【栄耀栄華】新人監督のニュージーランドスクリーン賞2作の快挙と往年名優ピーター・オトゥールが結ばれた理由
娯楽作以外の海外映画を視聴していると人種とは、自分の価値観とは、生まれ育った環境とは何なのだろうかと考えさせられることがあります。白人に生まれたら映画では多くの地域で仕事がしやすく恵まれる、日本人ではだめなのだろうか。いやけっしてそんなことはない。ただ白人が日本人や他のアジア人よりも先に大きなツールに手伸ばして占拠していただけだからです。
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前回記事⇒未来のNZ ニュージーランド映画を背負う新鋭とヴィンセント・ウォードの十字架
栄耀栄華 デビューでニュージーランドスクリーン賞に2作の快挙の真相
その後、の日本未公開の2006年『No.2』=別題『NamingNumberTwo』で監督デビューを果たしています。この作品も国内で好評を得て、2006年のニュージーランドスクリーン賞にノミネートされています。
さらに前回の記事にも登場したヴィンセント・ウォードが監督した2005年『ファイナル・ソルジャー』(原題はRiver Queen、日本でも公開)の脚本で参加、この作品は同年の2006年のニュージーランドスクリーン賞の監督賞に12部門でノミネートされました。
つまりトア・フレーザーは、2006年のニュージーランドスクリーン賞(ニュージーランドが製作に関与した映画とドラマの賞を表彰する賞)に2作においてノミネートしていることになります。2006年のトア・フレーザーは、『ファイナル・ソルジャー』は脚本でノミネートし、『No. 2』にも同時にノミネートしたということです。
『No. 2』は2006年の2月の公開であり、ギリギリの期間で2006年のニュージーランドスクリーン賞のノミネート作品の対象期間に含まれたようです。また、『No.2』のトア・フレーザーは監督としての初受賞はなりませんでしたが、主演女優や助演女優、助演男優など4部門が受賞しました。
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ニュージーランド新人監督の快挙 デビュー作でいきなりの北米デビューと白人史上主義
さらに『No.2』はニュージーランド国内の公開題名、また『NamingNumberTwo』は2006年に北米の公開用に題名を変更、事実上の北米でデビューも果たしたことになります。トア・フレーザー(ToaFraser)は監督デビュー作でいきなりの北米デビューができてしまうとは、やはりニュージーランドとアメリカは同じ英語の言語圏であるだけでなく、白人同士だから可能だった部分もありそうです。
ちょっと反れますがスポーツ業界はオリンピックや世界大会が存在し、日本人にもある程度の平等なレベルにおいて、トップになる可能性がたくさんありますが、映画業界には平等は薄めです。それゆえに海外の英語圏の多くが白人の中心に回っているわけです。悪く言えば、海外の英語圏の映画では日本人の存在は必然的のサブになるため、存在価値が薄く事実上の場違いともいえます。
なのでマスコミは海外に出ている俳優をスポーツと同様のように扱いのはおかしい部分もあると感じています。世界の映画界は今でも白人史上主義が広がっています。
日本人は日本で独自なモノを海外に発信していけば良いだけなのです。これができるのも映画業界を形成し、牽引してきた多くの俳優たちや製作者たちから譲り受けた土壌のおかげだと感謝しながら・・
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トア・フレーザーとピーター・オトゥールのインディペンデント・フィルムは晩年の代表作の一つ
トア・フレーザーの2006年のデビュー作『No.2』は家族、コメディ要素の映画ですが、2007年のアメリカのBlack Reel Awardsのベスト・インディペンデント・フィルムにもノミネートされました。この賞はアフリカ系アメリカ人を評価するための賞であり、作品劇中にアフリカ系アメリカ人の俳優が参加していたことが確認できます。
トア・フレーザーは脚本とデビュー作の評価にとどまらずに監督2作目の日本未公開のコメディ『DeanSpanley 』(原題、2008年、製作はニュージーランドとイギリス)においても国内の高い評価を受けています。この映画にピーター・オトゥールが出演しています。
晩年のピーター・オトゥール(Peter Seamus O'Toole 2013年に81歳没、主にイギリスを拠点に活動)がメインキャスト3名に次ぐ、事実上の4番手の助演の参加作品でもあり、晩年の出演の代表作の一つに含まれるでしょう。
『DeanSpanley 』はピーター・オトゥールの本国のイギリスで初公開したとき76歳でした。この作品の彼は白髪であり、往年の『アラビアのロレンス』などの若い印象は当に消え去っており、時代の流れを感じさせてくれます。若き日の印象が強い名優ですが、晩年も多くの名優と同様に積んできた履歴を背負った独特な雰囲気を放ってました。
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まさかのコラボレーション実現 英国と日本の大スターのピーター・オトゥールと嵐寛寿郎
見出しの上記『Dean Spanley』写真のクレジット上記に位置した、5名の顔に注目していただきたいと思います。左から4人目、右から2人目にピーター・オトゥールの撮影時70代の顔が確認できます。
テレビドラマに出演していた1977年代後半にNHK放送されたドキュメンタリー要素を多く取り入れたテレビドラマ『日本の戦後』の1話「日本分割 知られざる占領計画」に重要な役柄で出演していた、晩年の時代劇映画の大スター嵐寛寿郎(日本歴代上位の主演映画245作以上を残し、映画350作以上に出演)を思い出してしまいました。
あくまで個人的なレベルですが、つぶらな瞳の表情が通じる部分がピーター・オトゥールと嵐寛寿郎に通じる部分があると感じています。映画愛子はこの『日本の戦後』は再放送でVHSビデオに録画して視聴しています。このテレビドラマの数年後に嵐寛寿郎は天国に召されています。
⇒新星トア・フレーザーと名俳優ピーター・オトゥールにヴィンセント・ウォード デヴィッド・フィンチャーとジョディ・フォスターのカップル成立を叩け!!
さらに責めますし、攻めます。
2017/11/15 00:02 | 洋画・探求 | COMMENT(2) | TRACKBACK(0)