FC2ブログ

浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ





歴代映画俳優から人気タレントグループ(テレビが良く魅せるためにブランド価値を高めるためにアイドルだと決め付けている彼女ら、主な活動は深夜番組と広告、たまにゴールデンのゲストのテレビタレント)の時代になっても パパ活と枕営業は過去も現代も続いています。疑惑が現実なのか、ここにも迫ります。




岡部美濃守が主演の忠臣蔵映画は片岡千恵蔵(主演本数350近く)と長谷川一夫(主演本数280近く)の日本映画歴代ナンバーワンを競う超ライバル同士が演じています。

忠臣蔵映画(関連作も含む)における大石内蔵之助役(千恵蔵5作、長谷川1作)や浅野内匠頭役(千恵蔵13作、長谷川4作)だけではない、別の共通点です。この部分が2人の忠臣蔵において意味がある部分だと考えています。




今回も独自な切り口の事実の提示、皮肉りや疑惑への批判、芸能の現代と過去のつながり、真の日本映画の魅力も盛り込んで、多彩な要素を詰め込んでいます。「浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ」のスタートです。




第92回アカデミー賞イエスタデイ アメリカン次郎長誕生とカメラが2度激写した有名女優の谷間3パイ勝負



*ガッチンコは映画対決以外の映画関係者の交わる意味も含んでいるとしたら・・・この後 真相へ






浅野内匠頭を超えて 岡部美濃守の忠臣蔵映画





忠臣蔵映画は大石内蔵之助や浅野内匠頭だけではありません、実に多彩、大まかに数十方向に分裂、ここまで多彩に発展した題材は世界的にもほぼありません。それほど忠臣蔵映画は優れた題材です。先人が現代人為伝えてくれた残してくれた伝えなくれはならない”日本人や日本映画の宝”です。その宝の一つを示すのが岡部美濃守です。



岡部美濃守の忠臣蔵映画の話は講談が元だとされ、それを元に林不忘がデフォルメなどを加えて小説の原作を書き、映画として栄映像化に至ります。後に吉良上野介を刀傷する浅野内匠頭の前に、吉良上野介の接待役(勅使など)を任された人物と描かれて、岡部も浅野と同様に吉良からのいじめを受けましたが、



岡部はワイロやいじめに耐え続けた人物、さらに吉良に仕返しをした人物としても描かれています。浅野内匠頭は吉良へのワイロは正義感を貫いたと描かれますが、刀傷を起こすため、いめには負けてしまうことになります。

この互いの吉良を通じた岡部と浅野の共通点と差異を描いている部分が、忠臣蔵の面白さを側面から高め、題材のリスペクトにもつながり、岡部美濃守の忠臣蔵映画の上位の魅力といえるでしょう。片岡千恵蔵長谷川一夫が忠臣蔵映画の多様性をさらに拡大させた、面白くしたといえるでしょう。









大石内蔵之助
 日本映画の宝 講談 林不忘 浅野内匠頭 吉良上野介 接待役 勅使 ワイロ 岡部美濃守 片岡千恵蔵 長谷川一夫 忠臣蔵映画









片岡千恵蔵の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画







片岡千恵蔵の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画>

1931『元禄十三年』 製作=千恵プロ(片岡千恵蔵プロダクション 配給=日活
監督=稲垣浩 脚色=伊丹万作 原作=林不忘 撮影=松村清太郎 音楽=サイレント映画のためなし

~主要キャスト~
岡部美濃守、その弟の岡部辰馬(2役)=片岡千恵蔵 主演
糸重(辰馬の妻)=入江たか子 ヒロイン
吉良上野介=三桝豊 助演の主要
土屋相模守=市川小文治 助演


*千恵プロ(略称)=片岡千恵蔵プロダクション=千恵蔵による映画を100本強を製作し、もっとも大当たりした映画スターのよる戦前の映画会社。数多くのライバルと対し、もっとも多数の名作やのちの巨匠、名匠、大撮影者、名優と重役の輩出、明朗時代劇(のちの東映の時代劇や現在中心の時代劇)、股旅時代劇、喜劇時代劇などのいくつかの映画ジャンルの形成など、多数の伝説を残し、のちの日本映画に多彩で深く貢献。




監督は千恵蔵と名コンビで数多くの名作を残し、映画監督として大ブレイクの時代劇映画歴代の大巨匠の稲垣浩、脚色は千恵蔵との名コンビでいくつかの名作を残し、脚本家や原作者としても評価が高く、後世への影響も大きい多彩に活躍した時代劇映画作家&映画作家の伊丹万作、さすがに千恵蔵×稲垣×万作の日本映画史の稀代の名トライアングル、この映画そこそこな評判だったようです。


大石と浅野は登場していない映画、一時は恋仲、世紀の大カップルともなったといわれる大スター同士、千恵蔵と入江たか子の最初の劇映画の主要共演作(劇映画以前は日活撮影所の幻のドキュメンタリー映画1931年の『日活オンパレード』が初共演)です。映画監督&貴重な映画の語り部を続けている大林宣彦は、14年ほど続いている自分のCS番組「大林宣彦のいつかみた映画館」で、自分の作品に起用したとき、晩年の入江たか子に千恵蔵との秘話を聞いたと何度も語っています。



あの田中絹代とも一次的に競い合った戦前を代表する映画女優の入江たか子は、長谷川一夫とも多数共演していますが、彼ではなく、恋仲が破綻して以降も亡くなるまで千恵蔵を大尊敬していた。これは何を物語り、意味しているのでしょうか。俳優や映画製作者だけではなく、人間的にも非常に優れていたのではないでしょうか。



さまざまなエピソードがそれぞれで残させていますが、長谷川一夫は監督ともめるなどの頑固で馬鹿まじめ、片岡千恵蔵は多様性を重んじ、自分だけではなく周囲思いの親分肌だったといわれています。もちろんこれもほんの一部分です。



映画女優 (1957年)
映画女優 (1957年)

のちの後輩映画女優たち、原節子や吉永小百合の清純派女優&イメージ女優の存在にも多大な影響を与え、現代に日本の清純派女優&イメージ女優の形成に大きく貢献した伝説の映画女優、入江たか子に関するエピソードの一部が垣間見える書籍





林不忘 松村清太郎 千恵プロ 片岡千恵蔵プロダクション 明朗時代劇 股旅時代劇 喜劇時代劇

稲垣浩 映画作家 伊丹万作 千恵蔵×稲垣×万作 日本映画史の稀代の名トライアングル 

世紀の大カップル 日活撮影所 日活オンパレード 大林宣彦のいつかみた映画館 田中絹代 原節子 吉永小百合 清純派女優 イメージ女優 伝説の映画女優 入江たか子






長谷川一夫の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画







<長谷川一夫の岡部美濃守を演じた忠臣蔵映画>
1957『刃傷未遂』  大映(京都)=岡部美濃守 大石は登場なし

監督=加戸敏 脚色=伊藤大輔 原作=林不忘 撮影=牧田行正 音楽=鈴木静一

~主要キャスト~
岡部美濃守=長谷川一夫 主演
糸重=岡田茉莉子 ヒロイン
吉良上野介=柳永二郎 助演
岡部辰馬=勝新太郎 助演
浅野内匠頭=夏目俊二 脇役




加戸敏は、長谷川一夫の戦後の最大の当たり役の「銭形平次シリーズ」(別名「銭形平次捕物控シリーズ」を4作監督、長谷川とのコンビはこれを含む13本の娯楽路線の映像化監督=プログラムピクチャー)、また、長谷川こ後継俳優の市川雷蔵の主演作は6作、助演含むと10本強を監督しています。その後は映画監督を辞めてから競馬の評論家、解説者としても知られています。個人的にも何本も視聴していますが、大映らしい芸術感覚をちらつかせながら、主演のスターを上手に魅せるのが得意です。


長谷川一夫の『刃傷未遂』の岡部美濃守は26年ほど前に片岡千恵蔵が演じていますし、1931『元禄十三年』と同じ、丹下左膳や大岡政談などの代表作を残した林不忘の時代小説原作のリメイクです。『刃傷未遂』は『元禄十三年』と同様に大石は登場していないですが、浅野は登場(『元禄十三年』は登場しない)し、大映時代劇の1955~1960年の出演履歴を持つ、青年役メインの脇役俳優の夏目俊二が演じています。

元禄十三年』では千恵蔵が演じた美濃守と2役で演じた弟の岡部辰馬は勝新太郎が助演で演じていますし、入江たか子の演じた糸重は東宝から松竹へ移籍する微妙な時期の岡田茉莉子、

