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村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ


村田実から黒澤明へ大尊敬ホント理由 ロシア文豪&ロシア映画の壮絶左バディ」



左の翼という面でも同じ共通点を持つ、悪くいうと”外国かぶれ”ともいえる
村田実黒澤明のつながりについて更に迫ります。

前回記事にも登場していますが、ご存じない方もいるかもしれませんが、黒澤は村田を尊敬していました。
大きくいえば、何故なら、”自分が彼のおかげで存在できている”からに他なりません。

ご存知な方も多いかと思いますが、村田実黒澤明は外国的な日本映画(外国の影響(事実上の真似)が強く、外国風な雰囲気や演技、描写などの日本らしさが5割以下の弱めな映画)を多く監督しただけではなく、作品を通じた明確なつながりも存在しており、今記事はそのいくつかに迫ります。まさに壮絶左バディです。





前回記事⇒数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆





村田実 黒澤明






共産主義国家ロシアつながりの2名の左の翼








両名の一つのつながりといえば、村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』と黒澤明の1975年『デルス・ウザーラ』です。
この2作は監督の個性でもつながりがあるだけではなく、ロシア映画やロシア文豪でつながっています。



『路上の霊魂』はロシアを代表する文豪のマクシム・ゴーリキー(1868~1936、1902年の『どん底』がもっとも有名、ポケモンのゴーリキーと同名と、コロナでゆかりのある旅館の閉店が決まっている、森鴎外も和訳したドイツの文豪のヴェルヘルム・シュミットボン(1876~1952、1901年の『町の子』 がもっとも有名)の原作を組み合わせたといわれています。ここでロシアの文豪のマクシム・ゴーリキーガ登場します。さらに『デルス・ウザーラ』はロシアの映画会社で制作された日本人監督によるロシア映画です。二つに共通するのが共通するのがまさにロシアです。

また黒澤は1951年の『白痴』(黒澤が専属の東宝から松竹に出向して監督)はロシアの文豪のフョードル・ドストエフスキーの原作 『白痴』(1868年)でロシアとのつながりがもう1作存在します。

これはロシアを日本人や日本を舞台へいじくって映画にした作品です。単なる個人的レベルですが、黒澤の全31の監督作の中でもっとも評価している作品の一つが1951年の『白痴』です。精神的な障害を持ち、不思議な雰囲気を持つ白痴の青年を中心に、二人の性格と雰囲気の異なる女の間で揺れ動く、また男らしい友人を中心にした若者の喜怒哀楽を独特に描く群像劇です。

日本映画や外国映画に非常によくある内容ですが、実に上手に外国的な要素を随所に定着させています。監督は4時間以上(4時間25分)の公開を求めていましたが、松竹側が長すぎて観客側を無視していると許さず、分数を大幅にカットされて公開した完成版166分(2時間46分)です。長すぎても制作側の自己満足になるためです。


白痴=重度の知的障害を指すことが基本的です。




実は村田実の1930『この太陽 第一篇』 、1930『この太陽 第二 多美枝の巻』、1930『この太陽 第三篇』も若者の青春群像劇です。これは偶然なのでしょうか。1951年の『白痴』と映画内容の多くにつながりがあります。この太陽は時代小説「丹下左膳」が大きな代表作の”林不忘の別名義の牧逸馬”による原作、林不忘が外国作家の影響を受けた明確な理由は不明ですが、戦前の当時の現代小説は今以上に外国小説の影響が大きく、結果として関連している風に思えます。

林不忘は作家の時点ですでに文豪だったフョードル・ドストエフスキーの『白痴』を読んでいることは基本です。影響を受けていても自分の作品に傷が付きかねないため、影響と認めない影響が存在しています。






【中古】キネマ旬報別冊/昭和33年11月号日本映画代表シナリオ全集 6キネマ旬報社

この「キネマ旬報別冊/昭和33年11月号日本映画代表シナリオ全集 6」に村田実の初期の代表作1921年『路上の霊魂』のシナリオが掲載されています。写真は偶然でしょうか、黒澤の実の師匠(助監督として1939『忠臣蔵 後篇』などに付いて映画を学んだ)の山本嘉次郎の代表作の一つの1941年の『馬(1941)』のシナリオの写真です。黒澤明自身も製作主任としてこの『馬(1941)』に参加しています。

