ホラー映画の巨匠を輩出した映画スターとの秘密のエピソード??


戦前と戦後を通じて映画スターとして活躍した世界でも数少ない俳優


戦前と戦後を通じて映画スターとして活躍した数少ない俳優。市川右太衛門片岡千恵蔵たち
今年、戦後70年の映画や俳優を語るためにも本当の意味で大きな俳優が片岡千恵蔵市川右太衛門です。戦前だけではなく、戦後だけではない。これが重要な部分であり、戦前と戦後を通じて大スターの映画俳優として活躍した俳優は世界にも数少ない現実があります。

特に日本は戦争の戦後の影響を受けて主演のスター俳優から脇役に回っ俳優たちが確認してる限り、数十名います。
いわゆる時代劇6大俳優(片岡千恵蔵市川右太衛門長谷川一夫嵐寛寿郎阪東妻三郎大河内伝次郎、左から主演数が多い順に表記)は6名平均で1920年代後半から1960年代前半まで活躍し、前戦後通じてスターでした。これがいかにすごいことであるのか、国民的大スターであったのか、さまざまな人物を知るとわかってきます。この6名の主演した映画の総数はなんと1600作に近い数になります。日本映画や日本芸能を牽引してきたのは数多くの面で明らかなことです。

自らの名前を持つ映画プロダクションで巨匠を輩出した痕跡ホラー映画の巨匠を輩出した映画スターとの意外な人間カンケイ??)


そのなかでも、前回の続きになりますが市川右太衛門はとある作品で片岡千恵蔵と出会います。その出会いのときには、すでに二人は国民的俳優でした。そのだいぶ前に市川右太衛門は1925年のデビューして当たり前のようにたちまち映画スターとなっています。映画俳優としてのデビュー前(歌舞伎時代)から人気があったといわれていて必然のスターだったのです。その2年後に右太プロを創設し、9年間にわたって自分の会社で自分を今でいうプロデュースしていた時代を迎えます。市川右太衛門は右太プロこと市川右太衛門プロダクション(市川右太衛門の映画会社)時代が1927~1936年まであります。この時期は共演俳優が少ない時期のある意味で鎖国の状態ですが、このとき「旗本退屈男シリーズ」とも巡りあいます。また、のちの怪談映画の巨匠といわれる監督の中川信夫(右太衛門とは1935~1962年までの約27年に及ぶ計10作にわたってコンビ作がある)を自社で監督デビューさせるなど、彼にとってこの時期は価値がある映画プロダクション時代だったのです。映画監督の中川信夫の輩出は右太プロの大きな痕跡の一つとなっています。

中川信夫は普通な時代劇監督としても活躍していますが、戦後の新東宝の映画時代を中心に「地獄」や「東海道四谷怪談」など数多くの怪談モノなどで戦前から戦後の長期にわたって活躍した映画監督です。現代でいう和製ホラーブームの形成にも大きな関わりがあります。最近の一言でいうと、「リングシリーズ」や「呪怨シリーズ」などにも大きな影響力があるのです。中川信夫の遺作である1982年のATGの映画「怪異談 生きてゐる小平次わたくし愛子も10年ほど前に観ていますが、青春群像劇タッチの怪談映画です。今でいうホラーモノともいえます。


市川右太衛門のほかの映画プロダクションと時代劇の大スター


当時に俳優が自分の映画プロダクションを持つことは非常に稀でした。戦後よりも多い100名以上の映画スターが存在した戦前の日本映画全盛期ですが、その人数は数えるほどです。大スターのみが許された特権の一つだったのです。片岡千恵蔵嵐寛寿郎阪東妻三郎なども自分の映画会社の時代を1920年代後半から1930年代中盤にかけて経験しています。市川右太衛門に関しても、このときの成功や失敗や人脈などの経験が戦後の東映(東横含む)の専属時代(1949年代~1964年)にも、おおいに生かされている事実はいうまでもありません。
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2015/08/06 19:02 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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