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片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣







片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣







歴代に数多くの主演俳優が存在していますが、彼ほどの人数と高い比率で成功した人物は存在していません。

現在も多数存在する10名~20名のある程度や歴代だと低レベルの範囲の主演俳優ではなく

多人数の50名を越え、60名近い総人数の中で、


ここまで高い成功度は、人間レベルの限界突破、歴代の主演においては存在していません。




片岡千恵蔵は、主演俳優のみにおける映画監督たちとの関りにおいて、

名匠巨匠40名中 一定の成果36名 成功24名 大成功15名


名匠巨匠以外16名中 一定の成果12名 成功5名 大成功1

と大成功を収めています。下記に続きます。




chiezōKataoka

片岡千恵蔵



片岡千恵蔵生誕120年の1~8の記事のリンク  1(最初)~7(前回)、8(今回)







この記事に至る計7回の流れの記事で、この部分も取り上げています。気になる方はそちらもご覧ください。下記の前回記事からも飛べます。




片岡千恵蔵生誕120年の1(最初)~7(前回)、8(今回)のリンク


祝!片岡千恵蔵生誕120年記念「日活映画主演数歴代ベスト10」 現実見たくないんじゃ大暴れ上等集団が隠蔽する映画世界記録


片岡千恵蔵生誕120年 誰もなし終えぬ恐るべき世界大記録「トリプルミリオン」「ダブルミリオン」「ミリオン」の三大連発を暴け


片岡千恵蔵生誕120年 稀代の超お祭り男の訳アリ事情発覚「群馬県新田郡」「藪塚温泉」 超貴重映画「ある日の太田市」そこに何が?!


片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」


片岡千恵蔵生誕120年 バズる宮本武蔵映画俳優の史上異次元極地 「40」開始「15」「36」が示す名巨匠コンビ


片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生

7(前回記事)
片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家

8(今回記事だが一応掲載)
片岡千恵蔵生誕120年 「花が田に咲いた」 2×原節子と杉村春子 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣






「名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名」 全56名中の成功29名は約52パーセントの驚異的な的中率 一定の成果48名の86パーセント近い驚異的な的中率







もっとも多くの名匠巨匠で成功を収めた主演の映画俳優であり、ただ数が多いだけでなく、その人数に伴う成果をデビュー時から最後まで、常に挙げてきました。特に人数以上に的中率が驚異的です。

名匠巨匠以外は世の中で成功したと言い難い監督が全体ながら、千恵蔵は世の中の基本にかなろ逆境に成功したといえ、16名中大成功は1名、成功5名、一定の成果12名と特に一定の成果12名と成功5名は非常に評価するべき部分だといえます。

これはここで比較はできませんが、歴代上位の他の主演俳優にはないレベルで名匠巨匠以外においても大きく成功しているといえます。


名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名



上記のように驚異的な数字をたたき出しています。今後も人間レベルではほぼ不可能な的中率です。

全56名中の一定の成果48名は86パーセント近い、驚異的な的中率の大成功、さらに全56名中jhの成功29名は約52パーセントの的中率、全56名中の大成功16名は29パーセント近い、高い的中率です。

56名という面においては大成功の16名の29パーセントも十分高いといえます。10名程度や20名程度で29パーセント近く、当たるのとはまったく意味が違います。10名程度だと6倍近い56名ですから、いかに驚異的かがわかります。



私利私欲の好きや嫌いを煽り、お金を稼ぐことに特化して人を評価するという、テレビや電通などが生み出した頭のおかしさ、もっとも低レベルの芸能の評価を打破していることは、彼が現代や未来も高く評価される現実的な実益の部分です。



お金を稼ぐことのみが大きな評価ではありません。電通やテレビなどのマスコミ、大企業が植え付けた許されざる害悪です。芸能系は競いあいが基本ですが、もちろん実業家や重役などなら業態にも左右されつつも別ですが、ましてやヒラの庶民の人生にお金における勝ちも負けもありません。

電通やテレビなどのマスコミが、日本の9割以上、ほぼ全体のヒラの庶民にも勝ちも負けがあると、煽って馬鹿にしてくる風潮は許されません。


芸能系の対象者が活動している国によって収入は大きく左右される部分は大きく、例えばアメリカにであれば、映画だとたった数本の代表作で大して活躍しなくても、一定レベルで日本よりは多く稼げるわけですから、人の評価をお金をメインに基準にしたら、評価の基準の公平さがかなり薄いわけです。

その芸能系の人物の収入やお金でなく、やはりどちらかといえば、明確な本数やその成果の諸々や的中率、影響力の方が平等に近い評価といえるのではないでしょうか?


千恵蔵の場合は、日本の芸能系としては最高ともいえる映画最盛期に年俸20億という話も有名ですが、収入よりも通算の実積の方に目を向けるべきだと考えられます。国の違いや収入を飛び越えて、大きく普遍的なだけではなく、この部分で歴代の外国勢を完全に凌駕できるためです。






片岡千恵蔵の主演のみの名匠巨匠と名匠巨匠以外、全監督56名における一定の成果数、成功数、大成功数






千恵蔵の主演のみの名匠巨匠と名匠巨匠以外、全監督56名における一定の成果数、成功数、大成功数


*名匠巨匠40名中 一定の成果36名 成功24名 大成功15名

*名匠巨匠以外16名中 一定の成果12名 成功5名 大成功1名

*名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名




実に驚異的です。今後、多くの歴代の主演俳優を比較をしていく機会があると思われますが、その際にこの数字が、もっとも驚異的だということが明確化されます。一応はもっともは取り下げて、念のため、驚異的としておきます。誰が見ても、驚異的なことは事実ですから、






千恵蔵映画『三本指の男』が探偵もの原作の映像化で最初の成功という大功績






千恵蔵の金田一耕助の1本目とされる『三本指の男』(公式6本、総集編、前後編、最近確認された映画を含むと含むと8~10本)は横溝正史の長編推理小説の「本陣殺人事件」が原作で、金田一耕助が初めて登場するエピソードとしても知られています。

金田一耕助シリーズ」の第1作、1946年(昭和21年)4月から同年の12月まで日本の推理小説雑誌『宝石』に連載され、連載が終了した約1年後の1947年12月9日に最初の映像化作品である映画『三本指の男』が公開されています。


三本指の男 金田一耕助 横溝正史 本陣殺人事件 宝石 日本の推理小説雑誌『宝石』


原作の「本陣殺人事件」は、初の映画公開後に1948年の第1回探偵作家クラブ賞を受賞しています。日本に」とって非常に大きな作品です。

第1回探偵作家クラブ賞


マンガやアニメ(テレビ、映画)の『名探偵コナン』や『金田一少年事件簿』など、また比較的知られた実写系の探偵小説など、テレビドラマや実写映画の『探偵物語』(松田優作主演)など、探偵要素や推理要素のある膨大な数の数の作品に現在も影響を受けています。松田優作の『探偵物語』の両方に貢献しているところからも、在日の方々も千恵蔵に感謝していただきたいところです。


千恵蔵映画は時代劇と現代劇の両輪で、アニメにも多大な影響、探偵や推理、事件系においても影響は大です。


名探偵コナン 金田一少年事件簿 探偵物語 松田優作


横溝正史以前も、江戸川乱歩の「明智小五郎シリーズ」、明智が最初に登場する『一寸法師』(『朝日新聞』1926年12月〜1927年2月の連載、

大正15年と昭和元年、連載開始時は大正15年)はありましたが、原作のある探偵ものの映像化は『三本指の男』まではなく、また江戸川乱歩による映像化作品の成功は、千恵蔵の初の金田一以降の1950年代の東映(千恵蔵が主演俳優兼取締役時)による映画「少年探偵団シリーズ」(1本目は1956年11月の「少年探偵団 第一部 妖怪博士」、監督は千恵蔵とのコンビでも成功の小林恒夫、主演は千恵蔵の後輩の南原伸二、のちの名優の南原宏治)までは明確には成功していませんでした。

日本で最初に探偵ものの成功を収めた映像作品が千恵蔵映画です。これも千恵蔵の大きな功績です。


「少年探偵団 第一部 妖怪博士」のVHS
少年探偵団



江戸川乱歩 明智小五郎シリーズ 一寸法師 朝日新聞 少年探偵団シリーズ 小林恒夫 南原伸二


時代劇の事実上の1位(観客動員、代表作、監督、当たり役などの総合)だけではなく、金田一以外の複数功績は、「和製ギャングもの」、「刑事もの」、「多羅尾伴内」、「人生劇場」も含むと、現代劇においても歴代ベスト10級の大きな功績や影響を残しているのが千恵蔵の凄みのです。



和製ギャング 刑事 多羅尾伴内 人生劇場




『多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面』 1955年公開から
多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面1

千恵蔵風な水戸黄門(水戸光圀)という見方がある老人探偵の多羅尾伴内役、そして藤村大造役、ナンセンスと現実、明朗と反逆的な破天荒、マスコミが大好きなリアリズム映画ではなく、この矛盾も魅力です。

多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面 藤村大造



当時の東映映画は、企画表記が事実上の制作者を意味末う場合も多く、千恵蔵映画の戦後コンビの大プロデューサーの盟友玉木潤一郎、日本の映画人初の公式な生涯功労賞の牧野省三賞の1人目の受賞者が千恵蔵、2人目が彼、そう玉木潤一郎です。3人目は月形龍之介、4人目は市川右太衛門と続きます。

戦前からの現実の実積や成果の通り、右太衛門よりも千恵蔵の方が格上と評価されています。これは確かな評価です。


千恵蔵映画の戦後の100本近いプロデューサーです。日本映画最盛期の最多観客動員コンビが千恵蔵×玉木コンビ、実に数億人、日本の総人口が9千万人付近の時に、コンビの観客動員は3億人近かったと考えられます。

過去に彼と千恵蔵のコンビに関する記事があるので、気になる方は探してみてください。




玉木潤一郎 牧野省三賞 日本の映画人初の公式な生涯功労賞の牧野省三賞 月形龍之介 市川右太衛門





初代金田一耕助 主演約200本の世界的な国民俳優だからゆえの特別な配慮が実現






また、映画は千恵蔵だからできる金田一耕助像を演じています。

原作そのもの金田一は、1970年代からテレビの古谷一行版や映画の石坂浩二版が演じたように、髪がボサボサでフケを飛ばす癖の不衛生さ、さらに服装も汚らしいのが現実です。1947年の『三本指の男』で金田一を演じたときの千恵蔵の主演映画数は、現存含むと約200本と世界の映画俳優の現役1位、主な代表作も現役で世界1位の100本近くを記録中、その国民的俳優を凌駕する”国民俳優の千恵蔵”に、この原作通りの不衛生さを押し出した姿を演じさせる行為は無理があったのは有名です。


国民俳優

古谷一行 石坂浩二



戦前と戦後を通じた時代劇映画で、現存していない幻の名作とされる山中貞雄の1934『足軽出世譚』の足軽役や内田吐夢の1955『血槍富士』の槍持ち役など、身分が低い下郎役や下僕役でも成功を収めている実に多彩な千恵蔵ですが、現代劇においては制作側からの特別な配慮がありました。


山中貞雄 足軽出世譚 足軽役 内田吐夢 血槍富士 槍持ち役






ナゾの千恵蔵映画『曉の奇襲』の制作陣と俳優陣






『曉の奇襲』の制作と俳優たちにも迫ります。第名優と無名すぎる俳優が共演するという千恵蔵映画の中でも異例な事態が発生しています。千恵蔵映画は歴代でもっとも名優数が多いとも言えますが、この映画は有名俳優と無名俳優の実積や知名度の両方の格差が、現存含むと430本を越す全千恵蔵主演映画の中でもっとも広いと考えられます。



監督=花田弘、原作=横溝正史 製作=樋元國雄、 脚本=髙岩肇 撮影=田辺健一 音楽=橘明 録音=岡田謙

出演俳優
金田一耕助=片岡千惠藏(日本を代表する映画の国民主演俳優)

磯川警部=根上謙二(無名) 久保銀造=日守志郎(無名) 一柳賢藏=石川淳(無名) 一柳良介=村瀨幸(無名) 

一柳糸子=杉村春子(舞台の国民的主演大女優、映画の名助演俳優) 白木靜子=原節子(映画最盛期に活躍したヒロイン女優) 久保春子=風見章子(助演や脇役の名優) 久保克子=東山千栄子(舞台と映画の名優) 

一柳鈴子=御園良乃(無名) 一柳秋子=宮口由美(無名) 村人A=向田定雄(無名) 村人B=大谷三郎(無名)




実は千恵蔵以外の上位表記の根上謙二、日守志郎、石川淳、村瀨幸、御園良乃 宮口由美、さらに向田定雄、大谷三郎は無名な人物です。実に8名が無名で、俳優といえるほど一定の活動をしたのかさえも不明です。女優の村瀨幸子はおばあさん女優として有名ですが、村瀨幸は男性であり、役名の一柳良介からまったくな別人だとわかります。


根上謙二 日守志郎 石川淳 村瀨幸 御園良乃 宮口由美 向田定雄 大谷三郎

村瀨幸子


村人Bの大谷三郎は、大西三郎(のちの映画監督の大西秀明、千恵蔵の「紫頭巾」を監督)とは別人になのかも気にかかりますが、俳優時代の名義が違うということは別人とみるべきです。千恵蔵以下、杉村春子 原節子 風見章子 東山千栄子はそれぞれが日本映画の最盛期を代表する名女優です。

大西三郎 大西秀明 原節子 風見章子


杉村春子は、映画のおばあさん役(一時的に母親役)の歴代上位の助演女優だけではなく、主演舞台が「女の一生」など300公演5つという世界記録、500公演3つの大記録の持ち主です。千恵蔵も多くの映画系の世界記録がありますが、これも大記録です。映画のみでも数十本の名作に出演していますが、理屈的には舞台の実積の方がはるかに上になります。

東山千栄子も日本の舞台女優を代表する人物で、映画のおばさん役の歴代上位の助演女優としても知られています。ニ大舞台女優が千恵蔵の脇を固めています。


杉村春子 女の一生 東山千栄子



千恵蔵による初代金田一耕助の2作目の獄門島の貴重すぎる台本
獄門島2





千恵蔵映画『三本指の男』の制作陣と俳優陣






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』のキャストと比べるとある共通点が明確にわかります。




『三本指の男』の主な出演俳優
金田一耕助=片岡千恵蔵(日本を代表する映画の国民主演俳優)

磯川警部=宮口精二(脇役の名優) 久保銀造=三津田健(舞台中心の名優) 一柳賢造=小堀明男(主演でも成果を挙げた助演名優) 一柳良介=上代勇吉(脇役の名優)

一柳糸子=杉村春子(舞台の国民的主演大女優、映画の名助演俳優) 白木静子=原節子(映画最盛期に活躍したヒロイン女優) 久保春子=風見章子(助演や脇役の名優) 久保克子=登場せず

一柳鈴子=八汐路恵子(脇役の名優) 一柳秋子=賀原夏子(脇役の名優)  村人A=役名表記なし 村人B=役名表記なし

その他
久保銀造の妻お徳=松浦築枝(戦前の時代劇を代表するヒロイン女優であり、脇役の名優) 一柳隆二=水原洋一(脇役の名優) 一柳三郎=青山健吉(無名) 周吉=村田宏寿(脇役の名優) お島=初音礼子(映画のみだと一定の活躍)

三本指の男=片岡千恵蔵(2役) 劇中では配役は?の表記






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は金田一耕助、磯川警部、久保銀造、一柳賢造、一柳良介、一柳糸子、白木静子、久保春子の8役、さらに同じ役を演じている俳優は金田一耕助=片岡千恵蔵、一柳糸子=杉村春子 白木静子=原節子 久保春子=風見章子の4名、確実に『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』はつながりがある映画だとわかります。


磯川警部 宮口精二 久保銀造 三津田健 小堀明男 上代勇吉 白木静子

八汐路恵子 賀原夏子 松浦築枝 

水原洋一 青山健吉 村田宏寿 初音礼子




『曉の奇襲』は『三本指の男』のスピンオフ(外伝、派生)的なものだった考えられます。それが『三本指の男』の試作か、その後日談なのかはわかりません。所蔵している国立映画アーカイブ側はどのような位置付けなのか把握しているでしょうが、現存データには何も説明がありません。

国立映画アーカイブ

それでも、おそらくは試作、『三本指の男』のプロトタイプ(試作)の要素が強かったと考えられます。仮に『三本指の男』を制作後の後日談や外伝的だったとして、戦前から10年以上の活動がある杉村春子、原節子、風見章子の3名女優が出演させることができるでしょうか?これも現時点では可能性の範囲です。


1947年に1度目の公開の『三本指の男』出演時の3名の女優、杉村春子は初舞台から20年目、原節子は出演時芸歴は映画デビュー12年目(表記があるものからカウント)、風見章子は出演時芸歴は11年目、現在よりも大きく強く実力主義と人気主義、実積主義だった良き日本の芸能界で、すでにそこそこのキャリアがあります。








『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は「8役4名」が示す意味






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は8役、『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方で同じ役を演じている俳優は4名、『曉の奇襲』と『三本指の男』の制作陣の比較にわかりやすく迫ります。





『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名(登場人物)は8役
金田一耕助、磯川警部、久保銀造、一柳賢造、一柳良介、一柳糸子、白木静子、久保春子

『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方で同じ役を演じている俳優は4名
金田一耕助=片岡千恵蔵、一柳糸子=杉村春子 白木静子=原節子 久保春子=風見章子


この同8役、同4名は、両作品に関して大きなつながりがあることを明確に示しています。




『曉の奇襲』と『三本指の男』の制作陣
原作=横溝正史
脚本=『曉の奇襲』髙岩肇、『三本指の男』比佐芳武 

製作=『曉の奇襲』樋元國雄  『三本指の男』牧野満男
撮影=『曉の奇襲』田辺健一  『三本指の男』石本秀雄
音楽=『曉の奇襲』橘明  『三本指の男』大久保徳二郎と吉川太郎
録音=『曉の奇襲』岡田謙  『三本指の男』加瀬久



『曉の奇襲』の4名は残念ながら4人とも無名な人物、一方、『三本指の男』は牧野満男(東映を形成した製作者、多くの実積から東映次期社長ともいわれたが、それ以前に死去、死後に特別功労賞)、牧野満男(マキノ光雄などの別名義有)は、異常ともいわれる女性好きでも知られていますが、仕事に大きな才能がありました。一説には、多くの女性遊びから1958年の早死を招いたともいわれています。理由を東映や事情通は把握しているかもしれません。



東映次期社長 特別功労賞 
牧野満男 マキノ光雄


石本秀雄(日本映画史上ベスト5に含まれる活躍の撮影技師、現存含むと230本以上の撮影、サイレント期から戦後の千恵蔵映画の主な代表作100本強(現存版含む)の撮影や、1950年代前半から松竹時代劇のナンバーワン撮影者として10本を越すオールスター映画を撮影の活躍)、

大久保徳二郎(戦前のテイチク作曲家時代から大きく活躍、テイチク最盛期形成に貢献、その後も独自な映画音楽を展開、独創性は高い評価の名映画音楽家、千恵蔵映画の音楽も戦前から戦後の名作を多く手掛ける)、

加瀬久(東映史上を代表する録音技師、120本以上の録音、9割が東映作品)は活躍した人物、4名とも多くの千恵蔵映画に貢献した人物です。大久保徳二郎と共同音楽の吉川太郎はほぼ無名な人物です。



