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片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣







片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣







歴代に数多くの主演俳優が存在していますが、彼ほどの人数と高い比率で成功した人物は存在していません。

現在も多数存在する10名~20名のある程度や歴代だと低レベルの範囲の主演俳優ではなく

多人数の50名を越え、60名近い総人数の中で、


ここまで高い成功度は、人間レベルの限界突破、歴代の主演においては存在していません。




片岡千恵蔵は、主演俳優のみにおける映画監督たちとの関りにおいて、

名匠巨匠40名中 一定の成果36名 成功24名 大成功15名


名匠巨匠以外16名中 一定の成果12名 成功5名 大成功1

と大成功を収めています。下記に続きます。




chiezōKataoka

片岡千恵蔵



片岡千恵蔵生誕120年の1~8の記事のリンク  1(最初)~7(前回)、8(今回)







この記事に至る計7回の流れの記事で、この部分も取り上げています。気になる方はそちらもご覧ください。下記の前回記事からも飛べます。




片岡千恵蔵生誕120年の1(最初)~7(前回)、8(今回)のリンク


祝!片岡千恵蔵生誕120年記念「日活映画主演数歴代ベスト10」 現実見たくないんじゃ大暴れ上等集団が隠蔽する映画世界記録


片岡千恵蔵生誕120年 誰もなし終えぬ恐るべき世界大記録「トリプルミリオン」「ダブルミリオン」「ミリオン」の三大連発を暴け


片岡千恵蔵生誕120年 稀代の超お祭り男の訳アリ事情発覚「群馬県新田郡」「藪塚温泉」 超貴重映画「ある日の太田市」そこに何が?!


片岡千恵蔵生誕120年 今後成し得ぬ巨星 随一「主演コンビ名匠40」驚愕「成功名匠24」脅威「二回り下名匠5の激震」


片岡千恵蔵生誕120年 バズる宮本武蔵映画俳優の史上異次元極地 「40」開始「15」「36」が示す名巨匠コンビ


片岡千恵蔵生誕120年 「騒然名匠巨匠外コンビ」 眼に入らぬかァ!ジャニ沈25歳の黄金顔面 御大眼下3分の1伏す裕次郎 海軍軍司令部参謀の長生

7(前回記事)
片岡千恵蔵生誕120年 「新事実名匠巨匠外コンビ」 頭巾顔が腐った日本映画界にくさび打つメッセージ 謎の37分映画 歴代編集者と伝説兄弟 監督進出歴戦脚本家

8(今回記事だが一応掲載)
片岡千恵蔵生誕120年 「花が田に咲いた」 2×原節子と杉村春子 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣






「名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名」 全56名中の成功29名は約52パーセントの驚異的な的中率 一定の成果48名の86パーセント近い驚異的な的中率







もっとも多くの名匠巨匠で成功を収めた主演の映画俳優であり、ただ数が多いだけでなく、その人数に伴う成果をデビュー時から最後まで、常に挙げてきました。特に人数以上に的中率が驚異的です。

名匠巨匠以外は世の中で成功したと言い難い監督が全体ながら、千恵蔵は世の中の基本にかなろ逆境に成功したといえ、16名中大成功は1名、成功5名、一定の成果12名と特に一定の成果12名と成功5名は非常に評価するべき部分だといえます。

これはここで比較はできませんが、歴代上位の他の主演俳優にはないレベルで名匠巨匠以外においても大きく成功しているといえます。


名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名



上記のように驚異的な数字をたたき出しています。今後も人間レベルではほぼ不可能な的中率です。

全56名中の一定の成果48名は86パーセント近い、驚異的な的中率の大成功、さらに全56名中jhの成功29名は約52パーセントの的中率、全56名中の大成功16名は29パーセント近い、高い的中率です。

56名という面においては大成功の16名の29パーセントも十分高いといえます。10名程度や20名程度で29パーセント近く、当たるのとはまったく意味が違います。10名程度だと6倍近い56名ですから、いかに驚異的かがわかります。