吉良上野介は大映や東映の時代劇中心に多数の有名な役柄を演じた助演俳優の柳永二郎。彼は映画と舞台の両輪の名優として知られ、日本映画黄金期に助演の重鎮俳優として多くの名作に出演しています。柳永二郎は個人的にも多数の作品で視聴しているのですが、邦画歴代上位に評価している助演俳優の一人で、悪役が多め、助演として抑え気味にしゃべりや雰囲気を出し、にごしも上手な俳優です。




元禄十三年 (青空文庫POD)
林不忘
青空文庫 (1970-04-15)

元禄十三年 (青空文庫POD)
時代小説家の林不忘の元禄十三年のオンデマンド版



元禄十三年(ゴマブックス大活字シリーズ)
林 不忘
ISM Publishing Lab. (2017-01-20)

元禄十三年の書籍、通常の書籍よりも文字を大きく拡大したバージョン、年代に問わずに気軽に読める、こちらもオンデマンドです。





伊藤大輔 鈴木静一 岡田茉莉子 柳永二郎 勝新太郎

加戸敏 銭形平次シリーズ 銭形平次捕物控シリーズ 映像化監督 プログラムピクチャー 市川雷蔵 競馬評論家 競馬解説者 丹下左膳 大岡政談 夏目俊二 オンデマンド書籍









長谷川一夫と名プログラムピクチャーの秀作映画 イマイチだけどイマイチではない付加価値







1957『刃傷未遂』の映画監督の加戸敏と長谷川一夫のコンビについてですが、個人的には秀作『山田長政 王者の剣』が印象に残ります。これは戦国の武将の山田長政が朱印船で外国、現在のタイへ渡り、現地で妻子を得て、自身は重臣に恐れられるほどの急激な出世を遂げ、タイ王国の存亡の危機を軍勢を率いていくさに勝利するなど、タイ王国の発展のために尽力、最後にはかなく散りゆく日本人の姿を描いた秀作が『山田長政 王者の剣』です。


長谷川一夫は、元歌舞伎の女形だったことから生涯を通じて、女性の雰囲気を漂わす中性的な演技を得意とした俳優、十八番の一つがかなく哀歓(意味=かなしみとよろこび)を込めて散る男の滅びの美学、この作品は晩年の彼のお家芸の一端を見え隠れさせてくれます。この映画は多額の制作費をかけた作品でしたが、興行的には失敗だと記録が残され、長谷川自身のキャリアにとってもさらに両御大(千恵蔵と右太衛門による日本映画の二大トップスターを表現する言葉)との差をさらに広げる結果となり、大映映画にとっても打撃でした。


山田長政 王者の剣』の公開当時、戦前の長谷川を知る年配ファンならそれなりに満足できたでしょうが、戦後から映画を見始めた若い新しい観客の獲得は非常に厳しかったでしょうし、現実に全体は地味な映画です。

片岡千恵蔵と市川右太衛門(両御大)のように、異なる華やかと唯一無二の個性を押し出し、我が意思を凄みで貫く、独自な花道を飾るのわけではなのでなく、長谷川のように演技で避けるように力強さに欠け、憂鬱さと哀しさが漂う映画は知識と視聴経験の薄い若い客層には彼の魅力は理解できませんでした。


長谷川一夫の戦後の大映時代は、戦前からの長期ライバルの東映の片岡千恵蔵や市川右太衛門のように、戦後からの若い観客を獲得できずに大苦戦、現実に興行成績や観客動員の全体的な大差を付けられています。


邦画は1959(昭和34)年は1955年から5年連続8億人を記録の10億8810万人を記録し、邦画は3年連続10億人大台に到達、いわゆる日本映画の最大の黄金期の最中でしたが、『山田長政 王者の剣』(1959)はこの大きな好調の流れに上手に乗れずに失敗した作品でした。ですが、内容の良し悪しは興行成績や観客動員と同様の不振通りとは限りません。


1950年代中盤以降の大映時代劇映画(大映映画そのもの)は全体的に、東映の時代劇映画に大ヒットやヒットさえ、大きな差を付けられていたので大当たりは少ないのが現実です。現代も同じですが地味な印象の作品が多いので基本は客が入りませんが、地味なら映画内容が悪いというわけではありません。観客動員だけではない作品の価値を与え、新たに再評価していくことも映画の魅力、『山田長政 王者の剣』も新たに観ていく、また当時視聴済みでも観直す価値がある映画です。






朱印船 タイ王国 歌舞伎の女形 市川右太衛門 5年連続8億人 3年連続10億人 山田長政 王者の剣






大映社長と縁がある女優 日タイ初映画 まさかの国民的俳優の相手役を勝ち取る私生活







『山田長政 王者の剣』はCS放送のハイビジョン画質版で何度か放送されています。商品化のVHS化はされていますが、残念ながらDVD化はされていないようです。若尾文子はタイで暮らしていて、朱印船で日本へ帰ってしまう序盤のヒロイン的な役柄の日本人女性を演じ、涙の別れ、全体的には第2ヒロインの配置(事実上の助演でもある)ですが、




山田長政 王者の剣 [VHS]
山田長政 王者の剣 [VHS]



中田康子(元宝塚女優、東宝(=東京宝塚映画)から大映映画を拠点とした全体は、助演と脇役の女優を中心とした活動、ヒロインは極わずか、80作ほどの映画に出演しましたが、特に映画女優としては大きな成果はなし、永田雅一と私生活で男女関係があったとされている)が、タイ王国の王女役(ヒロイン役)を演じています。



この不思議な配役には永田雅一の存在が影響していると考えるのが普通でしょう。出演時の中田康子は出演本数は踏んでいるものの、目立つ大きな活躍がないため、私生活の関係がなければ、普通はとれない配役(長谷川という国民的な俳優の相手役)だからです。つまり結論的には枕営業(パパ活)の疑惑が伴います。そう、これは2020年の現代のある疑惑ともつながります。

この疑惑に関するテレビ会見を早くお願いいたします。彼女らのファンが多数いるわけで、まさか”このまま逃げる”ということはないでしょうね?



最近、テレビがコロナウィルスの情報洗脳ばかりを盾にして、マスコミが一団となり一切報道しない、欅坂18歳(欅坂46平手友梨奈、現在がグループ脱退)と欅坂46などのプロデューサー秋元康の人並みならぬカンケイ、不思議で過剰な優遇、週刊文春の現場激写などの疑惑もちらつきます。2019年の立花孝志のときと同様にフタにセンをして纏(まとい)持ちの様に火消しています。欅坂の18歳の件は、今回の映画の永田と中田に通じる部分があり、非常に驚きました。




この映画『山田長政 王者の剣』が中田康子の代表的なものと考えられます。主題歌(オープニング、劇中の別バージョンあり)も印象に残るものであり、創立順の東宝、大映、東映などで活躍した名音楽家の鈴木静一の曲がちょうどよく映えています。


さらにこの映画は、タイ映画のアスピン・ピクチャー社の社長のバヌー・ユガラと大映の社長の永田雅一の共同制作、日タイ合作映画、日本とタイの共同制作映画はこれが初とされています。映画は外国との絡みが全てではありませんが、初があるという面でも意味がある作品だということもわかります。



bb2736『山田長政 王者の剣』spポスター 市川雷蔵 長谷川一夫 中田康子 根上淳 若尾文子
bb2736『山田長政 王者の剣』spポスター 市川雷蔵 長谷川一夫 中田康子 根上淳 若尾文子

貴重なポスターのひとつです。『山田長政 王者の剣』はいくつかポスターが現存しています。リンクは市川雷蔵が最初ですが、彼は作中の3番手の役柄だと認識しています。タイ王国で将来を有望視されるタイ人の若手重臣役で登場します。長谷川一夫、中田康子、市川雷蔵、根上淳、若尾文子、永田靖の表記が劇中の出番と主要から助演の順だと判断しています。





第2ヒロイン
 元宝塚女優 東京宝塚映画 タイ王国の王女

枕営業 パパ活

コロナウイルス 平手友梨奈 欅坂46 秋元康 週刊文春 立花孝志


タイ映画 アスピン・ピクチャー社 バヌー・ユガラ 大映の社長 日タイ合作映画 中田康子 市川雷蔵 根上淳 若尾文子 永田靖





日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2020/03/01 22:13 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

