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アラカン映画の謎の綜芸プロの全貌の影に3人の中村正太郎の謎と永遠のライバル





アラカン嵐、現実に嵐のついた俳優名であり、テレビタレントグループの嵐よりも70年ほど前から嵐を映画界&芸能界に巻き起こしました。アラカン嵐は映画愛子の独自な造語ですが、事実です。今回記事は「アラカン映画の謎の綜芸プロの全貌の影に3人の中村正太郎の謎と永遠のライバル」と題してスタートします。






1920年代から1970年代後半にかけて映画400作近くに出演、世界歴代ベストテンランクインの主演映画本数260作以上を越し、数億人の生涯観客動員を記録した国民的俳優の嵐寛寿郎(愛称・アラカン)は、1950年から1961年まで映画製作会社の綜芸プロダクション(綜芸プロ)の映画に多数出演しています。実はこの映画会社は、日本映画の黄金期の一翼を担った大手映画会社の6番手といわれた、新東宝の関連会社でした。




前回記事 『水戸黄門』や『大岡越前』の生みの親を橋渡した謎の映画会社双方にアラカン「嵐」が吹いていた







アラカン映画の綜芸プロダクション(綜芸プロ)の全貌






嵐寛寿郎綜芸プロの主演映画は12作が存在していました。複雑すぎても理解が難しいでしょうから、簡単に紹介いたします。




嵐寛寿郎の1947~1953年の出演映画 全て主演 現存版の再公開を含めない

嵐寛寿郎の綜芸プロの主演映画 全12作 全て製作=綜芸プロ 配給=新東宝
1950 「鞍馬天狗 大江戸異変」 (鞍馬天狗シリーズ)
1950 「天保水滸伝 大利根の夜霧」  江戸時代後期の農政学者の大原幽学を演じる天保水滸伝もの
1951 「右門捕物帖 片眼狼」 (右門捕物帖シリーズ)
1951 「中山安兵衛(1951)」 通算5度演じた代表的役柄の中山安兵衛の4本目
1951 「右門捕物帖帯とけ仏法」 (右門捕物帖シリーズ)
1952 「風雲七化け峠」  多数のコンビ作で知られる監督の並木鏡太郎とのコンビ作
1952 「夕焼け富士」 鞍馬天狗などの巨星大佛次郎の原作
1952 「鞍馬天狗 青胴鬼」 (鞍馬天狗シリーズ)
1953 「右門捕物帖 からくり街道」  (右門捕物帖シリーズ)
1953 「人形佐七捕物帖 通り魔」 横溝正史原作の人形佐七捕物帖の題名の初映像化
1953 「やくざ狼」  著名な天保六花撰(てんぽうろっかせん)の題材 6名の悪党の講談が元の作品で多くは下位で描かれる金子市之丞(嵐寛)を主演に添え珍しい映画
~~~~~~~~~~~~~~8年ほど綜芸プロと縁がない期間~~~
1961 「風雲新撰組」  嵐寛寿郎の現役の主演スター専属時代最後の作品、時代劇最後の主演映画 新撰組題材 自身の近藤勇は2度目




綜芸プロ=新東宝関連の映画製作会社 嵐寛寿郎の主演映画を主に制作





 世界歴代ベストテンランクインの主演映画本数 生涯観客動員 国民的俳優 嵐寛寿郎 アラカン 綜芸プロダクション 綜芸プロ 新東宝 大原幽学








中村正太郎の謎 『人形佐七捕物帖 通り魔』と『羽子板の謎』







横溝正史原作で有名な人形佐七捕物帖の最初の映像化は嵐寛寿郎です。人形佐七捕物帖という題名の統一以前を含めると1938年の松竹映画『羽子板の謎』が最初とされています。人形佐七捕物帖の映画は、アラカンの新東宝時代の直属の後輩でもある若山富三郎版が新東宝と東映で1956~1961年、12作を5年にわたって作られてもっとも有名です。


『羽子板の謎』は中村正太郎という俳優が主人公の岡っ引きの人形佐七を演じたとされていますが、歌舞伎の名優である初代の中村又五郎(1885–1920)が一次的に名乗っていた名前です。ですがこの映画の1938年の時点ですでにこの名前は歌舞伎俳優に存在していません。松竹の