石本秀雄 大久保徳二郎 加瀬久 吉川太郎






『曉の奇襲』の監督=花田弘、原作=横溝正史 製作=樋元國雄、 脚本=髙岩肇 撮影=田辺健一 音楽=橘明 録音=岡田謙について






原作の横溝正史と、脚本の髙岩肇以外は全て一般的に無名な人物です。

髙岩肇は、映画180本以上の脚本を手掛けた日本映画歴代で比較的上位の名脚本家です。評価基準で右往左往しますが、歴代10~20選に含まれます。片岡千恵蔵と非常に縁があり、膨大な30本近い脚本を手掛けています。

髙岩肇は、2本の内田吐夢映画や金田一、ギャング、遠山の金さん、新選組、国定忠治などを複数手掛け、千恵蔵のみの30本近い脚本でありながら、代表作は25本ほどの突き抜けて高い的中率を誇ります。さらにギャング&刑事もの『恐怖の空中殺人』と、美空ひばりもヒロイン的に出演している千恵蔵の次郎長4本目『勢揃い東海道』(千恵蔵の次郎長はこれのみ)は実写1000万人越えを記録



髙岩肇 恐怖の空中殺人 勢揃い東海道 美空ひばり


続く監督の花田弘は、この映画以外に監督としての記録さえも確認できず、製作の樋元國雄、撮影の田辺健一、音楽の橘明、録音の岡田謙も同様に記録さえ、この『曉の奇襲』以外は確認できません。実に不思議な制作陣です。

無名6名は、全千恵蔵の出演映画の現存含む430本強の中で、もっとも実積が薄く乏しい製作者たちが並んでいます。





樋元國雄 田辺健一 橘明 岡田謙



獄門島1
原作の横溝正史は娯楽系を代表する有名作家、脚本の法皇とも呼ばれた東映を代表する名脚本家・比佐芳武、監督の天皇とも呼ばれた娯楽映画歴代ベスト3の巨匠・松田定次、撮影の伊藤武夫の名前が確認できます。



千恵蔵の現代劇の撮影を多く手掛けた東映上位の名撮影者の伊藤武夫,は、現存含むと200本を越す映画を撮影しています。日本映画の歴史の中で、上位に多くの映画スターを多数撮影した人物です。それだけ多くの代表作もありますが、千恵蔵は10本を撮影しています。特に市川右太衛門の撮影で知られ、最多の19本撮影を記録しています。

伊藤武夫
法皇とも呼ばれた名脚本家 比佐芳武 天皇とも呼ばれた巨匠 松田定次


伊藤武夫の撮影した映画スター順は、阪東妻三郎、林長二郎(のち長谷川一夫)、高田浩吉、榎本健一、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、美空ひばり、大川橋蔵、特にこの辺りの9大スターを多めに撮影しています。

また女優の高峰秀子の『馬』や監督系だと新藤兼人の『原爆の子』や黒澤明の『続姿三四郎』、『酔いどれ天使』、個人的には佳作だと考えていますが、大河内傅次郎主演の中編映画『虎の尾を踏む男たち』も撮影も実積です。


千恵蔵は石本秀雄と川崎新太郎、伊藤武夫、宮川一夫などの数多くの日本映画歴代上位の功績を持つ撮影者への深い貢献があります。



阪東妻三郎 林長二郎 長谷川一夫 高田浩吉 榎本健一 大友柳太朗 大川橋蔵 高峰秀子  新藤兼人 原爆の子  

黒澤明 続姿三四郎 酔いどれ天使 大河内傅次郎 虎の尾を踏む男たち


川崎新太郎 宮川一夫





記事タイトルの「あの花」が田に咲く?の意味を解説






片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣の「「あの花」が田に咲く?」の部分、説明させていただきます。




「あの花」⇒『曉の奇襲』(監督にとって作品は花)と原節子と杉村春子’女優はある意味の花

花」が田⇒花田⇒花田弘監督






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田村正和







2023年1月1日公開から計8回にわたって展開してきた「片岡千恵蔵生誕120年」完結







2023年の1月1日公開から計8回にわたって展開してきた「片岡千恵蔵生誕120年」記事は、このブログ記事として今回でいったん最後となります。今後の2023年の12月にかけて、裏ブログで外伝的な記事をいくつか取り上げる予定です。その際はこちらにもリンクを張る予定です。

片岡千恵蔵生誕120年

他の主演100本程度のそこそこレベルの俳優なら、監督中心の実積で、全体の数十パーセントの実積は網羅できてしまうわけですが、千恵蔵や市川右太衛門、長谷川一夫などの世界的な歴代上位の俳優は特別に格が違います。

アメリカ活動の俳優のように稼ぎのお金方面が強めではありません。お金よりも平等に競える歴代の数字があります。


監督のみで全体の10パーセントに到達することはなく、特に千恵蔵はこの中でも、歴代でもっとも多数の功績や影響を残しています。今回の8回のみだと、全体の実積のほんの数パーセントの部分のみになりましたが、監督中心にこれまでにないほど、独自に迫れたとは考えています。

今後の記事の展開が合えば、2023年12月頃に続きを取り上げる予定です。





『多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面』 1955年公開から
多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面2
最後のふさわしい名ポスターだと選定 多羅尾伴内は千恵蔵の上位8選に含まれる当たり役の一つ、千恵蔵の名前が、天皇といわれた松田監督よりも大きい、これは監督よりも千恵蔵の存在の方が格上だという評価を示しています。







千恵蔵の日本映画の最盛期を形成と牽引する日本最大の主演俳優、同時に日本最大の映画スター、
千恵プロという自身の映画会社の制作100本強、さらに個人プロの最多の名作数十本の世界的な映画製作者、
世界の大手映画会社・東映の俳優兼取締役などの長年の重役として日本映画を支え、


実に多面的で膨大な貢献は、生誕120年という単なる節目だけでなく、


今後の130年、140年、200年と、ますますと、千恵蔵が再評価されていくことを祈ります。






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2023/05/01 17:30 | 超大物俳優COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家





片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家








現代の腐りきったアニメ頼りの沼の奥地にハマった情けなぁーい日本映画に強烈にズブズブと鋭いくさび(楔)を打ち込む




人生山あり谷あり、良きの日本映画のためには、マスコミや映画評論家などが繰り返す「外国からお金ほしーの」と日本壊しのためにテレビで煽る「外国がー」ではなく、良き日本らしい、日本だからできる良き映画界のため、時には激しさと苦しさも伴う


お手軽に外国をマネて取り入れて得られるある程度の評価ではなく、再び日本の独自性を形成や強化して、再び日本人やそのプラスαとして、外国でも評価される可能性を探る。日本は大陸ではなく島国です。島国は島国のやり方がある。これは長きにわたる過去も教えてくれています。

外国からお金ほしーの

日本映画の最盛期を形成してきた千恵蔵、2023年の”生誕120年”から改めて、その長年の挑戦と本数以上の成果の数々と現代も続く影響力、日本人として”溢れゆく感謝の念”、現代や近未来の日本映画が上昇するために教わる部分が多々あります。

これは日本映画にとって良いやり方、千恵蔵の存在はこのヒントも伝えてくれます。




片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生








名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功④






1~8は上記のリンクから飛べる前回の記事です。今回も助演の主要や助演(主要以下)は含まない、単独主演やダブル主演、トリプリ主演のみの主演コンビです。今回は9~16(最後)までに迫ります。最後の16人目は謎の人物が登場します。



9 山上伊太郎   成果は特になし
監督実働1934~1935、監督数2本。日本映画と時代劇映画を代表する名脚本家の一人で、「忠臣蔵」、「鞍馬天狗」、「丹下左膳」、「浪人街」などの10題材を越す名作時代劇の脚本、現存含むと脚本数60強で、代表作は驚異的な40本強、原作も30本以上、数そのものは多くはありませんが、脚本と原作の両方が、6割を越す代表的作品の的中率は驚異的で、的中率は歴代脚本家の八尋不二や依田義賢を軽く上回り、橋本忍(原作数は貧弱)と競る的中率です。


山上伊太郎 浪人街

八尋不二 依田義賢 橋本忍



ですが監督は2本のみ、脚本家や原作者としては日本映画史上上位の人物ですが、監督としては活躍したとはいえません。

そのうちの1本が監督デビュー作の嵐寛寿郎主演の寛プロの1934『兵学往来髭大名』(監督、脚本、原作)で、もう1本が2本目の千恵蔵の1935.『魔風一騎 前篇 北斗の巻』(監督、脚本)です。1935.『魔風一騎 前篇 北斗の巻』の原作の三上於菟吉は「日輪」や「雪之丞変化」などの有名な原作者で、この映画は林長二郎(長谷川一夫)の1935.6月『雪之丞変化 第一篇』の3カ月後に公開しています。

「魔風一騎」の千恵蔵は菊河朱四郎という役を演じていますが、後半が制作された記録がない珍しい映画です。



嵐寛寿郎 魔風一騎 前篇 北斗の巻 兵学往来髭大名 三上於菟吉 林長二郎 長谷川一夫 雪之丞変化 第一篇 菊河朱四郎


山上伊太郎のシナリオ 単行本

千恵蔵映画の現時点では視聴不可の1932年の『白夜の饗宴』と『時代の驕児』の幻の映画シナリオも収録されています。


白夜の饗宴 時代の驕児

千恵蔵コンビは監督としては成果は特になし、脚本家としては大成功です。監督のみなので成果は特になしとなります。





10 野淵昶  一定の成果8
読みは”のぶちあきら”、監督数35、実働は1935~1955の20年間、後世に評価が上昇した監督、名監督にはもう1歩か、新興キネマと大映メイン、いわゆる女性物映画を20本強も手掛け、複数の秀作を残し、活躍した監督には含まれます。

野淵昶 女性映画

女性映画は全監督数の半数を越す監督は、戦前から戦後監督において、ごく少数です。彼は日本映画において貴重な存在です。代表的映画といえるのが 1938「静御前」 1939「中将姫」、1939「紫式部」、1940「明治の女」、1942「お市の方」、1950「復活」、1952「滝の白糸」、1953「千姫」です。全て女性役を主演に置いた映画で、「復活」以外は何度も映画化されている現在も有名な題材です。

静御前 中将姫 紫式部 明治の女 お市の方 復活 滝の白糸 千姫


名監督と言い難い理由が明確な代表作のなさと少なめの監督数です。1930年代デビューで35本ほどはかなり少なめの監督数といえます。


例えば黒澤明の監督数は少ない31本(単独は30)ですが、明確な代表作は10本ほどち影響力の強さから、監督数と代表作が少ない問題点がありながら、巨匠に該当しています。野淵昶は巨匠以前に、名匠としても、決め手に欠けるという部分がぬぐえません。

黒澤明


野淵昶と千恵蔵コンビは1本のみで、千恵プロと新興キネマの1935『白牡丹』のみ、この映画は比較的地位を確立していた時期の大女優の鈴木澄子がヒロインです。鈴木の千恵蔵映画の単独ヒロインは、この映画のみ、大女優であり、非常に意味がある映画です。千恵蔵との共演は、セカンドヒロインもこなしていたマキノ時代に複数あります。鈴木澄子は世界歴代女優ベスト3のヒロイン数150本以上の大記録を残していますが、またこの部分は別な機会にします。また月形龍之介が千恵蔵の父親役の老け役を演じているところも特色といえます。


白牡丹 鈴木澄子 世界歴代女優ベスト3のヒロイン数150本以上の大記録 月形龍之介



『白牡丹』は野淵監督のデビュー2本目の映画とされています。彼は当時新興キネマの監督であり、千恵プロに出向した際の映画です。実は『白牡丹』を監督した後の3本目は井上正夫や水谷八重子出演の大作『大尉の娘(1936)』を監督しています。同・井上正夫主演による1917年版のリメイクです。これは千恵蔵映画を監督したことが一定は評価されたと考えることができます。何故なら井上正夫は、当時の日本上位の舞台の主演俳優と評価されていた人物、映画でも一定の成功を収めた、中心は舞台俳優の大物だったためです。

すでに国民的俳優の千恵蔵の主演作を撮影したことから、舞台の大物の井上正夫主演作につながることができ、千恵蔵はこうした面において野淵昶の活動にかなり貢献していたといえます。




映画『白牡丹』の画像が残る小冊子 池袋映画劇場
白牡丹

池袋映画劇場

これは非常に貴重な画像です。片岡千恵蔵の背中の刺青姿は、戦後の当たり役の一つの遠山の金さんを連想させます。千恵蔵は戦前に長谷川伸原作の「刺青奇遇」の2本だけではなく、この映画の刺青の役を演じていたことになります。この画像はあまり知られていない事実を伝えています。実は原作と脚本の左八阪はこの『白牡丹』のみの名義、野淵昶の別名の可能性が考えられます。また、この映画の撮影は千恵蔵の大盟友の石本秀雄です。

「刺青奇遇」の影響を受けて、戦後の刺青判官姿鮮やかな演技の遠山の金さん(遠山金四郎)役につながる布石とも考えられる映画です。


左八阪 長谷川伸 刺青奇遇 石本秀雄 遠山の金さん 遠山金四郎






名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑤






11 原顕義  特に成果なし
監督数2本のみの監督、2本とも千恵蔵映画の新興キネマ提携時代の作品、巨匠・伊丹万作と千恵蔵コンビの1935.5月『戦国気譚 気まぐれ冠者』で佐伯清(のちの名匠、巨匠級)と共に助監督を務め、振津嵐峡(曾我正史)監督の『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』の後編に当たる1935.12月『黄昏地蔵 後篇 血河復讐の巻』で監督デビュー、1936『江戸城炎史』も監督、千恵蔵コンビはこの2本です。


原顕義 戦国気譚 気まぐれ冠者 佐伯清 振津嵐峡 曾我正史 黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻 黄昏地蔵 後篇 血河復讐の巻 江戸城炎史




2本とも香住佐代子がヒロイン、彼女は千恵蔵に認められて『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』のヒロインで映画デビュー、千恵プロの末期を支えた女優の一人です。100本近い映画に出演し、ヒロイン出演の名作はほぼ皆無ですが、脇役中心に名作20本以上に出演、十分に名女優といえる存在です。千恵蔵とは約10年の、なんと35本近く(現存含む)で共演しています。

「黄昏地蔵」は千恵蔵とも非常に縁がある大作家の子母澤寛原作です。「弥太郎笠」の戦前戦後の3本や、自身最初の「国定忠治」現存含むと4本、「千石纏」、「お坊主天狗」のリメイク含む3本、『新選組鬼隊長』などの代表作の原作、千恵蔵からなんと、勝新太郎の「座頭市シリーズ」の原作につながります。長くなるのでまた別の機会ですが、勝新太郎も千恵蔵の影響をかなり受けています。ですがテレビはこの事実も完全無視しています。



香住佐代子 子母澤寛 弥太郎笠 国定忠治 千石纏 お坊主天狗 新選組鬼隊長 勝新太郎 座頭市シリーズ





12 衣笠十四三   大成功1 成功4 一定の成果9
名匠とまでは言い難いが千恵蔵とのコンビで成功を収めた監督、監督数19本、監督の実働は1935~1957、13年ほどの俳優や舞台演出家を経て、1933年に新興キネマに入社し、千恵プロで監督デビューから日活を経て、戦後は短編映画を数本手掛けています。

衣笠十四三

千恵蔵との成功後、日活時代は、千恵蔵や阪妻、嵐寛の三大スターよりランクが劣る映画スター(時代劇スター)の沢村国太郎を4本(長門裕之や津川雅彦の兄弟の実父、世界ナンバーワンの映画一家のマキノ家の一員)、や尾上菊太郎を5本と複数コンビがあるが、残念ながらこれは明確な成功とはいえず、

当時としては非常に遅咲きの35歳のデビュー作の1935年『初祝鼠小僧』は、林長二郎と名コンビを形成していた松竹の実兄・衣笠貞之助(のちの巨匠)が原作と脚本を担当、1935年末の公開で1936年の正月映画のヒット作と記録が残っています。


沢村国太郎 長門裕之 津川雅彦 世界ナンバーワンの映画一家のマキノ家の一員 尾上菊太郎

初祝鼠小僧 衣笠貞之助


貞之助の脚本は「泉治郎吉」名義、明確なものとしては兄弟の監督と脚本における日本映画史上の初のヒットを記録、千恵蔵は義賊・鼠小僧次郎吉を演じています。また衣笠十四三は、伊丹万作の「刺青奇偶」と稲垣浩の「瞼の母」の両名作を同・千恵蔵主演で、1936年にリメイク、1936年7月公開の「刺青奇偶(1936)」は衣笠貞之助が泉次郎吉名義で再び脚本を担当、千恵蔵映画2度目の衣笠兄弟映画です。


泉治郎吉 鼠小僧次郎吉 瞼の母 刺青奇偶(1936) 衣笠兄弟映画


続いて衣笠十四三は、千恵プロ101本目の映画、1937『松五郎乱れ星』(千恵プロ最終作の意味のある映画)、日活時代は松田定次と共同監督の火消し物の秀作の1938『初姿人情鳶』(1938年12月31日公開とあるため、1939年の正月映画)を監督、この映画の現存する改修版は『大江戸の闇』(現版の不良からオリジナルよりも分数が削られている、コンビ最終6本目)として現存しています。


千恵蔵コンビの5本中すべてが一定の成果の意味がある映画、6本中6本が代表的作品と評価、十分に大成功といえます。衣笠十四三は全履歴としては名監督というほどは成功したとは言い難い人物が、千恵蔵とのコンビのみは成功といえます。

松五郎乱れ星 松田定次 火消し物 初姿人情鳶 大江戸の闇


大江戸の闇
大江戸の闇
監督がマキノ正博(マキノ雅弘)となっていますが、これは違います。何故間違えているのか不明、監督は衣笠十四三と松田定次です。オリジナルの『初姿人情鳶』そのもの映画は残されていませんが、この改修作『大江戸の闇』の映画は現存し、それを視聴して確認しています。







今の落ちぶれた日本映画の俳優に多い誰かの真似やコピー演技じゃない”自分だけの演技を模索した真の映画スター千恵蔵”とべらんめえ口調





千恵蔵というと、無双や二刀流というフレーズも印象的ですが、『大江戸の闇』の闇というフレーズ、現代のもそのまま通用します。例えば、50年以上の常習犯で、被害者200名近いとも言われる世界最大の少年性犯罪者ジャニー喜多川と共犯のテレビマスコミやジャニーズ事務所の闇などと使われます。


50年以上の常習犯で、被害者200名近いとも言われる世界最大の少年性犯罪者ジャニー喜多川と共犯のテレビマスコミやジャニーズ事務所の闇



『大江戸の闇』の千恵蔵は江戸時代の火消し役(現在でいうと消防士役)を演じています。千恵蔵も比較的得意とした役柄の一つで、この2本を含む4度演じています。千恵蔵の得意とする口調の一つ、いわゆる「べらんべえ口調」と火消しのきびきびした活動的な江戸っ子感は相性がかなり良く、役柄と噛み合いサマになります。


べらんべえ口調 火消し役 消防士役 江戸っ子



台詞をはっきりといわないことも千恵蔵の口調の魅力で、大河内傅次郎や大友柳太朗もこの要素がある口調の方向性といえますが、台詞をはっきりと発声すると、押しつけの正論の演技になってしまうだけではなく、実写のため、さらに主演としての存在が大きく軽くなり、安っぽい演技になってしまうため、往年の時代劇俳優は非常に気にしている部分でした。また違和感を大切にしていました。


