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坂本龍馬&近藤勇&桂小五郎&じゃんけん女のグレイテスト競演 新選組in「燃ゆる渦巻」 駅の前BEST3





坂本龍馬近藤勇&桂小五郎&じゃんけん女のグレイテスト競演 新選組in「燃ゆる渦巻」 駅の前BEST3






過去は未来への鏡、映画と政治はそのまま同じではありませんが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻も、クリミア併合の過去の続きだという事実と同様、過去を伝えることはただの懐古ではない、過去を知る事が未来へ繋がります。

今回も他では取り上げられていない展開へ着目し、ユーモアや皮肉も含めて独自に迫ります。



前回記事
日本よ強くあれ!だから問う!「忠臣蔵」115年と「007」60年と「ゴットファーザー」50年 米国大差55年負けが伝える輝き




今回の記事は下記の流れに位置します。

超絶主演映画スター市川右太衛門と映画監督たちの二桁到達の大記録たち 清水の二十八衆集合写真






燃ゆる渦巻(1924)(日活版) 坂本龍馬ではなく阪本龍馬!!










燃ゆる渦巻(1924)(日活版)

燃ゆる渦巻 前篇 1本目
林清之助=中村吉十郎 駒井相模守=実川延一郎 烈女お綾=片岡松燕 龍巻のおれん=片岡長正 近藤勇=大谷鬼若
土方歳三=中村仙之助 浅田三十郎=尾上松之助

燃ゆる渦巻 中篇 2本目
桂小五郎=尾上松之助 林清之助=中村吉十郎 駒井相模守=実川延一郎 近藤勇=中村仙之助 土方歳三=大谷鬼若 龍巻お蓮=片岡長正

燃ゆる渦巻 第三篇 3本目
林清之助=中村吉十郎 桂小五郎=尾上松之助 芹沢鴨=嵐珏松郎 近藤勇=中村仙之助 土方歳三=大谷鬼若 烈女お綾=片岡松燕 龍巻お蓮=片岡長正

燃ゆる渦巻 第四篇 4本目の完結篇
駒井相模守=実川延一郎 林清之助=中村吉十郎 桂小五郎=尾上松之助 烈女お綾=片岡松燕 阪本龍馬=沢村村右衛門  芹沢鴨=嵐珏松郎 近藤勇=大谷鬼若 土方歳三=中村仙之助




*阪本龍馬=坂本龍馬

全体の俳優に触れると膨大になるため、かなり省いていきます。新選組が上位で登場、脇役として描かれることの多い、芹沢鴨を多めに描かれていることが配役の流れがわかります。

短編中心俳優として映画950本ほどの、主演した世界記録の大スター尾上松之助は、1本目のみは浅田三十郎役、2~4は桂小五郎役、2本目が主演のように表記されています。作品の全体的には中村吉十郎の演じる林清之助役が、筆頭の主演ともいえます。




尾上松之助 桂小五郎
阪本龍馬 坂本龍馬


現在は坂本龍馬がほとんど(全体は統一)ですが、当時は阪本龍馬表記も多めにありました。






当時の映画は全体的の主演と、部分的な主演、つまりはここでいうその篇のみの主演というものが存在している場合がありました。

映画化するにあたって、その篇ごとに役柄や俳優の出番の違いを含まないとハラハラドキドキが薄れ、メリハリをつけない、視聴者が飽きてしまう、この飽きる対策の工夫の現われとも思われます。







燃ゆる渦巻(1924)(マキノ版) 桂小五郎と新選組がキーワードか!!






