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製作者と俳優コンビ歴代最多国民的題材10の大成功 コンビ3億人の最大観客動員記録




製作者と俳優コンビ歴代最多国民的題材10の大成功 コンビ3億人の最大観客動員記録






玉木潤一郎片岡千恵蔵は日本映画史上もっとも成功を収めた、長編最多約100本の映画黄金コンビを形成し、多彩に深く大成功を収めました。現代も多彩は可能ですが、当たることや深く当たることは非常に難しい状況です。現代は手を出すだけで終るのがほとんどです。実写映画自体の人気が低迷していますし、当時もこれほど多彩に深く当たるコンビはいませんでした。



前回リンク⇒新春記念 史上最大プロデューサー玉木潤一郎と片岡千恵蔵 超黄金コンビ96本 世界歴代1位的中率




さらにこの両名のコンビは有名題材12つで成功、歴代でもっとも競争率が高い時期に12つで1000万人以上の大成功を収めています。そのうちの10が国民的な題材といえます。これも歴代のコンビ最多の国民的題材の大成功数です。しかも現代劇8、現代劇4で大成功し、国民的題材は時代劇7、現代劇3の二刀流です。






玉木潤一郎 片岡千恵蔵






牧野省三賞 日本映画界初の映画人を評価した常設の生涯功労賞と玉木潤一郎






玉木潤一郎は、日本映画界初の映画人を評価した常設の映画生涯功労賞の牧野省三賞を二人目で受賞しています。もちろん一人目は片岡千恵蔵です。


牧野省三=日本映画の父、日本映画最初の映画の巨匠、日本初の映画の大プロデューサー、実業家など多彩な顔、世界最多の550本以上の映画に関与、日本最初の映画大スター尾上松之助と日本初の映画黄金コンビを形成(短編系世界最多コンビ、ほぼ短編や中篇)、100ほどの題材を映画化、日本最初の大手の日活やマキノプロの形成など、数十つの貢献、多くの大スターを発掘、多大な影響力で、数十の後輩によって日本を1950年代の世界トップの映画大国に導いた人物





牧野省三賞 映画生涯功労賞 尾上松之助 映画黄金コンビ 日本映画の父







牧野省三賞の4人目までの受賞者と簡単な受賞理由(日本映画界初の映画人を評価した常設の生涯功労賞)


一人目は片岡千恵蔵=特に映画俳優
(ほぼ主演、戦前と戦後で大成功)、他に映画製作者(戦前の千恵プロは数十のスタープロでもっとも成功の最多代表作数、数十の名作、20名近い巨匠で複数成功、長編メインで世界初の主演300以上を記録、時代劇映画最多観客動員、膨大なので控えますが、他にも多面的な大成功)、東映の重役でも映画界や映像界に大貢献

二人目は玉木潤一郎=評価は映画製作者
(特に千恵蔵、少なめだがだが月形とのコンビでも大成功、1000万人以上を12本、数十の大ヒット、歴代最多90本ほどのヒットを記録)、映画製作者の娯楽路線で最盛期にもっとも成功、前衛路線でも一定の成功、生涯8割ほどの歴代でもっとも高い的中率を記録

三人目は月形龍之介=特に映画俳優
(主演と助演の戦前と戦後で成功、主演110強の出演520強、特に助演俳優でもっとも成功、上位で映画会社10社以上で成功し、膨大な名作数に出演と貢献)、他に製作者(戦前の月形プロは本数は少ないが成功)、東映の重役を経験

四人目は市川右太衛門=特に映画俳優
(ほぼ主演、本数は多いが戦前は代表作が少なめ、特に戦後に大成功)、他に映画製作者(戦前の右太プロは代表作は少ないが、スタープロのトップの制作本数の成功)、長編メインで千恵蔵に次ぐ、世界二人目の主演300以上を記録、東映の重役でも映画界に貢献





玉木潤一郎は日本映画歴代数選の映画俳優の4名に挟まれて、二人目の大名誉の評価を受けています。相当な高い評価をされています。これが何を意味しているのか、今でも映画界の真実をマスコミが取り上げていないことを意味しています。今回もこの理由にも迫る部分も取り上げていますが、彼がいかに活躍したのかの部分です。


NHKも含めたマスコミは、東宝の現在の利権主義(現在の日本映画の1社による支配体制、ほぼ競い合いさえない茶番の勝利のシステム)もあってか真実を取り上げません。玉木潤一郎の実積は、利権主義の都合で真実の闇に葬られた、本当の功績を持つ人物でもあると考えています。



