山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔




前回はかなり複雑な内容となってしまいました。その複雑な部分も大切だと考えています。面倒だから時間がかかるから、避けられがちな部分だからこそ、スポットを当てていくことがこうしたブログの役割なのかも知れません。今回はさらに前回以上に避けられがちな探求部分へ向かいます。


前回は大河内傳次郎と片岡千恵蔵の巨匠同士の部分をクローズアップしましたが、名監督の部分に迫ります。巨匠以上にややこしいところなので敬遠されがちな部分ですが、それは同時にもっとも大切な部分だといえるでしょう。





大河内傳次郎と飛び抜けて現在も有名な監督





大河内傳次郎の日活時代は巨匠には含まれない8名の名監督と縁がありました。
関わった順に高橋寿康、清瀬英次郎、辻吉郎、阿部豊、山本嘉次郎、滝沢英輔、山中貞雄、荒井良平です。




上記8名の”あの人に迫る”裏側
  ↓      ↓
大河内傳次郎と幻の名監督 ジョン・フォードやラオール・ウォルシュと映画100作




この8名の中でも山中貞雄は飛び抜けて現在も有名な監督といえるでしょう。何故なら将来の巨匠といわれた名監督だったからです。若い人物だったため、戦地へ行かざる得ない状況があり、残念ながら28歳で命を落としてしまいました。復員してあと10年、15年ほど現役で生きていれば戦後は巨匠として名を残していたのかも知れません。


この人物がのちの巨匠に含まれていれば、日活時代のみでは大河内傳次郎の巨匠とのコンビ数は10以上増え、片岡千恵蔵を上回っていたことでしょう。片岡千恵蔵は戦後も多くの巨匠とのコンビがあったため、通算で上回ることや近づくことさえも困難ですが、大河内傳次郎にとってもさらに実積が向上していたことでしょう。これも残念な部分でした。




大河内傳次郎が日活時代にコンビを組んだ名監督該当の人物の中で山中貞雄とのコンビは唯一の10作を上回っており、大河内傳次郎のとっても名監督8名の中では特別な存在ともいえるでしょう。




映画監督 山中貞雄
時代劇映画の1つのジャンルとなったともいえる前進座時代劇映画の河内山宗俊(1936)からか??奥に見える女優は原節子の可能性。上記の著者の加藤泰山中貞雄にある種のシンパシーを感じていたことでしょう。

加藤泰は1943、1944年の戦中に教育映画や現在の中国に当たる満映映画の監督をしていましたが、日本の一般映画のデビューがまだでした。戦争で日本の一般映画の監督への昇進が遅れるなどの影響を受けていました。加藤泰からすると山中貞雄は甥の親族ののみのつながりだけではない何かがあったはずです。





山中貞雄と大河内傳次郎のコンビ作 全て主演、全て日活




山中貞雄と大河内傳次郎のコンビ作 全て主演、全て日活


1933『薩摩飛脚 剣光愛欲篇』
1933『盤嶽の一生(1933)』
1933『鼠小僧次郎吉・前篇 江戸の巻』*大河内は鼠小僧次郎吉を含む3役
1933『鼠小僧次郎吉・中篇 道中の巻』
1933『鼠小僧次郎吉・後篇 再び江戸の巻』

  『鼠小僧次郎吉 断片版』
1935『国定忠次(1935)』
1935『丹下左膳余話 百万両の壺』
1935『関の弥太ッぺ(1935)』*稲垣浩と山中貞雄の共同監督
1935『怪盗白頭巾 前篇』*大河内は雲霧仁左衛門役
10
1936『怪盗白頭巾 後篇』
  『怪盗白頭巾 断片版』
1936『海鳴り街道』
  『海鳴り街道 断片版』
14



断片版を含めなければ11作ですが、含めると14作となります。14作中の「薩摩飛脚」、「盤嶽の一生」、「鼠小僧次郎吉」、「国定忠次」、「丹下左膳」、「関の弥太ッぺ」の通算9作は有名な題材や作品です。

実は「薩摩飛脚」は時代小説の巨匠の大佛次郎(大仏次郎)の代表作の1つで、大河内傳次郎の映画「薩摩飛脚」は2作が存在しています。「薩摩飛脚」は丹下左膳や国定忠治、大岡政談などで大きな成功を収めていた大河内×伊藤の名コンビで『薩摩飛脚 東海篇』として初めて映画化、映像化されました。この部分はあまり知られていないように思えます。

そして、この2作目であり、後編ともいえる『薩摩飛脚 剣光愛欲篇』が山中貞雄と大河内傳次郎の初のコンビ作となりました。


大河内傳次郎の映画「薩摩飛脚」
1932『薩摩飛脚 東海篇』伊藤大輔
1933『薩摩飛脚 剣光愛欲篇』山中貞雄



大佛次郎時代小説全集 薩摩飛脚

大佛次郎の薩摩飛脚を基にした作品は本人の原作やそれ以外を含めて、題名が含まれるだけでも1932~1955年の範囲で8作が存在しています。その中には大佛次郎が原作ではなく、映画300作以上を残した大脚本家の八尋不二による作品も原作兼脚本作などが存在しています。






