映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする


大友柳太朗は、松竹傘下の映画会社の新興キネマの京都で映画スターとしてデビュー、30作ほどの主演映画が作られました。その後、新興キネマが1942年に合併して大映映画となったときに大友柳太朗は大きな変化に見舞われます。主演俳優を事実上で下ろされて、2番手や3番手俳優、またはそれ以下の助演の映画出演を余儀なくされてしまったのです。

前回記事⇒合わせて映画420作 大友柳太朗と中村錦之助の映画110作が秘めたドラマ




映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする




大友柳太朗新興キネマ時代は残念ながら現在に伝えられている大きな代表作がありませんでした。ないのか、本当に代表作は存在していないのか、そんなことはありません。代表作はたくさんありました。ただちゃんと伝えていないだけなのです。

大友柳太朗は有名な役柄、または有名な題材に多く出演しています。これは俳優のステータスにもつながるため、ある種の代表的な作品に含まれるかもしれません。そのいくつかをショベルカーでざくざく掘り上げていきます。



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戦前の日本映画の大手からは少しかけ離れていましたが
日本映画の”伸びしろ”に貢献した会社が新興キネマでした。






佐賀怪猫伝』 ヒロイン150作を越す大女優・鈴木澄子の存在感



のちの戦後の大映でヒットする時代劇題材の一つ、1937『佐賀怪猫伝』です。いわゆる怪猫ものです。”かいねこ”と書いて”かいびょう”と読みます。怪猫ものは時代劇で人気がある怪談とも通じる派生的なジャンルともいえます。古い言い伝えに猫に人間の魂が宿るという部分があります。辛い思いを抱えて死んだ恨みを持つ人間と猫を関連付けているのが基本的な怪猫もの映画です。怪猫もの映画は確認できるだけでも30作以上も作られています。

戦後の『怪猫有馬御殿』(1953)から始める入江たか子の老婆が話題になった”大映の怪猫シリーズ”も有名ですが、古くは1910年代の日活や天活などから制作されています。1937年から新興キネマの怪猫シリーズは4作が作られていますが、そのすべてに鈴木澄子が主演しています。ヒロイン数が150作以上の戦前の大女優・鈴木澄子の怪猫シリーズの1作目が『佐賀怪猫伝』です。この作品は大ヒットしたと記録が残されています。この映画の男役の主演が大友柳太朗でした。大友柳太朗の映画出演の第2作目であり、最初の代表作です。





鈴木澄子の怪猫ものシリーズ(新興キネマ)



鈴木澄子が主演した怪猫ものシリーズ(新興キネマ)
佐賀怪猫伝』  1937.02   監督 木藤茂    大友柳太郎、鈴木澄子
『怪猫五十三次』  1938.05    監督 押本七之輔 鈴木澄子、大谷日出夫
『怪猫謎の三味線』  1938.11   監督 牛原虚彦   鈴木澄子、森静子
『怪猫赤壁大明神』  1938.12   監督 森一生    鈴木澄子、歌川絹枝



鈴木澄子が主演した怪猫シリーズの監督はすべてばらばらでした。『佐賀怪猫伝』 の監督の木藤茂は日活の現代劇ので大巨匠・溝口健二に師事し俳優から監督へ転身、俳優と監督でいくつかの代表作を残しました。木藤茂は佐賀ものを含む怪談映画を7作も監督しました。7作も監督した理由が新興キネマの監督1作目の『佐賀怪猫伝』 が大ヒットしたことが原因だと考えられます。さらに時代劇の名監督の押本七之輔、森一生、1920年代から30年代にかけて松竹の現代劇の男性映画を事実上の確立させた履歴を持つ巨匠・牛原虚彦も監督しています。


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モノクロに映える眼光は鋭く、見る者の興味を引きつける。
鈴木澄子は怪奇、化け物は当たり役となり、現在でも知られる伝説的女優。
怪猫ものシリーズもいくつかある代表作の一つです。