千恵プロ 映画製作者 月形プロ 右太プロ 月形龍之介 映画俳優 市川右太衛門


東宝の現在の利権主義







牧野省三賞と日本アカデミー賞 時代劇四大巨匠





当時の牧野省三賞(初期は京都市民映画祭の生涯功労賞)は、現在の問題点が多い日本アカデミー賞のように、広告価値を優先して某ベテラン女優などを何度もノミネートさせる、ありえない行為など、東宝関係者の優遇や、さらに人気に偏りの優先主義ではなく、現在よりもきちんとした実積を重視した映画関係者の評価で受賞しています。


牧野省三賞の映画監督の受賞者は。時代劇の父こと伊藤大輔が最初、彼は時代劇概念の形成のリーダーとも称され、特に戦前に数十の名作、戦後も多数の秀作やいくつかの大ヒット作を残しました。

監督の二人目は戦前と戦後の2度の大ブレイクを果たし、現代劇10以上と時代劇10以上の二刀流で軽く20以上の名作、さらに膨大な秀作を残した内田吐夢です。のちに伊藤以外の稲垣浩、マキノ雅弘、衣笠貞之助の3巨匠も受賞し、時代劇四大巨匠(伊藤大輔、稲垣浩、マキノ雅弘、衣笠貞之助)は全て受賞していますが、これらの大人物よりも圧倒的に先に、玉木が受賞しています。彼が戦後の1950年代の映画最盛期にいかに貢献したのか、その評価が伺い知れる部分です。


時代劇四大巨匠=時代劇の形成と戦前の最初の最盛期1930年代の牽引、日本映画のもっとも大きな個性の形成、多くの映画スターや名脇役に関与、貢献と後輩の育成にも尽力、1950年代に黄金期も若手と対しながら現役で活躍




牧野省三賞 京都市民映画祭 生涯功労賞 日本アカデミー賞 東宝関係者の優遇 

時代劇の父 伊藤大輔 内田吐夢 稲垣浩 マキノ雅弘 衣笠貞之助 時代劇四大巨匠






玉木潤一郎と片岡千恵蔵のコンビのみの主なヒット題材 国民的の有無





約100本(2021時点の確認は96本)のコンビの本数は、前回の記事に載せています、ここにもリンクを張ります。


リンク⇒新春記念 史上最大プロデューサー玉木潤一郎と片岡千恵蔵 超黄金コンビ96本 世界歴代1位的中率





玉木と千恵蔵のコンビは多くの国民的映画題材、国民的映像題材で大きな成功を収めました。







玉木潤一郎と片岡千恵蔵のコンビのみの主なヒット題材 国民的の有無

・時代劇 上位8題材 大菩薩峠の1000万人弱から清水の次郎長の6000万人の区間
忠臣蔵 7(上位助演1)=国民的1
股旅 11=国民的2
清水次郎長(清水の次郎長) 4=国民的3
遠山の金さん 12=国民的4
水戸黄門(上位助演) 1=国民的5
国定忠治 7(準主役1)=国民的6
新選組 5=国民的7
大菩薩峠  6=有名題材(現在はあまり有名ではない)
時代劇の有名題材は計53


・現代劇 上位4題材 刑事、ギャング、地獄は重なるものも有 刑事の2000万人ほどからギャングの5000万人区間
金田一耕助、探偵 2=国民的8
多羅尾伴内、探偵など 6=現在としての国民的は疑問ですが、当時は高い人気や動員数を誇りました。などは7役のため
刑事  3=国民的9(数千万人記録やその後の定着のため)
ギャング(地獄含む) 15=国民的10(玉木以外を含めると5000万人級を動員し、和製ギャング映画を牽引)
現代劇の有名題材は計26


・時代劇の現代劇の有名題材の複数作品は通算79

・時代劇と現代劇の両方の、二刀流で26本以上を記録、








忠臣蔵 国民的映画題材 国民的映像題材 股旅 清水次郎長 遠山の金さん 水戸黄門 国定忠治 新選組 大菩薩峠  




有名題材の時代劇は忠臣蔵8、股旅11、清水次郎長4、遠山の金さん12、水戸黄門1、国定忠治7、新選組5、大菩薩峠6の8題材、現代劇は金田一耕助(探偵、事件、推理ものなどの要素)2、多羅尾伴内(探偵、刑事、老人、二丁拳銃など要素多彩)の6、刑事全体の3、和製ギャング(内部題材の地獄シリーズも含む、刑事、二丁拳銃などの要素も)の主な4題材で成功、有名題材は12題材で成功、


