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左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末

左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末




左と右、一概にどちらが良いかに関しては結論を差し控えさせていただきます。大企業やマスコミやテレビは自分たちの生き残りやお金稼ぎのために基本左ですが、暮らしが第一の国民の大半は基本右だと考えています。ですが考えは色々あります。断定はしません。





「左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末」のスタートです。



左翼・前衛!?日本ヌーヴェルヴァーグの全映画監督作品22 映画俳優渦巻く男女の忘却開錠





黒澤明は左の翼を上手に備えられたのは苦しみの巨匠村田実のおかげ





日本には戦前から外国映画の要素を入れた作品が数多く作られています。たとえば外国の流行を取り入れた作品、悪く言えば日本らしさをほぼ排除、軽視した事実上外国のマネの映画、現代の日本映画においても多数作られています。

たとえば文芸映画、アメリカやイギリスなど欧米中心の多くの文豪がいる外国で爆発的に流行り、日本でも日本流の作家の原作を基にした多く作られていくことになりました。また外国の作家の原作を日本流に置き換えて作る映画も多く作られています。

そのさきがけが巨匠村田実です。まさに羽仁のおかげで是枝がいると同様、彼を知ると黒澤明の評価はだいぶ落ちていきます。左の翼を備えていた、備えられたのは、先人の苦しみや血と汗のおかげなのです。




村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼監督(1930年代デビューの今井正、1940年代デビューの黒澤明どへ多大な影響)とも言われ、1920年代から1930年代にかけて活動、1920年代が全盛期の事実上の日本映画の巨匠の一人、60作近い監督数と20作近い代表的作品(そこそこな本数を残した上に、3本に1本が代表作の高い的中率)を残しています。

映画界に監督、制作、刊行、影響などで、多彩な映画監督の活動の形成に貢献、後のさまざまな映画監督に多大な影響、1936~1937年の日本映画監督協会(日本の映画監督の多彩なj活動と地位向上を目的)の初代理事長、二人目は溝口健二、三人目は小津安二郎です。日本映画の二大巨匠(溝口と小津)よりも先に理事長を務めるほど、映画監督として周囲に認められていた存在でした。

黒澤明は村田の流れを組んでいる監督です。村田実は戦前だったため、時代の早過ぎて外国と縁がありませんでした。実は村田監督らは欧米に自分の代表作の1925年『街の手品師』を売り込んだ有名な話が残されていますが、当時は1920年代であり、欧米は日本に眼中に無く、外国には相手にされませんでした。

戦後になってようやくとはいえ、一部のみですが、相手にされることとなります。それがごく一部の連続出品に選ばれたの日本的映画の溝口健二や外国的映画の黒澤明などのみでした。小津安二郎などのように彼らよりも上の名作を残しても、他の多くの巨匠や名匠たちは出品さえも許されませんでした。


このことを下敷きに羽仁進VS黒澤明へ入ります。






今井正 日本映画監督協会 村田実 街の手品師 溝口健二 小津安二郎 羽仁進 黒澤明








羽仁進の外国ロケの映画 5本








羽仁進の外国ロケの映画 5本
1963年『楽園を求めて』 原題=Paradiso Dell'Uomo  東和映画  製作国:イタリアと日本 ジュリアーノ・トメイ(Giuliano Jomei)と共同監督 外国映画1作目
1965年『ブワナ・トシの歌』  東京映画=昭和映画 日本人によるアフリカ舞台の映画の名作といわれる
1966年『アンデスの花嫁』  東京映画=羽仁プロ 南アメリカのアンデスのオール海外ロケ、主要以外はほぼ現地民を起用 左幸子とのコンビ2作目
1971年『妖精の詩』 原題=Mio 配給=日本ヘラルド映画 製作=日本とフランス  外国映画2作目 フランスロケ
1980年『アフリカ物語』 サンリオ・フィルム 自身の最後の劇映画、アフリカロケの映画




