【映画壮絶秘話】たった4年の黄金期を生涯背負った映画スター
【映画壮絶秘話】たった4年の黄金期を生涯背負った映画スター
前回は大河内傳次郎と辻吉郎に関しても取上げましたが、日活時代の大河内傳次郎と競い合い、また片岡千恵蔵とも競り合った映画スターが存在していました。
前回の記事リンク⇒山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔
河部五郎は日活や時代劇映画の形成に少なからずの貢献をした人物でした。ここが重要ですが、貢献といっても日活時代の大河内傳次郎や片岡千恵蔵などの上位俳優と比べるとすれば数分の1ほどといっていいでしょう。河部五郎は戦後の東映の時代劇映画の脇役、端役の出演作を視聴することが多くあります。
個人的にも日活時代の片岡千恵蔵の助演や戦後の東映時代の脇役、端役などでどこに出ているかさえ分からないほど少ない出番のみの役柄で多く見かけている俳優です。それもそのはずで1958年頃まで映画俳優として活動しており、必然的に戦後に多く残されている作品が多いことから見かける機会も増えます。
河部五郎という俳優は日活で1925年に『義刃』で主演デビューして多くの主演作が存在しています。さらに大河内傳次郎よりも1年ほど先輩で1926年に『修羅八荒』4作でブレイクを果たしています。河部五郎は主演俳優としてのピークが1926年から1929年の4年ほどと考えられるほど短命でした。この4年間のみで生涯の主演映画数50作強のうちの40作強を消化しています。下記で登場するある主演映画の代表作が1929年を最後に途絶えていることや主演数の激減などの理由からこの判断をしています。
![弥次喜多道中記 [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61RqsMIVy3L.jpg)
このオールスター映画『弥次喜多道中記』(1938)に河部五郎も出演しています。河部五郎の出番が多い映画では数少ないDVD化作品です。映画俳優や歌手のスターは13名を越しています。
マキノ正博×片岡千恵蔵のゴールデンコンビ(コンビ数20作以上、代表作10を越す)、大巨匠のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)と歴代大スターが日本映画界に新境地(新ジャンル)を開いた歌や踊りを絡めた”オペレッタ時代劇映画”の代表作の1つ、同時に明朗時代劇映画やデフォルメ時代劇映画にも該当します。河部五郎は助演の村雨藤五郎役で出演して貢献。
*オペレッタ時代劇映画=現在で言うとミュージカル映画の要素
片岡千恵蔵が戦後も18作で演じる多数の当たり役のうちの1つで、初めて遠山金四郎を演じた作品としても有名な作品です。音楽は日本音楽の父ともいわれる巨星の古賀政男が担当、脚本は日本映画歴代上位の大脚本家の小国英雄(本城英太郎の名義)
河部五郎は1926年の『修羅八荒』の4作でブレイク後、『月形半平太(1926)』や『地雷火組』、伊藤大輔とただ一度のコンビを組んだ『下郎』はキネマ旬報の9位にランクインしました。さらに大河内傳次郎とダブル主演の『弥次喜多』の3部作、戦後の東映の大川橋蔵でリメイクされる『江戸三国志』の3部作などの代表作がありました。
しかし、ただでさえ移り変わりが激しい映画業界の最盛期であり、主演俳優として順風満帆に運ばないものです。1929年の日活時代劇映画のオールスター&大作『英傑秀吉』で主役の羽柴秀吉を演じて以降、主演が減少していきます。また、主演の代表作はこの作品でストップしてしまいました。
*順風満帆=じゅんぷうまんぱん 物事が順調に進んでいる
河部五郎の主演俳優時代の主な映画の代表作
『修羅八荒』4作 1926年 浅香恵之助役
『月形半平太(1926)』 月形半平太役
『地雷火組』前後作 1927 桂小五郎役
『下郎』 1927 格平役
『弥次喜多』3部作 1927~1928 大河内傳次郎とダブル主演 弥次郎兵衛役
『清水次郎長』3部作 1928 清水次郎長役
『江戸三国志』3部作 1928 日本左衛門役
『英傑秀吉』1929 唯一のオールスター主演 羽柴秀吉役
通産18作
『下郎の首』(1955年、主演は田崎潤)は商品化されています。 河部五郎が主演した最大の単発の代表作とも捉えられる1927『下郎』のリメイク映画です。伊藤大輔が自身でリメイクを手がけ、元作に主演した河部五郎とも関連がある作品といえます。
時代劇映画形成のリーダーであり、映画界に数多くの貢献をした巨匠・伊藤大輔の戦前は、日活や大映、新興キネマなどを中心でしたが、戦後は完全に巨匠と認められており、ある程度はやりたいことのできえうフリー監督として活動しました。戦後は大映や松竹、新東宝、東映、東宝(=中村プロ制作)の5社で映画監督をしていました。新東宝では合計3作を残しましたが、『下郎の首』も戦後の代表作の1つといえる作品です。
裏側リンク⇒無双男と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇
無双男とは、交差劇の真相とは・・
前回は大河内傳次郎と辻吉郎に関しても取上げましたが、日活時代の大河内傳次郎と競い合い、また片岡千恵蔵とも競り合った映画スターが存在していました。
前回の記事リンク⇒山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔
