fc2ブログ

マスコミの伝えない「戦前映画子役ベスト5」 名子役と大映画人の潤ちゃん 最初から異色異例だらけの映画人生




マスコミの伝えない「戦前映画子役ベスト5」 名子役と大映画人の潤ちゃん 最初から異色異例だらけの映画人生






玉木潤一郎は俳優としての通産実積は非常に弱いと考えられていますが、実は重要な要素を複数秘めています。



戦後の東映の大プロデューサーとなり、東映の大手社別の7年連続1位や、日本映画の最盛期のそのものにもっとも貢献した玉木潤一郎は、映画製作本数120本弱、その通算観客動員は数億人、近いうち取り上げますがヒット本数は90本ほど、10を越す歴代有名題材で大ヒットなど、多くの実積があります。

また、映画俳優としては少なくても30本ほどの映画に出演していることが確認できます。



前回記事 ギネス記録は破られた 現代の映画不可能を実現させた男たち『討たるゝ者』と『討たるゝ兄弟』






二つの時代はリンクする 製作者時代へ繋がる俳優時代の良縁たち






戦前の主に脇役俳優として一定の活躍をした俳優時代の玉木潤一郎を知ることが、戦後の彼の大活躍へつながっていることがわかります。戦前の大手映画会社の一つともいえるマキノプロのイメージが強い、彼の俳優時代ですが、玉木潤一郎は東亜キネマで俳優デビューしました。

映画会社の東亜キネマは戦前の1923~1932年まで約10年ほど稼動しました。日活の成立とほぼ同時期から、日本映画の父、日本映画初の巨匠こと、牧野省三も関与していたことでも知られる映画会社です。


東亜キネマは国民的映画スターの一人、嵐寛寿郎の初期の「鞍馬天狗シリーズ」や最初の「右門捕物帖シリーズ」(東亜キネマの在籍版)は1928年から1931年されていたことでも知られています。



玉木潤一郎 東亜キネマ 牧野省三 嵐寛寿郎 鞍馬天狗シリーズ 右門捕物帖シリーズ



玉木潤一郎の俳優時代の映画出演 





現存含むと31本、30本ほどが確認できます。



玉木潤一郎の俳優時代の映画の出演履歴

東亜キネマ
1925『河童妖行記』  

マキノプロ
1926『黒白双紙』  
1926『黒白双紙』 (マツダ映画社所蔵版)
1926『喧嘩日記』  
1926『討たるゝ兄弟』  
1926『緑林異装の快剣士』
1926『牡丹燈籠』(1926年版) 
1926『鳴門秘帖 第一篇』   
1926『鳴門秘帖 第二篇』
1927『喧嘩買兵衛』
1927『鳴門秘帖 第三篇』  
10
1927『稲妻 前篇』
1927『鳴門秘帖 第四篇』  
1927『鳴門秘帖 第五篇』  
1927『鳴門秘帖 第六篇』  
1927『アイヌの娘』  
1927『鳴門秘帖 最終篇』
16

勝見プロ
1927『文七元結』  

マキノプロ
1927『任侠二刀流』 第一篇  
1927『任侠二刀流 第二篇』  
1927『八笑人』  
20
1928『任侠二刀流 終篇』  
1928『忠魂義烈 実録忠臣蔵』(オリジナル版)  
1928『忠魂義烈 実録忠臣蔵』 78分尺で現存(国立映画アーカイブ所蔵版)  
1928『忠魂義烈 実録忠臣蔵』 65分尺で現存(マツダ映画社所蔵版)  
1928『忠魂義烈 実録忠臣蔵』 17分尺で現存(日本名作劇場DVD版) 

日活(太奏)
1928『白蛇』  

千恵プロ時代(片岡千恵蔵の映画会社)
1928『続万花地獄 第一篇』  「万花地獄シリーズ」6本目 断片の現存含むと7本目
1929『続万花地獄 第二篇』  
1929『ごろん棒時代』  
1929『ごろん棒時代』  (マツダ映画社所蔵版)
30
1929『相馬大作 武道活殺の巻』  
31





