無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実
時代に逆らうで何かが生まれることがあるのかもしれません。時代に合わせるのみだと安定はしますが、突き抜けた領域への到達は困難です。時代に逆らうことで新たな領域の先駆者になって名を刻む場合があるからです。ですが、大きな重荷を同時に背負うことになります。森紅はこのことをどこまで自覚し、考えていたかはわかりませんが、人生そのもので時代に逆らったことが明白です。
タイトル悩みました。今回は「無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実」の題名で会見です。
*会見=記事公開を意味する自己流の表現や意味
上映作と時間軸から捉える父親と映画監督の森紅の不思議な関係
上映作と時間軸から捉える父親と映画監督の森紅の不思議な関係
上映3作目の『別府のお父さんに逢ふて来ます』 *撮影時に父は入院中、瀬戸内海を往航する紅丸に関する景色などを記録
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上映4作目の『寂光』 *撮影時に父はすでに死去し、大規模な葬儀の参列者などの異様な光景を映画で記録
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上映2作目の『納骨の日』 *『寂光』からある程度の月日が経過 後につながる独自な作家性が見え隠れする。
上記3作は3作ともが1930年代の初頭と考えられています。彼は父親を尊敬してことでしょう。

小原鐵五郎(おばらてつごろう、1899年~1989年)の像です。小原哲学という独自な考え方を残し、日本の信用金庫の発展に尽くした人物です。この像は映画に直接な関係がありませんが、今回の東京国立近代美術館フィルムセンターの近くに目立つ存在でしたので周辺のシンボルとして撮影しました。近くで目立つという意味で記事と関連しています。
意味がある価値のある記録映画『納骨の日』と『寂光』
森紅というとバルセロナの短編映画祭に出品されたと記録が残る『私の子供』がもっとも知られていることになっていますが、個人的には『私の子供』よりも『納骨の日』と『寂光』が印象の残りました。それは何故か、その部分をさらに探求していきます。そのために個人的に印象残る、内容に意味がある、内容が良いと感じた3作をベスト3として選出してみました。
個人的に印象の残る森紅のベスト3
1.『納骨の日』
2.『寂光』
3.『私の子供』
・上記の参考に全体上映の11作中の森紅6作を下記に再び掲載
今回「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群
・森紅
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー
5
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
タイトルの予想を裏切る破天荒な『納骨の日』の映画内容 隠された秀作名作の可能性に迫る
ここでは上記小見出しの”意味がある価値のある記録映画『納骨の日』と『寂光』”の個人的に印象の残る森紅のベスト3を選んだ理由に関して掘下げていきます。
映画愛子は1番に選んだ『納骨の日』がもっとも印象の残りました。1930年代初頭の10分ほどのシュートムービーです。本来の納骨は亡き悲しい、別れる、寂しいなどの比較的にネガティブなイメージがあるかもしれませんが、『納骨の日』の登場人物たちの多くが笑っています。タイトルのみであると悲しいはずの内容が異なっており、独特な雰囲気をかもし出していましたし、どこか悲しさも秘め、全体的な印象は明るい内容なのです。
なぜ明るい内容になったのかですが、亡くなった森紅の父の教育方針も影響しているのかも知れません。無職の森紅を許してくれること自体も少々風変わりです。当たり前のことを当たり前のように教育していなかったのかもしれません。悲しいことを悲しく捉えることは普通ですが、明るく描くことは容易ではありません。悲しいことを悲しく捉えることもできますが、愛し尊敬し、感謝している父親だからこそ、森紅はこの記録を通じて、明るくあの世へ父を送り出したい、そんな気持ちが込められたドキュメンタリー映画に感じられました。

映画愛子による東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)の開催中の写真から上映された6~12の内容、外からのポスター撮影。
写真内のコルシカ兄弟も貴重でした。9のコルシカの兄弟はアメリカでも戦前を代表する大スターのダグラス・フェアバンクスの息子、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアによって『コルシカ兄弟(1941)』が映画化されていますが、それとは異なる1915年に製作『コルシカ兄弟(1915)』、残念ながら都合が合わず視聴できませんでした。フランス・スカグルとありますが、スカグルは国ではありません。フランスのスカグルという映画制作会社の意味です。
『納骨の日』のタイトルどおりに見えて隠された領域
さらに『納骨の日』はタイトルどおり、納骨そのものはほとんど描かれていません、『納骨の日』はあくまで納骨そのものではなく、”納骨のその日”を描いているからです。見た限りでは母親などの親族が歩いていたり、止まっている登場シーンがありましたが、基本はこの”納骨のあった日を描いている”ことを中心にしている映画でした。この親族のみだと印象の残る映画にはなりませんでしたが、印象に残る要因となったのがお寺に来訪した様々な人々の描写です。
子供から老人、年配、若者はもちろん、農家のような服装の人々や中流、裕福そうな人々、男性に女性、実に幅広い人々がカメラを見て笑顔を浮かべたり、笑っているのです。若い服装の女性、若い母親と女児、職人風のおじさん、おばさんなどが登場していました。
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下着姿のセクシーな姿の三田佳子が印象的。
今回は別れについて取り上げてきた部分があります。残念ながら森紅の映画は商品化していないため、”別れ”そこからたどり着いたこの映画がこの『別れぬ理由』(1987年公開)でした。三田佳子主演の東映映画であり、相手役が津川雅彦です。別れにも色々な方法があり、これは男女の別れを描いていますが、互いのこの年代の代表作です。
三田佳子は映画の主演ではデビュー1960年から作品運にさいなまれ、ヒロインや助演の有名作出演はありますが、苦戦が強いられてきました。1970年代初頭付近からテレビドラマの活動が中心の中、ようやく1985年の『Wの悲劇』(製作が事実上の角川、配給は東映)が主演の初といえる明確な代表作となり、2年後に『別れぬ理由』にも恵まれました。映画黄金期のデビューからの25年間は異常だったといえるでしょう。
『別れぬ理由』は高倉健との40年を越すコンビでも知られる映像化の名手の降旗康男が監督で、原作が性を取り入れた女性要素の小説で活躍した渡辺淳一、三田佳子がそれまでのテレビドラマ『いのち』(NHK大河ドラマ、1986年、最高視聴率36パーセント強、現代劇は大河でもほとんどない)の清潔で凛々しく、日やひたむきなイメージをぶち壊す、エロス、性的要素を押し出す役柄に挑戦し、映画賞を受賞しました。『別れぬ理由』の三田佳子×降旗康男は通算2作のみですが、2年後の1989年『極道の妻たち 三代目姐』にもつながります。
最新ウラミチ記事公開⇒無職生涯破天荒監督の裏道 『お辞儀』意味と浮かぶ満州国
列車は反れてこそ・・
ウラ記事は前回⇒生涯無職映画監督が日本最初の巨匠の大ファンで作った忍術映画の深層
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2018/04/28 00:03 | 邦画の探求 | COMMENT(5) | TRACKBACK(0)