映画「浪人祭」に隠された伝説的な先輩後輩大スター同士の知られざるリスペクト
まだまだマスコミのテレビが伝えない伝説的名優が存在しています。これは映画のこともきちんと伝えていたいことの証明でもあります。
その一人が前回の中心人物の嵐璃徳(あらしりとく)です。
日本映画史上の伝説的な記念碑的映画に『ピストル強盗清水定吉』、『本能寺合戦』に2本に唯一出演し、1920年に時代劇映画スターとして華々しく売り出す専属デビュー、1920年から1925年までのピークはたった6年ほどでした。日活の石原裕次郎や東映の東千代之介などの国民的な映画大スターの最大のピークは確認している限りはたった6年ほどです。
年数は戦後のこの二人とも通じますが、嵐璃徳も6年ほどです。時代が違っても、この短期間の最大ピークの共通点が存在しています。映画という最大の娯楽の中で、主演の専属契約6年間で爆発的活躍をすれば、歴代上位は厳しいものの、十分な評価なのです。
主演85本ほどの石原裕次郎や主演90本強の東千代之介も、主演175本以上の嵐璃徳と同様に主演のピークは越しても、映画の主演や助演の代表作はいくつか存在しています。石原裕次郎はほぼありませんが、東千代之介は嵐は10を越す、助演の代表的映画があります。ここでいうピークは数多くの代表作や主演作が集中している時期のことを意味しています。また、東千代之介は主演のピークを越しても、映画の相手役俳優として数年活躍しています。
前回記事
両手に歴代記念碑 伝説の日本映画初俳優と初時代劇俳優の嵐璃徳 サイレント二大スター凌駕真相
嵐璃徳 ピストル強盗清水定吉 本能寺合戦 石原裕次郎 東千代之介
何者だ?この女 伝説の嵐璃徳を知らない人がいることにも影響 街頭インタビューマスメディア策謀
タブーに切り込む、武田邦彦の動画です。これに実は映画も影響しています。テレビニュースのマスコミがいかに事実を捏造(少なくても一部は確実に存在)しているのか、過去の映画や過去の芸能も現代の企業のマスコット的な、都合がいい人間のみがグルグルと誇張されています。個人的にも昔からテレビ番組そのものや、ニュースなどの街頭インタビューは非常におかしいものと考えています。
【武田邦彦】何者?街頭インタビューでいつも出てくる女性【地上波NGチャンネル】
【武田邦彦】何者?街頭インタビューでいつも出てくる女性【地上波NGチャンネル】の動画です。
動画内でも話に出ているが、”1兆分の一”だという、この時点でほぼやらせである。選別した数名をインタビューしてあたかも世の中の真実のように報道すること自体が元からおかしいのです。たとえばテレビと癒着の深い、ジャニーズタレント(彼らは元からアイドルではなくタレント)や韓国のファンがあたかも膨大に多いように、街頭インタビューを通じてイメージを誇張するなど、問題点は多々あります。利権のため都合が良いタレントよりも上にみせるためにアイドルという言葉を利用。
この動画コメントは、多くの人が長年の不正と矛盾、疑惑に共感しています。
武田邦彦 ジャニーズタレント
当たらないとすぐに干される黄金時代と当たらなくても最低限なら干されない低迷現代
現代の日本映画の主演俳優は当たらなくても、大きな問題がなければ主演俳優も比較的続けられるため、大きな影響はありませんが、映画の主演俳優の専属時代は基本は1年の更新、しかも毎年、常に結果が求められた厳しい時代でした。何らかの結果を出さないと干されることが多数ありました。戦前の日本映画は戦国時代にように非常に厳しい、映画主演俳優同士の下克上が没発していた頃です。
現代の日本の多くの俳優たちは、映画主演10を越していても、残念1本も当たっていません。これは許されている現代に、時々呆れます。現代は当たらなくても所属している事務所が強くかばってくれる環境も負担が少ない部分です。