玉木潤一郎は、マキノプロ時代や千恵プロ時代、戦後の黄金コンビ時代を含むと片岡千恵蔵との縁が強固ですが、俳優時代のデビュー作は1925『河童妖行記』 です。


*勝見プロは松竹最初の三羽烏の一人と称された、現代劇中心の名優の勝見庸太郎の映画会社、主演俳優としては1920年代のサイレント時代が全盛期




河童妖行記 忠魂義烈 実録忠臣蔵 黒白双紙 ごろん棒時代 
千恵プロ 片岡千恵蔵 マツダ映画社

無声映画鑑賞会・マツダ映画社 勝見プロ 勝見庸太郎






玉木潤一郎の俳優デビュー作は戦前上位の名子役との共演から始まった






河童妖行記』 は東亜キネマ(甲陽撮影所)  監督・脚色・原作=曽根純三、松尾文人の主演(河童と少年の2役)をと務め、玉木潤一郎はその父親役のメインキャストで参加しています。俳優時代の出演作はほとんど時代劇の玉木ですが、このデビュー作は現代劇です。玉木はデビュー作で、いきなり老け役とも考えられる父親役を演じていました。戦後の大記録も十分異色ですが、最初から異色の経歴だったといえます。

玉木が父親役を演じたその子ども役が河童と少年の2役を演じた松尾文人です。

松尾文人(まつおふみんど)は名子役として、主にマキノプロで活躍、1922年に6歳で国活映画で映画デビュー、東亜キネマを経て、1925年からマキノプロ、このマキノ時代に子役時代で多くの有名作品に出演し、自身のキャリアの中で、もっとも活躍したといえます。

松尾文人


松尾は主演映画も数本を記録、初期の鞍馬天狗3本に出演し、その1本目の『角兵衛獅子功名帖』から少年杉作を演じました。のちに宗春太郎(戦前の日活時代劇映画のトーキー時代を代表する子役)や美空ひばり(杉作を演じていた1951年はすでに子役ではない14歳)も演じるなど、子役や10代中盤までが演じる有名な役柄です。比較的上位で描かれることが多いという条件の時代劇では、忠臣蔵の大石主税(10代が多め、20代が演じているもの多小ある)に次ぐ、有名な子役やそれ以後の10代が演じる役柄ともいえます。


いわゆる杉作少年は、江戸川乱歩の小説の「少年探偵団」などの小林少年へも影響を与えているようにも思えます。小林芳雄(小林少年)を団長としているのが、少年探偵団です。同時に現代の漫画やアニメの「名探偵コナン」などにも影響を与えていることにもなります。もちろん原作は鞍馬天狗のほうが先です。


曽根純三 角兵衛獅子功名帖 少年杉作 杉作少年 杉作

美空ひばり

江戸川乱歩 少年探偵団 小林少年 小林芳雄 名探偵コナン





ub26376嵐長三郎『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』復刻ポスター

貴重すぎるポスター 実に4万円を越すプレミアム品です。









松尾文人の子役時代の主な代表作





松尾文人の子役時代の主な代表作 年齢は公開時の年齢
1925
9歳 「河童妖行記
1926
9歳 『黒白双紙」
9歳 「黒白双紙」 現存版 現存という面で代表的
1927
10歳 「鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子」 嵐寛寿郎主演の鞍馬天狗シリーズ
11歳 「鞍馬天狗異聞 続・角兵衛獅子」 鞍馬天狗シリーズ
10歳から11歳 「万花地獄シリーズ」 片岡千恵蔵主演 現存含むと5本
11歳 「ひよどり草紙」4本 マキノ梅太郎主演
1928 
11歳 「角兵衛獅子功名帖」 鞍馬天狗シリーズ
11歳 「忠魂義烈 実録忠臣蔵」(オリジナル現存含むと4本) 伊井蓉峰主演 



河童妖行記

松尾文人の代表的映画は、1927年の片岡千恵蔵の「万花地獄シリーズ」4本(現存1本含むと5本扱い)や マキノ梅太郎などの「ひよどり草紙」4本(吉川英治原作、数度のリメイクの最初の映像化の有名作)も代表的メインキャスト作品です。子役時代に10本を越す主な代表作があります。