歌舞伎俳優の五代目の中村仲蔵が1964年(昭和39年)~1970年(昭和45年)まで、一時名乗った本名の芸名が中村正太郎です。製作=東京映画、配給=東宝の仲代達矢主演の1965年『四谷怪談』の脇役、笹川源吾を演じた中村仲蔵の正太郎ですが、『羽子板の謎』の正太郎とはまったくの別人です。

『羽子板の謎』が公開された1938年には1935年生まれのため、数え年で3歳です。






人形佐七捕物帖 妖艶六死美人 【DVD】


若山富三郎版の人形佐七捕物帖シリーズの1作目『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人』です。若き日の名優若山を知る、当時の芸能を考える、考察することも映画の醍醐味です。





五代目中村仲蔵 仲代達矢 四谷怪談 羽子板の謎 若山富三郎 人形佐七捕物帖シリーズ 『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人 横溝正史







正太郎とは何者なのか 3人の中村正太郎の謎 2名の金田正太郎や池波正太郎も参戦






アニメ作品にも知識があるためか、正太郎というと時代小説家の池波正太郎や「鉄人28号」や「AKIRA」の主人公の金田正太郎の正太郎を思い出してしまいます。


では中村正太郎とは何者なのか、初代中村又五郎(1885–1920)が芸名の中村正太郎を名乗った後の時代に『羽子板の謎』の正太郎は存在していません。1930年(昭和5年)の近代歌舞伎年表京都篇に気になることが残されています。なんと近代歌舞伎年表京都篇にこの映画の中村正太郎がいました。

初代中村又五郎や五代目中村仲蔵の正太郎のように、生涯として歌舞伎の名優といえる活躍はしていない正太郎であったため、プロフィールさえも残されていませんでした。



歌舞伎の大名優の初代中村吉右衛門(1900年代後半から六代目尾上菊五郎とともに若手の人気をリードして「菊吉時代」といわれる黄金時代を築く、1951年(昭和26年)に文化勲章を受章、有名ですが二代目中村吉右衛門は養子&孫)が主演の1930年(昭和5年)の歌舞伎の公演の中、出演の歌舞伎俳優としては上から17番目の表記で、この正太郎が出演している記録が近代歌舞伎年表京都篇に確認できます。

つまり、この歌舞伎に出演していた中村正太郎が主演した『羽子板の謎』が横溝正史原作の有名な人形佐七捕物帖の正確な最初だといえるでしょう。この正太郎の名前が公に残っていない理由ですが、ざんえんながら書外を通じて、世間的に大きな功績は残せなかった歌舞伎俳優だからです。

ですが、この正太郎は映画に1937年から1946年までの間、約9年間で13作以上は出演しています。13本程度だと極少数ナ映画出演数ですが、しかも全ての映画出演が松竹映画、まさに歌舞伎と関与があり、人気が得られなかっ他のでしょう、主演映画は3作のみに留まっています。







DVD▼歌麿をめぐる五人の女▽


巨匠溝口健二が監督した文芸要素の時代劇映画『歌麿をめぐる五人の女(1946)』 名歌舞伎俳優の六代目坂東簑助(読み=ばんどうみのすけ のちに八代目坂東三津五郎を襲名、人間国宝)とヒロインの田中絹代で描かれました。歌麿をめぐる五人の女は1959年に『歌麿をめぐる五人の女(1959)』として、長谷川一夫と淡島千景でリメイクされていることでも知られています。この映画『歌麿をめぐる五人の女(1946)』は『羽子板の謎』の中村正太郎の映画出演における遺作です。






正太郎 中村正太郎 金田正太郎 池波正太郎 近代歌舞伎年表京都篇 初代中村又五郎 八代目坂東三津五郎 鉄人28号 AKIRA 初代中村吉右衛門 六代目尾上菊五郎 菊吉時代 文化勲章 二代目中村吉右衛門 溝口健二 歌麿をめぐる五人の女 六代目坂東簑助 田中絹代 長谷川一夫 淡島千景  人間国宝








嵐寛VS千恵蔵  「人形佐七捕物帖」と『独眼龍政宗』(独眼竜政宗)の共通と共通しない評価








嵐寛寿郎の『人形佐七捕物帖 通り魔』は「人形佐七捕物帖」の題名としては最初の映画化、映像化でしたが、題名が異なるものを含めると最初ではありませんでした。