羽仁進の外国ロケの映画は1963年から1980年までの17年にわたって、当時としてはほぼ前例の無い5本にも上ります、まさに真の外国的、先駆的映画監督です。

実は黒澤明の外国ロケの映画はたった1作のみ、ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』(製作=モスフィルム 配給=日本ヘラルド映画、日本映画の公開としては独立映画扱い)だけでしたが、羽仁進は上記の5作の海外ロケ作品、黒澤明の1975年『デルス・ウザーラ』の1本のみ、よりも先に1971年『妖精の詩』を配給=日本ヘラルド映画で公開しています。部分は羽仁進は外国映画の監督をする年数が先という面と、本数で黒澤明を余裕で上回っています。もちろん制作費は『デルス・ウザーラ』のほうが圧倒的にかかっていますが、羽仁のほうが本数と年数の功労的な面でも上だといえるでしょう。





モスフィルム=Mos Film ロシア語はМосфильмはロシアの最大級の映画スタジオ1925年『戦艦ポチョムキン』、1936年『宇宙飛行』1944年『イワン雷帝』などのロシア映画歴代上位とも言える名作を制作

日本ヘラルド映画=1950年代後半から外国映画の配給、邦画の配給や映画製作も少しだけ行った全体的には映画配給会社、外国映画の配給会社として多数のヒットを導くなどの貢献、2006年3月から角川映画に吸収合併されて消滅






妖精の詩 デルス・ウザーラ モスフィルム Mos Film  Мосфильм 戦艦ポチョムキン 宇宙飛行 イワン雷帝 日本ヘラルド映画 角川映画

Paradiso Dell'Uomo  東和映画 ジュリアーノ・トメイ Giuliano Jomei ブワナ・トシの歌 昭和映画 アンデスの花嫁 羽仁プロ Mio サンリオ・フィルム




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外国ロケの映画 5本
1963年『楽園を求めて』 原題=Paradiso Dell'Uomo  東和映画  製作国:イタリアと日本 ジュリアーノ・トメイ(Giuliano Jomei)と共同監督 外国映画1作目
1965年『ブワナ・トシの歌』  東京映画=昭和映画 日本人によるアフリカ舞台の映画の名作といわれる
1966年『アンデスの花嫁』  東京映画=羽仁プロ 南アメリカのアンデスのオール海外ロケ、主要以外はほぼ現地民を起用 左幸子とのコンビ2作目
1980年『アフリカ物語』 サンリオ・フィルム 自身の最後の劇映画、アフリカロケの映画



じつは黒澤明とて外国ロケの映画は1作のみ、ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』(製作=モスフィルム 配給=日本ヘラルド映画だけでしたが、羽仁進は上記の5作の海外ロケ作品、黒澤明の1975年『デルス・ウザーラ』よりも先に1971年『妖精の詩』を配給=日本ヘラルド映画で公開しています。この部分はは羽仁進はある意味で、黒澤明を上回っています。











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ハローキティやマイメロディなどのキャラクターでも知られるサンリオが関与している映画、同時に羽仁監督映画1980年『アフリカ物語』です。







勝負1=外国ロケ映画
羽仁進 5本 1963 楽園を求めて 1965 ブワナ・トシの歌 1966 アンデスの花嫁 1971 妖精の詩 1980 アフリカ物語
黒澤明 1本のみ ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』



5対1で圧倒的に羽仁の勝利


黒澤の1975年『デルス・ウザーラ』よりも前、羽仁は4本の外国ロケ映画を監督している先駆的な要素と一定の評価が同時に存在しています。





勝負2=外国のみの制作映画
羽仁進 0本
黒澤明 1本のみ ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』



これは残念ながらこれは黒澤の勝利です。事実は事実です。認めざる得ません。




勝負3=5対1で圧倒的に羽仁の勝利




日本と外国の共同制作映画
羽仁進 2本
黒澤明 0本のみ ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』




2対1で圧倒的に羽仁の勝利




勝負4=外国ロケの日本製作の外国を舞台にした映画
羽仁進 3本 アフリカロケの1965年『ブワナ・トシの歌』とアンデスロケの1966年『アンデスの花嫁』、アフリカロケ2本目の1980年『アフリカ物語』
黒澤明 0本




3対0で圧倒的に羽仁の勝利



勝負5=どちらが先の外国映画を監督 外国ロケ映画の知名度 マスメディア誇張と12年前が最初の現実を都合よく無視 

羽仁進 日本と共同のイタリア映画の1963年『楽園を求めて』 下記より12年先
黒澤明 ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』 上記より12年後









