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日の丸戦勝と共産売国奴 チャールズ・チャップリンVS映画超大国大日本の世界ベスト3サイレント超名優



日の丸戦勝と共産売国奴 チャールズ・チャップリンVS映画超大国大日本の世界ベスト3サイレント超名優




日本映画最初の三大スターは外国ライバルのチャールズ・チャップリンさえも軽く凌駕と追い越し実現していた



映画にも関わりがあるマスコミの不正を紹介する衝撃の前回動画”この女何者だ?”、または”何者だ?この女”のフレーズが非常に頭に残ります。シンプルでインパクトが強い。今回は、前回の流れで今回もテレビが伝えない映画スターたちの伝説に迫ります。


今回も都合が良いことしか書けない、企業の案件のありきたりな映画ブログの記事ではなく、過去と現代と未来が垣間見える、ナンセンスも交えた斬新さと個性で、独自な映画の世界に迫ります。



外国人のコロナ感染者が異常です。日本でも経済的な大きな被害がありますが、欧米(白人中心の国)は再び新規感染確認者が1日で1万人を越す国がいくつもあります。特に白人たち規則を守らず、感情のままに身体を動かす、だらしないと存在と考えてしまいます。彼らは白人至上主義=劣化人種(つまり自分たちが優れていると映画やその先人を通じてもアピールするが実は一番優れていない人種)なのか、


日本は感染者をじわじわ増やしてはいますが、外国の特に欧米よりは比較的、またはそれ以上に少ない人数に押さえ込んでいます。外国人よりも日本人は優れた存在なのか、白人よりも日本人のほうが優秀なのか、今回の記事とも関わりがあります。






映画の真実を無視し、都合が良い映画を誇張し続けるマスコミの”この女何者だ?”も登場する前回記事⇒映画「浪人祭」に隠された伝説的な先輩後輩大スター同士の知られざるリスペクト




嵐璃徳は、主演本数は日本映画歴代ベスト10に含まれる最低でも175本を記録(データがないものも考えると200本に迫ると考えられる)、サイレント映画の主演数も当時、松之助、四郎五郎に次ぐ世界ベスト3です。実はあの外国の長有名俳優に対しても、ある部分において確実に勝利しています。





嵐璃徳
 白人至上主義 劣化人種






チャールズ・チャップリンさえも軽く数字で凌駕と追い越す嵐璃徳ら日本を代表する世界的な映画俳優たち







璃徳と同時期に活躍したチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin、1889~1977、イギリス生まれの俳優、監督、製作などの映画人)の出演90強、主演数は公式外(未公開、未完成など)を含むと、80本強、出演さえも100作を越していません。璃徳は200本とも言われる確認できるだけでも175本ほどの主演作の記録が存在しています。なんと日本の歴代俳優があの知名度先行型よりも、2倍以上の差を付けています。

チャップリンは数は少ないながら晩年はトーキー映画にも出演していますが、サイレント映画が9割ほどを占めメインです。なんと大スターなのに主演はおろか、出演さえも100本を越していません。璃徳は300作ほどの映画に出演、2名の対峙は主演よりも倍率が増えて、3倍を越すの大差です。


知名度先行型とも言われる名優のチャップリンは、名作は外国上位の20本以上あるにしても、日本だと歴代上位にさえ入りません。また、嵐璃徳などのように、映画大スターの条件の一つ、主演100本さえ越していない現実があります。これは大きな事実です。一言でいうとチャップリンは名作はそこそこありますが、少なめの出演と主演、10度以上映画で演じた一つもない当たり役、3つの問題点の大きな事実、名作は外国でも上位、日本含むと50位以下ですが、そのほかの通産の数字がたいしたことないわけです。

この3つが活躍したある程度レベルだと伝えることを無視しています。マスコミは物事を偏りって伝え、一つの部分のみを誇張してその部分のみで優れていると報道し、他の部分を無視します。





チャールズ・チャップリン Charles Chaplin チャップリン







まさかの対峙 高倉健VSチャールズ・チャップリン







ちなみに2010年代まで存命だった高倉健は日本映画歴代20位にランクインする110本を越す単独主演作、出演数は200作強があるため、チャールズ・チャップリンの公式外含む主演80作強、出演90作強、さらに代表作本数(高倉50強、チャップリン20強)で大きく上回っています。これも事実です。特に主演がメインで出演数2倍の差は大きな差です。



高倉健は100本ほどの長編主演作(他に中編映画もあり)が存在しますが、チャールズ・チャップリンの主演長編映画はデビュー時が40年強ずれていることも影響していますが、サイレントメインだったことも影響しているにしても、現実に10本ほどに留まっています。約10倍の差が存在しています。なんとチャップリンは、戦後デビューの彼にさえ数字で負けています。これも事実です。



この数字を出すと高倉健は戦後のみながらサイレント中心の外国大スターの勝利している部分があるわけで、かなり活動したことが改めて分かります。チャールズ・チャップリンを数字のいくつかで確実に凌駕している事実が存在しています。個人的にチャールズ・チャップリンも高倉健も多数の映画は優れていると考えています。

映画そのものの良し悪しは個人差がある部分なので、内容の良し悪しでどちらが上とは言えませんが、上記同様に高倉が数で大きく上回っていることは事実です。労力や撮影などの手間を含めても、サイレントを長編に置き換えたとしても本数は上回っているといえます。

その直属大先輩で、時代劇という日本人、日本映画の魂の形成と黄金期や、東映の現代劇形成と黄金期に貢献の片岡千恵蔵や他の時代劇六大スターの5名はそれを更に凌駕しているわけですが、今回の内容と大きく反れるのでやめておきましょう。

マスコミがこの本当の事実を無視し続けるため、ご存じない方も多いかもしれませんが、嵐璃徳尾上松之助沢村四郎五郎などは、歴代の日本の映画俳優は、同時に世界的な映画スターである現実と凄みを感じさせてくれます。




高倉健

片岡千恵蔵 時代劇六大スター








映画に関わりがあるマスコミが擁護する左派と左翼の過去や現代の映画監督にも関与する推薦動画







実はチャールズ・チャップリンは日本で2020年10月に大騒動になっている日本学術会議の騒動とも大きく関与しています。彼がアメリカから一時追放された「赤狩り」です。事実上の赤狩りの要素も一部に指摘されています。

映画も政治が非常に関与しています。ただの娯楽のみしか注目せずに、これを部外視する人もいますが、映画は政治も含めて楽しむ部分が存在しています。つまり娯楽には痛みが伴う、これが真の映画ファン、もちろんそれぞれの考え方があるわけですが、映画と政治を受け入れること、これが多様性の現代と未来のあり方ではないでしょうか。





【学者さん達仲間割れ!遂に飛び出す日本学術会議「廃止」論!】マスコミと左派人が必死で擁護してるのに学者さん達が仲間割れ!大学教授から飛び出し



このユーチューバーくまさんは発言は過激ですが、もっともなことを国民の変わりに代弁している部分があります。これくらいの雰囲気で、しゃべらないと危機意識が刺激されない部分があります。

国民の大切な税金がなんだか分からない組織に利用され、大陸側に流れている可能性さえある。国民は怒っていますし、疑問がありますし、不安です。研究者は自分の専門分野のみで頭よくても、世の中の9割以上を占める大衆や庶民の気持ちは理解できていません。

過去のK・A監督などもですが、近年にテレビが優遇している現代の日本学術会議の政府の対応に異議を唱えたK・H監督やキャスター・タレントのSはこの動画でも登場、テレビ関係者はあっち向きばかりを優先的にテレビに出演させています。



菅総理が日本学術会議の会員候補6名の任命を拒否した理由がわかりました!