子役活動としては6歳から12歳までといえ、実に7年間が子役としての映画出演と言えます。11歳までを子役と考えると43本、12歳とすると61本も子役時代の出演しています。これは戦前の有名人物だと、マキノ雅弘に次ぐともいえる子役概念上位の出演本数です。子役時代は60本ほど映画に出演していたといってもよいでしょう。

もっとも大きな実積としては鞍馬天狗の有名キャラクターの助演やメインキャスト登場の少年の杉作像を形成と事実上の定着させたことが大きく、主演では特に当りませんでした。杉作は鞍馬天狗の視聴者の子供たちが作品に投入、共感させるために自分を重ね合わせることができる、鞍馬天狗の登場する映画の場合(登場しない映画化もあり)の重要な人物でした。

戦後も脇役として映画やテレビドラマなど長期間の活動しましたが、やはり子役のときがもっとも輝いていたといえる俳優です。1922年のデビューから1994年まで、実働73年は出演が確認されています。この長期間からも、事実上の名優ともいえるでしょう。




ひよどり草紙 吉川英治 片岡千恵蔵 万花地獄シリーズ マキノ梅太郎 伊井蓉峰






戦前の映画子役ベスト5 マスコミが伝えない戦前の日本映画の上位に有名な主な名子役たち





戦前の名子役というと、マキノ雅弘(子役の当時は別名義のマキノ正唯など、映画の大巨匠の前に日本最初の大名子役)に始まり、高峰秀子宗春太郎悦ちゃん(日活の現代劇で活躍、主演作も作られる)などが上位といえる中で、松尾文人はこれらも人物に次ぐ代表作の本数位置ともいえます。

マキノ正唯


<戦前の映画子役ベスト5>   ここでは子役は1歳から12歳までの区分


マキノ雅弘(子役時代はマキノ正唯など)
子役時代は日本最初の国民的スターの尾上松之助の助演俳優や主要俳優として活躍、日活の子役スターとして子役時代だけで映画120本以上へ出演 忠臣蔵14本(外伝含む、子役時代のみ)以上、忍術ブームの上位作品とされる児雷也4本など人気作に多数出演、戦前の娯楽映画ナンバーワン子役 戦前の子役の1,2位の観客動員だと考えられる。

その後、当時世界最年少とされる18歳で映画監督としてデビューし、時代劇を代表する監督。子役、監督、製作、録音の4刀流で100本以上手掛け、外国に一人とて存在しない世界的映画人となる。


高峰秀子 
現代劇を代表する女児子役、現存含むと45本強に出演 6歳で大女優の栗島すみ子主演の「麗人」、7歳で巨匠の小津安二郎の名作「東京の合唱」、12歳で名作「綴方教室」へ出演、子役のみで10本を越す多くの秀作に出演。その後に成年後も大きく活躍、代表作30以上を記録、日本映画最盛期を代表する主演女優の一人としても活躍


宗春太郎 
時代劇を代表する名男児子役、50本を越す映画に出演。映画710本以上が確認できる世界的助演大名優の香川良介の子、彼は千恵プロでデビュー、これも千恵蔵の膨大な実積の一つ、

1932~1943まで活動、日活時代の大河内傳次郎の「丹下左膳シリーズ」の4本でちょび安(チョビ安)を演じ注目され、「千恵蔵の宮本武蔵シリーズ」の武蔵の養子となる三沢伊織(三之助)は当り役、伊織(三之助)は現存含むと自身最多の映画7本が確認できます。また、阪東妻三郎の「恋山彦」(現存含むと3本)でも存在感を示しています。

さらに日活版の「鞍馬天狗シリーズ」の杉作を4度も上位の代表作、「忠臣蔵 天の卷 地の卷」の現存版含むと5本強に出演、千恵蔵の織田信長(現存の「風雲児信長」含むと2本)で松平竹千代(徳川家康の幼少期)を演じる。千恵蔵の信長と共に馬に乗るシーンが印象的、さらに「天兵童子」の4本は単独主演の代表作(戦後の東映でリメイク)される。

