、牛原とは路線が違うライバルの巨匠、島津保次郎(地味な社会派や群像劇、ホームドラマ、メロドラマや小市民映画路線でも成功、戦前の現代劇最多のオールスター映画20本ほどを監督、時代劇は日活の池田富保が最多)でした。事実上、大作映画は牛原、オールスター映画は島津でした。島津は男女の同等映画を多数監督、牛原のように男性側の映画はあまり当たりませんでした。

大作とオールスターは必ずしも重なるわけではありません。この両名はその事実を明確に伝えた監督同士ともいます。





田中絹代 国民的大女優 日本歴代ナンバーワン映画女優 溝口健二 メアリー・ピックフォード 小津安二郎 ミツヨ・ワダ・マルシアーノ 

片岡千恵蔵 千恵蔵映画 松竹男性映画 日活男性映画 小市民映画 島津保次郎 池田富保 大作映画 オールスター映画








驚愕の関与 村田実黒澤明マクシム・ゴーリキーの原作映画の共通点






村田実と黒澤明は同じ原作者のマクシム・ゴーリキーを通じて、映画のつながりが存在しています。何故か、マスコミはこのことに触れません。黒澤の後付けの長年の誇張による知名度が、それほど凄くないことをさらに露呈させる一つの理由へつながるためです。


互いによる事実上のロシア映画が1921年『路上の霊魂』と1957年『どん底』です。日本のロシア映画としては日本で最初の名作とさせているのが『路上の霊魂』ですし、36年も先に村田がほぼ最初に行津てしまも成功を収めている、、黒澤はあくまで後追いです。

両作とも日本映画として制作されていますが、両方とのマクシム・ゴーリキーが原作の事実上のロシア映画の要素が多数に存在しています。なので日本のロシア映画ということもできます。ここでも映画としても同様ですが、政治的な左要素が成り立ちます。


後年に黒澤が村田を評価していたという理由が、2つのロシア映画つながりにも見られますし、日本映画の外国的要素路線の開拓に、村田という存在が非常に大きかったことを物語っています。黒澤も頭が回る人物、村田の先人という名の人柱のおかげで、自分の活動が幅広くできたという自負が確実にあったと考えていたのでしょう。


事実として、現実に共通点の1921年『路上の霊魂』と1957年『どん底』が残されています。動かぬ証拠のひとつです。






黒澤明DVDコレクション  18 どん底


黒澤作品の映画そのものや時代劇映画のほとんどを占めている、まさに外国的路線と外国要素が濃いめの日本の時代劇映画の1本です。1921年『路上の霊魂』と1957年『どん底』の重なる部分を探る見方、同様にマクシム・ゴーリキーが原作の目線を持ち、両作の考察も面白い作品です。






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2020/06/01 19:20 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ


村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ」



左の翼という面でも同じ共通点を持つ、悪くいうと”外国かぶれ”ともいえる
村田実黒澤明のつながりについて更に迫ります。

前回記事にも登場していますが、ご存じない方もいるかもしれませんが、黒澤は村田を尊敬していました。
大きくいえば、何故なら、”自分が彼のおかげで存在できている”からに他なりません。

ご存知な方も多いかと思いますが、村田実黒澤明は外国的な日本映画(外国の影響(事実上の真似)が強く、外国風な雰囲気や演技、描写などの日本らしさが5割以下の弱めな映画)を多く監督しただけではなく、作品を通じた明確なつながりも存在しており、今記事はそのいくつかに迫ります。まさに壮絶左バディです。





前回記事⇒数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆





村田実 黒澤明






共産主義国家ロシアつながりの2名の左の翼








両名の一つのつながりといえば、村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』と黒澤明の1975年『デルス・ウザーラ』です。
この2作は監督の個性でもつながりがあるだけではなく、ロシア映画やロシア文豪でつながっています。