特に映画だと大切ですが、比較的、誰でもできる伝えるに特化した現在の俳優のような安っぽい演技は非常に低レベルとなります。これさえもマスコミは伝えようとしません。テレビマスコミは外国から利益を得るために日本を破壊したいのでしょうか。もっと強く批判したいわけですが、罵声は良くないと重いため、あえて優しめの言葉を選んでいます。



時代劇スターは、他に誰もいない唯一無二の雰囲気や威厳も重要な要素です。その表現の一つとしてしゃべり口調の独自性があると現時点では認識しています。マスコミなどが伝えない非常に深い部分です、


形容も様々ありますが、役幅が広く演技が上手なのは当然、誰もいない個性の独自さと少量の違和感、存在感の強さとその大きさ、これが日本上位の主演俳優たちです。


現在の日本の俳優は非常に幼稚な個性さえもを排除したしゃべり方、棒読みも多めになってしまっています。恵蔵はこうした現在の日本映画の俳優の低迷も教えてくれます。



【べらんめえ口調】
江戸・東京の下町で下層職人が使った巻き舌で威勢のいい言葉の調子。




『初姿人情鳶』が、戦後に『大江戸の闇』として公開された時のポスターです。実は1928年の嵐寛寿郎の主演作の『大江戸の闇』と同名です。これは偶然なのでしょうか。

藤木弓(巨匠・稲垣浩の別名義)と共同脚本の石川聖二は、阪妻プロので4本の監督、彼は阪妻プロで肝心の阪東妻三郎の主演作は1本も撮影していません。なんとも残念な監督としての履歴です。さらに脚本家としても成功したとは言えない人物であり、阪妻プロ後、日活の脚本家として『初姿人情鳶』と『大江戸の闇』を含む5本(改修含むと6本)を残しています。『大江戸の闇』は現存しているという面において石川聖二の代表的作品です。



石川聖二 阪妻プロ 阪東妻三郎





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑥






13 尾崎純 成功5 一定の成果10
監督数15本強、1934~1938実働は約5年間と短い、名監督とは言い難いが2本の明確な代表作を記録、

尾崎純は、数年間とされるピーク時は高い人気を博した市川百々之助主演の1934『侠盗ふくろう組』がデビューとされ、1935年の戦前の日本映画で最大のの超大作『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は、4時間近い上演時間、巨匠・伊藤大輔監督を筆頭に、のちの巨匠評価の伊丹万作の応援監督で参加、さらに原作と脚色は伊丹万作、なんと応援監督と原作と脚色の3役を果たす。

『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は4時間近い上演時間と残され、これは全千恵蔵映画の430本を越す映画(総集編や断片や助演も含む)の中でもっとも長い上映時間の映画です。同時に大河内傅次にとっても、もっとも長い上映時間の映画です。


尾崎純 市川百々之助 侠盗ふくろう組 忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇 伊藤大輔 伊丹万作 応援監督


主演は大石内蔵助と毛利小平太の2役の大河内傅次郎と、浅野内匠頭と岡野金右衛門の2役の片岡千恵蔵、両名が2役のダブル主演、さらに総勢名優41名が確認できます。『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は戦前の日本映画ベスト3入りのオールスター映画です。これは尾崎純にとっても大きなキャリアとなります。


大石内蔵助と毛利小平太の2役の大河内傅次郎 浅野内匠頭と岡野金右衛門の2役の片岡千恵蔵 戦前の日本映画ベスト3入りのオールスター映画


尾崎純は、1930年代中盤から後半の日活上位7選に含まれる尾上菊太郎を4本、沢田清の晩年の主演作を4本が自身最大の本数コンビです。日活歴代の中長編系俳優ベスト10に含まれる主演数を誇る、沢田清主演の1938『怪談 お岩役者』が遺作とされています。沢田清は最盛期は高い人気を誇って、たった数年でしたが、比較的上位の日活時代劇スターとして知られています。

沢田清 怪談 お岩役


千恵蔵とは、『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督を除けば1本のみの1937『宮本武蔵 地の巻』、この映画は評判を得たと記録があり、成功を収めた明確な自身の最大の代表作、実はこの映画現存版が数バージョン残されています。『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督を含めると千恵蔵2本の成功とも言えます。

宮本武蔵 地の巻


宮本武蔵 一 地の巻 Kindle版


引用

江戸時代初期の剣豪。生涯を剣の道に捧げた宮本武蔵の波乱万丈の青春小説。史上有数の剣豪にして二天一流の開祖。生涯60数回戦って一度も負けなかったと言われる。一巻は生来の野生児だった武蔵(たけぞう)が沢庵和尚に助けられ人間として、剣の道を究めることを決意するまでを描く。過去何度も映像化された作品。



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14 菅沼完二  特に成果なし
大映の伝説の編集者=編集技師としても知られる映画監督、映画監督数25、監督実働1935~1941、確認は編集66、制作2本、戦前は映画監督として活動し、戦後は大映の編集者に転身、大映で膨大な54本の代表的作品を手掛ける。

大映の伝説の編集者


監督時代は、沢田清と1938「隠密七生記」前後篇など10本のコンビ、二桁は記録しているが、代表的が少なく名コンビとは言い難い、また嵐寛寿郎の高評価時代劇『剣光桜吹雪』、や「鞍馬天狗」、「右門捕物帖」が1本ずつの計3本(全て1941年)が代表的といえます。ですが映画監督としては名匠とは言い難い一時的に活躍した監督です。


隠密七生記 剣光桜吹雪


菅沼完二は編集者としては、大映の編集者史上最多の代表作数、さらに66本中54本という8割を越す編集者歴代最高ともいえる強靭な的中率を記録、市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」4本や「剣三部作」や『新・平家物語』、勝新太郎の「座頭市シリーズ」7本、「悪名シリーズ」7本、長谷川一夫の「銭形平次捕物控シリーズ」2本や『近松物語』、『四谷怪談(1959)』の代表作が多く、まさに伝説の映画人の一人です。


編集者歴代最高ともいえる強靭な的中率を記録 市川雷蔵 眠狂四郎シリーズ 剣三部作 新・平家物語 悪名シリーズ 銭形平次捕物控シリーズ 近松物語 四谷怪談(1959)



千恵蔵とは小規模オールスターの1940『侠剣魔剣』のみ(年末映画)、名優10名が出演記録あり、この映画、千恵蔵の役名が不明、日活にも詳細なデータがない謎の映画です。『侠剣魔剣』の出演は、片岡千恵蔵 市川春代 尾上菊太郎 沢村国太郎 河部五郎 香川良介 志村喬 滝沢静子 市川正二郎 戸上城太郎の10名、いずれも名優です。

そのうち片岡千恵蔵 市川春代 尾上菊太郎 沢村国太郎 河部五郎の5名は活躍した主演スターです。もちろん世界記録の多い千恵蔵だけ突き抜けています。この映画の時期の河部五郎は主演スターを終えた助演俳優でした。また、映画230本以上の大女優・市川春代は主演系ですが、主要の全体はヒロイン女優ともいえます。


侠剣魔剣 市川春代 河部五郎 香川良介 志村喬 滝沢静子 市川正二郎 戸上城太郎





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功⑦







15 大西秀明  一定の成果11
大西三郎として大映から東映の脇役俳優、その後の監督で一定の成果を残した人物、監督数32、実働1958~1969の約10年

俳優としては片岡千恵蔵の森の石松役が主演の1945『東海水滸伝』(改修改題『東海二十八人衆』)や同俳優の初代・金田一耕助シリーズ『獄門島』、『獄門島 解明篇』(両方とも1949年)と『獄門島(総集編)』、1950『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、1954の河野寿一監督の『里見八犬伝』五部作など20本強に脇役で出演、特に千恵蔵とは10本(現存含むと15本越え)で共演

大西秀明 大西三郎 森の石松 東海水滸伝 東海二十八人衆 初代・金田一耕助シリーズ 獄門島 獄門島 解明篇 獄門島(総集編) 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 河野寿一 里見八犬伝

内田吐夢と千恵蔵の名コンビの1955『血槍富士』、1956『黒田騒動』や1960『大菩薩峠 第二部』(千恵蔵の大菩薩峠は渡辺邦男コンビから計5本目)などの助監督に抜的され、内田監督から大きな影響を受けています。里見浩太郎(のちの里見浩太朗)、 沢村精四郎、植木基晴(千恵蔵の長男で戦後の日本映画最盛期を代表する名子役)の3名が主要の『神州天馬侠(1958)』で監督へ昇進、一般系映画は18本手掛ける。だが、その大半が低予算映画です。


神州天馬侠(1958) 血槍富士 黒田騒動 大菩薩峠 第二部 里見浩太郎 里見浩太朗 沢村精四郎 植木基晴 


この大半が低予算映画が物語る現実は厳しく、監督デビュー当時は内田の助監督という理由から大きく期待され売り出されたが、総合的には評価されなかったといえます。

大西秀明は一般映画を離れ、1965年から成人映画界へと進出し、加山恵子と7本のコンビを組み1966『女郎妻』、1968『続・女郎妻』の代表作、聡明期の成人映画でヒット作を残しています。成人映画は14本の監督を務めていますが、東映の俳優から監督に転向を実現させ、一定の成果を残した非常に珍しい人物です。


成人映画 加山恵子 女郎妻 続・女郎妻

千恵蔵とは1958『紫頭巾』、1960『江戸の朝風』の2本のコンビ、いずれも一級作品 『江戸の朝風』はCSなどでもほぼ放送されていない映画です。

江戸の朝風

紫頭巾(1958)1



「神州天馬侠」前後作で一定の評価を受けた『紫頭巾(1958)』は監督昇進3本目であり、同時に有名題材、黒頭巾や白頭巾などがある中で、いわゆる”頭巾物”を代表する映画題材です。大西監督の全映画の中でもっとも製作費をかけた映画です。巨匠内田吐夢の助監督として評価され、将来を期待されていたことが伺えます。


紫頭巾(1958) 頭巾物


ですが、4本目で里見浩太郎の『唄しぐれ千両旅』からもわかりますが、里見浩太郎は当時の東映が売り出していましたが明確に主演で当たることはなく、名作やヒット作の出演は千恵蔵や右太衛門、錦之助などの助演(主要も有)ばかりでした。期待は落とされたと思われます。

『紫頭巾(1958)』は多羅尾伴内の7役ではなく、これを4役にいじくるなど、現代劇を時代劇に逆風刺を感じさせる千恵蔵独自な紫頭巾です。千恵蔵はこの映画のように戦前から、”現代劇を風刺した時代劇”を歴代俳優の中でもっともお家芸の一つとしています。こうした制作費と千恵蔵という面において、大西秀明のもっとも代表的作品といえます。

多羅尾伴内 唄しぐれ千両旅

実は大西監督は東映時代18本のうち、ほとんどが低予算系の映画でしたが、千恵蔵とのコンビのみが明確な一級作品といえます。比較的予算を抑えた里見浩太郎4、東千代之介と山城新伍(主演で売り出されていた時期)の3本のコンビがあります。東千代之介は、人気が降下した時期にコンビを組まされています。


東千代之介 山城新伍

また、軽視される千恵蔵の俳優としての脇役の11本と、監督の2本という貢献もあります。



紫頭巾(1958)2
非常に良い写真のように思えます。この千恵蔵の頭巾姿の映画劇中のスチール写真から、上記のポスターが制作されていることがわかります。



16 花田弘 一定の成果12
花田弘は現時点で謎の映画人、実働や監督数、経歴は不明、

千恵蔵の金田一耕助シリーズの公式6本だが、『曉の奇襲』の1本のみを監督、事実上のシリーズ7本目か、映画は37分とされています。制作は東横映画(東映の前身)とあることから、千恵蔵の金田一耕助の1本目『三本指の男』(娯楽映画の巨匠・松田定次が監督)は1947年12月9日公開とあり、この『曉の奇襲』は1947年から1951年までに制作されたことがわかります。1951に東横から東映に屋号を変える前です。東映の屋号後の制作されているなら、制作は東映になるためです。


曉の奇襲 花田弘 三本指の男


また、『三本指の男』のパイロット版の可能性がある謎の映画です。『曉の奇襲』は、近年に存在が明らかになった千恵蔵映画の1本です。これは非常に重要な映画だといえます。国立映画アーカイブが所蔵しています。

国立映画アーカイブ=東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)は2018年4月1日に東京国立近代美術館より独立し、新しい組織「国立映画アーカイブ」となっています)

国立映画アーカイブ 東京国立近代美術館フィルムセンター NFC



花田弘と千恵蔵の関りは戦後直後だと考えられますが、近年に見つかった映画のため、今回は「名匠巨匠以外の映画監督たち」の最後の16人目としました。


千恵蔵の当たり役の一つ初代・金田一耕助の1本目『三本指の男』は、1947年の1度目の公開時のヒットから、1950年代中盤にかけて再公開2度の計3度にわたって、大規模に公開されたことでも知られています。再公開時の改修版『三本指の男』は、外資系で申し訳ありませんが、東映がアマゾンで立ち上げた東映オンデマンドでも視聴可能です。個人的にはCS放送で視聴済みです。

東映オンデマンド


右に眼鏡の白木静子役の原節子と左側に千恵蔵の金田一の姿を奥に映したスチール写真?を使用しています。千恵蔵の現代劇の成功の流れは「多羅尾伴内」に続いて、さらに掴んだのみではなく、日本映画の最盛期を彩った原節子にとっても、『安城家の舞踏会』のブレイクの流れを受けた時期(戦前はブレイクと言い難い)、非常に意味がある映画です。原節子は国民俳優の千恵蔵と共演したという大きなお墨付きから、原節子は信用を上げていき、これ以後に小津安二郎などへ出演していきます。マスコミは伝えていませんが、原節子も千恵蔵の力の恩恵が働いています。

白木静子 原節子 小津安二郎

下のリンクから飛べます。
三本指の男 東映オンデマンド







千恵蔵の紫頭巾の顔のドアップが現代の俳優に向けた物語るメッセージ






最後は『紫頭巾(1958)』のこの顔です。紫頭巾の顔のドアップは非常に有名な役柄です。千恵蔵にとっても一度は演じたかった役柄だと考えられますし、多くのポスターや画像が残されていることからも、大西監督の最大の代表作といえます。

紫頭巾(1958)3

この中身が伴う内面からにじみ出る力強い顔ができる俳優、現代の俳優は中身のなく、変わりがいくらでもいるような、誰かの代わりやコピーのような薄っぺらいにわか俳優ばかり、しかもタレント風情が俳優を名乗るケースも多発しています。嘆きたくなるほどのあんまりな有様です。千恵蔵から日本の俳優のあり方の一つを教わります。


現代の俳優のような、大半が崩れている中でも、特にジャニー喜多川問題が大きく浮上中のジャニーズ系が目立ちますが、コピーのような誰かの真似の演技ではなく、彼のように長年積み上げた確かな実益と履歴が伴ってこそ、この顔の存在感や威厳の雰囲気が成り立ちます。



会見を開いた岡本カウアン氏(売名か?会見のみの告訴なしと典型的なイカレた「外国ガー」男)によると、ジャニー喜多川による未成年200名ともいわれる膨大な被害者(加害者とは書きません、被害者です)、それを大きく上回る膨大な共犯者たち あの未成年性犯罪者で全身整形男のおかしなおかしな黒人のマイケル・ジャクソンも大敗 
売国芸能ウォッチ2023年4月号 現在も続く「裕次郎とや〇〇」=「イギリスBBCのジャニー喜多川の暴露」のW隠蔽「マスコミのナニカグループ」つながる共犯者たち

岡本カウアン ジャニー喜多川 マイケル・ジャクソン

第95回米国アカデミー賞 モンローはもろく沈んだ「60歳女性という概念」をぶち壊した女優と「穴であるマス」 映画111本主演64本の「あゝ偉大なトニー・カーティス」


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2023/04/15 17:45 | 超大物俳優COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生





片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生





ジャニ沈の25歳市郎の黄金顔面とは

謎の海軍軍司令部参謀の長生と千恵蔵の意外な関連

幻のダブル120本スター女優を両手に華の京洛映画


あのマスコミが40年以上も
凄い凄いと偽善者のオオカミとなって
今もあり得ない誇張している
石原裕次郎が千恵蔵の3分の1のリアリズム

マスコミが完全無視する”ジャニー喜多川の暴露”と”や〇〇と裕ちゃん”はつながっていた。



裕次郎が顔を見上げるとそこの御大の顔があった。


片岡千恵蔵生誕120年”特集は続きます。






前回記事
ハリウッド君「安全保障破壊してお金ほしーの」史上最悪ポリコレ7冠の侵攻 米親分VSアジ子分のゲ・ン・ジ・ツ






驚きの先輩後輩対決 千恵蔵VS裕次郎 テレビによって40年以上も大きく誇張とごり押しされている石原裕次郎は千恵蔵の3分の1以下のリアル






片岡千恵蔵は名匠・巨匠40名と劇映画において、主演コンビを組み、一定の成果は驚異的な34名、成功は24名で、大成功は15名と映画史上に残る驚異的な成果を残しました。

一定の成果は驚異的な34名、3つにおいて驚異的な的中率と成果を誇り、これは総合的には日本歴代1位、さらには世界歴代1位(多作の主演においては)です。特に代表作3本以上が15名(これも日本だけではなく世界歴代1位)、今後も人間レベルでは、実現不可能なレベルに踏み込んだ主演の映画俳優です。


今回はさらに奥の部分に迫ります。




千恵蔵の凄さというものをVS的な要素からも一つを取り上げてみます。






千恵蔵の日活の後輩の石原裕次郎の主演の数字を簡単に出してみますが、彼は名匠・巨匠17 一定の成果15 成功10 大成功4です。千恵蔵とは監督において大きな差があります。

片岡千恵蔵  石原裕次郎


テレビマスコミは、裕次郎推しを存命中から40年以上も行っているため、この事実さえも伝えようとしません。裕次郎の場合は戦後の最盛期からなので、主演が86本の割は、名匠・巨匠の関りは多く生まれやすい環境でした。

日本映画の最盛期に若手という大きなチャンスに恵まれ、主演の名匠・巨匠17名で一定の成果15名 成功10名と千恵蔵をある意味、上回る的中率といえますが、千恵蔵の主演の名匠・巨匠40名の半分にも満たない主演の名匠・巨匠17名における関与数が半分以下のレベルです。もちろん裕次郎に問題があるわけではなく、十分に歴代の比較的な上位に含まれます。


また、千恵蔵は主演の名匠・巨匠40名で15名、石原裕次郎は主演の名匠・巨匠17名で大成功4名、裕次郎の大成功は4名のみで、千恵蔵は15名、なんと千恵蔵の3分の1以下です。明確で圧倒的な差があります。これは大きな主演俳優としての評価の大差に関わってきます。もちろんスターとしても大差は同様です。








片岡千恵蔵石原裕次郎の主演の名匠・巨匠数における一定の成果数、成功数、大成功数>

片岡千恵蔵 主演の名匠・巨匠40名 一定の成果36名 成功24名 大成功15名
石原裕次郎 主演の名匠・巨匠17名 一定の成果15名 成功10名 大成功4名


主演の名匠・巨匠は40対17の2倍強千恵蔵のほうが上、一定の成果は36対15で2倍強も千恵蔵のほうが上、成功数はさらに広がり、2.5倍近く千恵蔵のほうが上、さらにさらに大成功数は15対4の3倍強の大差がついています。

