高倉健も恐るべきこの男の源流の一部の川の流れであったのだ!
源流、それはなければ上流や下流も存在しない一番に重要視され、なおかつ正当に評価されないければならない部分である。この男は数多くの人物に多大な影響を与えている。今では当たり前の部分にもこの男の影響が根付いているのである。高倉健もこの男の源流なくしては世の中に存在していない。この男は主演した刑事やギャングの要素のガンアクション映画・通称「地獄シリーズ」もその一つである。未だに日本映画の歴史に異彩を放つシリーズ作である。
片岡千恵蔵の「地獄シリーズ」
1957 1「地獄岬の復讐」
1958 2「奴の拳銃は地獄だぜ」 (高倉健が助演
1959 3「地獄の底までつき合うぜ」 (高倉健が助演
1960 4「二発目は地獄行きだぜ」 (高倉健が助演
1961 5「俺が地獄の手品師だ」 (高倉健が助演
1961 6「地獄の底をぶち破れ」
1962 7「地獄の裁きは俺がする」
1962 8「裏切者は地獄だぜ」 (高倉健が助演
1964 9「地獄命令」
片岡千恵蔵の現代劇の主なシリーズ代表作の作品<計38作>(ギャングモノシリーズからは含まず)
☆「人生劇場」
(1938~1953) 飛車角 3作15年(解説*1)
☆「多羅尾伴内(七つの顔の男)シリーズ」
(1946~1960)多羅尾伴内 11作14年
☆「金田一耕助シリーズ」
(1947~1956) 金田一耕助 6題材11作9年
☆「にっぽんGメンシリーズ」
(1948~1962) 4作14年 役名は別々
☆「地獄シリーズ」
(1957~1964) 役名は別々 9作7年
======================
☆「通称・千恵蔵のギャングモノシリーズ」
(1948~1964) 役名は別々 22作16年
*「通称・千恵蔵のギャングモノシリーズ」には「にっぽんGメンシリーズ」や「地獄シリーズ」も含まれているものも有
(解説*1)実は任侠の最初ともいえる作品・”尾崎士郎の人生劇場”に片岡千恵蔵は日本で初めて”飛車角”で主演しています。人生劇場といえば、有名な役は吉良常もいますが、なんといっても飛車角です。この頃、片岡千恵蔵は時代劇時代の日活に所属し、1938年の時点で10年ほど前から大スターです。この人生劇場は「人生劇場 残侠篇」(1938)というタイトルです。戦前は日活の現代劇のスターであり、戦後は「刑事物語シリーズ」や「機動捜査班シリーズ」などの監督としても活躍した名優小杉勇も出演ています。1938年の戦前作の好評だったため、戦後に戦前は松竹のスター俳優で戦後は大物俳優の地位を確立させた佐分利信の監督&千恵蔵との共演にて、人生劇場の映画が東映で再び作られています。のちの高倉健も鶴田浩二などの任侠作に、この戦前と戦後の人生劇場の映画化は大きな影響を与えています。

監督・名匠の沢島忠、鶴田浩二の当たり役ともなった人生劇場の飛車角。
千恵蔵のすごさは多数ありますが、ここで取り上げるのは”シリーズ作の掛け持ち部分”です。千恵蔵は常時、時代劇でさまざまな代表作に主演しながら、1938~1964年までの間で数多くの現代劇に主演し、数多くの現代劇の代表作を残している。たとえば、「人生劇場」に出演した時期に「多羅尾伴内(七つの顔の男)シリーズ」にも主演、また「金田一耕助シリーズ」(1947~1956)にも主演し、数多くある探偵映画のさきがけとなり、のちの多くの刑事映画やドラマに多大な影響を与えたヒット作の「にっぽんGメンシリーズ」(1948~1962)にも主演している点です。この3シリーズは時期が大きく被っている時期があります。千恵蔵はトータルでは時代劇俳優でありながら、現代劇で”10作以上の当たり役が2シリーズ”あるという意味では、世界や日本の歴代のスター俳優の中で一人もいない痕跡を残しています。
片岡千恵蔵の「地獄シリーズ」
1957 1「地獄岬の復讐」
1958 2「奴の拳銃は地獄だぜ」 (高倉健が助演
1959 3「地獄の底までつき合うぜ」 (高倉健が助演
1960 4「二発目は地獄行きだぜ」 (高倉健が助演
1961 5「俺が地獄の手品師だ」 (高倉健が助演
1961 6「地獄の底をぶち破れ」
1962 7「地獄の裁きは俺がする」
1962 8「裏切者は地獄だぜ」 (高倉健が助演
1964 9「地獄命令」
片岡千恵蔵の現代劇の主なシリーズ代表作の作品<計38作>(ギャングモノシリーズからは含まず)
☆「人生劇場」
(1938~1953) 飛車角 3作15年(解説*1)
☆「多羅尾伴内(七つの顔の男)シリーズ」
(1946~1960)多羅尾伴内 11作14年
☆「金田一耕助シリーズ」
(1947~1956) 金田一耕助 6題材11作9年
☆「にっぽんGメンシリーズ」
(1948~1962) 4作14年 役名は別々
☆「地獄シリーズ」
(1957~1964) 役名は別々 9作7年
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☆「通称・千恵蔵のギャングモノシリーズ」
(1948~1964) 役名は別々 22作16年
*「通称・千恵蔵のギャングモノシリーズ」には「にっぽんGメンシリーズ」や「地獄シリーズ」も含まれているものも有
(解説*1)実は任侠の最初ともいえる作品・”尾崎士郎の人生劇場”に片岡千恵蔵は日本で初めて”飛車角”で主演しています。人生劇場といえば、有名な役は吉良常もいますが、なんといっても飛車角です。この頃、片岡千恵蔵は時代劇時代の日活に所属し、1938年の時点で10年ほど前から大スターです。この人生劇場は「人生劇場 残侠篇」(1938)というタイトルです。戦前は日活の現代劇のスターであり、戦後は「刑事物語シリーズ」や「機動捜査班シリーズ」などの監督としても活躍した名優小杉勇も出演ています。1938年の戦前作の好評だったため、戦後に戦前は松竹のスター俳優で戦後は大物俳優の地位を確立させた佐分利信の監督&千恵蔵との共演にて、人生劇場の映画が東映で再び作られています。のちの高倉健も鶴田浩二などの任侠作に、この戦前と戦後の人生劇場の映画化は大きな影響を与えています。
千恵蔵のすごさは多数ありますが、ここで取り上げるのは”シリーズ作の掛け持ち部分”です。千恵蔵は常時、時代劇でさまざまな代表作に主演しながら、1938~1964年までの間で数多くの現代劇に主演し、数多くの現代劇の代表作を残している。たとえば、「人生劇場」に出演した時期に「多羅尾伴内(七つの顔の男)シリーズ」にも主演、また「金田一耕助シリーズ」(1947~1956)にも主演し、数多くある探偵映画のさきがけとなり、のちの多くの刑事映画やドラマに多大な影響を与えたヒット作の「にっぽんGメンシリーズ」(1948~1962)にも主演している点です。この3シリーズは時期が大きく被っている時期があります。千恵蔵はトータルでは時代劇俳優でありながら、現代劇で”10作以上の当たり役が2シリーズ”あるという意味では、世界や日本の歴代のスター俳優の中で一人もいない痕跡を残しています。
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2014/12/09 18:18 | 超大物俳優 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)