世界最多300作以上映画忠臣蔵の歴代美浪士役の形成貢献した両雄から最大ライバルの爪跡差異





対決要素で描くことに問題を感じる方もいるかと思います。テレビは俳優同士などでこれをやりません。こうしたことは対決をあおるよくないことだと考えているためです。ですが、果たして10割、100パーセントの全てがそうでしょうか、全てがこれだとは考えていません。

過剰すぎる取り上げ方はよくはありませんが、時に真実を無視することにもつながり、互いの実積やお互いの個性が違うこと評価するために、わかりやすく伝えることは、正確に伝えるためには、時に対決的な図式も大事なように考えています。ましてや個人ブログ記事なので、これを無視すると伝えにくい部分があることをご理解いただきたい、



どんな概念でも同じ部分がありますが、他がいて初めて評価の個性が生まれるわけです。そして重要なのは最終的に互いの個性の両方を称えるためだからであり、この部分さえも無視しているのがマスコミやテレビの様に思えるときが多々あります。



都合が良い人間を誇張することは、テレビや企業にとって都合の良い市場や利益につながり、真実を無視して実積が大してない知名度膨張の評価主義や中身の弱いイメージ重視ばかり、偏りの印象操作を誇張したがる、忠臣蔵の劇中で描かれているような、浅野側のみを悪いとする幕府の片手打ちをしていたほうが、テレビ局や広告会社やスポンサーにとってもは利益につながり都合が良いのです。この路線だけでも大きな問題につながる場合があります。

庶民の目線を無視し、全体が企業だからの目線は辞めていただきたい。テレビは都合が良い世代限定の一部のみの世代向けの人間をかいつまんで取り上げ続けて、今もガンガンやっています。


このことも一部に踏まえて、「世界最多300作以上映画忠臣蔵の歴代美浪士役の形成貢献した両雄から最大ライバルの爪跡差異」がスタートです。





前回記事
歴代歌舞伎重鎮の忠臣蔵&黒田騒動が語る 日本のヒーロー&ヒロイン像に超御大千恵蔵映画の影像





忠臣蔵映画でもっとも競い合った美浪士 吉田沢右衛門VS岡野金右衛門と俳優対決








吉田沢右衛門(別名=吉田兼貞)は岡野金右衛門と競い合う、赤穂浪士の中でも上位の美男子、美浪士だといわれる役柄、父で同じく赤穂浪士の吉田忠左衛門(別名=吉田兼亮のほうが映画やドラマで描かれることが多い傾向がありますが、いても描かれる事が少なく、脇役が多めです。


一方の岡野金右衛門は、戦前に1934の日活『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』浅野内匠頭岡野金右衛門(2役) 主役は大石内蔵助=大河内傳次郎で、主要キャストで千恵蔵、1937年の松竹『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』などで黒川弥太郎が出番が多い上位の役柄として演じ、



戦後に1954年の松竹『忠臣蔵 花の巻、雪の巻』の事実上2番手、オオトリ表記の主要キャストで鶴田浩二が演じ、千恵蔵が大石の1959年の東映『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』の出番上位の役柄で大川橋蔵の配役を実現、1962年の東宝『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』は助演で夏木陽介などが演じ、その後も多くの映画やドラマで比較的上位で描かれることが多くある、忠臣蔵を知る人の間では有名な役柄です。




岡野金右衛門は千恵蔵以前にも演じている俳優はいますが、主要の大スターや大ヒットはなく、事実上の千恵蔵が大ヒットした1934『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』を通じて岡野役の形成と定着の役柄の一つといえるでしょう。主演の大スターでは事実上の最初のアタリでした。上記どおり、有名作だけでも事実として大きく活躍した後輩俳優たちが映画で演じていますが、特に大スターの鶴田浩二、大川橋蔵は直接な後輩となる大きな影響だといえます。


一方、長谷川が1932『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』などで演じている吉田沢右衛門(吉田沢ヱ門)は、千恵蔵同様に長谷川以前にも演じた俳優はいますが、自身以外は有名俳優や大スターが演じていない現実があります。長谷川(当時は林)が大きく注目させた役柄だということがよくわかりますが、自身のみのに留まり、戦後はあくまで脇役のポジションに戻ってしまい、脇役がメインで大きな俳優はほぼ演じていません。










長谷川一夫林長二郎)の忠臣蔵映画 1932~1958 26年 14つ

 






長谷川一夫林長二郎)の全体の忠臣蔵映画 1932~1958 26年 14つ 

1932『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』  松竹(下加茂)=浅野内匠頭浅野内匠頭長矩) 前編の部分主演 主演の大石内藏之助=阪東寿三郎
1932『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』  松竹(下加茂)=吉田沢右衛門(吉田沢ヱ門) 事実上の2番手 主演の大石内藏之助=阪東寿三郎
19・・『大忠臣蔵』 松竹(下加茂) 1932の忠臣蔵2作の総集編で国立アーカイブ所蔵の139分尺現存 浅野内匠頭、吉田沢ヱ門(2役)=長谷川一夫 事実上の2番手 主演の大石内藏之助=阪東寿三郎
1932『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』  松竹(下加茂)=吉田沢右衛門(吉田沢ヱ門) 事実上の2番手 大石の登場なし
1937『元禄快挙余譚 土屋主税 落花の巻』  松竹(下加茂)=土屋主税、杉野十平次(2役)  助演の大石内蔵助=嵐徳三郎

1937『元禄快挙余譚 土屋主税 雪解篇』  松竹(下加茂)=土屋主税、杉野十平次  
19・・『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 落花篇 上記の「落花の巻」の現存版で部分欠落版 土屋主税、杉野十平次(2役)
19・・『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 雪解篇』 上記の「雪解篇」現存版で部分欠落版 土屋主税、杉野十平次(2役)
1939『浪人吹雪(1939)』  東宝(東京)=不破数右衛門、浅野内匠頭 吉川英治原作、1955に松竹でリメイク
1939『忠臣蔵 前篇』  東宝(東京)  前編の事実上の主演の浅野内匠頭
10
19・・『忠臣蔵(総集編)』 東宝(東京) 浅野内匠頭  上記前後編の総集編 大石内蔵助=大河内傳次郎
1954『酔いどれ二刀流』  大映(京都)=中山安兵衛 助演の浅野内匠頭=黒川弥太郎  大石は登場なし
1957『刃傷未遂』  大映(京都)=岡部美濃守 大石は登場なし
1958『忠臣蔵(1958)』  大映(京都)=大石内蔵助  2,3番手の鶴田浩二、京マチ子などに次ぎ、事実上4番手的な浅野内匠頭は市川雷蔵
14


上記1~8つは林長二郎名義の時代、9から14は長谷川一夫名義の時代





元禄快挙余譚 土屋主税 落花編 [DVD]
元禄快挙余譚 土屋主税 落花編 [DVD]
元禄快挙余譚 土屋主税 落花編=前編です。『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 落花篇』を元の題名『元禄快挙余譚 土屋主税 落花編』で商品化しています。




元禄快挙余譚 土屋主税 雪解編 [DVD]
ディスクプラン (2009-07-15)
売り上げランキング: 296,651

元禄快挙余譚 土屋主税 雪解編 [DVD]

元禄快挙余譚 土屋主税 雪解篇=後編です。現存する『玩辞楼十二曲の内 元禄快擧余譚 土屋主税 雪解篇』を『元禄快挙余譚 土屋主税 雪解編』の題名で商品化しています。



赤穂義士の赤穂浪士の協力者たちの一人として描かれる場合がある役柄が土屋主税です。あまり描かれていない土屋主税の周囲や自身、赤穂浪士との関りを中心に描いています。

監督の犬塚稔林長二郎名義の時代の長谷川一夫のデビュー作&最初のヒット作、1927『稚児の剣法』(撮影はにのちの特撮の大功労者の円谷英二こと、当時は円谷英一名義)を手掛けた事実上のスター形成の恩師の一人です。犬塚稔の戦後は監督を2作のみで辞め、大映映画の脚本家として「座頭市シリーズ」の脚本がもっとも著名です。








役柄の忠臣蔵映画と品質 事実上のナンバーワン争奪の頂上対決








長谷川一夫林長二郎)の忠臣蔵映画の1932~1958年の26年の14つにおいて、 浅野内匠頭(長期間活躍主演俳優の中で歴代2位)、吉田沢右衛門(吉田沢ヱ門) 、土屋主税、杉野十平次、不破数右衛門、中山安兵衛、岡部美濃守、そして大石内蔵助(1度きり)の8役を演じています。彼は生涯の挑戦した役柄の手数(千恵蔵ほどは手数の幅ほどは全然当たっていない現実があり)は多かった俳優ですが、忠臣蔵においても挑戦した役柄は本数のワリに多彩です。