山中貞雄の日活の活躍に恩師のあの人の影





山中貞雄は大スター嵐寛寿郎の寛プロで助監督を経てデビューして、評価を受けていた山中貞雄の日活第1作となりました。
寛プロは娯楽作を量産した映画会社であり、作家性を持つ山中貞雄の居場所としては窮屈な場所になってしまったようです。
嵐寛寿郎とは原作や脚本の提供、断片版含む監督8作のコンビを形成し、才能を離れることになりました。

嵐寛寿郎自身も彼の才能を認めたからこそ、その作家性の将来性に期待し、存分に活かせる日活に旅立たせました。



大河内傳次郎との初コンビの『薩摩飛脚 剣光愛欲篇』は日活からも評価を受けたのでしょう。これ以後も”山中貞雄と大河内傳次郎のコンビ作 全て主演、全て日活”のように有名題材やいくつかの代表作を残す10作以上のコンビを形成していきました。



ほぼ完全な形で視聴可能なのが有名な『丹下左膳余話 百万両の壺』です。

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この『丹下左膳余話 百万両の壺』は大河内傳次郎の丹下左膳が登場する大岡政談を含めると通算で8作目に該当します。


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2017/08/18 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

映画歴代対決没発 「七つの顔の男」と7番勝負




いつの時代も勝負はつき物です。それは当時の映画の激動期、現代の競り合いのない東宝の事実上の支配状態である低迷期も存在しています。独自な路線を大切にしたいため、前作の流れを広げて行こうとと思います。



前記事⇒【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突


映画歴代対決没発 「七つの顔の男」と7番勝負




片岡千恵蔵は1929年から1934年、1936年から1942年の13年間、大河内傳次郎は1926年から1937年の12年間にわたって日活との縁がありました。

日活時代の有名な役柄の数やオールスターの主演数などでは大河内傳次郎の方が上ですが、キネマ旬報などの当時のいくつかのベストテン賞へのランクイン数、出演や主演映画と代表作の数、巨匠とのコンビ数では片岡千恵蔵の方がダントツに上回っています。映画愛子的には俳優の評価は一つや二つで決められるものではなく総合的なものであり、総合的に上回っている部分が多いことから片岡千恵蔵の方が上だという判断をしています。


片岡千恵蔵大河内傳次郎の戦後は片岡千恵蔵が主演映画数では150作、対する大河内傳次郎は40作弱でした。戦後は主演数だけではなく、代表作や当たり役、観客動員など助演数以外の全ての部分で大差ついてしまいますが、戦前の日活時代は大河内傳次郎も高い人気や支持を維持しており、競り合っている部分が存在していました。



日活時代の片岡千恵蔵と大河内傳次郎の5番勝負 断片、総集編、縮濃版なども含む

・日活配給含む主演数=片岡千恵蔵 110強 (大河内は約95)
キネマ旬報などのベストテン賞のランクイン数=片岡千恵蔵
          (千恵プロ×日活のみで17、日活全体ではさらに多い)
・巨匠とのコンビ数=片岡千恵蔵 (稲垣浩、マキノ正博、伊丹万作など7名70強、大河内とほぼ互角)
・オールスターの主演数=片岡千恵蔵 (千恵蔵は10作、大河内は9作)
・有名題材の主演数=大河内傳次郎 
          (丹下左膳 大岡越前守 水戸黄門 国定忠治など約70、千恵蔵は約60)
・主な代表作数=60強から70付近でほぼ同格 
・観客動員=不明 互いに戦前は上位の通産観客動員だったと考えられる
          (主演やオールスター数は千恵蔵が15多いが、大型作数の多さから大河内の可能性)




日活時代は比較的どっこいどっこい 時空を越した奇跡の競演




キネマ旬報などのベストテン賞のランクイン数=現在よりも映画賞がものすごく少ない時代であり、当時でこれだけの膨大な数を獲得していました。現在ならこの数倍の数を獲得していたということがいえます。

評論家の全般的な評価は片岡千恵蔵でした。この7番勝負では片岡千恵蔵の方が全般的に上回っている状況があります。どの部分を重要に考えるかでも互いの評価が変ります。有名題材の主演数は大河内の題材重視路線、千恵蔵の前衛重視路線(ナンセンス時代劇や明朗時代劇の形成と牽引などの大きな実積を残す)などからも互いの活動路線に違いはありました。時代劇の場合は有名題材も評価の一つになるため、評価に含めています。