この動画の彼は感情を抑え目で話しています。




テレビと同様に、日本学術会議でも左派であることがさらに明らかになりましたが、過去や現代の映画でも左的な人間たちを中心に知名度を高めるなどの大きな優遇しています。


チャップリンのことに関しても、一定の世代以上の方々は知名度が高いものが良いと子供の頃から生活と洗脳で刷り込まれてきたため、この事実が残念ながら鵜呑みにできないかもしれません。世の中の知名度やイメージは全部が嘘ではありませんが、マスコミが作り出している虚構が多くを占めています。



残念ながらチャップリンは日本学術会議のマスコミの誇張と同様に、実積以上の知名度先行型の印象操作、情報操作を実現させた事実を生み出しています。これは彼の名誉のあるので一言必要ですが、彼自身がけして悪いわけではありません、日本の放送局や某広告会社、外国の企業も絡んで長年、尻拭いの誇張を繰り返しています。過去に一度誇張したものは実積の何倍も大きく10,100,1000と返すのがマスコミの個性的な生態です。つまり彼らは1を1000、まさに千倍誇張です。


まさにマスコミの千倍誇張は、半沢直樹の千倍返しにも通じる、中国共産党の千人計画ともつながり、3つの千がつながります。






日本学術会議
 赤狩り 菅総理
 中国共産党





女子小学生誘拐犯は中国籍の女 令和元年の9歳以下の行方不明者警察庁発表は1253人



映画から少し離れますが、いえ離れていません。左、中国人の犯罪者という面、左マスコミという面、さらに左俳優のチャップリンとつながりがあります。真実を伝えるためにもう一つ、テレビやマスコミがいかに左狂っているのかを示す下の参考動画の一つです。映画愛子もこれは知らずに驚きました。日本人の未来を背負う子供たちが消えているのに、真実をほぼ取り上げないマスゴミの真実の一つ、まさに彼らは日本を内から壊そうとする売国奴です。本当に許せません。気になる方は詳しくはご覧ください。

『2020年7月11日:静岡放送「女子小学生誘拐犯は中国籍の女」:令和元年の9歳以下の行方不明者警察庁発表「1253人」』第254回【水間条項TV】



小学生誘拐
 9歳以下の行方不明者 水間条項 女子小学生誘拐犯は中国籍の女 中国籍の女 売国奴





日本映画初期の重要な3つの概念 日本映画最初の三大スターと一人スター体制と二大スター体制、三大スター体制と、外国を代表するサイレント映画の大スターチャップリン






尾上松之助沢村四郎五郎嵐璃徳の3名と外国俳優との深くも含めるため、日本映画最初の三大スターと一人スター体制と二大スター体制、三大スター体制、外国を代表するサイレント映画の大スターの4つを取り上げます。



嵐璃徳は1920年デビューのため、これ以前は1909デビューで、1910年からの尾上松之助の一人スター体制、1916年からは尾上松之助(1910年ブレイク)、沢村四郎五郎(1916年ブレイク)の二大スター体制でした。その後、下記にも登場の三大スター体制とも考えられる時期がやってきます。








日本映画最初の三大スター

尾上松之助 1909横田商会デビュー 1910ブレイク 1912日活移籍 日活初と日本最初の映画大スターとして君臨 1925死去
沢村四郎五郎 1914天活デビュー 1916ブレイク 1920国活移籍、1921松竹移籍、松竹映画最初の映画大スターとなる 1925引退
嵐璃徳 1889年デビュー、1920年に帝国キネマで本格的なデビュー 事実上1920にブレイク 帝国キネマの最初のトップ体制 1935引退



*日本映画初の一人大スター体制

尾上松之助 1909デビュー 1910ブレイク 対象期間1910~1915


*日本映画初の二大スター体制 対象期間の璃徳を含める形と含めない形が存在

尾上松之助 1909デビュー 1910ブレイク 璃徳を含める対象期間1916~1919、含めない1916~1925
沢村四郎五郎 1914デビュー 1916ブレイク 璃徳を含める対象期間1916~1919、含めない1916~1925


*三大スター体制 1920~1925の6年間  ナンバーワン松之助の死で概念消滅

尾上松之助 1909デビュー 1910ブレイク 対象期間1920~1925
沢村四郎五郎 1914デビュー 1916ブレイク 対象期間1920~1925
嵐璃徳 1889年デビュー、1920年に本格的なデビュー ブレイク記録なし 対象期間1920~1925


*外国を代表するサイレント映画の大スター

チャールズ・チャップリン 1914年デビューとブレイク 1921、1923までが連続映画主演時代のピーク、映画の連続主演していた時期の内容のみだと1921までともいえる。事実上8~10年が最大のピークともいえる。

それ以降は人気の低迷と政治的な動向も重なり、長期間の間でアメリカを追い出され、本数が急激に減少、それ以降も名作はいくつか残すが、このピーク時以降は本数さえ10本ほどに留まり苦戦。戦後はどうにか1952年の晩年の代表作『ライムライト』(日本公開は1953)を残す、当時は戦前のサイレント期にピークを越した映画人が久々に当たった1本という捕らえ方である。







日活 天活 国活 松竹 帝国キネマ

ライムライト





見えてくる過去の映画超大国日本 尾上松之助VSチャールズ・チャップリン 衝撃初の国民的な映画スターは日本の勝利だ








実はこの4名を並べると1889年デビューの嵐璃徳を最初に、1909デビューの尾上松之助、1914年デビューの沢村四郎五郎とチャールズ・チャップリンと続きます。尾上松之助は1910年に忍術映画を中心に子供たちに圧倒的な支持、さらに忠臣蔵、水戸黄門などの国民的な題材で大人を一部巻き込み娯楽映画の大ブレイク、チャールズ・チャップリンはインテリ向けの喜劇や風刺の路線で1914年に最初の大成功、なんと松之助が、あのチャップリンよりも5年ほども先です。当時の5年は原題以上に大きなものです。特に映画の世界でこれは意味があることです。


チャップリンの最初に大成功を記録した『Caughtin the Rain』(原題)は1921『キッド』(最大のピーク時の代表作の一つ)や1925『チャップリンの黄金狂時代』(本数低迷時の代表作の一つ)などの代表作を5本以上連発していた時期の作品、さらに本数激減時の代表作の1936『モダン・タイムス』などと比べると上位の代表作ではありませんが、非常に意味がある映画です。




チャップリン作品集1 [ チャールズ・チャップリン ]

チャップリン映画は、単発の作品は見る機会はあっても短編は観ていない人が多く存在知るため、上記の短編の作品集が意外と貴重です。







チャップリン主演の貴重なユーチューブ映画『Caughtin the Rain』(原題)バージョン1とバージョン2







チャップリンの主演のユーチューブ公開映画『Caughtin the Rain』(原題)バージョン1とバージョン2実はこの『Caughtin the Rain』(原題)は1914年に公開した2020年から100年以上前の作品ですが、日本で未公開となっています。非常に貴重な作品です。実は日本人にあまり知られていない秀作です。チャップリンの最初のブレイク時の勢いや当ててやるぞの野心を感じさせてくれます。




『Caughtin the Rain』(原題)バージョン1



Charlie Chaplin: Caught in The Rain (Laurel & Hardy)

