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映画概念 時代劇六大スター&七剣聖&日活三大スター&大映四大スター&両御大体制の禁断






今回記事は2019の真夏の最後に巨弾ぶっぱなちます。日本映画や芸能を牽引し続けた5つの大きな肩書きに迫ります。日本人は3や2という数字が好きです。最初は3という数字でしょう。三大スター、ビック3であったり、特に映画だと松竹は広告も含んでいたと考えられますが、戦前の時代劇、現代劇、女優、戦後の1950年代、60年代の現代劇の男女俳優も「三羽烏」という言葉を何度も使っています。

「映画概念 時代劇六大スター七剣聖日活三大スター大映四大スター両御大体制の禁断」のスタートです。




前回の記事⇒吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星





松竹映画が多用した広告 三羽烏の理由と派生の極東映画の三大スター





例えば長谷川一夫、高田浩吉、坂東好太郎は松竹の1930年代の時代劇スターの上位3名は「松竹下加茂三羽烏」です。松竹は1920年代から1930年代を中心に、下加茂で時代劇映画を大量に製作していたことが、下加茂を含んでいる理由です。さらに1930年代の現代劇の男性スター上位3選の上原謙、佐分利信、佐野周二は「松竹三羽烏」などといわれました。正確にはこれらは世間で言われたというよりは松竹側がスターや映画を売り出すために考えた、広告の作戦が強かったと考えられます。

近年は企業が時間をかけずにできる地域のPRを兼ねた簡単なギネス記録や出来上がっていた某アニメ映画の魔法少女キャラクター数などの競り合いさえないたいしたことないギネス記録を利用した広告を多く利用していますが、これはどうしても馬鹿らしいものが多くて、まるで評価できません。


また、海外の三大喜劇王はチャップリン、ロイド、キートンや日本の三大喜劇王ではエノケン、ロッパ、キンゴロウなど多数あります。映画に関係ない部分もたくさんあるためキリのない部分です。また中国や韓国は近年に四天王などによって俳優のある程度の評価を表現することがありますが、日本の大映四大スターの方がだんぜん先です。


映画ファンとしては、戦前の映画会社の極東映画の「極東の三羽烏」という言葉も有名です。時代劇のB級路線の娯楽映画を大量に公開した極東映画(1935~1941)で活躍したベスト3の雲井龍之介、市川寿三郎、綾小路絃三郎の三大時代劇スターの活躍を示すもので、松竹の三羽烏のネーミングの影響で三羽烏を使用したと考えられています。特に雲井龍之介は他の映画会社時代も含めて通産主演100作を越す、映画ファンにかなり有名な時代劇スター、同時に名俳優です。







時代劇六大スター七剣聖日活三大スター大映四大スター両御大体制の禁断






ここから三羽烏以外の部分のさらなる本題に迫ります。時代劇六大スター(日本映画を保存上映している国立アーカイブは、「六大時代劇スター」と紹介)、七剣聖日活三大スター大映四大スター両御大体制の5つです。それぞれが事実上のスーパースターを示す言葉です。




1.時代劇六大スター=(1927~1953)=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫(林長二郎)、阪東妻三郎、大河内傳次郎 ⇒現役中のみでいうと阪妻の死によって現進行は崩壊

2.七剣聖=(1927~1953)=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫、阪東妻三郎、大河内傳次郎、月形龍之介 ⇒現役中のみでいうと阪妻の死により崩壊

3.日活三大スター(1938~1942年)=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎 ⇒大映形成により崩壊
4.大映四大スター=(1942~1948年)=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、阪東妻三郎 ⇒千恵蔵の東横映画への出演により崩壊がスタート
5.東映二大スター、両御大体制=(1951~1964)=片岡千恵蔵、市川右太衛門 ⇒東映の体制の方向転換により崩壊





下記側の記事にも上記5つが関与してきます。




やはり千恵蔵と阪妻の強烈な存在感






阪東妻三郎こと阪妻(バンツマ)の死が大きく時代劇六大スター七剣聖の当時の現進行のみの部分は崩壊しています。今からすると時代劇六大スター七剣聖は崩壊後も日本を代表する概念として存在している物ともいえます。阪東妻三郎はsこの2つを崩壊させたことの存在感も今や実積の一つともいえてしまうかもしれません。