『路上の霊魂』はロシアを代表する文豪のマクシム・ゴーリキー(1868~1936、1902年の『どん底』がもっとも有名、ポケモンのゴーリキーと同名と、コロナでゆかりのある旅館の閉店が決まっている、森鴎外も和訳したドイツの文豪のヴェルヘルム・シュミットボン(1876~1952、1901年の『町の子』 がもっとも有名)の原作を組み合わせたといわれています。ここでロシアの文豪のマクシム・ゴーリキーガ登場します。さらに『デルス・ウザーラ』はロシアの映画会社で制作された日本人監督によるロシア映画です。二つに共通するのが共通するのがまさにロシアです。

また黒澤は1951年の『白痴』(黒澤が専属の東宝から松竹に出向して監督)はロシアの文豪のフョードル・ドストエフスキーの原作 『白痴』(1868年)でロシアとのつながりがもう1作存在します。

これはロシアを日本人や日本を舞台へいじくって映画にした作品です。単なる個人的レベルですが、黒澤の全31の監督作の中でもっとも評価している作品の一つが1951年の『白痴』です。精神的な障害を持ち、不思議な雰囲気を持つ白痴の青年を中心に、二人の性格と雰囲気の異なる女の間で揺れ動く、また男らしい友人を中心にした若者の喜怒哀楽を独特に描く群像劇です。

日本映画や外国映画に非常によくある内容ですが、実に上手に外国的な要素を随所に定着させています。監督は4時間以上(4時間25分)の公開を求めていましたが、松竹側が長すぎて観客側を無視していると許さず、分数を大幅にカットされて公開した完成版166分(2時間46分)です。長すぎても制作側の自己満足になるためです。


白痴=重度の知的障害を指すことが基本的です。




実は村田実の1930『この太陽 第一篇』 、1930『この太陽 第二 多美枝の巻』、1930『この太陽 第三篇』も若者の青春群像劇です。これは偶然なのでしょうか。1951年の『白痴』と映画内容の多くにつながりがあります。この太陽は時代小説「丹下左膳」が大きな代表作の”林不忘の別名義の牧逸馬”による原作、林不忘が外国作家の影響を受けた明確な理由は不明ですが、戦前の当時の現代小説は今以上に外国小説の影響が大きく、結果として関連している風に思えます。

林不忘は作家の時点ですでに文豪だったフョードル・ドストエフスキーの『白痴』を読んでいることは基本です。影響を受けていても自分の作品に傷が付きかねないため、影響と認めない影響が存在しています。






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この「キネマ旬報別冊/昭和33年11月号日本映画代表シナリオ全集 6」に村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』のシナリオが掲載されています。写真は偶然でしょうか、黒澤の実の師匠(助監督として1939『忠臣蔵 後篇』などに付いて映画を学んだ)の山本嘉次郎の代表作の一つの1941年の『馬(1941)』のシナリオの写真です。黒澤明自身も製作主任としてこの『馬(1941)』に参加しています。

1921年『路上の霊魂』は現存する松竹映画であり、CS放送(松竹が運営している衛星劇場や東映の東映チャンネル)などで何度か放送されていますが、作品そのものが商品化されていないのが残念です。




路上の霊魂 デルス・ウザーラ どん底 森鴎外 ヴェルヘルム・シュミットボン 町の子 

重度の知的障害 この太陽 第一篇 丹下左膳 牧逸馬 林不忘 フョードル・ドストエフスキー
 
外国かぶれ


山本嘉次郎 製作主任 衛星劇場 東映チャンネル






『白痴』と「この太陽」3部作の意外な配役俳優の共通点や系図





『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメインキャスト
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメインキャスト


役柄に白痴は存在しないものに、配役も「この太陽」3部作に似ている。
2つの上位キャスト4名が男2女2の同じ組み合わせの4名、さらに両方の4名ともが全て名優である。

映画『白痴』(原作は別問題として)のメインキャストは「この太陽」3部作のメインキャストの影響を意図して真似たかは断言できませんが、意図せず結果的に受けていたといえます。