先人の苦しさがあってこそ、現代の市場が残されている。現代はヒット作ゼロでも本数を積みやすく、比較的楽な主演俳優の映画の活動を築き、同時に大きく恵まれていることを忘れてはいけませんし、感謝する環境があります。嵐璃徳もこの厳しい時代の荒波に、日活、松竹に次ぐ、映画会社ともいえる帝国キネマのトップ俳優として、勝利した時期がありました。
ですが爆発的な主演本数を記録した彼も1925年を堺に、他の若手俳優に大きく追い抜かれ、主演本数が劇的に減少していき、主演俳優としては干されてしまいました。
まさに、ざっくり厳しくいってしまうと、当たらないとすぐに干される黄金時代と、当たらなくても最低限なら干されない低迷現代です。
嵐璃徳 当たり役と代表的な役の違い 当たり役までいかない多様性の貢献
また、嵐璃徳は代表的な役柄と題材は別にあります。大石内蔵之助を1917~34の18年、8作(大石以外も含む、忠臣蔵映画は12本)で主演3作助演5作8度演じました。
主演は1917~1922の最初の4作です。最大に代表的な役柄といえるでしょう。また遠山の金さんこと、遠山左衛門尉も5作の主演で演じています。4本の荒木又右衛門、大久保彦左衛門、3度の国定忠治、2本の宮本武蔵、清水次郎長、助演では河内山宗俊を3度演じています。
『ピストル強盗清水定吉』、『本能寺合戦』、『女人地獄』ほど大きな物ではありませんが、上位の自身どまりの代表的な役柄です。ですがこれは代表的役どまり、演じただけの要素が強く、明確なヒットや評価や影響、功績の当たり役という証拠はなく、有名な役を演じているものの、比較的低めの評価です。有名な役を演じただけの要素が強いわけです。
特に1921年10月の『実録忠臣蔵(1921)』は帝国キネマオールスターキャストを実現し、超大作で大石内蔵之助と萱野三平の2役を演じました。比較的ヒットした可能性を示唆できます。1920年代前半の帝国キネマは日活や松竹と比べると、ほとんどオールスター映画の制作をしなかったことも、この映画は非常に重要な意味があると考えられます。
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意外な芸能 先人と後輩リスペクト バンツマと助演の嵐璃徳バージョン大石内蔵助
嵐の助演で注目すべき点は、バンツマです、阪東妻三郎の主演映画1933年10月の『新釈清水一角 浪人祭』(阪妻プロ、新興キネマ)の助演で大石内蔵助を2番手位置で演じています。時代劇映画としては主に忠臣蔵、浪人物、悲壮美要素が考えられる映画です。
日本である意味、一番有名な役の大石内蔵助ですから、嵐にとっても非常に意味、さらにバンツマの相手役で大石を演じることの評価があります。
バンツマは赤穂浪士に討ち入られる吉良邸側として戦った剣豪、有名な剣客の清水一角(別名は清水一学)を演じています。忠臣蔵や赤穂浪士の映画の有名な実在した人物、同時に色々といじくられたキャラクターです。
いまでいう吉良こと、吉良上野介のボディガードのような存在です。討たれる側の世間的な悪役を主人公として演じ、戦いの末に激しく果てる自身のお家芸の一つを演じた、悲壮美要素もあります。
”浪人祭”という言葉は、討入りの場面を討つ、討たれる側の浪人たちの生死をかけた”人生最大の祭り”として表現しています。
監督は、阪妻プロ(阪東妻三郎プロダクションの略称)の専属j監督として知られる東隆史、残念ながら彼は名監督ほどの活躍はできませんでしたが、あえて多様性の一つとして取り上げます。これからの時代、一般的に名を残す活躍するだけが評価ではありません。
彼は1929年から1934年まで、遺作の唯一の戦後作、1950年『龍眼島の秘密 全三篇』(製作、配給=秀映社)を除いてはバンツマプロでした。由比正雪を関与させた怪奇的な要素があるダーク時代劇の1932年「神変麝香猫3部作」が主な代表作です。