いうまでもありませんが、一定の成果よりも大成功のほうが格段と難しい現実があります。




片岡千恵蔵の大差とはいえ、石原裕次郎の主演の名匠・巨匠17名は十分優れています。一定の成果15名、成功10名、大成功4名も十分に立派なものですが、さすがに相手が悪かった。相手は多くの世界記録を持つ大天下の千恵蔵です。詳細は機会を改めて、いずれ取り上げます。日本を代表する芸能系の両名ですが、この事実が存在しています。


いわゆる裕次郎世代が70代~80代中心(いわゆるテレビ創世記からの世代)、テレビがこの高齢者の世代を標的に健康系の通販など、簡単に言えば事実上のお金を奪うために、この世代の有名人物から尋常じゃないほどに持ち上げ続けています。

石原裕次郎もマスコミの実積の切り抜きのや40年以上にわたるエピソードの誇張や度重なる印象操作が作り出したイメージによる作られた功績も部分も非常に多く、現実はかなり違っています。こうした部分もぜひ知っていただきたい現実です。



重要な部分ですが、石原裕次郎が悪いわけではありません。彼はマスコミの金稼ぎの長年の道具にされているある種の被害者です。悪いのは、テレビによる実積以上の何倍もの誇張を現在も繰り返し続けているテレビ含むマスコミです。





出だしの”マスコミが完全無視する”ジャニー喜多川の暴露”と”や〇〇と裕ちゃん”はつながっていた”の部分は下に公開致しました。良ければご覧ください。
売国芸能ウォッチ2023年4月号 現在も続く「裕次郎とや〇〇」=「イギリスBBCのジャニー喜多川の暴露」のW隠蔽「マスコミのナニカグループ」つながる共犯者たち




名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功①






片岡千恵蔵はこれまで数度にわたって取り上げてきた名匠・巨匠の40名以外の監督とのコンビにおいても、映画監督たちとのコンビが数多く存在し、一定の成功や成功、大成功を収めています。名匠・巨匠のみに留まらない数多くの成果も、千恵蔵の功績や評価を伝える上で、きってもきれない非常に重要なものです。テレビなどがさらに取り上げない部分であり、重要な部分です。





1 小笠原明峰(小笠原明峯) のちにという意味で成功1 一定の成果1
監督実働1923~1926年、京都に存在した伝説の映画会社「小笠原プロダクション」の創立者、製作者、映画監督、原作、脚本の活動、華族、監督数は1923~1932の10本、監督以外含めると17本に関与。すべて現代劇のみの無声映画。名匠とはいいがたいが日本映画界に一定の足跡を残した映画人として評価できる人物。

千恵蔵のほか、日本の三大喜劇王・古川ロッパ(古川緑波)、東坊城恭長(明峯と同じ華族で、戦前を代表する大女優の入江たか子の兄、同デビューや、入江プロの創設者としての功績、俳優としては人気がイマイチで成功せず)の映画人としてのスタートに大きく関与。


小笠原明峰 小笠原明峯 小笠原プロダクション 日本の三大喜劇王 古川ロッパ 古川緑波 東坊城恭長 入江たか子 華族


明峰は、千恵蔵のデビュー作という意味で重要な1923『三色すみれ』、また小笠原プロの解散後、華族である権力を駆使して、日活超大作のオールスター映画の1930『撃滅』(日本海海戦25周年記念映画、海軍省後援)を3年5か月ぶりに監督、主演は中野英治、明峯の弟の楠英二郎(芸名)も出演の10巻85分の海軍テーマの戦争映画、原作は明峯の父・小笠原長生中将(海軍軍司令部参謀)の非常に重要な映画、

さらに新興キネマの1932『太平洋』が監督の遺作(川浪良太と共同)、これも戦争映画で主演は『撃滅』の中野英治、脚本は日本映画を代表する八尋不二、原作は明峰の父の小笠原長生、遺作も『撃滅』と関連性が高い映画、この後は映画界を去る。


三色すみれ 植木進 中野英治 楠英二郎 小笠原長生中将 小笠原長生 海軍軍司令部参謀 太平洋 川浪良太 撃滅 八尋不二

1947年(昭和22年)5月3日まで存在した家族制度だが、これが終わる1年ほど前の戦後1年を待たずして、明峰は1946年6月20日に華族のまま、45歳で死去。

千恵蔵とは、記念すべき映画の初出演・主演作の現代劇1923『三色すみれ』(植木進名義)を監督として、日本映画界に大きな功績を残す。これは小笠原プロの第1作目に位置けられている記念すべき映画、このとき明峯は23歳、植木は20歳、二人は3歳差、のちの日本映画を代表する長編系世界歴代1位の主演350本越え(現存含む)の超絶大スター片岡千恵蔵の形成の第1歩に大きく貢献、

植木は『三色すみれ』後、関西歌舞伎の名優・十一代目片岡仁左衛門の門弟に戻り、4年ほどのブランクを経て、1927年にマキノプロで時代劇スター片岡千恵蔵名義として再び映画デビューします。


十一代目片岡仁左衛門




2 人見吉之助 一定の成果2
監督数35本ほど、実働は1926~1931、うち1926~1928は時代劇を中心、1928~1931年の遺作まで現代劇監督、マキノ梅太郎主演の1928「ひよどり草紙シリーズ」5作を監督が代表作、代表作が少なく、監督歴5年、本数も少ないため、名匠とは言い難い人物だが、一度は光を放った。時代劇メインのマキノプロのサブである現代劇の一翼を担い、1930年代から文芸路線で複数の代表作を残した名脚本家・八田尚之と、戦前のみのコンビを形成、のちの八田の活躍の下地に貢献した。

千恵蔵とは、千映画主演5本目『敵討鑓諸共』のみ1本、この映画は、千恵蔵初の長谷川伸の原作、長谷川とはのちに多くの名作で縁があるとう意味で価値がある関与、また撮影は松田定次、これが千恵蔵と松田の初の仕事、戦後に黄金コンビの形成と大成功という意味においても一定の成果、脚本は西條照太郎(代表作20本を越す名脚本家)で、千恵蔵主演映画は1928『河内山と直侍』も脚本


人見吉之助 マキノ梅太郎 ひよどり草紙 八田尚之 敵討鑓諸共 長谷川伸 松田定次 西條照太郎



美空ひばり ひよどり草紙(唄 美空ひばり)

美空ひばりが歌う「ひよどり草紙」です。映画は人見吉之助が監督した『ひよどり草紙』と同じ、国民作家といわれた吉川英治原作の時代劇です。

時代劇作品ながらこの歌の映像は現代なのでややこしいところです。「ひよどり草紙」は1928年にマキノプロでマキノ梅太郎(マキノ家の一員ではない、芸名としてあやかってつけられたマキノ姓)、1933年に新興キネマで尾上菊太郎、1952年に宝プロと東映で無名俳優の重光彬、1954年に新芸術プロと松竹で美空ひばりによって映画化されています。映画は1928~1954年まで、4度8本が制作されています。

美空ひばり 吉川英治 国民作家 尾上菊太郎 重光彬 新芸術プロ


1954年の『ひよどり草紙』は、美空ひばりと中村錦之助(萬屋錦之介)の初共演であり、錦之助の映画デビュー作としても知られている映画です。上州、赤城、浅間山とあります。上州や赤城は国民的な時代劇題材の国定忠治の舞台としても有名な場所です。

ひばりのパトロンともいえる縁が深い製作者の福島通人が新芸術プロで制作、監督は東映へ移籍する直前の内出好吉、前回記事にもありますが、千恵蔵とのコンビの映画もあります。



中村錦之助 萬屋錦之介 国定忠治 福島通人 内出好吉





名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功②





3 高見貞衛   成功2 一定の成果3
監督数70本ほど、実働1927~1959、全体は現代劇メインの監督、一時的に輝いたが名匠とは言い難く、マキノから河合、帝キネ、新興、甲陽、戦後は新東宝系1本の監督、渡り鳥のように定着はできず、デビュー当時のマキノ時代がもっとも活躍、1959年の『悪魔と拳銃』(製作は日米映画とNTV、配給は新東宝)が遺作とされています。



高見貞衛 悪魔と拳銃 日米映画 NTV


千恵蔵のマキノ時代終盤の代表的主演作1927~28「任侠二刀流」三部作を監督、この後の千恵蔵はマキノを飛びだし千恵プロを創立、これに高見監督は貢献、また直木三十五原作の1927『烏組就縛始末』(浪人物と勧善懲悪物の要素のように思われる)も監督で4本のコンビ、千恵蔵映画4本が自身のキャリアで最大の代表作となる。「任侠二刀流」はのちの二刀流も描かれる千恵蔵の代表作の「宮本武蔵」へつながります。

任侠二刀流
「大進軍 ビックパレード」の下、「任侠二刀流」があり、配役部分に千恵蔵の名前があります。これは非常に貴重な画像です。


任侠二刀流 直木三十五 烏組就縛始末 勧善懲悪物 大進軍 ビックパレード




4 稲葉蛟児  一定の成果4
監督数50本ほど 名匠とは言い難いが、1928~1951の実働、比較的活躍した人物、マキノ時代の嵐長三郎(のちに改名・嵐寛寿郎)の主演作1928『強者』でデビュー、これは途中から引き継いで監督、2本目の『間者』、同年の河津清三郎主演の『傴僂の兄貴』が本格デビュー作

嵐長三郎 嵐寛寿郎 河津清三郎 傴僂の兄貴 強者


千恵蔵とは、赤穂浪士の間重次郎(討ち入るために吉良方の情報を探る間者役)を演じた『間者』のみ、監督はマキノ正博(雅弘)、松田定次、稲葉蛟児の3名、現存する『実録忠臣蔵』(1968年に公開、1928年の『忠魂義烈 実録忠臣蔵』と『間者』の現存部分を組み合わせた映画)には、マキノ正博のみの表記で、松田定次 稲葉蛟児の名前はないが、代表してマキノ正博のみの表記されています。

『実録忠臣蔵』と『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の千恵蔵は、助演で出演(服部一郎右衛門、萱野三平の2役、これも意味があるもの)、『間者』は千恵蔵の初の忠臣蔵題材の主演作として非常に重要な映画です。
 


間重次郎 実録忠臣蔵 忠魂義烈 実録忠臣蔵 服部一郎右衛門 萱野三平


服部一郎右衛門(はっとりいちろうえもん)は、服部市郎右衛門の名義でも知られる大目付、忠臣蔵題材に登場する場合がある架空の人物、討ち入り後の赤穂浪士一行が、討ち入りの成功を報告するため、亡き主君・浅野の墓がある泉岳寺の途中にある両国橋のたもとで、一行を止めた人物として映画で描かれることが複数あります。

服部市郎右衛門 泉岳寺

映画の役名の萱野三平(萱野重実)は、赤穂藩浅野氏の家臣、「早野勘平」としても描かれるものも存在、歌舞伎や映画やドラマでは討ち入りを拒絶し、恋人のおかるとの心中事件が描かれる場合があります。「お軽勘平」または「おかる勘平」のエピソードとしても有名です。史実は赤穂浪士になることなく、浅野の命日に28歳で自刃(切腹)したと記録されています。歌舞伎だとお軽勘平、ドラマでは「おかる勘平」表記のものもあります。

萱野重実 赤穂藩浅野氏の家臣 早野勘平 お軽勘平



忠魂義烈 実録忠臣蔵 服部一郎右衛門役
千恵蔵が戦前を代表するオールスター映画『実録忠臣蔵』や『忠魂義烈 実録忠臣蔵』で演じた服部一郎右衛門役の写真です。この映画の1928年の千恵蔵は数え年25歳、もちろん現代にように完全に整形なしの白塗り顔、これぞまさに黄金顔

顔が良いというレベルを越した顔立ち、抜群に突き抜けています。映画にもつながりますが写真写りが別次元、ジャニーズタレントも大差で負ける顔立ち、それに加えて、主演俳優としての能力はさらに格が違います。







名匠巨匠以外の映画監督たちの千恵蔵コンビ 一定の成果や成功や大成功③







5 曾我正史(振津嵐峡) 成功3 一定の成果5
監督数12本(2023時点)、監督としての実働は1928~1935、曾我正史は世界ナンバーワンスタープロダクション(戦前の世界ナンバーワンの独立系映画会社)世界の”千恵プロの会計係”として知られ、資金面から映画製作中心に裏方で支えた大貢献者、千恵プロの創設時からの両盟友の稲垣浩と伊丹万作が体が弱く(千恵蔵は将来性を重視して両名を自社に採用)、曽我は両名の監督代役として「振津嵐峡」名義でも一定の活躍、山中貞雄やマキノ雅弘、伊藤大輔などの外部監督を含めて、その一翼を担って間を上手につなぎ、監督としてはのちの巨匠たちのパイプ役の貢献を果たしました。

曾我正史 振津嵐峡 稲垣浩 伊丹万作 山中貞雄 マキノ雅弘 伊藤大輔


千恵プロ後は、千恵プロの実積を糧に、日活京都撮影所の製作部長、1940年代は大映京都撮影所の取締役所長など多くの役職を重ねて、1950年代は大映の専務取締役、1960年代以降は洋画の買い付けや配給のニッポンシネマコーポレーションや第一フィルムなどの取締役会長、1970年代まで日本映画界に大きく貢献、監督や脚本、撮影以外の千恵蔵近隣の裏方としては、牧野省三、大川博や岡田茂、牧野光雄、永田雅一、玉木潤一郎(映画界の伝説の超大物たち)などに次ぐクラスです。戦前としてはもっとも貢献した監督や脚本、撮影以外の裏方です。

牧野省三 大川博 岡田茂 牧野光雄 永田雅一 玉木潤一郎 ニッポンシネマコーポレーション 第一フィルム

監督としても現存含むとコンビは12本(公式は8本)を越し、全て千恵蔵が主演、監督としても一定の活躍を果たしたが、監督数10本、7年強の監督歴、千恵蔵映画や日本映画の功労者ですが、名匠とは言い難い人物です。

曾我正史の『愛憎血涙』はデビュー作、『利根川の血陣』として現存、『続万花地獄 完結篇』は「万花地獄シリーズ」8本目の重要な作品、『ごろん棒時代』は断片が現存、侠客もの「快侠金忠輔」三部作も代表的、『三ッ角段平 股旅新八景』は股旅物、『元禄檜笠』は千恵蔵の代名詞の一つの忠臣蔵とは無関係、『利根川の血陣』は3バージョンが現存しています。


愛憎血涙 利根川の血陣 続万花地獄 完結篇 万花地獄シリーズ ごろん棒時代 快侠金忠輔 三ッ角段平 股旅新八景




1分11秒にニッポンシネマコーポレーション(NCC)が登場します。ニッポンシネマコーポレーションは1953年(昭和28年)に公開されたイタリア映画『パンと恋と夢を』を1955年に日本で配給しています。

『パンと恋と夢を』の主演は、巨匠・名匠としても知られ、俳優としても活躍のヴィットリオ・デ・シーカ、監督のルイジ・コメンチーニもイタリア映画で5本を越す代表的作品を残した名匠です。生涯監督数の平均が少ないイタリア人監督ですが、彼はイタリアだと多作の50本近い映画の監督、中長編のみも40本を越しています。テレビでも「ピノキオ」題材の代表作があります。

曾我正史は1958年はまだ大映の取締役であり、1955年のこの映画に関わっていたのか詳細不明


NCC パンと恋と夢を ヴィットリオ・デ・シーカ ルイジ・コメンチーニ




6 勝見正義  一定の成果6
監督数40本強、実働は1925~1937、一定の活躍はしたが名匠とは言い難い監督、実兄の勝見庸太郎は、1920年代前半の蒲田草創期に「男優三羽烏」(最初の松竹三羽烏、日本初の明確な3大スターの名称)に選ばれた大スター、勝見正義は1925年からマキノプロ時代に監督を経て、1926年から兄の映画会社・勝見プロ(勝見庸太郎プロダクション)でも監督、兄の主演で弟の監督の”兄弟コンビ”を実現させる12本を記録、

日本映画の初の兄弟コンビの二桁を記録しています。兄弟コンビは3年ほどの期間、勝見プロは最低でも25本を制作で5年近く継続、一定の支持があったものと考えられます。1929年に最後の兄弟コンビを経て、古巣のマキノ、大都、勝見雅之の名義で甲陽と渡り歩いています。

勝見正義 勝見庸太郎 男優三羽烏 松竹三羽烏 日本初の明確な3大スターの名称 勝見雅之

勝見正義自身の代表的な映画の明確なものは月形龍之介が浅香恵之助を演じた有名題材の「修羅八荒」三部作の2本を監督(3本目は二川文太郎他)だと考えられます。このほかの有名題材は、白虎隊、紺屋高尾、不破数右衛門(忠臣蔵系)、紅蝙蝠、一心太助など10本ほど手掛けています。代表的な候補となるものです。

月形龍之介 浅香恵之助 修羅八荒


千恵蔵と勝見正義のコンビは、1928『河内山と直侍』のみ、この映画12本も兄弟コンビに含まれ、河内山が勝見庸太郎、直侍が千恵蔵だったと考えられます。つまりダブル主演といえる映画です。なぜこのように考えられるかですが、実は勝見庸太郎の2役は、主演67本(現存版は含まない数字)のうち、2役が確定しているものがたった1本のみだからです。この映画も庸太郎は一役のみだった可能性が高いと考えられます。

河内山と直侍

この映画は、松竹の大スターだった勝見と、活躍がすさまじい千恵蔵の最初で最後のダブル主演、共演時は新旧スター共演だったわけです。1928『河内山と直侍』時点の千恵蔵は千恵プロ公式4本目、主演21本(現存含むと28)の時に共演、勝見の単独主演51本(現存含まない)の時、この時点では本数にかなりの差がありました。

共演時は勝見の方が千恵蔵より、まだ実積が上でした。この映画出演時の千恵蔵は10本ほどの代表的な映画、なんと勝見は5本ほど、主演数は勝見が格上の2倍ほどリードしていましたが、代表的な主演作のみだと、すでに千恵蔵の方が上だったともいえますし、この映画の時点で、助演含むと千恵蔵と勝見は10本強とほぼ同格です。

製作は勝見プロなのですが、撮影が千恵プロの石本秀雄(代表作50本を越え、オールスター20本以上、日本映画史を代表する撮影技師)です。これはメインでないにしても、千恵プロ側が制作の一部に関与していたとみることもできます。

石本秀雄


神田伯龍傑作集 第四巻 天保六花撰 「河内山と直侍」、「石町妾宅」


勝見正義と千恵蔵で映画化している「河内山と直侍」の講談もあります。神田伯龍(かんだ はくりゅう)は講釈師、最高峰ともいわれる生世話物の名人です。千恵蔵主演で2本存在する「刺青奇偶」の講談もあります。

神田伯龍 刺青奇偶


勝見正義

写真付きと読み上げてくれるので、わかりやすく、この人物の一端が想像できます。





7 岡田敬  一定の成果7
監督数40本ほど、実働は1930~1942、全般は日活から東宝へと活動し、時代劇から全体は喜劇映画の監督、戦中で監督の履歴が途絶えている人物、名匠とは言い難いがある程度の活躍の監督、デビュー作と考えられる光岡龍三郎主演の1930年の「貝殻一平」前後篇の2本が最大の代表作、「貝殻一平」は競作を含み、戦前から戦後に何度も映画化された有名題材です。

岡田敬 光岡龍三郎 貝殻一平

東宝の前身のP.C.L.移籍後は、エノケン、ロッパ、エンタツ、アチャコ、金語楼の日本を代表する伝説的な喜劇俳優の主演作を撮りました。全体は喜劇路線の監督といえます。エノケンこと榎本健一主演のオールスター『水滸伝(1942)』(名優18名)も代表的なものだと考えられます。大映移籍の1本目の『豪傑系図』が遺作とされています。