国民的な題材は、時代劇は忠臣蔵8、股旅11、清水次郎長4、遠山の金さん12、水戸黄門1、国定忠治7、新選組5の国民的な7題材で成功、特に忠臣蔵8、清水の次郎長(清水次郎長)4、遠山の金さん12、国定忠治7、新選組5の国民的な6題材が大成功したといえるでしょう。さらに現代劇は金田一耕助の事件や探偵、推理ものの2、刑事3、和製ギャングを牽引する15をコンビのみで実現させました。国民的な時代劇6題財と現代劇3の9題材で成功し、題材時代劇5題財と現代劇3題材の国民的8題材で大成功(水戸黄門は事実上4番手のためと1本のため省く)を収めました。




複雑ですが、つまりは玉木潤一郎と片岡千恵蔵のコンビは、日本で唯一、複数の世界的に前例がない、1国の国民的9、有名題材は12で大成功したということです。



12つのそれぞれが後の様々な作品、のちの映画やテレビドラマに数十年以上で影響を与えています。

一つ取り上げると玉木と千恵蔵も主に刑事物映画やその要素映画は、現代劇の刑事物のテレビドラマは、特別機動捜査隊、7人の刑事、特捜最前線、太陽にほえろ、西部警察シリーズ、大都会シリーズ、はぐれ刑事純情派、相棒シリーズなど膨大数です。映画は東映の警視庁物語シリーズ、日活の機動捜査班シリーズと刑事物語シリーズ(青山恭ニ版)、刑事物語シリーズ(武田鉄矢版)など、多数の影響を与える概念となっています。



玉木と千恵蔵のコンビのみの水戸黄門題材『水戸黄門(1957)』で、千恵蔵は水戸黄門、格さん、助さんに次ぐ、4番手の徳川綱吉(役名は将軍綱吉、オオトリ表記)を演じていますが、この1本のみのため、正確には国民的題材10ではなく、9という捉え方もあります。ここは含んでいる理由は『水戸黄門(1957)』は戦前から100本ほど作られた水戸黄門映画で、1000万人を越し、観客動員のメガヒット作、非常に大きな意味のある映画でもあるためです。『水戸黄門(1957)』も玉木の膨大な代表作の一つです。






金田一耕助 多羅尾伴内 刑事 ギャング 和製ギャング 地獄シリーズ 二丁拳銃


特別機動捜査隊 7人の刑事 特捜最前線 太陽にほえろ 西部警察 大都会 はぐれ刑事純情派 相棒 警視庁物語 機動捜査班 刑事物語 青山恭ニ 武田鉄矢


水戸黄門(1957) 徳川綱吉




アマゾンプライムビデオ版『水戸黄門(1957)』とDVD版『水戸黄門(1957)』






アマゾンプライムビデオ版『水戸黄門(1957)』


水戸黄門(1957年)

アマゾンプライムビデオで東映がアマゾンに放出しています。アマゾンプライムビデオに対応していれば簡単にテレビの大画面でも見られます。千恵蔵、右太衛門を上記の窓7名の最左に右太衛門、最右に千恵蔵を表記しています。



DVD版『水戸黄門(1957)』


水戸黄門 [DVD]


上記2リンクの画像のアマゾン版とDVD版で採用の写真(公開当時の当時のポスターの二つだと考えられる)が違うことも特徴です。

DVD版は中央で月形は小さめ、千恵蔵、右太衛門を下部分に表記させています。上記の2名は橋蔵、錦之助です。なぜこの両名はこの少し変顔を採用したのか、個人的には不明です。日本映画を代表する歴代上位の映画スターですし、違和感が良いということでしょうか、少し悪意を感じてしまいます。










劇中題名『東映オールスター映画 水戸黄門』も絡んだ千恵蔵無双と絡んでいない潤一郎








実は千恵蔵の戦後の水戸黄門映画の出演は2本ありますが、もう1本の『水戸黄門(1960)』=劇中題名は『東映オールスター映画 水戸黄門』は玉木潤一郎の制作担当の映画ではないため、コンビ作の96本や12題材(国民的10)には含まれません。