私利私欲の好きや嫌いを煽り、お金を稼ぐことに特化して人を評価するという、テレビや電通などが生み出した頭のおかしさ、もっとも低レベルの芸能の評価を打破していることは、彼が現代や未来も高く評価される現実的な実益の部分です。



お金を稼ぐことのみが大きな評価ではありません。電通やテレビなどのマスコミ、大企業が植え付けた許されざる害悪です。芸能系は競いあいが基本ですが、もちろん実業家や重役などなら業態にも左右されつつも別ですが、ましてやヒラの庶民の人生にお金における勝ちも負けもありません。

電通やテレビなどのマスコミが、日本の9割以上、ほぼ全体のヒラの庶民にも勝ちも負けがあると、煽って馬鹿にしてくる風潮は許されません。


芸能系の対象者が活動している国によって収入は大きく左右される部分は大きく、例えばアメリカにであれば、映画だとたった数本の代表作で大して活躍しなくても、一定レベルで日本よりは多く稼げるわけですから、人の評価をお金をメインに基準にしたら、評価の基準の公平さがかなり薄いわけです。

その芸能系の人物の収入やお金でなく、やはりどちらかといえば、明確な本数やその成果の諸々や的中率、影響力の方が平等に近い評価といえるのではないでしょうか?


千恵蔵の場合は、日本の芸能系としては最高ともいえる映画最盛期に年俸20億という話も有名ですが、収入よりも通算の実積の方に目を向けるべきだと考えられます。国の違いや収入を飛び越えて、大きく普遍的なだけではなく、この部分で歴代の外国勢を完全に凌駕できるためです。






片岡千恵蔵の主演のみの名匠巨匠と名匠巨匠以外、全監督56名における一定の成果数、成功数、大成功数






千恵蔵の主演のみの名匠巨匠と名匠巨匠以外、全監督56名における一定の成果数、成功数、大成功数


*名匠巨匠40名中 一定の成果36名 成功24名 大成功15名

*名匠巨匠以外16名中 一定の成果12名 成功5名 大成功1名

*名匠巨匠と名匠巨匠以外の全56名中 一定の成果48名 成功29名 大成功16名




実に驚異的です。今後、多くの歴代の主演俳優を比較をしていく機会があると思われますが、その際にこの数字が、もっとも驚異的だということが明確化されます。一応はもっともは取り下げて、念のため、驚異的としておきます。誰が見ても、驚異的なことは事実ですから、






千恵蔵映画『三本指の男』が探偵もの原作の映像化で最初の成功という大功績






千恵蔵の金田一耕助の1本目とされる『三本指の男』(公式6本、総集編、前後編、最近確認された映画を含むと含むと8~10本)は横溝正史の長編推理小説の「本陣殺人事件」が原作で、金田一耕助が初めて登場するエピソードとしても知られています。

金田一耕助シリーズ」の第1作、1946年(昭和21年)4月から同年の12月まで日本の推理小説雑誌『宝石』に連載され、連載が終了した約1年後の1947年12月9日に最初の映像化作品である映画『三本指の男』が公開されています。


三本指の男 金田一耕助 横溝正史 本陣殺人事件 宝石 日本の推理小説雑誌『宝石』


原作の「本陣殺人事件」は、初の映画公開後に1948年の第1回探偵作家クラブ賞を受賞しています。日本に」とって非常に大きな作品です。

第1回探偵作家クラブ賞


マンガやアニメ(テレビ、映画)の『名探偵コナン』や『金田一少年事件簿』など、また比較的知られた実写系の探偵小説など、テレビドラマや実写映画の『探偵物語』(松田優作主演)など、探偵要素や推理要素のある膨大な数の数の作品に現在も影響を受けています。松田優作の『探偵物語』の両方に貢献しているところからも、在日の方々も千恵蔵に感謝していただきたいところです。


