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長谷川伸の股旅映画と歴代映画音楽家の「紅蝙蝠」肝ったま






映画300作の大映画音楽家の高橋半は、のちの大巨匠の松田定次と歴代上位の大スターの嵐寛寿郎、のちの大巨匠のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)の歴代上位の大スターの阪東妻三郎との2組のダブル巨人と関与した後もその活躍の快進撃は縮まることを知りませんでした。



前回記事=5つのキセキを起した映画音楽家 観客動員7年1億の映画監督の父とその妾






『長八郎絵巻 月の巻』と『長八郎絵巻 花の巻』に隠された歴代大作家







高橋半が次に映画音楽を担当した作品として、片岡千恵蔵と監督・松田定次の1939『長八郎絵巻 月の巻』と『長八郎絵巻 花の巻』も代表的な作品といえるでしょう。

この映画は原作の長谷川伸股旅ものの数多くある代表作の一つが「紅蝙蝠」(べにこうもり)を題材にしており、「紅蝙蝠」の映画化は紅蝙蝠戸並長八郎、そして長八郎絵巻の題名で通産11作の映画化が確認できます。「紅蝙蝠」は戸並長八郎という役柄を基本の主人公にしています。その主人公の名前を取って”長八郎絵巻”としています。




長谷川伸股旅という日本独自の時代小説や時代劇映画の大きな概念を形成した大人物であり、日本の海外に誇れる文化に大きく貢献、日本歴代上位の映画化は150以上の原作、村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎の次世代を代表する大物作家を多く残し、現代は師より大きく劣る平岩弓枝のクラスが貰えているわけで現在なら余裕で文化勲章でしょう。

殺陣(たて)に侠客の概念の定着の強化、股旅ものの魅力の一つの刀をあまり使わない時代劇のさらなる発展にも貢献。股旅映画は長谷川伸以外も含めて軽く200作以上も作られており、時代劇六大スターを筆頭に数十の映画スター、時代劇四大巨匠などの数多くの名匠がメガホンを取りました。これ以外にも貢献度は多く存在しています。


さらに紅蝙蝠はあまり知られていませんが、長谷川伸の全原作の中で「瞼の母」、「沓掛時次郎」、「関の弥太っぺ」、「一本刀土俵入」などの上位代表作を上回る自身最多11作も映画化されていることも凄いことですが、長谷川伸の全原作の現在の知名度的には「瞼の母」、「沓掛時次郎」、「一本刀土俵入」、「関の弥太っぺ」、「紅蝙蝠」だと個人的には考えています。ですが、映画数だと「紅蝙蝠」がトップであり、知名度=評価ではないことを現実に物語る面白い要素です。




一方、1939『長八郎絵巻 月の巻』と『長八郎絵巻 花の巻』でコンビを組んだ主演と監督の片岡千恵蔵松田定次はマキノ、日活、大映と東映の映画時代などを合わせて、現存作を含めると史上歴代上位の50作強の名コンビを形成し、特に大映と東映時代に爆発的に当たったわけですが、日活時代のコンビ数は上記2作を含む4作のみでした。1939『長八郎絵巻 月の巻』と『長八郎絵巻 花の巻』は二人の戦後の名コンビに活躍につながる意味があった作品といえます。





新編大衆文学名作全集〈第17巻〉紅蝙蝠・戸並長八郎 (1956年)

新編大衆文学名作全集〈第17巻〉紅蝙蝠・戸並長八郎 (1956年)

これは戦後に新編大衆文学名作全集として新たに書籍化されたものです。








長谷川伸の代表作のひとつ紅蝙蝠の主な映画化作品






紅蝙蝠の主な映画化作品 
公開年 題名 製作会社 戸並長八郎=主演俳優 

1931『紅蝙蝠 第一篇』  松竹 戸並長八郎=月形龍之介 撮影=円谷英二
1931『紅蝙蝠 第一篇』  日活 戸並長八郎=光岡龍三郎
1931『紅蝙蝠(1931)』  マキノ  戸並長八郎 沢村国太郎
1931『紅蝙蝠 第二篇 勇躍血戦の巻』  松竹 戸並長八郎=月形龍之介
1931『紅蝙蝠 後篇』  日活 戸並長八郎=光岡龍三郎