『Caughtin the Rain』は投稿者と分数に多少の違いがあります。今回はバージョン1と下記のバージョン2を用意しました。



『Caughtin the Rain』(原題)バージョン2




Charlie Chaplin - Caught in the Rain (1914) - FULL MOVIE
今やフリー素材ともいえる彼の映画はこの面でも非常に稀なわけですが、それそのものが一概に評価とは言えません。が、非常に動きにうったえる分かりやすくユーモアがあるインテリな映画です。約13分





Caughtin the Rain ユーチューブ公開映画







チャップリンを擁護する白人たちに知らすべき、5年という重大な時間の大差







上記方面の「日本映画初期の重要な3つの概念 日本映画最初の三大スターと一人スター体制と二大スター体制、三大スター体制と、外国を代表するサイレント映画の大スターチャップリン」の小見出し部分でも取り上げていますが、

日本のほうが国民的映画スター第1号ともいわれる尾上松之助が、同時期の外国を代表するサイレンと映画スターのチャールズ・チャップリンの先に大ブレイクしている事実が判明(個人的には昔から知っていますがこのブログ記事としては初の取り上げ)、チャップリンを特に擁護するイギリスやアメリカの白人たちはこの事実を幅広く知っているのでしょうか。


アメリカを形成に中心的だったチャップリンの母国のイギリス人=白人たちは日本人に事実上、負けていることをけして認めたがらないでしょうが、現実に5年先の事実が存在、日本のほうが完全に先です。外国人たち、特に白人たちにも知っていただきたい現実です。





ウラ記事公開予定場所 10月中に公開予定
映画を極めろ一直線女子の裏道ばやり




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2020/10/15 19:19 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

映画「浪人祭」に隠された伝説的な先輩後輩大スター同士の知られざるリスペクト







まだまだマスコミのテレビが伝えない伝説的名優が存在しています。これは映画のこともきちんと伝えていたいことの証明でもあります。

その一人が前回の中心人物の嵐璃徳(あらしりとく)です。



日本映画史上の伝説的な記念碑的映画に『ピストル強盗清水定吉』、『本能寺合戦』に2本に唯一出演し、1920年に時代劇映画スターとして華々しく売り出す専属デビュー、1920年から1925年までのピークはたった6年ほどでした。日活の石原裕次郎や東映の東千代之介などの国民的な映画大スターの最大のピークは確認している限りはたった6年ほどです。

年数は戦後のこの二人とも通じますが、嵐璃徳も6年ほどです。時代が違っても、この短期間の最大ピークの共通点が存在しています。映画という最大の娯楽の中で、主演の専属契約6年間で爆発的活躍をすれば、歴代上位は厳しいものの、十分な評価なのです。


主演85本ほどの石原裕次郎や主演90本強の東千代之介も、主演175本以上の嵐璃徳と同様に主演のピークは越しても、映画の主演や助演の代表作はいくつか存在しています。石原裕次郎はほぼありませんが、東千代之介は嵐は10を越す、助演の代表的映画があります。ここでいうピークは数多くの代表作や主演作が集中している時期のことを意味しています。また、東千代之介は主演のピークを越しても、映画の相手役俳優として数年活躍しています。





前回記事
両手に歴代記念碑 伝説の日本映画初俳優と初時代劇俳優の嵐璃徳 サイレント二大スター凌駕真相





嵐璃徳 ピストル強盗清水定吉 本能寺合戦 石原裕次郎 東千代之介








何者だ?この女 伝説の嵐璃徳を知らない人がいることにも影響 街頭インタビューマスメディア策謀





タブーに切り込む、武田邦彦の動画です。これに実は映画も影響しています。テレビニュースのマスコミがいかに事実を捏造(少なくても一部は確実に存在)しているのか、過去の映画や過去の芸能も現代の企業のマスコット的な、都合がいい人間のみがグルグルと誇張されています。個人的にも昔からテレビ番組そのものや、ニュースなどの街頭インタビューは非常におかしいものと考えています。



【武田邦彦】何者?街頭インタビューでいつも出てくる女性【地上波NGチャンネル】

【武田邦彦】何者?街頭インタビューでいつも出てくる女性【地上波NGチャンネル】の動画です。




動画内でも話に出ているが、”1兆分の一”だという、この時点でほぼやらせである。選別した数名をインタビューしてあたかも世の中の真実のように報道すること自体が元からおかしいのです。たとえばテレビと癒着の深い、ジャニーズタレント(彼らは元からアイドルではなくタレント)や韓国のファンがあたかも膨大に多いように、街頭インタビューを通じてイメージを誇張するなど、問題点は多々あります。利権のため都合が良いタレントよりも上にみせるためにアイドルという言葉を利用。

この動画コメントは、多くの人が長年の不正と矛盾、疑惑に共感しています。




武田邦彦
 ジャニーズタレント




当たらないとすぐに干される黄金時代と当たらなくても最低限なら干されない低迷現代






現代の日本映画の主演俳優は当たらなくても、大きな問題がなければ主演俳優も比較的続けられるため、大きな影響はありませんが、映画の主演俳優の専属時代は基本は1年の更新、しかも毎年、常に結果が求められた厳しい時代でした。何らかの結果を出さないと干されることが多数ありました。戦前の日本映画は戦国時代にように非常に厳しい、映画主演俳優同士の下克上が没発していた頃です。

現代の日本の多くの俳優たちは、映画主演10を越していても、残念1本も当たっていません。これは許されている現代に、時々呆れます。現代は当たらなくても所属している事務所が強くかばってくれる環境も負担が少ない部分です。


先人の苦しさがあってこそ、現代の市場が残されている。現代はヒット作ゼロでも本数を積みやすく、比較的楽な主演俳優の映画の活動を築き、同時に大きく恵まれていることを忘れてはいけませんし、感謝する環境があります。嵐璃徳もこの厳しい時代の荒波に、日活、松竹に次ぐ、映画会社ともいえる帝国キネマのトップ俳優として、勝利した時期がありました。


ですが爆発的な主演本数を記録した彼も1925年を堺に、他の若手俳優に大きく追い抜かれ、主演本数が劇的に減少していき、主演俳優としては干されてしまいました。



まさに、ざっくり厳しくいってしまうと、当たらないとすぐに干される黄金時代と、当たらなくても最低限なら干されない低迷現代です。








嵐璃徳 当たり役と代表的な役の違い 当たり役までいかない多様性の貢献





また、嵐璃徳は代表的な役柄と題材は別にあります。大石内蔵之助を1917~34の18年、8作(大石以外も含む、忠臣蔵映画は12本)で主演3作助演5作8度演じました。

主演は1917~1922の最初の4作です。最大に代表的な役柄といえるでしょう。また遠山の金さんこと、遠山左衛門尉も5作の主演で演じています。4本の荒木又右衛門、大久保彦左衛門、3度の国定忠治、2本の宮本武蔵、清水次郎長、助演では河内山宗俊を3度演じています。

『ピストル強盗清水定吉』、『本能寺合戦』、『女人地獄』ほど大きな物ではありませんが、上位の自身どまりの代表的な役柄です。ですがこれは代表的役どまり、演じただけの要素が強く、明確なヒットや評価や影響、功績の当たり役という証拠はなく、有名な役を演じているものの、比較的低めの評価です。有名な役を演じただけの要素が強いわけです。


特に1921年10月の『実録忠臣蔵(1921)』は帝国キネマオールスターキャストを実現し、超大作で大石内蔵之助と萱野三平の2役を演じました。比較的ヒットした可能性を示唆できます。1920年代前半の帝国キネマは日活や松竹と比べると、ほとんどオールスター映画の制作をしなかったことも、この映画は非常に重要な意味があると考えられます。