評価や知名度に問わず、羽仁の5本の外国ロケ映画を撮影しているという事実は評価すべきことだと考えていますし、理屈は黒澤を4本も上回っている明確な事実があります。しかも最初の外国ロケはこの2人限定だと1975年『デルス・ウザーラ』の黒澤よりも、1963年『楽園を求めて』の羽仁の方が12年も先です。これもサブではありますが一つの評価です。羽仁と黒澤は10歳以上の年の差、年齢が若い方が挑戦しやすい、有利に動ける傾向があったにしても、当時の日本映画としては非常に意味があることです。




サンリオ アフリカ物語




勝負6=映画強国対決 日本人監督対決で繰り広げられるロシアVSイタリアとフランス


羽仁進  5本 と共同のイタリア映画の1963年『楽園を求めて』、1971年『妖精の詩』 原題=Mio 配給=日本ヘラルド映画 製作=日本とフランス  外国映画2作目 フランスロケ

黒澤明 1本のみ ロシア映画の1975年『デルス・ウザーラ』 




ロシアより名作が多いフランスとイタリア この時点でわかります。



通算6戦 5対1で圧倒的に羽仁進の勝利に終りました。





黒澤は日本国内で外国的要素の強い時代劇や現代劇の日本映画を監督しましたが、直接な外国制作における外国映画はロシア映画1975年『デルス・ウザーラ』のたった1本だけです。羽仁は日本と共同のイタリア映画の1963年『楽園を求めて』と製作=日本とフランスの1971年『妖精の詩』の2作あります。またロケ作品は1作と5作の4本の大差、現在海外で監督していることはたいしたことではありませんが、当時にこれは映画監督の一つの評価です。海外が一番の評価ではなく、あくまで日本がメインの外国はおまけの評価です。


現在は品質が低く、歴代で名作が少ないロシア映画の監督が1本あるより、歴代で多くの巨匠や名匠の名作が多数有るイタリア映画とフランス映画で、1本ずつの監督数があるほうが一般的に意味がある、各上であるといえます。ロシアで監督しているよりはフランスやイタリアで監督しているほうが価値があるのは映画の基本、この国における評価部分でも羽仁が勝利しています、

日本映画の真実の歴史に詳しい人は直ぐ判ることですが、世界のクロサワは世界のミフネ(三船敏郎)と同様に言葉だけが独り歩きしすぎてしまい、現実はぜんぜん世界ではありません。この2名は世界記録はゼロ、数字的には日本だけでも上位に含まれない、ただ海外賞がどうだとかという偶然の産物と、広告会社と制作会社による海外や日本への植え付けの知名度の押し売りといっておきましょう。


日本には渡辺邦男、マキノ雅弘、牧野省三、松田定次などの世界記録を持つの日本を代表する真の世界的映画監督や片岡千恵蔵や嵐寛寿郎、尾上松之助などの日本を代表する世界記録を多数持つ真の世界的映画俳優がいます。彼らのほうがクロサワ、ミフネよりも上だと考えています。こちらのほうがよっぽど、たとえば世界のマキノです。これも真の世界的です。


知名度やイメージによる定着芸の順位はいくらでも操作できて、通産の数字は嘘がつけません。






銃弾と共に 生かされた命に感謝して [ 牧野省三 ]

マキノ家ほどの映画一家(関与数は省三、雅弘、光雄、国太郎、津川、長門、智子などの上位の合わせだけでも映画数千本)はあのアメリカ映画歴代の大スターヘンリー・フォンダの一家でさえも足元です。世界的にも他に存在していませんが、黒澤や三船クラスの映画人は日本や外国にもたくさんいます。


何故なら映画賞という外国リスペクト作品の偶然の産物ではなく、明確な記録と数字が存在しているからです。

これは当時の映画会社や広告会社の利益を得るためのイメージ定着の企業芸だったわけです。それを今も尻拭いに続けているのが悲しい現実です。羽仁進と黒澤の外国映画の6つの勝負の比較からも別な評価があることがわかります。




楽園を求めて ロシア映画 イタリア映画 フランス映画 ヘンリー・フォンダ 渡辺邦男 三船敏郎 マキノ雅弘牧野省三松田定次 片岡千恵蔵 嵐寛寿郎尾上松之助








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2020/04/15 21:29 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