【短命】たった4年の黄金期を生涯背負った映画スター
河部五郎は日活や時代劇映画の形成に少なからずの貢献をした人物でした。ここが重要ですが、貢献といっても日活時代の大河内傳次郎や片岡千恵蔵などの上位俳優と比べるとすれば数分の1ほどといっていいでしょう。河部五郎は戦後の東映の時代劇映画の脇役、端役の出演作を視聴することが多くあります。
個人的にも日活時代の片岡千恵蔵の助演や戦後の東映時代の脇役、端役などでどこに出ているかさえ分からないほど少ない出番のみの役柄で多く見かけている俳優です。それもそのはずで1958年頃まで映画俳優として活動しており、必然的に戦後に多く残されている作品が多いことから見かける機会も増えます。
河部五郎という俳優は日活で1925年に『義刃』で主演デビューして多くの主演作が存在しています。さらに大河内傳次郎よりも1年ほど先輩で1926年に『修羅八荒』4作でブレイクを果たしています。河部五郎は主演俳優としてのピークが1926年から1929年の4年ほどと考えられるほど短命でした。この4年間のみで生涯の主演映画数50作強のうちの40作強を消化しています。下記で登場するある主演映画の代表作が1929年を最後に途絶えていることや主演数の激減などの理由からこの判断をしています。
![弥次喜多道中記 [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61RqsMIVy3L.jpg)
このオールスター映画『弥次喜多道中記』(1938)に河部五郎も出演しています。河部五郎の出番が多い映画では数少ないDVD化作品です。映画俳優や歌手のスターは13名を越しています。
マキノ正博×片岡千恵蔵のゴールデンコンビ(コンビ数20作以上、代表作10を越す)、大巨匠のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)と歴代大スターが日本映画界に新境地(新ジャンル)を開いた歌や踊りを絡めた”オペレッタ時代劇映画”の代表作の1つ、同時に明朗時代劇映画やデフォルメ時代劇映画にも該当します。河部五郎は助演の村雨藤五郎役で出演して貢献。
*オペレッタ時代劇映画=現在で言うとミュージカル映画の要素
片岡千恵蔵が戦後も18作で演じる多数の当たり役のうちの1つで、初めて遠山金四郎を演じた作品としても有名な作品です。音楽は日本音楽の父ともいわれる巨星の古賀政男が担当、脚本は日本映画歴代上位の大脚本家の小国英雄(本城英太郎の名義)
たった4年の映画スターの代表作たち
河部五郎は1926年の『修羅八荒』の4作でブレイク後、『月形半平太(1926)』や『地雷火組』、伊藤大輔とただ一度のコンビを組んだ『下郎』はキネマ旬報の9位にランクインしました。さらに大河内傳次郎とダブル主演の『弥次喜多』の3部作、戦後の東映の大川橋蔵でリメイクされる『江戸三国志』の3部作などの代表作がありました。
しかし、ただでさえ移り変わりが激しい映画業界の最盛期であり、主演俳優として順風満帆に運ばないものです。1929年の日活時代劇映画のオールスター&大作『英傑秀吉』で主役の羽柴秀吉を演じて以降、主演が減少していきます。また、主演の代表作はこの作品でストップしてしまいました。
*順風満帆=じゅんぷうまんぱん 物事が順調に進んでいる
河部五郎の主演俳優時代の主な映画の代表作
『修羅八荒』4作 1926年 浅香恵之助役
『月形半平太(1926)』 月形半平太役
『地雷火組』前後作 1927 桂小五郎役
『下郎』 1927 格平役
『弥次喜多』3部作 1927~1928 大河内傳次郎とダブル主演 弥次郎兵衛役
『清水次郎長』3部作 1928 清水次郎長役
『江戸三国志』3部作 1928 日本左衛門役
『英傑秀吉』1929 唯一のオールスター主演 羽柴秀吉役
通産18作
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紀伊國屋書店 (2007-02-24)
売り上げランキング: 175,984
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『下郎の首』(1955年、主演は田崎潤)は商品化されています。 河部五郎が主演した最大の単発の代表作とも捉えられる1927『下郎』のリメイク映画です。伊藤大輔が自身でリメイクを手がけ、元作に主演した河部五郎とも関連がある作品といえます。
時代劇映画形成のリーダーであり、映画界に数多くの貢献をした巨匠・伊藤大輔の戦前は、日活や大映、新興キネマなどを中心でしたが、戦後は完全に巨匠と認められており、ある程度はやりたいことのできえうフリー監督として活動しました。戦後は大映や松竹、新東宝、東映、東宝(=中村プロ制作)の5社で映画監督をしていました。新東宝では合計3作を残しましたが、『下郎の首』も戦後の代表作の1つといえる作品です。
裏側リンク⇒無双男と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇
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2017/09/08 00:00 | 超大物俳優 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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