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2大製作者のギャング&忠臣蔵が語る苦難道に挑み大願成就 里見浩太朗が語った東映の赤字黒字






2大製作者のギャング&忠臣蔵が語る苦難道に挑み大願成就 里見浩太朗が語った東映の赤字黒字





映画愛子は、ソニーグループの製品や、映画、制作側が鬼の「鬼滅の刃」などのアニメやゲーム、芸能を含めた、全てのサービスの全てを不買することにしました。これまで知らないうちに、映画愛子もウイグル人虐○に知らずに関与させられ、貢献していた。優良企業と刷り込まれ、騙されて、ソニー製品やサービスを利用していたためです。

人間として当たり前のことですが、ソニーグループは大量虐○に加担しているため、ウイグルや中国から徹退する(情報が伝わるウイグル問題関与企業12社のうちの1社のソニー)までは全て不買する、人間の未来のため、自由の未来のため、当然のことだと考えていますし、無関心と無恥も悪です。




今回の記事は、下記リンク先の3回目の記事の流れです。「玉木と千恵蔵の国民的大題材の忠臣蔵映画 8本 最低でも6000万人以上を動員と名作の金字塔」や「血槍無双は玉木と橋蔵のプロデューサーの中村有隣のダブル制作」などの流れを受けています。

共産電波犬彰ちゃん 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編の映界反逆作戦 最強タッグ消えた8本6000万人超業の流れの記事です。

その前に人類や映画の未来を破壊する、大きな問題に少し触れさせてください。




2021.02.09 BBCが伝えたウイグル人衝撃の証言‼️【及川幸久−BREAKING−】

公開日時点で26万再生 2万イイね!

及川幸久

中国による国家犯罪 ウイグル人女性たちへの非道な組織的性的暴行と強制不妊と虐○
日本人の女性のこの未来を避けるためにも中国を避けなけれならない。

ソニーを含む、確定12社や他の企業も中国そのものから直ちに徹退せよ!!
まず製品やサービスも不買するし、買わない。
関連企業の利用や買う行為そのものが、
彼らに力を与え、中国の世界侵略、日本侵略へ貢献する行為だからです。

日本を崩壊へ導く悪党企業へきちんと批判の声を上げたり、不買すること、これがすぐに庶民にできるです。

2021.02.09 BBCが伝えたウイグル人衝撃の証言‼️【及川幸久−BREAKING−】




SakuraSoTV

個人的にも応援しているチャンネル桜です。中国共産党により民族浄化の危機にあるウイグル人の現状、在日ウイグル人女性が登場。この人は色々な番組に登場しています。



ソニーグループ
 ウイグル問題 及川幸久 SakuraSoTV チャンネル桜 鬼滅の刃



前回記事 国民的8込12+有名題材16の実激 「自来也」巻き込む歴代映画製作者がアニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』へ忍術忍者


ソニーは中国徹退という、東映が日本映画最大の最盛期に苦難道に挑み(下記事で取り上げ)、大願成就した記事のタイトルとも重なる、東映の事実をぜひ見習っていただきたいです。





里見浩太朗がラジオ番組で語った東映初期の苦しみの赤字時代







1952『赤穂城』、1952『続赤穂城』、1953『女間者秘聞 赤穂浪士』 のいわゆる赤穂城3部作は、1952と1953の東映の映画の年間上位の観客動員を記録したといえます。東映が1956年から1960年代前半にかけて、大手6社の連続1位の時期につながるためにも意味があった作品です。この貢献度も存在しています。


ですが、当時から時代劇は1本に制作費を大きくかかるため、ヒットを連発しても東映自体は、まだ赤字だったのは有名です。この東映創立数年目までの赤字について、片岡千恵蔵も選定やデビューに重役で関与した、後輩俳優たちの中村j錦之助や東千代之介などがデビューとブレイク、大スターが増えた時期の1954年から黒字に転じました。


東映は創立4年目の1955年に戦前からの老舗の松竹と競りあう2位の大健闘、大川橋蔵がデビューとブレイクした1956年は、千恵蔵と玉木のコンビによる清水次郎長映画と刑事映画の年間1位と2位の2本3500万人近いメガヒットや、多数の数百万人ヒットなどから、東映は創立5年目で初の1位となって念願を果たし、1960年代前半まで連続1位で最大の最盛期(大黄金期)を牽引ていきました。この実現には赤字の時期の苦しい中のヒットの経験とその忍耐、さらに戦前からのベテランと戦後からの若手の競合が重要でした。

玉木と千恵蔵の成功は、この赤字時期といわれるこの苦しみがなければ実現できないものだったでしょう。成功はしていたものの、いきなりの大成功したわけではない現実を伝えているのが、赤穂城3部作の忠臣蔵映画です。