題材重視路線=先人の形成した題材を守りながら自分流のアレンジなど
前衛重視路線=有名な役柄や既存の概念に敬意を払いながら、新しい時代劇映画のジャンル形成への挑戦など


守ること以上に挑戦することは現代も同じですが、当時も難しい部分でした。


銀幕を知る男『毒蝮三太夫』が選ぶ発掘!昭和の大スター映画 「義理と人情 股旅時代劇編」3本セット


毒蝮三太夫によって時空を越した片岡千恵蔵と大河内傳次郎の名作同士による奇跡的な競演が実現
おまけにしては大き過ぎる長谷川一夫(当時・林長二郎)も登場






7大巨匠VS6大巨匠の激突





例えば、片岡千恵蔵は稲垣浩や伊丹万作、マキノ雅弘の3巨匠との主演コンビ10作以上で大成功していますが、大河内傳次郎は伊藤大輔のほかの巨匠とは10作以上の名コンビがありませんでした。

片岡千恵蔵の出演に関しては日本映画最初の巨匠・牧野省三や日本映画最初の大スター・尾上松之助の愛弟子の池田富保を含めた4巨匠の作品に10作以上の出演を果たしています。逆に大河内傳次郎は伊藤大輔、池田富保の2名に10作以上の出演を果たしていました。10作以上や5作以上の出演に関しては下記にようになっています。



日活時代の片岡千恵蔵の10作以上の出演 稲垣浩、マキノ正博、伊丹万作、池田富保 4名
日活時代の大河内傳次郎の10作以上の出演 伊藤大輔、池田富保 2名


日活時代の片岡千恵蔵の5作以上の出演 稲垣浩、マキノ正博、伊丹万作、池田富保 4名
日活時代の大河内傳次郎の5作以上の出演 伊藤大輔、池田富保、渡辺邦男、稲垣浩 4名




伊賀の水月剣雲三十六騎 [DVD]

日活時代劇を支えた巨匠・池田富保の数少ない製品化作品の『伊賀の水月 剣雲三十六騎』(1942)、
伊賀の水月は荒木又右衛門の題材としても何度も付けられている映画タイトルです。
オールスターまでは届かないキャスティングでしたが豪華です。

阪東妻三郎がもっとも得意とした十八番の剣戟を駆使する剣豪役、主演の荒木又右衛門を演じていました。
下の写真は阪東妻三郎ですが、上の写真は現代劇を中心に活躍した渡辺数馬役の滝口新太郎だと考えられます。
滝口新太郎は日活多摩川の現代劇の主演スターとしてのピークは1933~1939年と短期間でしたが、
この頃の日活は時代劇が中心であるため、2枚目俳優の要因として時代劇映画へ20作以上の助演や脇役の出演がありました。





配給含む日活時代の片岡千恵蔵や大河内傳次郎と巨匠たち 断片、総集編、縮濃版なども含む




日活時代の片岡千恵蔵と巨匠たち(千恵プロ×日活、日活) 1929~1934、1936~1942

・稲垣浩 30作 すべて主演
・マキノ正博 19作 すべて主演 39
・伊丹万作 16作 全て主演 55
・池田富保 11作 主演6 助演5 66
・伊藤大輔 3作 主演2 助演1 69
松田定次  2作 すべて主演 71
・渡辺邦男 1作 すべて主演 72

通算72作




*マキノ正博=のちのマキノ雅弘
片岡千恵蔵と稲垣浩や伊丹万作のコンビは日活の配給以前は含んでいません。
*1929~1934、1936~1942 千恵プロは1935年のみ日活を離れて新興キネマと配給関係を結んでいました。


日活時代の大河内傳次郎と巨匠たち(日活) 1926~1937

伊藤大輔 31作 主演30、助演1
池田富保 18作 主演6 助演12 49
渡辺邦男 8作 主役8 57
稲垣浩 8作 全て主演 65
内田吐夢 2作 主演 67
村田実 1作 主演 68
通算68作




片岡千恵蔵の方が幅が広い巨匠と日活時代に多くのコンビを組んでいました。稲垣浩、マキノ正博、伊丹万作、池田富保、伊藤大輔、松田定次、渡辺邦男の7大巨匠と1作以上のコンビ作がありました。これも彼の大きな評価といえます。大河内傳次郎はマキノ正博や伊丹万作とのコンビがありませんでした。逆に片岡千恵蔵は村田実と内田吐夢とのコンビは日活時代にはありませんでしたが、戦後の東映時代に10作以上で大きく関わることとなります。片岡千恵蔵と村田実は日活時代には縁がありませんでしたが、1935年の新興キネマの配給時期に1作のコンビ作があります。