榎本健一 水滸伝(1942)


千恵蔵とは、日活専属時代の千恵プロへ出向時の1930「風雲天満双紙」前後篇の2本のみ。千恵蔵は有名な大塩平八郎を演じています。大塩は役人として大坂町奉行所の与力の名声を得ながら、不正や汚職が許せずに正義から乱を起こして国賊に至った、実に波乱の人生を巡った人物です。「風雲天満双紙」の天満は、大塩らが乱に至るための重要な現・大阪市の地名です。有名な役を演じているという面において、千恵蔵にとっても意味があるもので、公開時の冊子ものこされています。


風雲天満双紙 大塩平八郎

佐々木味津三 昭和二十二年 初版 佐々木味津三選集 第一巻 風雲天満双紙 新文社

中古ですが非常に貴重な小説「風雲天満双紙」です。佐々木味津三は、映画化作品は100本を越す時代小説の大作家、映画化数は日本歴代10位圏内に含まれます。

佐々木味津三は、国民的な「右門捕物帖」と「旗本退屈男」が二大代表作、しかも両方が30本以上映画化されています。千恵蔵とは1930『右門捕物帖 三番手柄』、「風雲天満双紙」の2本の主演3本、2番手表記(劇中大トリ表記)の『旗本退屈男(1958)』 の主要(助演)の4本が公式、「風雲天満双紙」はの断片版、『右門捕物帖 三番手柄』が3バージョン現存、公式4と合わせると8本です。

佐々木味津三 右門捕物帖 旗本退屈男 右門捕物帖 三番手柄 旗本退屈男(1958)


朗読 貝殻一平第1章 吉川英治


岡田敬の代表的作品の「貝殻一平」の原作は吉川英治、「宮本武蔵」ほどではありませんが、比較的有名な吉川英治の代表的作品の一つ(上位10選級)、ユーチューブで朗読も聞ける時代、原作の朗読から現存しない映画を想像することもできます。


宮本武蔵



8 西原孝   成果は特になし
監督数20ほど、実働は1931~1944、制作26の1950~1958が確認できる人物、名匠とは言い難い人物だが、一定の活躍をみせた。また制作者時代を含めると50本近い映画に関与、市川右太衛門と深い縁があり、監督時代に右太衛門が新興キネマの専属時代の1938『宝の山に入る退屈男』や新興キネマオールスター大作の1941『荒木又右衛門 仇討の日』(名優15名ほど)の4本の監督、戦後の制作者時代に東映で8本のコンビを形成、『旗本退屈男 八百八丁罷り通る』など「旗本退屈男」3本を制作(企画表記)、

西原孝 宝の山に入る退屈男 荒木又右衛門 仇討の日 旗本退屈男 八百八丁罷り通る

右太衛門とは監督4、制作8の12本(現存版含まない)が確認できます。1950~1955は東映(前身の東横含む)で製作の後、1955年から日活の製作者になっています。その際は、個性的な時代劇の名匠・丸根賛太郎の「極楽剣法」前後篇と「快傑耶茶坊」前後篇の計4本も制作しています。

丸根賛太郎 極楽剣法 快傑耶茶坊

千恵蔵とは1本のみ、千恵プロが日活を離れて1年のみの新興キネマと提携を結んでいた時期、1935年4月公開の『京洛浅春譜』(京洛浅春譜 同志闘争篇)のみの1本です。千恵蔵と西原孝は戦後の東映の制作者時代に再会していたものと考えらますが、制作者と主演のコンビは1本もありませんでした。

京洛浅春譜 京洛浅春譜 同志闘争篇









「我等の千恵蔵・京都座へ登場」 二人の名女優と戦後の千恵蔵7本の新選組映画につながる幕末物





京洛浅春譜』の個性的な色彩のポスターです。「我等の千恵蔵・京都座へ登場」とあります。


京洛浅春譜

この映画は、戦後の千恵蔵7本の新選組映画(かなりの成功)につながる幕末物です。千恵蔵映画撮影所、オールトーキーなどとあります。高尾光子(ヒロイン)と時代劇スターを経た南光明が主要、西原孝の名前も小さめに確認できます。2023年時点で、現存していない視聴不可能な幻の千恵蔵映画です。

南光明 オールトーキー

ポスターの千恵蔵と3人の写真の女優は、高尾光子、歌川絹枝です。

高尾光子は松竹鎌田中心に活躍した女優、120本以上の映画の出演の名女優、歌川絹枝(歌川絹江)は東亜キネマや右太プロ、右太プロ時代は、大スター市川右太衛門のヒロインを10本以上勤め、この映画の共演に至っています。歌川絹枝は140本以上の映画に出演の名女優です。

高尾はこの1本のみの共演ですが、歌川はこの映画から約1年半後の千恵プロオールスター『荒木又右衛門(1936)』(荒木の妻お峯役)でも共演しています。


高尾光子 歌川絹枝 歌川絹江 荒木又右衛門(1936)


『京洛浅春譜』は、千恵蔵のW120本越えの2大女優と、二人同時の初共演作、このような面において意味があった映画と捉えることもできます。それでも、明確に代表的とは言い難い部分もあり、一定の成果に含んでいません。






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2023/04/01 20:43 | 超大物俳優COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

片岡千恵蔵生誕120年 バズる宮本武蔵映画俳優の史上異次元極地 「40」開始「15」「36」が示す名巨匠コンビ




片岡千恵蔵生誕120年 バズる宮本武蔵映画俳優の史上異次元極地 「40」開始「15」「36」が示す名巨匠コンビ





片岡千恵蔵は、もっとも多くの映画監督(名匠・巨匠)コンビで幅広く深く成功を収めた主演俳優の一人です。事実上、トップですが、一応は最上位の一人としておきます。これは全体では勝りますが、部分的に競る部分があるためです。


千恵蔵は、生涯に実に40名の巨匠・名匠の映画に主演しています。”主演のみ”は巨匠数は23名、名匠数は17名 巨匠と名匠を合わせると計40名と1本以上の主演。この時点で、すでに日本や大国含めてほぼいない人間レベルの異次元の極致に到達、十分な世界的俳優、世界歴代上位の主演俳優(日本以上に、僅差も外国はゼロ)に当てはまるわけですが、これだけではまだまだ終わりません。



前回記事
片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」







片岡千恵蔵はもっとも多くの名匠・巨匠のコンビで幅広く深く大成功を収めた主演俳優








前回(上記の前回記事から飛べます)は成功した巨匠・名匠の監督の24名に迫りましたが、実は成功までとはいいがたいが、千恵蔵の代表作を1本、または1本以上手掛けた”一定の成果”を収めた巨匠・名匠コンビが存在しています。”一定の成果”は成功といえる24名も含みます。これも評価になるものだと考えられます。


また、40名の巨匠・名匠コンビにおける”大成功の判定”の人数も確認します。実に驚くべき驚異的な成果があるのでしょうか。







片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数1~5






”一定の成果”と”大成功”、さらに前回記事の”成功”判定の人数も残しています。監督の実積に関しては前回をご覧ください。監督に関しては”千恵蔵とは”のコンビ部分を主に展開しています。また、前回で補足が甘めだった追加の部分もあります。



中島宝三 一定の成果1 成功1
時代劇の映像化の名匠、170本以上の映画を手掛ける。千恵蔵とは、最初のヒットシリーズ「萬花地獄シリーズ」(万花地獄)が1927年から4本のヒット、この4本は中島最大の代表作
押本七之助 一定の成果2
時代劇の映像化の名匠、監督数は100本を越す。千恵蔵とは3本、最初の代表作シリーズの『万花地獄 第五篇』を手がける。万花地獄は千恵蔵の最初のヒットシリーズであり、代表的は1本のみであるが、一定の成果といえる
金森万象  特になし
映像化の名匠、現存含むと85本以上の監督、千恵蔵とは、両方が寿々喜多呂九平の原作脚本の『仇討世相録』と『返り討以上』の姉妹作の2本あるが、主な代表的作品とはいいがたい
小石栄一 特になし
長期にわたり活躍した映像化の巨匠、監督数120本以上 千恵蔵とは1934『勝鬨』と『斬風三尺剣』、明確なものがなく、成功に含まがたい
マキノ雅弘(マキノ正博) 一定の成果3 成功2 大成功1
日本初の映像の名子役スターを経て、日本映画史上を代表する大巨匠、時代劇四巨匠の一人、長編系世界最多の監督数270本越す。千恵蔵とは忠臣蔵関連の1928『間者』(松田定次と共同?)から、1932年の幻の名作『白夜の饗宴』はキネマ旬報ベストテン受賞、1937年のオールスター「忠臣蔵 天の巻」、1939『鴛鴦歌合戦』や『弥次喜多道中記』、『弥次喜多 名君初上り』、次郎長系の『清水港』と『続清水港』、戦国物1940『織田信長』や、戦後は火消しと右太衛門の力士の友情を描いた名作活劇1950年12月31日公開『千石纏』(1951の正月映画)や、千恵蔵の遠山の金さん3本目の『女賊と判官』(1951の正月映画、萩原遼と共同)、1959『たつまき奉行』、藤純子(現・富司純子)の映画デビュー作、千葉真一の記念すべき初時代劇の1963『八州遊侠伝 男の盃』(千恵蔵の役は実は国定忠治、1933年から30年間、現存含むと12本にわたる千恵蔵の当たり役の忠治映画最終作)の長期にわたる大成功、日本映画史上の比較的上位の名コンビとなる。


中島宝三 押本七之助 金森万象 小石栄一 マキノ雅弘





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数6~10




松田定次 一定の成果4 成功3 大成功2
日本映画史上を代表する娯楽の大巨匠、監督数170本越える。千恵蔵とは、マキノの忠臣蔵の1928『間者』が1本目とされ、1950年代の東映オールスター「忠臣蔵」2本と「清水次郎長」4本は計8千万人級のメガヒットを記録、「次郎長」4本は現在も時代劇映画のシリーズ物の最多観客動員(ベスト10入りを含まないと千恵蔵の忠臣蔵の通算がこれを上回る可能性)、オリジナル探偵物「多羅尾伴内シリーズ」、原作探偵物「金田一耕助シリーズ」、ギャング映画シリーズ(大きくは日本初の刑事物「にっぽんGメンシリーズ」も含む)など、時代劇と現代劇の幅広い10題材を越し、シリーズ含み数十本がヒットの大成功、千恵蔵と2億級動員の”日本映画史上最大の黄金コンビ”を形成、大手6~5社時代に、東映の7年連続1位を兼任するコンビは大成功、日本映画史上上位の名コンビとなる。
稲垣浩 一定の成果5 成功4 大成功3
日本映画史上を代表する大巨匠。時代劇四巨匠の一人、監督数100本越える。千恵蔵とは。千恵プロ1本目と自身のデビュー作の1928『天下太平記』や2本目『放浪三昧』(数バージョンが現存、千恵プロ最古の現存映画)が高評価され、日活との異例の提携につながる。1932「弥太郎笠」の前後作(キネマ旬報ベストテン受賞)や『瞼の母(1931)」(旬報外の映画賞ベストテン受賞)、『一本刀土俵入(1931)』(キネマ旬報ベストテン受賞)などの股旅時代劇の4本の名作を残し、事実上の股旅映画の形成と牽引、当たり役の一つの千恵蔵最初の国定忠治の1933『国定忠治 旅と故郷の巻』などの三部作も手掛け、1933年の西郷隆盛の「風雲」前後篇、風刺劇1930『諧謔三浪士』、有名題材『一心太助(1930)』(これが成功し、股旅物の名作の制作に向かうことができたという)、日活専属時代の1940年からの日活版「宮本武蔵シリーズ」は大ヒット(改修や総集編などの現存含めると稲垣版のみで10本近い)、大映時代は1942『独眼龍政宗』(キネマ旬報ベストテン受賞)、1945『東海水滸伝』=改修題『東海二十八人衆』(伊藤大輔と共同監督)など多彩な有名題材。高い的中率や実に数十本にわたる名作や秀作やヒットの大成功、日本映画史上の上位の名コンビとなる。
伊丹万作 一定の成果6 成功5 大成功4
”時代劇の映画作家の草分け”とも称される巨匠、戦後も多くの受賞路線の監督に影響、現存含むと監督数は30本ほど、共にナンセンス時代劇の形成と牽引。千恵蔵とは、義賊物「源氏小僧」2本を突破口に頭角、『国士無双』(國士無双)、『赤西蠣太』、『武道大鑑』がキネマ旬報ベストテン受賞の名作、他の『花火』、『闇討渡世』、『刺青奇偶』も高評価を獲得、高い的中率を誇る大成功、戦前の日本映画上位の名コンビとなる。
井上金太郎 一定の成果7
時代劇の映像化の名匠、監督数は100本ほどであり、千恵蔵とは、コンビは1929年のみの3本、『足軽浪士』や『火陣』は明確な代表的とはいいがたいが 、のちに当たり役となる宮本武蔵の記念すべき1本目『宮本武蔵(1929)』が代表的、しかも複数のバージョンが現存
池田富保 一定の成果8 成功6 大成功5
時代劇を代表する巨匠の一人、戦前に世界最多数の20本を越すオールスター数を記録、数十本のヒット作、戦前の映画監督の上位の通算観客動員、また時代劇の形成にも貢献、監督数100本近く 千恵蔵とは特に、パート主演の『元録快挙 大忠臣蔵 天変の巻 地動の巻』(千恵蔵は浅野、大河内の大石)、山本嘉一や阪東妻三郎とトリプル主演のオールスター映画1937『水戸黄門廻国記』と1938『水戸黄門廻国記』と幕末物の1939『王政復古 担龍篇 双虎篇』がヒットの大成功、現存含むと15本を越す。主演コンビは全て代表作の高い的中率
10


松田定次 稲垣浩 伊丹万作 井上金太郎 池田富保







千恵蔵が日本のヒロイン概念に大きく関与 宮本武蔵が語る「マキノ家に二人のお通さんが嫁いだ」 「四月一日日活系一斉封切」 2名の元宝塚女優の大スターへの貢献




これをご覧ください
宮本武蔵1

「四月一日日活系一斉封切」とあり、1940年4月1日の『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』の公開時のものだと考えられます。10を越す史上最多の多くの異名を持つ片岡千恵蔵ですが、その中の一つ”武蔵俳優”ともいわれ、自身上位の当たり役の宮本武蔵と、ヒロインのお通役が宮城千賀子とのツーショット、


稲垣版の現存する千恵蔵の武蔵映画において、千恵蔵はセリフのしゃべり口調や雰囲気、立ち姿など、”教養や品格を目指す武芸者の演技”(捉え方はおおよその部分)を展開しています。例えば、千恵蔵以後のに映画で大成功を収めた宮本武蔵について、三船敏郎の武蔵は、男性的や無口さを押し出した武蔵、中村錦之助(萬屋錦之介)の武蔵は、若さや反逆的な破天荒を押し出した武蔵といえる演技を展開しています。


実は千恵蔵映画の宮本武蔵が、戦後の特に時代劇映画、現代劇へ一部影響、テレビドラマ、アニメ、マンガなどの現在の”日本のヒロイン概念の形成に貢献した”と考えられます。いわゆるお通は”正統派のヒロイン像を形成した”ともいわれます。



千恵蔵映画の宮本武蔵=日本のヒロイン概念の形成に貢献⇒以後の時代劇映画、現代劇へ一部影響、テレビドラマ、アニメ、マンガなどのヒロイン


これは日本芸能や文化の大きな功績で、稲垣浩も千恵蔵も一役買っています。元宝塚女優の宮城千賀子(千恵蔵の武蔵のニ代目お通さん、初代お通さんは元宝塚女優の大スター&大女優の轟夕起子)は、このシリーズのおかげで、お通役が自身の生涯の当たり役になり、一気に大スターに躍進、宮城のニックネームはお通さんになってしまうほど、戦後の千恵蔵の遠山の金さん3本目の『女賊と判官』で久々に相手役で共演、〇〇年ぶりの競演とキャッチコピーに使われるなどの話題にされています。

宮本武蔵2

三船敏郎 中村錦之助 萬屋錦之介 轟夕起子 元宝塚女優 宮城千賀子 お通さん


轟夕起子は、稲垣版「武蔵映画」につながる千恵蔵主演の1937『宮本武蔵 地の巻』(監督・尾崎純、この監督は映画のみが代表作)でお通を演じ、この映画がかなりの評判になったと記録が残されています。その後も轟夕起子は、多羅尾伴内の1本目『七つの顔の男』(1947の正月映画で大ヒット)など複数の代表作で、千恵蔵と10本を越す共演、千恵蔵映画に大きく貢献しています。

宮城千賀子は、日本映画の父・牧野省三の息子のマキノ真三(映画製作や会社の事業に失敗したことでも有名)と、轟夕起子は日本映画を代表する巨匠のマキノ雅弘(同・省三の息子)と結婚、当時「マキノ家に二人のお通さんが嫁いだ」ともいわれるほど、千恵蔵の武蔵は影響力がありました。二人の息子の牧野正幸は、沖縄アフターズスクールを創立、2023年2月時点は存命で同・代表取締役、日本の芸能史に現代もなお影響を与えています。




宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門  宮本武蔵 地の巻 七つの顔の男

牧野省三 マキノ真三 マキノ雅弘 マキノ家に二人のお通さんが嫁いだ 牧野正幸 沖縄アフターズスクール




今回の記事タイトルの「片岡千恵蔵生誕120年 宮本武蔵がバズる映画主演俳優史上異次元の極地 「40」から開始「15」「34」が示す名巨匠コンビ」は、宮本武蔵が=武蔵俳優(千恵蔵)が、という意味です。






片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数11~15





清瀬英次郎 一定の成果9 成功7
娯楽時代劇の名匠、監督数70本を越す。千恵蔵とは、1929~30の「愛染地獄三部作」や有名題材の1931『水野十郎左衛門』を手掛ける一定の成功。
辻吉郎 一定の成果10
映像化監督の巨匠、時代劇の形成に大きく貢献、現存含むと監督数140本近く、千恵蔵とは3本、1931『冬木心中』、1934『珊瑚重太郎』は代表的とはいいがたいが、1930『右門捕物帖 三番手柄』は断片の数バージョンが現存、事実上の高評価から残された可能性も考えられるが、これのみだと一定以上の成功とは言いがたいが、一定の成果といえる。
渡辺邦男 一定の成果11 成功8 大成功6
日本映画史上を代表する巨匠、現代劇と時代劇で長期間成功の娯楽映画の巨匠、監督数は歴代上位の230本。千恵蔵とは最初のコンビ1930『恋車 前篇』は成功とはいえないが、戦後の「遠山の金さんシリーズ」最初の2本『いれずみ判官 桜花乱舞の巻』などや1953年のモノクロ版「大菩薩峠三部作」が成功、また千恵蔵の唯一の東宝映画の1950『燃ゆる牢獄』、同唯一の新東宝映画『殴られた石松』、有名題材「南国太平記」の前後作、のちに佐々木康と千恵蔵でリメイクされる勧善懲悪物「お坊主天狗」前後作も手掛ける。また1953年の戦前の名作のリメイク『日輪』は東映初のカラー映画、ほぼ話題作や重要作品の大成功
伊藤大輔 一定の成果12 成功9 大成功7
日本映画史上を代表する大巨匠、”時代劇の父”と称される時代劇の形成のリーダー、時代劇四大巨匠の一人、監督数100本弱、脚本や原作でも成功。千恵蔵とは、大河内傅次郎とダブル主演のオールスター超大作の『明治元年』と『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』のヒット、大佛次郎の忠臣蔵物『堀田隼人』はキネマ旬報ベストテン受賞、大映版「宮本武蔵シリーズ」(戦後に改修版も)もヒット、『東海水滸伝』=改修題『東海二十八人衆』は名作、本数は少なめ(現存含めると15本ほどに膨れ上がる)だが、全て代表作の大成功
山中貞雄 一定の成果13  成功10 大成功8
1930年代を代表する時代劇の巨匠、伝説の天才監督、後年の評価が高く事実上の巨匠、現存含むと監督数30本以上、千恵蔵とのコンビは『風流活人剣』と『雁太郎街道』はキネマ旬報ベストテン受賞が2本、足軽役が主演の小市民的要素『足軽出世譚』も高評価、驚異の3本中3本が成功
15



