合わせて映画420作 大友柳太朗と中村錦之助の映画110作が秘めたドラマ
映画愛子は人と比較しないオンリーワンがもっとも大切だと考えていますが、それで済ませてしまうと記事にならないため、さらに追及していこうと思います。
前回記事⇒東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影
前回は↑<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>を取り上げました。
まことに申し上げありません。膨大な量になるのでいっぺんに取り上げれない理由から、とある人物の存在を今回に引き伸ばしさせていただきました。今回はそのもう1人の存在を浮き彫りにしたいと思います。
<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>
途絶えた年 俳優名 連続年数 連続年数の内訳
1961 長谷川一夫 12 1950~1961
1962 市川右太衛門 11 1952~1962
1963 中村錦之助 10 1954~1963
1963 美空ひばり 13 1951~1963
1963 片岡千恵蔵 14 1950~1963
⇒1963 大友柳太朗 10 1954~1963
1965 大川橋蔵 10 1956~1965
1966 森繁久彌 12 1955~1966
1967 市川雷蔵 13 1955~1967
1968 勝新太郎 14 1955~1968
1970 小林旭 13 1958~1970
1972 鶴田浩二 12 1961~1972
上記の<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>の最後の1人の存在が上記の⇒の大友柳太朗の存在です。同時に上記の”戦後に10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”は12名です。
これで東映が”10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”が通産で7名になりました。7名の内訳・片岡千恵蔵、市川右太衛門、美空ひばり、中村錦之助、大友柳太朗、大川橋蔵、鶴田浩二、大映3名、東宝1名、日活1名、松竹、6社目の新東宝0名です。さらに下記の戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数も更新してみます。

『ご存じ快傑黒頭巾 マグナの鐘』(1955)は大友柳太朗の最大の当たり役、「快傑黒頭巾シリーズ」の第3弾、のちの高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」を大成功させた名匠・佐伯清が監督でした。原作は児童文化学作家の高垣眸(たかがきひとみ、ひとみと読みますが性別は男性)
佐伯清は高倉健とコンビを形成する前には大友柳太朗と11作の映画でコンビがあり、このことはあまり知られていない事実です。快傑黒頭巾はのちにテレビドラマでも何度も映像化されています。頭巾姿の大友柳太朗と奥の女性は喜多川千鶴です。
完全版「戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数」
<戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数>
連続年数 連続した年数の内訳
1 片岡千恵蔵 14 1950~1963
2 勝新太郎 14 1955~1968
3 美空ひばり 13 1951~1963
4 市川雷蔵 13 1955~1967
5 小林旭 13 1958~1970
6 長谷川一夫 12 1950~1961
7 森繁久彌 12 1955~1966
8 鶴田浩二 12 1961~1972
9 市川右太衛門 11 1952~1962
10 大友柳太朗 10 1954~1963
11 中村錦之助 10 1954~1963
12 大川橋蔵 10 1956~1965
上記のようになります。同数の場合は記録のスタート年数の方が上位にしています。この12名の中で同じ連続年数でスタートと途切れた年が同じ年数1954~1963の俳優がいます。それは大友柳太朗と中村錦之助です。
<大友柳太朗と中村錦之助の2人の年間5作連続主演数の記録が重なりあった部分>
10 大友柳太朗 10 1954~1963
11 中村錦之助 10 1954~1963
何故に大友柳太朗の方を上にしているかですが、ルールにもよって変化しそうですがここではデビュー年数が早いことを基準にしていますが、通産の映画出演数が100作以上も多いことも影響しています。大友柳太朗は戦前の1937年に映画デビュー、中村錦之助は戦後の1954年にデビューしています。
中村錦之助は美空ひばりの相手役の『ひよどり草紙』でデビューを飾り、『新諸国物語 笛吹童子』で東千代之助とのダブル主演作で初主演を務めました。『ひよどり草紙』は主演とも言えるかも知れませんが今回は相手役の扱いをしています。
