歴代上位の時代劇映画スターのただらなぬ師弟関係と数多くの大名たち


本当はさっさとランキングを終わらせて、とある企画に入りたいところでしたが長引いてしまいました。、これもいい機会でもあるため、市川右太衛門に関連する映画についての追求をさらに突き詰めをしていこうと思います。

市川右太衛門の演じた大名や大名と関わりがある役たち


市川右太衛門の「大名シリーズ」 計9作(1954~1964) 10年 全て東映京都
1 1954「変化大名
2 1954「続変化大名
3 1956「やくざ大名
4 1957「大名囃子」 
5 1957「大名囃子 後篇
6 1959「あばれ大名
7 1960「あらくれ大名」 
8 1961「鉄火大名」 
9 1964「忍び大名

「大名シリーズ」の役柄
1、2作目の「変化大名」と「続変化大名」は”松平遠江守国久”役
(丹波福知山の七万石の城主であり大名)
3作目の「やくざ大名」は”松平五郎丸”役
(大名の五郎蔵の武州川越の十八万石の後継であり、人呼んで暴れ殿様=大名)
4、5作目の「大名囃子」と「大名囃子 後篇」は”京極鶴三郎”役
(文政天保に幕府の陰謀によって若隠居を命じられた名君の暴れ大名)
6作目の「あばれ大名」は”前田慶次郎”役
(前田利家の甥であり、家康の御前で藩を取り潰そうとした悪を裁く正義の男・大名?)
7作目の「あらくれ大名」は”松平直次郎忠康”役
(家康の息子でありながら、父と敵対した豊臣家に仕えることになる反逆の大名)
8作目の「鉄火大名」は”後藤又兵衛”役
(太閤秀吉亡き頃の福岡の五十二万石、黒田長政の客分で、知行一万六千石の大名)
9作目の「忍び大名」は”石川寅次郎”役
(のちに前田斉広(まえだなりなが)となる加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代となる前田勝丸に仕える男、大名?)

こうして↑の図の役柄などを見ると市川右太衛門という大スターは実に時代劇ファン好みの役をこのころに挑戦して、演じていることから、やはりすごい俳優であったのだと感心させられますが、↑の図の役柄の役の中で右太衛門以外にも”他の人も演じている役が存在します。”

関連4・前回の記事⇒身分の高い役がお家芸の超絶映画スターの理由を解説と晩年
関連の記事3⇒歴代上位の映画スターの市川右太衛門と第4の扉の謎
関連の記事2⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き②「世界で歴代圧倒的1位の男」
関連の記事1⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き①「数多くの世界記録を持ち過ぎる男」

大名シリーズと日本第1号の映画の大スター・尾上松之助との見えぬただらなぬ師弟関係


”他の人も演じている役が存在します”については、⇒9作目の「忍び大名」は”石川寅次郎”役も該当しそうです。
(前田斉広(まえだなりなが)となる加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代となる前田勝丸に仕える男、大名?)

例えば、9作目の「忍び大名」で演じている石川寅次郎が該当します。あの日本初の映画スターである尾上松之助(活動期間1909~1927)は日活で作られた「石川寅次郎」(1914)で同じ役を演じています。もちろん、サイレント映画です。当時なので時代劇といわれる作品が定着する1920年代中盤から1930年代ではないため、ある意味の舞台劇の要素が強いものですが、それは今からすれば日本映画のいい意味のらしさなのです。”日本映画の持つ特有の演ずるを重視する部分”には、歌舞伎の要素や文楽の要素などの影響が反映されています。

肩書きを多く持つ伝説の巨匠・マキノ省三と右太衛門や忠臣蔵


さらに「石川寅次郎」(1914)は日本映画の父であり、日本映画の最初の巨匠であり、日本映画の基礎を作り上げたマキノ省三が監督しています。マキノ省三の監督作数は世界で1位の400作以上ともいわれ、尾上松之助と日本初の名コンビを1909年から組んで、サイレント映画の黄金期をトップとして作り上げ、数多くの代表作や監督や俳優などの多数の後輩を育てました。戦後の日本映画の黄金期にも数多くの影響を与えている大人物で、今の日本映画にも数多くの痕跡が残っています。

9作目の「忍び大名」と「石川寅次郎」(1914)は同じ役の石川寅次郎が主役であることから関連があるのではないでしょうか。右太衛門が松之助の演じた役や恩師のマキノ省三の監督作でもあることを知って演じることを希望したのかも知れません。しかも”自身の映画の最後の主演作として選択”しています。最後の選んだ主演作が松之助と省三にゆかりがある作品と関連している事実も真実であり、同じ役を演じている事実も真実として残っています。”先人への恩義を込めた遺作”でもあるのでしょう。


日本映画最初の巨匠・マキノ省三の「士魂義烈 実録忠臣蔵」(1928)は大ヒットしたと伝えられていますが、省三は満足できずに(撮影したフィルムが燃えたともいわれ)シーンの埋め合わせも兼ねて、マキノ省三が息子のマキノ雅弘に撮られたといわれる伝説の忠臣蔵関連作の「間者」(1928)は、若き日の片岡千恵蔵嵐寛寿郎を起用して製作しています。この「士魂義烈 実録忠臣蔵」(1928)と「間者」(1928)をつなぎ合わせた作品が伝説の忠臣蔵映画「実録忠臣蔵(1928)」なのです。
日本映画の父(マキノ省三伝) (1949年)
関連記事
日々探求の励みに⇒にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへにほんブログ村こちらもポチ⇒映画(全般) ブログランキングへ

  

2015/07/02 19:49 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP | 

ブログ