東映の映画の生え抜き時代劇スターを経験してきた里見浩太朗(映画俳優時代の当時は里見浩太郎)は、東映の赤字のことをラジオ出演時に数度話しています。

錦之助千代之介こと、中村j錦之助や東千代之介が主演の連続放送劇を映画化した、1954年の里見八剣伝の5部作のヒットからだったという話ですが、明確な証拠の一つの観客動員ベスト10に含まれていません。1954年の10位が800万人ほどのため、800万人以下、または800万人級だったということでしょう。当時に聞いた話なのでしょう。この映画から黒字の好転したという話です。










赤穂城 続赤穂城 女間者秘聞 赤穂浪士 大川橋蔵 清水次郎長映画 刑事映画  里見浩太朗 里見浩太郎

玉木潤一郎 千恵蔵映画 赤穂城3部作 里見浩太朗 片岡千恵蔵 

市川右太衛門 両御大 中村j錦之助 東千代之介 文化放送 伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)







玉木と千恵蔵コンビのみの忠臣蔵映画 8本の全てがヒットし、爆発的最低6000万人以上動員






玉木と千恵蔵コンビのみの忠臣蔵映画 8本の全てがヒットしたと考えられ、最低6000万人以上を動員 

1952『赤穂城』 名作、忠臣蔵、ヒット 戦後初の忠臣蔵映画、同時に初ヒット、戦後の忠臣蔵初のオールスターキャスト
1952『続赤穂城』   名作、忠臣蔵、ヒット  特に終盤に千恵蔵の大石の名場面2つ
1953『女間者秘聞 赤穂浪士』   名作、忠臣蔵、ヒット 赤穂城から続く3本の完結篇
1956『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 名作、*超大ヒット年間1位、忠臣蔵、=助演、上位、2番手扱い 2000万人級
1959『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』  名作、*年間ベスト5入りの超大ヒット、歴代史上最多オールスター 忠臣蔵 2000万人級 
1959『血槍無双』  忠臣蔵の外伝、槍物 ヒット 1959は東映映画歴代の最多年間観客動員を記録
1961『赤穂浪士(1961)』  名作、*年間2位の超大ヒット、忠臣蔵  1500万人級 *忠臣蔵映画最大の名作とも言われる
1963『ギャング忠臣蔵』 ギャング、現代劇の忠臣蔵、ヒット 異色の忠臣蔵映画



玉木と千恵蔵のコンビの忠臣蔵映画は、戦前から数十名の映画スターの膨大な300本以上が映画化される中、忠臣蔵映画、赤穂浪士題材最大のヒットを記録、国民的映画題材で歴代トップとなり、事実上のナンバーワンともいわれる大きな理由の一つ、千恵蔵の忠臣蔵映画は戦前から通算30本近くあるが、3分の1を割り込み、玉木とのコンビは8本に留まる。最低6000満ほどとしているが個人的には7000万ほどだと考えています。

戦後のアメリカGHQによる剣戟解禁の1952年から『赤穂城』から1963『ギャング忠臣蔵』までの12年間で8本が制作されました。12年間8本は、歴代の忠臣蔵長編映画の製作者とその主演俳優の単独コンビの歴代最多です。


1959『血槍無双』は100年を越した北海道の映画館の大黒座の写真から、大黒座の外に子供たちの大行列ができていたと、ヒットの証拠がの残されている映画です。当時の映画館と映画タイトルがわかった上、大行列が撮られている写真はあまり多くないため、非常に貴重な言葉を出さない証言の写真です。





1963『ギャング忠臣蔵』は現代劇で忠臣蔵を風刺した斬新なギャング映画です。2大ヒット題材の忠臣蔵とギャングを組み合わせ、名優30名を越すオールスターキャストの3つの要素を押し出してまとめました。この映画は東映チャンネルも放送していない幻の映画です。

製作(企画表記)は、玉木潤一郎植木照男植木照男は片岡千恵蔵(本名=植木正義)の親戚で、東映で活躍した名プロデューサーの一人、最大の代表作は、高倉健の「網走番外地シリーズ」です。高倉健の最大の代表的シリーズに大きく貢献しましたが、千恵蔵映画の初期の代表作の実積のおかげで、自分の実積を積み上げられ、自身最大の代表作へつながりました。

また千恵蔵がいないと植木照男はいないため、千恵蔵無くして、高倉の無しの数多くの証拠のうちの一つが確認できます。






玉木と千恵蔵のコンビ 忠臣蔵映画 国民的映画題材 

GHQ 剣戟解禁 

ギャング忠臣蔵 ギャング映画 東映チャンネル 植木照男 網走番外地シリーズ 高倉健









玉木と千恵蔵の幻の重要映画『ギャング忠臣蔵』の役名から知る時代劇の愛







あえて少量に留め、詳しく解説はしません。( )の中の配役が時代劇の忠臣蔵映画のどんな役なのか、考えていただけたら幸いです。



ギャング忠臣蔵

主演=片岡千恵蔵(大石良雄)、

上位キャスト、上位助演=鶴田浩二(田原星夫)、高倉健(浅野卓己)、月形龍之介(徳田玄将)、山村聡(立花警視総監)、進藤英太郎(堀部安平)、安部徹(吉良高之介)、

三田佳子(浅野瑶子)、佐久間良子(村上朋子)、梅宮辰夫(早野勘平)、江原真二郎 (岡野金也)、千葉真一(矢頭七郎)、今井健二(武林只夫)、柳永二郎(柳沢吉安)、丹波哲郎(ファイテング清水)