大石内蔵之助 帝国キネマオールスターキャスト 忠臣蔵映画 遠山の金さん 遠山左衛門尉 荒木又右衛門 大久保彦左衛門 国定忠治 宮本武蔵 清水次郎長 河内山宗俊 女人地獄 実録忠臣蔵





意外な芸能 先人と後輩リスペクト バンツマと助演の嵐璃徳バージョン大石内蔵助






嵐の助演で注目すべき点は、バンツマです、阪東妻三郎の主演映画1933年10月の『新釈清水一角 浪人祭』(阪妻プロ、新興キネマ)の助演で大石内蔵助を2番手位置で演じています。時代劇映画としては主に忠臣蔵、浪人物、悲壮美要素が考えられる映画です。

日本である意味、一番有名な役の大石内蔵助ですから、嵐にとっても非常に意味、さらにバンツマの相手役で大石を演じることの評価があります。

バンツマは赤穂浪士に討ち入られる吉良邸側として戦った剣豪、有名な剣客の清水一角(別名は清水一学)を演じています。忠臣蔵や赤穂浪士の映画の有名な実在した人物、同時に色々といじくられたキャラクターです。

いまでいう吉良こと、吉良上野介のボディガードのような存在です。討たれる側の世間的な悪役を主人公として演じ、戦いの末に激しく果てる自身のお家芸の一つを演じた、悲壮美要素もあります。


”浪人祭”という言葉は、討入りの場面を討つ、討たれる側の浪人たちの生死をかけた”人生最大の祭り”として表現しています。




監督は、阪妻プロ(阪東妻三郎プロダクションの略称)の専属j監督として知られる東隆史、残念ながら彼は名監督ほどの活躍はできませんでしたが、あえて多様性の一つとして取り上げます。これからの時代、一般的に名を残す活躍するだけが評価ではありません。

彼は1929年から1934年まで、遺作の唯一の戦後作、1950年『龍眼島の秘密 全三篇』(製作、配給=秀映社)を除いてはバンツマプロでした。由比正雪を関与させた怪奇的な要素があるダーク時代劇の1932年「神変麝香猫3部作」が主な代表作です。


東隆史が監督した1933年『新釈清水一角 浪人祭』に、二大スターの共演姿、バンツマと璃徳です。

嵐璃徳が時代劇形成の先輩の一人として、後輩のバンツマに評価されていたことを物語る明確な証拠です。自分の主演作ですが、2番手位置の重要な役柄に、バンツマプロの専属ではない嵐を招いて、特別にゲスト出演させています。嵐の功績を理解しています。

この映画『新釈清水一角 浪人祭』の時点の璃徳の通産主演映画数は175作していますが、バンツマは90作ほどでした。まだ2倍近い大差があります。この現実をある程度は理解していたと言えるでしょう。




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阪東妻三郎茨右近梶尾喬之助を2役を演じた「魔像」とDVDとVHSの不思議





残念ながら『新釈清水一角 浪人祭』は商品化されていません。
そのため『魔像(1952)』です。阪東妻三郎は、茨右近梶尾喬之助の武士と浪人の異なる身分の2役を演じています。



DVD版 

【中古】 魔像 /阪東 妻三郎 【中古】afb

写りこんでいる写真の女優はヒロインの一人を演じた園絵を演じた津島恵子です。DVD版はなぜか、片方の妻役のお絃を演じた山田五十鈴の写真がありません。出番は山田五十鈴の役のほうが多いのに不思議です。

阪東妻三郎は、『魔像(1936)』(阪妻プロと新興キネマの製作)と、1938年の『魔像 (1938) 』と1939年の『続魔像 茨右近』の日活映画でもこの2役を演じています。この3本を戦後の松竹映画で『魔像 (1952) 』として再映画化しました。


茨右近梶尾喬之助は、阪東妻三郎の代表的な映画の役柄の一つ、いえ二つです。当たり役というさらに上のレベルではないと考えています。それでも本人にとっても大事な役柄のため通産4度2役を演じています。

最初の魔像映画の『魔像(1936)』がヒットしたことがあり、爆発的に当たりを連打した、千恵プロ時代を経て、日活の専属監督となっていた時期の巨匠稲垣浩とコンビを組んだ、『魔像 (1938) 』、『続魔像 茨右近』で再映画化しています。





VHS版 作品の雰囲気を知る事ができます。

【VHSです】魔像 [阪東妻三郎/山田五十鈴]|中古ビデオ

非常に貴重なVHS版です。



津島恵子 山田五十鈴 稲垣浩 続魔像 茨右近 近衛十四郎 剣聖








阪東妻三郎の茨右近と梶尾喬之助を2役を演じた「魔像」

1936『魔像(1936)』 阪妻プロと新興キネマの製作 配給は新興キネマ
1938『魔像 (1938) 』 日活の製作と配給
1939『続魔像 茨右近』 日活の製作と配給
1952『魔像 (1952) 』 松竹の製作と配給







昔に『魔像 (1952) 』のHD画質版を視聴していますが、佳作だと考えています。演技としては良い部分はありますが、映画としては物足りないものですが、日本歴代上位の映画スター、剣聖(映画は助演中心の近衛十四郎とは剣聖とは異なり、ほぼ主演のみの剣聖)ともいわれた阪東妻三郎の主演作で商品化されているものとして非常に貴重です。バンツマらしいある種の滑稽とも捉えられる、役の強めな演じ分けが特徴です。個人的にはこれはあまり評価できませんでした。


内容の良し悪しだけではなく、日本の大スター物映画の芸能史を知るという面で観る価値があります。大女優の山田五十鈴が片方の妻役のお絃を演じています。また、バンツマの遺作から3本前の作品最晩年の映画です。







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2020/10/01 22:49 | 超大物俳優COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

両手に歴代記念碑 伝説の日本映画初俳優と初時代劇俳優の嵐璃徳 サイレント二大スター凌駕真相







両手に歴代記念碑 伝説の日本映画初俳優と初時代劇俳優の嵐璃徳 サイレント二大スター凌駕真相






鞍馬天狗は1924年の帝国キネマ『女人地獄』が最初の映画です。原作はもちろん大佛次郞(おさらぎじろう、別表記=大仏次郎)、鞍馬天狗なのに、そのネーミングがないのはなぜ、実は女人地獄のエピソードに着目したタイトルで原作と同名、大佛次郞の鞍馬天狗の小説としては4刊目『女人地獄』、鞍馬天狗の名前を入れていないだけです。名前を入れていない映画が1本目になってしまっただけです。




前回記事⇒週刊少年ジャンプの三大原則の友情・努力・勝利の形成に超絶俳優の国民的有名映画の影




鞍馬天狗 帝国キネマ 女人地獄 大佛次郞 大仏次郎






映画の大衆が天狗さえも大作家さえも動かした 児童時代劇が小説版の児童作を誕生







定着している映画の鞍馬天狗といえば、児童物の要素がありますが、『女人地獄』は少年の杉作(日本映画で最初に定着した人気子供キャラクター)が登場しない、児童要素がない鞍馬天狗だったと考えられています。


原作自体も最初は児童要素が弱いものだったとされていますが、映画化の嵐寛寿郎こと、アラカン版の児童要素が子供たちに広く、受け入れられたことから、少年の要素を取り入れた原作も書かれることとなり、大衆の意見が原作の続編の行方の一部分に影響を与えさせたことも非常に意味があります。制作側の自己満足を押し付けるだけではなく、きとんと大衆の意見を取り入れる創作に非常に大切なことも実現させました。