例えば片岡千恵蔵主演の1942年のキネマ旬報ベストテンの受賞(当時は年間ベストテンに含まれることは今以上の名誉で受賞とされていた)した大映映画の名作『独眼龍政宗』(監督は巨匠稲垣浩、原作は石坂洋次郎)の題名が、独眼龍政宗や独眼竜政宗や独眼龍や独眼竜が入る、伊達政宗の映像化や映画としては最初、ですがそれ以前の伊達政宗の映画は、1912年のM・パテー商会の映画『伊達政宗』などが制作されています。1959年に千恵蔵の後継ともいわれた後輩の中村錦之助で『独眼竜政宗』(監督は河野寿一)として再映画化されています。


嵐寛の『人形佐七捕物帖 通り魔』は、千恵蔵映画のようにきちんとした明確な評価が得られていない作品ですが、題名扱いとしてだけでも最初であり、実籍の一つなのではないでしょうか。嵐寛と千恵蔵の戦後は戦前以上に大きな世間的な差が付きましたが、永遠のライバルといえる一部分が通産記録にあります。






独眼竜政宗 [DVD]

千恵蔵映画版の『独眼龍政宗』は石坂洋次郎の原作がありますが、錦之助の『独眼竜政宗』は原作がない扱いです。原作がない時代劇も映画の魅力の一つです。現在の日本映画に少ない部分も非常に残念です。





片岡千恵蔵 キネマ旬報ベストテン 独眼龍政宗 稲垣浩 石坂洋次郎 独眼竜政宗 M・パテー商会 伊達政宗 中村錦之助 河野寿一 千恵蔵映画




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2019/11/30 23:23 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

『水戸黄門』や『大岡越前』の生みの親を橋渡した謎の映画会社双方にアラカン「嵐」が吹いていた







<『水戸黄門』や『大岡越前』の生みの親を橋渡した謎の映画会社双方にアラカン「嵐」が吹いていた>。


今回は、大映四大スタ-や時代劇六大スターの一人である大巨星、嵐寛寿郎のあまり知られていない不透明な伝説の部分、通称アラカンのあるナゾの映画会社2つについて迫ります。




前回記事
嵐寛寿郎と時代劇六大スターの戦後の上下左右縮図 恒久呪縛の末の功名






アラカン嵐とアイドルや国民的はでっちあげのタレントグループの嵐






今回のタイトルのアラカン嵐についてですが、大本の真の国民的俳優のアラカンが主ですが、多少は嵐ともかけています。テレビが優遇している嵐というグループ、現実にはアイドルではなく、ただのテレビタレントグループです。もちろん好き嫌いでいうわけではありません。好き嫌いの評価は基本的に評価ではありません。

アイドルはアイドル活動が全体となって初めてアイドルとなります。これは当然です。彼らは大半の活動がアイドルではありません。某○○純一が活動のほとんどがタレントなのに無理やり俳優で通している芸能の暴挙と同じです。ちなみのお分かりだと思いますが加藤純一ではありません。



もちろん国民的な数字は残していませんし、一部の女性ファンが強いことのみが事実、彼らはほとんどがテレビタレント活動、バラエティ番組やニュース、もちろんやるべき握手会は皆無、しかも個人の中心です。100万枚のシングルなし、代表曲のピークは10年ほど前の「花より男子」のテレビや映画、本元のアラカンの嵐は真の国民的、観客動員2億人ほどの観客を呼んだと考えられますが、


ちなみに主演シリーズが記念年の渥美清も通産1億以下です。彼も歴代では全然上位には入りませんし、彼も実積を大きくテレビやマスコミに長年誇張された人物です。観光や映画、芸能などはちゃめちゃです。ちなみに主演映画数は71作で、三船敏郎でさえ少なく、主演数76作ですが、彼はそれをさらに下回ってなんと日本歴代で50位くらいです。もちろん良い俳優ですが、良い俳優は歴代にもたくさんいますから、通産映画出演数約130作は歴代100位以下です。


せめて最低主演数100作は越していないと誇張はおかしいと考えていますし、本当の大物の嵐寛寿郎の主演数は最低でも260作を越しており、歴代ベスト10に含まれます。早ければ1、2歳、幼稚園児でも数字がわかると思いますが、これぞ真の国民的です。