時代劇六大スター、七剣聖、日活三大スター大映四大スター両御大体制(東映二大スター)の5つ、東映二大スター体制を両御大体制ちと別と考えると6つの全てに名前を連ねているのは片岡千恵蔵のただ一人だけです。

これも彼が歴代トップといえる数多くある理由の一つです。片岡千恵蔵は他にも戦前は時代劇の形成や伸びしろ大きく貢献し、”時代劇の貴公子”、戦後は”二丁拳銃の男”の”多羅尾伴内のおじさん”、”七つの顔の男”、”千恵蔵御大”など10つを越す多数の異名があります。それだけ多方面で成功したことを物語る要素です。現代も3や4で概念に入る人物がいますが、歴代レベルだとやはり一つや2つくらいだと全然評価できません。





チャンバラ黄金時代 時代劇スター七剣聖―石割平コレクション
チャンバラ黄金時代 時代劇スター七剣聖―石割平コレクション
日本が世界に放つべき7名です。






時代劇六大スターの現役時代のみの定義





時代劇六大スターの定義は6名の全てが最初のブレイクを果たした1927~1953年までの存命の実働期間を指すと考えて良いでしょう。

阪東妻三郎は、国活=國際活映株式會社で1923年にデビュー、スーパースターだったため、現在からすると最初からずっと主演だった印象を持つ人が多いかも知れませんが、現実は違い、最初の2年ほどは45本ほどの助演を中心の活動、1925年に阪妻プロの主演の最初の大ブレイク、市川右太衛門はマキノプロダクションでデビューとブレイク、大河内傳次郎は、有名作家の直木三十五による連合映画芸術家協会で1925年にデビュー、ブレイクは1926年の日活時代でした。


1927年に片岡千恵蔵(1923年が最初の現代劇のデビューだが時代劇スターとして再デビュー)と嵐寛寿郎(当初は嵐長三郎名義)がマキノプロダクション、林長二郎(長谷川一夫名義は1938年の東宝移籍時から使用)が松竹でデビュー、3名とも1927年中に最初のブレイク、阪東妻三郎は1925、その翌年の1926年に市川右太衛門、大河内傳次郎(大河内伝次郎)、さらにその翌年の片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、林長二郎がブレイク、1925~1927年のたった3年間で時代劇六大スターの6名がブレイクした黄金世代、日本映画の歴史を作るに重要な時間でした。


1927年から戦後の黄金期まで活躍する国民的映画スターの6名が揃ったことから、戦後1953年の阪東妻三郎の死去までの約26年間を時代劇六大スターの生前中における活動期間です。1920年(大正9年)9月の尾上松之助主演の日活映画『仙石権兵衛』に脇役でデビューした月形龍之介を加え、剣豪役や剣戟演技で活躍した時代劇大スターを示す七剣聖の現役中の概念も阪妻の死で事実上の終止符が打たれたといっていいでしょう。




時代劇六大スター 戦前篇―藤波米次郎コレクション
時代劇六大スター 戦前篇―藤波米次郎コレクション
日本が世界に放つべき6名です。





大映四大スターと大映映画を過ぎ去りし後






・片岡千恵蔵の大映時代 1942~1947、1948 
1947年から現代劇のみは東横映画の活動をスタートし、時代劇は1948まで大映、1948年に四大スターで最初に大映映画を離れる。東横映画の大映の配給関係は1949まで続くが、東横映画の最初の映画大スターとなり、1951年創立の東映の創立時も最初の専属となる。1964年まで主演で活躍。主要キャストは1973年が最後。1979年まで多くのヒット映画、1983までテレビドラマにの名作やヒット作にいくつか出演、脇役がなく最後まで上位助演を維持。

・阪東妻三郎の大映時代 1942~1948 
1948年から遺作の1953年の映画まで松竹映画メインの主演俳優となる。1953に死去

・嵐寛寿郎の大映時代 1942~1952 
1949から新東宝映画にも出演、1952年以降の全体は新東宝映画メインの主演俳優となるが、継続して成果が挙げられずに1950年代後半から全体の活動は助演俳優となる。その後も映画の「網走番外地シリーズ」のじいさん役で助演俳優として再ブレイク、脇中心にテレビドラマにも多数出演。

・市川右太衛門の大映時代 1942~1949 
1949年から移籍、松竹の出演作はあるが1951年の創立時から片岡千恵蔵と同様に東映映画の最初の専属の大スターとなり、1964年まで活躍後、映画をやめて舞台中心の活動