左翼・前衛!?日本ヌーヴェルヴァーグの全映画監督作品22 映画俳優渦巻く男女の忘却開錠





羽仁進はドキュメンタリーやセミドキュメンタリーで活躍しただけではなく、日本のヌーヴェルヴァーグの一人としての顔もあります。その流れに影響を受けている、結論的に受けてしまったともいえる名匠の忘れ去られた男性俳優と戦前と戦後の代表的に関与した忘れ去られたレジェンド元××女性俳優などに追跡します。


「左翼・前衛!?日本ヌーヴェルヴァーグの全映画監督作品22 映画俳優渦巻く男女の忘却開錠」です。





前回記事⇒セミドキュメンタリー形成巨匠 新型コロナ蔓延から国立映画アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」









高い受信料を長年払わせながら国民無視 NHKへの苦言と日本人を無視した日本の左翼マスメディア






ヌーヴェルヴァーグ=左翼の要素はあるのか、必ずしもイコールではないが、人物によっては強弱のつながりはあるのではないでしょうか。


その前にNHK(日本放送協会)や放送系のマスメディアの基本は左翼路線です。テレビの多くの番組で日本と海外を無理やり関連付けた番組の多さにときどき矛盾を感じさせます。先日、ここは触れませんが、NHKの番組制作における不正がまたしても報道されました。


左翼路線はもちろん全てではありませんが、日本人にほとんど関係ない海外情報をガンガン押し付けてくる現実がある。NHKがラジオ第1で”韓国の芸能番組を日本人向けに放送している”のを聞くと、日本人の高い受信料が受信料払いメインのお年寄りにカンケイのない、日本人の大半が求めていない”韓国の芸能を紹介する番組”に使われているわけですから、非常におかしいのではないかと感じます。

またNHKはお年寄りを無視した地上派やBSも含めてですがアニメ関連を異常に強化していますし、NHK深夜便の映画音楽の時間帯で流れている映画のj曲のほとんどが外国映画の曲です。放送局として大きな問題があり、異常な偏りがあります。

大河ドラマは、時代物や時代劇物の場合はせめてきちんとした良き、後世にきちんと残すべき、残さなくてはいけない”時代劇俳優の演技”を最低限はさせてほしい、誰も昔の戦前からの時代劇の大スターのようにきちんとやれとは言わない、時代も違うからナンセンスです。ですが、最低限はやらせて残すことは当たり前だからです。若い視聴者はこの時代劇俳優の演技さえもわからなくなってきている、非常に由々しき事態が存在しています。個人的にはNHK、大手スポンサーたちや電波各社がちゃんとやらせてこなかったことが悪いと考えています。



人数や資金だけをかけていて見ごたえがない、まさに今の日本の芸能の縮図、ある程度な演技が要求される場で若手女優のセリフが棒読みなのは観苦しいです。沢尻エリカなら演技はもう少しは良いとは思いますが、彼女はさすがに麻薬の犯罪者なので出演さえも皆無です。NHKは棒読みや演技をさせないことさえも、外国や今を理由にするのでしょうか。


さらに日本の映画音楽(歌なしの劇中曲)も名曲がたくさんあるのに流さない、これは非常におかしい。サントラがないなら映画から抽出すべきことです。個人的には東映の時代劇映画の音楽(国民にもっとも大衆的な観客動員と支持を得て名曲多数だが何故か流さない、流れても都合が良い松竹と東宝寄りの矛盾)をやるべきだと考えています。


NHKは”大半の国民から高額の受信料を集め、大衆向けの放送局でありながらこれに反し、もっとも重要で重大な大衆や万民を無視”している。







ヌーヴェルヴァーグ 日本放送協会 韓国の芸能を紹介する番組 NHKの番組制作における不正 左翼 大河ドラマ NHKラジオ深夜便 ラジオ・パーソナリティ 時代劇俳優の演技 沢尻エリカ







映画賞を獲る路線の事実上の時代ごとのヌーヴェルヴァーグたち






つながりが無くはないため、NHKに触れましたが、全てを忘れて本題です。


羽仁進のほかにも、1960年代の若手監督の大島渚や吉田喜重、篠田正浩などと同時期に日本ヌーヴェルヴァーグの担い手の一人としても評価を受けています。ヌーヴェルヴァーグは基本的に左翼と前衛の要素も含んでいたといえるでしょう。それまでは自国に求められていないものを定着させる先駆になるためです。



