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建設101年映画館 大黒座のおばあさんが語った唯一の映画俳優袋とじ



自分なりの映画愛を伝えていくことも、やり方なんじゃないかとなんとなく感じてきた映画愛子の今日この頃です。「建設101年映画館 大黒座のおばあさんが語った唯一の映画俳優袋とじ」スタートです。

袋とじ部分だけではなく、終盤は大黒座おばあさんが映画観ていないとおかしい国民的な理由 変誇張広告番組と政治家の映画誇張の珍回答にも探りを入れています。




前回記事⇒令和元年生誕101年 北海道最古映画館が生んだキュメンタリー『小さな町の小さな映画館』独自眼光線





戦前の大黒座を知るおばあさんの幼少期証言にアノ稀代大名優登場




さらにもう一つ気になる部分があります。巡回上映メインのドキュメンタリー映画『小さな町の小さな映画館』の劇中では戦前の大黒座(令和元年で101年目の国内最古級の映画館)を知っていて周辺に在住、製作完成当時の時点で70歳以上のおばあさんが登場(現在は実名は避けます、2019年5月末時点で存命か不明)、原健作(1953年から原健策の名義が基本)の日活映画の主演映画を観たと劇中で少しだけ話しており、松原千明の父親のと監督に話しかけています。


劇中に登場した映画スターの名前が何故か原健作だけなのは不思議です。原健作以上に活躍した映画スターはたくさんいるからですが、原健作は児童向けのわかりやすい時代劇映画に主演していたので、このおばさんが子供のときに見て印象に残りやすかったのだと考えられます。






大黒座を知るおばあさんが観たはず2つの選択肢





原健作は日本映画史上歴代上位の450作以上の映画に出演、主演は通算17作(20作弱)ですが、長年にわたって質が高い映画に出演し続けたに日本映画を代表する映画俳優です。1940年「まぼろし城」3部作と「天兵童子」4部作が上位代表作です。「天兵童子」は戦後に東映の伏見扇太郎主演で1955年に3部作でリメイク、「まぼろし城」は東映の大友柳太朗主演で1956「隠密秘帖 まぼろし城」として単発作としてリメイクされました。

*450作以上はオリジナルだけでなく現存映画、断片のみ、総集編などを含むんだ数です。


天兵童子〈1〉 (1977年) (吉川英治文庫〈154〉)天兵童子〈1〉 (1977年) (吉川英治文庫〈154〉)


天兵童子は国民的ではなく、それ以上の”国民作家”といわれた初期の文化勲章受章者の吉川英治原作の10を越す代表作のううちの一つ、当時の教育的な概念も詰め込んだ児童要素、児童向け路線強めです。戦後に作られた東映時代劇映画の伏見扇太郎版の1時間尺の「天兵童子」3部作をCS放送録画で10年ほど前に視聴していますが、テレビ時代劇にできない独自な面白さがあります。この戦後の「天兵童子」3部作も残念ながら商品化されていません。大黒座を知るおばあさんは戦前の原健作版の「天兵童子」4部作を観たのでしょうか。








原健作と盟友超巨星の片岡千恵蔵 通算115作の共演袋とじ






原健作は戦後の日本映画最大の黄金期、特に1950年代のほとんどが1位の東映映画の時代劇俳優の脇役として、特に片岡千恵蔵主演の1000万人ヒット作(忠臣蔵や任侠清水港などの4部作の清水次郎長シリーズなど)に多くに出演しました。主演で代表作を残した1930年代の日活時代は片岡千恵蔵嵐寛寿郎、阪東妻三郎、月形龍之介、尾上菊太郎、沢村国太郎、沢田清らの主力の主演スターとそれぞれと10作以上で共演しました。これも原健作の俳優としての大きな実積です。


特に日本映画ナンバーワン俳優の呼び声が高い片岡千恵蔵とは縁が深くテレビドラマを含まると1935~1981の約46年間、映画は約115作で自身最多映画共演数を記録しています。

