歴代上位の映画スターの市川右太衛門と第4の扉の謎
前回の流れで今回はランキングから一時的に離れてみます。なぜなら膨大な記事を書いてしまいました。いや~時代劇はホント熱くなるただものではないこの方々は・・・やはり、世界ベスト3の主演300作の映画スターの二人は桁違いでございます。市川右太衛門と第4の扉の謎と題して記事を書いてみました。
前回のの記事⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き②「世界で歴代圧倒的1位の男」
前々回のの記事⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き①「数多くの世界記録を持ち過ぎる男」
第4の扉の1・とある名匠と市川右太衛門
前回の記事で取り上げている「あばれ大名」は最後の15分を10度くらい見ています。内出好吉という時代劇監督の描写や展開の流れが演技と相乗して絶妙にうまくて忘れられない作品になりました。東映の東映チャンネルにおいて、「さけぶ雷鳥」(3部作)尾上鯉之助の主演作の番組紹介にて、内出好吉を”名匠とテロップ表記”をしており、名匠だと認定している監督です。内出好吉と市川右太衛門は「月形半平太(1952)」から初のコンビを組んでいます。
第4の扉の2・ウィキペディア(Wikipedia)が存在しない時代劇スターの尾上鯉之助と市川右太衛門
尾上鯉之助(おのえこいのすけ)は市川右太衛門や片岡千恵蔵などからすれば、東映の時代劇スターの東千代之介や中村錦之助などが長男であるなら、末っ子のような存在でした。同様に里見浩太朗なども末っ子的な立場に該当します。代表作は「さけぶ雷鳥」(1957)以外にはあまり存在してない残念な俳優です。鯉之助は主演作が10本強であり、主演数からすれば、スターというレベルにぎりぎり該当するのかさえも判断が危ういところです。
1950年代の日本映画の最大の全盛期から低迷に突入する1960年代初頭にかけて、計60作以上の映画に出演しています。ですが、数多くの東映の本当の映画スターと共演しているだけでも今では誇れるものなのです。鯉之助は1957~1962年までの約5年ほど東映の時代劇に出演した小規模な時代劇スターといえるのです。
鯉之助はほかにも、片岡千恵蔵が主演した東映オールスターキャストの「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」(1958)<監督・松田定次>や同じくオールスターの「赤穂浪士(1961)」<監督・松田定次>などにもほとんど出番さえない助演で顔を出しています。当時、千恵蔵と右太衛門(両者とも当時の時点で主演映画が300作近く)をトップとして、主演映画が50作や100作以上の映画スターが数多く出演しています。
第4の扉の3・内出好吉と市川右太衛門のコンビ作
内出と右太衛門は名コンビと呼ぶには難がある通算で7作だけの関わり(1952~1961)でしたが、俳優と監督としての相性はよかったように感じています。2011年以降もこの二人のコンビ作を観ていますが、その作品においても相性のよさを感じています。この二人のコンビ数、つまり市川右太衛門がコンビを組んだ生涯の監督の中では14位タイの記録となります。1位は松田定次です。
作数 公開年度 「作品タイトル」 主な共演俳優
1 1952 「月形半平太(1952)」 山田五十鈴 美空ひばり 喜多川千鶴 北上弥太郎
2 1955 「牢獄の花嫁(1955)」 伏見扇太郎 田代百合子 長谷川裕見子
3 1958 「濡れ燕 くれない権八」 大川橋蔵 大川恵子 長谷川裕見子 進藤英太郎
4 1959 「あばれ大名」 (大名シリーズ6弾) 大河内伝次郎 薄田研二 大川恵子 花柳小菊 丘さとみ
5 1959 「榛名はやし 喧嘩鷹」 北大路欣也 大川恵子 木暮実千代
6 1960 「あらくれ大名」(大名シリーズ7弾) 大河内伝次郎 香川京子 近衛十四郎 若山富三郎 山形勲
7 1961 「鉄火大名」 (大名シリーズ8弾) 沢村訥升 若山富三郎 河原崎長一郎 山城新伍
*1は松竹京都、2~7は東映京都
*1~2、4~7が主演
*3の「濡れ燕 くれない権八」のみが助演で主演は大川橋蔵
ここで、市川右太衛門が生涯で主に関わった監督たちを取り上げてみましょう。巨匠は松田定次、マキノ雅弘、伊藤大輔、渡辺邦男、中川信夫、沢島忠、内田吐夢。名監督は佐々木康、牛原虚彦、白井戦太郎、志波西果、森一生、内出好吉、丸根賛太郎、小沢茂弘、工藤栄一、河野寿一などのとコンビを組んでいます。巨匠が7名、名監督が10名ほどであり、名監督以上が17名で驚異的です。今の日本の俳優では足元にも及ばないわけです。
監督は千恵蔵に比べて名監督が比率として多めです。千恵蔵はやはり巨匠とのコンビが多数あります。ちなみに名監督の最初に記入してある佐々木康という監督ですが、ある意味で巨匠と言えるかもしれません。現代にいたら間違えなく巨匠です。その理由は数多くのスターの主演映画を撮り、多数の監督数や代表作があるからです。ここでは一応は名監督として取り上げています。
鳴門秘帖は何度か映画化されていますが、この「鳴門秘帖(1961)」は内出好吉が前後作で監督した作品で鶴田浩二の時代劇のあまり多くない主演作です。原作は時代小説のトップクラスに位置する吉川英治であり、敵役で近衛十四郎も出演しています。
第4の扉の4・巨匠の内田吐夢と沢島忠に市川右太衛門の意外な関係??
全て説明していたら量が膨大なので部分的に取り上げていきます。ちなみに東映ナンバーワン監督といわれた数多くのヒット作でも知られる巨匠・松田定次は千恵蔵に次ぐ、歴代2位の市川右太衛門とのコンビ数を誇っています。また、右太衛門と巨匠の沢島忠、内田吐夢は1作のみです。二人をひとことで説明しますと、内田吐夢は骨太な作風や情緒的な作品で知られ、東映も一目置いていた存在でした。沢島忠はいわゆる明朗モノ時代劇や明朗歌謡モノ時代劇の開拓者や牽引者とも言われています。
・内田吐夢 1958 「千両獅子」 大河内伝次郎 山形勲 松浦築枝 大川恵子 三島雅夫 進藤英太郎
・沢島忠 1962 「酔いどれ無双剣」 月丘夢路 近衛十四郎 東千代之介 里見浩太郎
その2作はVHS化はされているかもしれませんが、未だにCSで放送がされていない放送上の幻の作品です。いずれ商品化やCSで放送されることを望んでいます。沢島忠は事実上、東映時代においては一番多く美空ひばりとコンビを組んでいましたが、監督作が当時としてはあまり多い監督ではないため、珍しい1作とも言え、内田吐夢は戦後の監督作数が極端に少ないので貴重な1作となっています。
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2015/06/16 19:28 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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