東映二大スター体制&両御大体制の多大な影響力と功績






片岡千恵蔵、市川右太衛門の映画主演300作コンビ(世界最多コンビ)の東映二大スター体制、両御大体制が最後です。のちの1960年代、1965年からのの東映の後輩の鶴田浩二、高倉健の二大体制にも大きな影響を与えています。また直接の後輩に当たる東映の若手の時代劇スターの二大スターの中村錦之助と大川橋蔵は1956~1963まで体制ともいえる概念の存在、さらに他社では日活の1950年代後半からの石原裕次郎、小林旭、大映の後輩の2名の1960年年代前半からの市川雷蔵、勝新太郎の大映二大スター体制にも影響が強く存在していますし、日本の芸能界全体に存在はまたがって、事実上の歴代の二大スター体制の代表といえるでしょう。


実は鶴田浩二、高倉健、中村錦之助、大川橋蔵、石原裕次郎、小林旭、市川雷蔵、勝新太郎の8名の戦後からの大スターは全てが方岡千恵蔵の後輩です。千恵蔵は日活、大映、東映でトップの大活躍しました。市川右太衛門は大映、東映の6名、この事実をご存知でしょうか。


・片岡千恵蔵、市川右太衛門による東映二大スター体制、両御大体制=(1951~1964)は東映の1956年から1960年代前半までの日本映画年間観客動員1位を支えた事実上の日本映画黄金期をもっとも代表するスター体制ですが、1964年1月の映画で市川右太衛門は映画俳優の廃業(事実上の専属主演契約解除)によって崩壊しています。

片岡千恵蔵は、ほぼ主演を離れるが映画は東映に残り、多くのヒット作に出演、1979年まで現役の映画出演が続く。両御大体制の崩壊は、東映映画が未来に生き残るため、事実上無料で急速に伸びてきたテレビドラマに対抗するための手段であり、任侠、やくざ路線はテレビドラマに制作の困難な明確な差別化を計るためのものでした。





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2019/08/28 21:01 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星






日本映像芸能形成は、牧野省三(マキノ省三)を事実上の祖とする映画に発端を持ち、尾上松之助の天下の1910年代から1920年代前半の事実上のスターの一強時代から、その後輩たちの国民的映画スターの時代劇六大スター(1927~1953)らのトップのスターピラミッド序列によって大きな個性や幅に広さ、高い競争力を生み出し、現在の日本映像芸能につながる源流が形成されました。

過去と現在を比べることが多くあるわけですが、大筋にやってることは今も昔も変わることはありません。言い方にもよりますが、ただ時代ごとに背負う、纏う要素が異なります。

吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星」スタートです。金星は”きんせい”ではなく、”きんぼし”です。





前回記事⇒日本国を未来永劫平和に導く究極リーダー「歴代の北条時宗映画」






変わらない芸能 現代と過去の大交差 会社飛び出し騒動と二大スター





吉本興業の芸人暴動&騒動、SMAPの解散、AKBグループのNGT48騒動など、現在も昔も何らかの理由で所属している会社が嫌になり、会社を出るということが戦前からたくさんありました。吉本興業の場合はまだ飛び出しは正式ではありません。

会見や芸人の反応など含めて互いに酷い内容ばかりでしたが、芸人ファーストとではなく、見たり聞いたりしてくれるお客が一番、お客様ファーストであるべきだと感じています。その次に芸人や会社側が来るべきです。

SMAPの解散は同時に3名が親会社のジャニーズ事務所を飛び出す関連の騒ぎへとつながり、AKBグループのNGT48騒動は暴行未遂とファンとメンバーの強い癒着や暴行を仕向けたメンバーが居たなどの数多くの疑惑を生み、何名かが脱退する辞退、NGTは2019.8月時点で事実上の大きな活動ができない壊滅状態が継続、メンバーや元メンバーは日本よりも大きく劣る芸能史を持つ韓国へ活動を移すケースや卒業も多数出ています。


2019年から90年ほど前になりますが、1928年に数十名によるマキノプロダクション(戦前の大手映画会社の一つ、今で言う芸能事務所の要素もあり、当時の映画俳優は映画会社と専属契約が基本)の飛び出し騒動がありました。このときの特に最有名人物だと片岡千恵蔵嵐寛寿郎が飛び出しました。

