【映画神業】西悟郎と木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇蹟






時代と向き合うことは戦前からの映画音楽家にも求められてきました。それは現代も変わることはありません。音楽が流れる日本映画は1930年代前半からごく少数のみが存在していましたが、1930年代中盤からだんだんとその数を増やしていき、全般的になりました。

全体がトーキー映画になっても、あえてトーキー映画に逆らい、サイレント映画を作り続けた映画会社の大都映画が存在していましたが、その数年後には時代の流れに飲み込まれていきました。当時の映画界は今以上に移り変わりが早く激動状態でした。

前回から取り上げている西悟郎(別名義は主に西悟朗)は、特に時代劇映画において戦前に自分の地位を確立させ、時代劇映画、時代劇の音楽を形成に大きく貢献、映画音楽そのものが初期の1934年からから活動していた日本映画を代表する音楽家の一人です。



前回記事⇒世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家



。今回は西悟郎が関与した有名映画の鮮烈さと凄み、魅力に独自に迫ります。「【映画神業】西悟郎木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇蹟」スタートです。




あの頃映画 マダムと女房/春琴抄 お琴と佐助 [DVD]
巨匠に該当する五所平之助が日本で最初のトーキー映画の現代劇『マダムと女房』を撮影して、初物として当時話題になりました。ですが、まだまだ時代が早かった。音楽や声があるトーキー映画『マダムと女房』が公開されましたが、1931年はサイレント映画の全盛期の後期であり、トーキー映画は年間600作ほどの映画公開作の中で数えるほどだったのです。





西悟郎の鮮烈な映画デビュー作はあの国民的題材映画





西悟郎の映画デビュー作は鮮烈でした。それはデビュー作がいきなりのオールスター映画であり、しかも国民的映画題材の忠臣蔵でした。1934年の『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は日活映画の新春作品として大スケールで描かれた時代劇・忠臣蔵の映画でした。西悟郎はこの作品で映画音楽家としてのデビューと同時に日本トップの映画製作に参加しました。ここから時代劇映画音楽の歴代上位の実積を残すことになる活躍のスタートの火蓋(ひぶた)が切られました。








当時やその将来を背負うホープばかりの大製作陣が集結






忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の監督は時代劇、時代劇映画形成のリーダーであり、時代劇の父とも称され、大河内傳次郎との名コンビだけで、30作近いの代表作残すなど、数多くの功績を残した大巨匠の伊藤大輔、応援監督として、片岡千恵蔵とのコンビでナンセンス時代劇の形成で革命的な大評価を受けた伊丹万作、そして尾崎純です。この尾崎純という人物は監督数15作、残念ながら1937『宮本武蔵 地の巻』(主演・片岡千恵蔵)、『旅の風来坊(1938)』(主演・沢村国太郎)などの2作ほどのみの主な代表作に留まり、尾崎純はこの『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督がもっとも大きな代表作であり、時点残念ながら監督のみとしては成功しませんでした。



脚本は伊藤大輔伊丹万作、尾崎純、特に伊藤大輔は200作以上の映画脚本家としても、時代劇、現代劇の多くの代表作があり、、伊丹万作は監督としても10作ほどの代表作があり、大成功を収めましたが、稲垣浩と片岡千恵蔵のコンビの代表作の脚本家としても数本で成功しています。さらに死後も『無法松の一生』などにおいて脚本が何度も映画化で使われています。伊藤大輔伊丹万作の豪華脚本が実現したただ一つ、唯一の作品が『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』です。





西悟郎と木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇跡【映画神業】の瞬間





下部分をだんだんとご覧ください。



(初回生産限定) 傑作時代劇 長谷川伸シリーズ DVD-BOX


上記は「長谷川伸シリーズ」(1972~1973)です。左から降下順に鶴田浩二と菅原文太、中村錦之助(萬屋錦之介)と西村晃、片岡千恵蔵と中村玉緒、次いで左斜め下の北島三郎、女優は高田美和、日色ともゑでしょう。右の上部から降下して長谷川一夫と山本富士子、、美空ひばりと浅丘ルリ子、そして長門勇かな??いえ彼は出演していません、 長門裕之か勝新太郎 、松方弘樹かな、横顔なので判別が困難です。同じカメラの録画を見直してみないと分かりません。右斜め下の最後は杉良太郎、松原智恵子の顔が確認できます。全30話で主演から脇役まで含めて、100名ほどの有名俳優が出演した、オールスター名作テレビ時代劇「長谷川伸シリーズ」の音楽は、あの大音楽家の木下忠司です。