1931『紅蝙蝠 第三篇 血涙戸並長八郎の巻』  松竹  戸並長八郎=月形龍之介
1931『戸並長八郎』  寛プロ=新興 戸並長八郎=嵐寛寿郎
1939『長八郎絵巻 月の巻』  日活  戸並長八郎=片岡千恵蔵
1939『長八郎絵巻 花の巻』  日活  戸並長八郎=片岡千恵蔵
1950『紅蝙蝠(1950)』  大映 戸並長八郎=長谷川一夫
1958『紅蝙蝠(1958)』  歌舞伎座=松竹  戸並長八郎 =松本錦四郎
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*マキノは牧野省三(別名義はマキノ省三など)の映画会社のマキノプロダクション、寛プロは嵐寛寿郎の映画会社、新興は戦前の映画会社の新興キネマ、歌舞伎座は松竹歌舞伎の歌舞伎座




裏記事更新⇒超大俳優の娘の芸名に隠された本名と芸名の密々真相


上記のさらに裏の映画向上会⇒日本を代表する少女子役と植木千恵と少女役女優のトップのメアリー・ピックフォードのキセキの競演


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2018/09/28 21:35 | 邦画の探求COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

5つのキセキを起した映画音楽家 観客動員7年1億の映画監督の父とその妾





300作以上の映画音楽を手掛けて日本映画を代表する映画音楽家とそのキセキ、彼は現在ではありえない、当時でもありえないことを数多く形にしてきました。「5つのキセキを起した映画音楽家 観客動員7年1億の映画監督の父とその妾」と題して展開していきます。





前回記事⇒5つのキセキを起した映画音楽家 観客動員7年1億の映画監督の父とその妾





二大映画人に貢献 大スター嵐寛寿郎と戦後の大巨匠松田定次の父とその妾






その後、嵐寛寿郎の大当たり役の1938『鞍馬天狗(1938)』の音楽を手掛けています。『鞍馬天狗(1938)』は66分、戦後に53分版として改修と改題され、「鞍馬天狗 角兵衛獅子』として再公開されました。さらに「鞍馬天狗 角兵衛獅子』18分版も残されており、これは事実上の3作ともいえます。『鞍馬天狗(1938)』などのこの3作は松田定次嵐寛寿郎のダブル日活入社第1作映画でした。入社1作目なので当時の時点ですでに嵐寛寿郎の当たり役だった鞍馬天狗題材を選んだ部分もありました。



戦後の東映時代の松田定次は時代劇や時代劇映画の双璧の片岡千恵蔵、市川右太衛門の二大名コンビなどを形成し、戦後の1955~1961の最大の黄金期7年のみで歴代1位の1億人以上の観客動員を記録、数多くのj巨匠を押し退けて当時の監督年俸1位など多くで大成功を収めたわけですが、この頃は将来を期待されていましたが、比較的低めの評価だったといえるでしょう。またまだ大きな代表作はない頃だからです。高橋半が音楽を担当したこの『鞍馬天狗(1938)』は日活入社を果たした松田定次嵐寛寿郎の両者のその後の活躍に大きく貢献していました。




さらに『鞍馬天狗(1938)』はマキノ正博(のちのマキノ雅弘)も監督で参加しています。日活映画で互いに牧野省三の息子である松田定次マキノ正博の共同監督は、マキノプロダクション時代にも存在しますが、日活を形成した亡き牧野省三の日活で互いが監督をすることの意味を考えると、重要なの悲願だったのかもしれません。松田定次牧野省三の妾(めかけ)の子どもで妾の姓が松田であり、マキノ正博とは母親違いの子どもです。



牧野省三=日本映画の父とされ、1900年代後半から20年代後半にかけて活躍、日本映像史に多大な貢献をした日本映画最初の巨匠、400作以上の映画を残し、世界歴代最多監督数、さらに俳優、監督、撮影、製作者などの数十名の映画関係者の後輩を育成と支援、日本初の大手映画会社の日活に関与するなど創設するなど事業者としても大成功。日本最初の大映画スターの尾上松之助とコンビを組み大成功を収め、日本映像史の最初の黄金コンビとなった。


*妾 (めかけ) =婚姻した男性が妻以外の女性を持ち、経済的な援助も伴う、事実上の愛人を指す。妾はしょうとも読みます。



その後も嵐寛寿郎と松田定次の1938『鞍馬天狗 竜攘虎搏の巻』の音楽で参加、この作品は完全なオリジナルではありませんが、1~2分のみが削れたほぼ完璧なバージョンが現存しています。