戦前の長編映画の子役として明確な代表作の題材数の最多ともいえる名子役です


子役としては戦後の植木千恵(御大こと歴代ナンバーワン俳優の片岡千恵蔵の長女の大子役、1000万人映画5本を記録、最盛期のヒット作30本以上に出演、通算1億を軽く越していたと考えられ、日本映画史上の子役の最多観客動員は確実)には劣るが、20本を越すヒット作に出演、戦前のみだとマキノ雅弘と競る子役1,2位の観客動員だと考えられる。


悦ちゃん 
日活の現代劇の女児役として主演で1937年の10歳のときにデビュー、現存含むと30本近くの映画に出演、単独主演の「悦ちゃんシリーズ」が6本も製作され、特に1本目は大ヒット、主演は2年半ほどだが人気を博した。時代劇は「忠臣蔵 天の卷 地の卷」(現存版含むと10本近く)や片岡千恵蔵の代表作の一つ1938「弥次喜多道中記」へ出演し、忠臣蔵では時代劇を代表する宗春太郎と時代劇と現代劇の代表の子役共演 1946年に最後の出演作、

テレビ時代の1974年にデビュー作「悦ちゃん」のリメイクとなる、NHKのテレビドラマ「少年ドラマシリーズ」の「悦ちゃん」が放送される。


・松尾文人は上記に表記 

高峰秀子 宗春太郎 悦ちゃん

香川良介 大河内傳次郎 丹下左膳シリーズ ちょび安 

千恵蔵の宮本武蔵 三沢伊織 三之助
忠臣蔵 天の卷 地の卷 織田信長 風雲児信長 松平竹千代 徳川家康 天兵童子

尾上松之助 栗島すみ子 麗人 小津安二郎 東京の合唱 綴方教室

植木千恵 片岡千恵蔵の長女 NHKのテレビドラマ 少年ドラマシリーズ「悦ちゃん」 悦ちゃんシリーズ



初代杉作少年 松尾文人―私と活動大写真

松尾文人自身による著書、鬼平犯科帳や東宝の青春シリーズなどで知られるテレビドラマ監督の高瀬昌弘も関与

高瀬昌弘 鬼平犯科帳 初代杉作少年 松尾文人―私と活動大写真








マキノ雅弘は12歳以降も含めると忠臣蔵映画に最低でも20本出演しています。これは映画俳優のみとしても歴代上位です。
*香川良介はWIKIに映画400本以上とあるがこれは大嘘、確認済みの映画700本以上(現存版も含む)が事実しています。




戦前の日本映画の現代にない多様さや名子役たちの活躍、

玉木潤一郎の映画人としてのスタートは、数多くの名子役がいた中の松尾文人の相手役の『河童妖行記』、デビューから父親役という異色の現実、そこから製作者時代を含めると数十名の映画スターたちとの縁が生まれていきます。





姉妹ブログの新作 宮本武蔵俳優も含んだ東映7名の伝説同窓会『梅辰亭』が物語る 芸能界が真に余裕と個性を重んじた良き時代









日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

関連記事
  

2022/01/15 22:19 | 邦画の探求COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

ギネス記録は破られた 現代の映画不可能を実現させた男たち『討たるゝ者』と『討たるゝ兄弟』




ギネス記録は破られた 現代の映画不可能を実現させた男たち『討たるゝ者』と『討たるゝ兄弟




2021年の1月は片岡千恵蔵玉木潤一郎のコンビについて取り上げました。

その流れで2022年1月のスタートも、日本映画の歴代を代表する映画の大プロデューサー玉木潤一郎について迫ります。




前回記事 ありえない数百本”空白の10年間” 紀元前映画28年ぶり再映画 師走空にマキノ&正二郎&藤山&ひばり舞うとき









牧野省三賞の連続受賞者 超大物俳優4名の中にサンドイッチされた男






玉木潤一郎片岡千恵蔵に次いで二人目で、日本の映画人初の常設の生涯功労賞の牧野省三賞を受賞し、実は三人目が月形龍之介です。四人目が市川右太衛門です。他にも伊藤大輔(監督1人目)や内田吐夢(監督2人目)、衣笠貞之助、マキノ雅弘、稲垣浩、かなり後になり嵐寛寿郎などの大物もいますが、特に最初の4名までは連続で大きな功労者、長谷川一夫と大河内傳次郎はもらえませんでした。




