戦後映画260作の世界記録・鶴田浩二&後輩・松方弘樹の24年18作


戦前から日本映画を支えてきた歴代上位の大スターや名優、さらに戦後の低迷期を支えた多くの俳優たちと共演していた松方弘樹ですが、その中には共演数がもっとも多い”世界記録を持つ大俳優”が存在していました。


前回記事⇒マスコミが訃報で無視 松方弘樹、高倉健の真の最大ヒット作を暴く



秘められた24年と18作の映画たち”序章”鶴田浩二という存在




大先輩・鶴田浩二とは1961年から1985年まで24年で18作にわたって共演していました。鶴田浩二は1948年に松竹映画でデビューし、1950年代の前半を代表する青春スターとしてブレイクし、多数の女性ファンを獲得して”松竹3三羽烏”の1人に数えられました。ですが、主演数や人気が高い割には多数の代表作数にあまり恵まれず、三船敏郎とコンビを組んだ東宝映画時代、数年間の大映映画への出演履歴などを経て、1960年に東映映画へやってきます。


鶴田浩二
上記写真は、晩年の1980年代頃のテレビドラマを中心に活動していた、50代後半から60代の頃の写真だと考えられます。


鶴田浩二は1963年からの『人生劇場』シリーズで東映や日本映画における任侠路線を確立させた俳優としても知られています。これは大きな痕跡です。詳しくは下記のリンクの裏側をご覧ください。



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秘められた24年と18作の映画たち”序章”鶴田浩二の代表作たち




1960年代の鶴田浩二は『人生劇場』シリーズをきっかけにして、『博徒』シリーズ『博奕打ち』シリーズ、『関東』シリーズなどの任侠、やくざ、暴力、アクションなどの多数のジャンルの主演作で観客動員的にも大成功し、松竹時代以来の大ブレイクを果たし、それまでのどちらかといえば中心の女性ファンだけでなく、未開拓の多数の男性ファンも獲得に成功しました。通産の現代劇映画の代表作数は60作ほどに到達します。


また、時代劇映画は戦前の片岡千恵蔵の代表作をリメイクした『弥太郎笠』前後作、佐々木小次郎を演じた東宝の『宮本武蔵』(2、3作)、初の眠狂四郎の映像化である『眠狂四郎無頼控』3部作、歴代の時代劇作品の中でも上位の有名な役柄、清水の次郎長を演じた『次郎長三国志』シリーズなどの10作以上の代表作がありました。


鶴田浩二は、1960年代中盤から1970年代の前半のみでは高倉健と同等クラスの結果を残しましたが、幅広い通産のデータでは上回る部分が多くみられます。主演の映画代表作数は戦後デビュー俳優では高倉健を上回る通産で70作ほどに到達します。




秘められた鶴田浩二の戦後映画界の世界記録




鶴田浩二は戦後の映画主演数は150作強の片岡千恵蔵を抑えて、戦後の世界1位の165作強に到達、さらに主演100作以上の映画俳優では世界1位の戦後最多の260作強の映画出演数(比較例=高倉健は206)戦前を含めた歴代映画主演数でも10位だと確認しています。(比較例=高倉健は20位)


戦後の主な主演映画の通産代表作数は、1位の片岡千恵蔵勝新太郎森繁久彌(森繁久弥)に次ぐ歴代4位を記録し、鶴田浩二は歴代や戦後を通じても、日本映画を黄金期から低迷期を支えた代表するスターの1人でした。


*記事タイトルの”戦後映画260作の大先輩・鶴田浩二”の「260作の世界記録」は主演100作以上のスターの最多のことを指しています。


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秘められた24年と18作の映画たち”共演歴”




この鶴田浩二と松方弘樹は多数の共演履歴が存在していました。以下のように約24年間、18作で共演しています。


<鶴田浩二と松方弘樹の映画共演歴(すべてが東映)>
1961『幽霊島の掟』 主演・大川橋蔵
1962『地獄の裁きは俺がする』 主演・片岡千恵蔵
1963『次郎長三国志』 主演・鶴田浩二
1963『続・次郎長三国志』 主演・鶴田浩二
1964『次郎長三国志 第三部』 主演・鶴田浩二