下記のキャストの変動からさっすると、途中から新選組を強めに描いていた可能性を感じさせます。





燃ゆる渦巻(1924)(マキノ版) 4本 製作=マキノ映画 監督=沼田紅緑 総監督=牧野省三 


燃ゆる渦巻 第一篇
林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 龍巻お蓮=山本日出子 幾松=森静子 駒井相模守=阪東妻三郎

燃ゆる渦巻 第二篇
林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 龍巻お蓮=山本日出子 幾松=森静子 駒井相模守=阪東妻三郎

燃ゆる渦巻 第三篇
近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 芹沢鴨=市川幡升 駒井相模守=阪東妻三郎 林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子

燃ゆる渦巻 最終篇
近藤勇=市川幡谷 土方歳三=嵐冠三郎 芹沢鴨=市川幡升 林清之助=片岡市太郎 綾女=環歌子 光達上人=中村吉松
荒巻お蓮=山本日出子 桂小五郎=片岡紅三郎 駒井相模守=阪東妻三郎










市川幡谷(別名・有田松太郎)は、50本を越す主演数を記録、比較的活躍した映画の主演スターです。助演や脇役時代の映画デビュー当時の阪妻こと、阪東妻三郎(1925年に大ブレイク、のちの日本映画史上上位の大スター)の先輩俳優だったことでも知られ、助演時代の阪妻は、彼の直属の助演俳優(主に1923~1924年が中心)だった時期があります。


市川幡谷は戦前のサイレント映画期だと、中規模レベルに属すると考えられます。5度以上の主要のみで演じた役は、近藤勇(5)、水戸光圀(水戸黄門)(5)があります。また紫頭巾などに登場する「目明し佐平次」を4度、2度の大久保彦左衛門と武蔵坊弁慶を演じています。役柄は多彩です。

有名な役を多く任される評価はされていましたが、明確な代表作はこの『燃ゆる渦巻』とほか数本ほどに留まっています。


水戸光圀 水戸黄門  大久保彦左衛門 目明し佐平次 紫頭巾 武蔵坊弁慶



この3,4本目の主演的表記は新選組も主演的に描いていた、新選組映画の要素を伝えています。近藤勇役です。全体は片岡市太郎の林清之助役を主演、これはマキノ版と同様です。



市川幡谷 新選組映画 有田松太郎 阪東妻三郎 阪妻

片岡市太郎 


日活版は尾上松之助(日本映画で最初の国民的大主演俳優、ほぼ短編だが主演900本以上を記録)の桂小五郎役を上位に押したて、マキノ版は日活版以上に新選組に強く焦点を当て、競作の違いをつけていたものと考えられます。マキノ版の桂小五郎は日活版と異なり、脇役として描かれていいます。日活版は2~4であるのと異なり、マキノ版の登場表記は4本目のみ、


桂小五郎 尾上松之助


映画なので、原作を大きくいじくらない程度に俳優の違いを考慮したり、製作者の意図を踏まえて、映像化へ変化を付ける、このやり方を現代も見習ってほしものです。ただ映像化するのはあたりさわりがないことだといえます。




燃ゆる渦巻 (前後編)


1924年出版とある、レアな製品です。







謎の俳優の「十二神剣」と燃ゆる渦巻の3週期目の大都映画







燃ゆる渦巻の3週期目の映画化

燃ゆる渦巻(1938)の前後作 
製作=大都映画 監督=中島宝三、佐伯幸三  綾女=三城輝子 林清之助=松山宗三郎 駒井相模守=大乗寺八郎 近藤勇=遠山竜之助 土方歳三=十二神剣




松山宗三郎と大乗寺八郎は大都映画(大映や角川映画などの前身)の上位の映画スターです。個人的には、大乗寺八郎という力強く響きの通る芸名は印象に残ります。

土方歳三役の十二神剣という芸名の俳優、”12本の新剣”という不思議な芸名ですが、詳細不明の謎の俳優です。



大乗寺八郎 松山宗三郎 大都映画 大映 角川映画

十二神剣





燃ゆる渦巻とつながりのある「燃ゆる」は大空






燃ゆる渦巻は原作の書籍は購入可能ですが、残念ながら映画は残されていません。「燃ゆる」の大空は歌と映画が観られます。



《軍歌》燃ゆる大空("Moyuru ōzora"- Burning Sky)