牧野省三賞の特に大物の連続受賞者
1回 片岡千恵蔵 (大映画主演俳優、相手役でも活躍、大映画製作者、東映の重役)
2回 玉木潤一郎 (大映画製作者、映画俳優)
3回 月形龍之介 (映画主演俳優と大助演俳優、相手役でも活躍、映画製作者、当初の東映の重役)
4回 市川右太衛門 (大映画主演俳優、相手役でも活躍、大映画製作者、東映の重役)



片岡千恵蔵玉木潤一郎のコンビは約100本ほど存在し、実に数億人の観客動員を記録、単一の主演俳優と単一のプロデューサーのコンビとしては、日本映画史上の1位の観客動員をたたき出しました。


玉木潤一郎 片岡千恵蔵 




伊藤大輔 内田吐夢 衣笠貞之助 マキノ雅弘 稲垣浩 嵐寛寿郎 長谷川一夫 大河内傳次郎




コンビ代表作の上位は「忠臣蔵」、「清水次郎長」、「遠山の金さん」、「多羅尾伴内」、「ギャングシリーズ」、内田吐夢と千恵蔵コンビの映画群など、代表的映画本数は、コンビ代表作数は歴代最多の80本を越し、10つを越す有名題材で大成功、さらに100本弱で8割以上の的中率を誇り、これは100本級のコンビとしては世界歴代1位といえます。これからも破られることはほぼ不可能でしょう。しかもその全てが大手映画会社の作品です。

月形龍之介は主演、助演、相手役、敵役、善人、父親、上司役など、実に多彩に成功を収めたことが3番目の理由といえ、市川右太衛門はこの千恵蔵と玉木の最大黄金コンビに比べると、あまり製作者に恵まれず、特に多様さも弱く、大きく劣るものでした。



今後はさらに不可能です。お隣の韓国は大手映画会社さえ1社もありません。独立系ばかりです。いかに先人たちの苦労と功績の数々に大きな敬意を払うべきか、われわれ日本人は考え直すべきだと思わされます。日本映画にもしも大手が1社もなかったら・・・多くの概念が存在していない現代になってしまいます。

スポーツの五輪は、基本4年ごとに日本人も毎回金メダルの可能性がありますが、映画は五輪よりさらに何倍も困難で歴代1位はただ一人のみです。

他にほぼ100本のコンビそのものが歴代ほとんどないので、独壇上といえば独壇場ですが、とんでもない現実です。これは2021年の1月から3月くらいの記事にかけて伝えています。




「斬られ役という人生も悪いものじゃなかった」(心の声)

この動画の

10分24秒からをご覧くだい 牧野省三の石碑が登場しています。後年の海老ぞり斬られも知られる、斬られ役俳優として売り出された福本清三が訪ねています。これは2014年です。牧野省三の功績がリアルなものであることを確認できます。



牧野省三の石碑 斬られ役俳優 福本清三 海老ぞり斬られ

福本清三のエピソードも多く聞いていますが、ほぼ新人のとき、右太衛門に初めて斬られるときは、目の前に迫るその絶大な迫力に足がすくみ驚いたと、さらにちょっと怒られたとどこかで話していました。





俳優時代の玉木潤一郎 もっとも共演した男は意外な人物だった






玉木潤一郎は戦前の映画会社のマキノプロダクションに所属していた俳優だったことがあります。その頃、戦後の1952年からに製作者として名コンビを組む片岡千恵蔵、戦後の主演コンビは少ないが2番手や助演で起用する市川右太衛門、戦後は1963年の玉木製作の1963『十三人の刺客(1963)』で出演してもらうことになる嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)なども、戦前の俳優同士としても共演、主演の映画スターとして歩みだしたこの3名の新人時代の助演俳優のほぼ脇役の5番低下で出演しています。