架空の覆面の謎のヒーロー鞍馬天狗と実在した新選組の近藤勇らの幕末の騒乱の一幕を描いていたものと分かります。架空と実在、これぞ時代劇です。現代にアニメにも大きくつながります。アニメは基本は実在の人間を絵のキャラクターに置き換え、架空や現実をいじくった世界が基本です。他にも日本の時代劇からの流れが多数あります。

鞍馬天狗は実川延松、近藤勇は阪東豊昇、この2名の対決や幕末の劇的な情勢の変化を軸に描かれた鞍馬天狗、児童物要素が薄く、定着したのちの嵐寛寿郎版のピーク時の印象とは、大きく離れたものだったようです。



杉作 嵐寛寿郎 新選組 近藤勇







映画会社中期以降の急上昇 時代劇スター実川延松







初代鞍馬天狗を演じた実川延松(じつかわえんしょう)、日本最初の映画俳優の一人であり、映画会社の帝国キネマを中心に看板スターとして活躍した時代劇大スターの嵐璃徳(あらしりとく)の相手役を帝国キネマの初期から中期(帝国キネマは1920~1931)にかけて20本以上務め、ヒロインの女役(女形)も多数演じました。帝国キネマの初期はまだ女優自体が存在していない時期です。


また3番手以下の助演俳優もこなし、松竹など外部会社に出演した辺りから評価を上げ、帝国キネマが後期1925年以降になると主演数が急上昇、帝国キネマ末期の1929~1930にかけての18作連続主演も記録しています。『女人地獄』は初代の鞍馬天狗を演じ、尾上松之助やアラカンの流れに貢献した自身上位の代表的な主演作です。

映画主演数は日本映画歴代70位台後半の56本が確認できますが、記録がないものを含めると現実の主演数は60本以上だと考えられます。

彼の主演の代表作そのものがほぼ存在していませんが、唯一、映画が40年以上で60本近く作られる鞍馬天狗題材の記念すべき1本目に主演し、テレビ時代劇を含めると70年以上の映像歴の最初の功績を残しました。




実川延松






天狗映画初代の近藤勇俳優 阪東豊昇







『女人地獄』で近藤勇を演じている阪東豊昇(ばんどうほうしょう)は、実川と近く、嵐璃徳(あらしるとく)の相手役、助演、脇役の俳優、1920~1929の約10年間の映画実働で、180本以上の映画に出演していたことが確認できます。


映画出演履歴の記録が残されていない空白の時期2ヶ月から10ヶ月の範囲が、最低3度あることからも、180はあくまで最低限度の出演本数、ここから数十本は多く出演していたことが推定でき、最低でも200は越していたといえるでしょう。主演作はほぼありませんが、天狗映画で初の近藤勇を初めて演じ、相手役は数本、全体は戦前のサイレント期に時代劇中心に活動した映画の名助演、脇役俳優の一人です。




阪東豊昇





鞍馬天狗 1 角兵衛獅子 鶴見俊輔セレクション (P+D BOOKS) [ 大佛 次郎 ]

残念ながら女人地獄は書籍で見つからないため、鞍馬天狗 1 角兵衛獅子です。







戦前を代表する映画スター、時代劇スター、名優の嵐璃徳





『女人地獄』は伝説の映画スター、時代劇の大スターの嵐璃徳も出演しています。この映画の出演俳優として、実川延松阪東豊昇に次ぐ、3番手扱いだと考えられています。

嵐璃徳(あらしるとく)は1920年代初頭から中盤までの日本映画スター俳優の中で、日活の尾上松之助、松竹の沢村四郎五郎の次ぎ、3番目の大スターとも考えられている俳優です。この区間のみ日活、松竹、に次ぐ映画会社の帝国キネマのトップ俳優でした。

日本のサイレント映画の主演数は尾上松之助(950ほど)、松竹の沢村四郎五郎(最低でも250)に次ぐ、歴代ベスト3を記録していることもサイレント映画三大スター定義の一つの理由になると考えています。



事実上の時代劇六大スター(現代劇含む通産主演本数順表記、戦後は御大、両御大とも言われた片岡千恵蔵、市川右太衛門をはじめとする長谷川一夫、嵐寛寿郎、大河内傳次郎、阪東妻三郎)の登場前の事実上の日本初の三大スターの定義の可能性が考えられています。

林長二郎(長谷川一夫)、高田浩吉、坂東好太郎の松竹下加茂三羽烏(1930年代の松竹映画内の時代劇三大スター)よりも、約10年ほど前に日本三大スター、松竹下加茂三羽烏は3番目デビューの坂東好太郎のデビュー年の1932年から、林長二郎の1937年の東宝移籍による概念の消滅の6年間が期間です。

三羽烏よりも日活の尾上松之助、松竹の沢村四郎五郎、帝国キネマの嵐璃徳の方が先です。ただ松竹下加茂三羽烏のように同じ映画会社ではありませんでした。




嵐璃徳 尾上松之助 沢村四郎五郎 サイレント映画三大スター

時代劇六大スター 片岡千恵蔵 市川右太衛門 長谷川一夫 大河内傳次郎 阪東妻三郎 御大 両御大

林長二郎 高田浩吉 坂東好太郎 松竹下加茂三羽烏





短期間の主演ピークながら戦前のみの世界上位の映画出演本数300以上に出演






嵐璃徳は1920年から1925年を自身の6年ほどの主演俳優の短いピークを中心に、主演は175作以上を記録、1899~1935年までの実働で280本以上に出演し、未確定含むと最低でも300本以上の出演本数とされ、単独主演期間は1917~1932の16年間、1925を境に主演数が急激に減少しているため、主演のピークにしています。



彼もメディアやテレビが伝えない、日本映画形成に貢献した名優の一人であり、影響力は比較的大きな人物です。1920年代前半は日活や松竹の大手に次ぐともいわれた帝国キネマ、映像含む映画や芸能の多様性に大きく貢献した時期があった俳優だからです。影響エピソードは残念ながら残す概念がない時代ではありましたが、後輩俳優も多数存在しています。






嵐璃徳 日本初の劇映画と日本初の時代劇映画の出演






また、嵐璃徳は、1899年の『ピストル強盗清水定吉』に横山運平、市川目高と共に最初の劇映画、初の現代劇映画に出演し、日本初の映画俳優となり、このとき24歳、ではなく、なんと14歳です。14歳は子役は過ぎていますが、日本初の少年俳優です。



清水定吉は実在した日本初の拳銃強盗犯であり、1882年(明治15年)から、覆面で拳銃、現在の東京都にあたる東京市において、80件以上の強盗と5人を殺害、明治時代の日本の元死刑囚です。この実在の人物を元にしたドキュメンタリー要素の映画が日本初の劇映画で、名優の横山運平は主演の警官を演じ、璃徳は脇役です。


また、日本最初の時代劇映画1908年『本能寺合戦』(日本初の巨匠の牧野省三の監督第1作)に出演しており、中村福之助、嵐璃徳が主要、日本初の時代劇俳優の一人ですが、このときは専属の映画俳優としては活動しませんでしたし、専属以前の出演本数は数本です。


ピストル強盗清水定吉』、『本能寺合戦』は彼の単発出演の明確な代表作です。2本とも日本映画の歴史に非常に重要な作品だからです。そして『女人地獄』も彼の代表的な単発作品です。

通産の出演、主演数、人気などでは日活の尾上松之助、松竹の沢村四郎五郎を下回ると考えられていますが、先駆的な実積と記念碑的な功績のいくつかは、この両名を上回っているといえます。




