○作連続主演数世界1位 映画俳優の大記録を掘れ


映画俳優は記録の面白さがあると題して、前回は【鶴田浩二の1965年から1970年までの主演映画数】、【大記録 戦後の映画大スターの主演数100作への到達順】、【大記録 戦後映画大スターの年間主演映画数10作】を中心に取り上げました。今回も深い部分に潜っていけたらと考えています。○作連続主演数世界1位 映画俳優の大記録を掘れを掘るとして進めていきます。


前回の記事⇒世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価


鶴田浩二の1971年から1975年までの主演映画数




鶴田浩二の1971年から1975年までの主演映画数(前回も一部表記)>

1970 6   ・10年連続主演映画数が5作以上(C)(前回表記)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1971 6   ・片岡千恵蔵に次いで2人目の戦後の映画主演数が150作&戦後の最多主演数を上回る(D)
1972 6   ・12年連続主演数5作以上で途絶える(E)
1973 1 
1974 1 
1975 0
1976 0


前回の鶴田浩二の1965年から1976年までの主演映画数は⇒



(C)大記録 10年連続主演映画数が5作以上
ライバルでもあった高倉健や石原裕次郎、もちろん生涯主演数が80作まで行かなかった三船敏郎もこの記録に到達していません。高倉健は年間連続主演5作が1962年に途絶えています。

↓↓三船敏郎は年間主演数の最多数が5が最高であり、1955、1957、1959年に3度の年間主演映画5作を記録しています。

三船敏郎の映画人生3度の年間主演5作以上>
1955  5
1957  5
1959  5


サムライ 評伝 三船敏郎
この映画の中の姿は撮影の途中の休憩中なのか、合成なのか?



三船敏郎がまさかのワーストとも言える記録とマーロン・ブランド


2年連続主演5作は生涯で1度もありませんでした。欧米志向の東宝の時間をかけた1作ずつの制作期間、内容の割に1作ごとにこだわり過ぎた監督の黒澤明とのコンビ、国内での人気がそれほど高くなかったなどの理由がこの数に影響しています。三船敏郎は他のスターと比べると1950年代の日本映画の最大の黄金期の本数がワーストといえるほど少ない主演数の特徴があります。


本数に関しては前回の裏でも取り上げています。
真実の光 マーロン・ブランドと三船敏郎の×××

マーロン・ブランドとも通じる部分もありました。アメリカの戦後の映画黄金期で主演数が極端に少なかった異色の映画スター・マーロン・ブランド(MarlonBrando)はあまり多くの映画に出演しない俳優でした。40作ほどの映画出演は戦後の黄金期の映画スターの中でも少なめです。


マーロン・ブランドの肉声(字幕版)
マーロン・ブランドのどんな肉声が詰まっているのでしょう。




戦後で主演映画数が150作以上の現実




(D)片岡千恵蔵に次いで2人目の戦後の映画主演数が150作&戦後の最多主演数を上回る。
1970年までは戦後の最多主演数は片岡千恵蔵でした。ですが、東映や映画界の後輩の鶴田浩二が上回りました。戦前に時代劇映画を形成した一人、海外にも誇れる文化に貢献してきた俳優を越すという禁断の到達を成しました。16年連続主演5作以上は世界1位の大記録です。

鶴田浩二の映画主演数は最終的に165作を越しており、確認している限りでは現時点で167作です。片岡千恵蔵は総集編や改修作なども含めると戦後の主演150作に到達しており、戦前と戦後で主演映画数が150作以上は日本だけでなく世界歴代でも彼だけの大記録でした。戦後の150作以上は現在でも片岡千恵蔵と鶴田浩二だけの大記録です。

<戦後の主演映画150作、世界で2名のみ>
片岡千恵蔵
・鶴田浩二



大記録 戦後の年間主演5作以上の連続年数の俳優たち





(E)12年連続主演数5作以上で途絶える
1972年は鶴田浩二の12年連続主演数5作以上で途絶えた年でした。鶴田浩二の戦後12年連続主演数5作以上は、片岡千恵蔵は戦後最多の16年連続主演数5、森繁久彌、勝新太郎が14、美空ひばり、市川雷蔵、小林旭が13、長谷川一夫、鶴田浩二が12年連続主演数5以上、到達順でいえば長谷川一夫の方が先であり、連続年数が同数でも先に到達した俳優を7位ともいえます。


<戦後の年間主演5作以上の連続年数>
        連続年数 連続した年数の内訳
1 片岡千恵蔵   16   1948~1963
2 森繁久彌    14   1953~1966
3 勝新太郎    14   1955~1968
4 美空ひばり   13   1951~1963
5 市川雷蔵    13   1955~1967
6 小林旭      13   1958~1970
7 長谷川一夫   12   1950~1961
8 鶴田浩二     12   1961~1972
9 市川右太衛門  11   1952~1962 
10 中村錦之助   10   1954~1963




片岡千恵蔵は戦後も数多くの代表シリーズや題材作を持ち、日本映画の戦前~戦後の両方の黄金期の中心人物として安定した本数に主演していました。1位で1948~1963の期間で16年連続5作以上の映画に主演することは当時でも困難でしたが今後も困難でしょう。当時のスターの証明の一つである忠臣蔵映画へ、サイレント期以降も活動した俳優で最多34年以上で23作以上に出演していました。