千恵蔵主演の共演代表作シリーズは国民的映画「忠臣蔵」は12作、国民的映画「宮本武蔵」は12作13編、国民的映画「遠山の金さん」は9作、国民的題材「新撰組」は6作、国民的映画「清水次郎長」は4作(戦前の題材のみも含むと7作)、国民的題材「水戸黄門」は4作(互いに助演も含む)、有名題材「多羅尾伴内」は3作、国民的題材「金田一耕助」は2作(前後篇、総集編含むと4作)、子母澤寛原作の「お坊主天狗」は3作(リメイクも含む)、刑事ものや和製ギャング題材の祖ともいわれる「にっぽんGメン」は2作と膨大な活躍で、片岡千恵蔵が真に国民的俳優だったことも原健作からも幅広く伺い知れますし、共演の多くが国民的有名題材ばかりという筋金入りの大履歴です。

「にっぽんGメン」は2019年もテレビ局がほとんど当たってもいないのに必死に本数ばかりを作りまくっている現代の刑事系ドラマにもつながっています。今はアニメもドラマ、映画も当たらなくてもシリーズ化、年数だけ、本数だけに走り、本当に当たっているものはごく少数です。現実にあるにはあります。黄金期の昔なら即打ち切りなんですが、他の新しい題材が生まれにくい、見つけにくい状況で、ピーク時から視聴率低迷のたった数パーセントで20年続いている作品もあるので、テレビ局は色々な理由をつけて後付けて長いから国民的、すごいということにしたいようです。



単発映画の戦前から戦中の片岡千恵蔵の主演代表作は、『初祝鼠小僧』、『赤西蠣太』、『刺青奇偶』、『瞼の母』、『王政復古 担龍篇 双虎篇』、『春秋一刀流』、『土俵祭』、『かくて神風は吹く』、戦後は『飛龍無双』、『黒田騒動』、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』(妖刀物語~花の吉原百人斬り~)などが有名です。



原健作の数多くある映画の中でも個人的には名作オールスター映画『かくて神風は吹く』(戦中1944公開、時代劇の名匠の丸根賛太郎が監督)が嵐寛寿郎の演じる海賊大名の弟の惣那重明役で印象に残ります。








原健作の有名出演作『妖刀物語~花の吉原百人斬り~





巨匠内田吐夢と片岡千恵蔵の名コンビ、千恵蔵主演コンビの最後の1960年東映映画『妖刀物語~花の吉原百人斬り~』(別タイトル『妖刀物語 花の吉原百人斬り』)です。名脚本家の依田義賢脚本、製作は千恵蔵とのコンビ中心に爆発的大成功した大プロデューサー玉木潤一郎、映画はだいぶ前にハイビジョン版で視聴済みで、画質の繊細なハイビジョンで別な発見があります。上記は貴重なVHSです。東映は何をしているんでしょうか、DVD化されていないことに驚きです。


妖刀物語~花の吉原百人斬り~ [VHS]
妖刀物語~花の吉原百人斬り~ [VHS]


映画の題材は講談が元とも言われ、顔に傷を持つ女性にもてない世間知らずの純朴な商人の青年が遊女その裏に潜む男たちの騙され借金地獄に落ちて、妖刀へつながる恨みの話やある種の狂乱劇、ある意味のホラー要素も描いています。今観ても斬新です。ただの娯楽映画ではありません。

現代でいうホストに金を貢ぐ無残な女性の闇の未来、夢のため借金まみれの男性の成れの果て、女性アイドルや女性声優に付きまとう男性ストーカーの逮捕の牢獄の未来にも例えられて、現代に通じる実に普遍的な話です。問題の花魁(おいらん)の高級遊女役は水谷良重(現・2代目水谷八重子、のちの舞台の名女優)、時代劇の概念をきちんと理解した内田吐夢や玉木潤一郎の凄さ、凄みを感じさせ、若者たちへの警鐘(警告のために鳴らすこと)も含んでいます。


原健作も出番は少なめですが、どうにか出演しています。多数の巨匠に出演していますが、伝説の映画監督の内田吐夢に1作で出るだけ(通産では2作)でもそこそこです。


このコンビとしては映画上位には含みませんが十分に秀作といえるでしょう。もちろん意味がある作品です。このコンビの千恵蔵主演コンビでは上位代表作の『大菩薩峠』3部作に次ぐ4作目で、単発の初のカラー作はこの作品が初です。内田×千恵蔵コンビもカラーよりはモノクロのほうが名作が多いです。