一方の片岡千恵蔵は服部一郎右衛門、萱野三平、間重次郎、浅野内匠頭(史上歴代最多)、岡部美濃守、岡部辰馬、堀田隼人、岡野金右衛門、立花左近(歴代最多)、大石内蔵之助(長期間主演俳優の主演としては歴代最多、戦後歴代最多)、俵星玄馬の11役を演じています。誰が見れもお分かりだと思いますが、

浅野内匠頭、立花左近、大石内蔵之助は最多記録を3つで記録しているだけではなく、長谷川よりも多彩に当たった上で多くの役柄を演じています。当たっていないもののがほとんどありません。

現実に観られるものは視聴済みですが、戦前と戦後を通じて映画の質や通産の観客動員も数千万人も圧倒的に上、特に戦後のほうが大きな差、さらに千恵蔵の忠臣蔵映画の戦前の数本は評論家にも評価されているものがあります。多様性の評価においても両雄は格差があるということです。



長谷川が映画で1度きりの大石を演じた大映の1958『忠臣蔵(1958)』 は十分にすばらしい映画なんですが、少し問題に感じる部分あり、全体的に東映のほうが王道の映画らしい現代では困難な貫いた内容であり、異物さがありません。

個人的に『忠臣蔵(1958)』は東映の忠臣蔵映画ともちろん比べて観ているわけですが、少々、映画として問題を感じる内容、細かく言うと多門伝八郎の使い方の終盤の難点などを感じています。

東映の王道の忠臣蔵に比べて、大映ならではのアート色を持ち込んだ王道から反れた路線に価値を見出して、忠臣蔵映画の要素として行うことに意味があったともいえるでしょう。東映は誰もが観られる価値を見出しやすい内容ですが、地味さが多く気難しさが多めの大映らしさを感じました。これも反れた目線に創作の幅を求める、注目する創作の一つの形の良さです。





忠臣蔵 [DVD]
忠臣蔵 [DVD]

『忠臣蔵(1958)』、1942年の千恵蔵などの大映四大スターの形成時から数えて、26年目なのに「大映十八周年記念」とあります。正確には「大映十六周年記念」なのではないでしょうか

『忠臣蔵(1958)』と他の忠臣蔵と比べてみると価値や好みにもつながりますし、王道と反れがわかります。個人的には断然東映の忠臣蔵映画です。

『忠臣蔵(1958)』は劇中の事実上の2番手扱いされている通り、上記を見ると岡野金右衛門役の鶴田浩二が大トリ(2番手扱いとも)で表記されています。当時はまだ若手の大スターであり、終盤の見せ場が連続であります。個人的に鶴田浩二の使い方に関しては文句はありません。



忠臣蔵 [VHS]

貴重なVHS版 娯楽とヒットメーカー、スター映画の巨匠渡辺邦男と長谷川一夫の名コンビの代表的な作品でした。



新作ウラ記事
2020-02-11 第92回米国アカデミー賞 日本人の複雑感情の韓国の4部門受賞ドキュメントと老体スコセッシが立った瞬間




日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2020/01/31 20:30 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

歴代歌舞伎重鎮の忠臣蔵&黒田騒動が語る 日本のヒーロー&ヒロイン像に超御大千恵蔵映画の影像






映画は監督さえも上回る評価を受けた歴代の映画スターたちだけによるものではありません。それを目立つことなく支えた名優や他分野の人物たちにもスポットを当てていくことの重要性も身に染みていますし、映画スターのことだけでなく、こちらの部分もきちんと取り上げていく必要性を感じています。

多様な目線を重視していただくためにも、本当の大スターの知られざる真の功績に独自目線でに迫りつつも、影の部分もつついていくことが必要です。やはりめでたい新年1発目の晴れの席なので、あの超御大だけでなく、あの記念の映画祭にも登場のお出ましを願いしています。




「歴代歌舞伎重鎮の忠臣蔵&黒田騒動が語る 日本のヒーロー&ヒロイン像に超御大千恵蔵映画の影像」の開館です。





前回記事
忠臣蔵映画の浅野内匠頭を形成した両名 史上怒涛の超頂上対決







阪東寿三郎沢村四郎五郎 尾上松之助 歌舞伎俳優でも異なる映画の関わり方 3つの多様性が日本映画の個性を形成










忠臣蔵映画に関与した他分野の人物たちの代表格が歌舞伎俳優といえるでしょう。特に松竹映画には多くの歌舞伎俳優の出演機会があり、伝説の映画スターの沢村四郎五郎(歌舞伎時代の名義は5代目澤村四郎五郎、日本映画創世記の1910年代から20年代中盤の活動で映画300作級の出演&主演)は歌舞伎俳優をやめて映画スターに転身し、松竹時代劇(映画、ドラマなど)の事実上の形成に大きく貢献しましたが、彼は歌舞伎俳優の活動のまま、映画に出演したわけではありませんでした。



ほぼ短編ですが歴代世界1位の映画主演950作を越す、日本最初の映画大スター尾上松之助は、映画以前は巡業レベルの舞台俳優(悪く言えばエセ歌舞伎俳優)でした。巡業レベルの舞台俳優は日本映画で松之助を除いてほとんど活躍していませんが、元歌舞伎俳優と生涯の歌舞伎俳優は1920年以降も数多く登場し、時代劇六大スター(大河内傳次郎だけが歌舞伎ではなく元新国劇の舞台俳優)など、戦前戦後の最大黄金期の形成に大きく貢献しています。


日本映画の形成の歴史には元歌舞伎俳優と生涯の歌舞伎俳優、巡業舞台のエセ歌舞伎俳優が大きく貢献しています。




阪東寿三郎は前回記事にかすかに取り上げている、1932年の松竹映画『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』 とその後編の2本で大役の大石内蔵之助を主人公で演じています。歌舞伎でも演じている当たり役の大石を映画でも演じています。この時点で彼が大きく評価されていた証拠の一つです。なぜなら他にも多くの歌舞伎の名優がいたため、そうした名優たちを押し退けて彼は映画に主演しています。

戦前から戦後の映画黄金期の1980年代くらいまでの映画の主役の大石は認められた俳優のみが演じられる役柄でした。現在はベテランクラスのみで、上位で評価されていない俳優も主役で演じてしまっています。





阪東寿三郎
 沢村四郎五郎 尾上松之助 歌舞伎俳優 歴代世界1位の映画主演 時代劇六大スター 大河内傳次郎 5代目澤村四郎五郎 忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻 大石内蔵之助





阪東寿三郎と極わずかの生涯映画出演作








三代目阪東寿三郎(阪東壽三郎)は関西歌舞伎の重鎮といわれた大物歌舞伎役者であり、歌舞伎という芸能と概念が今以上に大きかった時代の大物です。今の大物以上に評価すべき人物なのかもしれません。





1912年(大正元年)11月に三代目阪東壽三郎を襲名、特に1930年代から1940年代に活躍、3代目市川寿海と共に関西歌舞伎界にいわゆる「双寿時代」を形成し、戦後直後までの歌舞伎界を牽引した時期がありました。戦時中も含む1940年代がピークとも言われ、比較的低めな評価を受けた時期がありました。後から再評価された俳優です。


1954年に没、歌舞伎で忠臣蔵題材の歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助(大石内蔵助)や『大石最後の一日』の大石内蔵助も演じていて、映画と含めて大石内蔵助を代表的な役の一つにしていました。現在なら当時以上に賞を貰うなど、評価されていたことでしょう。






阪東寿三郎の映画出演作  =歴代の有名な役柄のみ表記

1932 『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』  松竹(下加茂)=大石内蔵之助  松竹が日活に対抗して制作した忠臣蔵映画の超大作
1932 『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』  松竹(下加茂)=大石内蔵之助 
1938 『黒田誠忠録』  松竹(下加茂)=栗山大膳  黒田騒動栗山大膳などでも何度も映画化の有名題材
1942 『京洛の舞』  松竹(下加茂) 2役   サブで新選組や岡田以蔵、坂本龍馬などが登場する幕末や維新もの
1950 『悲恋華(1950)』 松竹(京都)   大女優の初代水谷八重子の相手役 国民作家こと吉川英治の原作の文芸作