『怪猫謎の三味線』の新興キネマのオールスター



この中で『怪猫謎の三味線』 は新興キネマのオールスターといえるキャストでした。鈴木澄子、森静子、歌川絹枝、高山広子、若き日のあの森光子、ヒロイン&主演女優の5スターを中心に、新興で活躍した主演スターの浅香新八郎、映画300作の大重鎮の松本泰輔、林長二郎や高田浩吉、坂東好太郎の”松竹時代劇三羽鴉”に次ぐ、主演数を1931~1934にかけて記録した尾上栄五郎、主演が50作を越す喜劇俳優の伴淳三郎、松竹蒲田の元ヒロイン女優の梅村蓉子、主演260作の超大スター・嵐寛寿郎の盟友の嵐徳三郎などが出演しました。10名以上のスターが出演していました。






『水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻』 水戸黄門映画でも光圀が主役とは限らない




おなじみの水戸黄門や水戸黄門漫遊記の題材の1937『水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻』、水戸黄門役は映画に300作以上出演した大名優&大俳優の松本泰輔ですが、主役はタイトルの通りに九紋竜の長次は大友柳太朗です。水戸黄門だからといって主役が光圀とは限らない部分も、この頃の時代劇映画の多様性の凄さです。現代劇には不可能な普遍性と多様性が時代劇映画には存在し、当時の高い人気へ影響していました。




『水戸黄門 天下の大騒動』(1960)は、戦前から戦後を含めて主演150作ほどの大俳優の大河内伝次郎の最後の主演映画でした。また、東映時代でただ一つの主演映画です。水戸黄門は大河内傳次郎、助さんを品川隆二、格さんを山城新伍が演じています。さらに近衛十四郎と里見浩太朗も重要な役柄で出演しています。






『静御前』 大女優・山田五十鈴とまだ見ぬ巨星・片岡千恵蔵の影




大友柳太朗は1938『静御前』で主演の静御前役の山田五十鈴の相手役の源義経を演じました。大女優の山田五十鈴は時代劇栄えする顔立ちや所作の持ち味から1930年代の映画から、1980年代の「必殺シリーズ」へのテレビ出演まで、数多くの時代劇映画やテレビ時代劇に出演しました。

山田五十鈴はのちの大友柳太朗の大映、東映時代の大先輩・片岡千恵蔵と『瞼の母(1931)』(『番場の忠太郎 瞼の母』)、1931『国士無双』、1932『闇討渡世』、1932『弥太郎笠 去来の巻』、『弥太郎笠 独歩の巻』、戦後初の忠臣蔵の本伝映画『赤穂城』(1952)から始まる3部作、『弥太郎笠(1955)』などの約10作の代表作で共演を果てしいます。


*大友柳太朗は新興キネマ⇒大映⇒東映が主な専属の映画会社でした。




片岡千恵蔵の大ファンでも知られる毒蝮三太夫のプレゼンツ 「番場の忠太郎 瞼の母」
真実の日本映画を知る評論家の佐藤忠男も参加



低予算が多い松竹傘下の新興キネマの中、映画スターが15名ほども出演したオールスターの大作でした。これも大友柳太朗の戦前の代表作といえるでしょう。松竹の重役だった白井信太郎がその傘下の新興キネマで制作を務め、マキノ省三賞を脚本家で最初に受賞した巨星・八尋不二が手がけました。

八尋不二は、日本映画の105年以上の歴史の中で通産の脚本数400以上(現存データは300ほど)とも言われ、歴代で代表作がもっとも多い映画脚本家です。世界の歴代で1位の映画脚本数を誇ります。戦前と戦後を通じで活躍し、時代劇やその映画にもっとも貢献した脚本家としても知られています。

今回は大友柳太朗の埋もれた初期の映画主演の代表作をショベルカー(=今回の記事の内容)でその一部をざくざく掘りあげていきました。


大友柳太朗と超大物の主演100作で出演250作以上やその近辺の映画俳優たちの記事も有
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裏面展開「映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』、『静御前』をショベルカーする」


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2017/06/18 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