1921年『路上の霊魂』は現存する松竹映画であり、CS放送(松竹が運営している衛星劇場や東映の東映チャンネル)などで何度か放送されていますが、作品そのものが商品化されていないのが残念です。




路上の霊魂 デルス・ウザーラ どん底 森鴎外 ヴェルヘルム・シュミットボン 町の子 

重度の知的障害 この太陽 第一篇 丹下左膳 牧逸馬 林不忘 フョードル・ドストエフスキー
 
外国かぶれ


山本嘉次郎 製作主任 衛星劇場 東映チャンネル






『白痴』と「この太陽」3部作の意外な配役俳優の共通点や系図





『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメインキャスト
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメインキャスト


役柄に白痴は存在しないものに、配役も「この太陽」3部作に似ている。
2つの上位キャスト4名が男2女2の同じ組み合わせの4名、さらに両方の4名ともが全て名優である。

映画『白痴』(原作は別問題として)のメインキャストは「この太陽」3部作のメインキャストの影響を意図して真似たかは断言できませんが、意図せず結果的に受けていたといえます。


また、考え方のもよりますが、
起用した俳優も結論として、系図になっていることに驚かされるこの2作の共通点です。




「この太陽」3部作と『白痴』の2作における系図

小杉勇,⇒三船敏郎
島耕二⇒森雅之
入江たか子⇒原節子、久我美子


『白痴』は森雅之、原節子、久我美子、三船敏郎がメイン
「この太陽」3部作は小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン




『白痴』の当時のポスターには三船はメインから除外されています。あくまで森雅之、原節子、久我美子の三角関係だという扱いですが、個人的にはメインの一人の無論の4番手だという評価です。







歴代上位映画俳優系図 三船の系図の影に千恵蔵とバンツマから小杉勇






若いときの戦前の主演全盛の小杉勇と戦後デビューの三船敏郎は男らしさを押し出した役柄が多く、現代劇のみの路線としては近い部分があります。『白痴』以外の系図の部分に触れますと、三船敏郎は全般と時代劇における面だと、先生より上の歴代数少ない御大俳優といわれた片岡千恵蔵の一面も影響(三船は宮本武蔵、新撰組の近藤勇、忠臣蔵映画の俵星玄馬=俵星玄蕃など多数のリメイク)もありますが、俳優の路線全体は特にバンツマこと阪東妻三郎の系図の俳優(三船は無法松の一生などのリメイク)に当たるとも考えています。黒澤と喪つながりがある、三船が2020年が生誕100年ということで少し触れていきましょう。





【中古】 俺は待ってるぜ /石原裕次郎,蔵原惟繕(監督),石原慎太郎(脚本),北原三枝,二谷英明,小杉勇,杉浦直樹,草薙幸二郎 【中古】afb


小杉勇というと晩年の1950年代後半の”映画監督兼助演俳優時代”に日活や東映の大ヒット映画に助演俳優として出演しました。当時のみを観ている方々、特に70~80歳の世代には石原裕次郎の日活の現代劇映画の印象も強いことでしょう。石原裕次郎の1956年のブレイクから2年目の1957年『俺は待ってるぜ』は主演に近い助演の役柄で出演しており、出演俳優の中でもっとも実積があるのが小杉勇です。





バンツマと三船は、互いに通産の出演映画の役柄において弱さをあまり見せない男らしさ、男気を押し出した俳優です。現実にいくつかのリメイクがいくつかあります。実は作品や役柄の影響はテレビを含めると忠臣蔵の大石内蔵助(連続ドラマの大忠臣蔵で演じている)や大久保彦左衛門(東映の1時間ドラマで田中美佐子と共演し演じている)もあるため、片岡千恵蔵の影響のほうが多いわけですが、

千恵蔵は男気、自分の生き様を貫く役柄の演技だけではなく、明朗演技、ナンセンス演技(喜劇的演技)でも多彩に深く当たった歴代稀な映画俳優、三船は残念ながら多彩さは乏しく薄く、同じ演技が定着した世の中にもっとも多い一方向系演技の俳優、俳優の系図は阪東妻三郎と通じています。バンツマも多彩に挑戦はしたのですが、基本は一方向を抜け出せずに定着はしませんでした。