下加茂=松竹の時代劇映画を中心に撮影していた今は無き撮影所

悲恋華は1938年に『悲恋華(1938)』が存在しているため、年数で隔てています。悲恋華(1938)の原作は、牧逸馬(丹下左膳や魔像などの代表作がある林不忘の別名義)、『悲恋華(1950)』の原作は記念館が再オープンすることで、2020年1月にニュースにもなった吉川英治です。


『悲恋華(1950)』 はいくつかのサイトで悲恋草の異なるタイトルとして掲載されている内容のものも存在、録画している題名は悲恋華であり、これが正解のようです。


『京洛の舞』と『悲恋華(1950)』は映画が現存しており、個人的にも録画済みです。2本とも残念ながら内容としては名作級のあまり良いものとはいえません。『悲恋華(1950)』の主演であり、現在なら文化勲章級の活躍、新派舞台を牽引し、戦前から戦後直後の女性の社会進出にも大きく貢献した、大女優の初代水谷八重子は映画に40本ほど出演しましたが、作品運が異常に悪く、ほとんど良い映画に恵まれませんでした。

舞台女優としては舞台ナンバーワン女優の杉村春子と比較されるほどの天下級でしたが、残念ながら映画女優としては歴代の有名女優の中で下位クラスです。ここは知っていただきたい部分です。




京洛の舞 悲恋華(1950) 忠臣蔵映画 新選組 岡田以蔵 坂本龍馬

阪東壽三郎 関西歌舞伎 3代目市川寿海 双寿時代 仮名手本忠臣蔵 大星由良之助 大石最後の一日 下加茂 

牧逸馬 丹下左膳 魔像 林不忘 初代水谷八重子 杉村春子 文化勲章 新派舞台






黒田騒動千恵蔵映画の名作と超御大の影








阪東寿三郎の『黒田誠忠録』というと残念ながら現在視聴はできませんが、同じ題材の黒田騒動栗山大膳やこの黒田誠忠録の東映映画『黒田騒動(1956)』が視聴可能なもっとも有名な映画です。コンビのほとんどが評価などで当たった片岡千恵蔵と巨匠・内田吐夢の名コンビで映画化しました。


片岡千恵蔵は忠臣蔵映画に通産30作以上に出演し、歴代もっとも多くのヒット作、忠臣蔵映画の歴代最多観客動員、300作以上113年目のナンバーワン題材の映画においても、忠臣蔵映画の多彩さにおいても、もっとも活躍した映画俳優ですが、『黒田騒動(1956)』も軽く100を越す代表作の一つに含まれます。


個人的には録画と視聴済み、名作ですが、残念ながら商品化はされていません。内田吐夢なので流れの良い個性的な映像、攻めたカメラーワークも決まり、演技もちょうどよく、演出も素晴らしい内容で、特に往年の時代劇ファンに堪える作品です。


栗山大膳、黒田騒動その後
栗山大膳、黒田騒動その後



阪東寿三郎がどのように栗山大膳を演じたのか、自身の他の現存作や『黒田騒動(1956)』の片岡千恵蔵が演じた栗山大膳から想像するしかありません。黒田藩家老の栗山大膳という役柄は、新参の男に騙された若い黒田藩主から陰湿ないじめを長く受けながらも耐えてしのいで、お家の安泰や幕府の国家転覆のある危険と戦った人物、大きな戦(いくさ)を防ぎ、ある種の日本の今を救ったヒーロー、自分の全てを投げ出して幕府やお家、多くの民衆、酷く若い黒田藩主のために尽くしました。


栗山大膳は日本流のヒーロー像としても有名な役柄です。千恵蔵はこの役柄を我慢我慢、耐えて耐えて自分の信念を最後まで貫く、生き地獄の中で、一心のために命を投げ出す男として演じているように思え、こうした耐える役柄も大石だけでなく、栗山としても彼が得意する役柄の一つです。また1950年代前半にヒットした、戦後初の忠臣蔵映画「赤穂城三部作」で3度演じている、大石内蔵之助との違いを模索しているようにも感じられますし、剣一筋に生きたとも映像化されている千恵蔵の戦前戦中の当たり役の一つの宮本武蔵とも多少通じる部分があり。この役柄はのちの日本のドラマに大きな影響を与えているように考えられます。


その代表作例が多数ありますが、1980年代のNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)の有名作の「おしん」などや大映ドラマの有名作の「スチュワーデス物語」などです、性別は現代劇のために女性ですが、気狂うしい環境や逆境の中を耐えながら生きていく、テレビ小説の全般的な概念として現在も引き継がれ、存在しているヒロイン像とも強く重なります。





黒田誠忠録 黒田騒動(1956) 栗山大膳 黒田藩 

片岡千恵蔵 赤穂城三部作 日本流のヒーロー像 宮本武蔵 NHK朝の連続テレビ小説 朝ドラ スチュワーデス物語 内田吐夢





栗山大膳が「おしん」や「スチュワーデス物語」だけではなく「ドラゴンボール」につながるわけ







なぜ現代劇で男性でやらないのかですが、いえあるにはあるのですが、あまり有名作が多くないのが現実、女性側のほうが圧倒しています。男性がいじめられるのはよっぽどに上手にやらないとなりませんし、あまり共感がもたれないという理由があるように感じられます。現代劇の男性でこれをやると暑苦しい、

時代劇はこれが強く消せる、黄金期の時代劇は現在でいうと元の概念、要素を称えながらも二次元としてをいじくって比較的に別なものとして再表現、再構築する、まさにアニメ、マンガ、アニメ映画、ゲームなどの展開をしている、現代流にいうと東映のアニメの「ドラゴンボールシリーズ」の孫悟空役のような要素があり、東映の長年の重役でもあった千恵蔵と東映のアニメ路線のつながり、大膳のような逆境の連続を耐えて前進していく男性の主人公は時代劇やアニメなら形成しやすい部分があります。






千恵蔵映画 (1980年)
千恵蔵映画 (1980年)
posted with amazlet at 20.01.15

東映京都スタジオ
売り上げランキング: 1,986,320



伝説の一部を収録した書籍の千恵蔵映画 (1980年)、千恵蔵と東横や東映創設時からの深い男の絆があった、日本映画の大功労者の岡田茂や千恵蔵の長年のファンとしても知られる大作家の長谷川伸のエピソードも弟子の有名作家を通して登場しています。




ドラゴンボール 孫悟空 岡田茂 長谷川伸 千恵蔵映画 






千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭






●邦画チラシ 【千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭 】中野武蔵野ホール:モーニングショー ●映画チラシ::コレクター品良品(houti 1784)
●邦画チラシ 【千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭 】中野武蔵野ホール:モーニングショー ●映画チラシ::コレクター品良品(houti 1784)

2004年に閉館、映画を長年上映していた中野武蔵野ホールですが、その前年の2003年に生誕100年の片岡千恵蔵を祝う「千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭」を開催していました。

これはまさに映画ファンへの”置き土産”ともいえる貴重なポスターです。




中野武蔵野ホール 千恵蔵七変化ー生誕100年千恵蔵映画祭






姉妹ブログのウラ新記事



テレビドラマから続く脅威の破天荒コンテンツのとことんキングレコード新春まつり 
アニメや声優も巻き込みかねない、いや事実上、すでに巻き込んでいるアノ破天荒芸



姉妹ブログの新記事
ナベタケ最大ギャップ珍成功例と彼女の胸部どアップ ドラマ「アタックNo.1」「天才バカボン」「キューティーハニー」秘聞








日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2020/01/15 21:04 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

嵐寛寿郎と時代劇六大スターの戦後の上下左右縮図 恒久呪縛の末の功名




大映四大スタ-や時代劇六大スターとしても活躍、あまり知られていない国民的大スターの嵐寛寿郎の戦後の実積を中心に展開していきます。「嵐寛寿郎時代劇六大スターの戦後の上下左右縮図 恒久呪縛の末の功名」の開場です。


とある女優、名前を出してしまいますが、岸恵子が之日本映画の黄金期は何でもヒットしたとあるテレビ番組で語っていましたが、それはウソです。当時なりに当たる当たらないが存在していたからです。現在は50万人でも最低限のヒットですが、黄金期は最低でも100万人越さないと最低限のヒットではないという意味です。今回の記事はこのこととも関連があります。