清瀬英次郎 辻吉郎 渡辺邦男 伊藤大輔 山中貞雄




片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数16~20





村田実 一定の成果14
受賞路線やアバンギャルド系の巨匠、主に日活の現代劇で大成功、文芸路線開拓や多数の映画がキネマ旬報ベストテン受賞、日本監督協会の初代理事長、監督数60本近く、千恵蔵主演は、千恵プロの新興キネマ提携時の1935『情熱の不知火』(じょうねつのしらぬひ)の1本のみだが、村田実は当時すでに名匠、千恵蔵にとって意味がある1本のみだったと考えられ、またポスターも現存しています。いわゆる現代の戦火を風刺し、共産主義的な赤旗要素があったのではないかと考えられる映画で、攻めた内容も含め、一定の成果といえるのではないかと考えられます。
藤田潤一 一定の成果15 成功11
映画、舞台、テレビ、成人路線とマルチに活躍した35本の名匠、千恵蔵とは、歌舞伎風刺大作『女殺油地獄(1936)』(脚本家集団の「鳴滝組」による梶原金八作品)や、千恵プロ公式100本目『浅野内匠頭』(名脚本家の三村伸太郎内が参加、内匠頭は千恵蔵の上位の当たり役の一つ)などの記念作が代表作、千恵プロ解散後の千恵蔵の日活の専属1本目の1937『謳へ春風』も手掛けているが、この映画は千恵プロの公式101本目の最終作『松五郎乱れ星』はこの映画の後に公開されている。
萩原遼 一定の成果16 成功12  大成功9
映像化の巨匠、監督数100本ほど、千恵蔵とは、戦前の千恵プロの『荒木又右衛門(1936)』(萩原の初の代表的映画)、戦後は1952『赤穂城』と『続赤穂城』(戦後最初の忠臣蔵映画)の2本、「新選組」3部作(千恵蔵最初の新選組映画『新選組 京洛風雲の巻』が1本目)、東映版の遠山の金さんの3作目『女賊と判官』(マキノ雅弘と共同)と『血ざくら判官』などのヒットを連発。
千葉泰樹 一定の成果17
映像化の巨匠、東宝に長く在籍監督歴代最多数の巨匠、東宝を代表するヒットメーカー、監督数150本近く記録、千恵蔵主演は1本のみ、それは日活時代の1938年の現代劇「人生劇場 残侠篇」であり、残侠篇の初の映像化、鶴田浩二版など、戦後の任侠物へ影響が大きい代表的作品、だが1本のみであり、成功に含まないが、これらの影響から一定の成果といえる。
荒井良平 特になし
映像化の名匠、日活のヒットメーカー、監督数は現存含むと60本近く、千恵蔵とは1938『業平の千太郎』、『神変麝香猫 第一篇 地獄の門』(神変麝香猫は何度も映画化されている有名題材)と2本あるが、特に成功や一定の成果はなし。神変麝香猫の後編は1941年の千恵蔵の休業のため、現代劇系の俳優・中田弘二が代役y的に主演して続編の1941『神変麝香猫 解決篇』が制作・公開、コンビ3本は幻となりました。
20


村田実 藤田潤一 萩原遼 千葉泰樹 荒井良平


続赤穂城
『続赤穂城』から千恵蔵の大石内蔵助、松竹を経た名女優・木暮実千代が演じた妻役の大石りく、千恵蔵と共演後は、東映の名作に多く出演しています。


続赤穂城 木暮実千代





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数21~25





丸根賛太郎 一定の成果18 成功13  大成功10
異色時代劇の名匠、監督数約60本、戦後に映画上映の特集が組まれるなど評価が上昇、千恵蔵とは1940『春秋一刀流』、『うぐいす侍』や元寇題材の名作『かくて神風が吹く』(阪妻と主演)、『土俵祭り』が評価、本数は10以下のコンビだが、高い的中率、千恵蔵が事実上デビューさせて、ほぼ代表作を大成功と評価
森一生 一定の成果19 成功14
映像化の巨匠、大映映画のナンバーワンヒットメーカー、監督数150本ほど、千恵蔵とは、明朗歌謡股旅の名作『おしどり笠』や民衆の団結や直訴を描く『黒雲街道』、任侠物『三代の盆』(戦後改修の「花嫁一本刀」)などの高い的中率
白井戦太郎 一定の成果20
映像化の名手、100本ほどの監督数、千恵蔵とは1本のみの『龍の岬』、1945年1月の戦中末期に公開、彼の遺作となる秀作、1950年代に改修・改題『恩讐を越えて』として公開、『龍の岬』の改修版が公開されたことから、確実な一定の成果を挙げています。改修を含めると2本扱い
小杉勇 一定の成果21
日活現代劇を牽引含む主演50本強、出演215本のなまりの演技で高評価、戦後は娯楽映画の名匠兼助演俳優、監督数70本、千恵蔵とは、日本映画の父・牧野省三の半生をモチーフの東横オールスター1948『かくて忍術映画は終りぬ』(現代劇)の1本のみ、千恵蔵と俳優同士の共演も複数、のちにテレビドラマでリメイクされるなど、千恵蔵が忍術映画などを制作する省三をモデルにした主人公を演じ、千恵蔵と省三の敬愛(マキノにスカウトの恩師としての過去)と裏切り(不信感からマキノを飛び出した過去)が感じられる非常に意味のある映画
斎藤寅次郎 一定の成果22
喜劇の神様こと日本史上の喜劇映画の巨匠、監督数は200本強、千恵蔵主演は1本、異色現代劇の1950『天皇の帽子』のみ、天皇陛下と関連付けたヒューマニズムとユーモアがある作品、天皇陛下に関する映画に主演する評価がみられ、一定の成果
25

丸根賛太郎 森一生 白井戦太郎 小杉勇 斎藤寅次郎






秋元康は彼のおかげも大きい!!日本で先陣をきった反逆の在日朝鮮系の芸能人で名歌手・小畑実の千恵蔵映画の主題歌『おしどり笠






片岡千恵蔵が主演、ヒロイン・東宝系の山根寿子の明朗歌謡股旅の名作『おしどり笠』(監督・森一生の大映映画)、キングレコードに在籍していた在日朝鮮人系の名歌手・小畑実の名曲、


おしどり笠 山根寿子 森一生 小畑実


おしどり笠(小畑 実)

これはレコード再生版、非常に貴重


おしどり笠は映画内のオープニングは歌がなく曲のみ、歌は劇中で3度流れますが、この製品バージョンのままは1度も流れません。映画の劇中のために吹き込んだ映画バージョンも流れ、価値のある部分です。


小畑実は、日本の芸能史、明確なおかつ有名な人物としては、朝鮮系のほぼ最初ともいえる芸能人です。ある意味、問題もある人物です。何故なら今の日本の芸能は、過去もっとも在日系が大量に増殖しているためです。

彼がのちの在日朝鮮系の都はるみや五木ひろし、松坂慶子、松田優作、西城秀樹、矢沢永吉など、”在日朝鮮系有名芸能人の先陣をきった人物”の一人だからです。日本の芸能界が”目先の綺麗な多様性という偽善”を好意的に受け止めたことが問題になっています。保守系の批判が9割のLGBT法案(性犯罪増加や少子化悪下、移民増進や戸籍破壊、温泉文化破壊など未曾有の危険)ともつながる可能性があります。時間をかけて議論を続けて、非常に慎重であるべきです。

秋元康のAKBグループ(48グループ)も全部ではありませんが、小畑実と同じキングレコードです。これらに関してもいずれ深彫りします。


目先の綺麗な多様性という偽善 LGBT法案



LGBT法案=性犯罪増加や少子化悪下、移民増進や戸籍破壊、温泉文化破壊など未曾有の危険



在日朝鮮系有名芸能人の先陣をきった人物 都はるみ 五木ひろし 松坂慶子 松田優作 西城秀樹 矢沢永吉

秋元康 AKBグループ 48グループ 


ちなみに劇中のキャストの表記のトリは、歌もヒットした喜劇俳優の大スター・杉狂児と小杉勇(上記に簡単な実積は表記)です。杉狂児はjこの映画やダブル主演表記の『弥次喜多道中記』以外にも千恵蔵とも多くの共演作があります。





おしどり笠 正



こちらはクリアなバージョンです。上の動画とはかなり違うように聞こえます。







片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数26~30





毛利正樹 一定の成果23
新東宝の映像化の名匠といえ、監督数40本強、千恵蔵とは、斎藤寅次郎と共同監督の『天皇の帽子』のみ、以下上と同じ
佐伯清 一定の成果24 成功15  大成功11
映像化の名匠、巨匠級、監督数は大台の100本強。千恵蔵とはGメン3本目の1951『にっぽんGメン 不敵なる逆襲』、「遠山の金さんシリーズ」の1955の正月映画のオールスター『勢ぞろい喧嘩若衆』、1957年の槍物『素浪人忠弥』、現存含むと20本を越す千恵蔵の最後の宮本武蔵の1957『佐々木小次郎』2本(千恵蔵は小次郎役の東千代之介と主演表記)など、多面的な貢献から、一定の成功
佐々木康 一定の成果25 成功16 大成功12
映像化の大巨匠、東映時代は松田定次に次ぐ”東映ナンバー2”ともいわれ、監督数170越え、千恵蔵とは20本を越す黄金コンビを形成 戦後初の討ち入りが描かれた忠臣蔵映画『女間者秘聞 赤穂浪士』と同題材『血槍無双』、「遠山の金さんシリーズ」やオールスターの「新選組」題材2本、多羅尾伴内シリーズやギャング物「地獄シリーズ」、国定忠治のオールスター『勢揃い関八州』など多彩にヒット、単発は絵描きの文芸系『飛龍無双』(文部省選定)も代表作、また千恵蔵自身による戦前の名作リメイク1954『一本刀土俵入』、1958『直八子供旅』も手掛ける。5割を越す驚異的な的中率や有名題材と代表作数の大成功、戦後の日本映画で比較的上位の名コンビとなる。
佐分利信 一定の成果26
10本を越す名作に主演した松竹映画上位の男性俳優、戦後は俳優兼映画監督、監督数は15本ほどと少ないが、複数のキネマ旬報ベストテン受賞など高い評価、千恵蔵主演は1本のみ(助演の主要含むと2)、有名題材「人生劇場」の1953『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』(『人生劇場 残侠風雲篇』、千恵蔵は戦前1930年代以来の久々の飛車角役の主演)を監督、飛車角は千恵蔵が主演2、主要1の『人生劇場 第一部 青春愛欲篇』(舟橋元が主演的な『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』の前編)で演じた現代劇の代表的な役の一つ、コンビは一定の成果といえる。
河野寿一 一定の成果27 成功17
映像化の名匠、映画とテレビで活躍、監督数70本ほど、千恵蔵とのコンビは、オールスター映画『新選組鬼隊長』(千恵蔵初の近藤勇役の主演の大作、文部省選定)の1本のみ、高評価されて、互いの代表作となる。千恵蔵の近藤勇役はのちの2本と含め3本の全てがオールスター映画の主演
30


毛利正樹 佐伯清 佐々木康 佐分利信 河野寿一






千恵蔵の長女の日本映画を代表する名子役大スター植木千恵の好演の『飛龍無双』 役柄や演技は有名画家の山下清がモチーフなのか?!







東映映画の最盛期に”東映ナンバー2”ともいわれた映像化と娯楽映画の巨匠・佐々木康が監督した『飛龍無双』、千恵蔵とは20本を越す”大名コンビ”(だいめいこんび)を形成しています。



bb1568片岡千恵蔵三浦光子『飛龍無双』プレス


キャッチコピーに「泣かせる千恵蔵一代の至芸」とあります。過去に視聴していて、泣きはしませんでしたが、自身の個性を残しながら、別の分野へつながるような挑戦の演技をしています。

泣かせる千恵蔵一代の至芸

千恵蔵の長女で、日本映画を代表する名子役大スター植木千恵(子役のみで映画50本、出演は巨匠5名を越し、子役で唯一の1000万人以上の観客動員5本に出演)が、個人的に特にラストですが、非常によい味を出してます。植木千恵は、千恵蔵演じる絵描きの妹の娘役、ですが、何故かプレスに彼女の名前の表記がありません。元松竹の三浦光子も千恵蔵の妻役を好演、

植木千恵 三浦光子 


現時点ではサブスクやDVDの商品化はしていませんが、スカパーなどのCSで再放送の可能性、機会があればご覧ください。

2つの絵の流派の抗争で揺れる絵描き役の千恵蔵は、名画家の山下清をモチーフにしたのかはわかりませんが、吃音(どもり)のしゃべり(吃音は山下清)&関西弁&裕福な家庭の育ちではない雰囲気で演じています。彼の映画は関西弁の演技は少ないため、内容のみではなく、演技面からしても意味がある映画です。また、戦前から代表的作品のいくつかで足軽を演じるなど、身分の低く貧しい育ちの役柄も得意にしています。この部分も演技に活かされているように思われます。

年齢的に最期の直後輩といわれる渡瀬恒彦(長年主演系の大物俳優)は、多くの場所で千恵蔵を御大と呼んでいましたが、重東映東京撮影所で会うとちょくちょくは関西弁を話していたといいます。

山下清 文部省選定

テンポが速い展開ところが、個人的に問題を感じますが、文部省選定作品、東映の作風上、テンポを重視したのでしょうか、千恵蔵は作ったいい演技をしていますが、作品としてはもっとゆったりとした展開の2時間くらいの映画に仕上げてほしかった作品です。





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数31~35






内田吐夢 一定の成果28 成功18  大成功13
日本映画史を代表する大巨匠、戦前と戦後のそれぞれの両輪で10本を越す名作の稀代の監督、映像美巨匠、千恵蔵とは、名作『血槍富士』(キネマ旬報ベストテン受賞)、「大菩薩峠三部作」(千恵蔵2度目の同三部作)、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』、『逆襲獄門砦』、『黒田騒動』など、高い的中率を記録し、主演コンビのすべてが成功は驚異的な功績
小林恒夫 一定の成果29 成功19  大成功14
映像化や娯楽の名匠、45本ほどの監督数、千恵蔵とは刑事を演じた『恐怖の空中殺人』(刑事やギャング、事件物要素)が年間3位の1000万人のメガヒット(千恵蔵の単発の現代劇の最多観客動員)や『多羅尾伴内シリーズ 戦慄の七仮面』(松田定次と共同)、千恵蔵の初代・金田一耕助シリーズ『三つ首搭』(小沢茂弘と共同)の監督の十分な成功、1000万人と有名題材2の大成功
小沢茂弘 一定の成果30 成功20 大成功15
映像化や娯楽の大巨匠、日本映画歴代10位級&戦後上位の観客動員監督、戦後デビュー最多の監督110本越え。「千恵蔵の地獄シリーズ」は最多5本手掛け、観客動員が数千万大ヒットの最大の代表作、ギャングシリーズに含まれる「無宿」2作、金田一耕助シリーズ『三つ首搭』(小林恒夫と共同)、多羅尾の最終11本目『多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ』、時代劇は『国定忠治(1958)』や1962年の東映版の千恵蔵の遠山の金さん最終18本目『さくら判官』、千恵蔵のギャング最終23本目『地獄命令』(同時の地獄シリーズのラスト)と、代表3シリーズのラストを手掛ける大貢献、コンビがほぼ有名作の大成功
内出好吉 一定の成果31
時代劇の名匠、明朗時代劇などの娯楽監督、監督数70本強、千恵蔵とは、商人と海の航海を描く『海の百万石』、遠山の金さんシリーズ『さいころ奉行』を手掛ける。代表シリーズの一つの遠山の金さんシリーズを手掛けており、一定の成果といえる。
深田金之助 一定の成果32 成功21
時代劇と成人映画の功績監督、現存含むなど監督数55本を越え。千恵蔵の「遠山の金さんシリーズ」の『海賊奉行』『はやぶさ奉行』『火の玉奉行』の3本を任されるなどの貢献
35


内田吐夢 小林恒夫 小沢茂弘 内出好吉 深田金之助





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と”一定の成果”と”大成功”の人数36~40






沢島忠  一定の成果33 成功22
時代劇や現代劇系の巨匠、監督数は約50本、千恵蔵の主演は1本のみ(主要の助演含むと2)だが、後輩の美空ひばりとダブル主演の遠山の金さんシリーズ&明朗歌謡時代劇1959『江戸っ子判官とふり袖小僧』は東映の最盛期の名作、1959年は東映史上の映画の最多観客動員を記録した年であり、また大手6社体制で会社ランキングの4年連続1位
石井輝男 一定の成果34
娯楽映画の巨匠、小沢茂弘と競う1960年代上位の観客動員、90本近い監督数を記録、千恵蔵とは主演は現代劇と時代劇の計2本、千恵蔵のGメン最終4作目の1962『太平洋のGメン』と、大川橋蔵とダブル主演の1964『御金蔵破り』、千恵蔵のGメン最終4作目を手掛ける一定の成果といえる。
工藤栄一 一定の成果35 成功23
映画とテレビで活躍と功績を残した名匠 監督数45本ほど、千恵蔵とは主演の『十三人の刺客』は集団抗争時代劇の名作の1本のみ(主要の助演含むと2)
井上梅次  特になし
映像化の巨匠、娯楽映画の巨匠、ほぼ現代劇の監督、千恵蔵とは、晩年の主演作1965『大勝負』(大川橋蔵と主演の時代劇)の1本のみ
中島貞夫 一定の成果36 成功24
映像化や娯楽系の巨匠、監督数60本強、千恵蔵とは、千恵蔵や千葉真一が見せ場パート主演の東映オールスター1969『日本暗殺秘録』が年間上位の大ヒット(自身最大のヒット)、晩年の千恵蔵出演映画を複数任せられ、主演は1本のみ(主要の助演3を含むと計4本)
40



御金蔵破り [DVD]

アマゾンレビューで、ここまで『御金蔵破り』の評価が高いことに驚きました。辛口な方々が多いわけで・・・、個人的には録画で視聴していることもあり、確認していませんでした。当時の日本映画は公開時に、受賞やヒットしていなくても、隠れた名作が膨大にあります。テレビが全体化のように伝えている当時の名作は、ほんの1パーセントにさえ満たない触りの部分のみです。

今の日本映画とはまったく状況が違います。大川橋蔵としても後期に含まれる主演作ですし、千恵蔵と橋蔵の日本映画を代表する先輩後輩共演や、石井輝男と高倉健とコンビにつながる前の、至るまでの経過として、知る価値があります。


御金蔵破り 石井輝男 大川橋蔵 高倉健







片岡千恵蔵の驚異的な40名中、34名で”一定の成果”と”大成功の判定”は15の衝撃





驚異的、40名中、36名で”一定の成果”といえます。40名中、36名は実に8割5分の一定の成功の高確率といえます。他の俳優と比較すると複雑になるため、今回はしませんが、これは名匠30名以上と主演コンビを組んでいる主演俳優においては、歴代に誰もいません。ある種の、大記録といえるのではないでしょうか

また”大成功の判定”は15、これも世界歴代1位といえます。他の俳優も確認していますが、ここで取り上げると長くなるため、いずれ別の機会を設けたいと考えています。判定基準は明確な代表作やそのシリーズの貢献が複数、10本を越すコンビ数、コンビの代表的映画5割越えや名作の多さ、最低3本を越すコンビ代表作などからの複数や総合力からの判定です。捉え方によって数名を削れますが、そうであってもほぼ前例のない10名も余裕で越しているわけです。



山中貞雄は近年の彼の評価の高さもありますが、千恵プロ時代の千恵蔵と日活から出向の本数制限の条件付きと考えられる中で、山中貞雄が話し合い考えて制作した映画、3本中3本を的中、また丸根監督もあまり本数は多くないがいわゆる名作的作品が多く、多作コンビの他の10名ほどと少し異なりますが、あえて大成功の判定としています。






絶体的な長期のピークを維持した主演俳優として膨大な活動に見合う大きな成果を常にたたき出してきた






彼がいかに”絶体的な長期のピークを維持した主演俳優として”、膨大な活動に見合う大きな成果を、常にたたき出してきたのか。

現在の芸能系の芸歴のみが長いベテランたちに見習ってほしいわけですが、ほぼ無理でしょうが、

その長期の活動に見合う成果を、せめて一部だけでも、数字でわかっていただけるかと考えています。




姉妹ブログ新記事 「回想・田村正和伝説2」 おば様たちが襲った正和VS長嶋茂雄は完敗?祖母ドアップの衝撃 兄の田村登司磨さんと愛娘さきちゃん成城学園の恩師の金さん





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2023/03/01 19:04 | 超大物俳優COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」





片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」







膨大な巨匠・名匠の映画監督と千恵蔵との関り、それらの数字についても、これまでにない独自に深く取り上げていきます。




前回記事
片岡千恵蔵生誕120年 稀代の超お祭り男の訳アリ事情発覚「群馬県新田郡」「藪塚温泉」 超貴重映画「ある日の太田市」そこに何が?!