小杉勇は晩年の戦後は助演の演技派として活躍したため、晩年の2人は異なります。三船はデビュー時から晩年まで演技の路線は同じでした。島耕二はときどき愁い弱さのある青年さを押し出した二枚目役が多く、『白痴』の森雅之の白痴の青年の主人公とつながりがあります。


原節子、久我美子は入江たか子の流れを受けた系図の俳優とも言われます。清純派の概念を定着させたのが入江たか子だからです。香川京子、吉永小百合など多数、今でいうと20~30代の若い層に人気がある新垣結衣なども、この流れに当てはまります。

『白痴』の久我美子は金持ち令嬢、辛く当たりながらも優しさもある品格のある美人女性として描かれ、『白痴』の原節子は奇怪な考えの謎の女、異常な風格を持つ魔性の女として描かれていますが、彼女らの全般は清純系です。原節子の全般的な印象の清掃さと優しさと異なるイメージの役柄を演じているといえます。彼女の視聴可能な映画の中でも非常に異質な役柄です。







「この太陽」3部作 三船敏郎 宮本武蔵 片岡千恵蔵 阪東妻三郎 バンツマ
 
新選組 近藤勇 忠臣蔵 俵星玄馬 俵星玄蕃 系図の俳優 無法松の一生

石原裕次郎 俺は待ってるぜ 大石内蔵助 大久保彦左衛門 田中美佐子

森雅之 夏川静江 小杉勇 島耕二 入江たか子 久我美子 原節子











3名の俵星玄蕃 三波春夫のと千恵蔵と三船の三槍







俵星玄蕃は、映画の有名どころのみだと、三船敏郎が東宝の1962年の『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』の助演で演じていますが、片岡千恵蔵が1959年の東映時代劇映画『血槍無双』の主演で演じています。



定番ベスト シングル::元禄名槍譜 俵星玄蕃/豪商一代 紀伊国屋文左衛門 [ 三波春夫 ]

俵星玄蕃は歌だと名歌手の三波春夫が有名です。




以前記事で取り上げた100年を越すミニシアター映画館の北海道の大黒座に公開当時の子供たちの長い行列写真に収められている作品です。作品も素晴らしいですが、『血槍無双』のオープニングの東映社名の前奏曲部分は特に素晴らしい曲の入りで、印象に残ります。

ご存じない方もいるかもしれませんが、三船は宮本武蔵以外にも千恵蔵の演じた役を後追いで多数演じています。宮本武蔵を映画=映像作品で最初に代表的役柄にしたのは千恵蔵です。三船はあくまで2番目(3番目は中村錦之助=萬屋錦之介)なのです。三船の俳優の個性における系図はバンツマほうが強いと考えられますが、題材的な系図は千恵蔵のほうがバンツマよりも大きく影響を受けているといえます。

俵星玄蕃は、テレビドラマだと1969年の東映時代劇『あゝ忠臣蔵』で長門勇が演じています。これが特に印象に残るもので、3つとも視聴可能な作品です。『血槍無双』はCS放送の東映チャンネルのHD画質で何度か放送されています。



 
忠臣蔵 花の巻 雪の巻
 血槍無双 あゝ忠臣蔵 長門勇 中村錦之助 萬屋錦之介 大黒座





三波春夫の忠臣蔵歌謡の名曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」









三波春夫の代表曲の一つがいわゆる忠臣蔵歌謡(事実上の忠臣蔵題材の演歌)と題されるジャンルの「元禄名槍譜 俵星玄蕃」です。槍に生き、赤穂浪士に共鳴した赤穂義士の天下一代男(唯一無二の男)の意気と人情、心の清さ、生き様を歌い上げた日本史上の名曲です。


血槍無双 [VHS]

自身の浪曲時代の技を駆使した洗練された歌唱具合としゃべり口の独自個性、共感性の三無双、日本人とは何かを考えさせられます。






動画名は「三波春夫 〜元禄名槍譜 俵星玄蕃〜」です。ラジオ番組のNHKのラジオ深夜便の歌のコーナーでも何度も流れています。歌謡曲の中でも数少ない異例の9分ほどの分数、NHK紅白歌合戦でも数度披露しています。動画のコメント陣は泣いています。10代~30代の彼の全盛期を知らない若い客層にも聞いていただきい名曲です。