↓のリンク先の前々回の記事の流れを広げていきます。
長期間国民的 時代劇六大スターの代表シリーズ題材 大映四大スター崩壊の6ステップ活路



前回記事
嵐寛寿郎と時代劇六大スターの戦後の上下左右縮図





嵐寛寿郎と時代劇六大スターの戦後の上下左右縮図






嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)は日本を代表する歴代上位の映画スターの一人で娯楽時代劇を中心に1927年から1950年代後半にかけて、千恵蔵、右太衛門、長谷川に次ぎ、歴代4位の30年近くを映画会社専属の主演俳優(いわゆる日本映画黄金期の黎明期からの映画スター)を中心に大活躍しました。10の振り分けでいうと主演のみとしては時代劇9、現代劇1といっていいでしょう。詳しく取り上げると逸れるので控えますが、助演だと現代劇8、時代劇2だと考えています。




彼は通産350作の映画に出演したと確認できますが、通産の映画主演本数は260弱ほどに留まり、戦前のライバルの300作を越している片岡千恵蔵(350本弱)や市川右太衛門(300作強)に比べると本数的にも40本以上も劣る位置づけです。それでも世界の映画主演数の歴代ベスト10に含まれます。残念ながら質の高さも特に戦後はさらに大きな差がついています。東映の時代劇は特に非常に質が高く、関与した監督や制作スタッフなどにおいても片岡千恵蔵や市川右太衛門は長年高い作品に出演していました。

長谷川一夫が根を下ろした大映も質が高い映画したが、大ヒット作は東映に比べると少ない現実があり、長谷川自身も千恵蔵、右太衛門に差を付けられ大ヒット作に苦しみました。

嵐寛寿郎は大映を経て、新東宝メインの活動時期をスタートせますが、出演映画は残念ながら全体的に質が低いものが多いのが現実、個人的にも観られるものの多くの本数を視聴していますが、戦前の日活時代のほうが主演作の質が高いと思えてしまいます。これが本数上に差があるといわれる由縁の一つです。



*本数は現時点で作品データが確認できるのみです。当然ですがテレビ映画(テレビドラマ)は含みません。確認できるにはテレビ映画を含んだデータが存在しています。





嵐寛寿郎 映画会社専属の主演俳優 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫





二大呪縛ゆえの役柄の多彩さの成功に苦戦





また、愛称の嵐寛(アラカン)の主演俳優としての戦前と戦後を含めた通産の役柄の多彩さは、他の時代劇六大スターの片岡千恵蔵や市川右太衛門長谷川一夫、大河内傳次郎、阪東妻三郎に比べると劣る考え方が存在しています。彼も多彩な役柄に挑戦はしましたが、残念ながらこの大きな呪縛(二つの当たり役ゆえの)を解くことはあまりできませんでした。



戦前のサイレント映画からの最大の当たり役であり、通産数千万人を動員した鞍馬天狗(40作強、現存バージョン含んで42作)」と近藤右門、愛称はむっつり右門を演じた右門捕物帖(40作弱、現存バージョン含んで38作)の二大シリーズは、両方とも20年以上続いて彼の代名詞ですが、その定着の強さや大きさゆえに戦後の活動は非常に苦しみました。


市川右太衛門の観客動員は片岡千恵蔵に次いで、時代劇六大スターのみの戦後の通産観客動員数を呼んでいますが、戦後からの明確な当たり役は何もありませんでした。市川右太衛門は通称「大名シリーズ」という通産9作の代表シリーズの一つがありますが、これは役柄で固定されておらず、バラバラであり、明確な当たり役は該当しません。ここでいう当たり役とは4作以上の主演の役名のことです。





アラカン 大河内傳次郎 阪東妻三郎 近藤右門 むっつり右門 右門捕物帖 鞍馬天狗 大名シリーズ






時代劇六大スターの映画の「戦後からのみ」の代表役柄 時代劇と現代劇





時代劇六大スターの映画の「戦後からのみ」の代表役柄 時代劇と現代劇
片岡千恵蔵 遠山の金さん(18作、戦前からシリーズ外としては演じているが正式シリーズとしては戦後から)、大石内蔵助(5作)、清水の次郎長(4作)、多羅尾伴内(11作)、金田一耕助(総集編、全長版などの全バージョンをを含むと10作を越すともいわれるが、現正式は6作)、机龍之助(6作、大菩薩峠の主人公)、近藤勇(4作、新選組の主人公)
長谷川一夫 銭形平次18作 1つのみ
市川右太衛門 何もなし
嵐寛寿郎 特になし
大河内傳次郎 何もなし
阪東妻三郎 何もなし






片岡千恵蔵だけが現実に一人だけ突き抜けていることがわかります。マスコミはきちんと取り上げませんが、現実にも突き抜けて当たっています。彼は千恵蔵のギャングシリーズ(23作、内部のにっぽんGメンシリーズ、地獄シリーズも含む)もありますが、これは当たり役柄に伴わない多彩な役柄を演じており、明確な当たり役には含むません。日本の歴代俳優、世界的にも、通産では彼がもっとも多彩な題材のシリーズや役柄で当たりました。





地獄シリーズ にっぽんGメンシリーズ 千恵蔵のギャングシリーズ

遠山の金さん大石内蔵助 清水の次郎長 多羅尾伴内 金田一耕助 机龍之助 大菩薩峠 近藤勇 新選組 銭形平次







嵐寛寿郎と時代劇六大スターの戦後の恒久呪縛の末の功名





その苦しみの末に掴んだのが、恒久呪縛の末の功名が、新東宝映画で演じた明治天皇役であり、戦後の主演映画からの唯一とも言える彼の代表的な役柄になりました。嵐寛寿郎は特になしとなっていますが、3作を当たり役にすると明治天皇も含んでしまいますが、あえていうと1作以降の評判がイマイチだったことも含んでいない理由です。1作目の『明治天皇と日露大戦争』 だけが突き抜けて当たりました。





嵐寛寿郎の映画の明治天皇3部作
1957『明治天皇と日露大戦争』  新東宝オールスター 年間観客動員1位を獲得
1958『天皇・皇后と日清戦争』  新東宝オールスター 昭憲皇后は高倉みゆき
1959『明治大帝と乃木将軍』  オールスターではない  乃木希典は名優の林寛




2000万人以上のメガヒットを記録した1作目『明治天皇と日露大戦争』 はCS放送の日本映画専門チャンネルの再放送時によると撮影の異なるもうひとつのバージョン存在していますが、ここでは1作のみの扱いです。



東宝・新東宝戦争映画DVD 20号 (天皇・皇后と日清戦争(1958)) [分冊百科] (DVD付) (東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション)
東宝・新東宝戦争映画DVD 20号 (天皇・皇后と日清戦争(1958)) [分冊百科] (DVD付) (東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション)
東宝・新東宝戦争映画DVDコレクションから『天皇・皇后と日清戦争』、



嵐寛寿郎と30本近い名コンビの知られる盟友の並木鏡太郎(なみききょうたろう、活躍はしたが突き抜けた功績がなく、巨匠まで至らない時代劇の名匠)とのコンビで2作目の1958『天皇・皇后と日清戦争』が製作・公開されました。このコンビの唯一の現代劇映画この作品です。新東宝らしさを模索し、当時の他大手5社(日活、松竹、東宝、大映、東映=左から創立順)との差別化を計った色彩も独特な面白みがあります。



天皇・皇后と日清戦争 [DVD]
パイオニアLDC (2001-07-25)
売り上げランキング: 28,204

こちらは本来のDVD版です。





明治天皇 明治天皇と日露大戦争 天皇・皇后と日清戦争 並木鏡太郎 東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション 昭憲皇后 高倉みゆき 明治大帝と乃木将軍  乃木希典 林寛 
 


さまざまな視点や要素を取り入れています。姉妹ブログの新記事は↓から
没後30年新解釈 無冠の女王の映画女優美空ひばりの「罪と罰」たち




日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2019/10/29 22:00 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

立花孝志VS洗脳広告代理店韓国映画のあれ 長谷川一夫の国民栄誉賞誇張譚は傑物沢村四郎五郎






日本映画や日本の芸能の歴代や歴史には、政治や広告会社の金や権力による泥臭い都合の良い判断が下された数多くの疑問や問題点が存在しています。そこには国と洗脳広告代理店の関与が長年疑われています。これはテレビの好きな作り物のオカルトではありません。

現在も膨大な利益にしゃぶりつく洗脳広告代理店と韓国を駆使した戦略、奥底にはどす黒い陰影の闇の中で、末は日本を我が物にしようと光る目を放つ中国が控えています。若者はある程度は知る部分ですが、自我が弱い子供、年配の方々や女性はテレビの報道やニュース、話題を疑問を持たずに鵜呑みにしてしまう現状、これがもっとも危険です。多くの日本の方々に知ってほしい事実が存在しています。