大黒座おばあさんが映画観ていないとおかしい国民的な理由 変誇張広告番組と珍回答





最後に大黒座を知るおばあさんは戦前の原健作主演作だけではなく、戦後の脇役の作品も視聴していたのかが気にかかります。たぶん観ていたと考えられます。何故なら東映映画(全体は時代劇)はに1950年代から1960年代前半の黄金期でもっとも観客を呼んでいたからです。

年間7億人から8億以上呼んだ最大の時期は総合的に1位東映の2位東宝が基本でしたが、大手6社中、1位東映、2位東宝、3位日活でした。この時期は東映映画だけでも年に数億人、最大で5億近くも呼んでいたともいいます。

テレビやマスコミの石原裕次郎世代向けのNHKや民放テレビ、BSなどの裕次郎の広告番組の影響で、日活が日本映画黄金期でもっとも客を呼んだと勘違いしている人(嘘や印象操作に乗せられた)が多そうなので少し触れますが、日活の戦後は年間社別順位だと1度も1位になっていません。2位が最高です。1959年の東映に次ぐ、2位が最高順位でした。ほかは東宝がほぼ2位です。





全てはありえないわけですが、70代向け中心にある程度は網羅、ポスターのみだけでも映画文化、遺産です。


1960年代は出だしや全体は東映が1位(高倉健や鶴田浩二がトップ時期は観客は黄金期の数分の1)ですが、東宝が1位になる年も出てきて、特に1960年代中盤以降は東映と東宝が1位を競い合います。松竹は超ヒット『君の名は』の1955年(松竹1位、東映2位、1956年から東映が連続1位に突入)以降は1位からガタンと滑り落ちて常に蚊帳の外です。長谷川一夫の大映(1960年前半から勝新太郎や市川雷蔵の体制も観客は3位、4位で苦しむ)は東映が力をつける過程の1950年代前半のみでの最大黄金期は上位に入れず、なのに死後に政治の女性人気を意識した国民栄誉賞という珍回答へつながっていきます。これは日本芸能史の汚点の一つです。

東映1位の時期のナンバーワン俳優が御大片岡千恵蔵、千恵蔵御大だったわけですが、原健作の居た東映は日本映画黄金期でもっとも国民的な位置にあった映画会社、その映画群に100作以上出演していた名優、なので脇役の姿を見ていないことは逆におかしいレベルだからです。







今回の裏側記事 某大俳優人気の証拠写真の大黒座 戦後の歴代監督本数のベスト3巨匠
 ↓  ↓ 知られざる映画界のベスト5や特に3名などの映画記録や映画実積にも迫ります。

某大俳優人気の証拠写真の大黒座 戦後通産監督本数ベスト3巨匠



こちらも御大無双発動か?!
姉妹ブログの裏記事⇒記念碑的Gメン題材『にっぽんGメン』と各代表作の流れ 超御大と大物後輩




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2019/05/27 20:58 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

令和元年生誕101年 北海道最古映画館が生んだキュメンタリー『小さな町の小さな映画館』独自眼光線





平成最後の1ヶ月くらいから令和1度目の記事をさんざん悩んでいました。悩んで悩んだ末にさらに悩みました。前回に流れをそのまま押し出しても良ったのですが、あえて今回はその流れを一度廃して、別の形で令和最初にふさわしいと考える映画の形へ迫る、探り、眼光輝きました。


今回は元年最初ということで3つのおめでたい部分に触れており、「令和元年生誕101年 北海道最古映画館が生んだドキュメンタリー『小さな町の小さな映画館』独自眼光線」を令和の平和な時代に思いを込めて新元号1発目スタートです。





前回記事⇒平成完結股旅祭 股旅二大ナンバー2から浮上ナンバー1より真の映画愛を問う



合理的なアメリカスタイルが良き日本映画そのものを崩壊させた






日本には多くの映画館が存在しています。現在は同一の施設に複数のスクリーンがあるシネマコンプレックス(cinema complex、略称=シネコン)の映画館が基本的です。現在の日本の映画館としてこれが8割以上(10年前の記録なので2019時点はさらに増えて9割近いと考えられる)の支流となっています。言うまでもないことですが、これはアメリカの大好きな合理的スタイルです。ワーナー・マイカル・シネマズが介入したイオングループ系と東宝系がもっとも多く、数のみでは日本側が多いものの、経営していく上で合理的なアメリカスタイル、アメリカに事実上の染め上げられています。