*上位15名


亀石征一郎(大高源吾)、内田良平(権藤)、片岡栄二郎(不破数夫)、曽根晴美(赤垣源三)、山本麟一(ヘンリー・小林)、花澤徳衛(カポン・大野黒平)、神田隆(千坂飄夫)、八名信夫(神崎四五郎)、

上記通算21名、

その他端役の名優
左卜全(老教師)、日尾寿司(寺坂吉衛)、沢彰謙(伊達京助)、潮健児(直次郎)、須藤健(公安部長)、河合絃司(外事課長)、関山耕司(ゲン)など

上記通算30名






片岡千恵蔵の役名は、映画やドラマで国民的に知られる大石内蔵助の役名ではなく、あえて、諱(いみな)の大石良雄の名義を使用、これは映画やドラマで使われない名義をあえて用いている個性的な攻めた特徴があります。

それぞれの役名に時代劇の置き換えの役名が見られますが、鶴田浩二の田原星夫は俵星玄蕃や俵星弦馬を風刺している役名です。高倉健の浅野卓己は、浅野内匠頭のの頭を除いた部分の内匠をいじくって卓己としいます。色々と深みがあります。


日本映画歴代を代表する、長編メインの世界最多主演360近いナンバーワン片岡千恵蔵、戦後最多主演の170近い鶴田浩二、主演130弱の高倉健、主演110強の月形龍之介の日本映画4大俳優が共演しています。

通算主演50を越す梅宮辰夫、千葉真一も出演し、主演50以上は上記4名とこの2名の通算6名、画像の様に助演スターも含めた、当時の事実上の16スターが出演しています。


玉木と千恵蔵の忠臣蔵8本に含まれますが、同時に玉木と千恵蔵のギャング映画14本目へも含まれます。千恵蔵の忠臣蔵映画で、オールスター題材を含めなければ、唯一の忠臣蔵とギャングにおける有名題材の複重要素のタイトルとなります。しかも、玉木と千恵蔵コンビのみの忠臣蔵映画と、玉木と千恵蔵コンビのみの千恵蔵のギャングシリーズの、互いのダブル題材の最後の作品に含まれます。これはそこそこの意味を持つことを伝えています。







玉木と千恵蔵コンビのみの千恵蔵のギャングシリーズの大ヒットの事実と伸びしろの可能性





玉木と千恵蔵コンビのみの千恵蔵のギャングシリーズ、玉木関与以外も含めると千恵蔵のギャングシリーズ23本は、大ヒットを記録しました、これは確実な事実です。ややこしい箇所があると思われますが、片岡千恵蔵という、歴代ナンバーワン俳優に関する部分でもあり、可能性の部分を避けずにあえて迫ります。


千恵蔵のみの千恵蔵のギャングシリーズは、1948年のヒット作『にっぽんGメン』から23本、玉木は千恵蔵5本目の1952『暗黒街の鬼』から初参加、 その後、最盛期のほとんどを手掛け、最後の23本目に該当する隠れた名作の1964『地獄命令』(小沢茂弘監督)ですが、この映画に玉木潤一郎の名前はなく、後輩の植木照男に託しています。玉木は23本中15本を手掛けています。



玉木と千恵蔵コンビのみの千恵蔵のギャングシリーズ 15本 最低4000万人以上を動員

1952『暗黒街の鬼』  ギャング
1955『青龍街の狼』 ギャング
1956『恐怖の空中殺人』  名作、*年間3位の超大ヒット、ギャング、刑事など、ヒット 1500万人弱
1957『地獄岬の復讐』 地獄、ギャング
1958『奴の拳銃は地獄だぜ』  ギャング

1959『無法街の野郎ども』 ギャング
1959『地獄の底までつき合うぜ』 名作 地獄、ギャング、刑事
1960『二発目は地獄行きだぜ』 名作 地獄、ギャング、刑事
1961『俺が地獄の手品師だ』  地獄、ギャング
1961『アマゾン無宿 世紀の大魔王』 無宿、ギャング
10
1961『ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども』  無宿、ギャング
1961『地獄の底をぶち破れ』 名作 ギャング、地獄
1962『地獄の裁きは俺がする』 名作 
1962『裏切者は地獄だぜ』  名作 年間ベスト10の9位 
1963『ギャング忠臣蔵』 ギャング、忠臣蔵
15




