世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価
今回は「世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価」と題して進めていこうと考えています。鶴田浩二は戦後を代表する映画スターと1人でした。その証拠として”数多くの記録”を残しています。映画スターや映画俳優の評価とはコンビを組んだ監督、評論家の評価、観客動員や興行成績、代表作数を残すだけではなく、映画に関する記録を残すことも大きな評価の一つです。
前回の記事⇒戦後映画260作の世界記録・鶴田浩二&後輩・松方弘樹の24年18作
<鶴田浩二の1965年から1970年までの主演映画数>
鶴田浩二は生涯で年間数10作以上の二桁主演数は2度記録しています。この記録には1963年の再大ブレイクが大きく影響しています。またシリーズ路線にも成功し、拍車がかかりました。
年数と主演数 ・記録
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1965 10 ・自身初の年間主演数10作越え&
戦後デビューの俳優3人目の主演映画100作に到達(A)
1966 8
1967 9
1968 10 ・生涯2度目の年間主演映画数10作突破(B)
1969 5
1970 6 ・初の10年連続で主演映画数が5作以上を記録
(A)鶴田浩二の戦後主演100作は戦後デビューの男性俳優では森繁久彌に次ぎ、女優を含めると美空ひばりが主演のみだと1963年に到達しており、3人目となります。美空ひばりは歌手と相互も大きな人気の部分でもあり、現代劇と時代劇で異なるを定着させて女優で唯一の戦後主演100に到達、いかに大スターだったのかが伺い知れる部分です。森繁久彌は1950年代の代表作の『警察日記』の主演で評価された辺りから主演数が伸び、東宝版『次郎長三国志シリーズ』の森の石松の助演でも人気を博し、1960年代の『社長シリーズ』、『駅前シリーズ』などで安定したさらに流れをつなぎました。
戦後の主演作100作以上は、戦前から活躍している俳優の戦後の100作到達順を含めると片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫、美空ひばり、森繁久彌に次いで鶴田浩二は世界で6人目でした。主演数であり、ヒロイン数は含んでいません。

片岡千恵蔵が主演、鶴田浩二や東千代之介も主軸で参加した時代劇映画
監督・沢島忠の『半七捕物帖 三つの謎』、貴重なパンフレット(当時はしおりの明記)
上記写真の4人目は里見浩太朗です。
<大記録 戦後の映画大スターの主演数100作への到達順>
映画俳優 到達年数
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1 片岡千恵蔵 1958 (戦後世界最速)
2 長谷川一夫 1960
3 市川右太衛門 1961
4 美空ひばり 1963 (戦後デビュー俳優の世界最速)
5 森繁久彌 1965
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6 鶴田浩二 1965
7 市川雷蔵 1965
8 勝新太郎 1967
9 中村錦之助 1969
10 小林旭 1970
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11 高倉健 1971
嵐寛寿郎 到達できず 90作強
石原裕次郎 到達できず 85作強
三船敏郎 到達できず 75作強
渥美清 到達できず 70作強
吉永小百合 現在70作ほど
若尾文子 現在70作ほど
*吉永小百合は主演含めたヒロイン数は95ほどであり、100の可能性有
長谷川一夫は主演数で280作ほどながら安定して主演数を積んできた特徴があり、トータルで主演300作の市川右太衛門よりも先に戦後100作に到達しています。流れとしては軸にしている鶴田浩二は6位に位置しています。残念ながら主演100作へ到達できなかった大スターの嵐寛寿郎、観客動員ベスト10作のみでは観客動員1位の石原裕次郎や三船敏郎と渥美清も比較対照として表記、記録的に三船敏郎と渥美清はあまり大きな映画スターではなく、死後にマスメディアが持ち上げる部分が大きくあります。
森繁久彌、鶴田浩二と市川雷蔵の1965年の数ヶ月、半年の勝負
記録を残していることも映画スターの評価には大切な要素です。森繁久彌、鶴田浩二と市川雷蔵が同じく1965年の通産主演数100作への到達ですが、森繁久彌は鶴田浩二より数ヶ月先、逆に鶴田浩二は市川雷蔵よりも半年ほど先に主演数100作へ到達しています。観客はまったく気にしていなかったでしょうが、影で僅差の勝負が展開されていたのです。

歌手として活躍した軍隊の帽子の鶴田浩二
2017・4・5公開の裏ブログ↓ ↓ 今回の記事とも関連しています。
真実の光 マーロン・ブランドと三船敏郎の×××
大記録 戦後映画大スターの年間主演映画数10作
(B)生涯2度目の年間主演映画数10作を突破