なぜこのテレビ作品をここで出したのか、上記でも取り上げている『旅の風来坊(1938)』(主演・沢村国太郎)の旅の風来坊がこの「長谷川伸シリーズ」で映像化されています。「長谷川伸シリーズ」の「旅の風来坊」の主人公の関戸の佐四郎は片岡千恵蔵が演じました。 長谷川伸原作の映画の「旅の風来坊」は1932年に松竹の時代劇スターの坂東好太郎、1937年に嵐寛寿郎、1938年に戦前の日活などで活躍した時代劇スターの沢村国太郎などで映像化され、好評を博した長谷川伸の股旅小説の数多くある代表作のひとつです。ちなみに嵐寛寿郎は「長谷川伸シリーズ」(1972~1973)のとあるエピソードに助演で出演しています。




さらに驚くべきことがさらにあります。西悟郎が音楽を担当した名匠・山中貞雄と河原崎長十郎『街の入墨者』(1935)が「町のいれずみ者」として、近藤正臣とテレビ時代劇の名作『新撰組血風録(1965)』や『用心棒シリーズ』(1967~1969)、映画は東千代之介との数十作のコンビで知られる、名監督の河野寿一のコンビで映像化されています。この「長谷川伸シリーズ」の音楽は木下忠司、なんと、1935~1972なので約38年越しに西悟郎と木下忠司の大音楽家同士が映画テレビドラマを隔てて映像作品でつながった奇跡の瞬間です。





+裏は2018年7月1日公開映画歴代撮影者師弟傳 谷本精史と宮川一夫(Kazuo Miyakaw)

Kazuo Miyakawを産んだ男の謎




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2018/06/30 15:54 | 邦画の探求COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家




先日、著名音楽家としては長編映画世界最多の410作を越す、日本映画界を代表する大音楽家が多くの人々に惜しまれつつ逝去されました、2018年4月30日に102歳で”天寿を全う”されました。日本の歴代の有名音楽家の中で最高齢でした。*天寿を全う=十分長生きして亡くなるの意味、今回は木下忠司につながる、戦前にデビューして映画音楽家活躍した映画音楽の大先輩に迫ります。



本数は最多なので現実的に嘘ではないです。とあるアニメ映画の主題歌記録のように20や30のレベルでは無理すれば可能なレベルなのでほぼ評価できません。さらに数十程度なら海外にはいくらでもいますが、100や200でもそれほどたいしたことはないです。もちろん質も求められますが、今回は「世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家」と題して展開していきます。




戦前から活躍し続けた大音楽家の存在





戦前の時代劇映画の黄金期を支えた日活で1930年代中盤に映画音楽デビューした、西悟郎は最低でも130作以上の音楽を手掛け、映画スターだと関与順で大河内傳次郎片岡千恵蔵阪東妻三郎嵐寛寿郎などの大スターの主演映画代表作の音楽を担当しました。西悟郎は西悟朗の名義の音楽担当作もありますが、大半の名義だった西悟郎で統一していきます。



西悟郎が担当した4大スター主演映画の代表作の音楽 大河内傳次郎片岡千恵蔵





西悟郎の通産の特徴の一つは大河内傳次郎片岡千恵蔵阪東妻三郎嵐寛寿郎の主演映画の代表作の音楽を多数担当しました。これは4名の半数以上が1930年代に集中していることも大きな功績です。何故なら当時、これほど多くの大映画スターの音楽を手掛けた音楽家はほとんどいませんでしたし、歴代上位の俳優を4名という面では他にいませんでした。



大河内傳次郎(1934『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』、1935『丹下左膳余話 百万両の壺』、『大菩薩峠 鈴鹿山の巻 壬生島原の巻』 、『大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻』、『栗山大膳(1936)』 )、大映=1954『丹下左膳 こけ猿の壺』
 6作

片岡千恵蔵=(日活時代=1937『曠原の魂』、『自来也(改修・忍術三妖伝)』、鴛鴦もの1938『鴛鴦道中』、『忠臣蔵 天の巻』(浅野内匠頭で前半の主演)、1939『清水港』、千恵蔵の宮本武蔵もの1940『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』、『宮本武蔵 剣心一路』、『宮本武蔵 一乗寺決闘』、 大映時代=1942『独眼龍政宗(1942)』、『三代の盃(のちに改修)』、1944『土俵祭』、『東海水滸伝(のちの改修・東海二十八人衆)』、多羅尾伴内シリーズ1作目の1947『七つの顔』、1948『おしどり笠』 12作(計18作)


*以上の千恵蔵のオールスターは『曠原の魂』、『忠臣蔵 天の巻』、『清水港』、『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』、『宮本武蔵 剣心一路』、『宮本武蔵 一乗寺決闘』、 『東海水滸伝(改修・東海二十八人衆)』、『七つの顔』の8作






土俵祭 [DVD]