千恵蔵映画は時代劇と現代劇の両輪で、アニメにも多大な影響、探偵や推理、事件系においても影響は大です。


名探偵コナン 金田一少年事件簿 探偵物語 松田優作


横溝正史以前も、江戸川乱歩の「明智小五郎シリーズ」、明智が最初に登場する『一寸法師』(『朝日新聞』1926年12月〜1927年2月の連載、

大正15年と昭和元年、連載開始時は大正15年)はありましたが、原作のある探偵ものの映像化は『三本指の男』まではなく、また江戸川乱歩による映像化作品の成功は、千恵蔵の初の金田一以降の1950年代の東映(千恵蔵が主演俳優兼取締役時)による映画「少年探偵団シリーズ」(1本目は1956年11月の「少年探偵団 第一部 妖怪博士」、監督は千恵蔵とのコンビでも成功の小林恒夫、主演は千恵蔵の後輩の南原伸二、のちの名優の南原宏治)までは明確には成功していませんでした。

日本で最初に探偵ものの成功を収めた映像作品が千恵蔵映画です。これも千恵蔵の大きな功績です。


「少年探偵団 第一部 妖怪博士」のVHS
少年探偵団



江戸川乱歩 明智小五郎シリーズ 一寸法師 朝日新聞 少年探偵団シリーズ 小林恒夫 南原伸二


時代劇の事実上の1位(観客動員、代表作、監督、当たり役などの総合)だけではなく、金田一以外の複数功績は、「和製ギャングもの」、「刑事もの」、「多羅尾伴内」、「人生劇場」も含むと、現代劇においても歴代ベスト10級の大きな功績や影響を残しているのが千恵蔵の凄みのです。



和製ギャング 刑事 多羅尾伴内 人生劇場




『多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面』 1955年公開から
多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面1

千恵蔵風な水戸黄門(水戸光圀)という見方がある老人探偵の多羅尾伴内役、そして藤村大造役、ナンセンスと現実、明朗と反逆的な破天荒、マスコミが大好きなリアリズム映画ではなく、この矛盾も魅力です。

多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面 藤村大造



当時の東映映画は、企画表記が事実上の制作者を意味末う場合も多く、千恵蔵映画の戦後コンビの大プロデューサーの盟友玉木潤一郎、日本の映画人初の公式な生涯功労賞の牧野省三賞の1人目の受賞者が千恵蔵、2人目が彼、そう玉木潤一郎です。3人目は月形龍之介、4人目は市川右太衛門と続きます。

戦前からの現実の実積や成果の通り、右太衛門よりも千恵蔵の方が格上と評価されています。これは確かな評価です。


千恵蔵映画の戦後の100本近いプロデューサーです。日本映画最盛期の最多観客動員コンビが千恵蔵×玉木コンビ、実に数億人、日本の総人口が9千万人付近の時に、コンビの観客動員は3億人近かったと考えられます。


過去に彼と千恵蔵のコンビに関する記事は下記のリンク以外もあるので、気になる方は探してみてください。
新春記念 史上最大プロデューサー玉木潤一郎と片岡千恵蔵 超黄金コンビ96本 世界歴代1位的中率 2021年1月の記事

製作者と俳優コンビ歴代最多国民的題材10の大成功 コンビ3億人の最大観客動員記録 2021年1月の記事





玉木潤一郎 牧野省三賞 日本の映画人初の公式な生涯功労賞の牧野省三賞 月形龍之介 市川右太衛門





初代金田一耕助 主演約200本の世界的な国民俳優だからゆえの特別な配慮が実現






また、映画は千恵蔵だからできる金田一耕助像を演じています。

原作そのもの金田一は、1970年代からテレビの古谷一行版や映画の石坂浩二版が演じたように、髪がボサボサでフケを飛ばす癖の不衛生さ、さらに服装も汚らしいのが現実です。1947年の『三本指の男』で金田一を演じたときの千恵蔵の主演映画数は、現存含むと約200本と世界の映画俳優の現役1位、主な代表作も現役で世界1位の100本近くを記録中、その国民的俳優を凌駕する”国民俳優の千恵蔵”に、この原作通りの不衛生さを押し出した姿を演じさせる行為は無理があったのは有名です。