1964『博徒』 主演・鶴田浩二
1964『博徒対テキ屋』 主演・鶴田浩二
1967『あゝ同期の桜』  主演・鶴田浩二
1968『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』 主演・鶴田浩二
1968『人生劇場 飛車角と吉良常』 主演・鶴田浩二
10
1971『日本やくざ伝 総長への道』 主演・高倉健
1971『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』 主演・高倉健
1972『博奕打ち外伝』  主演・鶴田浩二
1974『あゝ決戦航空隊』  主演・鶴田浩二
1977『やくざ戦争 日本の首領』  主演・佐分利信、鶴田浩二
15
1981『ちゃんばらグラフィティー斬る!』 尾上松之助、片岡千恵蔵など
1984『修羅の群れ』 主演・松方弘樹
1985『最後の博徒』 主演・松方弘樹
18


*『ちゃんばらグラフィティー斬る!』は東映に関わりを持つ俳優を中心に時代劇映画の出演場面を戦前や戦後から集めた部分、
数名のインタビューを含めた異色映画であり、アンソロジー映画です。




鶴田浩二の東映初の年間観客動員ベスト10と松方弘樹の3本目のクロス




鶴田浩二は監督・岡本喜八の1960年『大学の山賊たち』を最後に東宝を去り、1960年の『砂漠を渡る太陽』から東映への出演が始まりました。二人の初共演の1961年のオールスター時代劇映画『幽霊島の掟』は監督・佐々木康、主演・大川橋蔵で公開され、年間観客動員ベスト10へランクインの大ヒットを記録しました。鶴田浩二にとっては主演作ではありませんでしたが、東映へ移籍して13作目で初の大ヒット&1958年以来の500万人級ヒットへの出演を果たしました。


松方弘樹にとって『幽霊島の掟』は1961年『赤穂浪士(1961)』に次ぐ、2本目の年間観客動員のベスト10への映画出演となりました。その後、前々回の記事でも取り上げている1962年『地獄の裁きは俺がする』で鶴田浩二は2番手的な役柄を勤め、2度目の年間観客動員ベスト10作品への出演、松方弘樹も3、4番手と捉えられる役柄で出演しており、3作目の年間観客動員ベスト10作品への出演を果たしました。


『地獄の裁きは俺がする』に関して↓↓
大ヒット『地獄の裁きは俺がする』から察する松方弘樹の存在価値を探れ!!



主演契約を切られていた可能性危機感をバネにヒット&評価




松方弘樹は今後を期待される俳優であり、比較的に成功を求められない状況で映画出演を重ねていきましたが、鶴田浩二は東映への移籍前から主演スターしての地位が存在しており、出演だけに留まらずに早急なヒット作への主演が求められていました。


1962年『地獄の裁きは俺がする』が大ヒットした翌年の1963年にようやく鶴田浩二は主演でヒット作に恵まれました。それが1963年『人生劇場 飛車角』(監督・沢島忠)から始まる通算4作の”人生劇場シリーズ”でした。東映への移籍からギリギリの3年程が経過していました。


ギリギリの理由はもう1年やそれ以上のヒット作がなければ、鶴田浩二は東映の主演契約を切られていた可能性もあったからです。『人生劇場』シリーズは多くの観客動員数や一部の映画評論家から高い評価も受けました。高倉健や梅宮辰夫は出演していましたが、松方弘樹の出演はありませんでした。



『博徒一家』と鶴田浩二




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博徒シリーズの7作目に該当する1970年『博徒一家』(監督・小沢茂弘)、


オールスターの表記がありますが映画愛子はオールスターではなく、”5スターもの”という判断をしています。オールスターは”5スターもの”以上の最低でも6名以上の主演スター俳優が求められるという考えを重視しています。ですが、写真に載っていない桜町弘子(東映の黄金期の時代劇映画でヒロイン女優として上位の活躍)も出演しているため、オールスターという写真内の文字も正しいとも言えるのかも知れません。

通算10作が製作さられた『博徒』シリーズは全般的に鶴田浩二が主役でしたが、この7作目の『博徒一家』は高倉健へ主役の座を明け渡して、あえて2番手的な立場で出演しています。写真からも分かりますが、高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、大木実、藤純子のスター俳優がメインで出演していました。



裏記事も公開しました↓↓
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2017/03/16 00:07 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

マスコミが訃報で無視 松方弘樹、高倉健の真の最大ヒット作を暴く



松方弘樹高倉健も同様にマスコミは訃報の時にある事実を伝えませんでした。いつも事実は伝えていないのが基本ですが、今回はその部分へ迫っていけたらと考えています。

前回記事⇒大ヒット『地獄の裁きは俺がする』から察する松方弘樹の存在価値を探れ!!