*ここから次の小見出し部分まで、だいぶややこしい部分です。重要だと考え、ややこしい部分にあえて踏み込んでいます。


千恵蔵御大主演の超一級映画でもあることから、実はこの15本のほとんどがオールスターキャストです。1963年の『ギャング忠臣蔵』が、現代劇映画史上上位のオールスターキャストで、実現していることも、全体が当たってきた証拠の一つといえます。名作は娯楽映画としての部分、非常に質が高い内容で、もちろん同時期の松竹や東宝、日活、大映などと現代劇と比べて視聴しています。


年間観客動員ベスト10は、大手の公開本数という意味で、現在の日本映画の20倍近くといわれる最盛期の非常に高い競争力のため、他もかなりのヒットをしていたことが考えられます。数百万人ヒットが何本もあったことは確実です。たとえこの1本以外がすべて100万人だったとして1300万人、1本の1500級とプラスすると軽く3000万人近く、これは少なくありえないことです。

なぜなら、15本あって2本が突き抜けて観客が入っていることは常識的にありえないことですし、他の13本の全てが100万人程度とは考えられません。しかも特に100万人以上の300万人が何本もあることが考えられますし、それ以上の500万人級、またはそれ以上の大ヒットが数本あったのかもしれません。特に1955『青龍街の狼』から1961『地獄の底をぶち破れ』の11本の時期は、日本映画最大の最盛期であり、500万人を越していても、年間ベスト10にさえも含まれませんでした。


1955~1961は800万人級でギリギリベスト10が可能になりましたが、1962はベスト10ランクインが1950年代中盤以来に割り込み、4000万人級でランクインが可能になりました。この数年後の10位近辺は300、200万と急激に落ちていき、悲しいことに、現在へ至ります。

玉木と千恵蔵のギャングシリーズは1956『恐怖の空中殺人』と1962『裏切者は地獄だぜ』のみでしたが、1962年の日本映画全体が低迷が見えてきたときに、1962『裏切者は地獄だぜ』が久々のベスト10入りを果たし、1962年の年間9位です。これも玉木と千恵蔵のギャングシリーズが継続的に観客に支持されていた理由の一つといえます。


玉木が関わりがなくても千恵蔵と関わりがあることからも、1962『裏切者は地獄だぜ』がある程度客を呼んでいることで、この映画以前のシリーズがベスト10近辺の観客を呼んでいた可能性を大きく高めています。つまり全体の観客動員の平均値を高めていることになります。


玉木と千恵蔵のみのギャングシリーズは、この1本以外は全て200~300が最低限な平均動員数だとも考えています。2本で1500万級と400強ほど、以外の13本が200万だとして、2600万人だと過程すると最低4000万人を上回ります。300を平均とすると1本1500万級と12本で3900ほどなり、通算5000~5500未満、この4000~5500付近がもっともが現実味があるといえますが、念のため、200万平均の前者の最低限は4000万人強ほどを選び、高い可能性のほうをあえて選んでいます。個人的には200と300の間とみるのは良いと考え、5000近いともいえるかと考えています。





東映が全ての数字を出せば、それで済むことですが、他社も含めて、特に最盛期は公開本数が膨大なため、製作側もベスト10以下はほぼ出しません。






裏切者は地獄だぜ

鶴田浩二 月形龍之介 山村聡 進藤英太郎 安部徹

三田佳子 佐久間良子 梅宮辰夫 江原真二郎 千葉真一 今井健二 柳永二郎 丹波哲郎

亀石征一郎 内田良平 片岡栄二郎 曽根晴美 山本麟一 花澤徳衛 神田隆 八名信夫 左卜全

大石内蔵助
  

大石良雄 鶴田浩二 田原星夫 俵星玄蕃 俵星弦馬 浅野卓己 浅野内匠頭 地獄命令 小沢茂弘 

血槍無双 北海道の映画館 大黒座 






寺島しのぶの祖父の名優出演 忠臣蔵映画にも影響している貴重なパンフレット







舞台パンフレット 改装完成 初開場大歌舞伎 昭和25年明治座公演 假名手本忠臣蔵 尾上梅幸 市川海老蔵 尾上松緑 市川羽左衛門

尾上松緑が大星由良助(映画やドラマだと大石内蔵助の名前)を演じていたと考えられますが、3番手表記なのは不思議です。ここはあえて、尾上梅幸に少し触れます。忠臣蔵映画にもつながりを持つ、時代劇の親戚ともいえるのが、歌舞伎です。歌舞伎の忠臣蔵題材というと仮名手本忠臣蔵です。歌舞伎の多くの演目の中でも大衆的上位です。