現実は時に知るべき必要があるもの、そこに苦しさや伊丹ではなく痛みを伴うかもしれない(伊丹=千恵蔵とのコンビの伊丹万作にかけて)

知ることで、その人物がいかに、他者にできぬ、到達できぬ、ありえない困難を克服していたのかを知ることができるかもしれません。


マスコミは彼の多くの実積を何故、現代に伝えようとしないのか、

マスコミは現実の実積の何倍も活躍したと、テレビを使って数十年にわたって誇張してきた
美空ひばりや石原裕次郎よりも、数段上の片岡千恵蔵が、存在しては困るのでしょうか?

そこには利権にまみれたナニカグループの存在があるのだろうか?!

そのナニカグループに風穴をぶち込む一手となるはずの記事、情報量が多く複雑さも伴いますが、展開していきます。


暇空茜 ナニカグループ





片岡千恵蔵はもっとも多くの映画監督とのコンビで幅広く成功を収めた主演俳優







片岡千恵蔵は、もっとも多くの映画監督とのコンビで幅広く成功を収めた主演俳優の一人です。

千恵蔵は、生涯に実に63名の監督による映画に出演(2023.2月時点)しています。しかも脇役は63名中1名(牧野省三=マキノ省三)のみ(劇映画以外の自身名義の出演を除く)、単独主演またはダブル主演、上位5番手圏内の主要の助演が9.5割以上です。


9.5割以上が主要出演の250本以上の大スターであり、同時に戦前と戦後の二つの映画最盛期で活躍した人物は千恵蔵、長谷川一夫、市川右太衛門の3名だけで、外国には一人もいません。*長谷川一夫が主演300本を越していないため、250本以上の扱いで3人を並べている。

嵐寛寿郎は主要以下の助演や脇役が多数あります。大河内傳次郎は現存版含まないと主演が200を越していませんが、現存版を含むと越え、ですが東映時代など、脇役は少なめですが、助演が100本ほどあります。


片岡千恵蔵 

長谷川一夫 市川右太衛門 嵐寛寿郎 大河内傳次郎


”主演のみ”は巨匠数は23名、名匠数は17名 巨匠と名匠を合わせると計40名と1本以上の主演を組みました。

”映画出演”の巨匠数は29名、名匠数は17名、巨匠と名匠を合わせると46名の名匠の作品に出演、名匠数17名は”主演のみ”と助演と”劇映画以外”を含んだ”映画出演”の人数が同じ、主演と助演の巨匠・名匠が40名を越しながら、その人数差が少ない主演系俳優は誰もいません。主演のみと出演は巨匠においては6名の差の留まっています。

*”劇映画以外”は、記録映画系=ドキュメンタリー系の映画出演です。

それだけ主演俳優として、もっとも活躍した長く深く活躍したことを物語っています。


主演のみにおいては歴代1位(巨匠数・名匠数を合わせて計40名)、助演(主演の近いのみの範囲)の映画出演のみを含むと月形龍之介に次ぐ歴代2位です。月形は事実上、助演のナンバーワン俳優(特に時代劇映画においては)ともいわれ、同時に40年近い千恵蔵の盟友としても知られ、数十本の名作の共演や、現存版含むと100本ほどの共演がありますが、月形に関してはまた別の機会です。


月形龍之介


片岡千恵蔵の何がすごいのか、監督からも迫ります。片岡千恵蔵は、現代劇を含めても最多といえますが、特に時代劇系俳優では歴代最多の膨大な監督人数で成功を収めています。


実に成功した名匠以上(巨匠と名監督)の監督は24名、これは主演よりも何倍も人数を伸ばしやすい助演ではなく、主演のみの名匠以上の成功数です。

事実上の歴代1位の主演映画で成功を収めた人数といえます。特に時代劇だと、ぶっちぎりの1位の成功の人数を記録しています。


実に脅威的な数字です。もう今後成し得ぬ巨星、大巨星といえます。






片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数1~5






実に成功した名匠以上(巨匠と名監督)の監督は24名に迫ります。


片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみの人数と成功した人数 映画公開順


中島宝三 成功1
時代劇の映像化の名匠、日本映画上位の多作監督、戦中までに170本以上の映画を手掛ける。別表記・中島寶三 千恵蔵とは千恵蔵最初のヒットシリーズ「萬花地獄シリーズ」(万花地獄)が1927年から4本のヒット、この4本は中島最大の代表作、互いの活動の勢いを掴む
押本七之助 
時代劇の映像化の名匠 監督数は100本を越す。特に「水戸黄門」や「次郎長」の国民題材を合わせて20本以上も手掛ける。千恵蔵は3本で、最初の代表作シリーズの『万花地獄 第五篇』を手がける。
金森万象
映像化の名匠、別表記・金森萬象、現存含むと85本以上の監督、マキノプロで「砂絵呪縛」などの複数の重要作品を手掛け、千恵蔵とは2本あるが、主な代表的作品は1本もない
小石栄一 
長期にわたり活躍した映像化の巨匠、戦後の「母物シリーズ」や「魚河岸の石松シリーズ」、美空ひばりの「べらんめえ芸者シリーズ」が特に上位の代表作、監督数120本以上 千恵蔵とは1934『勝鬨』と『斬風三尺剣』、明確なものがなく、成功に含まない
マキノ雅弘(マキノ正博) 成功2
日本映画史上を代表する大巨匠、時代劇四巨匠の一人、時代劇形成に貢献、娯楽の大巨匠、日本映画ベスト3だと考えられる観客動員監督、数十本の次郎長物がライフワーク、千恵蔵のおかげでさらに出世、日本最初の映像系の名子役を経て、特に1920年代は左翼系(受賞路線)でも大成功、長編系最多の監督数270本越え、軽く数十本の越すヒット作。千恵蔵とは『鴛鴦歌合戦』や『弥次喜多道中記』、『弥次喜多 名君初上り』、次郎長系の『清水港』と『続清水港』、戦国物『織田信長』や1937年のオールスター「忠臣蔵 天の巻」などで成功、幻の名作『白夜の饗宴』はキネマ旬報ベストテン受賞、多くの代表作を手掛ける名コンビとなる。


信長


中島宝三 押本七之助 金森万象 小石栄一 マキノ雅弘


萬花地獄シリーズ  万花地獄 第五篇 母ものシリーズ 魚河岸の石松シリーズ 美空ひばり べらんめえ芸者 勝鬨 斬風三尺剣 時代劇四巨匠 鴛鴦歌合戦 続清水港 織田信長 弥次喜多 名君初上り 忠臣蔵 天の巻 白夜の饗宴 キネマ旬報ベストテン受賞





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数6~10





松田定次 成功3
日本映画史上を代表する大巨匠、大衆娯楽時代劇ナンバーワン巨匠、日本映画1位の観客動員監督、戦前は特に嵐寛寿郎、戦後は千恵蔵を先頭に、市川右太衛門、大川橋蔵、大友柳太朗の5名を越す時代劇大スターで成功を収め、戦後はオールスター監督や「天皇」とも呼ばれた。多くの巨匠を押し退けて”日本映画の最盛期の最高年俸監督”。戦後直後から千恵蔵と膨大なヒットを量産し、おかげで大出世、監督数170本越え、千恵蔵とは、マキノの忠臣蔵の1928『間者』が1本目とされ、1950年代の東映オールスター「忠臣蔵」2本と「清水次郎長」4本は計8千万人級のメガヒットを記録、「次郎長」4本は現在も時代劇映画のシリーズ物の最多観客動員、またオリジナル探偵物「多羅尾伴内シリーズ」、原作探偵物「金田一耕助シリーズ」、ギャング映画シリーズ(刑事物「にっぽんGメンシリーズ」も含む)など、時代劇と現代劇の幅広い10題材を越す」ジリーズ含む数十本がヒットの大成功、千恵蔵と2億級動員の”日本映画史上最大の黄金コンビ”となる。
稲垣浩 成功4
日本映画史上を代表する大巨匠。時代劇四巨匠の一人、時代劇形成に貢献、日本映画上位の観客動員監督、千恵蔵のおかげで大出世、特に戦前戦後通じて、宮本武蔵や股旅物、明朗時代劇を形成と牽引、戦後の東宝の時代劇トップ監督を牽引、オールスター映画も複数や左翼系でも成功、戦後に「天皇」とも呼ばれた。監督数100本越えで、ヒット作は数十本、脚本でも成功、千恵蔵とは千恵プロ1本目『天下太平記』が高評価され、「弥太郎笠」(前後作)や「瞼の母」、「一本刀土俵入」などの股旅時代劇の4本の名作、当たり役の一つの千恵蔵最初の国定忠治の『国定忠治 旅と故郷の巻』などの三部作も手掛け、「一心太助」、日活版「宮本武蔵シリーズ」は大ヒット、大映の『独眼龍政宗』、『東海水滸伝』=改修題『東海二十八人衆』(伊藤大輔と共同監督)など多彩な有名題材。高い的中率や実に数十本にわたる名作や秀作、ヒットの大成功
伊丹万作 成功5
”時代劇の映画作家の草分け”とも称される巨匠、現存含むと監督数は30本ほどだが、社会風刺(左翼的要素)も得意、戦後の左翼的路線の黒澤明、小林正樹、篠田正浩などの戦後の幅広い時代劇映画へ絶大な影響力、市川崑や森一生などの憧れる監督だという提言も残る。千恵蔵のおかげで大出世、ナンセンス時代劇の形成と牽引、監督だけでなく脚本と原作でも多数が成功、千恵蔵とは、義賊物「源氏小僧」2本を突破口に頭角を現し、『国士無双』(國士無双)、『赤西蠣太』、『武道大鑑』などがキネマ旬報ベストテン受賞の名作、他の『花火』、『闇討渡世』、『刺青奇偶』なども高評価を獲得、高い的中率を誇る大成功
井上金太郎
時代劇の映像化の名匠、特にマキノや松竹で活躍、月形龍之介との名コンビは受賞路線でも成功、監督数は100本ほどであり、脚本と原作でも多数が成功、事実上の巨匠ともいえる存在、千恵蔵とは、コンビ3本、のちに当たり役となる宮本武蔵の1本目『宮本武蔵(1929)』が代表的、戦後の千恵蔵主演の『血槍富士」の元になる映画『道中悲記」も手掛けている。
池田富保 成功6
時代劇を代表する巨匠の一人、戦前に世界最多数の20本を越すオールスター数を記録、数十本のヒット作、戦前の映画監督の上位の通算観客動員、また時代劇の形成にも貢献、監督数100本近く 千恵蔵とは特に、パート主演の『元録快挙 大忠臣蔵 天変の巻 地動の巻』(千恵蔵は浅野、大河内の大石)、山本嘉一や阪東妻三郎とトリプル主演のオールスター映画1937『水戸黄門廻国記』と1938『水戸黄門廻国記』と幕末物の1939『王政復古 担龍篇 双虎篇』がヒットの大成功、現存含むと15本を越す
10


闇討渡世 浪漫堂シナリオ文庫 Kindle版



松田定次 稲垣浩 伊丹万作 井上金太郎 池田富保

忠臣蔵 清水の次郎長 多羅尾伴内シリーズ 金田一耕助シリーズ にっぽんGメンシリーズ 天下太平記 弥太郎笠 瞼の母 一本刀土俵入 一心太助 宮本武蔵 時代劇の映画作家の草分け 

黒澤明 小林正樹 篠田正浩 ナンセンス時代劇 国士無双 赤西蠣太 武道大鑑 花火 闇討渡世 宮本武蔵(1929) 戦前世界最多数のオールスター映画監督 山本嘉一 阪東妻三郎 水戸黄門廻国記 続水戸黄門廻国記




片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数11~15





清瀬英次郎 成功7
娯楽時代劇の名匠、「落花剣光録」3本、「貝殻一平」4本や「隠密七生記」2本など多数のヒットを記録、監督数70本を越す。千恵蔵とは1929~30の「愛染地獄三部作」や有名題材の1931『水野十郎左衛門』を手掛け、一定の成功といえる。
辻吉郎 
映像化監督の巨匠、左翼系権威主義(証言あり)、時代劇の形成に大きく貢献、現存含むと監督数140本近く、代表的作品は40本を越す、尾上松之助の『大前田英五郎(1915)』や『渋川伴五郎(1915)』、河部五郎の1926「修羅八荒」2本、谷崎十郎の1926~1927の「鳴門秘帖」の6作7編や「清水次郎長」3部作、大河内傅次郎の名作『槍供養(1927)』や1929『沓掛時次郎(1929)』、『血煙荒神山』、『荒木又右衛門(1931)』、嵐寛寿郎の1938「髑髏銭」前後編と1939『海援隊』は代表的、また1925「新撰組」前後篇と、1926『地獄に落ちた光秀』は時代劇の形成に貢献との評価があり、1930年代は「大監督」といわれていた。千恵蔵とは3本、1931『冬木心中』、1934『珊瑚重太郎』、さらに1930『右門捕物帖 三番手柄』は断片の数バージョンが現存、事実上の高評価から残されたとも考えられるが、これのみだと一定以上の成功とは言いがたい。
渡辺邦男 成功8
日本映画史上を代表する巨匠、現代劇と時代劇で長期間成功の娯楽映画の巨匠、日本映画ベスト3だと考えられる観客動員監督、戦後に事実上の新東宝の形成にも関与、千恵蔵含む長谷川一夫や大河内傅次郎、美空ひばり、榎本健一など、歴代最多の7名を越す映画大スターとの二桁コンビで成功、大作は戦前と戦後で複数が成功、戦後に「天皇」とも呼ばれた。監督数は歴代上位の230本、ヒット本数は数十本。千恵蔵とは最初のコンビ1930『恋車 前篇』は成功とはいえないが、戦後は千恵蔵のおかげてさらに出世、戦後の「遠山の金さんシリーズ」最初の2本やモノクロ版「大菩薩峠三部作」が成功、また唯一の新東宝映画『殴られた石松』や有名題材「南国太平記」の前後作、「お坊主天狗」の前後作も手掛ける。
伊藤大輔 成功9
日本映画史上を代表する大巨匠、”時代劇の父”と称される時代劇の形成のリーダー、時代劇四大巨匠の一人、大河内傅次郎との大名コンビを形成、戦前の上位の観客動員、監督数100本弱、脚本や原作でも成功、ヒット本数は数十本。千恵蔵とは、大河内傅次郎とダブル主演のオールスター超大作の『明治元年』と『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』のヒット、忠臣蔵物『堀田隼人』はキネマ旬報ベストテン受賞、大映版「宮本武蔵シリーズ」もヒット、『東海水滸伝』=改修題『東海二十八人衆』は名作、本数は少なめだが高い的中率の大成功
山中貞雄  成功10
1930年代を代表する時代劇の巨匠、天才監督ともいわれ、若年28歳の死去から名匠ともあるが、後年の評価が高く事実上の巨匠、嵐寛寿郎の寛プロ時代に見い出され、1日活時代は大河内傅次郎とも成功、現存含むと監督数30本以上、高い中率を誇りました。千恵蔵とのコンビは本数は少ないが、『風流活人剣』と『雁太郎街道』はキネマ旬報ベストテン受賞が2本、『足軽出世譚』も高評価、なんと3本中3本が成功は驚異的
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東海二十八人衆spポスター

戦後の東海水滸伝が、東海二十八人衆として、改修版の公開時のポスター、上は阪妻、下は右太衛門、中間が千恵蔵、国民的三大スター競演

全体としては千恵蔵の森の石松が主演だが、阪東妻三郎の清水の次郎長が主演(主要ではあるが)のようなジャケット
東海二十八人衆(東海水滸伝) [DVD]


清瀬英次郎 辻吉郎 渡辺邦男 伊藤大輔 山中貞雄

愛染地獄 水野十郎左衛門 右門捕物帖 三番手柄  大菩薩峠 明治元年 忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇 堀田隼人  東海水滸伝 東海二十八人衆 