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1946年、戦後の日本映画界で初の大ヒットシリーズとなったのが、「七つの顔」からスタートした「多羅尾伴内シリーズ」、別名「七つの顔の男シリーズ」(初期から中期は巨匠・松田定次が監督)であり、「月光仮面」、「仮面ライダー」など数多くの後世への影響を与えた部分が存在しています。

片岡千恵蔵は時代劇映画でも大ヒット作を数多く送り出しながら、23作のギャング映画と並ぶ、現代劇映画の十八番として大映から東映で作られ、通産でかなりの観客動員を記録した作品としても知られています。

時に探偵、時に刑事、特に浮浪者など神出鬼没の謎の男の活躍を描いた斬新な異色作であり、奇想天外の内容も受け入れられ、1946年から1960年までさまざまな工夫を織り交ぜて、15年11作が公開されました。多羅尾伴内は片岡千恵蔵の10つを越す映画の当たり役の一つです。





今回のタイトル「映画歴代対決没発 七つの顔の男と7番勝負」の由来は戦後の片岡千恵蔵の代表作シリーズの一つ「多羅尾伴内」の別名「七つの顔の男」をヒントにして、大河内傳次郎の目線を軸にしたタイトルです。7番勝負の意味も含んでいます。



裏側リンク  ↓ ↓

特定人物を正義を振りかざすようにぶり返し取り上げる不公平と石原裕次郎

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2017/08/04 00:14 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突

【ハリウッド不可能】石原裕次郎大河内傳次郎片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突と題して進行します。


流れとしては大友柳太朗のことを取上げていますが、今回は前回に少し取上げた戦前の日活映画の黄金期に関して迫りたいと思います。

日本にはハリウッドにも不可能な世界で不世出のキネマスターが存在していました。海外の俳優にも不可能な主演300作の俳優が3名も存在している過去の大映画大国の日本。ハリウッドは映画主演300作俳優はゼロです。

到達順に尾上松之助片岡千恵蔵、市川右太衛門の3名です。さらに日本には主演作が200作以上で300作の映画に出演している俳優は通算で6名います。到達順に尾上松之助片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門の4名です。長谷川一夫は出演が300作をギリギリで越した説はあるが明確なデータがないため含まない。
ハリウッドも追随を許さないハリウッドに不可能な世界的な不世出のキネマスターの大きな功績と事実をマスコミは取り上げません。



前回記事⇒【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層



不世出=めったに世に現れないほど優れている
キネマ=映画、シネマなどを指す



石原裕次郎のNHK特番『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰なテレビ関係者の優遇




石原裕次郎は残念ながら上記の6名と比べるまでもないですが、さまざまな面で劣っています。ですが、テレビは今でも彼のことをガンガン誇張し続けています。これはいかがなものでしょうか。

最近のNHKのBSの番組で石原裕次郎の特番『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』が放送されました。残念ながら誇張や優遇が含まれためちゃくちゃ大げさな番組に呆れてしまいました。


今記事の裏側⇒NHKの『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰な煽り番組は問題だらけ
歴代ナンバーワン俳優の千恵蔵VSテレビ関係者に好かれた裕次郎の世紀を超えた衝突の序章に高倉健の顔

反れそうなのでを戻りましょう。日本には石原裕次郎を圧倒的に上回る真の映画スターが数多く存在していました。時代劇俳優たちです。そうなんです。映画愛子もさまざまな情報に精通しているつもりですが、日本のナンバーワン映画スターは上が時代劇俳優です。日本映画の歴代の代表作数と主演数のバランスによる上位10選は10位の鶴田浩二を除いて、上記の5名を含む全て時代劇映画中心の俳優です。



石原裕次郎ポスター大全集―2000年記念作品〈vol.1〉 (2000年記念作品 (Vol.1))
映画の一つの楽しみがポスターの存在です。彼もポスターに栄えていました。





大河内傳次郎と沢田清 決め手は巨匠 大きな代表作やヒット作数 有名な役柄の4拍子



前回の記事の沢田清も交えた部分から再びタートします。

大河内傳次郎=日活時代劇映画のみで主演が90作以上、60作以上の主な代表作
片岡千恵蔵=自身の映画会社の千恵プロの日活配給、日活の専属の時期を合わせて主演が125以上、60作以上の主な代表作(上記の2名は他でも主演で活躍していますが日活の時期のみです)

・沢田清=日活時代劇映画のみで主演が70作以上


大河内傳次郎(大河内伝次郎)と沢田清は主演数のみでは15作ほどの差しかありませんが名匠、巨匠とのコンビや大きな代表作やヒット作数、有名な役柄などの密度のレベルが全然違います。沢田清は名監督とのコンビはありましたが、巨匠とのコンビはほとんどありませんでした。大河内傳次郎は巨匠の伊藤大輔とのコンビが日活時代だけで30を越していました。主演数は片岡千恵蔵と比べると大きな差がありますが、主演数以上に大河内傳次郎は日活の大スターでした。