また、考え方のもよりますが、
起用した俳優も結論として、系図になっていることに驚かされるこの2作の共通点です。




「この太陽」3部作と『白痴』の2作における系図

小杉勇,⇒三船敏郎
島耕二⇒森雅之
入江たか子⇒原節子、久我美子


『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメイン
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン




『白痴』の当時のポスターには三船はメインから除外されています。あくまで森雅之、原節子、久我美子の三角関係だという扱いですが、個人的にはメインの一人の無論の4番手だという評価です。







歴代上位映画俳優系図 三船の系図の影に千恵蔵とバンツマから小杉勇






若いときの戦前の主演全盛の小杉勇と戦後デビューの三船敏郎は男らしさを押し出した役柄が多く、現代劇のみの路線としては近い部分があります。『白痴』以外の系図の部分に触れますと、三船敏郎は全般と時代劇における面だと、先生より上の歴代数少ない御大俳優といわれた片岡千恵蔵の一面も影響(三船は宮本武蔵、新撰組の近藤勇、忠臣蔵映画の俵星玄馬=俵星玄蕃など多数のリメイク)もありますが、俳優の路線全体は特にバンツマこと阪東妻三郎の系図の俳優(三船は無法松の一生などのリメイク)に当たるとも考えています。黒澤と喪つながりがある、三船が2020年が生誕100年ということで少し触れていきましょう。





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小杉勇というと晩年の1950年代後半の”映画監督兼助演俳優時代”に日活や東映の大ヒット映画に助演俳優として出演しました。当時のみを観ている方々、特に70~80歳の世代には石原裕次郎の日活の現代劇映画の印象も強いことでしょう。石原裕次郎の1956年のブレイクから2年目の1957年『俺は待ってるぜ』は主演に近い助演の役柄で出演しており、出演俳優の中でもっとも実積があるのが小杉勇です。





バンツマと三船は、互いに通産の出演映画の役柄において弱さをあまり見せない男らしさ、男気を押し出した俳優です。現実にいくつかのリメイクがいくつかあります。実は作品や役柄の影響はテレビを含めると忠臣蔵の大石内蔵助(連続ドラマの大忠臣蔵で演じている)や大久保彦左衛門(東映の1時間ドラマで田中美佐子と共演し演じている)もあるため、片岡千恵蔵の影響のほうが多いわけですが、

千恵蔵は男気、自分の生き様を貫く役柄の演技だけではなく、明朗演技、ナンセンス演技(喜劇的演技)でも多彩に深く当たった歴代稀な映画俳優、三船は残念ながら多彩さは乏しく薄く、同じ演技が定着した世の中にもっとも多い一方向系演技の俳優、俳優の系図は阪東妻三郎と通じています。バンツマも多彩に挑戦はしたのですが、基本は一方向を抜け出せずに定着はしませんでした。


小杉勇は晩年の戦後は助演の演技派として活躍したため、晩年の2人は異なります。三船はデビュー時から晩年まで演技の路線は同じでした。島耕二はときどき愁い弱さのある青年さを押し出した二枚目役が多く、『白痴』の森雅之の白痴の青年の主人公とつながりがあります。


原節子、久我美子は入江たか子の流れを受けた系図の俳優とも言われます。清純派の概念を定着させたのが入江たか子だからです。香川京子、吉永小百合など多数、今でいうと20~30代の若い層に人気がある新垣結衣なども、この流れに当てはまります。

『白痴』の久我美子は金持ち令嬢、辛く当たりながらも優しさもある品格のある美人女性として描かれ、『白痴』の原節子は奇怪な考えの謎の女、異常な風格を持つ魔性の女として描かれていますが、彼女らの全般は清純系です。原節子の全般的な印象の清掃さと優しさと異なるイメージの役柄を演じているといえます。彼女の視聴可能な映画の中でも非常に異質な役柄です。







