【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突

【ハリウッド不可能】石原裕次郎大河内傳次郎片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突と題して進行します。


流れとしては大友柳太朗のことを取上げていますが、今回は前回に少し取上げた戦前の日活映画の黄金期に関して迫りたいと思います。

日本にはハリウッドにも不可能な世界で不世出のキネマスターが存在していました。海外の俳優にも不可能な主演300作の俳優が3名も存在している過去の大映画大国の日本。ハリウッドは映画主演300作俳優はゼロです。

到達順に尾上松之助片岡千恵蔵、市川右太衛門の3名です。さらに日本には主演作が200作以上で300作の映画に出演している俳優は通算で6名います。到達順に尾上松之助片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門の4名です。長谷川一夫は出演が300作をギリギリで越した説はあるが明確なデータがないため含まない。
ハリウッドも追随を許さないハリウッドに不可能な世界的な不世出のキネマスターの大きな功績と事実をマスコミは取り上げません。



前回記事⇒【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層



不世出=めったに世に現れないほど優れている
キネマ=映画、シネマなどを指す



石原裕次郎のNHK特番『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰なテレビ関係者の優遇




石原裕次郎は残念ながら上記の6名と比べるまでもないですが、さまざまな面で劣っています。ですが、テレビは今でも彼のことをガンガン誇張し続けています。これはいかがなものでしょうか。

最近のNHKのBSの番組で石原裕次郎の特番『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』が放送されました。残念ながら誇張や優遇が含まれためちゃくちゃ大げさな番組に呆れてしまいました。


今記事の裏側⇒NHKの『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰な煽り番組は問題だらけ
歴代ナンバーワン俳優の千恵蔵VSテレビ関係者に好かれた裕次郎の世紀を超えた衝突の序章に高倉健の顔

反れそうなのでを戻りましょう。日本には石原裕次郎を圧倒的に上回る真の映画スターが数多く存在していました。時代劇俳優たちです。そうなんです。映画愛子もさまざまな情報に精通しているつもりですが、日本のナンバーワン映画スターは上が時代劇俳優です。日本映画の歴代の代表作数と主演数のバランスによる上位10選は10位の鶴田浩二を除いて、上記の5名を含む全て時代劇映画中心の俳優です。



石原裕次郎ポスター大全集―2000年記念作品〈vol.1〉 (2000年記念作品 (Vol.1))
映画の一つの楽しみがポスターの存在です。彼もポスターに栄えていました。





大河内傳次郎と沢田清 決め手は巨匠 大きな代表作やヒット作数 有名な役柄の4拍子



前回の記事の沢田清も交えた部分から再びタートします。

大河内傳次郎=日活時代劇映画のみで主演が90作以上、60作以上の主な代表作
片岡千恵蔵=自身の映画会社の千恵プロの日活配給、日活の専属の時期を合わせて主演が125以上、60作以上の主な代表作(上記の2名は他でも主演で活躍していますが日活の時期のみです)

・沢田清=日活時代劇映画のみで主演が70作以上


大河内傳次郎(大河内伝次郎)と沢田清は主演数のみでは15作ほどの差しかありませんが名匠、巨匠とのコンビや大きな代表作やヒット作数、有名な役柄などの密度のレベルが全然違います。沢田清は名監督とのコンビはありましたが、巨匠とのコンビはほとんどありませんでした。大河内傳次郎は巨匠の伊藤大輔とのコンビが日活時代だけで30を越していました。主演数は片岡千恵蔵と比べると大きな差がありますが、主演数以上に大河内傳次郎は日活の大スターでした。



伊藤大輔の映画ファンが涙ものの貴重なパンフレットを発見





時代劇六大スターと配給会社の激戦



片岡千恵蔵は戦前と戦後を含めた通産では、長谷川一夫や市川右太衛門と戦後も競い合うライバルでしたが、戦前のみに競い合っていた相手の1人が大河内傳次郎であり、戦前は時代劇六大スターの二人と称されたように高いレベルで競り合っていました。

大河内傳次郎や片岡千恵蔵が時代劇の最大手の日活配給が9割の1930年代全般の時期、長谷川一夫、市川右太衛門は時代劇映画で2番目の松竹配給(現代劇中心の会社)、阪東妻三郎、嵐寛寿郎は当時の大手3番目といえる新興キネマの配給俳優でした。阪東妻三郎は松竹の阪妻プロの乗っ取り騒動が明るみに出て、松竹と裁判などでもめた末、阪東妻三郎は事実上の左遷を受けてしまい、1931年に松竹配給から事実上の傘下の新興キネマの配給へ飛ばされました。これらの時代劇六大スターと配給会社の現状維持は1937年まで続きます。




1910年代から1920年代後半までの剣戟映画(のちに時代劇に含まれる)から離れて時代劇映画のそのものや時代劇の最大の黄金期をトップで形成した俳優たち=時代劇六大スター=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、大河内傳次郎、長谷川一夫、市川右太衛門