三波春夫 忠臣蔵歌謡 元禄名槍譜 俵星玄蕃 赤穂義士 NHK紅白歌合戦 ラジオ深夜便




「元禄名槍譜 俵星玄蕃」と同様、映画も歌も同様に年代や時代はカンケイがありません。ただ多少な知識や見聞(映画視聴者としてのレベル、経験値)があると過去はもちろん、現代、未来の映画も理解度が高まります。



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2020/05/15 19:26 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆



数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆





世の中に多くの巨匠や名匠は数多いが、一国における真の多彩なる世界的な巨匠とはマキノ雅弘牧野省三、外国だと特にフランスのジョルジュ・メリエス、そして彼のことをいうのではないだろうか。




前回記事=左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末





マキノ雅弘


マキノ雅弘 牧野省三の長男、日本初の映像名子役で子役から青年俳優までに170以上(200以上とも)の映画に俳優で出演、尾上松之助と50以上で共演、数え年22歳までの映画最多出演、日本の娯楽映画路線歴代でトップ監督ともいわれる。

監督数280弱、映画代表作は渡辺邦男、松田定次と競う世界上位の70以上を記録、渡辺邦男と並ぶ映画会社大手5社(関与順でマキノ、日活、松竹、東宝、東映)で映画監督10本以上を記録、マキノ、日活、東映の大手3社で50本を記録(渡辺邦男の改修版を含むとタイ記録だが、含まないと最多j記録)、

俳優、監督、製作=プロデューサー、録音の4役で100に到達と多数の代表作、一国における世界最多タイを記録、日本最多の20名以上の中規模以上の映画スターの代表作を監督、稀な戦前と戦後の二つの時代で歴代上位の活躍



牧野省三


牧野省三 日本初の映画巨匠や日本初の映画大製作者=プロデューサー、日本映像芸能の父。日本初の大映画スター、世界映画最多映画主演数の950、出演数世界最多の1000強を記録の尾上松之助と、映画500作以上のコンビを形成、世界最多の監督と俳優のコンビ数 一国としては世界最多の巨匠10以上、映画スター10以上を輩出 名映画人は30以上、映画数はジョルジュ・メリエスと競う世界最多級の監督数500作以上 

”世界歴代ナンバーワンの映画一家”、マキノの祖として「牧野家」を形成、映画一家としては世界最多の映画2500以上(複数役職を含む)を記録 剣戟、忍術(特撮映画)、忠臣蔵、水戸黄門、怪談、国定忠治、清水の次郎長まどの軽く50を越す日本映画ジャンル(ほぼ時代劇)の開拓、長男のマキノ雅弘を含む時代劇四大巨匠(4名に関与)や時代劇六大スターなど(6名に関与、6名の一人の長谷川一夫も衣笠貞之助を通じて大関与)へ流れを託す



ジョルジュ・メリエス


ジョルジュ・メリエス 事実上の世界初の映画巨匠、映画を生み出したフランス映画最初の巨匠、映画人が成功するという概念を形成 監督数500以上 一定の本数と成功という面では世界初の映画俳優、世界初の映画巨匠 SF、ホラー、大作など10を越す映画ジャンルの開拓と定着、晩年に関与していたマルセル・カルネ、ルネ・クレールなどのフランスビック5(フランス5大巨匠)にフランス映画を託す





マキノ雅弘 牧野省三 尾上松之助 渡辺邦男 松田定次 ジョルジュ・メリエス 

世界歴代ナンバーワンの映画一家 牧野家 時代劇四大巨匠 時代劇六大スター 長谷川一夫 衣笠貞之助

世界初の映画巨匠 マルセル・カルネ フランスビック5 フランス5大巨匠 ルネ・クレール







村田実





村田実 1920年代が全盛期の日本映画の巨匠の一人、映画界に監督、制作、刊行、影響などで、多彩な映画監督の活動の形成に貢献、後のさまざまな映画監督に多大な影響、1936~1937年の日本映画監督協会(日本の映画監督の多彩な活動と地位向上を目的)の初代理事長、二人目は溝口健二、三人目は小津安二郎、四人目は五所平之助が就任、