テレビタレントグループの嵐の彼らは個々を合わせてもそれぞれの映画も客が入ってもいません、SMAPも同様でしたが、タレントよりはましなフレーズに聞こえるアイドルはという言葉は都合がいいテレビやマスコミの誇張や都合にしか他なりません。タレントよりも上だと思わせて女性たちにお金を落とさせたいわけです。

まあ2020年の五輪起用も含めたアイドルではない広告タレントでもあるので、広告会社やテレビ全体で無理やり国民的に誇張したいというのが真実です。一部の女性ファンは、もちろんOKだというのですが、,他の普通な日本人ならこんなの許せません。


前置きが長くなりましたが映画とも関わる重要な部分だと考えているので、あえて取り上げました。下の部分からが今回の本題です。





嵐寛寿郎 アラカン  アイドル テレビタレントグループ 加藤純一  花より男子 渥美清 三船敏郎 真の国民的 SMAP 広告会社





映画会社専属大スターが5年間中4年で主演1本の異常事態の謎






嵐寛寿郎の1947年以降の映画出演は1948、1949、1951、1952年と大映映画は年に1本のみ、1950年はかろうじて2本の大映映画の主演のみに留まっています。映画会社専属の大スターが5年間のうちの4年間の主演作で1本の異常事態、これは日本映画史上でも前例がないで出来事です。

他の大映四大スタ-の3名(阪妻、千恵蔵、右太衛門)の俳優たちのはこうした4年連続の珍事は1度もありませんでした。本数を出られないマイナス部分だけではなく、過去にない映画専属俳優の歴史の現実、それだけ嵐寛寿郎という俳優が良くも悪くも大スターだった、一つの証拠と伝説といえるでしょう。


何故大映映画で1948~1952年の5年の4度で主演1のみがあるのか、明確には不明です。契約を複数年していた、また、他の映画会社に出演するための準備で出演数が最小限に留まる、契約上の縛りがあったなどのなど多彩な理由が考えられます。どちらにしても、日本映画史史上の前例がない珍事だったことは事実です。


大映映画 大映四大スタ- 日本映画史史上の前例がない珍事





嵐寛寿郎の1947~1953年の出演映画





嵐寛寿郎の1947~1953年の全出演映画 全て主演 現存版や再公開を含めない
1947 大映2
1948 大映1
1949 大映1、新東宝2、新光&東宝1  *この年に大映メインか離れ、新東宝メインとなる。
1950 大映2、新東宝1 新光&東京映画1 綜芸プロ&新東宝2 *新東宝は制作1、配給2の3作)
1951 大映1、綜芸&新東宝3、 宝プロ&新東宝1、松竹3 *新東宝の配給は4作)
1952 大映1、新東宝2、松竹1、綜芸プロ&新東宝3、東映1 *新東宝の製作と配給は2、配給のみは3、年間5本に到達
1953 大映0、東映3、宝プロ&東映1、新東宝2、綜芸プロ&新東宝3、宝塚映画&東宝1  1942年の大映出演後初のゼロ



通産主演映画本数が250本を越す、超大スターが1947年の年間に映画主演2本、1950年代中盤からの黄金期からだとまったく考えられない状況なのですが、それは1945年の戦後直後の貧困による映画制作費不足や戦争による人材不足などが大きく影響しています。1949から1953年の4年間で新東宝の制作や配給作の通産19作に主演しています。これは大映に出演しながら徐々に新東宝の俳優となったことを明確に意味しています。いきなり会社を移動しなかった非常に少ないケースです。






アラカンとチエゾウの謎の映画ポスター





ub28504遠山金さんいれずみ奇偶むっつり右門捕物帖緋鹿の子異変ポスター 嵐寛寿郎 片岡千恵蔵

嵐寛寿郎の1947~1953年の出演映画のポスターは見つからないため、片岡千恵蔵と嵐寛寿郎の同時上映されたと考えられる映画の貴重なポスター、どれくらいの時期に製作されたポスターか細かくは不明、おそらくは戦後のもののありそうだが、その理由の一つが1952年に『右門捕物帖 緋鹿の子異変』というポスター表記の『むっつり右門捕物帖 緋鹿の子異変』に近いタイトルが戦後に公開しています。