今回は前回の流れから少し逸らしてある映画群とそこに潜む闇、大きなどす黒い巨大な疑問点に迫ることにします。「立花孝志VS洗脳広告代理店韓国映画のあれ 長谷川一夫国民栄誉賞誇張譚は傑物沢村四郎五郎」スタートです。




長期間国民的 時代劇六大スターの代表シリーズ題材 大映四大スター崩壊の6ステップ活路







長谷川一夫の残念譚と国民の苦悩や不安の戦中に一寸光のヒーロー像植えつけ映画





時代劇六大スターに数えられる日本映画史上歴代上位の映画スター長谷川一夫は、先人の4名(大映四大スター前回や前回の記事などに登場)が耕した畑という名の仕事場に後からやってきて、我が物顔でトップに座った、こういうとひどく聞こえが悪いですが、残念ながら嘘でもなく、全般は現実です。テレビやマスコミ、メディアなどはこうした闇を伝えようとさえしません。テレビは今の映画業界にとって都合がよい1パーセントを映画の真実にしている部分にも大きな問題があります。



当時の内閣が長谷川の没後直後の1984年に全然通産ナンバーワンではないのに、戦前の高い女性人気を理由に国民栄誉賞(事実上の政府とコラボによる漢字二文字目が通の賞の説)を与えました。2文字目が通の代理店が基本的に行う手段ですが、さまざまな手段で流行に弱い本能と性質を持つ女性を利用し、流行そのものをでっちあげていき、一部の大手企業のみにお金を落とすという手段と結びついています。もちろん多くの庶民は利益がありません。現在の景気と同様です。長谷川は大河ドラマなどでNHK、某通とも関わりがあり、これも賞に影響しています。

一般的に片岡千恵蔵のほうが数十の歴代記録や現在への幅広く深い影響、観客動員、受賞歴、当たり役数、巨匠名匠のコンビの成功数など、50以上の評価基準において全体が長谷川よりも格上の評価ですが、テレビは問題点さえもまったく受付けず、互いが歴代上位の同じくらいの扱いに留まるのは何故でしょう。

NHKが同じくらいに扱うのため、他局も同様で、事実を直視しない部分であり、非常に残念です。通産ナンバーワンではなく、そこから劣る数番手に与えている時点で、この賞がたいしたことない証拠であり、今も長谷川一夫国民栄誉賞は洗脳広告代理店などの絡んだでっちあげだと考えています。当時はインターネットやSNSが存在しておらず、こういう考えができない状況でした。


時代劇六大スター 長谷川一夫 片岡千恵蔵 国民栄誉賞 




三國連太郎VS仲代達矢 ある意味の最大のライバルの行方に文化勲章






実は文化勲章は仲代達矢に与えて、三國連太郎には与えませんでした。三國連太郎のほうが代表作数や映画出演数も圧倒的に多数、実に多彩な監督との成功、幅の広い演技、「釣りバカ日誌」の20年以上演じた当たり役など総合的に上だと評価しています。ちなみに仲代達矢の映画の当たり役は「人間の条件」の数年間の主人公のみ、しかも評価は低め、某2文字目が通の好きな作品に出演、これも非常に問題でしたが、これとも通じるでしょうか。現実の実積は三國連太郎ですが、某2文字目が通としては長年の縁がある東宝と絡み強い仲代達矢だったのでしょう。非常に由々しき大きな問題です。


1980年代の半ばくらいまでは最低限な評価の紫綬褒章が歌舞伎以外の舞台俳優や映像系俳優の最高の評価でした。もちろんもらえてさえいない人もたくさんいます。昔はどんなに活躍しても不可能だったんですが、特に2000年代以降は映像俳優でも文化勲章がもらえてしまいます。ある程度の俳優が文化勲章、紫綬褒章さえももらえていない超大物俳優よりも通産実積が格下の俳優の数名が現実に文化勲章をもらえています。これも大問題です。



長谷川一夫に関する部分にはもう一つの誤解も存在しています。長谷川は主に松竹、東宝、大映の映画で活躍しましたが、大映だけではなく、松竹の時代劇映画の形成さえも長谷川が最初ではないことをご存知でしょうか?「長谷川の大先輩俳優は松竹時代劇の形成大関与とすでに耕された畑のおかげ」へと続きます。



仲代達矢 三國連太郎 紫綬褒章 文化勲章 釣りバカ日誌 釣りバカ日誌 





「勘太郎」とは誰なのか? 伊那谷の幕末維新と天狗党





伊那の勘太郎に関して独自な追求が評価できる書籍<「勘太郎」とは誰なのか? 伊那谷の幕末維新と天狗党>です。長谷川一夫の代表的な役柄の一つが伊那の勘太郎です。



「勘太郎」とは誰なのか? 伊那谷の幕末維新と天狗党 (信毎選書)
「勘太郎」とは誰なのか? 伊那谷の幕末維新と天狗党 (信毎選書)

長谷川は片岡千恵蔵と二分する歴代トップ2の股旅スターの一面があり、互いに股旅物だけでも10作近い主な代表作があります。股旅映画は時代劇の大ジャンルの一つで、1920年代後半からこれまでに数十名の主演有名俳優や巨匠、大作家の原作、また原作なしのオリジナル、王道に前衛と実に多彩な内容があり、忠臣蔵映画に次ぐ、日本の題材上位の250作以上の映画が作られています。

伊那の勘太郎は股旅時代劇の異色のヒーローとして描かれ、最初の1943年公開の東宝映画『伊那の勘太郎』は大ヒットを記録しました。このときの日本映画は映画そのものが未曾有の戦争に備えるため、年間の国産のみの製作本数は1941年の250作ほどから、満映(満洲映画協会)を含めないと70本台にまで激減、競争力のそのものが減少していたことも手助け、1作1作に注目が集まりやすくなって客が入りやすくなっていました。


1943年当時の国民が戦火の苦しさや不安を抱えた中で、この映画は一寸の光を指す、独自なヒーロー像を植えつけました。伊那という地名は現在、長野県の南部に位置する伊那市(長野県伊那市)として名を残しています。



立花孝志 長谷川一夫 伊那の勘太郎 洗脳広告代理店 片岡千恵蔵 満映 長野県伊那市 「勘太郎」とは誰なのか? 伊那谷の幕末維新と天狗党 伊那谷 天狗党






長谷川の大先輩は松竹時代劇の形成大関与 映画と歌舞伎を巡る対松之助合戦





長谷川一夫は東宝の喜劇以外の時代劇の形成には事実上貢献しました。大映時代劇映画も前世代を牽引した時代劇四大スターとは違う路線の開拓には貢献(どちらかといえば娯楽要素から芸術系路線へのシフト)しましたが、最初の形成者ではありません。長谷川一夫の文芸要素の強めの時代劇は1960年代の中盤から、どちらかといえば市川雷蔵が事実上の継承に関わりました。勝新太郎はどちらかといえば、娯楽路線の担当でした。長谷川の大映が、ナンバーワン千恵蔵の東映に対抗して大きく負けたが娯楽と文芸系を隔てさせることにも多少影響しています。



時代は戦前にさかのぼります。長谷川(松竹時代は林長二郎=林は芸名ではあるが在日韓国・朝鮮人の通名が多い、これもあの賞に影響している可能性)は、松竹映画のサイレント時代劇の晩年の1927年にデビューしました。それより前にも松竹だけでもいわゆる時代スターが何名もいました。ですが、ほとんど取り上げられていません。なぜでしょうか。あの賞を与えている電波各社の権力の影響でしょうか。事実を闇に葬ろうとしているようにも思えます。


その代表格が活動期間‎1888~1925年の沢村四郎五郎(これは映画俳優時代の名義)です。彼は1888年から歌舞伎俳優として活動し、5代目澤村四郎五郎を襲名、歌舞伎俳優としてある程度の活躍後、1914年映画俳優から映画俳優に転身、これは日本の芸能では初のそこそこ有名な正規の歌舞伎俳優の映画俳優への転身としては史上初の大きな出来事でした。四郎五郎は日本の芸能史や歌舞伎、映画史にとって非常に重要な人物なのです。