国民俳優

古谷一行 石坂浩二



戦前と戦後を通じた時代劇映画で、現存していない幻の名作とされる山中貞雄の1934『足軽出世譚』の足軽役や内田吐夢の1955『血槍富士』の槍持ち役など、身分が低い下郎役や下僕役でも成功を収めている実に多彩な千恵蔵ですが、現代劇においては制作側からの特別な配慮がありました。


山中貞雄 足軽出世譚 足軽役 内田吐夢 血槍富士 槍持ち役






ナゾの千恵蔵映画『曉の奇襲』の制作陣と俳優陣






『曉の奇襲』の制作と俳優たちにも迫ります。第名優と無名すぎる俳優が共演するという千恵蔵映画の中でも異例な事態が発生しています。千恵蔵映画は歴代でもっとも名優数が多いとも言えますが、この映画は有名俳優と無名俳優の実積や知名度の両方の格差が、現存含むと430本を越す全千恵蔵主演映画の中でもっとも広いと考えられます。



監督=花田弘、原作=横溝正史 製作=樋元國雄、 脚本=髙岩肇 撮影=田辺健一 音楽=橘明 録音=岡田謙

出演俳優
金田一耕助=片岡千惠藏(日本を代表する映画の国民主演俳優)

磯川警部=根上謙二(無名) 久保銀造=日守志郎(無名) 一柳賢藏=石川淳(無名) 一柳良介=村瀨幸(無名) 

一柳糸子=杉村春子(舞台の国民的主演大女優、映画の名助演俳優) 白木靜子=原節子(映画最盛期に活躍したヒロイン女優) 久保春子=風見章子(助演や脇役の名優) 久保克子=東山千栄子(舞台と映画の名優) 

一柳鈴子=御園良乃(無名) 一柳秋子=宮口由美(無名) 村人A=向田定雄(無名) 村人B=大谷三郎(無名)




実は千恵蔵以外の上位表記の根上謙二、日守志郎、石川淳、村瀨幸、御園良乃 宮口由美、さらに向田定雄、大谷三郎は無名な人物です。実に8名が無名で、俳優といえるほど一定の活動をしたのかさえも不明です。女優の村瀨幸子はおばあさん女優として有名ですが、村瀨幸は男性であり、役名の一柳良介からまったくな別人だとわかります。


根上謙二 日守志郎 石川淳 村瀨幸 御園良乃 宮口由美 向田定雄 大谷三郎

村瀨幸子


村人Bの大谷三郎は、大西三郎(のちの映画監督の大西秀明、千恵蔵の「紫頭巾」を監督)とは別人になのかも気にかかりますが、俳優時代の名義が違うということは別人とみるべきです。千恵蔵以下、杉村春子 原節子 風見章子 東山千栄子はそれぞれが日本映画の最盛期を代表する名女優です。

大西三郎 大西秀明 原節子 風見章子


杉村春子は、映画のおばあさん役(一時的に母親役)の歴代上位の助演女優だけではなく、主演舞台が「女の一生」など300公演5つという世界記録、500公演3つの大記録の持ち主です。千恵蔵も多くの映画系の世界記録がありますが、これも大記録です。映画のみでも数十本の名作に出演していますが、理屈的には舞台の実積の方がはるかに上になります。

東山千栄子も日本の舞台女優を代表する人物で、映画のおばさん役の歴代上位の助演女優としても知られています。ニ大舞台女優が千恵蔵の脇を固めています。


杉村春子 女の一生 東山千栄子



千恵蔵による初代金田一耕助の2作目の獄門島の貴重すぎる台本
獄門島2





千恵蔵映画『三本指の男』の制作陣と俳優陣






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』のキャストと比べるとある共通点が明確にわかります。




『三本指の男』の主な出演俳優
金田一耕助=片岡千恵蔵(日本を代表する映画の国民主演俳優)

