日本のテレビアニメの発展に大きく貢献した大人物と日本アニメーションの世界名作劇場たち


前回の京都アニメーションだけでちょっと触れるはずが、ちょっとの範囲ではなくなってしまいました。アニメの記事をさらに書いてしまいました。アニメに対する熱い気持ちが溢れ出してしまいました。テレビアニメに関してちょっと詳しくなるような内容になっているはずです。

前回の記事⇒2016年も日本の未来を担う映画に関与した企業。京都アニメーションの隠された秘密

日本のテレビアニメの発展に大きく貢献した大人物と大人物


日本アニメーション 創立40年」に関して触れていきます。避けようと考えていたのですが、やっぱり避けて通れません。2015年(2016年2月時点も放送中)は創立40年と題して、世界名作劇場のテレビアニメがCS放送のキッズステーションにて放送されています。日本アニメーションというアニメ制作会社は1970年代から80年代にかけての”代表作を量産していた全盛期”には多くの有名なテレビアニメを世の中に送り出した実積があります。

事実上の前進であるズイヨー映像などの時代は長くなるのでほとんど省きます。一言でいうと、ズイヨー映像のときは「山ねずみロッキーチャック」(1973)や「アルプスの少女ハイジ」(1974)などの名作を世に送り出しています。特に「アルプスの少女ハイジ」は1975年から開始する世界名作劇場に流れが引き継がれています。

虫プロダクションの倒産がズイヨー映像の創立につながり、日本アニメーションの創立を呼び込みます。大人物の手塚治虫虫プロダクションの倒産が影響していることからも、前回の記事の京都アニメーションだけではなく、ここに関しても手塚治虫の痕跡や遺伝子が受け継がれていることになります。

アニメファンならおなじみの本橋浩一という”日本のテレビアニメ界の大人物”が社長を勤めながら多数の代表作の制作を行い、日本アニメーションによるテレビアニメの全盛期を支えていました。本橋浩一はほとんど表に出ることはありませんでしたが、日本のテレビアニメの発展に大きく貢献した人物たちの一人です。名前を忘れてはならない人物です。

*大人物は手塚治虫本橋浩一

<2015年の映画界など>
●団体関連
団体、企業  活動内容 創業など (発信・特集先)
・松竹 映画、歌舞伎 創業120年(CS放送の衛星劇場より)
・NHKラジオ 放送開始90年(NHK、NHKラジオ第一、第二より)
日本アニメーション 創立40年(CS放送のキッズステーションより)←今回はココ

京都アニメーション 創立30年(BSアニメのCMなど)


日本アニメーション制作のテレビアニメの世界名作劇場の代表作(自薦)


一言で世界名作劇場といっても、どこからが世界名作劇場に含まれるのかは諸説あるようですが、「日本アニメーションが制作を行っているというところに重点を置いて、当ブログでは1975年の「フランダースの犬」からのテレビアニメである説を採用しています。23作目である1996年の「家なき子レミ」までとし、2007年からBSフジで一時的に再開された3作は含みません。

世界名作劇場では1970年代~
第1作目の「フランダースの犬」(1975)、第2作目の「母をたずねて三千里」(1976)、
第3目の「あらいぐまラスカル」(1977)、第5作目の「赤毛のアン」(1979)

世界名作劇場の1980年代~
第6作「トム・ソーヤーの冒険」(1980)、第8作目の「南の虹のルーシー」(1982)、
第11作目「小公女セーラ」(1985)、第15作目の「ピーターパンの冒険」(1989)

世界名作劇場の1990年代~
第16作目の「私のあしながおじさん」(1990)、第20作目の「七つの海のティコ」 (1994)、
第21作目の「ロミオの青い空」(1995)


世界名作劇場の音楽というとやはり渡辺岳夫を思い出す。稀代の名作曲家でした。
初期の世界名作劇場の劇中音楽や主題歌の制作を担当し大きく貢献しています。
通称・アニソンこと、アニメソングの形成にも大きく関与しています。


世界名作劇場のほかの日本アニメーション制作によるテレビアニメの代表作(自薦)