マキノプロダクション 嵐長三郎 十三人の刺客 十三人の刺客(1963)



玉木潤一郎と千恵蔵とは1927年「任侠二刀流」の3部作、さらに千恵蔵最初の代表的な役柄の小枝角太郎を演じた吉川英治原作の「万花地獄シリーズ」の1928~1929年の2本(現存含め全9本中)、1929年『ごろん棒時代』(現存含むと2本)、同年の『相馬大作 武道活殺の巻』での共演が知られています。

小枝角太郎 任侠二刀流 万花地獄シリーズ ごろん棒時代 吉川英治 相馬大作 武道活殺の巻 


玉木と千恵蔵とはマキノプロを飛び出してから、千恵プロへ引き続き移籍入社しているため、この頃から千恵蔵と玉木は仲がよかった、また相性の良さを感じていたことがわかります。特に「万花地獄シリーズ」の2本のうちの『続万花地獄 第一篇』は巨匠となる伊丹万作の2本目の監督作であり、玉木は5番手以下、10番手付近の脇役だったと考えられます。また千恵蔵と吉川英治との縁はさらに大きくなり、当り役の一つの「千恵蔵の宮本武蔵シリーズ」へつながっていきます。


続万花地獄 第一篇 伊丹万作 千恵蔵の宮本武蔵シリーズ 宮本武蔵


右太衛門とは、1926年『討たるゝ兄弟』と『緑林異装の快剣士』と『牡丹燈籠(1926)』や右太衛門の最初の代表的役柄の法月弦之丞を演じた「鳴門秘帖シリーズ」の3本の1926~1927で共演、嵐寛寿郎(嵐長三郎)とは右太衛門をリレーして主演した鳴門秘帖の4本目から最終篇となるアラカン版から数えた7本目までの4本にて共演、


法月弦之丞 鳴門秘帖シリーズ

実は右太衛門の1926『討たるゝ兄弟』はのち天皇とも言われる巨匠の松田定次が撮影しています。彼は牧野省三とマキノ雅弘の母の前の先妻の子とも言われています。有名ですが、松田定次は映画監督としてデビューする前の撮影者時代がありました。


玉木潤一郎の俳優時代の30本ほどで、もっとも多い映画の主演俳優が市川右太衛門の7本です。




緑林異装の快剣士 松田定次




右太衛門と玉木 映画330本以上の歴代大女優の『牡丹燈籠(1926)』






『牡丹燈籠(1926)』で荻原新三郎役を市川右太衛門が主演、ヒロインは松浦築枝(この映画が出演時の芸名は松浦月枝)、彼女はマキノ系二人目の時代劇ヒロイン女優として、一定以上の活躍、時代劇女優のヒロインそのものとしても初期にもっとも活躍しました。さらに右太衛門の荻原と交流を持つ医者の山本志丈役jは、玉木潤一郎が演じています。


牡丹燈籠(1926) 荻原新三郎 松浦築枝 松浦月枝 山本志丈


懐かし怪談映画「牡丹燈籠」1968年劇場公開 ラストシーン



数多くの名優が映画やドラマで出演し、演じてきたこの名作の怪談題材、映画は同名題のみだと1910~1990年までの18本が確認できます。


松浦築枝は映画330本以上に出演、映画女優としては歴代上位、ヒロイン女優として大きく活躍歴(代表作二桁以上)がある女優としては、歴代1位の映画出演数を記録、ヒロインの主な代表作は「万花地獄シリーズ」、「砂絵呪縛」、「百万両秘聞」、「神州天馬侠」、「崇禅寺馬場」や「浪人街」、「首の座」、「水戸黄門」、「吉原百人斬」、「中山七里」、「里見八剣伝」、「紅蝙蝠」など実に多彩と膨大な40本を記録、現在のマスコミが取り上げない日本映画を代表する大女優です。特に時代劇中心の大女優です。