伊藤大輔の映画ファンが涙ものの貴重なパンフレットを発見





時代劇六大スターと配給会社の激戦



片岡千恵蔵は戦前と戦後を含めた通産では、長谷川一夫や市川右太衛門と戦後も競い合うライバルでしたが、戦前のみに競い合っていた相手の1人が大河内傳次郎であり、戦前は時代劇六大スターの二人と称されたように高いレベルで競り合っていました。

大河内傳次郎や片岡千恵蔵が時代劇の最大手の日活配給が9割の1930年代全般の時期、長谷川一夫、市川右太衛門は時代劇映画で2番目の松竹配給(現代劇中心の会社)、阪東妻三郎、嵐寛寿郎は当時の大手3番目といえる新興キネマの配給俳優でした。阪東妻三郎は松竹の阪妻プロの乗っ取り騒動が明るみに出て、松竹と裁判などでもめた末、阪東妻三郎は事実上の左遷を受けてしまい、1931年に松竹配給から事実上の傘下の新興キネマの配給へ飛ばされました。これらの時代劇六大スターと配給会社の現状維持は1937年まで続きます。




1910年代から1920年代後半までの剣戟映画(のちに時代劇に含まれる)から離れて時代劇映画のそのものや時代劇の最大の黄金期をトップで形成した俳優たち=時代劇六大スター=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、大河内傳次郎、長谷川一夫、市川右太衛門


時代劇六大スター 戦前篇―藤波米次郎コレクション
有名な時代劇六大スター




日活時代の最大のライバル 大河内傳次郎と片岡千恵蔵の激戦



競り合うという言葉は部分的に大河内傳次郎が上回る部分があれば、片岡千恵蔵が上回る部分があったということを意味しています。戦前と戦後を含めたトータルで評価してしまうと片岡千恵蔵の方が主演320作以上、4巨匠と20作以上の主演作や8巨匠と10作以上の映画などの数多くの功績や影響、数多くの世界記録がありますが、大河内傳次郎は通算で主演150作強の主演作がありましたが、世界記録は特になしなど数多くの面で大差が存在しています。


一方、片岡千恵蔵はマキノプロ、千恵プロ、日活、大映、東映のさまざまな時代や映画会社に対応した40年近くの歴代トップスターでしたが、大河内傳次郎は1937年に東宝へ移籍するとあまり成果が挙げられずに2番手や助演が増えていきました。主演の代表作も急激に減少していきます。

大河内傳次郎は日活時代の約10年程が主演スターとしてもっとも輝いたピークでした。戦後に日活の体制は大きく変りますが、石原裕次郎もこの2名の影響を大きく受けています。さらに小林旭は片岡千恵蔵を尊敬していたという話を聞いたことがあります。現実に日活時代に「~だぜ」のタイトル映画や東映移籍後に「多羅尾伴内」のリメイクを2作でしています。

というか千恵蔵と大河内が存在していなければ、戦後の日活はまったく別なものになってるため、石原裕次郎や小林旭、吉永小百合や他の有名俳優さえ芸能界に存在していないかったでしょう。



1959年東映作品しおり 若櫻千両槍 B5サイズ・2つ折りタイプ 東千代之介 里見浩太郎 大河内傳次郎 映画パンフレット・兼用1959年東映作品しおり 若櫻千両槍 B5サイズ・2つ折りタイプ 東千代之介 里見浩太郎 大河内傳次郎 映画パンフレット・兼用


若桜千両槍』は東千代之介の主演作に1957年から東映の助演俳優の専属となった大河内傳次郎も出演しています。映画は戦前から100作以上が多く作られたいわゆる”槍もの時代劇”で現在でも有名な槍の名手の笹野権三郎を東千代之介が演じています。ちなみに上記のしおりは1959年となっていますが映画の公開は1960年2月です。

若桜千両槍』は25作以上を越す名コンビを形成した監督の河野寿一×主演映画90作強の大スター東千代之介、さらにドラマでも活躍した河野寿一×時代劇映画を143作も脚本した結束信二の名コンビ作

大河内傳次郎は「槍の又兵衛」として世に名を轟かせた高田又兵衛を演じています。笹野権三郎と高田又兵衛の2大槍使いを描いているところが面白い所です。


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2017/07/19 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層


【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑大友柳太朗が共演の深層



さらに映画出演270作の大俳優に関して進めていきたいと思います。
前記事の『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』を取り上げていますが、まだまだそれだけではありません。

前回記事⇒映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする





大友柳太朗の『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』 浅香新八郎沢田清




『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』 1938年


さらに有名題材の大岡政談の1938『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』の姉妹作で、大友柳太朗は両作で主役を務めながらも別役を演じています。これも大きな特徴です。大岡政談なので大岡越前が登場する映画ですが、助演として登場します。