忠臣蔵映画の謎裏記事公開
ある銀幕スターが大問題をさせた1941年 幻の忠臣蔵映画の存在

片岡千恵蔵と主演で20作以上の名コンビを形成した巨匠の正体
メディアが取り上げない巨匠・佐々木康がテレビドラマに至るまでの大きな貢献の数々



14年連続でで2位の森繁久彌は『社長シリーズ』など以前にも喜劇映画に安定して出演や主演していました。当時は喜劇映画にも多彩な内容が存在していました。現代生活と関連つけた内容や時代劇要素で史実をいじくった内容、サラリーマン要素、夫婦要素など多彩な魅力がありました。


市川雷蔵が1967年に連続主演5作が13で途絶えたのは1969年の死につながる体の不調が原因して途絶えたものと考えられます。簡単にいえばこの10名のすべてがそれぞれの活躍したということにはなります。

12年連続で7位の長谷川一夫は、記録における1位にほとんどがない俳優でした。歴代上位は多くても1位は少なく、戦前、特に戦後は最大のライバル・片岡千恵蔵の前にほとんどの記録で圧倒的に追い越されていたのが現実です。映画会社に関しても日本映画の最大の黄金期の片岡千恵蔵は1位の東映のトップ、長谷川一夫がトップの大映は3.4位付近をさまよっており、観客動員にも大きな差はありました。

美空ひばりは戦後の世界の女優で唯一の主演100作以上です。いずれ機会を設けて深く取り上げたいと思いますが、良い意味で化け物です。全般的な本業の歌手としての大きな世界記録はありませんでしたが、映画の世界記録がありました。





1959年東映作品しおり 江戸っ子判官とふり袖小僧 美空ひばり 片岡千恵蔵 映画パンフレット・兼用
1959年に東映が1社としての日本映画の歴代最大の年間観客動員を記録した年の公開された『江戸っ子判官とふり袖小僧』の貴重なパンフレット(当時はしおり)。

監督・沢島忠が牽引した”明朗歌謡時代劇”と”遠山の金さん”題材を組み合わせた斬新作であり、男優ナンバーワンと女優ナンバーワンの片岡千恵蔵と美空ひばりのダブルキャストが実現し話題を呼びました。片岡千恵蔵の数多くある代表シリーズの一つ『千恵蔵の遠山の金さん』シリーズの第15作。


裏記事公開⇒ある銀幕スターが大問題をさせた1941年 幻の忠臣蔵映画の存在
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2017/04/16 00:02 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価



今回は「世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価」と題して進めていこうと考えています。鶴田浩二は戦後を代表する映画スターと1人でした。その証拠として”数多くの記録”を残しています。映画スターや映画俳優の評価とはコンビを組んだ監督、評論家の評価、観客動員や興行成績、代表作数を残すだけではなく、映画に関する記録を残すことも大きな評価の一つです。


前回の記事⇒戦後映画260作の世界記録・鶴田浩二&後輩・松方弘樹の24年18作



<鶴田浩二の1965年から1970年までの主演映画数>





鶴田浩二は生涯で年間数10作以上の二桁主演数は2度記録しています。この記録には1963年の再大ブレイクが大きく影響しています。またシリーズ路線にも成功し、拍車がかかりました。



年数と主演数 ・記録
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1965 10   ・自身初の年間主演数10作越え&
          戦後デビューの俳優3人目の主演映画100作に到達(A)
1966 8     
1967 9 
1968 10   ・生涯2度目の年間主演映画数10作突破(B)
1969 5 
1970 6    ・初の10年連続で主演映画数が5作以上を記録




(A)鶴田浩二の戦後主演100作は戦後デビューの男性俳優では森繁久彌に次ぎ、女優を含めると美空ひばりが主演のみだと1963年に到達しており、3人目となります。美空ひばりは歌手と相互も大きな人気の部分でもあり、現代劇と時代劇で異なるを定着させて女優で唯一の戦後主演100に到達、いかに大スターだったのかが伺い知れる部分です。森繁久彌は1950年代の代表作の『警察日記』の主演で評価された辺りから主演数が伸び、東宝版『次郎長三国志シリーズ』の森の石松の助演でも人気を博し、1960年代の『社長シリーズ』、『駅前シリーズ』などで安定したさらに流れをつなぎました。

戦後の主演作100作以上は、戦前から活躍している俳優の戦後の100作到達順を含めると片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫美空ひばり、森繁久彌に次いで鶴田浩二は世界で6人目でした。主演数であり、ヒロイン数は含んでいません。




1961年東映作品しおり 半七捕物帖 三つの謎 B5サイズ・2つ折りタイプ 片岡千恵蔵 鶴田浩二 東千代之介 映画パンフレット・兼用
片岡千恵蔵が主演、鶴田浩二や東千代之介も主軸で参加した時代劇映画
監督・沢島忠の『半七捕物帖 三つの謎』、貴重なパンフレット(当時はしおりの明記)
上記写真の4人目は里見浩太朗です。