当時は黄金期だったフランス映画の現状(当時は若手の現在の巨匠のジャン=リュック・ゴダールなどの台頭)などにかけて、ヌーヴェルヴァーグの新しい波を意味し、前衛的なそれまでの映画にない、新しい価値をもたらす映画監督の意味、ちなみにこのヌーヴェルヴァーグという言葉が生まれる前の日本映画も、戦前からこのヌーヴェルヴァーグや前衛路線(一部に左翼要素)に該当する監督たちが基本的に映画賞を受賞してきました。戦前や日本映画黄金期は映画賞は少ないながらもです。



たとえば1910年代から1920年代を中心に活躍した日本映画の父の牧野省三、1920年代からの伊藤大輔、小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二、内田吐夢やマキノ雅弘、稲垣浩、衣笠貞之助、村田実、伊丹万作、清水宏など数多くの戦前デビューの巨匠たち、

今井正(1930年代デビューの左翼映画監督の名匠、トップ数のキネマ旬報ベストテンランクイン)と黒澤明(戦中デビュー、左翼的の海外映画と日本映画の融合路線、日本人で日本の外国映画の監督が全般)などの数多くの名匠たちもある意味では新しい価値を生み出した人物たち、後から振り返ると一時的にはこれに該当するでしょう。1960年代頃まではヌーヴェルヴァーグという言葉がなかっただけ、また1960年代を中心に使われただけです。


清水宏は1930~40年代の代表作のいくつかで、流れるように押し付けない自然な映像や演技を展開させ、戦前に素人を起用するなど、明確な作風的のヌーヴェルヴァーグの先駆とも言われ、外国のジャン=リュック・ゴダールなどよりも、20年近く先にこれを行ったため、日本や外国的な再評価もされていますが、清水宏のときは先駆なだけで、時代が早すぎた理由も重なり、映画界へ定着はしませんでした。

ヌーヴェルヴァーグという概念に前と後は、アイドルという言葉が無い頃と定着後の現代、時代劇という概念の言葉の定着前の1920年代頃と定着後の1930年代以降とも通じます。




嘘だと思うでしょうが、今井正は某WIKIにも左翼映画監督と掲載されています。これも個人的な意見ではありません。個人的にも特にいくつかの作品で、現実に今井監督の内容が日本舞台の外国的映画だと感じています。黒澤明(外国はロシア映画1作)もほぼ同様です。それゆえに”良き日本映画を崩壊させた”とも言われる場合があります。









大島渚 吉田喜重 篠田正浩 フランス映画 今井正 黒澤明 リュック・ゴダール 清水宏 左翼映画監督 キネマ旬報ベストテン






羽仁進の確認できる大まかな監督作品や代表作品





羽仁進という監督は日本のドキュメンタリー映画やセミドキュメンタリー映画、ヌーヴェルヴァーグ(どちらかといえば娯楽映画と反する前衛路線)でも活躍しましたが、確認できる全22作の全てがワケあり作品とも言える独特な濃厚さと個性、多様さに溢れています。ですがほぼ全体に共通するのがドキュメンタリー要素です。また本数は22(今村昌平よりは多いが日本最下位に近い)と非常に少ないですが、質が高い作品の比率が多く、日本のドキュメンタリー映画やセミドキュメンタリー映画の事実上の巨匠です。


あえて挙げるとピンキーとキラーズの日本のボサ・ノヴァバンドなどの歌手系が多数出演し、娯楽要素が強く、歌などのミュージカル要素の1970年『恋の大冒険』 がもっともドキュメンタリー要素が薄い作品だといえます。




羽仁進の確認できる全映画監督作品22本
1952 『生活と水』 岩波映画 生活用水にユーモアで迫るデビュー作、PR映画
1955 『教室の子供たち』 岩波映画 配給=日活 劇場映画のデビュー作、教育ドキュメンタリー映画の1作目の名作
1956 『絵を描く子供たち』  岩波映画 配給=日活 教育ドキュメンタリー映画
1956 『双生児学級』  岩波映画 配給=日活 双子の謎に迫るドキュメンタリー 初カラー作品
1957 『動物園日記』  岩波映画 配給=日活 自身の動物要素のドキュメンタリーの1作目