時代劇六大スター 戦前篇―藤波米次郎コレクション
有名な時代劇六大スター




日活時代の最大のライバル 大河内傳次郎と片岡千恵蔵の激戦



競り合うという言葉は部分的に大河内傳次郎が上回る部分があれば、片岡千恵蔵が上回る部分があったということを意味しています。戦前と戦後を含めたトータルで評価してしまうと片岡千恵蔵の方が主演320作以上、4巨匠と20作以上の主演作や8巨匠と10作以上の映画などの数多くの功績や影響、数多くの世界記録がありますが、大河内傳次郎は通算で主演150作強の主演作がありましたが、世界記録は特になしなど数多くの面で大差が存在しています。


一方、片岡千恵蔵はマキノプロ、千恵プロ、日活、大映、東映のさまざまな時代や映画会社に対応した40年近くの歴代トップスターでしたが、大河内傳次郎は1937年に東宝へ移籍するとあまり成果が挙げられずに2番手や助演が増えていきました。主演の代表作も急激に減少していきます。

大河内傳次郎は日活時代の約10年程が主演スターとしてもっとも輝いたピークでした。戦後に日活の体制は大きく変りますが、石原裕次郎もこの2名の影響を大きく受けています。さらに小林旭は片岡千恵蔵を尊敬していたという話を聞いたことがあります。現実に日活時代に「~だぜ」のタイトル映画や東映移籍後に「多羅尾伴内」のリメイクを2作でしています。

というか千恵蔵と大河内が存在していなければ、戦後の日活はまったく別なものになってるため、石原裕次郎や小林旭、吉永小百合や他の有名俳優さえ芸能界に存在していないかったでしょう。



1959年東映作品しおり 若櫻千両槍 B5サイズ・2つ折りタイプ 東千代之介 里見浩太郎 大河内傳次郎 映画パンフレット・兼用1959年東映作品しおり 若櫻千両槍 B5サイズ・2つ折りタイプ 東千代之介 里見浩太郎 大河内傳次郎 映画パンフレット・兼用


若桜千両槍』は東千代之介の主演作に1957年から東映の助演俳優の専属となった大河内傳次郎も出演しています。映画は戦前から100作以上が多く作られたいわゆる”槍もの時代劇”で現在でも有名な槍の名手の笹野権三郎を東千代之介が演じています。ちなみに上記のしおりは1959年となっていますが映画の公開は1960年2月です。

若桜千両槍』は25作以上を越す名コンビを形成した監督の河野寿一×主演映画90作強の大スター東千代之介、さらにドラマでも活躍した河野寿一×時代劇映画を143作も脚本した結束信二の名コンビ作

大河内傳次郎は「槍の又兵衛」として世に名を轟かせた高田又兵衛を演じています。笹野権三郎と高田又兵衛の2大槍使いを描いているところが面白い所です。


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2017/07/19 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層


【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑大友柳太朗が共演の深層



さらに映画出演270作の大俳優に関して進めていきたいと思います。
前記事の『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』を取り上げていますが、まだまだそれだけではありません。

前回記事⇒映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする





大友柳太朗の『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』 浅香新八郎沢田清




『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』 1938年


さらに有名題材の大岡政談の1938『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』の姉妹作で、大友柳太朗は両作で主役を務めながらも別役を演じています。これも大きな特徴です。大岡政談なので大岡越前が登場する映画ですが、助演として登場します。

『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』夜』の大岡越前役は日活時代に時代劇の映画スター・沢田清などの2、3番手スターとして活躍した浅香新八郎でした。浅香新八郎は日活から新興キネマへ移籍しましたが、移籍後は上位といえるほどの活躍はできませんでしたが、主演である程度の実積を残した時代劇の映画スターです。沢田清は日活の1930年代の前半にトップだった日活専属の大河内傳次郎(大河内伝次郎)や日活配給の片岡千恵蔵と比べる実積や人気、個性が格段に劣りますが、主演70作は本数的にも戦前の時代劇映画のトップの日活の黄金期へ十分な貢献した人物の1人だったといえます。



大河内傳次郎=日活時代劇映画のみで主演が85作以上、60作以上の主な代表作
・片岡千恵蔵=自身の映画会社の千恵プロ制作の日活配給、
  日活の専属の時期を合わせて主演が125以上、60作以上の主な代表作
(上記の2名は他でも主演で活躍していますが日活の時期のみです)

沢田清=日活時代劇映画のみで主演が70作以上
 『落花剣光録』3部作や『隠密七生記』前後作、「弁天小僧」2作など主な代表作は20作近く


1960年東映作品しおり あらくれ大名 B5サイズ・2つ折りタイプ 市川右太衛門 香川京子 里見浩太朗 大河内傳次郎 若山富三郎 映画パンフレット・兼用
1960年東映作品しおり あらくれ大名 B5サイズ・2つ折りタイプ 市川右太衛門 香川京子 里見浩太朗 大河内傳次郎 若山富三郎 映画パンフレット・兼用

