戦後70年とよみがえる幻の有名映画たち、伝説の大女優と大スターの彼に迫るただならぬカンケイ
戦争の影がとある伝説の大女優と包んだことはあまり知られていません。太平洋戦争が始まる1940年代まで、彼女は主演映画女優としての地位を確立させていました。戦後70年に関連した記事を書いて行きます。
前記事⇒ホラー映画の巨匠を輩出した映画スターとの秘密のエピソード
*今まで数多くこの流れを書いていますので興味ある方は、ブログ全体の左側にある最新記事の一覧から飛んでみてください!
市川右太衛門は1937年にいわゆる新興キネマ(松竹と関連してるといわれる映画会社で、のちに大映を形成)という映画会社の京都、時代劇をメインにしていた新興京都のトップスターとしての活動する時期に入ります。この新興京都時代の約5年で右太衛門の主演映画が30作ほどあるのですが、新興京都時代には、森静子(事実上、新興キネマ、京都の女優のトップスターの一人)の映画女優、右太衛門の後輩として売り出していたころの時代劇スター大友柳太朗(当時・郎)と何度か共演しています。また、新興キネマには鈴木澄子という当時でも大女優に近い実籍を持つ女優が在籍していました。
鈴木澄子は新興京都の所属時代の1935~1941年、デビュー10年を越す女優としては、当時前例のない女優の映画スターです。戦前だけで、映画でのトータルヒロイン数がナンバーワンの大女優田中絹代を上回る150作以上のヒロイン以上の作品があります。市川右太衛門と鈴木は新興以前の右太プロ時代から(1929~1937まで10作以上)共演して、鈴木はそのほとんどでヒロインを務めています。といっても彼女がどんな女優かわからないと思いますので簡単に説明します。
鈴木澄子とは、「四谷怪談モノ」のお岩、「高橋お伝モノ」、「怪猫シリーズ(戦前版)」、「競艶録録モノ」などでも知られ、戦前に大活躍した幻の大女優の一人といえる存在です。当時の時点でこれほど活躍した女優は誰もいませんでした。ヒロイン数が女優では数名のだけの150作を越していることからある意味、日本初の大女優ともいえます。
日本の女役が全面に出る時代劇の怪談モノ、現在でいうと和製ホラーの女優としての先駆者ともいえる存在に位置づけられます。現代のアイドルのようなタレントは、素をさらけ出すような演技で和製ホラーに多数出演しているのとは違い、演技がきちんとしている面ではかなり違いがあります。
鈴木澄子の怪談モノに該当する映画のヒロイン・主演作は映画女優としては歴代最多の通算15作以上あります。活動は1921~1958年までとされていますが、主演の映画スターとしての活躍期間は1927~1941年の約14年間までとなっています。14年間でピークが続いたといってよいと思われます。太平洋戦争が始まる1940年代、彼女の主演映画女優としての地位は戦争の始まりで終焉を迎えています。そういう面では彼女も戦争の被害者なのかもしれません。

市川右太衛門と共演歴もあり、同じく歴代上位の映画スターの長谷川一夫・主演の「四谷怪談」、鈴木澄子の主演版は現存しているかもしれませんが商品化されていないのが残念です。
鈴木澄子と市川右太衛門とはただらなぬ関係があります。右太衛門もあのマキノに見初められて映画スターとなったのも知られていますが、鈴木澄子もマキノ、つまり”アノ男”である日本映画の父・超大物の牧野省三の傘下の会社・マキノ御室で活躍の飛躍の転機をつかんでいるです。映画デビューしたときはぱっとしない数年間でしたが、マキノ御室の在籍をきっかけに現在でも有名な怪談の「いろは仮名四谷怪談 前後編」(1927)でお岩を演じ、大女優へ流れを踏み出します。
鈴木澄子にとって四谷怪談モノのお岩さんは当たり役となり、映画で歴代最多の通算5度以上演じています。映画デビューからの年数では右太衛門(1925~)よりも鈴木(1921~)の方が長く、ある意味で姉弟のような部分もあったのではないでしょうか。戦後でいう山本富士子(姉)市川雷蔵(弟)の姉弟のような共演関係も頭をよぎります。また、彼女の演じた毒婦として知られる”高橋のお伝”も今での有名な役ですが、「怪猫シリーズ」は戦後も作られてトータルでは大女優といえる入江たか子の再ブレイクにも関わっています。今でも有名な題材です。
ちなみに黒澤明が監督した「羅生門(1950)」は、実はそれ以前にも映画化されています。それが鈴木澄子が主演した新興京都版の「羅生門(1941)」です。この作品は鈴木澄子の最後の主演作といわれ、これも代表作に含まれそうです。これも現在、再放送さえされていない幻の映画です。鈴木澄子は映画界に数多くの痕跡を残しています。