1958 『海は生きている』  岩波映画 配給=日活 海洋ドキュメンタリー
1958 『法隆寺』 岩波映画 法隆寺の至宝に迫るドキュメンタリーの名作
1961 『不良少年』  岩波映画 配給=新東宝 劇映画の1作目、素人俳優を起用 初のセミドキュメンタリー
1962 『充たされた生活』  松竹大船 大手映画会社の第1作目にして唯一作品のセミドキュメンタリー
1963 『彼女と彼』  岩波映画 後の妻の名女優の左幸子とのコンビ1作目 セミドキュメンタリーの名作
10
1963 『楽園を求めて』 原題=Paradiso Dell'Uomo  東和映画  製作国=イタリアと日本 ジュリアーノ・トメイ(Giuliano Jomei)と共同監督 自身の外国映画1作目 ドキュメンタリー要素
1964 『手をつなぐ子ら』  昭和映画 配給=大映 監督の稲垣浩と脚本の伊丹万作、撮影の宮川一夫による教育現代劇映画の名作『手をつなぐ子等』(1948)のリメイク 教育セミドキュメンタリー
1965 『ブワナ・トシの歌』  東京映画=昭和映画 配給=東宝 日本人によるアフリカ舞台の映画の最初の名作  ドキュメンタリー要素
1966 『アンデスの花嫁』  東京映画=羽仁プロ  配給=東宝 オール海外ロケ、主要以外はほぼ現地民を起用 左幸子とのコンビ2作目  ドキュメンタリー要素
1968 『初恋 地獄篇』  羽仁プロ=ATG  ATG映画史上の記録的なヒット 共同脚本は寺山修司の高評価作  ドキュメンタリー要素
15
1969 『愛奴』  創映プロ 配給=松竹 幻想と官能 独自な世界観を形成の自身上位のレア作品 
1970 『恋の大冒険』  オールスタッフプロ=テアトルプロ  配給=東宝 歌や動きのミュージカル要素  ドキュメンタリー要素
1971 『妖精の詩』 原題=Mio 配給=日本ヘラルド映画 製作=日本とフランス  外国映画2作目 自身の長女が主演  ドキュメンタリー要素
1972 『午前中の時間割り』  羽仁プロ=ATG ATG映画最後の作品 個性的な青春群像劇 セミドキュメンタリー
1980 『アフリカ物語』  サンリオ・フィルム 自身の最後の劇映画、同時にセミドキュメンタリー、アフリカ舞台の映画と動物要素
20
1982 『予言(1982)』  被爆の記録を送る会 終戦日8.15公開の反核の中編ドキュメンタリー 42分
1983 『歴史 核狂乱の時代』  被爆の記録を送る会  『予言(1982)』 の流れを組んだ反核の長編ドキュメンタリー 116分 
22





前回記事に載せていませんが、そこまで大きくない賞も受賞しています。『アフリカ物語』は山路ふみ子賞を受賞。多様な教育・文化・福祉へ貢献する映画作品というのが理由でしょう。でもこれは外国が舞台で、簡単には理解できない受賞理由です。

山路ふみ子は戦前の名女優の一人で、1930年代がピークの女優(代表作はほぼ30年代)、新興キネマ(後の大映、現・角川映画)の現代劇映画を中心に活動、多くの映画代表作はありませんが、戦後は元広告モデルや元映画女優の知名度を武器に、事業家に転身して教育・文化・福祉事業への貢献を幅広く行って、当時は少ない女性の社会進出に貢献、自分を育てた映画界へも恩返ししたい想いからこの映画賞を作りました。


受賞と関係ない作品においても、動物園を舞台にした傑作『動物園日記』や当時先駆的なアフリカロケの『ブワナ・トシの歌』などの秀作や名作、『初恋 地獄篇』=カンヌ国際映画祭特別招待作品と日本の独立系の映画会社として大きな足跡を残したATG映画史上上位のヒット、のちの大林宣彦などの後輩の映画監督たちへの影響を与えている16ミリや35ミリ撮影作品などの秀作への挑戦など、個性的で攻めたの多数の意味のある作品を残しました。




DVD/初恋・地獄篇(HDニューマスター版) (廉価版)/邦画/KIBF-4554

1968年の自身の代表作の一つ『初恋 地獄篇』 、見えるところが見えていますが、これはあくまで芸術のアートです。エロスではなく問題はありません。初恋は精神的な気持ちのやり場もわからずに慣れていないための地獄です。