鞍馬天狗 黄金地獄 FYK-151-ON [DVD]
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鞍馬天狗 黄金地獄は『鞍馬天狗(1942)』(107分)として日本とアメリカなどとの戦争が現実に厳しくなってきた1942年に公開されました。そうなぜタイトルが違うのかですが、タイトルが鞍馬天狗だと他にも競合が存在するため、戦後の再公開時時の1953年に『鞍馬天狗 黄金地獄』(107分)として公開されました。1942年に戦争で見れない人々が多数いたことも影響していますが、『鞍馬天狗 黄金地獄』のそのまま商品化しています。なので『鞍馬天狗(1942)』でもあるわけですが、さらにマツダ映画社版の65分版が存在しており、こちらは『鞍馬天狗・横浜に現わる』のタイトルで現存しています。実際は3作存在する、したということがいえます。


鞍馬天狗・横浜に現わる』の映画音楽は高橋半のライバルだった時代劇映画音楽家の西梧郎が音楽を担当しています。高橋半も音楽を手掛けていることから、高橋半西梧郎は嵐寛寿郎の「鞍馬天狗シリーズ」においても競い合っていたのです。現在や最近の日本映画のシリーズは同じ音楽家がシリーズを担当するケースが多いように思えますが、音楽家同士が競い合う、これぞ健全な映画シリーズのあり方ともいえます。








5つのキセキを起した映画音楽家の高橋半






前回記事で取り上げていますが、(二大の映画音楽の源流 ヒット連打のロケットスタート快進撃にて)歴代ナンバーワン俳優の片岡千恵蔵の千恵プロでいきなりの代表作ダブルの衝撃デビューのキセキ、日活移籍の止まらない連打の阪東妻三郎マキノ正博との出会いとヒットのキセキ、『水戸黄門廻国記』で初のオールスター映画のヒットのキセキ、


今回取り上げている嵐寛寿郎と松田定次の日活初の鞍馬天狗シリーズへの参加のキセキ、ダブル入社した阪東妻三郎マキノ正博、嵐寛寿郎と松田定次の日活第1作もヒットに大貢献するキセキ、5つのキセキを起した映画音楽家の高橋半の快進撃は続くのでしょうか。




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大河内傳次郎の出演した全忠臣蔵映画と『赤穂義士(1957)』






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2018/09/10 19:37 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

二大の映画音楽の源流 ヒット連打のロケットスタート快進撃






日本映画のナンバーワン映画音楽家の大事実に迫るスクープ。前回記事で取り上げた大音楽家の西悟郎にはあるライバルが存在していました。「二大の映画音楽の源流 ヒット連打のロケットスタート快進撃」スタートです。



西悟郎にはあるライバルそれが大音楽家の高橋半です。





320作近いの映画音楽の時代劇映画のみは歴代1位を記録した大音楽家






高橋半(たかはしなかば)は日本映画史上の歴代3位の320作近いの映画音楽を手掛け、時代劇映画のみは歴代1位を記録しています。彼の存在を知らない方々も多いかもしれませんが、日本映画界に大きく貢献した人物の一人です。戦前は時代劇映画の音楽を時代劇映画のトップ会社の日活映画でライバルの映画音楽家の西悟郎と大きく競い合い、時代劇映画や主演俳優、映画監督、戦後への影響を多数残しました。

高橋半と西悟郎は膨大な実積や影響を残した特に時代劇音楽に関しての”二大の映画音楽の源流”といえるでしょう。







恩師は片岡千恵蔵の大映画音楽家 いきなり2作の代表作のロケットスタートの快進撃







片岡千恵蔵プロダクション(通称・千恵プロ)に入社し、片岡千恵蔵伊丹万作の名コンビの数多い代表作の二つである1935『戦国奇譚 気まぐれ冠者』と1936『赤西蠣太』(あかにしかきた)を手掛けます。



映画館ニュース 三笠映画劇場ニュース「夜嵐お絹」予告 鈴木澄子 /「気まぐれ冠者」伊丹萬作
映画館ニュース 三笠映画劇場ニュース「夜嵐お絹」予告 鈴木澄子 /「気まぐれ冠者」伊丹萬作