作詞:佐藤惣之助、作曲:山田耕筰、編曲:仁木他喜雄


軍歌というものは気分を高揚、闘争本能を高めてくれることさえもあるように感じます。映画音楽を多く手掛けた仁木他喜雄は山田耕筰の編曲経験があります。

山田耕筰は戦前の映画音楽を手掛けていますが、仁木他喜雄は戦後に映画音楽も多く手掛けました。
作曲の山田耕筰と編曲の仁木他喜雄は繋がっています。



1940年の東宝映画の『燃ゆる大空』に使用された歌です。出演は、東宝初期の現代劇スターの大日方傳。山田五十鈴と結婚し、嵯峨美智子の父となる月田一郎、



燃ゆる大空





映画も50本ほど出演の国民的歌手の灰田勝彦、彼は戦前と戦後通じてなんと、日本のソロ歌手上位の20曲以上の有名ヒット曲で知られています。電○やマスコミが繋がり様々な手段で、神格化させようとしている松田聖子などを余裕で上回る、まさに国民的歌手、

灰田の映画出演は1937~1973まで長期間で出演しており、歌は名作詞家の佐伯孝夫とのコンビで知られています。

この映画にへ上位10選の出演している東宝初期の現代劇スターの佐伯秀男と佐伯孝夫は名前は似ていますがまったくの別人です。


佐伯秀男
佐伯孝夫 


灰田勝彦の戦前と戦後を通じて~は、大きく異なる時代であり、映画俳優も同様ですが、非常に高い評価になります。



燃ゆる大空 佐藤惣之助 山田耕筰 仁木他喜雄 灰田勝彦 松田聖子

大日方傳 山田五十鈴 嵯峨美智子 月田一郎 


時代劇中心俳優の長谷川一夫は、現存版含むと300本強の映画に出演し、助演が非常に少ない俳優ですが、映画『燃ゆる大空』は助演出演しています。また彼の戦後以前の現代劇jの助演は数本のみですが、その視聴可能な貴重な映画です。また東宝の事実上のオールスターに近い上位出演者を配した戦争映画でした。表記のみの名優は14名です。







両名280本の映画の多作の2名匠 「万花」の中島寶三と「駅前」の佐伯幸三







燃ゆる渦巻(1938)の前後作の中島宝三(中島寶三)は時代劇の名匠、監督数は日本映画上位15選に含まれる大多作の165本以上を記録(現存含むと170本強)、事実上の巨匠ともいえる膨大な監督数です。

たとえば、マスコミが今もゴリ押しの超知名度先行型の黒澤明は、中島宝三の6分の1近いの少数の映画監督数31本が黒澤明です。これは現実です。

いかに日本を壊してきた外国優先主義の新聞やテレビのマスコミが、あの許されないロシア、そのロシア映画も監督している黒澤明を誇張してしてきたのか、黒澤明は自分の映画の複数に、日本国に危険な共産主義思想も取り入れています。

知名度や評価があるという不透明なものではなく、映画の功績はあいまいな評価である雰囲気的な定着である、内容の良し悪しだけではありません。現実に170本と31本の大差が存在する事実を知ってください。



6倍と6分の1の現実
中島宝三(中島寶三) 165本以上を記録(現存含むと170本強)
黒澤明 31本=単独は30本、オムニバス1本




中島宝三 中島寶三 黒澤明  燃ゆる渦巻(1938)


中島宝三は、片岡千恵蔵の1927「万花地獄シリーズ」(1~4、現存は1分の断片、表記は「萬花地獄シリーズ」も有)が、自身の上位の明確な代表作です。日本映画上位の主演俳優の片岡千恵蔵の出世作であることも、代表作である大きな理由です。