尾上梅幸は歌舞伎の名優の一人で、33歳の年に1948年(昭和23年)に七代目尾上梅幸を襲名、『仮名手本忠臣蔵』(假名手本忠臣蔵)の大星力弥(おおぼしりきや、映画やドラマだと元服後の大石主税、幼名を大石松之丞でも知られる)で出演し、文部大臣賞を受賞した近い時期の舞台パンフレットが、1950年の昭和25年の明治座公演の假名手本忠臣蔵です。

1968年(昭和43年)、重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)、

養父は六代目尾上菊五郎。歌舞伎の名優の十七代目中村勘三郎は義弟、映画俳優の大スター大川橋蔵は血のつながりのない兄弟、実兄は歌舞伎をやめて映画俳優の名優となった徳大寺伸、長男は七代目尾上菊五郎、孫は寺島しのぶ、姪は波乃久里子など、歌舞伎や映画、芸能関連の多くの人脈がありました。




舞台パンフレット 初開場大歌舞伎 昭和25年明治座公演 假名手本忠臣蔵 尾上梅幸 市川海老蔵 尾上松緑 市川羽左衛門 明治座





尾上松緑が大星由良助(映画やドラマだと大石内蔵助の名前)を演じていたと考えられます。市川海老蔵は1940年に襲名の九代目市川海老蔵であり、のちの1962年に襲名の十一代目市川團十郎です。現在の市川海老蔵の祖父です。

ここはあえて、尾上梅幸に少し触れます。忠臣蔵映画にもつながりを持つ、時代劇の親戚ともいえるのが、歌舞伎です。歌舞伎の忠臣蔵題材というと仮名手本忠臣蔵です。歌舞伎の多くの演目の中でも大衆的上位です。


尾上梅幸は歌舞伎の名優の一人で、33歳の年に1948年(昭和23年)に七代目尾上梅幸を襲名、『仮名手本忠臣蔵』(假名手本忠臣蔵)の大星力弥(おおぼしりきや、映画やドラマだと元服後の大石主税、幼名を大石松之丞でも知られる)で出演し、文部大臣賞を受賞した近い時期の舞台パンフレットが、1950年の昭和25年の明治座公演の假名手本忠臣蔵です。

1968年(昭和43年)、重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)、

養父は六代目尾上菊五郎。歌舞伎の名優の十七代目中村勘三郎は義弟、映画俳優の大スター大川橋蔵は血のつながりのない兄弟、実兄は歌舞伎をやめて映画俳優の名優となった徳大寺伸、長男は七代目尾上菊五郎、孫は寺島しのぶ、姪は波乃久里子など、歌舞伎や映画、芸能関連の多くの人脈がありました。




尾上松緑 大星由良助 市川海老蔵 九代目市川海老蔵 十一代目市川團十郎

尾上梅幸 仮名手本忠臣蔵 七代目尾上梅幸 假名手本忠臣蔵 大星力弥 大石主税 大石松之丞 文部大臣賞

重要無形文化財保持者各個認定 人間国宝

六代目尾上菊五郎 十七代目中村勘三郎 大川橋蔵 徳大寺伸 七代目尾上菊五郎 寺島しのぶ 波乃久里子



元文化放送アナウンサー 吉田照美

伊東四朗 宮本武蔵 稲垣浩 伊藤大輔 武蔵映画 赤木春恵





過去の思い出から生じる思い込みの嘘 過去を背負いつつも現在進行形の必要性





ちなみに元文化放送アナウンサー、現在メインがタレントの吉田照美(てるみ読みだが、男性)は、子供の頃の印象のみで片岡千恵蔵の直属後輩俳優の中村錦之助を押していますが、東映や時代劇映画に詳しい顔をした薄めの知識ばかり話しています。

自分で言うのもおかしいですが、それなりに詳しい人間からすると、偏った間違いばかりを当時の印象で、全体を理解せずに、話していることがわかります。過去の発言から吉田照美は千恵蔵の存在をぜんぜん理解していないようです。監督やその製作者、名前や軽く100名以上いた名優の数を全然知らないなど、多くの面からこの薄い知識がわかります。


吉田照美を擁護するわけではありませんが、全体の理解といっても、「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)」の生放送の限られた時間で簡単に話すことは非常に難しいわけですが、データやその可能性の伴わない昔の思い出ばかりだと、間違いばかりを生み出すので注意が求められます。個人的にも注意しています。

ちなみに伊東四朗(1937年生まれ)は片岡千恵蔵というと、宮本武蔵映画が一番良い記憶があると過去に話しています。これは千恵蔵と2大巨匠の稲垣浩や伊藤大輔とのコンビの1940年代に大ヒットした6本の武蔵映画(6本は総集編や改修版を含まない)、1943年の1940年代のシリーズの最後の公開作1943『宮本武蔵 金剛院の決闘』(伊藤大輔監督、総集編や改修版を含む、現存含む通算10または11本目)のときは、数え年が7歳、または10代の戦後に公開されたバージョンのいずれかの記憶のようです。実はこの千恵蔵の武蔵に関しては、名脇役の赤木春恵も亡くなる1年くらい前のNHKのラジオ番組で、戦中の千恵蔵の武蔵が印象に残るものだったと話していました。これは話し込んでいたため、NHKが途中でカットしていました。何を話していたのか気になるところです。