ピストル強盗清水定吉 横山運平 市川目高 日本初の劇映画 日本初の現代劇映画 日本初の映画俳優

清水定吉 日本初の拳銃強盗犯 東京市

本能寺合戦 牧野省三 中村福之助 日本初の時代劇俳優

おじいさん俳優 最年長映画出演俳優 日本映画第一号俳優 新東宝映画 怪猫題材 渡辺邦男 大河内傳次郎 木暮実千代






最年長映画出演俳優 横山運平





横山運平は戦後しばらくは最年長映画出演俳優でした。『鍋島怪猫伝』は日本映画日本映画第一号俳優、日本初の主演俳優の横山運平の出演映画、璃徳の映画は残念ながら商品化されていません。



鍋島怪猫伝 【DVD】



『鍋島怪猫伝』は1948年の新東宝映画で、日本のホラー映画のジャンルの一つ、怪猫題材の時代劇、監督は娯楽映画大巨匠の渡辺邦男、主演は大河内傳次郎、ヒロインは木暮実千代、



横山運平は主演から10番手圏内の役柄で出演しています。彼は戦後の晩年は最年長映画出演俳優としても評価され、おじいさん俳優として、多くの作品に出演しています。

なんと、最初の1899年の『ピストル強盗清水定吉』から1948年までだけでも約50年の映画出演歴を記録しています。







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2020/09/15 21:28 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

週刊少年ジャンプの三大原則の友情・努力・勝利の形成に超絶俳優の国民的有名映画の影





週刊少年ジャンプの三大原則の友情・努力・勝利の形成に超絶俳優の国民的有名映画の影






ちょっとこぼれ話になりますが、実は近衛十四郎の妻、松方弘樹、目黒祐樹の母の水川八重子は、「鞍馬天狗」の映画に出演しています。鞍馬天狗といえば映画50作以上の映画が制作された、国民的な時代劇映画、制作本数日本映画歴代ベスト10にランクインするレベルの有名題材の一つですが、通算42作、43作(現存バージョン含むと43、含まないと41、WIKIには46とあるが正確には違う)が確認できるアラカンこと嵐寛寿郎版か、いえ違います。ですが出演しています。

鞍馬天狗は日本の映像コンテンツの単独主演による長期シリーズの製作のそのものの概念の形成に大きく貢献しました。





前回記事剣聖の次男とダブル歴代ベストテン俳優 逝去の渡哲也降臨とライバル三人の意外な本数争い



近衛十四郎 松方弘樹 目黒祐樹 水川八重子 鞍馬天狗 アラカン 嵐寛寿郎





シリーズ路線そのものに貢献した2大超絶俳優の国民的有名映画の影







アラカンの鞍馬天狗の影響、たとえば渥美清の「男はつらいよシリーズ」(48作、または49本、新作の50本目は含まない)や森繁久彌の「社長シリーズ」(33本)や勝新太郎の「座頭市シリーズ」(26本)は戦後に作られた、「社長シリーズ」は1950年代から、他の2つは1960年代からです。

この3つの単独主演俳優による25作以上が作られた映画シリーズ、嵐寛寿郎鞍馬天狗は1927年から30年ほど製作され、1950年代中盤までの単独主演の映画シリーズとして世界最長を記録、のちの映画やドラマ、アニメなどの多彩な映像コンテンツのシリーズ路線に多大な影響を与えています。多くの企業が恩恵を受け、世話になっています。


渥美清 男はつらいよシリーズ  森繁久彌 社長シリーズ 勝新太郎 座頭市シリーズ




この3つの単独主演俳優による25作以上が作られた映画シリーズ、嵐寛寿郎の鞍馬天狗は1927年から30年ほど製作され、1950年代中盤までの単独主演の映画シリーズとして世界最長を記録、のちの映画やドラマ、アニメなどの多彩な映像コンテンツのシリーズ路線に多大な影響を与えています。多くの企業や多人数がその恩恵を受け、膨大な映画、テレビ、アニメ、ゲーム、製品などがその世話になっています。




テレビドラマでも1969年からの東野英治郎の「水戸黄門」もこの映画シリーズ路線をテレビドラマに置き換えて継承しています。また「サザエさん」などの長期のテレビアニメシリーズへも影響も少なからず存在しています。東映でいうと「ドラゴンボール」や「ワンピース」や「プリキュア」などは東映のアニメ制作、特撮の「仮面ライダー」、「スーパー戦隊」にも貢献した資金源を蓄えたトップ俳優で、忠臣蔵、遠山の金さん、宮本武蔵、ギャング物などの数多くの題材長期路線でも成功を収めた、先生を上回る御大こと、片岡千恵蔵の影響も強くありますが、そのライバルでもあり、長期シリーズ路線のもっとも先駆的な存在の嵐寛寿郎の影響も捨て切れません。


アニメと時代劇に詳しいと分かる方もいると信じたいですが、「ドラゴンボール」や「ワンピース」は、実は片岡千恵蔵が1957年から1962年にかけて爆破的にヒットさせた清水次郎長と部分的に似ています。1956年度年間観客動員1位の「任侠清水港」(公開は1957年正月だが、ランキングは1956年の扱い)からスタートした千恵蔵の次郎長映画は、3作連続1500万人(4作目は1500には届かず)、4作連続1000万人級を記録するなど、軽く5000万人以上を動員し、時代劇映画史上最大のヒットシリーズ、また東映映画の最大のヒットシリーズです。


同じ東映でも知名度誇張が異常な「仁義なき戦い」シリーズは10作以上あっても、2000万人も動員していない、過剰なメインテーマ起用による印象操作、さまざまな真実をテレビやマスコミはこの真実をほぼ伝えません。映画や芸能の嘘を付き続けています。




東野英治郎 水戸黄門 サザエさん プリキュア 仮面ライダー スーパー戦隊

ドラゴンボール ワンピース 片岡千恵蔵 清水次郎長 

1956年度年間観客動員1位 任侠清水港 千恵蔵の次郎長映画 次郎長映画 時代劇映画史上最大のヒットシリーズ 東映映画の最大のヒットシリーズ

仁義なき戦いシリーズ







日本映画の歴史にとっても黄金期を物語る非常に大事な映画が楽天とアマゾンにない理由??







下記の画像リンクは、千恵蔵の次郎長映画2作目の『任侠東海道』です。楽天、アマゾンともに1作目がありません。CS放送で何度も再放送されていますが、1作目「任侠清水港」は東映や日本映画の歴史にとっても黄金期を物語る非常に大事な映画ですが、最良原版の状態が悪く映像と音声の劣化版のみしか現存していません。


映像は劣化でも味として視聴できますが、俳優の声や音楽が”がさつく”ことが聞き取りにくさもあり、何度視聴しても、非常に悲しい部分です。1本歴代上位の名優50名近く出演する映画の音声が、原版の保存状態の劣悪による音声の悪いことの悲しさ、保存していた東映の管理にも問題があるわけですが、







外国映画に毒された日本の映画音楽はひどいというイメージは過去の知識が非常に理解が薄い人たちが広めた嘘






黄金期の映画時代劇は俳優の声が大切な音楽です。それぞれの演技の個性の声が一番の音楽、またメインテーマや劇中の音楽を外国のようにスタンダードにすると内容に合いません、日本映画は外国映画とは異なるのでこれはどちらが劣るということではありません。


先人はこれを理解し、日本映画の個性を現実に実行していました。2作目の『任侠東海道』の音楽の日本映画を代表する名音楽家の深井史郎も同様で、彼は歴代上位の数十本のヒット映画の音楽を手がけ、この映画でも作品の侠客物に相乗するように、日本の古くからの個性の音楽である、伝統的な非協和音の音やテンポ上手く取り入れた曲が多めです。深井史郎、テレビが取り上げないため、ご存じない方もいるかもしれません。