日本のテレビアニメを支えてきたアニメ制作会社の日本アニメーションには、世界名作劇場のほかにも代表作が多く存在しています。1970年代には「小さなバイキングビッケ」、「みつばちマーヤの冒険」、「ドカベン」、「野球狂の詩」、「未来少年コナン」、「はいからさんが通る」などの主なタイトルを制作しています。1980年代には「釣りキチ三平」や「宇宙船サジタリウス」、「トッポ・ジージョ」を制作し、1990年代から代表作が減少し、2000年代には更なる減少に見舞われています。

2016年も続いている「ちびまる子ちゃん」は通算で25年を上回っています。通称・ちびまる子は現在の日本アニメーションという会社を支えている唯一の主力作品といえる状況になっています。「魔法陣グルグル」や「南国少年パプワくん」、1999年開始シリーズの「HUNTER×HUNTER」などの主なタイトルを制作しています。不思議なもので1970年代は子ども向けの作品が全体でしたが、1980年代からアニメファンも取り込み、1990年代は少年漫画作品を多く手がけるように、年代における代表作の雰囲気の変わりように時代の変化を感じられます。

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2016/02/24 18:18 | アニメ・探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

2016年も日本の未来を担う映画に関与した企業。京都アニメーションの隠された秘密


今年も2月、黒人問題などで揺れるアメリカのアカデミー賞も近づいて参りました。世界やアメリカはどちらにしても白人が主体で動かしています。白人の作品だけを評価していればいいのですが、表面上は自由を装うアメリカではそうはいきません。アメリカは世界の映画市場を支配してるばかりか、変にリーダーシップを持ち、他国、黒人や黄色人も都合よく評価しようとするからいろいろとややこしくなってきます。どちらにしてもアメリカの賞や賞という概念で作品の良し悪しや価値が決まることはないので、オスカーも一つの評価の対象として今年も見守りたいものです。

前回の記事⇒映画に関する前人未到の大記録とあの松竹の映画スターの悲劇

京都アニメーションの誕生に隠された”虫”の正体


<2015年の映画界など>
●団体関連
団体、企業  活動内容 創業など (特集先)
・松竹 映画、歌舞伎 創業120年(衛星劇場)
・NHKラジオ 放送開始90年(NHK、NHKラジオ第一、第二)
・日本アニメーション 創立40年(キッズステーション)
京都アニメーション 創立30年(アニメのCMなど)←今回はココ

団体などで取り上げている京都アニメーションは、創立して30年ということで深夜アニメなどの宣伝で見かけました。1981年設立していますが、1985年の有限会社と法人化を最初と数えて30年目としています。京都アニメーションは初期の頃は他の製作会社のサブでテレビアニメの製作に関与していましたが、いわゆる”仕上げ”ですね。1990年代になってから演出、作画などにも関与して行き、仕事の幅を広げて行きます。昔のアニメのEDクレジットを見ているとたまに京都アニメーションという社名を見かけます。

京都アニメーションは八田陽子という人物が虫プロダクション手塚治虫のアニメ製作会社)で働いていた流れから始まった会社です。手塚治虫が居なければ京都アニメーションは生まれていなかった。これも手塚治虫の痕跡にひとつですね。彼は漫画家として大きな存在だけではなく、日本のアニメ界にも多数の影響を与えており、京都アニメーションとの関わりもその一つです。彼の遺伝子が今も別な人物を介して続いているわけです。

上記見出しの隠された”虫”の正体とは手塚治虫の虫であり、虫プロダクションの虫です。

上記「ジャングル大帝」の1989年のテレビシリーズ、1966年に第2のシリーズ以来のテレビアニメ化が実現し、1990年代のトップ声優といわれる林原めぐみがレオの声を担当しています。

ちょっと感想ですが、2016年1月から放送開始した新作の「無彩限のファントム・ワールド」の初回は観ていますが、相変わらずの京アニらしさでした。良くも悪くもらしいという印象。個人的にはあまり評価が難しく、相変わらずのいかにも京アニっぽい内容なのが残念なところです。