長谷川と四郎五郎は元正規の歌舞伎俳優という共通点もあります。とはいっても長谷川の家柄は澤村に比べると非常に弱めな位置です。日本初の大映画スター尾上松之助は歌舞伎俳優といっても巡業の正規ではない旅回りの歌舞伎俳優でした。松之助と沢村四郎は、事実上、松之助一強のため世間的にトータルで競り合うことはありませんでしたが、一時的にライバルとも言われました。

正規の歌舞伎俳優よりも残念ながら世間的にB級やそれ以下、外部とみられる歌舞伎俳優の松之助と元正規の由緒ある家柄の歌舞伎俳優四郎五郎、尾上松之助は彼には負けたくないと当時思ったことでしょうし、現実にライバル視、意識していたというエピソードも残されているようです。歌舞伎では世間的な大差があっても、大衆のものである映画では完全に逆転していました。

歌舞伎の極少数の客や評論家から世間的な評価が少なく得られていなくても、大衆の評価する映画では松之助が勝っていたわけです。これは非常かもしれませんが面白く興味深い部分です。



市川雷蔵 勝新太郎 澤村四郎五郎 歌舞伎俳優 沢村四郎五郎 尾上松之助 林は在日韓国・朝鮮人の通名 正規の歌舞伎俳優 林長二郎 
 



立花孝志登場 長谷川もNHKを通じて非常に大関与広告代理店 サイコパス中国と韓国の共同侵略




元NHK職員の日本の政治家の立花孝志も下の動画などように数多くの面において、ユーチューブを通じた問題点を強く指摘していますが、”どす黒い部分にえぐりを入れている”


電通 洗脳広告代理店
電通 洗脳広告代理店


上記リンクは非常にお気に入りの上記写真のリンク先の苫米地英人の著書書、読んだ人の評判も高いです。
NHKからぶっこわす、膨大な利益を集めて国民を地獄に突き落とす根源の漢字2文字のドス黒連中もぶっこわす





NHKが反日放送している理由は【電通】に乗っ取られているから 立花孝志

*これはウソかホントかのように都合がよいテレビの広告オカルトではありません。また見たことない方は動画は騙されたと思ってみてもらいたい内容で、もちろん広告はありません。動画コメントからもさまざまなことに気づかされます。


電通【韓国人】によって日本が支配されている 立花孝志

*韓国人と中国人が中心になって日本を内から崩壊させようと暗躍しています。もちろん作りのオカルト話ではありません。将来に自分たちが国として日本を支配するためです。これは阻止しなければなりません。



表上は日本企業なのに韓国との結びつきも有名です。テレビがニュースで連日のチョ・グク(曹国)という元法務大臣の不正疑惑が数多くある犯罪者候補を取り上げます。まず日本で取り上げる必要はありません。チョ・グク(曹国)という韓国人は日本に関係のない人物です。本人はもちろん、娘や弟、妻が息子の家族がどうなろうが、犯罪やろうが逮捕されようが日本にとってどうでもいい人物、なのにあたかも凄く重要な人物かのように電波を利用して連日でガンガン誇張する。特にテレビ朝日が過剰ですが、真に重要な他に取り上げることをないがしろにしてまで、このどうでもいい韓国人を祭り上げて取り上げているのが残念ながらテレビのイカれた醜態です。

なのにテレビときたらあの漢字二文字目が通の指示があると考えるのが普通ですが、過剰に取り上げて日本人に韓国人や韓国への興味を維持させようとニュースをあの手この手で打たせています。


韓国人も大きな問題ですが、実は中国人が北海道で土地を買い占めていることをテレビやマスコミはほとんど取り上げません。日本人が何故中国人に土地を売るのかですが、単純に中国の富裕層が日本人のお金持ちでは考えられないくらいの高額で土地を買ってくれるためです。日本人もお金がほしいのです。この恐怖を知らない人がまだいる状況です。日本がこのままだと支配されてしまう可能性があるため、政府は早めに法律によるきちんと手を打つ必要があります。

韓国人たちが日本や日本人を痛烈に批判するために制作した話題の映画(慰安婦など扱う反日の韓国映画)を作るくらいですし、映画と政治は無関係ではありません。韓国の政府が反日韓国映画の制作や公開を止めないのも大問題です。



韓国の悪口言います 立花孝志
 



NHKが反日放送している理由は【電通】に乗っ取られているから 電通【韓国人】によって日本が支配されている 韓国の悪口言います 立花孝志 苫米地英人 チョ・グク 曹国 北海道の中国人の土地買占め問題 慰安婦 反日韓国映画  NHK職員









伝説大映画スター沢村四郎五郎と二人目の巨匠吉野ニ郎のおかげの長谷川!!






沢村四郎五郎は、歌舞伎俳優の五代目澤村四郎五郎の活動を経て、日活のライバル会社の天活(「天然色活動写真株式会社」の略称)の主演俳優として1914年に映画デビューし、日活と競い合うことになりました。彼は巨匠吉野二郎(最低監督数300以上)との名コンビで人気を博し、1919年に天活の後継会社である国活(「國際活映株式會社」の略称) 、1921年に映画参入2年目の松竹に引き抜かれて、1921年11月『神崎堪忍袋』(松竹蒲田撮影)に主演、事実上の松竹映画の最初の大スター俳優として活動しました。盟友吉野二郎とは1914~1925年の長年の名コンビで知られています。

吉野ニ郎は日本映画の父の肩書きで有名な牧野省三に次ぎ、時代劇映画で二人目の巨匠といえるでしょう。




*『神崎堪忍袋』は忠臣蔵の赤穂浪士四十七士の神埼与五郎(神崎則休、通名の与五郎で有名)を主人公にした忠臣蔵題材の映画です。忠臣蔵を異なる角度から独自に描きました。


長谷川一夫は、四郎五郎の敷いたレールの上をその遺作から2年後、1927年に松竹の時代劇の新人スターとして先人のおかげを受けて華やかに比較的楽にデビューできました。四郎五郎がいなければ間違えなく後世の長谷川はいなかったですし、正規の歌舞伎界から映画界に籍を取らなかったともいえるでしょう。

それは様式的な部分にもあるといわれています。松竹は歌舞伎とも縁がある。そのことから沢村四郎五郎尾上松之助が国民的人気を博した活劇的な躍動感のある演技よりは、様式的な通が好む、熟練の技巧的な演技をやらせたと言われています。実は長谷川一夫も活劇というよりはこの様式的要素を引き次いでいます。歌舞伎の女形の演技を取り入れて中性的俳優として大成、もろさや弱さを得意としました。長谷川は松竹ではなく日活に入っていたら別なタイプの演技を探求していたはずです。いかに先人の影響力が大きいかが伺えます。


吉野ニ郎 天活 日活 神崎堪忍袋 赤穂浪士四十七士 神崎則休 神埼与五郎 





千恵蔵VS長谷川の大差 全ての時代の活躍が先人の耕した畑のおかげも大きい事実





実は東宝も長谷川一夫が最初ではありません。大スターの喜劇路線ではない部分は長谷川が事実上の最初でしたが、その前に榎本健一と古川ロッパ(古川緑波)の二大喜劇人の映画スターがいました。その後に横からかぶさるように東宝に入っていきました。こういってしまうと聞こえが悪いですが、一つの事実でもあるわけです。そして1930年代後半から東宝時代劇の事実上のナンバーワンとなっています。その後、1950年代前半から千恵蔵などの大映四大スターの去った後の土壌を譲り受けて耕すことになります。

残念ながら長谷川は松竹時代、東宝時代も大映時代、もちろん長期で活躍はしましたが、この全ての時代が先人の畑もおかげも大きく影響しており、片岡千恵蔵のように千恵プロ、大映、東映の形成(最初のトップも含む)と大成功のような、自分で会社を形成や活躍したというほどの大実積はありません。

極端にわかりやすくいうと先人のおかげで活躍できた人(長谷川)と、自分が直接開拓して活躍した人(千恵蔵)の大きな差です。数字に出ないこの部分だけでも数倍の差といえるでしょう。





東宝 榎本健一 古川ロッパ 大映四大スター




現在の裏新記事  ↓ ↓
千恵蔵御大VS天皇20年ぶり再会 歴代名場面「遠山桜」初形成VS幻の吉川文学珍映画

姉妹ブログの裏記事    ↓ ↓
歴代大社長さえも尊敬するGメン形成男一代からハロプロ含む歴史70年 Gメン令和元年


裏記事は10月中の予定です。こちら↓です。
映画を極めろ一直線女子の裏道ばやり




日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2019/10/17 21:51 | 超大物俳優COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

 | BLOG TOP |  NEXT»»