吉田照美のように思い出のみで語るのではなく、昔のことは思い出だけで終らせることはせずに、新たに見られるものは、今も観て向き合う、過去を知らずして現在を語ることはあさはかであって、現在進行形の理解を深めていくことも必要です。






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2021/03/15 20:20 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

国民的8込12+有名題材16の実激 「自来也」巻き込む歴代映画製作者がアニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』へ忍術忍者






国民的8込12+有名題材16の実激 「自来也」巻き込む歴代映画製作者がアニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』へ忍術忍者と題して展開していきます。

自分はほどほどに、日本のために、外国にためにも微力ながらできることはやっていく、これが人としての意味でもあります。







まさかの前回と今回の間で完全故障の仕返し さらばソニーのデジタルカメラ「Cyber-shot(サイバーショット)」を捨てるとき






ソニーのデジタルカメラがついに壊れました。10年ほど使用してきた愛用のコンデジ、ソニーのデジタルカメラ「Cyber-shot(サイバーショット)」です。前回の記事において、ソニーのことをきつく優しく取り上げらからでしょうか、それにしてもひどい仕打ちを受けてしまいました。

前回記事から今回の記事までの間に、部分的に機能しなくなっていたとはいえ、ほぼ使える状態から、前回記事後に突如完全に使えない壊れる状態になってしまうとは、衝撃でした。




前回記事⇒共産電波犬彰ちゃん 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編の映界反逆作戦 最強タッグ消えた8本6000万人超業



この記事の全体は3記事前の正当な流れを受けています。下のリンク記事です。
製作者と俳優コンビ歴代最多国民的題材10の大成功 コンビ3億人の最大観客動員記録


部分的に前々回の記事の流れも存在しています、。
共産電波犬彰ちゃん 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編の映界反逆作戦 最強タッグ消えた8本6000万人超業




ソニーのデジタルカメラ Cyber-shot サイバーショット






国民的8+12+有名題材16の実益激震 片岡千恵蔵玉木潤一郎の最強名コンビ









歴代ナンバーワン記録が数十ある片岡千恵蔵と、的中率と観客動員最多の日本映画のナンバーワン映画プロデューサー玉木潤一郎の大名コンビのみで約100本を記録、これだけでも世界歴代上位、さらに、この記事から2回前の前々回と3回前の前々前回、特に3回前の前々前回に大きく取り上げたように、有名題材12、国民的題材8で、明確な大成功を収めています。実はこれだけではありません。これだけでも歴代上位なのですが、ここからさらに上に上がります。



片岡千恵蔵 玉木潤一郎






明確な記録が残るもの以外の有名題材 主演以外も含む有名題材、有名ジャンル (一部複重ジャンル有)


このコンビは有名題材12の大成功(⇒製作者と俳優コンビ歴代最多国民的題材10の大成功 コンビ3億人の最大観客動員記録)にプラスして、さらに16題材の有名題材が存在しています。しかもそのほとんどがなんらかの価値がある作品です。完全に世界的にありえないレベルです。実に多彩につきぬけた記録を残していない作品の中に名作、秀作の数が多いのが、玉木と千恵蔵の最強コンビの現実です。






片岡千恵蔵玉木潤一郎の明確な記録が残るもの以外の有名題材や有名ジャンル (メインも含む、一部複重ジャンル有)


3本以上の5本と4本
1 勧善懲悪物(悪の成敗系)5 『お坊主天狗』3本など
2 傾向映画の要素4 1955『血槍富士』、1956『逆襲獄門砦』、1956『黒田騒動(1956)』、 1958『紫頭巾(1958)』 


2本のみ 公開早期順の表記
3 幕末物2 1954『南国太平記(1954)』 1954『続南国太平記 薩南の嵐』
4 槍物2 1955『血槍富士』 、槍物と丸橋忠弥の1957『素浪人忠弥』
5 文芸要素2 1955『飛龍無双』 =主演 1959『浪花の恋の物語』=3番手
6 捕物2 1959『大岡政談 千島の印篭』 1960『半七捕物帖 三つの謎』
7 歌舞伎風刺2 1960『妖刀物語 花の吉原百人斬り』、1960『半七捕物帖 三つの謎』 捕物、歌舞伎風刺