1920年代から1930年代にかけての日本映画で映画賞自体がわずかな時期に、文芸映画の多くで受賞歴、力強さのある日活の男性現代劇映画に大きな足跡を残し、後の東映(日活⇒大映の千恵蔵一派が事実上中心に形成した映画会社)の片岡千恵蔵、高倉健、鶴田浩二、菅原文太(主な東映の現代劇映画四大俳優、千恵蔵は同時に時代劇を代表する俳優でもある)の男性映画、

また戦後の日活の石原裕次郎、小林旭の男性映画にも大きな影響、主役の強い男性映画へつながる現代劇の原型にも制作面で関与、悲哀のある松竹男性映画形成の巨匠牛原虚彦とは長年のライバルでもあり、現代劇が中心に通産映画監督数56(60弱)を監督、代表作は18作、(20作近くを記録しました。


村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼監督(のちの今井正、黒澤明どへ多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳(43歳が正確)の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。




村田実 日本映画監督協会 溝口健二 小津安二郎 五所平之助 

片岡千恵蔵 高倉健 鶴田浩二 菅原文太 東映の現代劇映画四大俳優 男性映画

石原裕次郎 小林旭 牛原虚彦




村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼的監督(のちの今井正、黒澤明など膨大な人数、多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも非常に大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。



今井正 黒澤明







村田実の主な映画監督の代表作





新派要素、反戦、文芸、大作、前衛、外国原作、競作、受賞作品など、実に幅広い代表的作品群を残しています。




村田実の主な映画監督の代表作
1921『路上の霊魂』  松竹キネマ研究所
小山内薫 新派の重鎮の小山内薫を起用、ロシアの文豪のゴーリキー、ドイツのシュミットボンの原作をいじくった日本映画の初期の前衛名作
1924『清作の妻(1924)』  日活京都第二部
葛木香一、浦辺粂子 日本最初の反戦映画とされ、評論家の高い評価を得た  
1924『金色夜叉(1924)』  日活京都第二部
通算20度近く映画化の尾崎紅葉原作の超有名題材 鈴木傳明 浦辺粂子 
1925『街の手品師』  日活京都第二部  
近藤伊与吉、岡田嘉子 「大正14年度朝日新聞最優秀映画」受賞、日本映画初の受賞映画 オーストリアとハンガリーの著名な劇作家の影響作とも言われる。
1926『孔雀の光 第一篇』 
前田曙山原作の日活、マキノ、松竹、帝キネの4社競合の公開映画の文芸超話題作
1926『孔雀の光 第二篇』 
日活版を担当 「鳴門秘帖」七篇で知られる時代劇スター谷崎十郎の主演
1926『日輪 前篇』  日活大将軍 
岡田嘉子、山本嘉一 のちの巨匠、時代劇の父こと伊藤大輔との競作で大きな話題
1926『日輪 後篇』  
日活大将軍 第3回(1926年度)キネマ旬報ベストテンで第2位に選出 雪之丞変化の三上於菟吉原作
1927『椿姫』  日活大将軍  
外国のオペラの影響作、当時大ヒットを記録   夏川静江、東坊城恭長(入江たか子の実兄で俳優兼実業家) 
1928『激流 前篇』  日活大将軍
入江たか子 岡田時彦 小杉勇 島耕二 夏川静江 高木永二
1928『激流 後篇』  日活大将軍  
日輪や雪之丞変化の三上於菟吉原作の文芸作
1929『灰燼』  日活太奏
灰燼の読み=かいじん 徳富蘆花原作の悲劇、第6回(1929年度)キネマ旬報ベストテン第2位  三桝豊、英百合子、小杉勇、中野英治 夏川静江
1929『摩天楼 争闘篇』  日活太奏 
中野英治 第6回キネマ旬報ベストテン第5位、『灰燼』と共に2作ランクイン 左翼的外国映画の影響作
1930『摩天楼 愛慾篇』  日活太奏  
中野英治 砂絵呪縛や伝七捕物帳(共同原作)の土師清二など5名原作
1930『この太陽 第一篇』  日活太奏 
3部作にわたる超大作 林不忘の別名義の牧逸馬の原作 若者たちの希望と悲劇の群像劇、 小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン
1930『この太陽 第二 多美枝の巻』  日活太奏 
 2作目は1930年代に高い人気を誇った品格と純白の女優の入江たか子の多美枝役をクローズアップ
1930『この太陽 第三篇』  日活太奏 3部作の完結篇
1934『霧笛(1934)』  新興京都 
霧笛の読み=むてき 第11回(1934年度)キネマ旬報ベストテン第9位に選出 多路線の代表作がある文豪大佛次郎の現代劇の代表的原作  中野英治