磯川警部=宮口精二(脇役の名優) 久保銀造=三津田健(舞台中心の名優) 一柳賢造=小堀明男(主演でも成果を挙げた助演名優) 一柳良介=上代勇吉(脇役の名優)

一柳糸子=杉村春子(舞台の国民的主演大女優、映画の名助演俳優) 白木静子=原節子(映画最盛期に活躍したヒロイン女優) 久保春子=風見章子(助演や脇役の名優) 久保克子=登場せず

一柳鈴子=八汐路恵子(脇役の名優) 一柳秋子=賀原夏子(脇役の名優)  村人A=役名表記なし 村人B=役名表記なし

その他
久保銀造の妻お徳=松浦築枝(戦前の時代劇を代表するヒロイン女優であり、脇役の名優) 一柳隆二=水原洋一(脇役の名優) 一柳三郎=青山健吉(無名) 周吉=村田宏寿(脇役の名優) お島=初音礼子(映画のみだと一定の活躍)

三本指の男=片岡千恵蔵(2役) 劇中では配役は?の表記






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は金田一耕助、磯川警部、久保銀造、一柳賢造、一柳良介、一柳糸子、白木静子、久保春子の8役、さらに同じ役を演じている俳優は金田一耕助=片岡千恵蔵、一柳糸子=杉村春子 白木静子=原節子 久保春子=風見章子の4名、確実に『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』はつながりがある映画だとわかります。


磯川警部 宮口精二 久保銀造 三津田健 小堀明男 上代勇吉 白木静子

八汐路恵子 賀原夏子 松浦築枝 

水原洋一 青山健吉 村田宏寿 初音礼子




『曉の奇襲』は『三本指の男』のスピンオフ(外伝、派生)的なものだった考えられます。それが『三本指の男』の試作か、その後日談なのかはわかりません。所蔵している国立映画アーカイブ側はどのような位置付けなのか把握しているでしょうが、現存データには何も説明がありません。

国立映画アーカイブ

それでも、おそらくは試作、『三本指の男』のプロトタイプ(試作)の要素が強かったと考えられます。仮に『三本指の男』を制作後の後日談や外伝的だったとして、戦前から10年以上の活動がある杉村春子、原節子、風見章子の3名女優が出演させることができるでしょうか?これも現時点では可能性の範囲です。


1947年に1度目の公開の『三本指の男』出演時の3名の女優、杉村春子は初舞台から20年目、原節子は出演時芸歴は映画デビュー12年目(表記があるものからカウント)、風見章子は出演時芸歴は11年目、現在よりも大きく強く実力主義と人気主義、実積主義だった良き日本の芸能界で、すでにそこそこのキャリアがあります。








『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は「8役4名」が示す意味






『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名は8役、『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方で同じ役を演じている俳優は4名、『曉の奇襲』と『三本指の男』の制作陣の比較にわかりやすく迫ります。





『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方に登場する役名(登場人物)は8役
金田一耕助、磯川警部、久保銀造、一柳賢造、一柳良介、一柳糸子、白木静子、久保春子

『曉の奇襲』と同様に『三本指の男』の両方で同じ役を演じている俳優は4名
金田一耕助=片岡千恵蔵、一柳糸子=杉村春子 白木静子=原節子 久保春子=風見章子


この同8役、同4名は、両作品に関して大きなつながりがあることを明確に示しています。




『曉の奇襲』と『三本指の男』の制作陣
原作=横溝正史
脚本=『曉の奇襲』髙岩肇、『三本指の男』比佐芳武 

製作=『曉の奇襲』樋元國雄  『三本指の男』牧野満男
撮影=『曉の奇襲』田辺健一  『三本指の男』石本秀雄
音楽=『曉の奇襲』橘明  『三本指の男』大久保徳二郎と吉川太郎
録音=『曉の奇襲』岡田謙  『三本指の男』加瀬久



