大映画音楽家のデビュー作3時間37分大超大作『岡野さんと毛利さんと悪太郎さん』
某国民的有名題材の映画の浪士候補の二人と、リメイク映画が作られた武士が作品を超えてまさかの共演、しかもそれは日本を代表する大映画音楽家が両方に関与していた。それは果たしてありえるのでしょうか。荒波の破天荒ですが、実はありえたのです。大映画音楽家のデビュー作3時間37分大超大作『岡野さんと毛利さんと悪太郎さん』スタートです。
前回記事⇒【映画神業】西悟郎と木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇蹟
大映画音楽家の西悟郎は130作ほどの映画音楽、さらに現存版、断片版を含めると145作を越す映画音楽を担当しています。映画音楽の本数自体は歴代10位にも入りませんが、この中で時代劇映画は約130作、現代劇映画は15作強でした。また細かくは取り上げたいと思いますが、歴代数名のみの9割ほどが時代劇映画の音楽でした。
悪太郎さんと日本を代表する大映画音楽家
西悟郎は時代劇を形成した映画俳優、時代劇六大スターの全て、戦前は大河内傳次郎、片岡千恵蔵、阪東妻三郎、嵐寛寿郎の代表作の音楽を35作以上も担当、戦中から市川右太衛門、戦後に長谷川一夫、これによって時代劇六大スターの全ての代表作の音楽を担当、
西悟郎は戦前に時代劇映画の巨匠たちの伊藤大輔、稲垣浩、マキノ雅弘の時代劇四大巨匠の3名の代表作の音楽を30作近く担当、戦後に衣笠貞之助の映画の音楽のいくつか担当し、これにて時代劇四大巨匠の全ての音楽を担当。時代劇六大スターと時代劇四大巨匠の計10名の映画音楽の担当、この計10名の映画音楽の担当は歴代にほぼいない大きな偉業の一つです。

帝都座週報「江戸の悪太郎」予告 嵐寛壽郎とある当時の貴重な映画パンフレット当時の嵐寛寿郎は嵐寛壽郎とも表記されていました。今の壽は寿の字です。この1939年の日活映画『江戸の悪太郎』は嵐寛寿郎の主演作で音楽は西悟郎です。確認する限りの商品化はされていないようですが、個人的にはCS放送の現存版を録画しています。
その通産の主な代表作数は約60作の映画、現存版、断片版を含めると70作を越しています。1930年代中盤から時代劇映画が大衆的になっていった過程で西悟郎の存在は欠かせないものでした。
正博さんと雅弘さんと悪太郎さん
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上記で紹介した1939年の日活映画『江戸の悪太郎』は戦後にリメイクされています。戦前の1939『江戸の悪太郎』はマキノ正博、戦後の1959『江戸の悪太郎』はマキノ雅弘です。彼はのちの東映となる東横映画の1950『レ・ミゼラブル あゝ無情 第二部 愛と自由の旗』から正博から雅弘の名義に改名したため、同一人物です。主演は嵐寛寿郎から大友柳太朗に変更しまいた。大友柳太朗の中でも比較的有名ではない主演作ですが、商品化されています。リメイクされているだけでもそこそこのことであり、戦前の西悟郎が音楽を担当した1939『江戸の悪太郎』はそこそこの評価を受けていたことが分かります。;
大映画音楽家のデビュー作3時間37分大超大作と幻の製作総指揮者
前回に引き続きですが、西悟郎が初めて映画音楽を担当したのが1934年の『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』でした。『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の製作総指揮は当時、専務取締役を経て日活の社長に就任し、過去は弁護士、衆議院議員の政治家を経た中谷貞頼(なかたに さだより)でした。彼の唯一の明確な代表作映画ともいえるでしょう。
『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は日活の時代劇部、現代劇部、千恵プロ(片岡千恵蔵の映画会社)の俳優たちが総出演で作られた戦前でも上位の超大作でした。それは分数にも残されています。当時の映画フィルム25巻、217分とあり、当時の日本映画で最長といって良いほどの大規模な公開分数でした。180分は3時間ですが、『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は217分は3時間37分にも及び大超大作、忠臣蔵映画初のトーキー作品、オールスターも初の初物の連打でした。
前半の刃傷篇は片岡千恵蔵の当たり役の一つの浅野内匠頭を主役に進行 、彼は記憶がきちんと残る限りでは歴代最多の通産14作(現存版など含む)、1930年『元録快挙 大忠臣蔵 天変の巻 地動の巻』~1953年『初祝二刀流』までの映画において、有名な浅野内匠頭を演じています。後半の復讐篇は大河内傳次郎の当たり役の一つの大石内蔵助を主役に進行しています。
二大主演スターを軸に作られた超大作の忠臣蔵映画の岡野さんと毛利さん
『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は、大河内伝次郎と片岡千恵蔵の二大主演スターを軸に作られた忠臣蔵映画だと考えられ、それは”二人だけの2役出演”の起用にも特色が隠されています。前半の見せ場は浅野内匠頭の片岡千恵蔵、後半の見せ場は大石内蔵助の大河内傳次郎、さらに後半は両名の二役目が盛りたてる、それを取り巻くは数十名の映画スターたちや名助演、脇役俳優たち、片岡千恵蔵の岡野金右衛門と大河内傳次郎の毛利小平太の共演、まさに真の千両役者だから出来る心尽くしの大仕掛けでしょう。これぞ王道の黄金期の日活時代劇だからで来た醍醐味です。
*岡野金右衛門は岡野包秀 (おかのかねひで)の通称、赤穂浪士47名の一人、映画やテレビドラマなどでは岡野金右衛門に名義が使われることが多く、美男子だったといわれ、忠臣蔵や赤穂浪士の題材においては女性にモテたエピソードが描かれることがあります。岡野の討ち入りの障害の一つとして女性とのエピソードが描かれている作品も存在しています。
*毛利小平太は赤穂浪士の一人に含まれる候補となったが、最終的に含まれなかった人物。忠臣蔵や赤穂浪士の題材は最後の脱盟者として描かれることもあり、浅野内匠頭の正室の瑤泉院へ、大石が討ち入りの際に提出した浪士の書状の中に名前が含まれていたが、討ち入り直前に死んだりや説得されて参加しなかったと描かれている作品が存在しています。
山中貞雄と西悟郎の数少ないクロス映画
さらに時代劇映画音楽の源流となった音楽家の西悟郎のあまり多くない商品化映画に迫ります。
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『河内山宗俊』は西悟郎が音楽を担当した70作を上回る映画音楽の代表作の一つ、これは現存しています。山中貞雄監督の代表作の一つとも言われています。山中貞雄という監督はさまざまなエピソードが残りますが、驚異の的中率を誇りました、活動期間も短く少ない監督数でしたが、監督作の半分上が代表作とされています。通産30作(オリジナルと断片や分数変動の現存版含む)の監督作のうち20作強が代表作とされているからです。監督の活動期間は1931~1937年であり、この『河内山宗俊』は1936年の公開、晩年の代表作の一つです。
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2018/07/30 19:00 | 邦画の探求 | COMMENT(4) | TRACKBACK(0)