大友柳太朗はそれよりも15年以上前から主演で活躍していたことから順位を上にしています。今回の本題ですが、実は大友柳太朗と中村錦之助はいくつかの共通点が存在しています。その部分に少しでも迫れたら嬉しいです。
![ひよどり草紙 [VHS]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61PX-zwYe2L.jpg)
『ひよどり草紙』のVHSは販売されていますが、DVDはリリースされていないようです。大きく美空ひばりの主演の文字、販売はコロムビアの文字があり、日本コロムビアのことです。販売価格9515円の文字がかなり高価です。
大友柳太朗と中村錦之助の共通点の一つが主演映画の本数です。大友柳太朗は確認できる限りでは110作以上の主演映画が存在が確認できます。一方、中村錦之助も110本強です。ほぼ同数の主演映画が作られました。
ほぼ同じ110作といっても2人は大きく異なるタイプの俳優でした。それは活動の仕方の違いにもみられます。大友柳太朗は主演と助演の両方向で長期間にわたって活躍した俳優でしたが、中村錦之助は主演が中心に助演の代表作もいくつかの数が存在している俳優でした。この部分は重要なことです。何でどちらが活躍したとは一概に言いにくい部分もあります。
大友柳太朗の映画出演本数は270作以上ですが、中村錦之助は145作(合わせて415作、約420作)ほどであり、トータルの映画出演数が全然違います。大友柳太朗が中村錦之助の2倍近い出演映画数を誇っています。膨大な135作以上の映画出演数の差が存在しています。
一言でいうと主演と助演を含めた出演数の代表作では大友柳太朗の方が多く、主演の代表作では中村錦之助の方が多いです。
<大友柳太朗と中村錦之助の映画出演数と主演数>
大友柳太朗 映画出演270作強 主演数110作強
中村錦之助 映画出演145作強 主演数110作ほど
大友柳太朗はデビューした1937年と1938年に年間主演数9を記録しています。また、1940年と1941年にも年間主演数5以上を記録し、戦前に4度の年間主演数5以上がありました。年間主演5作以上を戦前に4、戦後に10で通産で14度記録しています。こうした部分からもトータルで長年で映画スターだったのが大友柳太朗といえます。
<大友柳太朗と中村錦之助の年間主演数5以上回数>
大友柳太朗 通算14度、1937~1938、1940~1941、1954~1963
中村錦之助 通算10度、1954~1963
また、大友柳太朗の戦前の主演映画は確認できるのみで37作あります。戦前と戦後の両方の異なる時代で主演30作以上を記録した映画スターの俳優は日本の歴代に20名もいません。大友柳太朗もその数少ない一人です。戦前の多くの映画スターは戦後には引退したり、助演や脇役に回っていることが多数だったことからも彼は認められた俳優だったといえるでしょう。
中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗の3大スターを軸に展開する冒険活劇時代劇、大旋風を巻き起こした新諸国物語シリーズでしたが、大友柳太朗は新諸国物語やその関連作の12作へ出演していました。新諸国物語シリーズは最低でも2000万人以上の観客が見ているものと考えられます。「新諸国物語 紅孔雀」だけでも1000万人近い観客を動員したといわれています。
マスコミ的には現在の高齢者の世代が近い方の俳優の中村錦之助の方を大きく位置づけている印象がありますが、実はそれにも疑問符が存在しています。テレビドラマのことも含めてしまうと主演でも活躍したことから中村錦之助(1970年代前半から萬屋錦之介に改名)の方が活躍したといえるでしょう。さらに映画では巨匠のコンビ数では中村錦之助の方が本数が多く多彩であり、これら面も影響していると考えられますが、今回取り上げた出演数や戦前の部分も含めるとそれだけで決め付けてしまうのもおかしな部分だといえるでしょう。
今回の記事の裏側⇒忘れ去られた児童文学作家 高垣眸と頭巾もの有名映画たち
頭巾もの有名映画たちにも迫ります。
前回記事⇒東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影
前回は↑<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>を取り上げました。
まことに申し上げありません。膨大な量になるのでいっぺんに取り上げれない理由から、とある人物の存在を今回に引き伸ばしさせていただきました。今回はそのもう1人の存在を浮き彫りにしたいと思います。
完全版「戦後の10年連続以上の年間主演5作俳優、連続年数が途絶えた順番」
<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>
途絶えた年 俳優名 連続年数 連続年数の内訳
1961 長谷川一夫 12 1950~1961
1962 市川右太衛門 11 1952~1962
1963 中村錦之助 10 1954~1963