鶴田浩二の年間主演数10作以上は生涯で2度で11位したが、先輩の片岡千恵蔵は戦後だけでも5度で1位、2位が東千代之介、中村錦之助、小林旭、市川雷蔵が4度の年鑑主演数10作に到達、4度目の到達順の早さから2位が東千代之介となっています。
片岡千恵蔵も同様ですが市川右太衛門は主演映画300作俳優であり、上記の4名に劣っている部分は意外といえば以外でしょう。
これも↓スター俳優の評価を示す大きな記録といえるでしょう。
<大記録 年間主演10作の回数や順位と到達順>
到達俳優 年間主演10作の回数(その年数)
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1 片岡千恵蔵 5 (1952~1956)
2 東千代之介 4 (1954~1957)
3 中村錦之助 4 (1954~1956、1958)
4 小林旭 4 (1959~1962)
5 市川雷蔵 4 (1959、1961~1962、1966)
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6 市川右太衛門 3 (1952~1954)
7 森繁久彌 3 (1956、1958、1961)
8 美空ひばり 2 (1955、1958)
9 長谷川一夫 2 (1958、1960)
10 勝新太郎 2 (1964、1968)
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11 鶴田浩二 2 (1965、1968)
12 嵐寛寿郎 1 (1953)
13 石原裕次郎 1 (1959)
14 吉永小百合 1 (1963)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・ 三船敏郎 0
・ 渥美清 0
・ 菅原文太 0
*並んでいる場合は達成順が上
*これは主演なので相手役、ヒロイン数を足せば100作に到達する俳優や女優がいますが含めてていません。
片岡千恵蔵はいまさら語るまでもない凄さですが、1952~1956年に5年連続で主演映画が10作あります。東千代之介は5部作、4部作、3部作などの1時間ほどの中編作の連作が多かったにしても記録は事実であり、長篇のみでいうと除外されてしまいます。
雷蔵と鶴田、意外なるライバル関係
年間主演10作の回数4度の市川雷蔵はデビューからたった15年で160作近い映画に出演し、主演は130作強、1969年に過労死ともいわれる風に亡くなりました。その多くが主演映画作でした。多作は映画業界や周囲に貢献はしていても反面、問題を孕んでいることも事実です。
実写のニーズのそのものが低迷している現代の状況のままでは、映画本数が作りたくても作れない現実もあり、膨大な映画数自体が不可能です。残念ながら三船敏郎と渥美清は生涯を通じて1度も年間で主演映画が10以上がなく、映画の大スターの基準を満たしていませんでした。
鶴田浩二―“任侠”にかけた男の意地と夢 映画写真集 (1972年)
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「鶴田浩二―“任侠”にかけた男の意地と夢 映画写真集」の文章に書かれている晩年の代表作の映画『傷だらけの人生』(1971)は自身による歌の大ヒットから企画された仁侠映画でした。この映画で鶴田浩二は、日本アカデミー賞の前身的な位置を持つ京都映画祭の主演男優賞を受賞しています。
裏記事⇒任侠路線を確立や初代・飛車角の存在とオリジナルビデオ四天王
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2017/04/04 00:01 | 超大物俳優 | COMMENT(3) | TRACKBACK(0)
コメント
記事をわかりやすく見てもらうために「森繁久彌、鶴田浩二と市川雷蔵の1965年の数ヶ月、半年の勝負」を追加しました。文字のおかしな部分もいくつか修正しました。
No:134 2017/05/22 02:52 | 愛子(本人) #- URL [ 編集 ]
しおりの4人目の真実記事内ではあえてあやふやに書きましたが、しおりの4人目は、沢村訥升(さわむらとっしょう)です。
一時的に東映専属の映画俳優としてデビューしていた全般では歌舞伎俳優です。歌舞伎界へ戻ってからはのちに九代目の澤村宗十郎を襲名しました。
No:132 2017/04/08 23:46 | 映画愛子 #- URL [ 編集 ]
記事の吉永小百合の問題点を修正公開後も何度も読み直しています。
2017・4・6、問題を感じた部分は修正してしました。
吉永小百合の部分です。主演数を95ほどにしていましたが、これはヒロイン数でした。個人的に確認している限りではブログ投稿時の2017時点で、ヒロインは通算93作です。主演が通産69作です。主演100作は困難だと思われますが、ヒロイン数通産100、日本では戦後3人目(戦前含めると日本で6人目)を到達していただきたいところです。この辺もいずれの機会に取り上げたいと考えています。
No:131 2017/04/07 12:28 | 映画愛子 #- URL [ 編集 ]
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