*リンク先で拡大してみると『戦国奇譚 気まぐれ冠者』のタイトルや出演者や製作陣が確認できます。




1936『戦国奇譚 気まぐれ冠者』は監督の伊丹万作が原作と脚本で参加した、稲垣浩監督の1928『天下太平記』のリメイク作でも有名です。『天下太平記』は記念すべき千恵プロ第1作であり、千恵蔵、伊丹、稲垣の千恵プロとしての出世作となった作品です。この記念すべき作品のリメイクの『戦国奇譚 気まぐれ冠者』の音楽が高橋半です。

また、『赤西蠣太』はキネマ旬報の上位にランクインされ、それまでにないモダンで斬新な時代劇映画として評価され、千恵プロ映画の評論家に評価される路線の映画の代表的作品の一つであり、公開時のオリジナル88分版、現存は78分と77分版が存在していますが後者二つは1分違いであり、事質2作ともいえるでしょう。


*戦国気譚 気まぐれ冠者のタイトルは間違い。戦国気譚 気まぐれ冠者×、戦国奇譚 気まぐれ冠者◎


その後すぐに高橋半は日活に事実上の引き抜かれる。高橋半片岡千恵蔵が映画界の恩人だったのは紛れもない事実であり、日本映画界で活躍した製作者の一人といえるでしょう。






日活映画への移籍も転機 代表作連発は止まらない軌跡と奇跡






高橋半の千恵プロから日活への移籍後もヒット作や名作との縁がキセキのように続く、阪東妻三郎とマキノ雅弘の同時の日活移籍第1作となったヒット作の1937『恋山彦 風雲の巻』、1937『恋山彦 怒濤の巻』、『恋山彦(総集編)』(原作は吉川英治)の3作を手掛け、さらに地位を確立、この時点で5作中、5作が的中という驚異的なペースで踏み続く


*『恋山彦(総集編)』はのちに総集編が作られている映画であり、ここは含んでいます。


山本嘉一と片岡千恵蔵阪東妻三郎の主演、監督・池田富保のオールスター&日活の秋季大作の1937『水戸黄門廻国記』に参加、高橋半の初のオールスター映画の音楽担当作となりました。『水戸黄門廻国記』は”みとこうもんかいこくき”と読みます。廻国=かいこく、この作品は本来は96分でしたが『水戸黄門廻国記』は52分版と22分版が現存しており、現存していないオリジナルと合わせると事実上の3作です。



次に阪東妻三郎と巨匠・マキノ正博の忠臣蔵外伝の1937『血煙高田の馬場(1937)』(57分)を手掛けます。トーキー時代の阪東妻三郎の剣戟要素のある時代劇映画の代表作の一つで、戦後のGHQ統制が解除された1952『決闘高田の馬場』(51分)として再公開、44分尺、サイレントの20分尺版の3作が現存し、オリジナル57分版と合わせて通産4作が存在しています。これは1時間ほどなので中篇です。『血煙高田の馬場(1937)』は、大河内傳次郎×巨匠・伊藤大輔のコンビで作られたサイレント1928『血煙高田の馬場(1928)』の事実上のリメイクです。





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『恋山彦(総集編)』は戦後に同じマキノ雅弘(戦前の監督時はマキノ正博の名義)と大川橋蔵でリメイクされています。映画愛子は戦前の総集編と戦後版のこの『恋山彦(1959)』の両方を録画済&試聴済みです。『恋山彦(総集編)』は商品化されていないようですが、大衆的な吉川英治文学や活劇や反逆などの要素もある時代劇映画、阪東妻三郎がモデルのある架空の山国の田舎者の武将を演じています。戦前版「恋山彦」が特に好きですが、総集編ではなく2作が存在していないのが残念です。



続編記事の二大の映画音楽の源流 ヒット連打のロケットスタート快進撃の続編を2018年9月10日に公開予定です。




前回の新裏記事  
↓  ↓
鍔鳴浪人の西梧郎とスペンサー・トレイシーの名作と「天狗廻状」が顔出したとき

前回の新裏記事(真)
↓  ↓
『四十八人目の男』と歴代大石内蔵助ベスト3俳優と忠臣蔵映画記録に迫れ!!





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2018/09/06 19:29 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

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