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片岡千恵蔵が相撲の力士に扮して、当時話題になったと伝えられる1944『土俵祭』、千恵蔵が恩人でセンスの良い時代劇映画を多く残した名匠の丸根賛太郎(まるねさんたろう)が監督、脚本は当時の東宝の期待の新人監督だった黒澤明が手掛けました。丸根賛太郎の時代劇は展開の力強さが良く個人的にもかなり評価しています。

丸根賛太郎片岡千恵蔵の主演作1939『春秋一刀流』で華々しく映画監督デビューを果たし、続く同年の『うぐいす侍』でも評価を得て当時は期待の新人といわれました。なので普通に恩人です。助監督のときに片岡千恵蔵から脚本を気に入られたことがきっかけで、早急の監督昇進を果たしたエピソードは有名です。晩年は代表作に恵まれずに苦しみましたが、通産で約60作の映画を残しました。



『土俵祭』は個人的にも録画していますが、商品化されていることに驚きました。この映画は1944年なので、日本が戦争末期で財政もっとも苦しかった時期、戦火の激化の影響でお金がかかる時代劇の製作が日本国に抑制され、比較的低予算で製作可能な現代劇映画『土俵祭』が製作された経緯となっています。

さらに黒澤明が脚本ですが、彼も片岡千恵蔵の『国士無双』などの時代劇映画に新風を叩き込んだ、1930年代のナンセンス時代劇に感銘を受けたと考えられます。のちの自分でも時代劇映画のある種の崩壊をやっているので影響は受けていたわけで、”映画人生の生涯で唯一の千恵蔵映画へ脚本提供が実現”したことは嬉しさもあったことでしょう。








西悟郎が担当した4大スター主演映画の代表作の音楽 阪東妻三郎嵐寛寿郎







阪東妻三郎=(1937『国定忠治(1937)』、『魔像(1937)』、『続魔像 茨右近』、1938『忠臣蔵 地の巻』(大石内蔵之助で後編の主演)、1940『江戸最後の日』、大映時代=『無法松の一生(1943)』、1945『狐の呉れた赤ん坊』、『国定忠治(1946)』、『王将(1948)』 8作(計26作)


*この中だと阪妻のオールスターは『忠臣蔵 地の巻』のみ、阪東妻三郎はオールスターに満たない豪華俳優が多く、千恵蔵と比べると通産のオールスター映画は圧倒的に少ない俳優でした。その分は自分のみを強く見せるための映画を路線や得意としていました。これは下記の嵐寛も同様です。


嵐寛寿郎=(1938『出世太閤記』、1942『鞍馬天狗(鞍馬天狗 黄金地獄)』、新東宝=1952『鞍馬天狗 青胴鬼』、1953『右門捕物帖 からくり街道』、東映=1953『鞍馬天狗 疾風雲母坂』、1953『危うし!鞍馬天狗』、宝塚映画と東宝=1954『右門捕物帖 妖鬼屋敷』 7作(計33作)

なんと驚くべきことに西悟郎が担当した4大スターのみの主演映画の代表作はここまでで33作になります。




*現存作を含むとそれぞれが数作増えますが、今回は含んでいません。たとえばわかりやすいところでいうと1940『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』(存在していないオリジナル142分版)は『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門(現存版)』(110分)が存在。さらに3作の総集編の『宮本武蔵(総集編)』などは含んでいません。特に片岡千恵蔵はこれを含むと5作以上も増えます。




宮本武蔵 総集編 [DVD]
宮本武蔵 総集編 [DVD]

『宮本武蔵(総集編)』といいますが、映画の片岡千恵蔵版ではなく、その流れを受けたドラマの役所広司版です。実は同タイトルが存在しています。宮本武蔵以外に役所広司は1963年の名作映画「十三人の刺客」のリメイクなどでも片岡千恵蔵の演じた役柄を演じています。役所広司も直接な共演はありませんでしたが、千恵蔵の遺伝子や影響を受けている膨大な俳優の中の一人です。







さらに西悟郎は前進座時代劇映画の河原崎長十郎、日活の若手時代の原健作へ貢献





西悟郎はほかにも1930年代に河原崎長十郎、中村翫右衛門ら(1935『街の入墨者』1936『河内山宗俊』、『股旅千一夜』 の前進座時代劇映画の3作の音楽も手掛け、原健作(戦後は主に原健策)の主演代表作の1940『まぼろし城』第一部~第三部、、1941『天兵童子』第一話~第四話の計7作の音楽も担当しました。上記の33作とプラス取ると代表作は43作となります。


前進座は歌舞伎俳優の新しい仕事場の劇団として創立され、初期のトップ主演俳優となった四代目の河原崎長十郎らが中心に映画進出を果たし、時代劇映画の一つのジャンルとして前進座時代劇とも称されています。1931年から1955年にかけてあわせて20作ほどの映画製作や俳優の主演に関りました。