『曉の奇襲』の4名は残念ながら4人とも無名な人物、一方、『三本指の男』は牧野満男(東映を形成した製作者、多くの実積から東映次期社長ともいわれたが、それ以前に死去、死後に特別功労賞)、牧野満男(マキノ光雄などの別名義有)は、異常ともいわれる女性好きでも知られていますが、仕事に大きな才能がありました。一説には、多くの女性遊びから1958年の早死を招いたともいわれています。理由を東映や事情通は把握しているかもしれません。



東映次期社長 特別功労賞 
牧野満男 マキノ光雄


石本秀雄(日本映画史上ベスト5に含まれる活躍の撮影技師、現存含むと230本以上の撮影、サイレント期から戦後の千恵蔵映画の主な代表作100本強(現存版含む)の撮影や、1950年代前半から松竹時代劇のナンバーワン撮影者として10本を越すオールスター映画を撮影の活躍)、

大久保徳二郎(戦前のテイチク作曲家時代から大きく活躍、テイチク最盛期形成に貢献、その後も独自な映画音楽を展開、独創性は高い評価の名映画音楽家、千恵蔵映画の音楽も戦前から戦後の名作を多く手掛ける)、

加瀬久(東映史上を代表する録音技師、120本以上の録音、9割が東映作品)は活躍した人物、4名とも多くの千恵蔵映画に貢献した人物です。大久保徳二郎と共同音楽の吉川太郎はほぼ無名な人物です。



石本秀雄 大久保徳二郎 加瀬久 吉川太郎






『曉の奇襲』の監督=花田弘、原作=横溝正史 製作=樋元國雄、 脚本=髙岩肇 撮影=田辺健一 音楽=橘明 録音=岡田謙について






原作の横溝正史と、脚本の髙岩肇以外は全て一般的に無名な人物です。

髙岩肇は、映画180本以上の脚本を手掛けた日本映画歴代で比較的上位の名脚本家です。評価基準で右往左往しますが、歴代10~20選に含まれます。片岡千恵蔵と非常に縁があり、膨大な30本近い脚本を手掛けています。

髙岩肇は、2本の内田吐夢映画や金田一、ギャング、遠山の金さん、新選組、国定忠治などを複数手掛け、千恵蔵のみの30本近い脚本でありながら、代表作は25本ほどの突き抜けて高い的中率を誇ります。さらにギャング&刑事もの『恐怖の空中殺人』と、美空ひばりもヒロイン的に出演している千恵蔵の次郎長4本目『勢揃い東海道』(千恵蔵の次郎長はこれのみ)は実写1000万人越えを記録



髙岩肇 恐怖の空中殺人 勢揃い東海道 美空ひばり


続く監督の花田弘は、この映画以外に監督としての記録さえも確認できず、製作の樋元國雄、撮影の田辺健一、音楽の橘明、録音の岡田謙も同様に記録さえ、この『曉の奇襲』以外は確認できません。実に不思議な制作陣です。

無名6名は、全千恵蔵の出演映画の現存含む430本強の中で、もっとも実積が薄く乏しい製作者たちが並んでいます。





樋元國雄 田辺健一 橘明 岡田謙



獄門島1
原作の横溝正史は娯楽系を代表する有名作家、脚本の法皇とも呼ばれた東映を代表する名脚本家・比佐芳武、監督の天皇とも呼ばれた娯楽映画歴代ベスト3の巨匠・松田定次、撮影の伊藤武夫の名前が確認できます。



千恵蔵の現代劇の撮影を多く手掛けた東映上位の名撮影者の伊藤武夫,は、現存含むと200本を越す映画を撮影しています。日本映画の歴史の中で、上位に多くの映画スターを多数撮影した人物です。それだけ多くの代表作もありますが、千恵蔵は10本を撮影しています。特に市川右太衛門の撮影で知られ、最多の19本撮影を記録しています。