映画館で観る映画は時代の流れで映画そのもののみを純粋に観る行為から観る+さまざまな体感型の要素を強くなってきています。映画の映像展開に合わせた振動や香り、自宅では困難な最先端の映像と大画面、自宅で不可能な決め細やかな音響、自宅では不可能な要素を増やすことで映画館で観る価値を見出す方法にシフトチェンジしています。

日本へ参入しているアメリカのハリウッド生まれの企業の影響は大きく、今後もこの路線の強化は進んでいくでしょう。さらに差別化を計ることで高くなる映画鑑賞料金でも許されるという方向へ導き、自宅で視聴する映画との差別化をさらに生み出していく、苦渋の選択(2019から観覧料金も上がるため観客にさらなる負担)を迫ることでしょう。





活動写真 牧野省三 尾上松之助 嵐璃徳 フランス






映画の歴史はフランスを発端として約120年ほどの時間が経過、海外に広まっていきました。日本においても1899年の6月20日に東京の歌舞伎座で、日本産の活動写真(映画)『芸者の手踊り』(映像記録のドキュメンタリー映画)が上映されました。ストーリーが伴う作品もその数年後に作られ、

日本初の映画スター嵐璃徳(1908年デビュー、差は大きいが尾上松之助のライバルの一人、1908年『本能寺合戦』から日本初の時代劇スター)、日本初の大スター尾上松之助(1909年デビュー、1910年代から1920年代にかけて日本の映像俳優で初の国民的スターに成長、忍術物、忠臣蔵、水戸黄門、オールスター映画の形成など貢献は多岐多数)、映画監督の巨匠は牧野省三尾上松之助との日本初の映画名コンビを形成、時代劇につながる日本映画の個性を形成、100名級の人材を発掘、育成、支援。戦後の日本最大の映画黄金期の影の最大の功労者)が最初です。







最新の映画館だけにならない価値 昔ながらの映画館の魅力





実は日本には商業的に合理的なシネマコンプレックスではなく、昔ながらの映画館がまだまだ存在しています。古き雰囲気を残した映画館は日本映画の最盛期の雰囲気を感じられるものがあり、同時に入館できる人数は少なく、高い費用のかかる音響や体験型の機能はありませんが、昔ながらの映画館は最新の映画館にない独特な味わいが存在しています。


映画館は映画作品を楽しむだけではなく、映画館に刻まれた歴史や染みついた土地の古き雰囲気、先人たちが観たであろう光景を想像しながら浸る映画の世界はまた格別なものです。その土地の人々が魅力に感じ、強力する残そうと努力を積む人々が存在しています。昔ながらの映画館に価値はあると考えています。


映画館は映画を楽しむだけではなく、映画館そのものも楽しむことができます。






ドキュメンタリー映画『小さな町の小さな映画館』(2010)






最新の映画館だけにならない価値 昔ながらの映画館の魅力を知らない世代に教えてくれる、知る人には再認識させてくれる。そんな映画があります。ドキュメンタリー映画『小さな町の小さな映画館』(2010)は特に印象に残ります。

この作品は2011年が初上映ですが、完成は2010年、時間をかけてコツコツと巡回的に全国上映されてきました。この映画は専用のホームページが存在しており、”小さな町の小さな映画館”で検索すると上位に表示されます。現在は販売が中心ですが、過去に上映を行っていた独立系映画作品です。


作品は北海道の浦河町にある最古の映画館”大黒座”の過去と現代、未来の可能性を取り上げることで、”ある種の映画愛を視聴者に問いかけている”内容です。



大黒座は1918年(大正7年)に芝居小屋として完成と開業、平行して映画上映を開始してこの映画の完成時点で90年強でしたが、ついに大台の2018年に100年を迎えました。20018年は記念すべき年であり、2019年の令和元年に101年目をスタートさせました。現在もこの映画館は稼動しており”大黒座”で検索すると上位に表示されます。


森田恵子写真集 (近映文庫)