京都アニメーションの映画の主な代表作たち


京都アニメーションは、テレビアニメ「フルメタル・パニック? ふもっふ」(2003、フルパは事実上の第2シリーズ)から初の元請制作をして作品の全般を手がけるようになりました。映画ブログであるので映画メインで行きますが、京都アニメーションは映画作品も製作しています。

代表作といえる可能性がある作品は「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006、2009)の劇場版である「涼宮ハルヒの消失」(2010)、「けいおん!」(2009)と「けいおん!!」(2010)の劇場版である「映画けいおん!」(2011)、「中二病でも恋がしたい!」(2012)と「中二病でも恋がしたい!戀」(2014)の劇場版の「小鳥遊六花・改〜劇場版 中二病でも恋がしたい!〜」(2013)があります。代表作と考えられる3作のすべて”深夜に放送されたファン向けテレビアニメの映画版”であるのが特徴です。京都アニメーションは全般的にはテレビアニメーションを製作しており、作品によっては映画も作ることがある特徴も兼ね備えています。基本はテレビアニメの延長による映画のアニメです。


上記の写真の映画「小鳥遊六花・改 ~劇場版 中二病でも恋がしたい!~」はTBSの地上波やBSのTBSテレビでは放送していませんが、TBSテレビが制作に関与しています。主に地上波のUHF局やアニメを深夜に多く放送しているBS11などで放送されていました。TBSはこうした形でテレビアニメの制作などに関与しているアニメもまれにあります。「中二病でも恋がしたい!」関連の作品群はCS放送ではTBSチャンネルで再放送がされています。

今は亡き時代~伝説のBS-iBSQRの思い出の1ページ


TBSのBSといえば、BS-i(ビーエス・アイ=)を今でも思い出してしまいます。現在のBSTBSです。さまざまなテレビアニメがBS-iを初解禁に放送されていた時代がありました。現在のBSTBSでもテレビアニメは放送されていますが、基本は地上波で放送されたものです。当時は違っていたのです。

当時のBSは放送が始まるとBS機器によってはデータ読み込みというものがありまして、録画にまでそれが入ってしまっています。わかる方にはわかっていただけるかと思いますが、当時に放送を録画したDVDを見直すと商品バージョンとは違いがあり、画質や音質のカシャカシャ感が今ではありえないことで、逆に味わいになっています。一言でいうと今のような当時からすれば完成されたデジタル放送ではなく、”デジタルといってもアナログさが残っていた不完全なデジタル”でした。

レコードの音楽とデジタルの音楽のような良さの違いもありそうで、ジリジリした不協和音がある音楽とクリアで曇りのない音楽の異なりのようです。アニメ関連の番組が多数放送されていたBSQR(文化放送が放送していた2000年12月~2006年3月まで続いたBSのテレビによるラジオ放送局)もなつかしい。BS機器でBSQRのあまり動かない映像や写真を見ながらアニラジ(アニメや声優、ゲーム関連のラジオ)を聴いていました。

ラジオ番組についてもいろいろ書きたいところですが、さらにマニアックになってしまうのでテレビアニメに戻ります。個人的には2001年「まほろまてぃっく」(新世紀エヴァンゲリオンなどのガイナックスの制作)や2006年の「Kanon(テレビアニメ・京都アニメーション版)」が特に印象に残り、録画して観ていたタイトルです。両方とも当時は話題になり、リアルタイムゆえに思い出す部分も多数が存在しています。「まほろまてぃっく」や「Kanon」はDVDのセールス的にもヒットしたため、現代に制作・放送されていれば映画化もされていたかもしれません。時代が早かった少々残念なところです。

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2016/02/15 18:45 | アニメ・探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

映画に関する前人未到の大記録とあの松竹の映画スターの悲劇


映画に関する前人未到の大記録とあの松竹の映画スターの悲劇とは、今回は映画に関する前人未到の大記録に関してもひとつを掲載しています。果たしてどんな記録なのかは見て確かめてください。