1本のみ 公開早期順の表記 
8 鼠小僧次郎吉1 1953『鬼伏せ街道』 股旅要素も有
9 お家騒動1 1956『黒田騒動(1956)』
10 宮本武蔵1 1956『剣豪二刀流』 千恵蔵版の十八番、13本目の宮本武蔵映画(総集、改修の再公開など含む)=国民的題材
11 忍術物1 1956『妖蛇の魔殿
12 旗本退屈男1 1958『旗本退屈男(1958)』 旗本退屈男、ヒット題材 =助演の2番手
13 紫頭巾1 1958『紫頭巾(1958)』 千恵蔵の5役表記
14 天保侠客物1 1959『血斗水滸伝 怒濤の対決』 準主演の国定忠治
15 大岡越前1 1959『大岡政談 千島の印篭』
16 大久保彦左衛門(同時に一心太助要素)1 1962『天下の御意見番』 大久保彦左衛門題材 =2番手扱い、劇中表記は最初




明確な記録が残るもの以外の有名題材の代表的な映画が、16題材、しかもこの16題材はすべて時代劇映画、実に多彩です。黄金期の時代劇が、いかに多彩で幅が広い内容があったのかも、このコンビは今に伝えてくれます。NHKなど日本の文化をおとしめていると考えていますが、現実に同じような作品ばかりですから、悲しいことです。







千恵蔵映画につなげる忍術映画、忍者映画の真実の歴史 アニメにも多大な影響





忍術映画は日本最初の映画大スター尾上松之助が中心になった1910年代に爆発的な第一次忍術ブーム(正確には忍術だが、後付けでこれも忍者ブームともいわれる)からスタートし、現在はあまり知られていませんが、特に過去の古くに大きな人気を博した国民的題材です。


戦後の1960年代には忍術要素の30分テレビドラマ時代劇が多数制作、忍術要素がある忍者物だが主人公は隠密の『隠密剣士』(敵対する側に忍者や忍術を使う人物が多数登場)、東映が制作した忍術要素がある忍者物の『仮面の忍者 赤影』などが、特にヒットを記録しました。また映画は、市川雷蔵主演の忍者や間者の要素を押し出した大映映画「忍びの者シリーズ」(1962~66)が8本も公開される好評を博しました。雷蔵は同じ蔵が付くことも影響があるかもしれませんが、千恵蔵のリメイクや影響作。同題材が多くある俳優です。

レアなところだと現代劇要素の忍者、戦隊物の先駆的時期の作品の1964~66の『忍者部隊月光』(全130話)が印象に残ります。

代表的なものがほぼないため飛びますが、1時間のテレビドラマだと特に大きいものが、千葉真一の「影の軍団シリーズ」(1980~1985)が5シリーズ製作、1980年代にテレビアニメ『忍者ハットリくん』、全体のピークは2000年代のマンガ『NARUTO -ナルト-』、2007年からの『NARUTO -ナルト- 疾風伝』(電通も製作に大きく関与)などのアニメ(テレビアニメ、アニメ映画)へつながります。テレビアニメから再びアニメ映画ですが、大衆的には千恵蔵映画以来ともいえる忍術要素の作品が、映画作品へ回帰しました。これらも忍者中心の忍術の要素がある作品です。これたに玉木と千恵蔵のコンビが1956『妖蛇の魔殿』で関与しています。


玉木と千恵蔵のコンビの代表的作品の一つの1956『妖蛇の魔殿』は、東映のカラー映画の初期の一本です。これ以前もカラー自体は少数ありましたが、モノクロがメイン、東映もカラー映画を主流にしていくために、本腰を入れだした時期の作品の一つです。


東映としても映画の先人たち、特に日本映画の父こと、巨人牧野省三の作り出した爆発的なブームを記録した忍術映画(忍者物要素)の映画を、戦後にカラー作品として製作する必要性あったことでしょう。

この映画『妖蛇の魔殿』はある程度のヒットはしたと考えられますが、ただ記録的なものではありませんでした。千恵蔵映画は価値がある作品が膨大数あるため、『妖蛇の魔殿』はあまり陽の目を見ませんが、先人への敬意が込められた、この映画も非常に意味があります。




日本最初の映画大スター
忍術映画 尾上松之助 忍術ブーム 忍者ブーム 国民的題材 忍術要素の30分テレビドラマ時代劇 

千葉真一 影の軍団シリーズ

忍術要素がある忍者物だが主人公は隠密 隠密剣士 忍術要素がある忍者物 仮面の忍者 赤影 市川雷蔵 忍びの者シリーズ

忍者部隊月光

忍者ハットリくん NARUTO -ナルト- NARUTO -ナルト- 疾風伝 電通 

妖蛇の魔殿 牧野省三 千恵蔵映画






妖蛇の魔殿 [VHS]