玉木と千恵蔵のコンビは、96本(現在確認できるもののみ)だけでも、2000万人級1本、1800万人級2本、1500万人級7本、500万人級1本(1本のみ確認可)、70本以上の200万人以上、または確認できない200~500以上も複数記録したと考えられ、コンビのみだけでも最低でも3億人以上の観客動員を記録していたと考えられます。

たとえば、渥美清は通産でも1億人ほどです。この歴代最大コンビのみだけで、渥美清の生涯の通産の3倍ほどを記録しています。渥美清は日本映画の低迷期にピーク全盛の主演俳優を務め、ライバル自体がごく少数の中で活躍しました。これは事実です。



アマゾンプライムビデオ 水戸黄門(1960) 東映オールスター映画 水戸黄門 観客動員 渥美清


格さん 渥美格之進 中村賀津雄 助さん 佐々木助三郎 東千代之介 柳原大納言資廉 紀伊大納言光貞 水戸中将綱条 大川橋蔵 放駒の四郎吉 中村錦之助 井戸甚左衛門 大友柳太朗 萬屋錦之介





千恵蔵は戦前を合わせると、通産で、最低でも4億以上(個人的に5億強の推定、日本映画史上歴代最多)の観客動員と考えられていますが、この5分の3以上が戦後の玉木とのコンビによる功績の一つです。もちろん客を呼んだ以外の実積も膨大に数多くありますが、ここはヒット作に重点を置いています。

玉木と千恵蔵のコンビの最盛期の日本映画は、大手400本台中盤から500本中盤の膨大な大手映画が制作され、現代の10倍台後半から、20倍近いの競争力、日本映画史でもっとも競い合いが激しい大手6社時代の時期に、この大ヒットや中ヒットを、このコンビだけでも、膨大数80本以上を記録しました。

数多くの名作と、ほとんどが秀作をクリアする当たり前の質の高さを実現させ、有名題材と当たり役を膨大、さらに数の暴力という事実上の無双状態(千恵蔵無双)を実現させました。現代風なヒット作を少数放つことは可能でしょうが、膨大数のありえなく高い的中率はほぼ不可能で、現代の日本映画ではありえません。







水戸黄門(1960年)

水戸黄門(水戸光圀)の月形龍之介の顔がどかっと中央に表記されています。格さんこと渥美格之進の中村賀津雄、助さんこと佐々木助三郎の東千代之介が下部分を占めています。劇中でオオトリ表記の柳原大納言資廉役の千恵蔵、紀伊大納言光貞役の右太衛門の両名は右端に小さめの表記、そのの下に水戸中将綱条役の大川橋蔵、

放駒の四郎吉役の中村錦之助(萬屋錦之介)や井戸甚左衛門役の大友柳太朗の顔は表記そのものがありません。










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2021/01/16 22:35 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

新春記念 史上最大プロデューサー玉木潤一郎と片岡千恵蔵 超黄金コンビ96本 世界歴代1位的中率






新春記念 史上最大プロデューサー玉木潤一郎片岡千恵蔵 超黄金コンビ96本 世界歴代1位的中率




新春記念として、日本人が元気になる映画情報に迫ります。正々堂々として。日本が強くあることが非常に重要です。

芸能の不倫や女遊びや未成年淫行男、某「鬼滅の刃」の1年以上にの及ぶ長期間の大規模広告のによる映画の金儲けの大悪事、マスコミが煽り続ける真か嘘のコロナ、さらに外国勢力による10年以上続く日本領土の大量の土地爆買いで、日本に迫る最大の危機、それはシナの盗賊(法を破り続ける国を自称する大陸の政党)とロシア、韓国の3連国による外国勢力の日本侵略の危険も驚異ですが、数多くの悪事のことを忘れ去るためにも、日本人の世界的な数多くの成果の真実が吹き飛ばします。


日本人が元気になるといっても、現役はたいした人物が存在していません、そのため先人巨星になってしまいますが、テレビやマスコミが伝えない、2大ナンバーワンの超大物の伝説、日本人が元気になれる映画や芸能の闇の真実を照らします。







前回記事⇒四十七士の赤穂浪士と47都道府県の共通勝利日来たる 忠臣蔵映画とコロナウィルスの類同





正月の2021年の1発目は、歴代ナンバーワンともいえる部分が多数ある大人物の功績で、華々しくスタートさせます。日本映画を代表する映画プロデューサー玉木潤一郎の実積に迫ります。彼の名前はこれまでも、ちょくちょくは登場させてきましたが、きちんと取り上げる機会がありませんでした。彼に迫る、遂にこのときが来た印象です。