東隆史が監督した1933年『新釈清水一角 浪人祭』に、二大スターの共演姿、バンツマと璃徳です。
嵐璃徳が時代劇形成の先輩の一人として、後輩のバンツマに評価されていたことを物語る明確な証拠です。自分の主演作ですが、2番手位置の重要な役柄に、バンツマプロの専属ではない嵐を招いて、特別にゲスト出演させています。嵐の功績を理解しています。
この映画『新釈清水一角 浪人祭』の時点の璃徳の通産主演映画数は175作していますが、バンツマは90作ほどでした。まだ2倍近い大差があります。この現実をある程度は理解していたと言えるでしょう。
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阪東妻三郎の茨右近と梶尾喬之助を2役を演じた「魔像」とDVDとVHSの不思議
残念ながら『新釈清水一角 浪人祭』は商品化されていません。
そのため『魔像(1952)』です。阪東妻三郎は、茨右近と梶尾喬之助の武士と浪人の異なる身分の2役を演じています。
DVD版

【中古】 魔像 /阪東 妻三郎 【中古】afb
写りこんでいる写真の女優はヒロインの一人を演じた園絵を演じた津島恵子です。DVD版はなぜか、片方の妻役のお絃を演じた山田五十鈴の写真がありません。出番は山田五十鈴の役のほうが多いのに不思議です。
阪東妻三郎は、『魔像(1936)』(阪妻プロと新興キネマの製作)と、1938年の『魔像 (1938) 』と1939年の『続魔像 茨右近』の日活映画でもこの2役を演じています。この3本を戦後の松竹映画で『魔像 (1952) 』として再映画化しました。
茨右近と梶尾喬之助は、阪東妻三郎の代表的な映画の役柄の一つ、いえ二つです。当たり役というさらに上のレベルではないと考えています。それでも本人にとっても大事な役柄のため通産4度2役を演じています。
最初の魔像映画の『魔像(1936)』がヒットしたことがあり、爆発的に当たりを連打した、千恵プロ時代を経て、日活の専属監督となっていた時期の巨匠稲垣浩とコンビを組んだ、『魔像 (1938) 』、『続魔像 茨右近』で再映画化しています。
VHS版 作品の雰囲気を知る事ができます。

【VHSです】魔像 [阪東妻三郎/山田五十鈴]|中古ビデオ
非常に貴重なVHS版です。
津島恵子 山田五十鈴 稲垣浩 続魔像 茨右近 近衛十四郎 剣聖
阪東妻三郎の茨右近と梶尾喬之助を2役を演じた「魔像」
1936『魔像(1936)』 阪妻プロと新興キネマの製作 配給は新興キネマ
1938『魔像 (1938) 』 日活の製作と配給
1939『続魔像 茨右近』 日活の製作と配給
1952『魔像 (1952) 』 松竹の製作と配給
昔に『魔像 (1952) 』のHD画質版を視聴していますが、佳作だと考えています。演技としては良い部分はありますが、映画としては物足りないものですが、日本歴代上位の映画スター、剣聖(映画は助演中心の近衛十四郎とは剣聖とは異なり、ほぼ主演のみの剣聖)ともいわれた阪東妻三郎の主演作で商品化されているものとして非常に貴重です。バンツマらしいある種の滑稽とも捉えられる、役の強めな演じ分けが特徴です。個人的にはこれはあまり評価できませんでした。
内容の良し悪しだけではなく、日本の大スター物映画の芸能史を知るという面で観る価値があります。大女優の山田五十鈴が片方の妻役のお絃を演じています。また、バンツマの遺作から3本前の作品最晩年の映画です。
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2020/10/01 22:49 | 超大物俳優 | COMMENT(3) | TRACKBACK(0)