日本の映画音楽はひどいというイメージ、そんなことはありません、これは過去の知識が非常に理解が薄い人たちが広めた嘘です。外国映画に毒されていると、これさえもわからない人もいるかもしれません。これも大変重要なことで、黄金期の日本映画が”外国の真似でないことの素晴らしさ”がここにもあります。現在の日本映画は音楽も残念ながら大半が外国勢力に汚染されています。気づかない人も多くいますが、日本人が日本人の個性を失っています。


1作目「任侠清水港」が商品化されていない理由はがさつきなどがのためかもしれません。


任侠東海道 深井史郎





【VHSです】任侠東海道 [片岡千恵蔵/中村錦之助/大川橋蔵]|中古ビデオ【中古】

大変に貴重なVHS版『任侠東海道





千恵蔵の次郎長映画は、のちの東映の現代劇の仁侠映画の形成へも影響を与えてます。東映が現代劇中心へシフトチェンジしたことの理由の一つが、映画1本の製作予算を縮小です。東映が侠客物の時代劇を現代劇の仁侠映画へ置き換え、いわゆる仁侠映画の雰囲気や討入りの要素は次郎長映画、特に千恵蔵の次郎長の超大ヒットの影響が大きい要因です。

忠臣蔵も討入り要素はありますが、あれは任侠の殺陣などではありません。殺陣も時代劇の侠客のやり方や作品ごと、役柄ごとの違い、現代劇は現代劇の明治や大正、昭和初期、現代の年代でも多少は異なるため、そのまま同じではありませんが、時代劇の侠客物の大きな影響があります。


仁侠映画で大成功を収めた後輩の高倉健や鶴田浩二、藤純子も千恵蔵のおかげが大きく、千恵蔵の次郎長映画4作で4作連続準主役を演じた市川右太衛門の恩恵も受けています。右太衛門は初期の東映映画(東横映画時代も含む)以外は現代劇には出演しないため、任侠俳優の3名との縁はありませんでしたが、千恵蔵は時代劇と現代劇の両輪でトップのため、何度の競演がありました。


DVD版『任侠東海道』 監督は天皇と呼ばれた東映ナンバーワン巨匠の松田定次
 
VHS版と画像を比べると不思議なことが分かります。片岡千恵蔵の横顔はVHS版の画像からそのままDVD版に貼り付けていることが分かり、大友柳太朗や中村錦之助など全体は同様、市川右太衛門だけが何故か、VHSとDVDの写真と顔が少し違います。



殺陣
 高倉健 鶴田浩二 藤純子 市川右太衛門 




アマゾンには貴重なパンフがあります。リンク先は昭和31年度とありますが、
正確には1957年の1月公開のため、昭和32年度です。

昭和31年映画パンフレット 任侠清水湊 片岡千恵蔵 中村錦之助 市川右太衛門 大川橋蔵







ドラゴンボール」「ワンピース」と次郎長映画 週刊少年ジャンプの三大原則の友情と努力と勝利の形成







ドラゴンボール」の主人公の孫悟空や初期の世界観は中国が元ネタですが、方向性など、次郎長を元にいじくったともいいうこともできます。戦前から70本以上の映画がある次郎長映画もだんだんと仲間を増やしていき、経験や人間関係を広め、旅を通じ、世の中のための”努力”を通じ、弱いものや自分たちのために、仲間以外の信頼から生まれた”友情”の協力も取り入れながら、味方や敵役の多くの名キャラクターたちを通じ、度々対抗勢力と闘って、最後は”勝利”を収めます。



週刊少年ジャンプの三大原則の友情・努力・勝利も同じです。三大原則は日本の時代劇から元は生まれています。個人的には次郎長題材がもっとも大きいと現時点では考えています。次郎長は今でいう世の中のアウトロー達やはみだし者達、実は「ドラゴンボール」や「ワンピース」のメインも海賊の世界に置き換えた、現実でいうと世の中のアウトロー達やはみだし者達です。ここも現実に共通しています。


週刊少年ジャンプ 三大原則 友情・努力・勝利 三大原則 孫悟空




また、片岡千恵蔵の功績の一つになってしまいましたが、彼は大きく幅広く深い影響が現代も数多くあるため、度々登場します。児童向けとして、当時は評論家や知識人たちには敬遠された鞍馬天狗はシリーズ路線の基本を戦後に伝え、のちの東映から国民的な流れに羽ばたいたアニメへの影響も大きく、ここに千恵蔵だけでなく、嵐寛寿郎も強めに関与しています。





姉妹ブログにも新記事 次郎長登場なのか、結果的に同時で、偶然の次郎長祭り開催か?!

【動画有】長五郎から長太郎へ「あばれはっちゃく」誕生裏を取れ 時代を飛び越えた国民的侠客から名作児童ドラマ





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2020/09/01 23:23 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

剣聖の次男とダブル歴代ベストテン俳優 逝去の渡哲也降臨とライバル三人の意外な本数争い





剣聖の次男とダブル歴代ベストテン俳優 逝去の渡哲也降臨とライバル三人の意外な本数争い






大河内傳次郎についてももう少しこの流れを取り上げていきます。


前回と前々回などで取り上げているように大河内傳次郎は1本の1000万人ヒットの単発主演作が存在しませんでした。シリーズは丹下作膳シリーズがもっとも観客を動員したと考えられます。これは1000という大台を越したものだと考えられています。

大河内の最大の当たり役と称されている代名詞的な時代劇映画の題材です。その前に今回はこの流れで大きな脱線を計ります。そのまんまでも面白くはないためです。横道が実は一番面白い、これは人生も映画も重なることがあり、王道も横道も異なる味わいがあるはずです。




【映画論争点】1000万人映画11から22へ倍増 興行収入と観客動員のまやかし 六大俳優の国立映画アーカイブ不平等








大河内傳次郎の活躍を示すいくつかの比較







最初に一言、数字も一つの評価ですが、全てではありません。好き嫌いは主観や個人差で人による基本的に評価できない要素ですが、数字は普遍的な要素が高い証拠の事実です。ですが、YouTube(ユーチューブ)などの再生数やいいねはあまりに評価できません。

ファンの一人がいくらでも観て、しかも無料で簡単に視聴数は爆発的に稼げるし、アカウント数はいくらでも作れる、比較的ラクで無料に登録者数も増やせる、いいねはいくらでも押せる、1を10000やそれ以上にすることも余裕で可能です。YouTubeは個人や企業による数字の誇張行為がいくらでもできてしまいます。

映画の動員数も一部に何度も観る人がいますが、さすがに1や複数がほぼ限度です。映画の動員数は比較的、1名が1カウントが多く、比較的に正確ということになります。




大河内傳次郎は旧字、大河内伝次郎は新漢字、基本的には彼を表現する場合は彼が活躍した時期に基本的に使用されていた傳次郎の表記が基本です。彼は300作強の映画に出演し、主演は原版と現存含んで170作ほど、日本映画の主演数の歴代ベスト10のギリギリ範囲を記録しました。近年まで存命の映画俳優の高倉健が主演127作(美空ひばりとの共演の準主役や相手役は当然主演に含まない)なので、彼を上回る活躍をしたと基本的に考えられています。