映画にも本数を積む功労的な監督の評価も存在しますが、彼は22本中の半分以上が代表的な作品という、非常に高い的中率の高さも評価されています。






アフリカ物語 山路ふみ子賞 初恋 地獄篇 ATG 動物園日記 ブワナ・トシの歌 16ミリ映画 35ミリ映画 山路ふみ子 新興キネマ ドキュメンタリー映画 セミドキュメンタリー映画 寺山修司

ピンキーとキラーズ 日本のボサ・ノヴァバンド 大林宣彦 恋の大冒険 Mio









羽仁進大林宣彦のつながりは明確な知られざる撮影者にもあり






1966『アンデスの花嫁』は名女優の左幸子をアンデスの花嫁として描いた作品で2019年に日本映画専門チャンネルで放送されました。アンデス山脈の自然とそこに暮らす日本人と現地民、インカ帝国も絡んできます。左幸子という実力派女優、i一級のプロ俳優を素人風に使うなど、これまでの『教室の子供たち』などのドキュメンタリー映画監督としての経験や、セミドキュメンタリーの名作1961年『不良少年や1963年『彼女と彼』などの流れと海外様子をくわえた異色な内容です。

撮影の長野重一は、市川崑が総監督を務めた大ヒットドキュメンタリー映画1965『東京オリンピック』(撮影は林田重男、宮川一夫、長野重一、中村謹司、田中正の5名)の1人、羽仁とも縁は、1962年『充たされた生活』、1963年『彼女と彼』、1964年『手をつなぐ子ら』の撮影も担当しています。この1966『アンデスの花嫁』を含めると4作です。



日本映画専門チャンネル=東宝映画、フジテレビのドラマなどの番組、過去の大映映画(現カドカワも含む)を中心とした映画チャンネル、独立系も数は少ないが放送、日本映画専門チャンネルというチャンネル名には長年にわたり非常に問題と疑問、これ以外にも日本映画の会社やチャンネルはあるからである。最近は、韓国映画を日本映画専門のチャンネルの名称に反して、平気で放送するという暴挙に出た行為が記憶に新しい、ヤクザなチャンネル名称や問い合わせに問題を感じてだろうか、数はわずかに東映映画の現代劇のみののレンタル放送を行う。このチャンネルの中心は映画会社2社のみであり、半数の50パーセントにも満たなく、正確には日本映画専門のチャンネルではありません。




実は長野重一は、大林宣彦の『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(配給=アートリンク)も撮影しています。大林宣彦は羽仁が影響を与えた監督の一人、大林は初期に16ミリや35ミリ撮影作品を多く制作、これは日本だと羽仁が先駆的に行った路線、大林はこれをアマからプロ監督への足がかりにつなげています。現実に長野重一は羽仁のあとに大林の映画の撮影を担当し、二人の間をつないでいます。明確ではありませんが、これは羽仁へのリスペクトから長野を自作に起用した可能性も指摘されます。






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少し反れますが、大林宣彦は自分のCS番組「大林宣彦のいつかみた映画館」で映画『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』に出演した日本映画に大きく貢献した名優の水島道太郎(読み・みずしまみちたろう 映画出演1925~1990、単独主演50弱、相手役含めると主演100作強、映画出演数300作近く、歴代でも助演と主演(主演が女優の場合の相手役を含む)で100以上の記録、現代劇と時代劇のそれぞれで100作ほどの映画出演は歴代でも稀な名優です。


基本的な映画俳優は現代劇か時代劇の片方に偏るのが基本だったため)に関しても何度か話しています。戦前からの名優は自分からエピソードや経験を未来へ残す概念がなかったため、数少ないこの名優の証言です。








日本映画専門チャンネル 左幸子 教室の子供たち 彼女と彼 市川崑 東京オリンピック 宮川一夫 アートリンク 長野重一 大林宣彦のいつかみた映画館 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 水島道太郎