玉木潤一郎

映画プロデューサー  シナの盗賊 共産党 鬼滅の刃




マスコミが伝えない歴代ナンバーワン 玉木潤一郎と千恵蔵との名コンビ






玉木潤一郎は東映の映画製作者として、日本映画の最盛期中心時の最多の通産80本以上のヒット作に関わり、日本映画黄金期、同時に東映の7年連続1位にもっとも貢献した人物です。120本ほどの映画を手掛けた大プロデューサーです。


玉木潤一郎のもっとも大きな功績が、いわゆる戦後の千恵蔵映画です。


片岡千恵蔵は日本を代表する映画俳優、断片版、改修、総集編などを含むと主演350作強を記録しています。長編映画主演数の世界1位の世界的映画俳優です。世界でただ一人の戦前(200弱、データなし10本ほど含む)と戦後(160近く)のダブルで150本を記録と戦前と戦後のダブル代表作80以上を記録しました。

主な通産代表作は210、これも世界最多です。しかも本数だけではなく、主演作や出演作はデビュー当時から晩年まで、高い品質を常に維持しました。また、日本映画史上最多の通産4億以上の観客動員を記録したと考えられています。1国における観客動員のパーセンテージは、アメリカのナンバーワン俳優のアメリカの顔ともいわれたジョン・ウェインを上回り、1国の世界最多です。ほかにも記録は膨大数ありますが、反れ反れになるので、今回はこの辺までです。



戦後の最盛期の当時の映画界は、アメリカよりも日本のほうが映画スターの数や製作本数、名優、巨匠、名匠数、名優数などは格上です。この中でトップに君臨し、事実上の世界ナンバーワンでした。その世界的なナンバーワン映画俳優の千恵蔵の戦後の代表作の6割強を手掛けた人物が、玉木潤一郎(たまきじゅんいちろう)です。


1926年にマキノプロダクションの助演俳優としてデビューし、1929年から片岡千恵蔵プロダクション所属の脇役俳優、映画は30本以上に出演、その後、映画関連の部門を任された演芸通信、映画評論家を経て、1952年からクレジット表記が確認できます。東映の映画製作者(基本は企画表記)、1965年に事実上の引退。映画人生ともいえる、多様な異色の経歴の持ち主です。マキノと千恵プロのときから千恵蔵と共演者、また千恵プロ時代は上司と部下の関係がありました。


*千恵プロの出演表記が残されている最初の代表シリーズ『続万花地獄 第一篇』(万花地獄シリーズは現存の断片含むと9本)は1928年12月31日公開とあり、事実上の1929年1月の正月映画の公開のため、玉木の千恵プロ最初の出演は1929年の扱いしています。





houti1566 ●注: DVDではありません●邦画チラシ 【マキノ正博監督 鴛鴦歌合戦 オペレッタ映画 】2006年ユーロスペースにて上映(初公開は1939年 片岡千恵蔵ほか ディック・ミネ) //邦画チラシです。【注意DVDではありません】


現代でも斬新な映画チラシ、素晴らしい限りです。1939年公開のオペレッタ時代劇の名作『鴛鴦歌合戦』は現在も度々再上映されています。このチラシは渋谷区の映画館の2006年のユーロスペースにて上映時のものとあります。激レアです。

ヒロイン女優で功績を残した女優としては、歴代ベスト5の映画220本以上に出演し、千恵蔵の名作の相手役を多数務め、日本映画を代表するヒロイン女優の市川春代、日本映画歴代ベスト10、ベスト5に含まれる助演俳優、超名優の志村喬と映画700本以上、世界最多助演本数の香川良介も映りこんでいます。映画400本以上の脇役大名優の尾上華丈、本数は少なめですが、千恵蔵映画の多数でも貢献した遠山満の姿も見えます。





片岡千恵蔵ジョン・ウェイン 鴛鴦歌合戦 ユーロスペース 渋谷ユーロスペース 市川春代 志村喬 香川良介 尾上華丈 遠山満

演芸通信 映画評論家

片岡千恵蔵プロダクション マキノプロダクション 続万花地獄 第一篇 万花地獄シリーズ









日本映画の2大人物 玉木潤一郎と大川博の製作と企画 現実は玉木潤一郎がプロデューサー










東映の創立時1951年から1960年代前半に掛けての最大の最盛期は基本的に、玉木は基本は”企画”とクレジットされていますが、実は東映の場合は、大映も同様な要素が強めでしたが、特に東映の最盛期の場合は、企画が事実上の現場の製作者を務めていました。