『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』夜』の大岡越前役は日活時代に時代劇の映画スター・沢田清などの2、3番手スターとして活躍した浅香新八郎でした。浅香新八郎は日活から新興キネマへ移籍しましたが、移籍後は上位といえるほどの活躍はできませんでしたが、主演である程度の実積を残した時代劇の映画スターです。沢田清は日活の1930年代の前半にトップだった日活専属の大河内傳次郎(大河内伝次郎)や日活配給の片岡千恵蔵と比べる実積や人気、個性が格段に劣りますが、主演70作は本数的にも戦前の時代劇映画のトップの日活の黄金期へ十分な貢献した人物の1人だったといえます。



大河内傳次郎=日活時代劇映画のみで主演が85作以上、60作以上の主な代表作
・片岡千恵蔵=自身の映画会社の千恵プロ制作の日活配給、
  日活の専属の時期を合わせて主演が125以上、60作以上の主な代表作
(上記の2名は他でも主演で活躍していますが日活の時期のみです)

沢田清=日活時代劇映画のみで主演が70作以上
 『落花剣光録』3部作や『隠密七生記』前後作、「弁天小僧」2作など主な代表作は20作近く


1960年東映作品しおり あらくれ大名 B5サイズ・2つ折りタイプ 市川右太衛門 香川京子 里見浩太朗 大河内傳次郎 若山富三郎 映画パンフレット・兼用
1960年東映作品しおり あらくれ大名 B5サイズ・2つ折りタイプ 市川右太衛門 香川京子 里見浩太朗 大河内傳次郎 若山富三郎 映画パンフレット・兼用

振る舞いと姿、素晴らしい描写の表紙です。愛子も視聴している上記の写真の映画主演300作の大スター市川右太衛門の秀作時代劇の『あらくれ大名』(東映、1960、監督・内出好吉)に大河内傳次郎が出演しています。大河内傳次郎市川右太衛門が演じる主人公の松平直次郎の父でありながら、敵役ともいえる立場になる徳川家康を助演していました。この家康はいわゆる”たぬきおやじ【狸親父】”の家康です。このたぬきおやじの映像におけるイメージには大河内傳次郎も一役買っていた可能性があります。また、大河内傳次郎は9作作られた市川右太衛門の「大名シリーズ」では2度の徳川家康を演じています。






『お洒落狂女(1938)』 中村鴈治郎の影と未来の美空ひばりの晴れ姿が見えた



『お洒落狂女(1938)』 1938年

大友柳太朗は紫頭巾や快傑鷹、雄呂血、影法師などの原作者・脚本の代表作がある寿々喜多呂九平が監督を務めた『お洒落狂女(1938)』で、主演の中村芳子の相手役を演じました。中村芳子という女優は父が初代の中村鴈治郎、夫がのちの四代目の中村富十郎、現在でいう松たか子や寺島しのぶのような歌舞伎の家系に生まれた女優でした。当時なので女性という理由もあって控えめな活動に収まってしまいましたが、現代ならもっと活躍できていたかもしれません。

中村芳子は映画でヒロインと主演が合わせて7作ありました。1937~1952年までの15年間の出演作のすべてのヒロインや主役であり、本数は少ないですが女優としてはある程度のスターだった、または売り出していたことがわかります。


中村芳子は下記のこの人とは別人です。
いま、働く女子がやっておくべきお金のこと
もう1人の中村芳子さんでした。





原作は本田美禅(ほんだ びぜん)でその代表作が「御洒落狂女」でした。戦後は東映で花柳小菊、月形龍之介などの『お洒落狂女(1952)』、さらに同じく東映の映画黄金期に美空ひばり、高田浩吉などの豪華キャスト『ひばりのおしゃれ狂女』(1961年)として公開されています。

「御洒落狂女」の映画は1926~1961年の35年間で5度映画化されているので評価を受けていたことが分かります。「御洒落狂女」は日本映画ファンならそこそこ有名な題材です。『お洒落狂女(1938)』への出演は大友柳太朗にとっても価値がある相手役でした。

大友柳太朗はのちの1963年に『変幻紫頭巾』で『お洒落狂女(1938)』の監督の寿々喜多呂九平の原作の代表作の一つを主演で演じています。”25年後にあのときの監督の原作の主演映画が公開される”これは不思議な縁です。


御洒落狂女 (前篇) (美禅伝奇コレクション)
本田美禅の代表作「御洒落狂女」





『忍術関ケ原 猿飛佐助』大河ドラマ1作目『花の生涯』の尾上松緑 多くの謎が浮上




『忍術関ケ原 猿飛佐助』 1938年

監督は森一生、脚本は依田義賢の豪華コンビでヒロインに若き日の森光子を迎えた猿飛佐助の題材作です。原作が無いのもすごさです。脚本家や製作者の意図で言い伝えや講談などのよさを残しながらデフォルメする、敬意も払われていると考えられます。大友柳太朗は主演で猿飛佐助を演じています。