1924『清作の妻(1924)』 は、日本の映画女優(助演、脇役メイン)で歴代上位の映画出演数300以上を誇る名女優の浦辺粂子も当時はヒロイン女優です。お家芸とも言われるおばあさん役が飯田蝶子や沢村貞子などと並んで、日本映画歴代でもっとも定着している、特に”おばあさん役の名女優”の一人が浦辺粂子です。





清作の妻 [ 若尾文子 ]


1950年代から1960年代の黄金期の大映映画を代表する映画女優の若尾文子が主演した「清作の妻(1924)」の再映画化作品が「清作の妻(1965)」です。相手役の名優の田村高廣の代表作の一つでもあります。監督はのちに巨匠の増村保造、増村監督は外国で映画技法の修行し、大映の監督として活躍、独自な映像の外国的映像表現に挑戦しましたが、この映画だけに留まらない外国的志向の強かった岡田監督に影響が同じ外国的という面でも存在しています。




浦辺粂子 飯田蝶子 沢村貞子 若尾文子 清作の妻 田村高廣 増村保造






歴代母親役女優 破天荒俳優の先駆的存在の中野英治





1927『椿姫』 の夏川静江は最低でも180作近くの映画に出演、当時の女優としては最長級の実働1919~1979 映画61年、日本の映画女優の概念の草分け時期からの活動、1920年代後半から1930年代中盤にかけて主演やヒロイン女優で50作以上(確認できる限りでは主演33(男性とのダブル主演も含む)、男性に次ぐ扱いのヒロイン25)に出演して活躍、1950年代は映画20作以上で主にに助演の母親役女優(三益愛子、望月優子などに次ぐとも言われる)としても好評を得た。映画の主演、ヒロインと助演で長期間で活動した女優です。


村田実の代表作にいくつか出演している中野英治は、特に日活の数年間の現代劇映画でサイレント映画の短期間で高い人気を誇った俳優で、プライベートは非常に破天荒で、少年時代は女と喧嘩に明け暮れ、映画デビュー後の異常な外国好きと愛人が多数、博打や度重なる借金を繰り返したといわれています。また加賀まりこの実父の加賀四郎(戦後の大映映画の製作者や実業家、映画の代表作はほとんど無い)は少年時代の遊び相手だったと証言が残されています。のちに麻薬の逮捕でも有名な勝新太郎(麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年など)の彼の流れです。


中野英治は1925年(大正14年)に「大地は微笑む」の好演でデビュー1年目の「キネマ旬報」の第1回映画俳優人気投票で男優の第1位の阪東妻三郎(雄呂血で同年にブレイク)に次ぐ男優第2位、このときからの短期間が彼の人気の最大のピークでした。


戦前の日活現代劇の青年主演スターを代表する小杉勇や島耕二(戦後は両名とものちの映画監督としても活躍、戦後の小杉は助演俳優兼娯楽監督で多くの代表作、島は俳優を辞めてほぼ監督に専念し多くの秀作、佳作)と多数共演、巨匠村田実作品の代表作作の常連俳優としても知られています。




椿姫 夏川静江 日本の映画女優の概念の草分け 三益愛子 望月優子

中野英治 加賀まりこ 加賀四郎 小杉勇 島耕二

市川団十郎 市川左団次 小山内薫 千田是也







演技術の日本近代 (単行本・ムック) / 笹山敬輔/著

演技はさまざまな形を通じて「心を表現するもの」、村田実はこの貴重な書籍「演技術の日本近代」に、「第5章 舞台の演技から映画の演技へー村田実と演技の法則」で執筆しています。

歌舞伎の2大名優の市川団十郎や市川左団次、日本の演劇界の革新を与えた小山内薫、舞台の名優千田是也などの執筆も魅力的です。











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2020/05/01 22:12 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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