合わせて映画420作 大友柳太朗と中村錦之助の映画110作が秘めたドラマ

映画愛子は人と比較しないオンリーワンがもっとも大切だと考えていますが、それで済ませてしまうと記事にならないため、さらに追及していこうと思います。


前回記事⇒東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影


前回は↑<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>を取り上げました。
まことに申し上げありません。膨大な量になるのでいっぺんに取り上げれない理由から、とある人物の存在を今回に引き伸ばしさせていただきました。今回はそのもう1人の存在を浮き彫りにしたいと思います。




完全版「戦後の10年連続以上の年間主演5作俳優、連続年数が途絶えた順番」





<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>
途絶えた年 俳優名  連続年数  連続年数の内訳

1961    長谷川一夫    12    1950~1961
1962    市川右太衛門  11    1952~1962  
1963    中村錦之助    10    1954~1963
1963    美空ひばり    13    1951~1963
1963    片岡千恵蔵    14    1950~1963

1963    大友柳太朗     10     1954~1963

1965     大川橋蔵     10    1956~1965   
1966    森繁久彌      12    1955~1966
1967    市川雷蔵     13    1955~1967
1968    勝新太郎      14    1955~1968
1970    小林旭       13    1958~1970
1972    鶴田浩二      12    1961~1972



上記の<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>の最後の1人の存在が上記の大友柳太朗の存在です。同時に上記の”戦後に10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”は12名です。

これで東映が”10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”が通産で7名になりました。7名の内訳・片岡千恵蔵、市川右太衛門、美空ひばり中村錦之助大友柳太朗、大川橋蔵、鶴田浩二、大映3名、東宝1名、日活1名、松竹、6社目の新東宝0名です。さらに下記の戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数も更新してみます。




ご存じ快傑黒頭巾 マグナの鐘 1955年映画パンフレット 佐伯清・監督 大友柳太朗 喜多川千鶴 目黒祐樹
『ご存じ快傑黒頭巾 マグナの鐘』(1955)は大友柳太朗の最大の当たり役、「快傑黒頭巾シリーズ」の第3弾、のちの高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」を大成功させた名匠・佐伯清が監督でした。原作は児童文化学作家の高垣眸(たかがきひとみ、ひとみと読みますが性別は男性)
佐伯清高倉健とコンビを形成する前には大友柳太朗と11作の映画でコンビがあり、このことはあまり知られていない事実です。快傑黒頭巾はのちにテレビドラマでも何度も映像化されています。頭巾姿の大友柳太朗と奥の女性は喜多川千鶴です。


完全版「戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数」




<戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数>
        連続年数 連続した年数の内訳
1  片岡千恵蔵    14   1950~1963
2  勝新太郎     14   1955~1968
3  美空ひばり    13   1951~1963
4  市川雷蔵     13   1955~1967
5  小林旭       13   1958~1970
6  長谷川一夫    12   1950~1961
7  森繁久彌      12   1955~1966
8  鶴田浩二      12   1961~1972
9  市川右太衛門  11   1952~1962
10  大友柳太朗    10   1954~1963
11  中村錦之助    10   1954~1963
12  大川橋蔵     10   1956~1965



上記のようになります。同数の場合は記録のスタート年数の方が上位にしています。この12名の中で同じ連続年数でスタートと途切れた年が同じ年数1954~1963の俳優がいます。それは大友柳太朗と中村錦之助です。



<大友柳太朗と中村錦之助の2人の年間5作連続主演数の記録が重なりあった部分>
10 大友柳太朗    10   1954~1963
11 中村錦之助    10   1954~1963



何故に大友柳太朗の方を上にしているかですが、ルールにもよって変化しそうですがここではデビュー年数が早いことを基準にしていますが、通産の映画出演数が100作以上も多いことも影響しています。大友柳太朗は戦前の1937年に映画デビュー、中村錦之助は戦後の1954年にデビューしています。

中村錦之助は美空ひばりの相手役の『ひよどり草紙』でデビューを飾り、『新諸国物語 笛吹童子』で東千代之助とのダブル主演作で初主演を務めました。『ひよどり草紙』は主演とも言えるかも知れませんが今回は相手役の扱いをしています。