VHS版が販売されていたことをこれまで知りませんでした。DVD版は販売されていないようですが、VHS版があるだけでも、『妖蛇の魔殿』がある程度の評価を受けていたことを示しています。5000円とあります。千恵蔵が飛んでいる姿を大きく使用している画像で、左側の画像には、綱手姫役の名女優や時代劇女優、スター女優の長谷川裕見子(長谷川一夫の親戚、船越英二の妻、船越英一郎の母)の姿も見えます。


千恵蔵自身は1937年に『自来也』(戦後に公開された改修改題版は『忍術三妖伝』で事実上2本、監督は巨匠マキノ雅弘、当時はマキノ正博の名義)、そしてこの1956『妖蛇の魔殿』は尾形宗久自来也)を演じています。現存版含めると3本目の自来也を演じています。これ非常に有名な役柄です。自来也の映画は、尾上松之助の1914年の映画から、通産25本以上の映画が製作、公開されています。


『妖蛇の魔殿』の出演は他に、尾形宗久のライバルの大蛇丸役を大名優の月形龍之介、ヒロインの綱手姫役を長谷川裕見子、尾形宗久自来也)の幼少期の太郎丸役は、千恵蔵の長男の植木基晴(うえきもとはる)が演じています。彼も東映や日本映画を代表する名子役の一人で、数十の秀作や名作に出演しました。ただ千恵蔵の長女の植木千恵ほどは、500万人や1000万人を越す大ヒット映画へ出演がありませんでした。この点では植木千恵のほうが大きく実積は上になってしまいます。


製作(企画表記)は、日本映画黄金期を代表する2大製作者のマキノ光雄、玉木潤一郎の共同、監督は松田定次、脚本は比佐芳武、撮影は川崎新太郎のホームランコンビ、東映の現場3役のナンバーワン巨星などの超豪華布陣、玉木潤一郎も大きく作品に貢献しています。千恵蔵、玉木、光雄、月形、松田などが牧野省三の互い違いの関係者であることも、大きな製作理由です。

そろそろHD版(ハイグレード画質、ハイビジョン画質版)が放送されても良い頃ですが、SD画質版(スタンダード画質、標準画質版)を録画済です。この映画も名優20名を越す豪華キャストです。


片岡千恵蔵は、マキノ雅弘と松田定次の2大巨匠で、戦前と戦後の時代劇黄金期において、有名な自来也役を主演で演じています。しかも両方とも秀作(『妖蛇の魔殿』は捕え方次第では名作)です。



自来也 忍術三妖伝 マキノ雅弘 マキノ正博 尾形宗久


大蛇丸 月形龍之介 綱手姫 長谷川裕見子 太郎丸 植木基晴 植木千恵

マキノ光雄 松田定次 比佐芳武 川崎新太郎

長谷川一夫 船越英二 船越英一郎



忍者ハットリくんのハットリカンゾウ(服部貫蔵) 



忍者ハットリくん(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)

服部貫蔵は服部半蔵をパクった二次創作キャラクターです。


アニソン 忍者ハットリくん OP 1981年


名オープニング 藤子不二雄の原作


ハットリカンゾウ 服部貫蔵 藤子不二雄 服部半蔵




ナルト疾風伝GKのうずまきナルト


ナルト疾風伝GKうずまきナルト千人モードと島深作PVCスタチューフィギュアコレクタブルモデルおもちゃナルトアクションフィギュアナルトおもちゃ


ナルト疾風伝GK うずまきナルト






玉木と千恵蔵の『妖蛇の魔殿』の自来也から『NARUTO -ナルト- 疾風伝』のうずまきナルトや自来也






個人的にはナルトそのものが自来也をモチーフ、イメージしているものだと考えてもいますが、自来也が登場します。ナルトからすると、老いた、年配風な自来也です。

実は『NARUTO -ナルト- 疾風伝』からスタートした『NARUTO -ナルト-』のアニメシリーズに、自来也(声優=大塚芳忠)というキャラクターが登場しています。この時点で、影響を受けていることを明確に示しています。

ナルトと自来也の出会い 自来也はナルトの五行封印を解く。



ベテラン声優の大塚芳忠が演じています。テレビ番組のナレーションなどでも知られています。アニメファンはやはり、1984~85のテレビアニメ『重戦機エルガイム』(監督は富野由悠季)のミラウー・キャオ(ナレーションも兼任と、劇中の2番手的立ち位置)の印象が強いもので、事実上の彼のアニメの出世作です。最近だと2002年から放送されている日本テレビ系の『真相報道バンキシャ!』のナレーションでも知られています。





実は作者は知る知らないに関わらず、『NARUTO -ナルト-』はこの作品の主人公の自来也を結果的にヒントにしています。何故ならこの題材の系図だからです。自来也はある種の忍者でもあるからです。アニメは時代劇の影響が大きい、これもその一つです。



ナルト 大塚芳忠 重戦機エルガイム 富野由悠季 ミラウー・キャオ 真相報道バンキシャ!





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2021/03/01 20:49 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

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