尾上松緑の名も確認できます。大河ドラマ1作目『花の生涯』に主演した歌舞伎俳優の2代目の尾上松緑です。尾上松緑は戦後の歌舞伎界を支えた重鎮であり、テレビや映画へも出演しています。兄の11代目の市川團十郎は一時的なブームを巻き起こした俳優でしたが、尾上松緑は比較的に地味な芸風で着実な支持を広げていきました。

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残念ながら部分的な話数のみしか残されていませんが、雰囲気を感じることができます。尾上松緑が主演でした。松竹の現代劇映画のトップといえる活躍を成した俳優の佐田啓二との共演シーンも見どころです。



『忍術関ケ原 猿飛佐助』の公開時、2代目の尾上松緑は存在していました。3年前の1935年に襲名を果たしていたからです。ですが、ここで大きな謎が浮上します。1927年のマキノプロから新興キネマの時代まで陸続きで映画の出演履歴があることから別人の可能性が指摘されます。2代目の尾上松緑は1913年生まれです。本人であるとすれば数え年は25歳です。この時点では本人の可能性があります。それなら初代の尾上松緑に疑いの目が向かいます。



裏ブログ⇒190歳の尾上松緑 日本映画の最初の巨匠から大友柳太朗への贈り物
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2017/07/05 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする


大友柳太朗は、松竹傘下の映画会社の新興キネマの京都で映画スターとしてデビュー、30作ほどの主演映画が作られました。その後、新興キネマが1942年に合併して大映映画となったときに大友柳太朗は大きな変化に見舞われます。主演俳優を事実上で下ろされて、2番手や3番手俳優、またはそれ以下の助演の映画出演を余儀なくされてしまったのです。

前回記事⇒合わせて映画420作 大友柳太朗と中村錦之助の映画110作が秘めたドラマ




映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする




大友柳太朗新興キネマ時代は残念ながら現在に伝えられている大きな代表作がありませんでした。ないのか、本当に代表作は存在していないのか、そんなことはありません。代表作はたくさんありました。ただちゃんと伝えていないだけなのです。

大友柳太朗は有名な役柄、または有名な題材に多く出演しています。これは俳優のステータスにもつながるため、ある種の代表的な作品に含まれるかもしれません。そのいくつかをショベルカーでざくざく掘り上げていきます。



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戦前の日本映画の大手からは少しかけ離れていましたが
日本映画の”伸びしろ”に貢献した会社が新興キネマでした。






佐賀怪猫伝』 ヒロイン150作を越す大女優・鈴木澄子の存在感



のちの戦後の大映でヒットする時代劇題材の一つ、1937『佐賀怪猫伝』です。いわゆる怪猫ものです。”かいねこ”と書いて”かいびょう”と読みます。怪猫ものは時代劇で人気がある怪談とも通じる派生的なジャンルともいえます。古い言い伝えに猫に人間の魂が宿るという部分があります。辛い思いを抱えて死んだ恨みを持つ人間と猫を関連付けているのが基本的な怪猫もの映画です。怪猫もの映画は確認できるだけでも30作以上も作られています。

戦後の『怪猫有馬御殿』(1953)から始める入江たか子の老婆が話題になった”大映の怪猫シリーズ”も有名ですが、古くは1910年代の日活や天活などから制作されています。1937年から新興キネマの怪猫シリーズは4作が作られていますが、そのすべてに鈴木澄子が主演しています。ヒロイン数が150作以上の戦前の大女優・鈴木澄子の怪猫シリーズの1作目が『佐賀怪猫伝』です。この作品は大ヒットしたと記録が残されています。この映画の男役の主演が大友柳太朗でした。大友柳太朗の映画出演の第2作目であり、最初の代表作です。





鈴木澄子の怪猫ものシリーズ(新興キネマ)



鈴木澄子が主演した怪猫ものシリーズ(新興キネマ)
佐賀怪猫伝』  1937.02   監督 木藤茂    大友柳太郎、鈴木澄子
『怪猫五十三次』  1938.05    監督 押本七之輔 鈴木澄子、大谷日出夫
『怪猫謎の三味線』  1938.11   監督 牛原虚彦   鈴木澄子、森静子
『怪猫赤壁大明神』  1938.12   監督 森一生    鈴木澄子、歌川絹枝



鈴木澄子が主演した怪猫シリーズの監督はすべてばらばらでした。『佐賀怪猫伝』 の監督の木藤茂は日活の現代劇ので大巨匠・溝口健二に師事し俳優から監督へ転身、俳優と監督でいくつかの代表作を残しました。木藤茂は佐賀ものを含む怪談映画を7作も監督しました。7作も監督した理由が新興キネマの監督1作目の『佐賀怪猫伝』 が大ヒットしたことが原因だと考えられます。さらに時代劇の名監督の押本七之輔、森一生、1920年代から30年代にかけて松竹の現代劇の男性映画を事実上の確立させた履歴を持つ巨匠・牛原虚彦も監督しています。