原健作(原健策)についての外部リンク
  ↓               ↓
歴代5大映画俳優と30作以上で共演の希少名優 映画460作の原健策と7大巨匠の大映画音楽家
原健作がどんな俳優だったのか、謎の多い西悟郎についてもさらに深く触れています。





西悟郎の功績を現代に伝える必要性






作家路線の映画の音楽家はいくらでもぶり返えされますが、娯楽映画の音楽家はきちんと評価されてこないまま現代に至っている部分があります。娯楽映画は大衆とともにあるもっとも大切な映画群です。西悟郎もマスコミからきちんと評価されてきていない部分があり、この時代だからこそ、彼の功績を現代に伝える必要はあるのではないでしょうか。今回はそんな想いも込めて投稿させていただきました。



膨大な量なので分かりやすく分けるために分けています。よければこの先もご覧ください。



さらにつっこむ今回記事の裏側リンク
木下忠司と西悟郎はただの映画音楽家としての後輩だけじゃない部分もあり、
そこにも迫っています。
    ↓    ↓
50作近く膨大な代表作を残した映画大音楽家の行く末『国士無双』





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2018/06/15 00:00 | 邦画の探求COMMENT(11)TRACKBACK(0)  

さらば伝説無職映画監督 手塚治虫&車寅次郎と最期の登頂は感無量




「さらば伝説無職映画監督 手塚治虫車寅次郎と最期の登頂は感無量」と題し、今回記事で伝説無職映画監督がラストの予定です。表は計5回に分けて(ウラ含むと長々お送りしてきました。伝説無職映画監督についてなかなか取り上げられる機会さえもない人物だからこそ、あえて取り上げることが大切だと考えまして、かなりの時間をかけて取り上げて参りました。もうこれで感無量の涙、思い残すことはありません。




前回記事⇒無職無双大願 可愛い子供たちと美人妻の極楽創作漬け監督人生






伝説無職映画監督手塚治虫とまさかの関与とアマチュア映画制作会社の創立に関与






実は彼はあの大漫画家、日本漫画家の先駆者の手塚治虫の父と知り合いだったといいます。さらに後身後輩の輩出にも力を注ごうとしていたとき、亡くなったといいます、本文の下記「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群の最期の『さくら』(1938)は1930年代の後半に神戸に存在したといわれる、アマチュア映画制作会社「枝野商会クラブ」(上映時のメモなので間違えていたらごめんなさい、最初の2文字は枝野だと思うのですが、あとの商会クラブの部分は確実)で教え子=野村美明の監修で映画製作に関わったといいます。


アマチュア映画制作会社は他の人物たちと共同で創立したといわれていますが、それでも彼は無職だったというのです。ある種の仕事をしたのだと思うのですが、後輩の指導をしても給料を得ていなかったようで、会社を創設しても仕事とならず、無職とはあっぱれです。




映画パンフレット 「アニメラマ・クレオパトラ」 原案/構成/監督 手塚治虫 監督 山本暎一 声の出演 中山千夏/ハナ肇/なべおさみ/吉村実子/初井言栄/塚本信夫/野沢那智/今井和子
映画パンフレット 「アニメラマ・クレオパトラ」 原案/構成/監督 手塚治虫 監督 山本暎一 声の出演 中山千夏/ハナ肇/なべおさみ/吉村実子/初井言栄/塚本信夫/野沢那智/今井和子


乳房が見えているところが見えていますが、これはあくまでアートです。鉄腕アトムの劇場版の1964『鉄腕アトム 宇宙の勇者』や1966『ジャングル大帝(1966)』の劇場版の監督、『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズの監督や映画版の脚本で参加したことでも有名な山本暎一手塚治虫と共同で監督参加した『アニメラマ・クレオパトラ』、または『クレオパトラ』のタイトルも有、これはほんとに貴重なポスターです。映画は手塚治虫のアニメ製作会社の虫プロダクションで製作され、1970年に公開しました。






ある種の集大成『私の子供





この『私の子供』の完成には父親の存在が大きな意味があると考えられます。父親の死までの流れを映画化した『別府のお父さんに逢ふて来ます』、『寂光』、『納骨の日』はある種の”森紅の父親三部作”といえるかもしれません(自称ですが)。この3作、個人的には『納骨の日』が自身の作家性を高めたという点で重要な意味を持っていたのではないかと考えています。父親三部作の流れや『納骨の日』の存在が『私の子供』の完成につながったことは言うまでもありません。


父親がいなければ、映画との深い出会いはありませんし、監督名の森紅もありませんし、その子供も存在しておらず、海外や日本で存在が散り上げられることもなかったでしょう。



