ついにひらくヒロイン女優の大輪の花・原節子と”のちの3大巨匠たち”
マスコミは時間や伝える作品量、文字数に制限があるため、全てをできるだけいくつかに絞ったり、一言で片付けたがるのでしょうがないのですが、そうした問題点からマスコミが報道しきれない部分にスポットを当てて、個人的にはできるだけの真実を伝えていこうと思っています。さっさと以前に流れにもどりたい気持ちもありますが、じっくり時間をかけて取り上げていくほうがいいのではないか、悩みながら書いています。
(追悼特別企画・原節子)マスコミが無視する原節子の痕跡の1ページ
ついにひらくヒロイン女優の大輪の花・原節子と”のちの3大巨匠たち”
原節子には戦後直後にさまざまなチャンスが続々と襲来してきます。これは戦前からコツコツ積み上げてきた地味めの実積が実ったことを意味しているのかも知れません。監督たちとの再び出会いがあります。
その一人は渡辺邦男です。彼は娯楽映画のヒットメーカーの一人といわれ、数々の代表作を残しているのちの巨匠の一人です。原節子と渡辺邦男との関わりは戦前から何度かありますが、初めて主演に起用したのは1946年の「麗人」が初めてとなります。この作品から原節子は主演や助演としての更なる流れをつかんでいきます。まさに上昇気流に乗るのです。当時はデビュー数年目の鬼才として注目されていたころの黒澤明の1946年「わが青春に悔なし」でさらに評価や知名度を高めます。
さらに1947年の「安城家の舞踏会」という有名な家族モノ作品の名作があります。監督のにちの巨匠・吉村公三郎にとっても、この作品で評価されたことがのちに松竹を飛び出してから、新藤兼人と現代映画社を創設ための弾みとなり、大きな転機となる作品になりました。今でも評価が高い吉村公三郎が監督です。原節子の全盛期の背中を後押しする形で貢献をしています。この作品が松竹であり、所属していた東宝からレンタルで松竹のこの作品に出演し、名優・滝沢修や森雅之と共演しています。
少し脱線はします。渡辺邦男といってもどれだけすごい監督かご存知がない方もいると思いますので、簡単に取り上げます。戦前はこつこつ積み上げていましたが多少活躍してるクラスの監督でした。戦後直後から大きな気流に乗り出して、1960年代前半まで活躍します。巨匠は戦後の実積が大きな部分を占めています。
映画には評論家の評価作とヒット作の食い違いが存在します。マスコミは評論家の評価や資料ばかり重視する傾向がありますが、評論家の評価だけが映画の評価にはならないのです。一般作品で、戦後の世界の最多映画監督数143作以上を誇る巨匠・渡辺邦男(2位は巨匠・マキノ雅弘)は、評論家に評価される作品を生み出したタイプの監督よりは、多数の映画スターを支え、ヒット作を大量産してきたタイプの巨匠なのです。代表作も数多くあります。当時はほとんど賞はありませんが、賞の獲得や現代と同様に映画評論家に高く評価されるだけが映画では断じてありません。長くなるので切りますが、この監督は日本の映画の評価に対する多様性にも大きく貢献した一人といえます。
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2015/12/06 07:13 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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