振る舞いと姿、素晴らしい描写の表紙です。愛子も視聴している上記の写真の映画主演300作の大スター市川右太衛門の秀作時代劇の『あらくれ大名』(東映、1960、監督・内出好吉)に大河内傳次郎が出演しています。大河内傳次郎市川右太衛門が演じる主人公の松平直次郎の父でありながら、敵役ともいえる立場になる徳川家康を助演していました。この家康はいわゆる”たぬきおやじ【狸親父】”の家康です。このたぬきおやじの映像におけるイメージには大河内傳次郎も一役買っていた可能性があります。また、大河内傳次郎は9作作られた市川右太衛門の「大名シリーズ」では2度の徳川家康を演じています。






『お洒落狂女(1938)』 中村鴈治郎の影と未来の美空ひばりの晴れ姿が見えた



『お洒落狂女(1938)』 1938年

大友柳太朗は紫頭巾や快傑鷹、雄呂血、影法師などの原作者・脚本の代表作がある寿々喜多呂九平が監督を務めた『お洒落狂女(1938)』で、主演の中村芳子の相手役を演じました。中村芳子という女優は父が初代の中村鴈治郎、夫がのちの四代目の中村富十郎、現在でいう松たか子や寺島しのぶのような歌舞伎の家系に生まれた女優でした。当時なので女性という理由もあって控えめな活動に収まってしまいましたが、現代ならもっと活躍できていたかもしれません。

中村芳子は映画でヒロインと主演が合わせて7作ありました。1937~1952年までの15年間の出演作のすべてのヒロインや主役であり、本数は少ないですが女優としてはある程度のスターだった、または売り出していたことがわかります。


中村芳子は下記のこの人とは別人です。
いま、働く女子がやっておくべきお金のこと
もう1人の中村芳子さんでした。





原作は本田美禅(ほんだ びぜん)でその代表作が「御洒落狂女」でした。戦後は東映で花柳小菊、月形龍之介などの『お洒落狂女(1952)』、さらに同じく東映の映画黄金期に美空ひばり、高田浩吉などの豪華キャスト『ひばりのおしゃれ狂女』(1961年)として公開されています。

「御洒落狂女」の映画は1926~1961年の35年間で5度映画化されているので評価を受けていたことが分かります。「御洒落狂女」は日本映画ファンならそこそこ有名な題材です。『お洒落狂女(1938)』への出演は大友柳太朗にとっても価値がある相手役でした。

大友柳太朗はのちの1963年に『変幻紫頭巾』で『お洒落狂女(1938)』の監督の寿々喜多呂九平の原作の代表作の一つを主演で演じています。”25年後にあのときの監督の原作の主演映画が公開される”これは不思議な縁です。


御洒落狂女 (前篇) (美禅伝奇コレクション)
本田美禅の代表作「御洒落狂女」





『忍術関ケ原 猿飛佐助』大河ドラマ1作目『花の生涯』の尾上松緑 多くの謎が浮上




『忍術関ケ原 猿飛佐助』 1938年

監督は森一生、脚本は依田義賢の豪華コンビでヒロインに若き日の森光子を迎えた猿飛佐助の題材作です。原作が無いのもすごさです。脚本家や製作者の意図で言い伝えや講談などのよさを残しながらデフォルメする、敬意も払われていると考えられます。大友柳太朗は主演で猿飛佐助を演じています。


尾上松緑の名も確認できます。大河ドラマ1作目『花の生涯』に主演した歌舞伎俳優の2代目の尾上松緑です。尾上松緑は戦後の歌舞伎界を支えた重鎮であり、テレビや映画へも出演しています。兄の11代目の市川團十郎は一時的なブームを巻き起こした俳優でしたが、尾上松緑は比較的に地味な芸風で着実な支持を広げていきました。

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残念ながら部分的な話数のみしか残されていませんが、雰囲気を感じることができます。尾上松緑が主演でした。松竹の現代劇映画のトップといえる活躍を成した俳優の佐田啓二との共演シーンも見どころです。



『忍術関ケ原 猿飛佐助』の公開時、2代目の尾上松緑は存在していました。3年前の1935年に襲名を果たしていたからです。ですが、ここで大きな謎が浮上します。1927年のマキノプロから新興キネマの時代まで陸続きで映画の出演履歴があることから別人の可能性が指摘されます。2代目の尾上松緑は1913年生まれです。本人であるとすれば数え年は25歳です。この時点では本人の可能性があります。それなら初代の尾上松緑に疑いの目が向かいます。



裏ブログ⇒190歳の尾上松緑 日本映画の最初の巨匠から大友柳太朗への贈り物
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2017/07/05 00:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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