個人的に印象の残る森紅と服部茂の総合ベスト3 11作中
1.『納骨の日』
2.『寂光』
3.『私の子供





無職ゆえの家族愛




無職を生涯貫いた森紅の映画人生は他人から見れば天国でもあったのかもしれませんが、働かないという行為に後悔はなかったのでしょうか。『私の子供』や交換は後悔されなかった『私の子供』のリメイク作には森紅の子供たちが登場しています。『私の子供』は二人の男児、『私の子供』のリメイク作はさらにもう一人の男児が登場、さらに別な映画には母親や妻、娘が登場した映画もありました。そして自分自身も少しだけ登場しています。家族は森紅がカメラで撮影することに違和感を感じていない様子でした。作品に登場した母親や妻の印象からすると自然な感じで撮影されており、映画撮影が日常になっていたようなのです。




森紅が自分の映画に登場した瞬間の時間差認識






森紅の風貌はメガネでちょっと太り気味のもちろん2枚目から程遠い風貌の中年男性でした。自分の映画の中に数秒間のみ登場しています。


実は前回の記事の中で『森紅小品集』は短編、6作で4分で構成されており、①『四天王寺』、②『森展利二歳』、③『或る日の母』、④『淀川公園にて露子つ多子』、⑤『散策の榮子』、⑥『スケッチ』だとかきましたが、この中に森紅自身が登場している短編が存在していました。見たときは中年おじさんが突然登場してカメラを見ているくらいにしか感じられませんでしたが、この上映後のトークショーによるとその人物が森紅だというのです。見たと気はただの移り込んだだけの中年男性だと感じてたことにあっけにとられました。




「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群

・森紅名義
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー 
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー 
①『四天王寺』、②『森展利二歳』、③『或る日の母』、④『淀川公園にて露子つ多子』、⑤『散策の榮子』、⑥『スケッチ』←今回記事でポイントを置いている作品


・服部茂の名義
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927   現代劇 
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 現代劇←今回記事でポイントを置いている作品
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 時代劇要素を持つ現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇
10
『さくら』 4分 1938  ドキュメンタリー
11





個人的に記録していたメモによると登場したのは⑥『スケッチ』となっています。上映中に気になる点だけメモしたメモ帳には「見ている男、誰?」と”メガネの男性の顔”を映画愛子自身が描いていていました。実はメモ帳を見直しするまで自分自身でも忘れていました。この「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」の上映はさまざまな要素が幅広く多彩にてんこ盛り過ぎる計11作だったため、情報量が膨大すぎて部分部分の記憶が削れていたようです。この森紅自身が登場した場面がどこだったかも重要なところなので取り上げてみました。

森紅がなぜ自分を記録したかですが、家族を記録しておきたい気持ちは同時にその家庭の一員でもある自分自身を記録しておきたかったのでしょう。それはのちにこの映画群を見るかもしれない家族への無職なりの愛があったのでしょう。







森紅はリアルな『男はつらいよ!』の車寅次郎と股旅ジャンルの時代劇の主人公のように





森紅はリアルな『男はつらいよ!』の主人公の車寅次郎や諸国を放浪し弱き庶民を助け、悪を懲らしめるなどの好き勝手な人生を生きた股旅ジャンルの時代劇映画の主人公などような要素があるかと思います。森紅は自分のやりたいことをやるという純粋で、困難な好き勝手の人生をつらぬいて、無職のまま妻や数名の子供のいる家庭を持ち、こうして後世に取り上げられているだけでも十分伝説です。ある種の無職伝説を残したこの人物を心のどこかであこがれる部分があります、好きなことで生きて、幸せを感じていたか分かりませんが、映画の中からある種の幸せを感じてしまいます。このような有能な無職の人間も世の中の多様性の一部だということを、心の中にそっとしまっておける余裕を持ちたいものです。



最後に最期の登頂は感無量((今回の記事で最後の投稿完了)は書き手としても感無量の思いです。涙を拭いて、伝説無職監督よ、さらば





男はつらいよ・拝啓車寅次郎様 [DVD]
男はつらいよ・拝啓車寅次郎様 [DVD]

無職の代表格、山田洋次の心の師匠、監督数200強の喜劇映画の巨匠・斉藤寅次郎からインスパイアされエピソードも有名ですが、全体は架空の人物だちおされた無職の代表格が車寅次郎です。

車寅次郎が登場する『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』



今回記事の裏側⇒一般伝説巨匠の小津安二郎VS伝説無職映画監督 まさかの1番勝負が存在していた




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2018/05/30 00:00 | 邦画の探求COMMENT(8)TRACKBACK(0)  

無職無双大願 可愛い子供たちと美人妻の極楽創作漬け監督人生





映画監督の無職は方向性が良ければ救いようがあるんじゃないか、それも同時に問いかけてきた前回、無能な無職ではなく、優秀な無職男の存在は価値があるのではないか、そして今回、映画監督としてではなく、今回は別な一面も垣間見せます。無職無双監督が自身の映画に残した大願とは?!