片岡千恵蔵 貴重なポスター 右門捕物帖 緋鹿の子異変 むっつり右門捕物帖 緋鹿の子異変





謎の映画会社と嵐寛寿郎 2つの東京映画





現代や当時もあまり知られていないため、多くの人はご存じないことから、謎としているだけで、映画に詳しい人からすればあまり謎ではありません。

大映映画に出演していた1949年と1950年はアラカンこと嵐寛寿郎にとっても転機となった2年間だったといえるでしょう。この頃の日本映画には新光映画という映画製作会社が存在していました。新光映画は、事実上の新東宝関連の嵐寛寿郎のために作られた映画会社とも考えられます。

新光映画の1949年公開の『右門捕物帖 謎の八十八夜』と1950年『当たり矢金八捕物帖 千里の虎』の2本は嵐寛寿郎の主演で、『右門捕物帖 謎の八十八夜』は東宝の配給、『当たり矢金八捕物帖 千里の虎』は東京映画の配給です。配給=東京映画配給とは、のちの東映(東映の配給のみの部門)のことです。

配給のみを東京映画配給、東京映画配給は当時の製作部門は東横映画、この『当たり矢金八捕物帖 千里の虎』の約1年後の1951年から製作と配給の両方重なって東映の屋号となります。ここでいう東京映画は東映系の会社であり、東映形成後の東京映画消滅後の1950年代中盤から映画制作を開始している、東宝系傘下の映画製作会社の東京映画(森繁久彌の「駅前シリーズ」が最大の代表作)と別の会社です。社名が同じなので間違えやすい部分です。



新光映画 右門捕物帖 謎の八十八夜 当たり矢金八捕物帖 千里の虎 東京映画配給 東映 東横映画 東映の屋号 森繁久彌 駅前シリーズ





もう一つの謎多き映画会社 日本初の映画巨匠の長女と名映画撮影者の河崎喜久三






また綜芸プロもあります。新光映画の『右門捕物帖 謎の八十八夜』に主演した1949年には出演していませんが、1950年の『当たり矢金八捕物帖 千里の虎』の主演作が公開された同じ年に『鞍馬天狗 大江戸異変』と『天保水滸伝 大利根の夜霧』の綜芸プロの映画にも主演しています。


この綜芸プロも事実上の嵐寛寿郎のために作られた映画会社とも考えられています。その制作された全体の多数が嵐寛寿郎の主演作を主としており、その全ての配給が新東宝です。

綜芸プロは宝プロ(日本映画の父で日本初の映画巨匠の牧野省三の長女の牧野冨榮と、その夫の日本の映画プロデューサーや実業家の高村正次による、映画製作会社と同様に新東宝の関連会社で、映画180作の名撮影者の河崎喜久三(1950~53の右門捕物帖5作、鞍馬天狗4作が大きな代表作などで、嵐寛寿郎の主演映画を多数撮影)は、新東宝と綜芸プロの陸続きに撮影を継続していることから、綜芸プロは新東宝の関連会社だった証拠の一つといえるでしょう。



綜芸プロ 鞍馬天狗 大江戸異変  天保水滸伝 大利根の夜霧 新東宝 宝プロ 牧野省三 牧野冨榮 映画プロデューサー 高村正次 河崎喜久三




右門捕物帖(全38編)+旗本退屈男(全11編)+他(4作品)
右門捕物帖(全38編)+旗本退屈男(全11編)+他(4作品)

佐々木味津三(ささきみつぞう)は、「右門捕物帖」(映画50作強)と「旗本退屈男」(映画30作強)の二大代表作で知られる大時代小説作家、映画化作品は一人の原作者の2題材のみの80作越えは世界歴代上位、アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ以外が映画の本数でたいしたことないため、2作という意味では世界1位といえるでしょう。映画のみで2題材ともが33年以上(右門が34年、旗本は33年)にわたって映画化されています。国民的な人気を長年誇りました。

1929年から1963年まで映画化かされています。さらにテレビ時代劇を含めると1929年の嵐寛寿郎主演の「右門一番手柄 南蛮幽霊」から2001年の北大路欣也主演の連続テレビドラマ「旗本退屈男」まで含み、72年間の大長期となります。佐々木味津三の二大代表作が1度に多数収録された珍しい書籍です。