それはどういうことなのか、東映初代社長であった大川博が製作とクレジットされた創立時から最盛期の東映映画における彼の表記は、製作というよりも、ただの社長としての責任者的な意味、要素が大きいものが大半でした。失礼ながら事実上、大川博は名前だけを出しているだけなのが現実です。


大川博は映画が特に好きではなかったというエピソードがあります。映画に詳しい人物でもなかったといいます。現場の製作には詳しくない人物、深く関わることもなく、もちろん社長として。経営者としては優秀、非常に有能な人物で代表者、責任者としての関わりはありますが、現場の直接な映画製作には、ほとんど関与していないといわれています。

その千恵蔵と大川博の制作のクレジットの映画の中で、企画の役職で多数クレジット表記されている人物が、実際の映画のプロデューサーを務めていた玉木潤一郎です。



大川博 東映初代社長







日本映画戦後主演数ベスト5は同時に戦後世界べスト5







玉木の東映の千恵蔵映画の中は、企画名(製作)が2名以上の共同のものも多数あります。1952年から1965年の約14年の実動期間で、盟友の千恵蔵と100本近いコンビを形成、千恵蔵の戦後の主演本数は大映と東映中心で戦後世界2位(1位は松竹や東映が大半の鶴田浩二の165本強、3位は大映中心の勝新太郎の135本強、4位は東宝中心の森繁久彌(森繁久弥)の130本強ほど、5位は大映の市川雷蔵の130本弱)の160本弱を記録していますが、このうちの7割近くが、玉木潤一郎のプロデューサー作品です。これは同時に戦後の世界ベスト5です。千恵蔵の専属までは行きませんが、戦後の千恵蔵映画の7割ほどの名作やヒット作を手掛けた大人物です。


書くとさらに深くなるので避けますが、千恵蔵と鶴田は10本を切る差ですが、鶴田浩二勝新太郎が30本ほどの大差があります。これが現実です。


玉木潤一郎は、驚異の映画的中率8割越え、競争力最大の最盛期の年間観客動員ベスト10において、映画プロデューサーの黄金期最多の12作を記録、それ以外も数十と考えられるヒットを記録、マスコミが日本映画の真実を無視しているため、彼の名前さえもきちんと伝えていないため、存在さえも知らない方が多くいるかもしれませんが、玉木潤一郎は日本映画史において、非常に重要な大人物です。映画の良きお化け、いや映画の善良な鬼です。

彼を知ると片岡千恵蔵自身の功績と評価も、さらに跳ね上がります。なぜなら同一の映画プロデューサーと一名の俳優が、これほど多作で成功したケースは、世界的にも、外国の1国、日本国内においても、歴代で誰も存在していないからです。







ub20669片岡千恵蔵月形竜之介赤穂城復刻小型ポスタ ホビーアイテム

貴重な公開時と考えられる赤穂城のポスター、1952年『赤穂城』は玉木と千恵蔵の最初のコンビ作です。もちろん玉木の先輩の大プロデューサーのマキノ光雄も製作で参加しています。戦後初の忠臣蔵映画の1本目、東映や日本映画、時代劇そのもの、忠臣蔵、赤穂浪士題材にとっても非常に重要な作品でした。この映画が流れを作り、のちの映画やテレビの忠臣蔵作品に引継がれていきます。


ポスターの表記人物は、千恵蔵の大石内蔵助の姿と、日本映画を代表する大女優の山田五十鈴と木暮実千代です。姿はありませんが、千恵蔵は浅野と大石の2役を演じ分け、月形龍之介は片岡源五衛門を好演しています。千恵蔵の大石内蔵助はこの映画から5本製作され、全てヒットさせていますが、玉木潤一郎は5本全てに製作で名を連ねる功績を残しています。下のデータからも確認できます。





鶴田浩二 勝新太郎 森繁久彌 森繁久弥 市川雷蔵 鶴田浩二 勝新太郎 年間観客動員ベスト10



赤穂城 マキノ光雄 戦後初の忠臣蔵映画 忠臣蔵 赤穂浪士 大石内蔵助 山田五十鈴 木暮実千代 月形龍之介 片岡源五衛門 内田吐夢









片岡千恵蔵の「千恵蔵映画」の玉木潤一郎の全プロデューサー担当作品 通算94本




多くは書きません。通算96本、千恵蔵の玉木の「千恵蔵映画」の数々です。ここでは助演の数本も含めていますが、全てが上位4選のメインキャストなので、助演も千恵蔵映画扱いしています。