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新興京都のトップスター市川右太衛門の出会い
市川右太衛門は1937年にいわゆる新興キネマ(松竹と関連してるといわれる映画会社で、のちに大映を形成)という映画会社の京都、時代劇をメインにしていた新興京都のトップスターとしての活動する時期に入ります。この新興京都時代の約5年で右太衛門の主演映画が30作ほどあるのですが、新興京都時代には、森静子(事実上、新興キネマ、京都の女優のトップスターの一人)の映画女優、右太衛門の後輩として売り出していたころの時代劇スター大友柳太朗(当時・郎)と何度か共演しています。また、新興キネマには鈴木澄子という当時でも大女優に近い実籍を持つ女優が在籍していました。
戦前の幻の大スター&大女優・鈴木澄子の多大な痕跡たち
鈴木澄子は新興京都の所属時代の1935~1941年、デビュー10年を越す女優としては、当時前例のない女優の映画スターです。戦前だけで、映画でのトータルヒロイン数がナンバーワンの大女優田中絹代を上回る150作以上のヒロイン以上の作品があります。市川右太衛門と鈴木は新興以前の右太プロ時代から(1929~1937まで10作以上)共演して、鈴木はそのほとんどでヒロインを務めています。といっても彼女がどんな女優かわからないと思いますので簡単に説明します。
鈴木澄子とは、「四谷怪談モノ」のお岩、「高橋お伝モノ」、「怪猫シリーズ(戦前版)」、「競艶録録モノ」などでも知られ、戦前に大活躍した幻の大女優の一人といえる存在です。当時の時点でこれほど活躍した女優は誰もいませんでした。ヒロイン数が女優では数名のだけの150作を越していることからある意味、日本初の大女優ともいえます。
日本の女役が全面に出る時代劇の怪談モノ、現在でいうと和製ホラーの女優としての先駆者ともいえる存在に位置づけられます。現代のアイドルのようなタレントは、素をさらけ出すような演技で和製ホラーに多数出演しているのとは違い、演技がきちんとしている面ではかなり違いがあります。
鈴木澄子の怪談モノに該当する映画のヒロイン・主演作は映画女優としては歴代最多の通算15作以上あります。活動は1921~1958年までとされていますが、主演の映画スターとしての活躍期間は1927~1941年の約14年間までとなっています。14年間でピークが続いたといってよいと思われます。太平洋戦争が始まる1940年代、彼女の主演映画女優としての地位は戦争の始まりで終焉を迎えています。そういう面では彼女も戦争の被害者なのかもしれません。
鈴木澄子と市川右太衛門の”アノ男”を介するただならぬカンケイ
鈴木澄子と市川右太衛門とはただらなぬ関係があります。右太衛門もあのマキノに見初められて映画スターとなったのも知られていますが、鈴木澄子もマキノ、つまり”アノ男”である日本映画の父・超大物の牧野省三の傘下の会社・マキノ御室で活躍の飛躍の転機をつかんでいるです。映画デビューしたときはぱっとしない数年間でしたが、マキノ御室の在籍をきっかけに現在でも有名な怪談の「いろは仮名四谷怪談 前後編」(1927)でお岩を演じ、大女優へ流れを踏み出します。
鈴木澄子にとって四谷怪談モノのお岩さんは当たり役となり、映画で歴代最多の通算5度以上演じています。映画デビューからの年数では右太衛門(1925~)よりも鈴木(1921~)の方が長く、ある意味で姉弟のような部分もあったのではないでしょうか。戦後でいう山本富士子(姉)市川雷蔵(弟)の姉弟のような共演関係も頭をよぎります。また、彼女の演じた毒婦として知られる”高橋のお伝”も今での有名な役ですが、「怪猫シリーズ」は戦後も作られてトータルでは大女優といえる入江たか子の再ブレイクにも関わっています。今でも有名な題材です。
ちなみに黒澤明が監督した「羅生門(1950)」は、実はそれ以前にも映画化されています。それが鈴木澄子が主演した新興京都版の「羅生門(1941)」です。この作品は鈴木澄子の最後の主演作といわれ、これも代表作に含まれそうです。これも現在、再放送さえされていない幻の映画です。鈴木澄子は映画界に数多くの痕跡を残しています。
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2015/08/15 13:13 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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