前回の記事⇒2016年以降も日本の未来を担う映画会社。松竹の隠された数多くの秘密たち大公開

映画に関する前人未到の大記録・戦前と戦後を通じての映画の大スター


前回は高田浩吉の戦前と戦後で主演作が80作以上ある部分を取り上げましたが、高田浩吉は10本単位で示すと(戦前90、戦後80)ということになります。高田浩吉は280作以上の映画に出演して通算の脇役数は100作ほどあり。日本の映画スターは110年以上の歴史の中で1位の片岡千恵蔵(約160、約150)、2位の市川右太衛門(180、120)、3位の長谷川一夫(150、120)、4位の嵐寛寿郎(150、90)に次ぐ歴代で5位の”戦前と戦後の両方においてダブル80作以上の主演映画の本数”を記録しています。

もちろん数字がすべてではありませんが”マスコミの誇張やでっちあげなどが届かない真実”を物語っています。(約160、約150)から機会があればいずれ詳しく取り上げたいところですが、片岡千恵蔵だけが日本で世界で、ただ一人だけの戦前と戦後でダブル150という前人未到の大記録を達成しています。

ちなみに戦前にも活躍した他の大スターの戦後は、大河内伝次郎(約40作台)、阪東妻三郎(20作台)や女優の田中絹代(40作台)です。この3名でさえ戦後の主演本数が50作にさえ到達していない真実があります。前人未到の大記録は幼稚園児や小学生でも誰が本当の部分がお分かりいただけると思います。

”戦前と戦後の両方においてダブル80作以上の主演映画本数”は世界の映画スターにもほぼ居ません。すべて確認しているわけではないので一応ほぼにしていますが、有名俳優では世界に日本のこの5名を除いて他に誰も存在して居ません。それだけ戦前と戦後の両方でダブル80作以上は彼が国民的大スターだったことも同時に物語っています。

あの松竹の映画スターの悲劇・2大映画俳優の数奇な運命


伝七捕物帳シリーズ」は東映に移籍してからも2作が作られています。1962年の「伝七捕物帖 影のない男」と1963年の「伝七捕物帖 女狐小判」です。残念なことに松竹時代は1級作として制作されていたのが、B級に近い作品に変貌しています。そこにはとある理由が存在しています。高田浩吉にとっての松竹時代の戦後は、1953年の阪東妻三郎の死などが幸運に運び、戦後の松竹時代劇の小さな範囲(松竹は主に現代劇メインの会社)で事実上のトップになります。



高田浩吉は松竹時代劇の更なる縮小の影響もあり、当時の映画界で大物映画スターが一番多く在籍していた時代劇が中心の東映に1960年に移籍します。東映時代の主演作は18作で、出演の約半分が助演作になります。18作といっても*ほとんどがB級に近い”第二東映”や”ニュー東映”などの作品群ですが、助演では1級作に多く出演しています。若手の映画スターや若手監督のおもりや自分より目上の大物映画スター(片岡千恵蔵市川右太衛門)などの脇役の要因がメインになってしまいます。華々しい活躍の裏側には映画スターの厳しい闇の部分が存在しているのです。

ほとんどがB級に近い”第二東映”や”ニュー東映”(=片岡千恵蔵や美空ひばりなどのトップ俳優の主演のみ、1級作品)

高田浩吉の松竹時代の活動における一番の代表作シリーズが「伝七捕物帳シリーズ」です。皮肉なことに1953年の阪東妻三郎の死後の1954年からスタートしています。阪東妻三郎は1960年代まで生きていれば、松竹の時代劇のトップを張った可能性が高かった大物スターです。”高田浩吉は2番手のはずだった”と個人的には考えています。まさに数奇な二人の運命、松竹の2大映画スターの悲劇です。阪東妻三郎は生きていれば、戦後も数多くの代表作や当たり役を映画で残した片岡千恵蔵ほどは厳しかったと考えていますが、戦後の当たり役に恵まれた可能性もありました。

高田浩吉の戦後の作品は今でも蔵出し放送がある状況ですが、戦前の作品に関しては、ほとんど放送されない残念な俳優でもありますが、2015年に松竹版の「伝七捕物帳シリーズ」11作(1954~1960)がすべてハイビジョン化されて放送さました。ブルーレイディスクに完全に録画しました。衛星劇場は2015年の松竹120周年の記念すべき年に放送するために数年前から用意していたようです。
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2016/02/03 19:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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