市川雷蔵×瑳峨三智子の秘め事を探る
似たもの同士であった二人かもしれない。少なくても、相性はよかった。このスター俳優同士には恋愛関係はあったのか共演作から迫ります。
松竹メインの映画スターであった瑳峨三智子(読み・瑳峨=さが)は、実働15年で主演映画が125作強を誇る大映の大スター俳優の市川雷蔵と共演した14作の全てで、雷蔵のヒロインを演じている特徴があります。。嵯峨だけが主役での共演作はゼロという徹底ぶりです。また瑳峨は時代劇全盛期を象徴する大映のオールスター時代劇の作品に1作も出演させませんでした。コンビとして共演させることに独自な特徴を見出したのです。ちなみに瑳峨は、戦前の松竹トップスターで戦後に東宝を経て大映へ移籍した長谷川一夫がいないため、戦後の松竹の時代劇のトップスターとなった高田浩吉などが主に主演していた松竹のオールスター時代劇にはいくつか出演しています。特徴が今ではありえないよさがあり面白い限りです。
市川雷蔵×瑳峨三智子の生涯共演作 14作
______________
01・潮出来島 美男剣法 <1954>
02・次男坊鴉 <1955>
03・又四郎喧嘩旅 <1956>
04・浅太郎鴉
05・喧嘩鴛鴦
06・あばれ鳶
07・二十九人の喧嘩状 <1957>
08・鬼火駕籠
09・女狐風呂 <1958>
10・蛇姫様 <1959>
11・江戸へ百七十里 <1962>
12・影を斬る <1963>
13・眠狂四郎魔性剣(眠狂四郎6作目)<1965>
14・若親分あばれ飛車(若親分5作目)<1966>
*瑳峨三智子はすべて相手役のヒロインの立場で出演しているのが特徴。
*03~06は4つとも1956年公開、07~08は1957年公開。
*14だけが現代劇
瑳峨が出演した歌舞伎俳優の市川猿之助(2代目)(現・4代目市川猿之助の曽祖父)が主演した松竹のオールスター時代劇の「大忠臣蔵(1957)」。三船敏郎の主演で作られた1年モノの大型連続ドラマに同タイトルの「大忠臣蔵(1971)」があり全話見たことがあります。原作はないのに偶然同じタイトルです。
瑳峨三智子という女優は、映画愛子も松竹の主演作や脇役、雷蔵との共演作でも見かけていますが。現在のタレント女優よりは作品への順応性、協調性、スター性、美しさの全てにおいて上回っています。美しさや見た目だけでは、今は今なりに良い人はいますので、正確には美しさ以外ということになるでしょう。しかし、瑳峨は雷蔵ほどのスターではありません。雷蔵は戦後デビューの映画スターでは上位に入る大スターでしたが、瑳峨は映画に100作以上出ているものの主演作は雷蔵の125作強の10分の1以下のため上位にさえ入りません。
瑳峨三智子は、どちらかといえば明るい役よりも影を落とした役が得意で雷蔵との愛称も良かった。苦しさに耐えて生きる女や男にもてあそばれて苦しみながら生きていく自立した女のイメージが強くあります。良い相性と好評判から共演作が15年間で14作まで膨らんだのです。01・「潮出来島 美男剣法」は、雷蔵のデビューした1954年の映画出演作で5本目です。14・「若親分あばれ飛車」は、雷蔵のデビュー12年目の出演作で141本目であり、雷蔵と瑳峨は、雷蔵の1954から1969年にわたる15年の履歴のうちで、デビュー当時から亡くなる近くまで15年中、12年で共演しているということになります。これは雷蔵と共演したメイン、または主演ができた俳優との共演年数としては歴代最長なのです。
雷蔵にとっても、嵯峨にとっても、共演した俳優の中でも、互いに特別な存在であったのかと思います。のちに雷蔵は大映の社長であり、大プロデュサーで大物である永田雅一の娘と結婚(雷蔵が亡くなる少し前に)しますが、嵯峨三智子のことを女性としてはどう思ったのか気にかかるところです。映画俳優が専属メインの時代に、少なくても外部の俳優の同士で14作で共演していたわけで何らかの縁があったことは間違のない事実です。
