高倉健が10年連続主演×作に到達しなかった原因 そびえ立つ大山脈
現在の人気はテレビなどが過剰に取り上げることによってもいくらでも誇張できますが、それは本当の人気の証拠にはなりません。やはり記録に残っているということが真の人気や活躍を占めるものになります。やはり存在しない証拠よりは存在する証拠の方が大切なのです。前回の流れでさらに深い部分に踏み込んでいこうと考えています。「高倉健が10年連続主演×作に到達しなかった原因 そびえ立つ大山脈」が始まります。
前回記事⇒○作連続主演数世界1位 映画俳優の大記録を掘れ
戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番
<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で年間主演5作が途絶えた順番>
途絶えた年 俳優名 連続年数 連続年数の内訳
1961 長谷川一夫 12 1950~1961
1962 市川右太衛門 11 1952~1962
1963 中村錦之助 10 1954~1963
1963 美空ひばり 13 1951~1963
1963 片岡千恵蔵 14 1950~1963
1966 森繁久彌 12 1955~1966
1967 市川雷蔵 13 1955~1967
1968 勝新太郎 14 1955~1968
1970 小林旭 13 1958~1970
1972 鶴田浩二 12 1961~1972
意外なことに戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で、連続年数が最初に途絶えた俳優の長谷川一夫でした。長谷川一夫が最初に記録を途切れた理由などは裏ブログの方へ
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国民栄誉賞は過大評価!! 日本映画最大の黄金期の片岡千恵蔵VS長谷川一夫の7ラウンド勝負

戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数がもっとも早く途絶えた俳優の長谷川一夫、
あまりイメージにない彼の演じた日蓮の坊主姿 1958年の大映の大作&オールスター映画『日蓮と蒙古大襲来』の貴重なポスターです。
『日蓮と蒙古大襲来』は長谷川一夫と20作近い名コンビを組んだ巨匠・渡辺邦男が監督をしています。
日本映画で最期の10年連続以上の年間主演5作以上の俳優が鶴田浩二
日本映画で最期の10年連続以上の年間主演5作以上の俳優が鶴田浩二でした。
鶴田浩二が10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優の中で10人目に記録が途絶えています。鶴田浩二の存在は日本映画がもっとも輝きを放った時期の最期の存在だったといえるのかもしれません。
ここであることに注目してみましょう。上記の10名に高倉健が入っていません。その理由は何故でしょう。残念ながら高倉健は10年連続以上の年間主演5作以上を1度も記録していません。これは彼を上回る映画スターが存在していたことを物語る証拠の一つといえます。
高倉健は1956~1961に6年連続で主演5以上、1963~1971に9年連続で主演5以上を記録しましたが、惜しくも10年連続以上の年間主演5作以上は逃してしまいました。この1956~1961に6年連続で途絶えた理由には鶴田浩二、美空ひばりなどの大先輩俳優の存在が挙げられます。
1962年の高倉健の出演映画
<1962年の高倉健の出演映画>
南太平洋波高し 主演・鶴田浩二 監督・渡辺邦男
べらんめえ芸者と大阪娘 主演・美空ひばり 監督・渡辺邦男
二・二六事件 脱出 主演・高倉健 監督・小林恒夫
恋と太陽とギャング 主演・高倉健 監督・石井輝男
千姫と秀頼 主演・美空ひばりと中村錦之助 監督・マキノ雅弘
5
黄門社長漫遊記 主演・進藤英太郎 監督・小石栄一
民謡の旅 桜島 おてもやん 主演・美空ひばり 監督・渡辺邦男
東京丸の内 主演・高倉健と佐久間良子 監督・小西通雄
三百六十五夜 主演・美空ひばり 監督・渡辺邦男
暗黒街最後の日 主演・鶴田浩二 監督・井上梅次
10
東京アンタッチャブル 主演・高倉健 監督・村山新治
遊民街の銃弾 主演・丹波哲郎 監督・飯塚増一
裏切者は地獄だぜ 主演・片岡千恵蔵 監督・小沢茂弘
計13
主演でないものは基本は相手役または2番手、3番手を維持
![高倉 健 [TX-6092] [ポスター]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/4102GD9S5JL.jpg)
『日本侠客伝』や『昭和残侠伝』などの任侠シリーズからのものだと考えられる高倉健の上半身の半裸写真、
映像に映えるきれいな刺青も優れた職人によるものです。
そびえ立つ大山脈①と4作共演した高倉健の微妙に歯がゆい現実
美空ひばりの相手役を『べらんめえ芸者と大阪娘』と『民謡の旅 桜島 おてもやん』、『三百六十五夜』で勤めています。男役ではトップでしたがやはり主役というよりは美空ひばりの引き立て役を負かされていたと捉えるべきだと考えています。1962年の高倉健は渡辺邦男の映画に4作も出演していますが、主演はありませんでした。
映画愛子も視聴済みの前年の1961年に『悪魔の手毬唄』で渡辺邦男とのコンビで主演作が1つあります。この映画は初代・金田一耕助の片岡千恵蔵が定着させた清潔な金田一耕助のイメージを継承や踏襲した作品でした。相手役や継承作があることからも、ある程度の評価は得ていましたが、この時点では高倉健は東映では数番手の映画スターだったことも意味しています。
そびえ立つ大山脈②の前に助演俳優と化した高倉健
『千姫と秀頼』は主演の千姫の美空ひばりと秀頼の中村錦之助のダブル主演の次ぐ、3番手、大ヒットしたギャングシリーズの『裏切者は地獄だぜ』も片岡千恵蔵、鶴田浩二に次ぐ、3番手扱いでした。丹波哲郎はトータルでは主演数は30作ほどの俳優でしたが、東映も他の主演の多様性を求めていたのでしょう。彼に主役を任せて、高倉健はあえて2番手で出演しています。
1962年の高倉健の鶴田浩二の主演映画への2番手は『南太平洋波高し』、『暗黒街最後の日』の2作でしたが、1962年の共演は他に2作あり通産で4作です。『裏切者は地獄だぜ』は上記と同様ですが、『三百六十五夜』は鶴田浩二が高倉健に次ぎ、3番手的立場で出演しています。
つまり、1962年の高倉健は主演4作、助演9作(相手役含む)で13作に出演していました。高倉健が1956~1961で6年連続の主演5以上が途絶えた理由は相手役を含んだ助演が増加し、美空ひばりや鶴田浩二の大きな存在(=そびえ立つ大山脈)が影響していました。東映は東宝から移籍してきた鶴田浩二の方を高倉健よりも優先的に売り出していたことも原因しています。
そびえ立つ大山脈①美空ひばり そびえ立つ大山脈②鶴田浩二
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2017/04/27 00:03 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)