マキノ雅弘伝 映画人七変化&映画700作&ミリオンフォー お化けレジェンド新時代1発目飾る
2019年1発目、新時代の到来が予想される年、最初は豪華にいきたいということで前回に引き続き、世界的な大巨匠マキノ雅弘監督に迫ります。前回の大トリと最初の主役は超大物でいきたい気持ち、これは普通といえば普通なのかもしれません。
「マキノ雅弘伝 映画人七変化&映画700作&ミリオンフォー お化けレジェンド新時代1発目飾る」開館です。
前回記事⇒生誕110年天下大巨匠マキノ雅弘伝 浪人旋風影響に黒澤明 近衛十四郎 三船敏郎 阪東妻三郎
真の大巨匠は海外映画の賞が関係ない現実 小津安二郎そしてマキノ雅弘
映画の場合も海外で賞を貰うことだけが凄いかのようにマスコミ、テレビやメディアが都合よくガンガン持ち上げますが、全然そんなことはありません。特に日本映画の黄金期は数多くの巨匠が存在し、膨大な数の名作やヒットが作られましたが、一部の優遇された監督だけが海外賞の出品作に選ばれ、挑戦できる人間が現代以上に極わずかな時代でした。この理由は現代にも通j増すが、海外賞が凄いというナンセンスな誇張はほんの一部の評価に過ぎません。
あの小津安二郎でさえ選ばれないなど、名前はここでは控えますが、一部の優遇された監督はある種の若手監督中心のコネが存在していたわけです。しかもその頃は賞自体が極少なかったわけですから、個人的にマスコミ、テレビやメディアが映画賞の受賞がどうだとかのみで、正義のように片手打ちをする姿勢は大きな憤りを感じることが多々あります。
マキノ雅弘は戦前のキネマ旬報ベストテンランクインなどの賞を10作ほどが含まれるなどの受賞していますが、それは彼の実積を語る上でほんの一部に過ぎません。具体的には難しいところですが、それは彼の生涯実積の10パーセントほどかもしれません。
普通に活躍した監督だとこのキネマ旬報ベストテンランクインや年間観客動員ベストテンなどの実積が大半を占めてしまう人もいますが、マキノ雅弘はほとんど左右されることがなく、他の方面の実積が幅広く大きく充実しており、それだけ別格な存在だったと伺えます。
映画界の多様性の鬼 マキノ雅弘と映画人6役の実現
今回はマキノ雅弘の映画会社の所長や映画会社を興すなどの実業家などの役職を含めない、クレジットがある数字的な面を中心に下記の主な6役を形成してしています。
マキノ雅弘と映画人6役
1.製作や総指揮=100強
2.映画監督数=275作強 375
3.俳優=最低でも170作以上 545
4.脚本=25作強 570
5.録音=110作ほど 680
6.原作=9作 通産最低690
*上記はオリジナルと現存の改修版、断片なども含む、
*戦前の監督などはマキノ正博の名義が基本的、1910年代の子役時代は牧野正唯などの名義、
表記遺作の監修1を含めると事実上の7役、事実上の映画人七変化を現実に実現させていた。
「わしは生まれた時から活動写真屋や」

マキノ雅弘の自伝書籍、映画渡世としている理由には、渡世人が多く登場する国民的時代劇映画題材の「清水次郎長」や「国定忠冶」、「股旅もの」で活躍した面と自分の激動の渡世人に通じる人生を関連付けた部分からきています。「わしは生まれた時から活動写真屋や」は強烈なインパクトを残します。普通なら活動写真屋=職人的な映画人になるはずが、マキノ雅弘の場合はさらに独自な作家性を持ち合わせていました。
写真はやはり親戚という部分も大きいでしょうか、2018に死去した津川雅彦の若き日に不思議と似ています。まさに古き二枚目映画俳優の一端、マキノ雅弘の子役時代の1910年代はナンバーワン子役俳優でしたが、写真は成人の頃、成人俳優としてはあまり活動しませんでしたが、大活躍できたかもしれない若き日のマキノ雅弘です。
津川雅彦は叔父のマキノ雅弘を映画人として大尊敬、マキノ雅弘などのマキノの姓を次ぎ、マキノ雅彦と名乗って監督、マキノ雅弘の代表シリーズの一つの「次郎長三国志シリーズ」1952~1954、全9作)を『次郎長三国志(2008)』(俳優は中井貴一らが出演)を部分的に再映画化しました。
三大功績 映画6役で700作の膨大数 映画人七変化 約80年の高い質を維持
製作の映画プロデューサーや総指揮、監督、俳優、脚本、録音、原作など主に6役を含めると最低でも690を越しています。俳優=170作以上はデータは1912~1928年までと、特に初期は現存しない場合が多く、さらに出演していたものと考えられ、200作出演していた可能性があり、6役で通産700は越していたと考えられます。上記にもある通り、前回記事でも登場している監修1作をを含めると事実上の7役、事実上の映画人七変化を俳優も含めて現実に実現させていた。
*俳優だけで映画七変化は俳優のみだとマキノ雅弘とも縁が深い超大俳優の片岡千恵蔵が存在し、片岡千恵蔵の多羅尾伴内シリーズ(別名・七つの顔の男シリーズ)=事実上の映画実写俳優の七変化でも大成功
本数が大きく先行している人物だとフランス映画の初期の巨匠のジョルジュ・メリエス(英語名=Georges Melies、監督は1896年から1913年)は短編映画監督500作以上の膨大な数に関与していますが、彼は全てが短編であり、彼はマキノ雅弘のように膨大な代表作がありませんし、マキノ雅弘は700作のその半分以上が短編ではなく長編であることからも高く評価される部分、戦前と戦後の両方を通じて大きな功績を残しました。
大谷翔平は負けていた 金字塔4つの映画界のミリオンフォー キセキと禁断の四刀流
しかも製作や総指揮=100強、監督=275作強、俳優=170作以上、録音=110作ほどの4役で100を越しています。野球のトリプルスリーならぬ、3桁の100以上が4つの映画界のミリオンフォーです。野球のトリプルスリーは日本やメジャーの野球界に数多くいますが、映画界のミリオンフォーは今後も出現はほぼ困難極まりないでしょう。分野は違うにしても、野球界の大谷翔平の二刀流より数十年前に彼を余裕で上回るキセキと禁断の四刀流が存在していたわけです。
ここでは深くは迫りませんが、数字がすごいだけではありません。マキノ雅弘の父の牧野省三(日本初の映画巨匠)は監督と製作の2つ分野で100を越していますが、この2つを合わせても、多くても600台だったと考えられており、マキノ雅弘が上回っていたと考えられます。
映画人七変化の7役を行うだけなら日本や海外にも多くいますが、その4役の4つで数を膨大な残しながらレジェンド級の実積は彼だけです。しかも数字や本数だけではなく、関与した映画作品の質の高さを4つ、ミリオンフォーで実現、常に一級作品を継続、最大手の映画会社の日活で日本初の映像大スター尾上松之助と共演し大活躍した子役時代、監督で歴代上位の大巨匠、映画プロデューサーの功績、録音技師としての貢献、最後の監修を含め、80年近くも長年維持したのだから、数字には出ないほどに今後は実現不可能なレベルです。
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*上記で取り上げた『次郎長三国志(2008)』です。
裏側 2019.1.15に新記事公開 歴代名子役が実現させた名誉レベルを越したスーパー名誉とは
↓ ↓
3500万人ヒット映画の予告編に「植木千恵」の名前がクレジットされるスーパー名誉
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2019/01/03 23:24 | 邦画の探求 | COMMENT(1) | TRACKBACK(0)