風流活人剣 雁太郎街道 足軽出世譚






片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数16~20





村田実 
左翼系(受賞路線、前衛=アバンギャルド系)の巨匠、主に日活の現代劇中心に大成功、文芸路線の開拓に成功し、多数の映画がキネマ旬報ベストテン受賞、日本監督協会の初代理事長、監督数60本近く、黒澤明も尊敬する監督の一人に挙げている。千恵蔵主演は、千恵プロの新興キネマ提携時の1935『情熱の不知火』の1本のみ
藤田潤一 成功11
複数の監督名があり、監督数は少ないが35本の事実上の名匠、千恵プロ末期に一定の貢献、千恵蔵のおかげで出世、その後、榎本健一のエノケン舞台の演出家や成人映画の総明期に貢献、また1958年『遊星王子』 を手掛けるなどテレビドラマでも一定の活躍のマルチな人物、千恵蔵とは歌舞伎風刺大作『女殺油地獄(1936)』や千恵プロ公式100本目『浅野内匠頭』(内匠頭は千恵蔵の上位の当たり役の一つ)などの記念作が代表作
萩原遼  成功12
映像化の事実上の巨匠(名匠とみる説も)、比較的上位の観客動員だと考えられる、監督数100本ほど、千恵蔵とは、戦前の千恵プロの『荒木又右衛門(1936)』(萩原の初の代表的映画)、戦後は1952『赤穂城』と『続赤穂城』(戦後最初の忠臣蔵映画)の2本、「新選組」3部作(千恵蔵最初の新選組題材)、東映版の遠山の金さんの3作目『女賊と判官』と『血ざくら判官』などのヒットを連発、千恵蔵のおかげて出世、その他は嵐寛寿郎の東映版「鞍馬天狗」4本(東映版)の有名題材、また中村錦之助と東千代之介の『新諸国物語 笛吹童子』3部作や『新諸国物語 紅孔雀』5部作が大ヒット、中村錦之助の「獅子丸一平シリーズ」4本も手掛ける。
千葉泰樹
映像化の巨匠、東宝に長く在籍した監督としては歴代最多数の巨匠、戦後は東宝を代表するヒットメーカーとしてスマシュヒットを量産、「大番シリーズ」や東宝らしい外国風刺の多くの秀作現代劇を手掛けるが、突き抜けた大ヒットはない。監督数150本近く記録、千恵蔵主演は1本のみ、それは日活時代の1938年の現代劇「人生劇場 残侠篇」であり、残侠篇の初の映像化、戦後へ影響が大きい代表的作品、だが1本のみであり、成功に含まない。
荒井良平 
映像化の名匠、娯楽映時代劇の名手、監督数は60本近く、現存の『江戸の春遠山桜』、「水戸黄門」3部作、「右門捕物帖」3本、「牢獄の花嫁」2本などを手掛け、1930~40年代の日活のヒットメーカーともいわれた。千恵蔵とは2本あるが、特に成功なし
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不知火の情火


村田実 藤田潤一 萩原遼 千葉泰樹 荒井良平

情熱の不知火 遊星王子 女殺油地獄(1936) 浅野内匠頭 赤穂城 新選組 人生劇場 残侠篇
 


片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数21~25





丸根賛太郎 成功13
異色時代劇の秀作(今では名作に含まれるものも多数)を多く手掛けた時代劇ファンに高く評価される名匠 1940年代は時代劇を背負うホープともいわれ、千恵蔵が『春秋一刀流』の脚本を気に入って、監督デビューへにつながった話も有名、千恵蔵とは『春秋一刀流』、『うぐいす侍』や元寇題材の名作『かくて神風が吹く』(阪妻と主演)、『土俵祭り』が高い評価、だが戦後は大きく苦戦を強いられ、最盛期に映画界を事実上の引退、千恵蔵、阪東妻三郎や嵐寛寿郎の三大スターで成功、監督数約60本、
森一生 成功14
映像化の巨匠、30年以上の活躍、日本映画の観客動員上位ベスト10級、大映映画のナンバーワンヒットメーカー、監督数150本ほど、千恵蔵とは、明朗股旅の名作『おしどり笠』や秀作『黒雲街道』、のちの鶴田・高倉などの任侠物にもつながる『三代の盆』(戦後改修の「花嫁一本刀」)など、千恵蔵のおかげて出世し、彼の去りし大映で、長谷川一夫などとコンビなどで複数の秀作や大ヒット作を連発する。
白井戦太郎 
映像化の名手 100本ほどの監督数、市川右太衛門の映画会社の右太プロ(略称)時代に30本近い名コンビを形成、『怒苦呂』など複数の代表的作品を手掛け、1935年から大都映画の専属、1937年公開の大都オールスター「忠臣蔵」(阿部九州男が大石、近衛十四郎が天野屋利兵衛など、2時間を越す大作)も代表的、映画100本から巨匠級だが、明確な代表作が少なく名匠扱いか、千恵蔵とは1本のみの『龍の岬』、1945年1月の戦中末期に公開、彼の遺作となる秀作、1950年代に改修・改題『恩讐を越えて』としても公開されています。
小杉勇 
戦前の日活の現代劇を代表する主要の主演系の名俳優、主演50本越え、出演215本、個性的なしゃべり口調で助演でも高評価される。特に戦前に巨匠の内田吐夢、田坂具隆などの主演・主要の俳優で大成功、また戦後は娯楽映画の名匠、日活の「刑事物語シリーズ」と「機動捜査班シリーズ」など監督数70本、千恵蔵とは、牧野省三の半生をモチーフにした1948『かくて忍術映画は終りぬ』の1本のみ(のちにテレビでリメイクされ、千恵蔵とも子役時代に共演が多い名優・長門裕之が演じている)の1本のみだが、俳優同士の共演は複数ある。
斎藤寅次郎 
喜劇の神様ともいわれる巨匠、日本史上の喜劇映画の巨匠、喜劇系最多の監督数は200本強、山田洋次などに大きな尊敬を受ける。戦前は主に松竹、戦後は主に東宝で活躍、彼は多作の割に明確な代表作が少ないことも難点。千恵蔵主演は1本、異色現代劇の1950『天皇の帽子』のみ、天皇陛下と関連付けたヒューマニズムとユーモアがある作品
25


1

2


丸根賛太郎 森一生 白井戦太郎 小杉勇 斎藤寅次郎

春秋一刀流 うぐいす侍  かくて神風が吹く 土俵祭 おしどり笠 黒雲街道 龍の岬 恩讐を越えて かくて忍術映画は終りぬ 長門裕之 喜劇の神様 天皇の帽子







片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数26~30





毛利正樹 
新東宝の映像化の名匠といえる監督、時代劇と現代劇の多くの異色映画を手掛ける。新東宝系上位の40本強の監督数、千恵蔵とは、斎藤寅次郎と共同監督の『天皇の帽子』のみ
佐伯清 成功15
映像化の名匠、または巨匠級、千恵プロに入社に採用されて『戦国気譚 気まぐれ冠者』や『赤西蠣太』の助監督、まさに恩人、千恵蔵のおかげて出世、東宝を経た新東宝時代に長谷川一夫の1949『銭形平次捕物控 平次八百八町』(新東宝=新演技座)あたりから転機を掴み、移籍した1950年代の東映時代に大友柳太朗の新諸国物語のスピンオフ「霧の小次郎3部作」や黒頭巾物『御存じ快傑黒頭巾 マグナの瞳』などが代表的となり、1960年代に高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」を最多数手掛ける最大の代表作、監督数は大台の100本強。千恵蔵とはGメン3本目の1951『にっぽんGメン 不敵なる逆襲』、「遠山の金さんシリーズ」の1955の正月映画のオールスター『勢ぞろい喧嘩若衆』、1957年の槍物『素浪人忠弥』、現存含むと20本を越す千恵蔵の最後の宮本武蔵の1957『佐々木小次郎』2本(千恵蔵は小次郎役の東千代之介と主演表記)など、多面的な貢献から、一定の成功といえそうだ。
佐々木康 成功16
映像化の大巨匠、戦前から戦後にかけて高峰三枝子主演の歌謡映画「舞踊四部作」など松竹で多数の成功を収め、戦後の最盛期は東映へ移籍、松田定次に次ぐ”東映ナンバー2”ともいわれ、市川右太衛門との名コンビでも成功、日本映画上位の観客動員、監督数170越え、戦後は千恵蔵のおかげてさらに大出世、千恵蔵とも20本を越す黄金コンビを形成 数十のヒット作を残す。千恵蔵とは戦後初の討ち入りが描かれた忠臣蔵映画『女間者秘聞 赤穂浪士』と同題材『血槍無双』、「遠山の金さんシリーズ」やオールスターの「新選組」題材2本、多羅尾伴内シリーズやギャング物「地獄シリーズ」、国定忠治のオールスター『勢揃い関八州』など多彩にヒット、単発は絵描きの文芸系『飛龍無双』(文部省選定)も代表作、また千恵蔵自身による戦前の名作リメイクの1954『一本刀土俵入』、1958『直八子供旅』も手掛ける。
佐分利信 
松竹映画を代表する上位の男性俳優、小津安二郎や島津保次郎、吉村公三郎などの名作に主演し、戦前と戦後で10を越す名作に主演、戦後は俳優兼映画監督で成功、監督数は15本ほど少ないが、複数のキネマ旬報ベストテン受賞など当時の評価は高い、千恵蔵主演は1本のみ(助演の主要含むと2)、有名題材「人生劇場」の1953『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』(『人生劇場 残侠風雲篇』、千恵蔵は戦前1930年代以来の久々の飛車角役の主演)を監督、また俳優同士でも共演がある、
河野寿一 成功17
映像化の名匠、娯楽時代劇の名手として映画とテレビで活躍、監督数70本ほど、映画は名匠だが、テレビドラマの巨匠の一人 、映画時代は東千代之介や中村錦之助とのコンビでも成功、テレビ時代は複数の新選組題材や浪人物題材に大きく貢献、千恵蔵とのコンビは、オールスター映画『新選組鬼隊長』(千恵蔵初の近藤勇役の主演の大作、文部省選定)の1本のみ、高評価されて、互いの代表作となる。千恵蔵の近藤勇役はのちの2本と含め3本の全てがオールスター映画の主演
30


分性劇場


毛利正樹 佐伯清 佐々木康 佐分利信 河野寿一

昭和残侠伝シリーズ 高峰三枝子 人生劇場 第二部 残侠風雲篇 東千代之介 中村錦之助 新選組鬼隊長






片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数31~35






内田吐夢 成功18
日本映画史を代表する大巨匠、戦前と戦後のそれぞれの両輪でで10本を越す名作を手掛ける稀代の監督(両方においては歴代最多か)、映像美の巨匠、戦後は千恵蔵のおかげてさらに大出世、後年の映像インタビューで千恵蔵は「トムさん」と親しみを込めて呼ぶ。現存含むと監督数75本ほど、千恵蔵とは、名作『血槍富士』、「大菩薩峠三部作」(千恵蔵2度目の同題材の三部作)、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』、『逆襲獄門砦』、『黒田騒動』など、高い的中率を記録し、主演コンビのすべてが成功は驚異的な功績
小林恒夫 成功19
映像化や娯楽の現代劇映画の名匠、東映東京のみで活躍、千恵蔵のおかげて大出世、サスペンス物『終電車の死美人』や1958『点と線』なども成功、45本ほどの監督数、千恵蔵とは刑事を演じた『恐怖の空中殺人』(刑事やギャング、事件物要素)が年間3位の1000万人を超すメガヒット(千恵蔵の単発の現代劇の最多観客動員)や『多羅尾伴内シリーズ 戦慄の七仮面』(松田定次と共同)、千恵蔵の初代・金田一耕助シリーズ『三つ首搭』(小沢茂弘と共同)の監督、十分なコンビの成功を収める。
小沢茂弘  成功20
映像化や娯楽の大巨匠、日本映画歴代10位級&戦後上位の観客動員監督、時代劇と現代劇両輪だが、特に現代劇が大成功、「千恵蔵の地獄シリーズ」は5本手掛け、観客動員が数千万大ヒットの最大の代表作、ギャングシリーズに含まれる「無宿」2作、金田一耕助シリーズ『三つ首搭』(小林恒夫と共同)、多羅尾の最終11本目『多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ』、時代劇は、名OP曲の『国定忠治(1958)』や1962年の東映版の千恵蔵の遠山の金さん最終18本目『さくら判官』、千恵蔵のギャング最終23本目『地獄命令』(同時の地獄シリーズのラスト)と、代表3シリーズのラストを手掛ける大貢献、コンビ数千万人動員を記録、千恵蔵のおかげで大出世。それ以外の小沢監督は1960年代に鶴田浩二とのコンビも観客動員は数千万人の大成功、また1970年代は千葉真一とのアクション映画のコンビもそこそこの成功、戦後のみで監督数110本越え、数十本のヒット作を記録、「列伝シリーズ」などの任侠物オールスター映画でも成功、現在も戦後デビューの大手最多監督数を継続中
内出好吉 
時代劇の名匠、娯楽監督、明朗時代劇(千恵蔵が戦前に形成、戦後に流れを受ける)の秀作を多数残す。監督数70本強、特に市川右太衛門の「大名シリーズ」3本や近衛十四郎の「柳生武芸帳シリーズ」を2本、千恵蔵とは、商人と海の航海を描く『海の百万石』、遠山の金さんシリーズ『さいころ奉行』を手掛ける。
深田金之助 成功21
時代劇と成人映画の功績監督、1950年代に大川橋蔵の「若さま侍シリーズ」を5本を手掛けるヒット、千恵蔵の「遠山の金さんシリーズ」の『海賊奉行』『はやぶさ奉行』『火の玉奉行』の3本を任されるなどの貢献、その後は急激に低迷し、活動の場を変え、1965年から”成人映画の総明期に貢献した監督”に数えられる活動。当時の成人映画に一級映画で活躍した経験の監督は皆無、彼の存在は大きく、一級映画のみでは厳しい部分があるが、成人映画を含めると名匠と評価できます。現存含むなど監督数55本を越す。
35



【千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭 】




内田吐夢 小林恒夫 小沢茂弘 内出好吉 深田金之助


血槍富士 大菩薩峠 妖刀物語 花の吉原百人斬り 逆襲獄門砦 恐怖の空中殺人 地獄シリーズ 鶴田浩二 明朗時代劇   
 海の百万石 大川橋蔵 若さま侍シリーズ 成人映画





片岡千恵蔵が生涯に主演で関与した巨匠含む名匠のみ人数と成功した人数36~40






沢島忠  成功22
時代劇や時代物の巨匠、美空ひばりと明朗歌謡時代劇の複数の名作、中村錦之助の「一心太助シリーズ」などのコンビ、鶴田浩二の「人生劇場シリーズ」からの任侠物形成監督ともいわれる。1970年頃の映画監督の引退後は、ひばりや錦之助の舞台の20年以上の舞台演出家として活躍、多くの観客を動員した。監督数は約50本、千恵蔵の主演は1本のみ(主要の助演含むと2)だが、後輩の美空ひばりとダブル主演の遠山の金さんシリーズ&明朗歌謡時代劇『江戸っ子判官とふり袖小僧』は東映の最盛期の名作
石井輝男 
娯楽映画の巨匠、小沢茂弘と競う1960年代上位の観客動員、90本近い監督数を記録、新東宝時代は宇津井健「スーパージャイアンツシリーズ」や「地帯(ライン)」シリーズ、東映時代は高倉健「網走番外地シリーズ」の大ヒットコンビでも知られ、1960年代のいわゆる「鶴田浩二のギャングシリーズ」も比較的成功、1990年代は自身の制作会社・石井プロを創立、千恵蔵の主演は現代劇と時代劇の計2本、千恵蔵のGメン最終4作目の1962『太平洋のGメン』と、大川橋蔵とダブル主演の1964『御金蔵破り』
工藤栄一 成功23
映画とテレビで活躍と功績を残した名匠 監督数45本ほど、千恵蔵主演の『十三人の刺客』は集団抗争時代劇の名作、時代劇と現代劇で多くの秀作、千恵蔵のおかげて大出世、それ以前の黒川弥太郎の「次郎長血笑記シリーズ」が出世作、その後のテレビドラマ「必殺シリーズ」や『探偵物語』など、千恵蔵が主要の時代劇の名作ドラマ「大岡越前」の1部のラストの2回の天一坊事件も代表的、千恵蔵の主演は『十三人の刺客』の1本のみ(主要の助演含むと2)
井上梅次 
映像化の巨匠、娯楽映画の巨匠、ほぼ現代劇の監督、『嵐を呼ぶ男』などの石原裕次郎とのコンビでも知られ、各映画会社から早撮りからも重宝された。監督数は100本強、戦後デビューの日本映画監督としては香港のショウ・ブラザースの監督本数を含むと2位の監督数(1位は小沢茂弘、現時点では3位が山田洋次)、テレビドラマは明智小五郎(俳優は天知茂)主演の「江戸川乱歩の美女シリーズ」も代表作、千恵蔵とは、晩年の主演作1965『大勝負』(大川橋蔵と主演の時代劇)の1本のみ
中島貞夫 成功24
映像化や娯楽系の巨匠、1960年代から『あゝ同期の桜』や『大奥(秘)物語』、「まむしの兄弟シリーズ」5本などがヒット、佐分利信など主演の1977~78「日本の首領三部作」、テレビ放送が高視聴率を記録した映画「極道の妻たちシリーズ」3本も手掛ける。監督数60本強、千恵蔵とは、千恵蔵や千葉真一が見せ場パート主演の東映オールスター1969『日本暗殺秘録』が年間上位の大ヒット(自身最大のヒット)、千恵蔵のおかげてさらに出世、晩年の千恵蔵出演映画を複数任せられた。専属はないが、2022年時点の存命の東映系の最高齢監督、千恵蔵の主演は1本のみ(主要の助演含むと計4本)
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日本暗殺秘録 [DVD]

片岡千恵蔵、千葉真一と名前が確認できます。


名匠40名、何らかの成功を収めたといえる人数は24名、2人に1人強で当たっている驚異的な成功率です。例えば、名匠10名中5名の成功とはレベルが違います。40名を越していて20名、単純な数字だけでも、10名中5名の成功と比べると、4倍以上も困難ということになります。この驚愕の困難を乗り越えてしてしまったのが、片岡千恵蔵です。





沢島忠 石井輝男 工藤栄一 井上梅次 中島貞夫

明朗歌謡時代劇 中村錦之助 江戸っ子判官とふり袖小僧 高倉健 宇津井健 十三人の刺客 集団抗争時代劇 必殺シリーズ 探偵物語 嵐を呼ぶ男 石原裕次郎 大勝負 千葉真一 日本暗殺秘録

ショウ・ブラザース 明智小五郎 天知茂 江戸川乱歩の美女シリーズ あゝ同期の桜 大奥(秘)物語 まむしの兄弟シリーズ 日本の首領 極道の妻たちシリーズ





恐るべき片岡千恵蔵 歴代主演俳優の前代未聞 二回り年齢が下の名匠5名でも成功していた






恐るべき片岡千恵蔵の凄みは、名匠のコンビ人数が多いことの評価を飛び越えて、驚異的な成功率にも確認できます。40名を越す名匠とコンビを組んだだけでなく、その大半で成功もしてしまいます。しかも、自分より年上や同年代だけでなく、自分よりも年齢が下や、子供くらい年の離れた監督とも多くでコンビや成功しています。これも主演のみでは当時は誰もいませんでした。


映画の主演俳優は、自分より年上や、同年代で成功するのは当たり前です。
特に自分よりも子供くらい年の離れた監督で成功を収めるのは非常に難しいことです。


たとえば中島貞夫は、1934年(昭和9年)8月8日生まれで、千恵蔵は1903年生まれ、数えだと31歳の年齢が離れています。これも驚愕です。千恵蔵が主演コンビを組んだ名匠の中で、もっとも年齢差がある監督です。

これは特に当時だと現代以上に脅威的な出来事です。また、自分よりも二回り年齢が下(20歳以上も下)の沢島忠、石井輝男、工藤栄一、井上梅次 中島貞夫の監督5名においても、主演があります。しまも意味があるのは、助演ではなく主演だということです。これで格段に難しくなります。助演なら現代でも比較的簡単です。さらに工藤栄一、中島貞夫においては代表作があり、平均寿命が今ほど高くなかった当時として驚異的です。

これも当時は前代未聞、現代でもかなり困難を極めるでしょう。

たとえば千恵蔵の戦前からの35年以上のライバルの一人の長谷川一夫などは、子供くらいと年の離れた若手監督で代表作が1本もありません。


二回り年齢が下の名匠5名のコンビは、当時の世界の映画界で千恵蔵だけの大記録、また千恵蔵の主演俳優として、突き抜けた対応力の高さを示しています。






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2023/02/15 19:07 | 超大物俳優COMMENT(5)TRACKBACK(0)  

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