1928年にネガが焼けずに完全版であれば2時間30分を越す超大作&マキノオールスター『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の主演俳優の大石内蔵之助を演じた伊井蓉峰(当時の舞台の新派の重鎮俳優)が偉ぶって撮影現場でずっとひどかったと嵐寛寿郎の有名証言が残されています。千恵蔵は服部一郎右衛門と萱野三平の2役、嵐寛は脇坂淡路守と寺坂吉右衛門の2役、ちなみの月形龍之介は清水一角、大石主税は監督メインで活動中、こんも映画時点で最低でも160作以上のの映画に出演していた元子役スターのマキノ正博(マキノ雅弘)、戦後の東映の大プロデューサーの玉木潤一郎は脇役の具足屋為五郎など有名俳優が総勢40名出演しています。. 


伊井蓉峰のこれは同時に制作と監督の牧野省三がこの暴言暴動を容認していたことにもなり、2名が会社を飛び出す理由の少なくても一つになったと考えられています。新派の重鎮俳優だったため、のちに影響があるかもしれない、敵を作る可能性から日本映画の父、世界的大巨匠の牧野省三でさえも口出しが出来ない部分があったのでしょう。『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の公開から数ヶ月、千恵蔵は千恵プロ、嵐寛寿郎は寛プロで活動に入つたわけですが、飛び出す理由のそのものが違っても現代と同様になんらかの不満があったわけです。


1942年に日活から大映へ移籍した片岡千恵蔵嵐寛寿郎、阪東妻三郎の日活三大スターたちは、日活の上層部に勝手に移籍が契約がさせられており、自分たちに拒否権がなかったといわれています。日活三大スターはその後も大きな活躍したことで美談になっていますが、国民的映画スターに拒否権がなかった現実はかなり厳しいものでした。






吉本興業というと歴代芸人コンビ&ピンでも活躍した映画スター(金星)







芸人と親会社同士が泥沼化している吉本興業というと歴代は、花菱アチャコ横山エンタツの2名が戦前から戦後に掛けて大人気を博しました。1941年公開のダブル主演の「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」(「人生は六十一」)からです。吉本興業と東宝の共同制作、喜劇の神様こと巨匠の斉藤寅次郎が監督です。個人的にもこの映画録画済みです。


日本映画傑作全集「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」 主演 横山エンタツ 花菱アチャコ 斉藤寅次郎監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)
日本映画傑作全集「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」 主演 横山エンタツ 花菱アチャコ 斉藤寅次郎監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)






アチャコ、エンタツは吉本興業の現在に続くコンビの事実上の最初の大スターでした。現代もコンビで番組をやっている芸人が吉本やそれ以外にも多くいますが、この2人が先駆的存在となり、コンビ数の主演は戦前のほうが大半を占めています。アチャコとエンタツのダブル主演は1936~1957年の24作が存在、片方が主演、両者が助演やを含んだ共演本数は、ダブル主演24作も含んだ36作があります。

戦前はどちらかといえば横山エンタツのほうが人気があったようですが、戦後に花菱アチャコの方だけが映画で再大ブレイクしてしまい、大差は付きました。

花菱アチャコの戦後は、自身主演によるラジオが元で7本作られた家庭&生活喜劇「お父さんはお人好しシリーズ」と伴淳三郎とダブルキャストで10本作られた戦争喜劇「二等兵物語シリーズ」の通産17作が代表作になるなど強く当たるなど150作以上の映画に出演しましたが、横山エンタツの戦後は主演映画で当たりがほぼなく、助演がほとんどで時代劇の脇役が目立つなど、通産で100作近い映画出演数に留まりました。








エンタツ&アチャコのご両名は水戸黄門映画で格さん、助さんのそのものは演じて・・・







「水戸黄門漫遊記(1938)」は1938年の東宝の喜劇時代劇映画「水戸黄門漫遊記 東海道の巻」と「水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻」を合わせた作品です。こちらも巨匠斉藤寅次郎が降臨していますが、両者にとって記念すべき初の時代劇主演作がこの映画でした。

実は両名は格さん、助さんのそのものは演じて・・・いません。2名は横山エンタツは大工の辰五郎、花菱アチャコは大工の阿茶古を演じ、水戸黄門は助演で登場、映画の活弁士としても活躍した映画名優の徳川夢声が演じました。



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