佐伯幸三は、戦後の東宝映画(東宝系の東京映画)の「喜劇 駅前○○」のいわゆる名喜劇人の森繁久彌の「駅前シリーズ」の12本などの監督としても知られています。

*つながりないわけではありませんが喜劇人(喜劇俳優)=芸人(基本は都合の良いタレント)ではありません。芸能としては喜劇人のほうが格上と考えるのが、基本です。


片岡千恵蔵 万花地獄シリーズ 萬花地獄シリーズ 萬花地獄 佐伯幸三 森繁久彌 駅前シリーズ 喜劇 駅前○○




*「万花地獄シリーズ」は、現存含むと単独主演映画370本を越す世界的大スター、千恵蔵の最初の出世作です。ちなみのアメリカの顔ことジョン・ウエインは140本強(単独主演含まない)です。この両者比較的同時期の活躍の俳優です。

370本以上と140本強なんと、アメリカの顔を2.5倍以上も上回っています。ですが、今回のアカデミー賞と同様に、大きくアメリカ媚びのNHKなどのテレビやマスコミは、日本の顔の、このことを取り上げません。


ジョン・ウエイン アメリカの顔







佐伯幸三監督の「駅前シリーズ」の参加12本と「駅前シリーズ」の全24本の監督の内訳








駅前シリーズは、日本各地の駅前を舞台にした観光や産業なども交えて描いた喜劇系の現代劇映画です。



佐伯幸三監督の「駅前シリーズ」の参加12本

1964『喜劇 駅前女将』
1964『喜劇 駅前怪談』
1964『喜劇 駅前音頭』  
1964『喜劇 駅前天神』  
1965『喜劇 駅前医院』 

1965『喜劇 駅前金融』  
1965『喜劇 駅前大学』
1966『喜劇 駅前弁天』  
1966『喜劇 駅前漫画』
1966『喜劇 駅前番頭』 

1966『喜劇 駅前競馬』  
1967『喜劇 駅前満貫』 


*見やすいように5本ごとに区切り



森繁久彌(森繁久弥、喜劇俳優の映画最多主演数130本強を誇る、喜劇系2位がエノケンこと榎本健一の現存版含まないと80本強)の主演シリーズの中では、最低でも3000万人を越す『社長シリーズ』(33本)に次ぐ、「駅前シリーズ」は24本で、最低でも2000万人を越す観客動員を記録したと考えられます。


森繁久弥 エノケン 榎本健一



実は森繁久彌というと社長と駅前のイメージを持ち人が多くいますが、1980年代が中心のこの2シリーズの公開時は大ヒットはしていません。現実は大ヒットまで届くとはいえず、利益が十分得られるスマッシュヒットを続けていました。


一例として同じ1960年代中心の単一映画題材だと、高倉健の「網走番外地シリーズ」は、年間1位の300万人強を1本記録するなど、200万人も複数の年間ベスト5を何度も記録していますが、社長と駅前は年間ベスト5が1本もありませんでした。公開後から数十年に及ぶ、東宝の広告による印象の誇張が、当時の事実とは食い違う、異なるイメージを形成しています。



高倉健 網走番外地シリーズ


2022年も様々な問題が露呈しているフジテレビも絡みついた、後々の東宝のイメージ戦略に載せられた方々が多くいます。


それでも、社長と駅前は1960年代に中核を持つ、映画シリーズの代表作の2つ(1960年代上位の10つほどの2つ)に含まれることは事実です。



喜劇 駅前女将


佐伯幸三監督の東宝映画「駅前シリーズ」参加12本の1本目です。この制作表記の東京映画は東宝系の会社です。事実上東宝の映画です。


東京映画







「駅前シリーズ」の全24本の監督の内訳

1958『喜劇 駅前旅館』=豊田四郎
1961『喜劇 駅前団地』=久松静児
1961『喜劇 駅前弁当』=久松静児
1962『喜劇 駅前温泉』=久松静児
1962『喜劇 駅前飯店』=久松静児


1963『喜劇 駅前茶釜』=久松静児 *5作連続
1964『喜劇 駅前女将』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前怪談』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前音頭』=佐伯幸三
1964『喜劇 駅前天神』=佐伯幸三
10

1965『喜劇 駅前医院』=佐伯幸三 *5作連続
1965『喜劇 駅前金融』=佐伯幸三
1965『喜劇 駅前大学』=佐伯幸三
1966『喜劇 駅前弁天』=佐伯幸三
1966『喜劇 駅前漫画』=佐伯幸三
15