それでは「無職無双大願 可愛い子供たちと美人妻の極楽創作漬け監督人生」スタート&開演です。



前回記事⇒無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実
この時代も現代も無職は勇者だ。




現代の絶望を可能にした男





森紅無職映画監督に自分のできることを探求するある意味でしあわせな人生を送ることができました。無職で妻を迎え、無職で4名(劇中に登場している人数、現実にはもっといるかもしれない)の子供に恵まれました。現代も無職の妻は可能でしょうが、無職で4名の子供を育てることは将来的に膨大な費用がかかるため、ほぼ絶望的といえるでしょう。”絶望を可能にした男”が森紅なのです。





DSC09397.jpg
NFCコレクションでみる日本映画の歴史」は日本映画の歴史をおおまかに理解していますが、独自な解釈も多く強く印象に残りました。



森紅小品集』にビン詰めされた家族のキーワード




今回は全体の軸ともいえる要素を秘めた『森紅小品集』に迫ります。まさにビン詰された中身を戸と出すために90年近いフタを開ける感触であり、本題に関わるので前々回の記事に続いて、下記の「個人映画特集:2 森紅服部茂作品集」で上映された森紅の作品群を掲載します。




「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群

・森紅名義
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー 
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー ←今回記事でポイントを置いている作品

服部茂の名義
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927   現代劇 
 *下記「生涯無職映画監督が日本最初の巨匠の大ファンで作った忍術映画の深層」で登場
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 現代劇
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 時代劇要素を持つ現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇
10
『さくら』 4分 1938  ドキュメンタリー
11




「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された作品群から上映順5作目の『森紅小品集』からも家族に関する部分を垣間見ることができます。『森紅小品集』は見つかってつけられた短編中の短編、6作で4分の作品が集約しています。①『四天王寺』、②『森展利二歳』、③『或る日の母』、④『淀川公園にて露子つ多子』、⑤『散策の榮子』、⑥『スケッチ』の6つで構成、全体で4分なので1作がほぼ数十秒です。

この作品の中で②『森展利二歳』には息子(展利)の一人が登場、③『或る日の母』では森紅の母親が登場、④『淀川公園にて露子つ多子』は妻と娘(露子、多子)が登場、⑤『散策の榮子』でも家族(榮子)が登場しています。『森紅小品集』は6つの超短編の集まりですが、そのうちの大半である4作が家族が登場しているドキュメンタリー映画です。


・森紅名義の上映された5作品の中でもっとも分数が短く、(『今日の佛事』 7分、『納骨の日』 10分、『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分、『寂光』 13分、『森紅小品集』 4分)。『森紅小品集』は注目されにくく、見逃しがちな作品かもしれませんが、森紅を知る面ではもっとも意味がある作品がこの『森紅小品集』といえるかもしれません。それは『森紅小品集』が森紅名義では現時点で最後の1932年の製作とされていることも意味を持っています。これまでのいくつかの記録映画を作ってきた中で自分が次に何を記録し、残すべきだと感じたときに家族だったのでしょう。








DSC09395.jpg
期間中は日本と海外の怪獣映画の「SF/怪獣映画の世界」のも展示されていましたが、個人的には常設展示「NFCコレクションでみる日本映画の歴史」(記事一番上の写真)のほうが価値があると感じました。外人の集団が周囲に届く大き目の声で話していたのが印象に残ります。



父から自分そして家族へ無職監督の森紅の到達点(大願)へ





森紅は下記部分を見ていただくとさらに感じてもらうことができるはずですが、家族あっての無職映画監督であり、同時にアマチュア映画監督だからです。それは前回記事でも取り上げていますが、映画機器を購入するお金や無職の環境を与えてくれた父から始まり、自分に嫁いできた妻や製作中に幼い子供や生まれたばかりの子供、見守る母親、その周辺の人物による支えが実現された監督の存在しえた部分だからです。さらに残した作品は父の影や家族そのものを記録した作品が多く、異色の映画監督といえるでしょう。




森紅名義の5作と主な家族の登場人物の登場

タイトル          主な家族の登場人物、面影含む
『今日の佛事』 父の面影、家族や親戚だと思われる人々
『納骨の日』 父の面影、家族や親戚だと思われる人々
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 父の面影
『寂光』 父の面影、家族や親戚だと思われる人々
『森紅小品集』 家族(父の面影、母親、妻、息子、娘、親戚と思われる人々、家政婦=女中など)




何らかの家族も登場していますが、父の面影が5作すべての登場しています。面影なので実際に作中に姿はありませんが、見ていると見えない存在の大きさを感じさせてくれます。






森紅名義の5作が”父の面影”の理由(=の⇒部分、だから統一)