忘れ去られた稀な名優 映画名優水島道太郎の忘却開錠





忠臣蔵や次郎長などの歴代上位の国民的映画有名題材、観客動員上位、時代劇と現代劇、オールスター映画、共演した数多くの名優たち、代表的作品だけでも、先輩(片岡千恵蔵など)や後輩(鶴田浩二、高倉健、藤純子など)の共演者にも恵まれています。また巨匠のマキノ雅弘との縁も彼の履歴をさらに引き伸ばしています。




水島道太郎の主な映画代表作

主演の代表上位作品
1942『新雪』(月丘夢路と主演)、1947『地獄の顔』、1952『上海帰りのリル』と1952『風の噂のリル』、1956「丹下左膳3部作」、

相手役
1948『肉体の門(1948)』(轟夕起子の相手役) 

*そこそこ知られる肉体の門の最初の映像化で、吉本興業も制作に関与


助演で出演した有名作
1937『忠臣蔵(1937)』(大都オールスター映画、大石内蔵助=阿部九州男)、1942『独眼龍政宗』(伊達政宗=片岡千恵蔵)、1950『氷柱の美女』(明智小五郎=岡譲二)、1953『ハワイの夜』(鶴田浩二)、1954『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』と1954『次郎長三国志 第九部 荒神山』(清水次郎長=小堀明男)

1954『忠臣蔵 花の巻、雪の巻』(松竹オールスター映画、大石内蔵助=松本幸四郎、のちの初代松本白鸚)、1963『人生劇場 飛車角』(鶴田浩二)、1963『十三人の刺客(1963)』(東映オールスター、片岡千恵蔵)、1965~1967「昭和残侠伝シリーズ」 に3作(高倉健)、1967~1969「日本侠客伝シリーズ」(高倉健)へ2作、

1968~1972「網走番外地シリーズ」に3作(高倉健)、1970~1971「博奕打ちシリーズ」へ2作(鶴田浩二)、日本女侠伝シリーズ(藤純子=現・富司純子)、1972『関東緋桜一家』(東映オールスター、藤純子)、1973『山口組三代目』と1974『三代目襲名』(高倉健)




助演の代表作は特徴的で2つに分けられるともいえ、1963『十三人の刺客(1963)』まで時代劇映画がほとんどを占め、特に1960年代からはほとんどの代表作が東映の任侠ややくざ物の現代劇映画の代表作の印象が目立ちます。






片岡千恵蔵
 鶴田浩二 高倉健 藤純子 新雪 月丘夢路 阿部九州男 独眼龍政宗 次郎長三国志 網走番外地シリーズ 博奕打ちシリーズ 日本女侠伝シリーズ 十三人の刺客 吉本興業 轟夕起子








映画俳優の渦巻く男女の忘却開錠 元××女優のレジェンド






水島道太郎の主演映画の数少ない商品化作品1942『新雪』です。


月丘夢路は、マキノ雅弘が日活で戦後で監督した数少ない時代劇映画、「丹下左膳3部作」に脇役ですが、1942『新雪』で共演した水島道太郎と久々に共演(互いの代表的なものという意味で)しています。




新雪 【DVD】

j監督は巨匠五所平之助、彼が巨匠だということさえも知らない映画ファンも今は多いかと思いますが、これはただ単にマスメディアが日本映画の真実を幅広く伝えないためです。上記パッケージの表記に水島道太郎が無く、月丘夢路の名前のみなのが、非常に悲しい。

月丘夢路元宝塚女優として、同元女優の中、1940年から映画で最初に映像路線で明確に活躍した女優(現在は出演のみで活躍の様に平気でマスコミが嘘をつくが、当然ながら出演のみは活躍に含まない)、ヒロイン数は同元女優歴代最多の85作ほど、メインキャストが多い元宝塚女優の映画出演数として歴代最多の160作近くに及びます。主演でも代表作はありますが、助演の代表作があります。

現代劇(新雪、晩春、旅路、君の名は3部作、「家族会議 東京篇、大阪篇」など)と時代劇(高田浩吉の伝七捕物帳シリーズ3作、水島道太郎の丹下左膳3部作、松竹の「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」など)で活躍した元宝塚女優のレジェンドです。日本アカデミー賞は個人的にはあまり評価していませんが、月丘は2011年に功労賞を受賞しています。





マキノ雅弘 元宝塚女優 日本アカデミー賞




2020.4.7公開のウラブログ記事
歴代日本映画史を揺る覆す謎のポスター登場







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2020/04/01 22:28 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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