1966『喜劇 駅前番頭』=佐伯幸三 *10作連続
1966『喜劇 駅前競馬』=佐伯幸三
1967『喜劇 駅前満貫』=佐伯幸三
1967『喜劇 駅前学園』=井上和男
1967『喜劇 駅前探検』=井上和男
20

1967『喜劇 駅前百年』=豊田四郎
1968『喜劇 駅前開運』=豊田四郎
1968『喜劇 駅前火山』=山田達雄
1969『喜劇 駅前桟橋』=杉江敏男
24


*見やすいように5本ごとに区切り


24本において、豊田四郎久松静児、佐伯幸三、杉江敏男井上和男山田達雄が参加しています。






ジャンケン娘』の三つ華 駅前の記録と豊田四郎、久松静児、佐伯幸三、杉江敏男井上和男山田達雄







豊田四郎(東宝の文芸路線で多くの代表作の事実上の現代劇の巨匠)、久松静児(監督数100強の多作、庶民系や女性映画を多く手掛け、多作の秀作で知られる現代劇の名匠。自身上位の「警察日記」2本は名作)、

佐伯幸三は上位でも取り上げているため省きます。


杉江敏男(監督数70本弱、日本映画最盛期の映像化監督、東宝系の専門としてです。「お姐ちゃん、重役、社長」など、様々なシリーズに4~2本の数本参加したことでも知られています。

東映移籍前の美空ひばりの1955『ジャンケン娘』(3名を押し立てた歌や音楽の明朗歌謡現代劇)、別題『ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘』は1955年の年間3位の1000万人近い大ヒット 、この年の東宝の興行収入と観客動員の1位)東宝の映像化と娯楽監督として活躍しました。




東宝映画『ジャンケン娘』 1955年(昭和30年)から





ジャンケン娘 [DVD]

公開当時のポスターの一つをパッケージ表面に使用しています。



美空ひばり ジャンケン娘 ひばり チエミ いづみの ジャンケン娘



豊田四郎 久松静児 佐伯幸三 杉江敏男 井上和男 山田達雄




メドレー(ひばり・チエミ・いづみ)

*貴重な後年の3名による歌の競演 美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ ジャンケン娘(女、女性)も登場 何曲目か、ぜひ確認してみてください。

映像からすると1970年代後半から80年代前半の番組、江利チエミが1982年2月13日に亡くなっているため、これ以前の収録、まさにテレビ番組の最盛期です。




江利チエミ 雪村いづみ




井上和男は、監督数20本強に留まり、代表的なものはごく少なく、この駅前の2本が自身の上位の代表的なタイトルです。


山田達雄(監督数25本強、新東宝中心の映像化監督で、娯楽映画の大巨匠の渡辺邦男の助監督を多く務め監督デビュー、中村梅之助の時代劇ドラマ『伝七捕物帳』がテレビドラマのトップ代表作)、

晩年の自伝書籍で嵐寛寿郎(日本映画や時代劇映画を代表する歴代上位の主演俳優)は、晩年にコンビを組んだこともあり、自分の実積を大きく伝えたいわけで、山田を高く評価している部分がありますが、現実はだいぶ異なります。

山田達雄は、娯楽路線の大ヒットや娯楽映画としての高評価など、一般的な映画における実積は残せませんでした。ですが、もちろん優れた最盛期のプロ、きちんと観られる映画を残しています。



渡辺邦男 中村梅之助 伝七捕物帳 嵐寛寿郎



佐伯幸三は7作目から18作目まで「駅前シリーズ」を12作連続で監督し、シリーズ最多監督(24本中半分の12作、2位は5本の久松静児、3位は3本の豊田四郎)を記録、またこの連続のみが彼の駅前シリーズへの参加です。この部分は特長的です。







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2022/05/01 23:40 | 邦画の探求COMMENT(3)TRACKBACK(0)  

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