「この太陽」3部作 三船敏郎 宮本武蔵 片岡千恵蔵 阪東妻三郎 バンツマ
 
新選組 近藤勇 忠臣蔵 俵星玄馬 俵星玄蕃 系図の俳優 無法松の一生

石原裕次郎 俺は待ってるぜ 大石内蔵助 大久保彦左衛門 田中美佐子

森雅之 夏川静江 小杉勇 島耕二 入江たか子 久我美子 原節子











3名の俵星玄蕃 三波春夫のと千恵蔵と三船の三槍







俵星玄蕃は、映画の有名どころのみだと、三船敏郎が東宝の1962年の『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』の助演で演じていますが、片岡千恵蔵が1959年の東映時代劇映画『血槍無双』の主演で演じています。



定番ベスト シングル::元禄名槍譜 俵星玄蕃/豪商一代 紀伊国屋文左衛門 [ 三波春夫 ]

俵星玄蕃は歌だと名歌手の三波春夫が有名です。




以前記事で取り上げた100年を越すミニシアター映画館の北海道の大黒座に公開当時の子供たちの長い行列写真に収められている作品です。作品も素晴らしいですが、『血槍無双』のオープニングの東映社名の前奏曲部分は特に素晴らしい曲の入りで、印象に残ります。

ご存じない方もいるかもしれませんが、三船は宮本武蔵以外にも千恵蔵の演じた役を後追いで多数演じています。宮本武蔵を映画=映像作品で最初に代表的役柄にしたのは千恵蔵です。三船はあくまで2番目(3番目は中村錦之助=萬屋錦之介)なのです。三船の俳優の個性における系図はバンツマほうが強いと考えられますが、題材的な系図は千恵蔵のほうがバンツマよりも大きく影響を受けているといえます。

俵星玄蕃は、テレビドラマだと1969年の東映時代劇『あゝ忠臣蔵』で長門勇が演じています。これが特に印象に残るもので、3つとも視聴可能な作品です。『血槍無双』はCS放送の東映チャンネルのHD画質で何度か放送されています。



 
忠臣蔵 花の巻 雪の巻
 血槍無双 あゝ忠臣蔵 長門勇 中村錦之助 萬屋錦之介 大黒座





三波春夫の忠臣蔵歌謡の名曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」









三波春夫の代表曲の一つがいわゆる忠臣蔵歌謡(事実上の忠臣蔵題材の演歌)と題されるジャンルの「元禄名槍譜 俵星玄蕃」です。槍に生き、赤穂浪士に共鳴した赤穂義士の天下一代男(唯一無二の男)の意気と人情、心の清さ、生き様を歌い上げた日本史上の名曲です。


血槍無双 [VHS]

自身の浪曲時代の技を駆使した洗練された歌唱具合としゃべり口の独自個性、共感性の三無双、日本人とは何かを考えさせられます。






動画名は「三波春夫 〜元禄名槍譜 俵星玄蕃〜」です。ラジオ番組のNHKのラジオ深夜便の歌のコーナーでも何度も流れています。歌謡曲の中でも数少ない異例の9分ほどの分数、NHK紅白歌合戦でも数度披露しています。動画のコメント陣は泣いています。10代~30代の彼の全盛期を知らない若い客層にも聞いていただきい名曲です。



三波春夫 忠臣蔵歌謡 元禄名槍譜 俵星玄蕃 赤穂義士 NHK紅白歌合戦 ラジオ深夜便




「元禄名槍譜 俵星玄蕃」と同様、映画も歌も同様に年代や時代はカンケイがありません。ただ多少な知識や見聞(映画視聴者としてのレベル、経験値)があると過去はもちろん、現代、未来の映画も理解度が高まります。



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歴代日本映画史を揺る覆す謎のポスター登場


新ウラ記事はコチラへ公開予定 2019-12-10 美空ひばりの映画『おこんの初恋 花嫁七変化』と高倉健の母親と日本踊りの超功労者


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2020/05/15 19:26 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆



数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆





世の中に多くの巨匠や名匠は数多いが、一国における真の多彩なる世界的な巨匠とはマキノ雅弘牧野省三、外国だと特にフランスのジョルジュ・メリエス、そして彼のことをいうのではないだろうか。




