荒波と戦い続けた歴代映画スターたちの厳しい格差の現実とは!?
わかりやすいので数を交えてお伝えていますが、もちろん、数だけではありません。たとえば、B級作は一般作よりは大きく劣ります。それは今でも同じだと思います。B級作で活躍した映画スターが数で一般作の映画スターを上回ったとします。主演数が多くても一般作の映画スターの方が上だという考え方もあります。
前回の関連記事⇒「激震の映画秘話」戦火に身を投じた現代劇の名匠と歴代1位のオールスター映画の交差
映画スターたちの厳しい格差の現実とは!?
前記事で紹介した。7人の主演100作(阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎、羅門光三郎、阿部九州男、琴糸路)ですが、ここにも格差が存在しています。なぜ4大スター、3スターと紹介したかというと4大スターよりも3スターは劣る考え方が存在しているからです。阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎はトップスターです。しかし、市川右太衛門は新興京都という映画会社にいました。戦前の時代劇のトップ会社の日活は日本映画の父・マキノ省三の流れを組んでいます。日活でトップクラスの活躍をしたのがこの7人の中では阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎の3名です。ですが嵐寛寿郎は「鞍馬天狗シリーズ」などの子ども向け作品にも人気があった俳優でもあり、子供向け作品はただの娯楽作で内容が薄く、評論家や大人には当時は評価がかなり低めでした。
晩年期の助演俳優となってからの70年代前半などの東映の現代劇映画からも格差が分かります。片岡千恵蔵、嵐寛寿郎の最後の共演作の扱いの差は大きなものです。片岡千恵蔵はオオトリでラストの表記ですが、嵐寛寿郎は藤山寛美よりも下、新国劇の名優・石山健二郎や主演100作越えの映画スターを経た水島道太郎と同等扱いを受けています。嵐寛寿郎は「主演250作を越した映画スターなのにこれほど扱いがひどいものなのか」と感じさせられます。取り上げたらいくつもの部分で比較する必要があるため、すごく長くなるので千恵蔵との具体的な差の表記は控えます。他の機会にた書きたいとは考えています。
嵐寛寿郎は「鞍馬天狗シリーズ」や「右門捕物帖シリーズ」など、一言で語れるようなネタにしやすく判りやすい代表作があるため、最近になり評価が見直されてるとはいっても、当時は多少は敬遠され評価が今よりはさらに低めでした。
このような考え方からすると市川右太衛門は1927年の右太プロから1942年までの新興京都で活躍した時期があったため、特に新興京都に所属していた映画会社的にはこの阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎の3名よりは劣るということもできます。個人プロよりは新興京都はB級というほどではありませんが、日活には及ばない事実は曲げられません。
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2015/10/13 19:58 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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