伊藤武夫
法皇とも呼ばれた名脚本家 比佐芳武 天皇とも呼ばれた巨匠 松田定次


伊藤武夫の撮影した映画スター順は、阪東妻三郎、林長二郎(のち長谷川一夫)、高田浩吉、榎本健一、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、美空ひばり、大川橋蔵、特にこの辺りの9大スターを多めに撮影しています。

また女優の高峰秀子の『馬』や監督系だと新藤兼人の『原爆の子』や黒澤明の『続姿三四郎』、『酔いどれ天使』、個人的には佳作だと考えていますが、大河内傅次郎主演の中編映画『虎の尾を踏む男たち』も撮影も実積です。


千恵蔵は石本秀雄と川崎新太郎、伊藤武夫、宮川一夫などの数多くの日本映画歴代上位の功績を持つ撮影者への深い貢献があります。



阪東妻三郎 林長二郎 長谷川一夫 高田浩吉 榎本健一 大友柳太朗 大川橋蔵 高峰秀子  新藤兼人 原爆の子  

黒澤明 続姿三四郎 酔いどれ天使 大河内傅次郎 虎の尾を踏む男たち


川崎新太郎 宮川一夫





記事タイトルの「あの花」が田に咲く?の意味を解説






片岡千恵蔵生誕120年 「あの花」が田に咲く? 原節子と杉村春子×2 8役4名の秘密 初代金田一映画『曉の奇襲』ナゾの制作陣の「「あの花」が田に咲く?」の部分、説明させていただきます。




「あの花」⇒『曉の奇襲』(監督にとって作品は花)と原節子と杉村春子’女優はある意味の花

花」が田⇒花田⇒花田弘監督






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田村正和







2023年1月1日公開から計8回にわたって展開してきた「片岡千恵蔵生誕120年」完結







2023年の1月1日公開から計8回にわたって展開してきた「片岡千恵蔵生誕120年」記事は、このブログ記事として今回でいったん最後となります。今後の2023年の12月にかけて、裏ブログで外伝的な記事をいくつか取り上げる予定です。その際はこちらにもリンクを張る予定です。

片岡千恵蔵生誕120年

他の主演100本程度のそこそこレベルの俳優なら、監督中心の実積で、全体の数十パーセントの実積は網羅できてしまうわけですが、千恵蔵や市川右太衛門、長谷川一夫などの世界的な歴代上位の俳優は特別に格が違います。

アメリカ活動の俳優のように稼ぎのお金方面が強めではありません。お金よりも平等に競える歴代の数字があります。


監督のみで全体の10パーセントに到達することはなく、特に千恵蔵はこの中でも、歴代でもっとも多数の功績や影響を残しています。今回の8回のみだと、全体の実積のほんの数パーセントの部分のみになりましたが、監督中心にこれまでにないほど、独自に迫れたとは考えています。

今後の記事の展開が合えば、2023年12月頃に続きを取り上げる予定です。





『多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面』 1955年公開から
多羅尾伴内シリーズ 第八話 復讐の七仮面2
最後のふさわしい名ポスターだと選定 多羅尾伴内は千恵蔵の上位8選に含まれる当たり役の一つ、千恵蔵の名前が、天皇といわれた松田監督よりも大きい、これは監督よりも千恵蔵の存在の方が格上だという評価を示しています。







千恵蔵の日本映画の最盛期を形成と牽引する日本最大の主演俳優、同時に日本最大の映画スター、
千恵プロという自身の映画会社の制作100本強、さらに個人プロの最多の名作数十本の世界的な映画製作者、
世界の大手映画会社・東映の俳優兼取締役などの長年の重役として日本映画を支え、


実に多面的で膨大な貢献は、生誕120年という単なる節目だけでなく、


今後の130年、140年、200年と、ますますと、千恵蔵が再評価されていくことを祈ります。






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2023/05/01 17:30 | 超大物俳優COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

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