1963 美空ひばり 13 1951~1963
1963 片岡千恵蔵 14 1950~1963
⇒1963 大友柳太朗 10 1954~1963
1965 大川橋蔵 10 1956~1965
1966 森繁久彌 12 1955~1966
1967 市川雷蔵 13 1955~1967
1968 勝新太郎 14 1955~1968
1970 小林旭 13 1958~1970
1972 鶴田浩二 12 1961~1972
上記の<戦後の10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優で連続年数が途絶えた順番>の最後の1人の存在が上記の⇒の大友柳太朗の存在です。同時に上記の”戦後に10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”は12名です。
これで東映が”10年連続以上の年間主演5作以上を記録した俳優”が通産で7名になりました。7名の内訳・片岡千恵蔵、市川右太衛門、美空ひばり、中村錦之助、大友柳太朗、大川橋蔵、鶴田浩二、大映3名、東宝1名、日活1名、松竹、6社目の新東宝0名です。さらに下記の戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数も更新してみます。

『ご存じ快傑黒頭巾 マグナの鐘』(1955)は大友柳太朗の最大の当たり役、「快傑黒頭巾シリーズ」の第3弾、のちの高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」を大成功させた名匠・佐伯清が監督でした。原作は児童文化学作家の高垣眸(たかがきひとみ、ひとみと読みますが性別は男性)
佐伯清は高倉健とコンビを形成する前には大友柳太朗と11作の映画でコンビがあり、このことはあまり知られていない事実です。快傑黒頭巾はのちにテレビドラマでも何度も映像化されています。頭巾姿の大友柳太朗と奥の女性は喜多川千鶴です。
完全版「戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数」
<戦後の年間主演5作以上を10年以上記録した俳優の連続年数>
連続年数 連続した年数の内訳
1 片岡千恵蔵 14 1950~1963
2 勝新太郎 14 1955~1968
3 美空ひばり 13 1951~1963
4 市川雷蔵 13 1955~1967
5 小林旭 13 1958~1970
6 長谷川一夫 12 1950~1961
7 森繁久彌 12 1955~1966
8 鶴田浩二 12 1961~1972
9 市川右太衛門 11 1952~1962
10 大友柳太朗 10 1954~1963
11 中村錦之助 10 1954~1963
12 大川橋蔵 10 1956~1965
上記のようになります。同数の場合は記録のスタート年数の方が上位にしています。この12名の中で同じ連続年数でスタートと途切れた年が同じ年数1954~1963の俳優がいます。それは大友柳太朗と中村錦之助です。
<大友柳太朗と中村錦之助の2人の年間5作連続主演数の記録が重なりあった部分>
10 大友柳太朗 10 1954~1963
11 中村錦之助 10 1954~1963
何故に大友柳太朗の方を上にしているかですが、ルールにもよって変化しそうですがここではデビュー年数が早いことを基準にしていますが、通産の映画出演数が100作以上も多いことも影響しています。大友柳太朗は戦前の1937年に映画デビュー、中村錦之助は戦後の1954年にデビューしています。
中村錦之助は美空ひばりの相手役の『ひよどり草紙』でデビューを飾り、『新諸国物語 笛吹童子』で東千代之助とのダブル主演作で初主演を務めました。『ひよどり草紙』は主演とも言えるかも知れませんが今回は相手役の扱いをしています。
大友柳太朗はそれよりも15年以上前から主演で活躍していたことから順位を上にしています。今回の本題ですが、実は大友柳太朗と中村錦之助はいくつかの共通点が存在しています。その部分に少しでも迫れたら嬉しいです。
![ひよどり草紙 [VHS]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61PX-zwYe2L.jpg)
『ひよどり草紙』のVHSは販売されていますが、DVDはリリースされていないようです。大きく美空ひばりの主演の文字、販売はコロムビアの文字があり、日本コロムビアのことです。販売価格9515円の文字がかなり高価です。
大友柳太朗と中村錦之助の主演数は110作なのに大きく異なる部分
大友柳太朗と中村錦之助の共通点の一つが主演映画の本数です。大友柳太朗は確認できる限りでは110作以上の主演映画が存在が確認できます。一方、中村錦之助も110本強です。ほぼ同数の主演映画が作られました。
ほぼ同じ110作といっても2人は大きく異なるタイプの俳優でした。それは活動の仕方の違いにもみられます。大友柳太朗は主演と助演の両方向で長期間にわたって活躍した俳優でしたが、中村錦之助は主演が中心に助演の代表作もいくつかの数が存在している俳優でした。この部分は重要なことです。何でどちらが活躍したとは一概に言いにくい部分もあります。