日本映画傑作全集「怪猫 謎の三味線」 主演 鈴木澄子 牛原虚彦監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)
日本映画傑作全集「怪猫 謎の三味線」 主演 鈴木澄子 牛原虚彦監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)
モノクロに映える眼光は鋭く、見る者の興味を引きつける。
鈴木澄子は怪奇、化け物は当たり役となり、現在でも知られる伝説的女優。
怪猫ものシリーズもいくつかある代表作の一つです。



『怪猫謎の三味線』の新興キネマのオールスター



この中で『怪猫謎の三味線』 は新興キネマのオールスターといえるキャストでした。鈴木澄子、森静子、歌川絹枝、高山広子、若き日のあの森光子、ヒロイン&主演女優の5スターを中心に、新興で活躍した主演スターの浅香新八郎、映画300作の大重鎮の松本泰輔、林長二郎や高田浩吉、坂東好太郎の”松竹時代劇三羽鴉”に次ぐ、主演数を1931~1934にかけて記録した尾上栄五郎、主演が50作を越す喜劇俳優の伴淳三郎、松竹蒲田の元ヒロイン女優の梅村蓉子、主演260作の超大スター・嵐寛寿郎の盟友の嵐徳三郎などが出演しました。10名以上のスターが出演していました。






『水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻』 水戸黄門映画でも光圀が主役とは限らない




おなじみの水戸黄門や水戸黄門漫遊記の題材の1937『水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻』、水戸黄門役は映画に300作以上出演した大名優&大俳優の松本泰輔ですが、主役はタイトルの通りに九紋竜の長次は大友柳太朗です。水戸黄門だからといって主役が光圀とは限らない部分も、この頃の時代劇映画の多様性の凄さです。現代劇には不可能な普遍性と多様性が時代劇映画には存在し、当時の高い人気へ影響していました。




『水戸黄門 天下の大騒動』(1960)は、戦前から戦後を含めて主演150作ほどの大俳優の大河内伝次郎の最後の主演映画でした。また、東映時代でただ一つの主演映画です。水戸黄門は大河内傳次郎、助さんを品川隆二、格さんを山城新伍が演じています。さらに近衛十四郎と里見浩太朗も重要な役柄で出演しています。






『静御前』 大女優・山田五十鈴とまだ見ぬ巨星・片岡千恵蔵の影




大友柳太朗は1938『静御前』で主演の静御前役の山田五十鈴の相手役の源義経を演じました。大女優の山田五十鈴は時代劇栄えする顔立ちや所作の持ち味から1930年代の映画から、1980年代の「必殺シリーズ」へのテレビ出演まで、数多くの時代劇映画やテレビ時代劇に出演しました。

山田五十鈴はのちの大友柳太朗の大映、東映時代の大先輩・片岡千恵蔵と『瞼の母(1931)』(『番場の忠太郎 瞼の母』)、1931『国士無双』、1932『闇討渡世』、1932『弥太郎笠 去来の巻』、『弥太郎笠 独歩の巻』、戦後初の忠臣蔵の本伝映画『赤穂城』(1952)から始まる3部作、『弥太郎笠(1955)』などの約10作の代表作で共演を果てしいます。


*大友柳太朗は新興キネマ⇒大映⇒東映が主な専属の映画会社でした。




片岡千恵蔵の大ファンでも知られる毒蝮三太夫のプレゼンツ 「番場の忠太郎 瞼の母」
真実の日本映画を知る評論家の佐藤忠男も参加



低予算が多い松竹傘下の新興キネマの中、映画スターが15名ほども出演したオールスターの大作でした。これも大友柳太朗の戦前の代表作といえるでしょう。松竹の重役だった白井信太郎がその傘下の新興キネマで制作を務め、マキノ省三賞を脚本家で最初に受賞した巨星・八尋不二が手がけました。

八尋不二は、日本映画の105年以上の歴史の中で通産の脚本数400以上(現存データは300ほど)とも言われ、歴代で代表作がもっとも多い映画脚本家です。世界の歴代で1位の映画脚本数を誇ります。戦前と戦後を通じで活躍し、時代劇やその映画にもっとも貢献した脚本家としても知られています。

今回は大友柳太朗の埋もれた初期の映画主演の代表作をショベルカー(=今回の記事の内容)でその一部をざくざく掘りあげていきました。


大友柳太朗と超大物の主演100作で出演250作以上やその近辺の映画俳優たちの記事も有
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裏面展開「映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』、『静御前』をショベルカーする」


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2017/06/18 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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