佐々木味津三
 右門捕物帖 旗本退屈男 大時代小説作家 アーサー・コナン・ドイル シャーロック・ホームズ 右門一番手柄 南蛮幽霊 北大路欣也






時代劇ドラマの形成に貢献した超大プロデューサー活躍の根源に「嵐」が吹いていた






綜芸プロは、のちに「月光仮面」、「隠密剣士」や「水戸黄門」、「大岡越前」、「江戸を斬る」などの1950年代後半から1990年代にかけて一世を風靡、大ヒットした時代劇のテレビドラマを多く生み出す、超大プロデューサーの西村俊一(にしむらしゅんいち)だけではなく、


戦前の東宝映画を中心の70作近い映画プロデューサー、戦前の東亜キネマや新興キネマや戦後の嵐寛寿郎の右門捕物帖シリーズの4本など120作ほどの脚本、戦前の東亜キネマを中心に50作以上の原作者の計3つの顔で活躍・活動した有名な映画人の竹井諒(たけいりょう)が一次的に在籍していたことでも知る人ぞ知る映画会社です。

竹井諒の本数は大量ですが、3つの顔の全てで代表作が少ないのが問題点です。本数が多いことからもお分かりだと思われますが、3つの中で代表作がもっとも多い脚本家としてがもっとも成功しています。


120作ほどの映画脚本の代表作は、競作で話題となった東亜キネマ「大岡政談」の3部作、剣戟女優としても活躍した原駒子主演、吉川英治原作の女忍術映画「女来也」前後編、これは1910年代に一精を風靡した尾上松之助の忍術映画の代表的な役柄の一つの自来也の女版ともいえる作品です。

羅門光三郎が維新の英雄の益満休之助を最大の当たり役とした幕末時代劇『南国太平記』シリーズの3作4編、競作で話題となった新興キネマ版の『さくら音頭』、




月光仮面 隠密剣士 水戸黄門 大岡越前 江戸を斬る 西村俊一 東亜キネマ 新興キネマ 竹井諒 大岡政談 原駒子 吉川英治 女忍術映画 女来也  尾上松之助 忍術映画 自来也 羅門光三郎 益満休之助 幕末時代劇 南国太平記 さくら音頭




南国太平記 上 (角川文庫)
直木 三十五
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直木賞でも知られる直木三十五の代表作の一つが南国太平記です。もっとも有名な代表作で、映像作品においてはいわゆる幕末物の時代劇映画や映像作品の形成に大きく貢献しているのがこの「南国太平記」です。羅門光三郎が戦前に主人公の益満休之助を通算10度近く演じて最大の当たり役、人気が高く、戦後の東映で片岡千恵蔵や里見浩太郎(里見浩太朗)が映画の主演で数度演じています。


さらに戦前だけで300作近くの映画に出演したと考えられる映画名優の松本泰輔の主演、新興キネマオールスターの『水戸黄門』前後編、現在はあまり知られていませんが、松本泰輔は水戸黄門が最大の当たり役の俳優です。晩年の新興キネマ時代は多くの重鎮が演じる有名な役柄を演じており、会社から高い評価を受けていました。後に大映の一部となる会社ですが、いわゆる新興キネマの重鎮俳優でした。

世界歴代上位の映画ヒロイン数150作を越し、戦前の伝説の映画女優の鈴木澄子の数多い代表作の一つ、実在の毒婦といわれた高橋お伝を主人公にして何度も映画化されている『お伝地獄』など、

綜芸プロの映画はほとんどが新東宝の配給で1950年から1961年まで製作されています。


嵐寛寿郎の綜芸プロ映画作品の製作に関与していた西村俊一ののちの多くのテレビドラマの大ヒット作の連発に娯楽作の制作のヒントを与え、大きな影響を与えているともいえます。大プロデューサーの功績の初期の活動に大スターがいましたし、活躍の根源にアラカン「嵐」が吹いていました。




直木賞 直木三十五 里見浩太朗 松本泰輔 新興キネマオールスター 鈴木澄子 高橋お伝 お伝地獄




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