<大記録 戦後の映画大スターの主演数100作への到達順>




映画俳優   到達年数
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1 片岡千恵蔵   1958 (戦後世界最速)
2 長谷川一夫   1960
3 市川右太衛門  1961
4 美空ひばり   1963 (戦後デビュー俳優の世界最速)
5 森繁久彌    1964
ーーーーーーーーーーーーーー
6 鶴田浩二    1965 
7 市川雷蔵    1965
8 勝新太郎    1967
9 中村錦之助   1969
10 小林旭     1970
ーーーーーーーーーーーーーー
11 高倉健     1971

嵐寛寿郎     到達できず 90作強
石原裕次郎   到達できず 85作強
三船敏郎     到達できず 75作強
渥美清      到達できず  70作強
吉永小百合   現在70作ほど
若尾文子     現在70作ほど


吉永小百合は主演含めたヒロイン数は95ほどであり、100の可能性有


長谷川一夫は主演数で280作ほどながら安定して主演数を積んできた特徴があり、トータルで主演300作の市川右太衛門よりも先に戦後100作に到達しています。流れとしては軸にしている鶴田浩二は6位に位置しています。残念ながら主演100作へ到達できなかった大スターの嵐寛寿郎、観客動員ベスト10作のみでは観客動員1位の石原裕次郎三船敏郎渥美清も比較対照として表記、記録的に三船敏郎渥美清はあまり大きな映画スターではありませんでした。

記録を残していることも映画スターの評価には大切な要素です。鶴田浩二と市川雷蔵が同じく1965年の到達ですが、半年ほど鶴田浩二の方が先に主演数100作へ到達しています。



軍歌 鶴田浩二 12CD-1005N
歌手として活躍した軍隊の帽子の鶴田浩二




2017・4・5公開の裏ブログ↓ ↓ 今回の記事とも関連しています。
真実の光 マーロン・ブランドと三船敏郎の×××




大記録 戦後映画大スターの年間主演映画数10作




(B)生涯2度目の年間主演映画数10作を突破

鶴田浩二の年間主演数10作以上は生涯で2度で11位したが、先輩の片岡千恵蔵は戦後だけでも5度で1位、2位が東千代之介、中村錦之助、小林旭市川雷蔵が4度の年鑑主演数10作に到達、4度目の到達順の早さから2位が東千代之介となっています。
片岡千恵蔵も同様ですが市川右太衛門は主演映画300作俳優であり、上記の4名に劣っている部分は意外といえば以外でしょう。


これも↓スター俳優の評価を示す大きな記録といえるでしょう。



<大記録 年間主演10作の回数や順位と到達順>




   到達俳優   年間主演10作の回数(その年数)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1 片岡千恵蔵   5 (1952~1956)
2 東千代之介   4 (1954~1957)
3 中村錦之助   4 (1954~1956、1958)
4 小林旭      4 (1959~1962)
5 市川雷蔵    4 (1959、1961~1962、1966)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
6 市川右太衛門 3 (1952~1954)
7 森繁久彌     3 (1956、1958、1961)
8 美空ひばり   2 (1955、1958)
9 長谷川一夫   2 (1958、1960)
10 勝新太郎    2 (1964、1968)
-------------------------------------
11 鶴田浩二    2 (1965、1968)
12 嵐寛寿郎   1 (1953)
13 石原裕次郎  1 (1959)
14 吉永小百合  1 (1963)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・ 三船敏郎     0
・ 渥美清      0
・ 菅原文太     0


*並んでいる場合は達成順が上
*これは主演なので相手役、ヒロイン数を足せば100作に到達する俳優や女優がいますが含めてていません。


片岡千恵蔵はいまさら語るまでもない凄さですが、1952~1956年に5年連続で主演映画が10作あります。東千代之介は5部作、4部作、3部作などの1時間ほどの中編作の連作が多かったにしても記録は事実であり、長篇のみでいうと除外されてしまいます。




雷蔵と鶴田、意外なるライバル関係



年間主演10作の回数4度の市川雷蔵はデビューからたった15年で160作近い映画に出演し、主演は130作強、1969年に過労死ともいわれる風に亡くなりました。その多くが主演映画作でした。多作は映画業界や周囲に貢献はしていても反面、問題を孕んでいることも事実です。

実写のニーズのそのものが低迷している現代の状況のままでは、映画本数が作りたくても作れない現実もあり、膨大な映画数自体が不可能です。残念ながら三船敏郎と渥美清は生涯を通じて1度も年間で主演映画が10以上がなく、映画の大スターの基準を満たしていませんでした。




「鶴田浩二―“任侠”にかけた男の意地と夢 映画写真集」の文章に書かれている晩年の代表作の映画『傷だらけの人生』(1971)は自身による歌の大ヒットから企画された仁侠映画でした。この映画で鶴田浩二は、日本アカデミー賞の前身的な位置を持つ京都映画祭の主演男優賞を受賞しています。



裏記事⇒任侠路線を確立や初代・飛車角の存在とオリジナルビデオ四天王
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2017/04/04 00:01 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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