前回記事=左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末





マキノ雅弘


マキノ雅弘 牧野省三の長男、日本初の映像名子役で子役から青年俳優までに170以上(200以上とも)の映画に俳優で出演、尾上松之助と50以上で共演、数え年22歳までの映画最多出演、日本の娯楽映画路線歴代でトップ監督ともいわれる。

監督数280弱、映画代表作は渡辺邦男、松田定次と競う世界上位の70以上を記録、渡辺邦男と並ぶ映画会社大手5社(関与順でマキノ、日活、松竹、東宝、東映)で映画監督10本以上を記録、マキノ、日活、東映の大手3社で50本を記録(渡辺邦男の改修版を含むとタイ記録だが、含まないと最多j記録)、

俳優、監督、製作=プロデューサー、録音の4役で100に到達と多数の代表作、一国における世界最多タイを記録、日本最多の20名以上の中規模以上の映画スターの代表作を監督、稀な戦前と戦後の二つの時代で歴代上位の活躍



牧野省三


牧野省三 日本初の映画巨匠や日本初の映画大製作者=プロデューサー、日本映像芸能の父。日本初の大映画スター、世界映画最多映画主演数の950、出演数世界最多の1000強を記録の尾上松之助と、映画500作以上のコンビを形成、世界最多の監督と俳優のコンビ数 一国としては世界最多の巨匠10以上、映画スター10以上を輩出 名映画人は30以上、映画数はジョルジュ・メリエスと競う世界最多級の監督数500作以上 

”世界歴代ナンバーワンの映画一家”、マキノの祖として「牧野家」を形成、映画一家としては世界最多の映画2500以上(複数役職を含む)を記録 剣戟、忍術(特撮映画)、忠臣蔵、水戸黄門、怪談、国定忠治、清水の次郎長まどの軽く50を越す日本映画ジャンル(ほぼ時代劇)の開拓、長男のマキノ雅弘を含む時代劇四大巨匠(4名に関与)や時代劇六大スターなど(6名に関与、6名の一人の長谷川一夫も衣笠貞之助を通じて大関与)へ流れを託す



ジョルジュ・メリエス


ジョルジュ・メリエス 事実上の世界初の映画巨匠、映画を生み出したフランス映画最初の巨匠、映画人が成功するという概念を形成 監督数500以上 一定の本数と成功という面では世界初の映画俳優、世界初の映画巨匠 SF、ホラー、大作など10を越す映画ジャンルの開拓と定着、晩年に関与していたマルセル・カルネ、ルネ・クレールなどのフランスビック5(フランス5大巨匠)にフランス映画を託す





マキノ雅弘 牧野省三 尾上松之助 渡辺邦男 松田定次 ジョルジュ・メリエス 

世界歴代ナンバーワンの映画一家 牧野家 時代劇四大巨匠 時代劇六大スター 長谷川一夫 衣笠貞之助

世界初の映画巨匠 マルセル・カルネ フランスビック5 フランス5大巨匠 ルネ・クレール







村田実





村田実 1920年代が全盛期の日本映画の巨匠の一人、映画界に監督、制作、刊行、影響などで、多彩な映画監督の活動の形成に貢献、後のさまざまな映画監督に多大な影響、1936~1937年の日本映画監督協会(日本の映画監督の多彩な活動と地位向上を目的)の初代理事長、二人目は溝口健二、三人目は小津安二郎、四人目は五所平之助が就任、

1920年代から1930年代にかけての日本映画で映画賞自体がわずかな時期に、文芸映画の多くで受賞歴、力強さのある日活の男性現代劇映画に大きな足跡を残し、後の東映(日活⇒大映の千恵蔵一派が事実上中心に形成した映画会社)の片岡千恵蔵、高倉健、鶴田浩二、菅原文太(主な東映の現代劇映画四大俳優、千恵蔵は同時に時代劇を代表する俳優でもある)の男性映画、

