高倉健と共に没落した日本映画~2014の視聴映画を振り返る
年末なので今年を振り返ります。まず、このブログ的には2012ランキングに行けませんでした。大物俳優が亡くなると急遽そっちに行かざる得ませんでした。高倉健のことを数度でまとめて、2011年の最終ランキングをさくっと公開して行けたらと思います。高倉健のは日本歴代20選に入るクラスの俳優(出演が206作(正確には)、主演が約130本)なので、いくらでも書けるのできりがないのです。だから、ちょうどいいところで切ればいいのかなと思います。また、いつでも取り上げられる存在の俳優でもありますからね。高倉健も今年とある作品で観ていますが、やはり上位にはできませんでした。もちろん、雰囲気はあるのですが、本当の意味では評価できないのが彼ですね。
今年の映画は全部で75本観ました。75で止めた、というのが正確なところです。去年が65本だったので週1本ペースで年間を通してみてる感じになります。今年は去年より、さらに幅広く見ることができました。しかし、課題はそのつど、出てくるものです。アニメも日本の古いモノがタイミングが合わずに見れずに悩みました。
今年はサイレントが数本しか見れず、B級映画も見れないまま、日本のB級作を見たかったのですが、そうも行かずに苦しみました。バランスよく視聴することも簡単ではないのです。国の数は去年よりは多く見ました。日本とアメリカはもちろん、イタリア、フランス、イギリス、スペイン、スウェ-デン、カナダ、ロシア、中国、韓国、インド、など去年よりは多くの国の映画が観れました。


今年思ったのは、やはり、日本映画がよいということです。特に全盛期の内容は良いものが多く上位に数多くがランクインしています。全盛期の日本映画は競り合いが存在していました。それが数多くの名作や秀作を生み出しているのです。巨匠や名監督(のちに言われた人も含む)が数多く存在しています。1950年代を例に出すと日本映画には巨匠が約20名、名監督は巨匠を含めて約60名がいます。数ではハリウッドに勝っているともいえます。その後、70、80年代になってさらに激減していきます。
また、映画会社内でのライバルが多く、会社外にも数多くのライバルが数多くいた。俳優も同じです。数多くのスターが存在し常にライバルだったんのです。今の監督や俳優はライバルが基本いない。だからダメなのかなとたびたび考えます。多数のライバルがいて、競り合いの中で活躍した人が一番すごいのです。そういう面では高倉健は論外です。彼が東映退社の1976年以降、ライバルが亡くなったり、ピークを越していたり、テレビに逃げてしまったりして、トラブルで仕事を失う者がいたりまど、1980、90年代になるとライバルがほぼいない状況でした。やはり、一人勝ち状態はいけない。日本は巨匠・名匠、スターも激減して不健全だった。ハリウッドは全盛期ほど純粋な競い合いではないものの、ネタ切れしつつ、まだマシな競り合いが続いています。
今年の映画は全部で75本観ました。75で止めた、というのが正確なところです。去年が65本だったので週1本ペースで年間を通してみてる感じになります。今年は去年より、さらに幅広く見ることができました。しかし、課題はそのつど、出てくるものです。アニメも日本の古いモノがタイミングが合わずに見れずに悩みました。
今年はサイレントが数本しか見れず、B級映画も見れないまま、日本のB級作を見たかったのですが、そうも行かずに苦しみました。バランスよく視聴することも簡単ではないのです。国の数は去年よりは多く見ました。日本とアメリカはもちろん、イタリア、フランス、イギリス、スペイン、スウェ-デン、カナダ、ロシア、中国、韓国、インド、など去年よりは多くの国の映画が観れました。
今年思ったのは、やはり、日本映画がよいということです。特に全盛期の内容は良いものが多く上位に数多くがランクインしています。全盛期の日本映画は競り合いが存在していました。それが数多くの名作や秀作を生み出しているのです。巨匠や名監督(のちに言われた人も含む)が数多く存在しています。1950年代を例に出すと日本映画には巨匠が約20名、名監督は巨匠を含めて約60名がいます。数ではハリウッドに勝っているともいえます。その後、70、80年代になってさらに激減していきます。
また、映画会社内でのライバルが多く、会社外にも数多くのライバルが数多くいた。俳優も同じです。数多くのスターが存在し常にライバルだったんのです。今の監督や俳優はライバルが基本いない。だからダメなのかなとたびたび考えます。多数のライバルがいて、競り合いの中で活躍した人が一番すごいのです。そういう面では高倉健は論外です。彼が東映退社の1976年以降、ライバルが亡くなったり、ピークを越していたり、テレビに逃げてしまったりして、トラブルで仕事を失う者がいたりまど、1980、90年代になるとライバルがほぼいない状況でした。やはり、一人勝ち状態はいけない。日本は巨匠・名匠、スターも激減して不健全だった。ハリウッドは全盛期ほど純粋な競い合いではないものの、ネタ切れしつつ、まだマシな競り合いが続いています。
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2014/12/29 17:58 | 超大物俳優 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)