片岡千恵蔵の「千恵蔵映画」の玉木潤一郎の全プロデューサー担当作品 通算96本 主演と助演(全て4番手までのメイン)含む


1952『赤穂城』 名作、忠臣蔵、ヒット題材
1952『続赤穂城』   名作、忠臣蔵、ヒット題材
1952『はだか大名 前篇』  股旅、
1952『はだか大名 後篇』   股旅、
1952『暗黒街の鬼』   ギャングシリーズ、ヒット題材
1952『忠治旅日記 逢初道中』  国定忠治、股旅、ヒット題材
1953『喧嘩笠(1953)』 股旅と次郎長、ヒット題材
1953『女間者秘聞 赤穂浪士』   名作、忠臣蔵、ヒット題材
1953『大菩薩峠 甲賀一刀流の巻』 大菩薩峠、ヒット題材
1953『大菩薩峠 第二部 壬生と島原の巻 三輪神杉の巻』 大菩薩峠、ヒット題材
10
1953『大菩薩峠 第三部 竜神の巻 間の山の巻』 大菩薩峠、ヒット題材
1953『青空大名』 山賊と股旅物
1953『鬼伏せ街道』 鼠小僧次郎吉、股旅、ヒット題材
1954『忠治旅日記 喧嘩大鼓』 国定忠治、ヒット題材
1954『多羅尾伴内シリーズ 曲馬団の魔王』  多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
1954『南国太平記(1954)』 幕末物、ヒット題材
1954『続南国太平記 薩南の嵐』  幕末物、ヒット題材
1954『一本刀土俵入(1954)』  名作、股旅物、ヒット題材
1954『お坊主天狗 前篇』  成敗物
1954『お坊主天狗 後篇』 成敗物
20
1954『新選組鬼隊長』 新選組、ヒット題材
1954『血ざくら判官』  遠山の金さん、ヒット題材
1954『悪魔が来りて笛を吹く』  初代金田一耕助、探偵、ヒット題材
1954.『犬神家の謎 悪魔は踊る』 初代金田一耕助、探偵、ヒット題材
1955『多羅尾伴内シリーズ 隼の魔王』 多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
1955『血槍富士』 名作、傾向映画、槍物などの複数要素
1955『喧嘩奉行』 遠山の金さん、ヒット題材
1955『青龍街の狼』 ギャング、ヒット題材
1955『弥太郎笠(1955)』 名作、股旅、ヒット題材
1955『多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面』 多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
30
1955『飛龍無双』  名作、文芸
1955『荒獅子判官』  遠山の金さん 、ヒット題材
1956『多羅尾伴内シリーズ 戦慄の七仮面』  多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
1956『黒田騒動(1956)』  名作、お家騒動物、ヒット題材
名作
1956『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 名作、超大ヒット年間1位、忠臣蔵、ヒット題材=助演、上位、2番手扱い
1956『剣豪二刀流』 宮本武蔵、ヒット題材
1956『長脇差奉行』 遠山の金さん、国定忠治(2役) ヒット題材
1956『三つ首搭』 初代金田一耕助、探偵、ヒット題材
1956『逆襲獄門砦』 名作、傾向映画
1956『海の百万石』 海洋物、商人物
40
1956『妖蛇の魔殿』 忍術物、ヒット題材
1956『恐怖の空中殺人』  名作、年間2位の超大ヒット、ギャング、刑事など、ヒット題材
1957『任侠清水港』 名作、年間1位の超大ヒット、清水の次郎長、ヒット題材
1957『海賊奉行』  遠山の金さん、ヒット題材
1957『地獄岬の復讐』 地獄、ギャング、ヒット題材
1957『大菩薩峠(1957)』 名作、大菩薩峠、文芸、ヒット題材
1957『水戸黄門(1957)』 名作、超大ヒット、水戸黄門題材、ヒット題材=助演の4番手
1957『素浪人忠弥』  槍物
1957『はやぶさ奉行』 遠山の金さん、ヒット題材
1958『任侠東海道』   名作、年間ベスト5の超大ヒット、清水の次郎長、ヒット題材
50
1958『多羅尾伴内 十三の魔王』 多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
1958『直八子供旅(1958)』 股旅、ヒット題材
1958『大菩薩峠 第二部』 名作、大菩薩峠、文芸、ヒット題材
1958『火の玉奉行』  遠山の金さん、ヒット題材