森田恵子写真集 (近映文庫)
肉付きのよいむっちりしたこぼれそうな豊満な肉体たちが堪能でき、当時としては胸も大きいです。彼女は知る人ぞ知る森田惠子です。





小さな町の小さな映画館』はホームページから以外は購入できません。興味がある方は『小さな町の小さな映画館』で検索お願い致します。そのためこの方に登場を願いました。許してください80年代のアイドルの森田恵子です。実に意外な人物の登場です。


ドキュメンタリー映画『小さな町の小さな映画館』(2010)の監督の森田恵子と同姓同名の80年代アイドル、一方、第14代目サンベスガールやNHK岡山放送局契約キャスターを一時的に務めた森田恵子、書籍の紅茶と音楽のサロンの料理評論家の森田恵子も同姓同名の別人です。





⇒攻めに攻めたこの記事の裏側リンク⇒ ↓  ↓
伝説の映画館を目指せ 生誕101年の大黒座へ来館シュミレーション





2019年令和元年で生誕101年の大黒座は北海道の南の本州側の港町の浦河町に存在しています。新千歳空港の新千歳空港駅の高速バスを利用すると情緒はありませんが3時間5分、2620円で到着、電車から大黒座のある浦河駅まで行くとするとJR千歳線とJR日高本線を経由して最短で3時間26分、4000円もかかります。現在の浦河町は田舎に存在していることがわかりますが、古くは漁業が栄えており、多くのお店や映画館の娯楽も人気がありました。





名前の「雅弘」がつなぐ映画巨匠と大黒座の親子二代秘話






ネタバレしても観ないとわからない、とはいえども劇中の内容は観て知っていただきたいため、内容は少しに留めます。実は大黒座は周辺の残そうと協力している地域の住民や大黒座の形成している家族によって支えられています。こうした映画館が古き良き映画館が残るための基本的なあり方だと考えられますが、映画には大黒座4代目の館主の三上雅弘さん(一般の方なのでさん付けは当然)やその母親、妻、子供さんや地域住民、遠くから来館した観客も登場しています。




ここからは個人的に印象に残る独自目線、いくつかの着眼点を持ち取り上げています。4代目の雅弘さんの名前を見たときにあの映画巨匠、ザ・活動屋のマキノ雅弘をお父様が意識されたんだろうと感じました。マキノ雅弘の父は日本映画の父と呼ばれる日本映画最初の巨匠の牧野省三、自分の子供に俳優や製作者、映画監督などの幅広い英才教育を施して、事実上の自分の後を継がせました。

1920年代のサイレント映画から1950年代の日本映画黄金期、低迷の1970年代前半まで監督を務めて、長年で膨大な代表作を残し、歴代上位の80作以上の代表的作品群を残しました。時代劇の形成のリーダーで時代劇の父と称される伊藤大輔らと共に時代劇形成と黄金期を牽引した時代劇四大巨匠の一人にも数えられます。


そしてマキノ雅弘は、偉大なる父の期待に応えるかのようにお見事な日本映画を代表する映画監督の巨匠になりましたし、世界的にも珍しい親子二代で映画巨匠です。親子2人の監督映画数700作以上は世界歴代最多です。


この流れを知るからこそ、自分の息子にもできれば映画館の館主を継いでほしい想いも込めて同じ雅弘の名前をつけたのかもしれません。雅弘という名前をつけた事実はただの映画館の館主だけでなく、熱狂的な映画ファンだった証拠を感じることもできます。ちなみに『小さな町の小さな映画館』の劇中では話していません。ですが、同じ映画関係者(映画製作者と映画館館主)である時点で雅弘を偶然にしてしまうことのほうがおかしな話です。






マキノ雅弘の世界―映画的な、あまりに映画的な (ワイズ出版映画文庫)

マキノ雅弘の世界―映画的な、あまりに映画的な (ワイズ出版映画文庫)


マキノ雅弘は多彩な功績を残すだけではなく、現存含むと映画270作強の巨匠、膨大な映画の数々だけのエピソードや膨大な伝説を残しています。あの映画31作の監督ではなく、彼こそ日本が誇るべき世界の真の巨匠です。


今回は大黒座の誕生101年と牧野省三の映画監督デビュー101年、さらに尾上松之助令和元年の2019年で1909年デビューから110周年を記録しています。このことを伝えられただけでも”令和最初の公開”として意味があるものになったかと思います。






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2019/05/06 22:41 | 邦画の探求COMMENT(4)TRACKBACK(0)  

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