松竹メインの映画スターであった瑳峨三智子(読み・瑳峨=さが)は、実働15年で主演映画が125作強を誇る大映の大スター俳優の市川雷蔵と共演した14作の全てで、雷蔵のヒロインを演じている特徴があります。。嵯峨だけが主役での共演作はゼロという徹底ぶりです。また瑳峨は時代劇全盛期を象徴する大映のオールスター時代劇の作品に1作も出演させませんでした。コンビとして共演させることに独自な特徴を見出したのです。ちなみに瑳峨は、戦前の松竹トップスターで戦後に東宝を経て大映へ移籍した長谷川一夫がいないため、戦後の松竹の時代劇のトップスターとなった高田浩吉などが主に主演していた松竹のオールスター時代劇にはいくつか出演しています。特徴が今ではありえないよさがあり面白い限りです。
市川雷蔵×瑳峨三智子の生涯共演作 14作
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01・潮出来島 美男剣法 <1954>
02・次男坊鴉 <1955>
03・又四郎喧嘩旅 <1956>
04・浅太郎鴉
05・喧嘩鴛鴦
06・あばれ鳶
07・二十九人の喧嘩状 <1957>
08・鬼火駕籠
09・女狐風呂 <1958>
10・蛇姫様 <1959>
11・江戸へ百七十里 <1962>
12・影を斬る <1963>
13・眠狂四郎魔性剣(眠狂四郎6作目)<1965>
14・若親分あばれ飛車(若親分5作目)<1966>
*瑳峨三智子はすべて相手役のヒロインの立場で出演しているのが特徴。
*03~06は4つとも1956年公開、07~08は1957年公開。
*14だけが現代劇

瑳峨三智子という女優は、映画愛子も松竹の主演作や脇役、雷蔵との共演作でも見かけていますが。現在のタレント女優よりは作品への順応性、協調性、スター性、美しさの全てにおいて上回っています。美しさや見た目だけでは、今は今なりに良い人はいますので、正確には美しさ以外ということになるでしょう。しかし、瑳峨は雷蔵ほどのスターではありません。雷蔵は戦後デビューの映画スターでは上位に入る大スターでしたが、瑳峨は映画に100作以上出ているものの主演作は雷蔵の125作強の10分の1以下のため上位にさえ入りません。
瑳峨三智子は、どちらかといえば明るい役よりも影を落とした役が得意で雷蔵との愛称も良かった。苦しさに耐えて生きる女や男にもてあそばれて苦しみながら生きていく自立した女のイメージが強くあります。良い相性と好評判から共演作が15年間で14作まで膨らんだのです。01・「潮出来島 美男剣法」は、雷蔵のデビューした1954年の映画出演作で5本目です。14・「若親分あばれ飛車」は、雷蔵のデビュー12年目の出演作で141本目であり、雷蔵と瑳峨は、雷蔵の1954から1969年にわたる15年の履歴のうちで、デビュー当時から亡くなる近くまで15年中、12年で共演しているということになります。これは雷蔵と共演したメイン、または主演ができた俳優との共演年数としては歴代最長なのです。
雷蔵にとっても、嵯峨にとっても、共演した俳優の中でも、互いに特別な存在であったのかと思います。のちに雷蔵は大映の社長であり、大プロデュサーで大物である永田雅一の娘と結婚(雷蔵が亡くなる少し前に)しますが、嵯峨三智子のことを女性としてはどう思ったのか気にかかるところです。映画俳優が専属メインの時代に、少なくても外部の俳優の同士で14作で共演していたわけで何らかの縁があったことは間違のない事実です。
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2014/09/02 20:52 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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