大友柳太朗の映画出演本数は270作以上ですが、中村錦之助は145作(合わせて415作、約420作)ほどであり、トータルの映画出演数が全然違います。大友柳太朗が中村錦之助の2倍近い出演映画数を誇っています。膨大な135作以上の映画出演数の差が存在しています。
一言でいうと主演と助演を含めた出演数の代表作では大友柳太朗の方が多く、主演の代表作では中村錦之助の方が多いです。
<大友柳太朗と中村錦之助の映画出演数と主演数>
大友柳太朗 映画出演270作強 主演数110作強
中村錦之助 映画出演145作強 主演数110作ほど
大友柳太朗はデビューした1937年と1938年に年間主演数9を記録しています。また、1940年と1941年にも年間主演数5以上を記録し、戦前に4度の年間主演数5以上がありました。年間主演5作以上を戦前に4、戦後に10で通産で14度記録しています。こうした部分からもトータルで長年で映画スターだったのが大友柳太朗といえます。
<大友柳太朗と中村錦之助の年間主演数5以上回数>
大友柳太朗 通算14度、1937~1938、1940~1941、1954~1963
中村錦之助 通算10度、1954~1963
また、大友柳太朗の戦前の主演映画は確認できるのみで37作あります。戦前と戦後の両方の異なる時代で主演30作以上を記録した映画スターの俳優は日本の歴代に20名もいません。大友柳太朗もその数少ない一人です。戦前の多くの映画スターは戦後には引退したり、助演や脇役に回っていることが多数だったことからも彼は認められた俳優だったといえるでしょう。
新諸国物語 「紅孔雀 第一集」 [DVD]
posted with amazlet at 17.06.05
東映ビデオ (2004-10-21)
売り上げランキング: 32,901
売り上げランキング: 32,901
中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗の3大スターを軸に展開する冒険活劇時代劇、大旋風を巻き起こした新諸国物語シリーズでしたが、大友柳太朗は新諸国物語やその関連作の12作へ出演していました。新諸国物語シリーズは最低でも2000万人以上の観客が見ているものと考えられます。「新諸国物語 紅孔雀」だけでも1000万人近い観客を動員したといわれています。
中村錦之助と大友柳太朗の個々の個性を大切に伝えてほしい現実
マスコミ的には現在の高齢者の世代が近い方の俳優の中村錦之助の方を大きく位置づけている印象がありますが、実はそれにも疑問符が存在しています。テレビドラマのことも含めてしまうと主演でも活躍したことから中村錦之助(1970年代前半から萬屋錦之介に改名)の方が活躍したといえるでしょう。さらに映画では巨匠のコンビ数では中村錦之助の方が本数が多く多彩であり、これら面も影響していると考えられますが、今回取り上げた出演数や戦前の部分も含めるとそれだけで決め付けてしまうのもおかしな部分だといえるでしょう。
今回の記事の裏側⇒忘れ去られた児童文学作家 高垣眸と頭巾もの有名映画たち
頭巾もの有名映画たちにも迫ります。
- 関連記事
-
- 【映画秘話】忠臣蔵映画の起源のナゾと現代なら人間国宝の歌舞伎名優のヒミツ
- 【映画壮絶秘話】たった4年の黄金期を生涯背負った映画スター
- 山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔
- 映画歴代対決没発 「七つの顔の男」と7番勝負
- 【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突
- 【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層
- 映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする
- 合わせて映画420作 大友柳太朗と中村錦之助の映画110作が秘めたドラマ
- 東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影
- 6番手11人目が大川橋蔵のワケ 最大のライバルと勝負の行方
- 高倉健が10年連続主演×作に到達しなかった原因 そびえ立つ大山脈
- ○作連続主演数世界1位 映画俳優の大記録を掘れ
- 世界最速1位はあの人 大記録が語る映画スターたちの真価
- 戦後映画260作の世界記録・鶴田浩二&後輩・松方弘樹の24年18作
- 篝火(かがりび)と新撰組の土方歳三、初めて映画の主演で演じた最高齢の映画スター
2017/06/06 00:00 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
コメント
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)