また戦後の日活の石原裕次郎、小林旭の男性映画にも大きな影響、主役の強い男性映画へつながる現代劇の原型にも制作面で関与、悲哀のある松竹男性映画形成の巨匠牛原虚彦とは長年のライバルでもあり、現代劇が中心に通産映画監督数56(60弱)を監督、代表作は18作、(20作近くを記録しました。


村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼監督(のちの今井正、黒澤明どへ多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳(43歳が正確)の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。




村田実 日本映画監督協会 溝口健二 小津安二郎 五所平之助 

片岡千恵蔵 高倉健 鶴田浩二 菅原文太 東映の現代劇映画四大俳優 男性映画

石原裕次郎 小林旭 牛原虚彦




村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼的監督(のちの今井正、黒澤明など膨大な人数、多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも非常に大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。



今井正 黒澤明







村田実の主な映画監督の代表作





新派要素、反戦、文芸、大作、前衛、外国原作、競作、受賞作品など、実に幅広い代表的作品群を残しています。




村田実の主な映画監督の代表作
1921『路上の霊魂』  松竹キネマ研究所
小山内薫 新派の重鎮の小山内薫を起用、ロシアの文豪のゴーリキー、ドイツのシュミットボンの原作をいじくった日本映画の初期の前衛名作
1924『清作の妻(1924)』  日活京都第二部
葛木香一、浦辺粂子 日本最初の反戦映画とされ、評論家の高い評価を得た  
1924『金色夜叉(1924)』  日活京都第二部
通算20度近く映画化の尾崎紅葉原作の超有名題材 鈴木傳明 浦辺粂子 
1925『街の手品師』  日活京都第二部  
近藤伊与吉、岡田嘉子 「大正14年度朝日新聞最優秀映画」受賞、日本映画初の受賞映画 オーストリアとハンガリーの著名な劇作家の影響作とも言われる。
1926『孔雀の光 第一篇』 
前田曙山原作の日活、マキノ、松竹、帝キネの4社競合の公開映画の文芸超話題作
1926『孔雀の光 第二篇』 
日活版を担当 「鳴門秘帖」七篇で知られる時代劇スター谷崎十郎の主演
1926『日輪 前篇』  日活大将軍 
岡田嘉子、山本嘉一 のちの巨匠、時代劇の父こと伊藤大輔との競作で大きな話題
1926『日輪 後篇』  
日活大将軍 第3回(1926年度)キネマ旬報ベストテンで第2位に選出 雪之丞変化の三上於菟吉原作
1927『椿姫』  日活大将軍  
外国のオペラの影響作、当時大ヒットを記録   夏川静江、東坊城恭長(入江たか子の実兄で俳優兼実業家) 
1928『激流 前篇』  日活大将軍
入江たか子 岡田時彦 小杉勇 島耕二 夏川静江 高木永二
1928『激流 後篇』  日活大将軍  
日輪や雪之丞変化の三上於菟吉原作の文芸作
1929『灰燼』  日活太奏
灰燼の読み=かいじん 徳富蘆花原作の悲劇、第6回(1929年度)キネマ旬報ベストテン第2位  三桝豊、英百合子、小杉勇、中野英治 夏川静江
1929『摩天楼 争闘篇』  日活太奏 
中野英治 第6回キネマ旬報ベストテン第5位、『灰燼』と共に2作ランクイン 左翼的外国映画の影響作
1930『摩天楼 愛慾篇』  日活太奏  
中野英治 砂絵呪縛や伝七捕物帳(共同原作)の土師清二など5名原作
1930『この太陽 第一篇』  日活太奏 
3部作にわたる超大作 林不忘の別名義の牧逸馬の原作 若者たちの希望と悲劇の群像劇、 小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン
1930『この太陽 第二 多美枝の巻』  日活太奏 
 2作目は1930年代に高い人気を誇った品格と純白の女優の入江たか子の多美枝役をクローズアップ
1930『この太陽 第三篇』  日活太奏 3部作の完結篇
1934『霧笛(1934)』  新興京都 
霧笛の読み=むてき 第11回(1934年度)キネマ旬報ベストテン第9位に選出 多路線の代表作がある文豪大佛次郎の現代劇の代表的原作  中野英治