マスコミが訃報で無視した松方弘樹高倉健の最大のヒット作の全貌




前回から取り上げている1962年の『地獄の裁きは俺がする』も松方弘樹にとって大きな作品だったといえます。松方弘樹が生涯で出演した現代劇映画で最初の大ヒット作が『地獄の裁きは俺がする』でした。同時に松方弘樹の生涯の100作以上の映画出演の中で、彼が出演した『仁義なき戦い』の最大のヒット作を上回る400万人以上と考えられる最大の観客動員を記録しました。なんと、2大ジャンル、時代劇映画と現代劇映画の最大のヒット作品の両方ともが片岡千恵蔵の脇役だったのです。



<松方弘樹の最大の観客動員&ヒット作>
・時代劇映画
1961年『赤穂浪士(1961)』 主演・片岡千恵蔵 監督・松田定次 1000万人を軽く越すヒット
・現代劇映画
1962年『地獄の裁きは俺がする』 主演・片岡千恵蔵 監督・佐々木康 400万人級のヒット




片岡千恵蔵という俳優がいかに結果を残した国民的俳優だったのかが分かるかと思います。いくら人気があるといっても観客を呼べると呼べないではレベルが違います。もちろん呼べるほうを上だといわざる得ません。


高倉健の最大の観客動員&ヒット作に隠された事実



高倉健も松方弘樹と同様に片岡千恵蔵の恩恵を受けていると考えるのが妥当です。実は高倉健の205本ほどの生涯映画出演の中で、最大の映画のヒット作も片岡千恵蔵の脇役でした。それが1956年『恐怖の空中殺人』(監督・小林恒夫)なのです。高倉健は70年代の半ばに東映を離れてから事実上、東宝の俳優になっていました。何故ならその時期の多くが遺作も含めて東宝だからです。東宝時代の1983年『南極物語』よりも東映時代の『恐怖の空中殺人』の方が観客動員が圧倒的に上です。


<高倉健の最大の観客動員&ヒット作>
・時代劇映画
1963年『宮本武蔵 一乗寺の決斗』 主演・中村錦之助 監督・内田吐夢 400万人級のヒット
・現代劇映画
1956年『恐怖の空中殺人』 主演・片岡千恵蔵 監督・小林恒夫 1000万人級ヒット




中村錦之助の吉川英治原作による宮本武蔵は、戦前に大ヒットした”片岡千恵蔵の宮本武蔵の流れ”を大きく受けています。千恵蔵版は戦前から戦後の日活、大映、東映で吉川英治の原作が全体的ですが、原作者が違うものや原作者なしの含めて2017年時点で通産で12作が確認できます。片岡千恵蔵と高倉健に関しては以前に地獄の絆と題した記事を訃報の時に書いていますが、


高倉健も松方弘樹と同様に時代劇&現代劇の”最大の観客動員&ヒット作”においても、片岡千恵蔵の影響受けていたということができます。片岡千恵蔵と直接に同じ役柄を演じているわけではないですが、少なくとも片岡千恵蔵の大ヒットした宮本武蔵が無ければ、東映で再映像化されたかさえも不明であり、さらに中村錦之助宮本武蔵で高倉健は佐々木小次郎も演じていないからです。


*片岡千恵蔵の宮本武蔵の映画は以前の記事では11作と書いていますが、その後にデータが存在しない改修作の存在が明らかになり、事実上の通産で12作が2017時点の最新です。中村錦之助の宮本武蔵の映画は通産で6作であり、2倍の差があることになります。



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カラー作としては見やすい名作といえるでしょう。東映も専門チャンネルではカラーであり、見やすいものとして宣伝しています。宮本武蔵に限ったことではありませんが、時代劇映画の多くの名作は残念ながら戦後の黄金期があったといっても、戦前のモノクロ作品が圧倒的な数を占めています。そのため、東映が宣伝しているように中村錦之助の宮本武蔵を”宮本武蔵の最高映画化作品”と断定して宣伝することもおかしな話かもしれません。



松方弘樹、高倉健も巻き込んだマスコミと映画のつながりの行方




松方弘樹、高倉健も同様にマスコミはこれら事実を伝えませんでした。テレビやラジオなどは伝えることに説明を長く要するものは省かれがちな部分もありますが、マスコミは昔からそういうものです。また自分たちが広告として植えつけたい方向の情報と異なるため、真実は都合が悪い部分も存在しているのでしょう。


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裏をゆく「松方弘樹、高倉健の真の最大ヒット作を暴く」存在するあの男の影

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2017/03/05 00:00 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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