1958『奴の拳銃は地獄だぜ』  ギャング、ヒット題材
1958『新選組(1958)』 新選組、ヒット題材
1958『旗本退屈男(1958)』 旗本退屈男、ヒット題材 =助演の2番手
1958『国定忠治(1958)』 国定忠治、ヒット題材
1958『紫頭巾(1958)』  紫頭巾、ヒット題材
1959『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』  名作、年間ベスト5の超大ヒット、忠臣蔵、ヒット題材
60
1959『無法街の野郎ども』 ギャング、ヒット題材
1959『たつまき奉行』 遠山の金さん、ヒット題材
1959『大菩薩峠 完結篇』  名作、大菩薩峠、文芸、ヒット題材
1959『地獄の底までつき合うぜ』 地獄、ギャング、刑事、ヒット題材
1959『江戸っ子判官とふり袖小僧』 遠山の金さん、歌謡要素、ヒット題材
1959『血斗水滸伝 怒濤の対決』 名作、年間ベスト10の超大ヒット、侠客 =助演の2番手で、国定忠治
1959『浪花の恋の物語』 名作、文芸  =助演の3番手、主要
1959『大岡政談 千島の印篭』 大岡越前の題材
1959『血槍無双』  忠臣蔵の外伝、槍物、ヒット題材
1960『任侠中仙道』 名作、年間ベスト5の超大ヒット超大ヒット、清水の次郎長
70
1960『二発目は地獄行きだぜ』 地獄、ギャング、刑事、ヒット題材
1960『御存じいれずみ判官』  遠山の金さん、ヒット題材
1960『多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ』 多羅尾伴内、探偵など、ヒット題材
1960『壮烈新選組 幕末の動乱』 新選組、ヒット題材
1960『妖刀物語 花の吉原百人斬り』 名作、歌舞伎風刺
1960『半七捕物帖 三つの謎』 捕物、歌舞伎風刺
1960『江戸の朝風』  成敗物
1961『俺が地獄の手品師だ』  地獄、ギャング、ヒット題材
1961『赤穂浪士(1961)』  名作、年間2位の超大ヒット、清水の次郎長超大ヒット、忠臣蔵、ヒット題材
1961『さいころ奉行』 遠山の金さん、ヒット題材
80
1961『アマゾン無宿 世紀の大魔王』 無宿、ギャング、ヒット題材
1961『はやぶさ大名』  成敗物
1961『ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども』  無宿、ギャング、ヒット題材
1961『維新の篝火』 新選組、ヒット題材
1961『地獄の底をぶち破れ』 ギャング、地獄、ヒット題材
1962『天下の御意見番』 大久保彦左衛門題材 =助演の2番手
1962『さくら判官』  遠山の金さん、ヒット題材
1962『地獄の裁きは俺がする』  ギャング、地獄
1962『勢揃い関八州』 国定忠治、ヒット題材
1962『お坊主天狗』  成敗物
90
1962『裏切者は地獄だぜ』  名作   ギャング、地獄
1963『八州遊侠伝 男の盃』  国定忠治、股旅、ヒット題材
1963『勢揃い東海道』 名作、年間ベスト5の超大ヒット、清水の次郎長
1963『ギャング忠臣蔵』 ギャング、忠臣蔵、ヒット題材
1963『十三人の刺客『1963)』 名作、抗争物
1965『大勝負』 侠客物
96



*表記ミスから一部修正しました。



ヒットは大ヒット、超大ヒットのみを表記しています。ほとんどがスマッショヒット(ヒット)をしていると考えられます。、ヒット題材は自身のヒットシリーズやその題材を含み、また名作は確認できているもののみを表記しているため、最低限な本数とお考えくださいまた名作(一部に前衛、大半は娯楽メイン)のみの表記ですが、それ以外もほとんどが秀作(娯楽路線メイン)です。これも驚異的な現実です。日本映画上位に評価される、巨匠内田吐夢とのコンビ作が、いわゆる前衛路線のほとんどを占めています。



千恵蔵との出演コンビが96本、代表的作品は次回へ、8割強の驚異的な的中率を誇っています。代表作ではないものを挙げるほうが早いという現実の驚愕します。題材も多彩です。








千恵蔵映画 (1980年)

伝説書籍の千恵蔵映画






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2021/01/01 20:23 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

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