吉原百人斬 砂絵呪縛 百万両秘聞 神州天馬侠 崇禅寺馬場 浪人街 首の座 水戸黄門 中山七里 里見八剣伝 紅蝙蝠


松浦築枝はマキノのヒロイン女優として多くの名作に出演後、戦後の東映の脇役や端役俳優として戦後も活躍、目立つ代表的なものに限ると、両御大こと千恵蔵や右太衛門の主演映画の主演から十番手以下、20番手圏内の配役位置が多く、出番はワンシーンも多め、その多くの名作でその存在感をみせています。近年亡くなった100歳近くで亡くなった名女優の毛利菊枝、名脇役の赤木春恵とも多く共演しています。

松田定次(歴代最多1000万人動員の映画本数、日本映画の通算観客動員最多記録、最盛期最高年俸、特に娯楽系の日本映画最盛期のトップ監督など10を軽く越す歴代上位記録や多彩な功績)と結婚、テレビドラマの脚本が多い脚本家の松田寛夫は養子です。


松田寛夫 毛利菊枝 赤木春恵





盗用なのか許可なのか 『討たるゝ者』と『討たるゝ兄弟』 不思議な共通点 不可能を実現させた大物の牧野省三






討たるゝ兄弟』という題名のこの映画は関連作(姉妹作)とも考えられる映画が存在しています、バンツマの1924年の主演作『討たるゝ者』です。タイトルの”討たるゝ”が同じ、しかも・・・


1924年『討たるゝ者』 監督は沼田紅緑 脚本と原作は寿々喜多呂九平 総監督はマキノ青司
 主演は阪東妻三郎(浪人の水木悪之助役)
1926年『討たるゝ兄弟』 監督、脚色、原作は沼田紅緑 撮影は松田定次 総指揮はマキノ省三
主演は市川右太衛門(都築角太郎と都築三四郎の2役)、玉木潤一郎も助演の出演




*都築角太郎は弟、都築三四郎は兄 マキノ青司はマキノ省三や牧野省三の別名義

沼田紅緑 討たるゝ者

討たるゝ兄弟 寿々喜多呂九平 マキノ青司 マキノ省三


この2本の共通点は沼田紅緑とマキノ省三です。『討たるゝ者』の脚本と原作は日本映画に貢献した原作や脚本家で大きく功績を残した寿々喜多呂九平、彼は映画監督も務めていますが、映画監督は本数の割に成果はいまひとつでした。寿々喜多呂九平から脚色、原作を沼田紅緑の脚色、原作へ受け流した可能性があります。

ある種のパクリだった可能性、たとえば東映は1970年代中盤からスタートした「スーパー戦隊シリーズ」の初期、石ノ森章太郎(石森章太郎の名義も有)から八手三郎(東映の原作などの名義)に受け流した事例などとも繋がります。元は原作を元に映像化したが、後に原作は別な人物が引継ぐという独特なパターンです。



スーパー戦隊シリーズ第1作 「秘密戦隊ゴレンジャー」 原作=石森章太郎(石ノ森章太郎) 1975~1977
スーパー戦隊シリーズ第2作 「ジャッカー電撃隊」 原作=石森章太郎(石ノ森章太郎) 1977
スーパー戦隊シリーズ第3作 「バトルフィーバーJ」 原作=八手三郎 1979~1980


参考例からも、現実に原作=石森章太郎(石ノ森章太郎)⇒原作=八手三郎にリレーされています。もちろんこれらも再放送観ていますが、「ジャッカー電撃隊」は丹波哲郎の息子の丹波義隆も出演していたし、バトルフィーバーJは東千代之介の長官役も思い出します。

丹波義隆 東千代之介 秘密戦隊ゴレンジャー ジャッカー電撃隊 バトルフィーバーJ



牧野省三の存在は、東映の特撮の仮面ライダー系や戦隊系、もちろん東宝の怪獣系、大映の大魔神や妖怪系などの特撮物映画へもつながっています。

1926年の時点で、日本映画の父ともいわれ、映画界の超大物だったこの2本の総監督マキノ青司と総指揮マキノ省三の牧野省三だからこそ、現在だと難しい関連作ともいえる2本の橋渡し、原作と脚本の関係を実現させたともいえます。



