末路は悲劇か!繁栄か!隆盛を極めた2大演劇が映画をかけた。

巨星が実るも実らないも、やはり俳優から成るものである。それは演劇集団にとっても同じことで看板がいなければ、成り立たない。看板俳優はいつの時代も、どのジャンルにおいても大事なのである。映画と演劇の関わり、それは全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風であったのである。映画監督滝沢英輔と演劇との関わりを紐解く。

まずそれ以前にこの二つ。「おスミの持参金」「川上哲治物語 背番号16」はスカパーでも何度か放送がされている作品です。今までは、標準画質だった「川上哲治物語 背番号16」は、この前の放送で初ハイビジョン版が放送されました。タイトル通り、戦前からプロ野球巨人の大選手だった川上哲治が自ら出演しています。のちに監督でV9、”9年連続日本一の前人未踏の記録”を果たしました。滝沢英輔が監督し、二つも代表作となりました。

全盛期の映画界にとっては新鮮で斬新な新風。時代劇が中心であった日活(時期は1913年~1950年代にかけて)では、前進座俳優出演・新国劇俳優出演の時代劇で名作をいくつか残しました。前進座とは、1931年の創立時は歌舞伎を行う劇団で戦前から戦後に一世を風靡(ふうび)しましたが、創立80年以上が経過し現代ではさまだまな演劇が行われています。日本を代表する演劇集団の一つであります。
新国劇も前進座より前の1917年に活動を開始し、いくつかの演目、「月形半平太」「国定忠治」「大菩薩峠」などで大成功を収めて、戦前から戦後にかけて一世を風靡した劇団です。ですが、今は無くなるってしまいました。70年代の俳優不足や倒産により1987年に解団されました。その全盛期を支えた新国劇を代表する2大スター辰巳柳太朗島田正吾なのです。両者とも80歳を越すまで活躍し互いにライバル関係を保ち続けて大往生しました。新国劇は1930年代から1960年後半まで、40年近く二人が中心で支えた劇団でした。歌舞伎以外では、日本演劇史でも上位に入る舞台俳優の”歴代の大スター”ということです。
名匠・滝沢英輔が辰巳柳太朗や島田正吾らで新国劇の代表演目を映画化したのが名作といわれる「国定忠治(1954)」です。舞台の要素や味わいを大事にした作風の国定忠治である。それ以前から片岡千恵蔵(歴代1位の10作)や阪東妻三郎(6作)や尾上松之助(6作)などの映画俳優の大スターで、国定忠治の題材は何度も映画化されていましたが、新国劇の舞台作品とはだいぶ違うものであります。同じ演目的・題材作でも中身は全然違うのです。それが時代劇の本当の良さであり、深みでもある。それはそれぞれが確立していて、別物として良い。

忠臣蔵の映画と基本同じです。アメリカ映画などと違い、内容の筋ではない、ストーリーではない良い部分が多々ある。それが本当の時代劇の良さ。同じ、”国定忠治の題材映画”にも作風が違い空気感も違い、話も違い、視点が違い、俳優によってなど、さまざまな内容があるということです。今の視聴者の多くが、モノを捉え考えるレベルが低下しアメリカ映画の影響で”基本がストーリー映画である”という見方をしてしまっています。さまざまな面で作品を捉える力が欠如している方が多いようです。日本映画とアメリカ映画は上も下もなく本来の本質が違うものであるからです。人間の個々と同じで、ただ、個性が違うのです。

その後、滝沢監督は、その後1950年代後半以降も日活に在籍し青春若者系に路線を変更しても日活一筋を貫きました。
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2014/08/05 17:33 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

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