1924『清作の妻(1924)』 は、日本の映画女優(助演、脇役メイン)で歴代上位の映画出演数300以上を誇る名女優の浦辺粂子も当時はヒロイン女優です。お家芸とも言われるおばあさん役が飯田蝶子や沢村貞子などと並んで、日本映画歴代でもっとも定着している、特に”おばあさん役の名女優”の一人が浦辺粂子です。





清作の妻 [ 若尾文子 ]


1950年代から1960年代の黄金期の大映映画を代表する映画女優の若尾文子が主演した「清作の妻(1924)」の再映画化作品が「清作の妻(1965)」です。相手役の名優の田村高廣の代表作の一つでもあります。監督はのちに巨匠の増村保造、増村監督は外国で映画技法の修行し、大映の監督として活躍、独自な映像の外国的映像表現に挑戦しましたが、この映画だけに留まらない外国的志向の強かった岡田監督に影響が同じ外国的という面でも存在しています。




浦辺粂子 飯田蝶子 沢村貞子 若尾文子 清作の妻 田村高廣 増村保造






歴代母親役女優 破天荒俳優の先駆的存在の中野英治





1927『椿姫』 の夏川静江は最低でも180作近くの映画に出演、当時の女優としては最長級の実働1919~1979 映画61年、日本の映画女優の概念の草分け時期からの活動、1920年代後半から1930年代中盤にかけて主演やヒロイン女優で50作以上(確認できる限りでは主演33(男性とのダブル主演も含む)、男性に次ぐ扱いのヒロイン25)に出演して活躍、1950年代は映画20作以上で主にに助演の母親役女優(三益愛子、望月優子などに次ぐとも言われる)としても好評を得た。映画の主演、ヒロインと助演で長期間で活動した女優です。


村田実の代表作にいくつか出演している中野英治は、特に日活の数年間の現代劇映画でサイレント映画の短期間で高い人気を誇った俳優で、プライベートは非常に破天荒で、少年時代は女と喧嘩に明け暮れ、映画デビュー後の異常な外国好きと愛人が多数、博打や度重なる借金を繰り返したといわれています。また加賀まりこの実父の加賀四郎(戦後の大映映画の製作者や実業家、映画の代表作はほとんど無い)は少年時代の遊び相手だったと証言が残されています。のちに麻薬の逮捕でも有名な勝新太郎(麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年など)の彼の流れです。


中野英治は1925年(大正14年)に「大地は微笑む」の好演でデビュー1年目の「キネマ旬報」の第1回映画俳優人気投票で男優の第1位の阪東妻三郎(雄呂血で同年にブレイク)に次ぐ男優第2位、このときからの短期間が彼の人気の最大のピークでした。


戦前の日活現代劇の青年主演スターを代表する小杉勇や島耕二(戦後は両名とものちの映画監督としても活躍、戦後の小杉は助演俳優兼娯楽監督で多くの代表作、島は俳優を辞めてほぼ監督に専念し多くの秀作、佳作)と多数共演、巨匠村田実作品の代表作作の常連俳優としても知られています。




椿姫 夏川静江 日本の映画女優の概念の草分け 三益愛子 望月優子

中野英治 加賀まりこ 加賀四郎 小杉勇 島耕二

市川団十郎 市川左団次 小山内薫 千田是也







演技術の日本近代 (単行本・ムック) / 笹山敬輔/著

演技はさまざまな形を通じて「心を表現するもの」、村田実はこの貴重な書籍「演技術の日本近代」に、「第5章 舞台の演技から映画の演技へー村田実と演技の法則」で執筆しています。

歌舞伎の2大名優の市川団十郎や市川左団次、日本の演劇界の革新を与えた小山内薫、舞台の名優千田是也などの執筆も魅力的です。











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2020/05/01 22:12 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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