スーパー戦隊シリーズ 石ノ森章太郎 石森章太郎 八手三郎




沼田紅緑(ぬまたこうろく)は時代劇映画の名匠の一人です。最低でも90本を越す監督数、脚本系20本以上、原作6本を記録 世界的映画俳優の阪東妻三郎(主演200強)、月形龍之介(主演120ほど、助演410本強)、市川右太衛門(主演320強)の3大俳優の主演デビュー作を手がけたところでも知られ、

特に市川右太衛門は、長く彼を恩師と慕っていたことでも知られています。



あの剣聖バンツマの助演時代の貴重な映画「小雀峠


小雀峠 [DVD]

沼田紅緑の視聴できる代表的作品が、この1923年の時代劇映画「小雀峠」の(現存版)です。日本の芸能史を観て知る上でも重要な作品です。

小雀峠

視聴可能が少ないためです。映画デビュー2年目の阪東妻三郎(バンツマの愛称、田村正和や田村高廣の両兄弟名優の父で、映画250本以上(=断片含む)に出演、時代劇形成俳優の一人、時代劇六大スター、七剣聖、剣戟の見せ方とリアルさから「剣聖」とも言われる)も助演で出演しています。

助演時代で視聴可能な貴重作です。バンツマの直先輩だった「鳥人」の愛称も有名な主演映画スターの高木新平、名ヒロイン女優の森静子、クレジットの表記はありませんが、バンツマの先輩の主演名優の市川幡谷も出演しています。


田村正和 田村高廣

バンツマ 時代劇六大スター 七剣聖 剣聖


鳥人 高木新平 森静子 市川幡谷






今後もありえない『討たるゝ兄弟』の実の豪華な共演者たち ギネス破られる






『討たるゝ者』は主演のバンツマとその盟友としてしられる名優の中村吉松など以外は比較的抑えた俳優陣ですが、
『討たるゝ兄弟』は実に名優、名映画人揃い

泉春子(総合的にはマキノ系の助演の一人、ヒロイン女優としては伸び悩む、映画出演110本以上の名優、時代劇スターの名優の中根龍太郎の妻)や、戦前の映画界上位の大女優の鈴木澄子(主演と女優トップ出演のヒロイン数は国民的大女優の田中絹代(ヒロイン数3位)を上回り、女優世界歴代2位の150本以上の大成、出演220本以上、怪猫の先駆者や怪談物定着の女優、後世の女優の活躍へ大きく貢献)、名優の武井龍三(戦前のみで映画出演120本以上、マキノ時代は主演も記録、千恵プロ、右太プロの助演俳優としても知られる)、

子役時代のみで、映画100本以上(歴代1位級)に出演したとされる映画270本以上の大巨匠のマキノ正唯(マキノ雅弘)も出演、さらに東映の最盛期の社別の連続1位を実現させた映画プロデューサーの玉木潤一郎も助演で出演、長編系は千恵蔵に次ぎ世界歴代2位の主演数300本俳優の市川右太衛門が主演、名映画人揃いの超豪華布陣、これからの日本映画にありえないキャスティングといえるでしょう。



泉春子 中根龍太郎 戦前の映画界上位の大女優 鈴木澄子 田中絹代 武井龍三

マキノ正唯



*泉春子は1940~1954までの16年ほどの映像作品の長期間の活動休止、中根龍太郎の死を含んで、1924年から1980年までの実に約57年の芸歴を誇りました。

*田中絹代は映画ヒロイン数は世界3位です。鈴木澄子は田中絹代と競る150本台、鈴木は映画記録がないものが多くあり、田中絹代よりも本数は上だったと考えられます。田中絹代の一時騒がれたギネス記録は残念ながら嘘だったのです。




姉妹ブログ新記事 宮本武蔵俳優も含んだ東映7名の伝説同窓会『梅辰亭』が物語る 芸能界が真に余裕と個性を重んじた良き時代 あのなつかしき6名優と巨匠1名の計7名がたちがよみがえる


その裏記事
宮本武蔵の一乗寺の決闘はまさに正々堂々の民主主義と卑怯な共産主義の戦い









日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

関連記事
  

2022/01/01 11:12 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

 | BLOG TOP |