大友柳太朗はそれよりも15年以上前から主演で活躍していたことから順位を上にしています。今回の本題ですが、実は大友柳太朗と中村錦之助はいくつかの共通点が存在しています。その部分に少しでも迫れたら嬉しいです。


ひよどり草紙 [VHS]
ひよどり草紙』のVHSは販売されていますが、DVDはリリースされていないようです。大きく美空ひばりの主演の文字、販売はコロムビアの文字があり、日本コロムビアのことです。販売価格9515円の文字がかなり高価です。




大友柳太朗と中村錦之助の主演数は110作なのに大きく異なる部分




大友柳太朗と中村錦之助の共通点の一つが主演映画の本数です。大友柳太朗は確認できる限りでは110作以上の主演映画が存在が確認できます。一方、中村錦之助も110本強です。ほぼ同数の主演映画が作られました。



ほぼ同じ110作といっても2人は大きく異なるタイプの俳優でした。それは活動の仕方の違いにもみられます。大友柳太朗は主演と助演の両方向で長期間にわたって活躍した俳優でしたが、中村錦之助は主演が中心に助演の代表作もいくつかの数が存在している俳優でした。この部分は重要なことです。何でどちらが活躍したとは一概に言いにくい部分もあります。

大友柳太朗の映画出演本数は270作以上ですが、中村錦之助は145作(合わせて415作、約420作)ほどであり、トータルの映画出演数が全然違います。大友柳太朗が中村錦之助の2倍近い出演映画数を誇っています。膨大な135作以上の映画出演数の差が存在しています。

一言でいうと主演と助演を含めた出演数の代表作では大友柳太朗の方が多く、主演の代表作では中村錦之助の方が多いです。




<大友柳太朗と中村錦之助の映画出演数と主演数>
大友柳太朗 映画出演270作強 主演数110作強
中村錦之助 映画出演145作強 主演数110作ほど



大友柳太朗はデビューした1937年と1938年に年間主演数9を記録しています。また、1940年と1941年にも年間主演数5以上を記録し、戦前に4度の年間主演数5以上がありました。年間主演5作以上を戦前に4、戦後に10で通産で14度記録しています。こうした部分からもトータルで長年で映画スターだったのが大友柳太朗といえます。



<大友柳太朗と中村錦之助の年間主演数5以上回数>
大友柳太朗 通算14度、1937~1938、1940~1941、1954~1963
中村錦之助 通算10度、1954~1963



また、大友柳太朗の戦前の主演映画は確認できるのみで37作あります。戦前と戦後の両方の異なる時代で主演30作以上を記録した映画スターの俳優は日本の歴代に20名もいません。大友柳太朗もその数少ない一人です。戦前の多くの映画スターは戦後には引退したり、助演や脇役に回っていることが多数だったことからも彼は認められた俳優だったといえるでしょう。


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中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗の3大スターを軸に展開する冒険活劇時代劇、大旋風を巻き起こした新諸国物語シリーズでしたが、大友柳太朗は新諸国物語やその関連作の12作へ出演していました。新諸国物語シリーズは最低でも2000万人以上の観客が見ているものと考えられます。「新諸国物語 紅孔雀」だけでも1000万人近い観客を動員したといわれています。



中村錦之助と大友柳太朗の個々の個性を大切に伝えてほしい現実




マスコミ的には現在の高齢者の世代が近い方の俳優の中村錦之助の方を大きく位置づけている印象がありますが、実はそれにも疑問符が存在しています。テレビドラマのことも含めてしまうと主演でも活躍したことから中村錦之助(1970年代前半から萬屋錦之介に改名)の方が活躍したといえるでしょう。さらに映画では巨匠のコンビ数では中村錦之助の方が本数が多く多彩であり、これら面も影響していると考えられますが、今回取り上げた出演数や戦前の部分も含めるとそれだけで決め付けてしまうのもおかしな部分だといえるでしょう。


今回の記事の裏側⇒忘れ去られた児童文学作家 高垣眸と頭巾もの有名映画たち
 頭巾もの有名映画たちにも迫ります。



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2017/06/06 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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