大河内傳次郎は日本映画歴代ベスト10ランクインの80本以上の主な主演映画代表作本数を記録しました。主演本数でギリギリ10位、代表作80もベスト10入り、ダブルでベスト10入りを果たしています。ちなみに1位は大半の短編映画含む主演本数は950強の尾上松之助、中篇映画以上のみだと片岡千恵蔵が1位、主演代表作本数も片岡千恵蔵が200を越し歴代1位の確認をしています。

ちなみに全ての表記している全ての俳優の本数の確認は当然ながらしています。



大河内傳次郎 大河内伝次郎 高倉健 美空ひばり 尾上松之助 片岡千恵蔵

旧字 新漢字






2020年8月10日に逝去の渡哲也も降臨、ライバル三人の意外な本数争い





2020年8月10日に逝去した名優の渡哲也は、テレビドラマのほうに代表作が強い傾向がありますが、映画でもある程度の活躍を果たしました。出演数は90ほど、主演映画の通産本数は56本、出演の通産主演率は5割を余裕で上回っています。個人的なカウントの主演代表作の本数は13本です。渡哲也は日本映画歴代主演本数は歴代70位です。日本歴代の全てのスター俳優を確認している順位です。


渡哲也の映画時代のライバル的な俳優の高橋英樹が通産主演数58、宍戸錠が通産主演数57作(映画出演本数は300以上だが主演数、代表作が少ない、主演映画よりも小林旭の主演映画の敵役が一般的に有名)です。日活の同時期の俳優と通産本数が競り合っているこうは非常に興味深いところです。また、渡哲也の先輩で仲が良かった石原裕次郎が主演本数85本、三船敏郎は主演本数76本のカウントをしています。




日活映画のライバル俳優3名の通産主演本数
高橋英樹 58本
宍戸錠 57本
渡哲也 56本



日本映画歴代俳優の主演本数の中で、同時期に映画全盛期の活動した同社メインの俳優が、3本差に3名が並ぶという歴代でも稀にみる偶然が生まれています。






【中古】無頼より大幹部 【DVD】/渡哲也DVD/邦画なつかしの映画

渡哲也の主演映画シリーズの最大の代表作が「無頼シリーズ」です。高倉健、鶴田浩二、藤純子などの東映の任侠とやくざ路線の爆発的な大ヒットの影響を受けた日活が任侠とやくざ路線の映画製作に乗り出し、渡は主人公の藤川五郎というやくざを男っぽく演じ、恋愛の噂もあった松原智恵子をヒロインに迎え、通算6作が製作されました。1968年『無頼より大幹部』はその1作目です。監督は先輩の石原裕次郎ともっともコンビを組んだ娯楽映画巨匠の舛田利雄(まずだとしお)がつとめました。



渡哲也松原智恵子無頼より大幹部大判チラシ 兵庫


『無頼より大幹部』の貴重な公開当時のチラシです、かなりのプレミア品です。





渡哲也 高橋英樹 宍戸錠 石原裕次郎 三船敏郎 

無頼シリーズ 高倉健 鶴田浩二 藤純子 藤川五郎 松原智恵子 無頼より大幹部 舛田利雄





大河内版丹下左膳の終焉に目黒祐樹のごっこ証言 稀にみる名匠豪華リレー






大河内傳次郎の映画の丹下左膳の14作(1928~1954、約26年、丹下左膳と大岡越前の2役の大岡政談を含むと通算18作)で個人的な見解だと最低でも1000万人以上は記録したものと考えられます。当時の政治や大岡越前に刃向かい、世の中の権力に立ち向かった架空の反逆のヒーローです。

この大河内版は1作当たりの平均を100万人ほど考えても1400万人は動員していることになります。これは現在でいうと3000~4000万人、またはそれ以上に相当する観客動員です。レコードなどでいうと戦前の30~50万枚が現代のCDやダウンロードの100万枚以上に該当することもつながりがあります。現代としても十分のヒットですが、稀にみる爆発的な大ヒットです。



大ヒットのエピソード、色々ありますが、一つ例に出すと目黒祐樹(1947年8月15日生れの73歳)がNHKのラジオ番組に銀幕映画俳優の話をするために、2ヶ月に1度のレギュラー出演していた時に、幼少期の頃に、同年代の子供たちと丹下左膳ごっこや鞍馬天狗ごっこをやっていたとの証言をしています。親がこれを許していたという事になります。丹下左膳や鞍馬天狗が国民的に浸透していた、さらに親が子供に真似遊びさせることを問題と感じていない題材だった証拠の一つといえるでしょう。


実はこの2題材は目黒祐樹の親の世代くらいから長期間にわたって継続していました。父親(大都、松竹、東映中心の剣聖ともいわれた助演中心に時代劇映画の剣戟要員としても活躍した近衛十四郎)と母親(大都映画の女優の水川八重子)も映画に出演していた俳優、目黒祐樹はこの2人の次男です。兄で長男が松方弘樹です。




丹下左膳 大岡越前 大岡政談 目黒祐樹 鞍馬天狗 

剣聖 近衛十四郎 水川八重子 松方弘樹






鞍馬天狗は嵐寛寿郎の児童向けに爆発的な人気を博した、幕末舞台の架空と史実を重ね合わせた児童向け要素が強めの時代劇ヒーローの映画の一面があります。丹下作膳は1953年~1954年に時代劇映画や娯楽映画の大巨匠マキノ雅弘監督と大映の映像美の名匠三隅研次の豪華リレーで、大河内傳次郎版の最後の3部作(同時にシリーズ該当)が公開しています。1953『丹下左膳(1953)』の公開時の目黒祐樹は数え年6歳、1954『丹下左膳 こけ猿の壺』の公開俊は数え年7歳です。これは戦前の再公開作品も含めて観ていたものと考えられますが、新作としては丹下左膳ごっこをしていたときは、この3部作のときだったともいえるでしょう。



大河内傳次郎の戦後の丹下左膳 戦後版の3部作でもあり シリーズ通産12~14作目

1953『丹下左膳(1953)』  大映  監督=マキノ雅弘
1953『続丹下左膳』  大映 監督=マキノ雅弘
1954『丹下左膳 こけ猿の壺』  監督=大映 三隅研次






上記は13作目の『続丹下左膳』(監督=マキノ雅弘)です。

戦前の全盛期の破格の活躍、主演スターのギラギラしていた眼光は衰え、この頃は助演俳優の顔立ち、目の淀みが増してきた印象もある大河内、助演メインに下る前の主演俳優としての節目に、もう一度丹下左膳をやりたい意志が反映された最後の3作でした。


ラスト3連作の通産12作目の1953『丹下左膳(1953)』が残念ながら商品化されていないのが不思議ですが、その2作目です。最後の3連作の2作目だけでも、大河内版丹下左膳のラストスパートの一端を垣間観ることができ、視聴者や演技者、製作者の時代劇の勉強にもなる作品です。






嵐寛寿郎 マキノ雅弘 三隅研次 丹下左膳 こけ猿の壺 続丹下左膳



今回の記事は、日活の先輩と後輩同士である大河内傳次郎(戦前の1920年代中盤から1930年代後半にかけて日活や日本映画そのものを代表する歴代上位の大スター)と渡哲也(戦後の1960年代から1970年代にかけての日活のアクション、やくざ路線を中心に活動、主演数と代表作数、観客動員などから、中、上位ではないため、中規模スターの判定)の意外な競演を実現させました。






ウラ記事の最新記事 タイトルがだいぶ長め、記事タイトルにかなり悩んでいます。関連性と伝えたい部分と抑えたい部分
摩訶不思議 「いなばWanちゅ〜る」もう1本コールと『刺青奇偶』『雪之丞変化』時代劇四大巨匠「泉笠」






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2020/08/16 23:09 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

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