『今日の佛事』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『納骨の日』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 父の面影=父の元へお見舞いに出かけることから生まれた映画だから
『寂光』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『森紅小品集』 父の面影=父の存在感を写された家族に感じる映画だから


*佛事=死者の冥福を祈る行事や法事など


さらに家族以上に父がすべての作品に影響を与えていることが明らかです。創作理由や映画そのものなど、これは森紅と服部茂を研究している助教授の方がトークショーで話していたとおりだと確認して改めて感じることができました。


今後さらに森紅名義の他の発掘される映画作品が見つかることに期待します。そのためには自宅の蔵や古美術品や古道具類などを扱う骨董(こっとう)店を探していただくしかありません。見つけたらフィルムを東京国立近代美術館フィルムセンターや地元のしかるべき場所に連絡してもらうことが必要です。



パンフレット マキノ省三とその人脈 東京国立近代美術館フィルムセンター 忠臣蔵 豪傑児雷也 弥次喜多・善光寺詣りの巻 国定忠治 天一坊と伊賀之亮 エド怪盗伝・影法師 大安日 鞍馬天狗 ごろんぼ街 ・他
東京国立近代美術館フィルムセンターを取り上げてもいるため、そのポスターパンフレット マキノ省三とその人脈 東京国立近代美術館フィルムセンター 忠臣蔵 豪傑児雷也 弥次喜多・善光寺詣りの巻 国定忠治 天一坊と伊賀之亮 エド怪盗伝・影法師 大安日 鞍馬天狗 ごろんぼ街 ・他のマキノ省三とその人脈が登場


黒澤明はたった31作、日本の巨匠100名ほどの中で歴代ワースト5に入る極小監督でしたが、世界歴代最多の400作以上の映画、軽く10倍以上一説には500作以上の監督作、大巨匠のマキノ省三をさらに海外に発信すべき存在です。彼らは認めたくないでしょうがある種、アメリカの映画100作以上の巨匠ジョン・フォードよりも断然上なのですから







今回記事の延長戦 究極裏道公開⇒W父親W息子 無職映画監督が家族3代作品に魅せた到達と集大成


表と裏に収まらない極秘展開 今回記事の裏道ばやりを公開⇒写真検証「発掘された映画たち2018」レジェンド無職監督の謎ポスターシーン





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2018/05/15 00:00 | 邦画の探求COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実




時代に逆らうで何かが生まれることがあるのかもしれません。時代に合わせるのみだと安定はしますが、突き抜けた領域への到達は困難です。時代に逆らうことで新たな領域の先駆者になって名を刻む場合があるからです。ですが、大きな重荷を同時に背負うことになります。森紅はこのことをどこまで自覚し、考えていたかはわかりませんが、人生そのもので時代に逆らったことが明白です。

タイトル悩みました。今回は「無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実」の題名で会見です。


*会見=記事公開を意味する自己流の表現や意味



上映作と時間軸から捉える父親と映画監督の森紅の不思議な関係






上映作と時間軸から捉える父親と映画監督の森紅の不思議な関係 

上映3作目の『別府のお父さんに逢ふて来ます』  *撮影時に父は入院中、瀬戸内海を往航する紅丸に関する景色などを記録
  ↓  ↓
上映4作目の『寂光』  *撮影時に父はすでに死去し、大規模な葬儀の参列者などの異様な光景を映画で記録
  ↓  ↓
上映2作目の『納骨の日』  *『寂光』からある程度の月日が経過 後につながる独自な作家性が見え隠れする。



上記3作は3作ともが1930年代の初頭と考えられています。彼は父親を尊敬してことでしょう。



DSC04808.jpg
小原鐵五郎(おばらてつごろう、1899年~1989年)の像です。小原哲学という独自な考え方を残し、日本の信用金庫の発展に尽くした人物です。この像は映画に直接な関係がありませんが、今回の東京国立近代美術館フィルムセンターの近くに目立つ存在でしたので周辺のシンボルとして撮影しました。近くで目立つという意味で記事と関連しています。




意味がある価値のある記録映画『納骨の日』と『寂光






森紅というとバルセロナの短編映画祭に出品されたと記録が残る『私の子供』がもっとも知られていることになっていますが、個人的には『私の子供』よりも『納骨の日』と『寂光』が印象の残りました。それは何故か、その部分をさらに探求していきます。そのために個人的に印象残る、内容に意味がある、内容が良いと感じた3作をベスト3として選出してみました。



個人的に印象の残る森紅のベスト3
1.『納骨の日
2.『寂光
3.『私の子供』



・上記の参考に全体上映の11作中の森紅6作を下記に再び掲載


今回「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群

・森紅
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー 
寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー

『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー





タイトルの予想を裏切る破天荒な『納骨の日』の映画内容 隠された秀作名作の可能性に迫る




ここでは上記小見出しの”意味がある価値のある記録映画『納骨の日』と『寂光』”の個人的に印象の残る森紅のベスト3を選んだ理由に関して掘下げていきます。

映画愛子は1番に選んだ『納骨の日』がもっとも印象の残りました。1930年代初頭の10分ほどのシュートムービーです。本来の納骨は亡き悲しい、別れる、寂しいなどの比較的にネガティブなイメージがあるかもしれませんが、『納骨の日』の登場人物たちの多くが笑っています。タイトルのみであると悲しいはずの内容が異なっており、独特な雰囲気をかもし出していましたし、どこか悲しさも秘め、全体的な印象は明るい内容なのです。


なぜ明るい内容になったのかですが、亡くなった森紅の父の教育方針も影響しているのかも知れません。無職の森紅を許してくれること自体も少々風変わりです。当たり前のことを当たり前のように教育していなかったのかもしれません。悲しいことを悲しく捉えることは普通ですが、明るく描くことは容易ではありません。悲しいことを悲しく捉えることもできますが、愛し尊敬し、感謝している父親だからこそ、森紅はこの記録を通じて、明るくあの世へ父を送り出したい、そんな気持ちが込められたドキュメンタリー映画に感じられました。



DSC09407.jpg
映画愛子による東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)の開催中の写真から上映された6~12の内容、外からのポスター撮影。

写真内のコルシカ兄弟も貴重でした。9のコルシカの兄弟はアメリカでも戦前を代表する大スターのダグラス・フェアバンクスの息子、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアによって『コルシカ兄弟(1941)』が映画化されていますが、それとは異なる1915年に製作『コルシカ兄弟(1915)』、残念ながら都合が合わず視聴できませんでした。フランス・スカグルとありますが、スカグルは国ではありません。フランスのスカグルという映画制作会社の意味です。






『納骨の日』のタイトルどおりに見えて隠された領域





さらに『納骨の日』はタイトルどおり、納骨そのものはほとんど描かれていません、『納骨の日』はあくまで納骨そのものではなく、”納骨のその日”を描いているからです。見た限りでは母親などの親族が歩いていたり、止まっている登場シーンがありましたが、基本はこの”納骨のあった日を描いている”ことを中心にしている映画でした。この親族のみだと印象の残る映画にはなりませんでしたが、印象に残る要因となったのがお寺に来訪した様々な人々の描写です。

子供から老人、年配、若者はもちろん、農家のような服装の人々や中流、裕福そうな人々、男性に女性、実に幅広い人々がカメラを見て笑顔を浮かべたり、笑っているのです。若い服装の女性、若い母親と女児、職人風のおじさん、おばさんなどが登場していました。




別れぬ理由 [DVD]わたし、あなたと同じことしている。のキャッチコピー。
下着姿のセクシーな姿の三田佳子が印象的。


今回は別れについて取り上げてきた部分があります。残念ながら森紅の映画は商品化していないため、”別れ”そこからたどり着いたこの映画がこの『別れぬ理由』(1987年公開)でした。三田佳子主演の東映映画であり、相手役が津川雅彦です。別れにも色々な方法があり、これは男女の別れを描いていますが、互いのこの年代の代表作です。

三田佳子は映画の主演ではデビュー1960年から作品運にさいなまれ、ヒロインや助演の有名作出演はありますが、苦戦が強いられてきました。1970年代初頭付近からテレビドラマの活動が中心の中、ようやく1985年の『Wの悲劇』(製作が事実上の角川、配給は東映)が主演の初といえる明確な代表作となり、2年後に『別れぬ理由』にも恵まれました。映画黄金期のデビューからの25年間は異常だったといえるでしょう。



別れぬ理由』は高倉健との40年を越すコンビでも知られる映像化の名手の降旗康男が監督で、原作が性を取り入れた女性要素の小説で活躍した渡辺淳一、三田佳子がそれまでのテレビドラマ『いのち』(NHK大河ドラマ、1986年、最高視聴率36パーセント強、現代劇は大河でもほとんどない)の清潔で凛々しく、日やひたむきなイメージをぶち壊す、エロス、性的要素を押し出す役柄に挑戦し、映画賞を受賞しました。『別れぬ理由』の三田佳子×降旗康男は通算2作のみですが、2年後の1989年『極道の妻たち 三代目姐』にもつながります。


最新ウラミチ記事公開⇒無職生涯破天荒監督の裏道 『お辞儀』意味と浮かぶ満州国 
列車は反れてこそ・・


ウラ記事は前回⇒生涯無職映画監督が日本最初の巨匠の大ファンで作った忍術映画の深層




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2018/04/28 00:03 | 邦画の探求COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

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