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ニュージーランド映画と日本映画の歴史の極秘共通点【救急浮上若大将】



今回はこれまで以上に映画評論家もほとんど取り上げられていない部分に迫りたいと感じています。わたくし映画愛子はアメリカ映画のことは他の方々に任せて、独自な展開へ向かいます。「ニュージーランド映画と日本映画の歴史の極秘共通点【救急浮上若大将】」と題して誰も踏み込んでいない部分の密林の中へ、その密林の先には何が見えてくるのでしょうか。


前回記事⇒渡辺謙(KenWatanabe)の不倫に電波各社の影 映画の数字と反比例する実積誇張




ぱっと見ると北海道の北島と本州に見える南島




ニュージーランド映画と日本映画に関して、共通点や関連性を取り上げていきます。その前にニュージーランドと日本はいくつかの共通点がみられます。一つは形です。

日本の国土に形とニュージーランドの国土の形は、ぱっと見た感じは似ています。日本の北海道のようにも見える北島と本州のようにも見える南島、でもよく比べてみると最初に見た印象だけで実際は似ていません。南島は険しい山々が連なっており、陸地の多くを占めています。日本以上に山ばかりです。さらに北島も山は多くありますが、南に比べると標高は小さく火山は今も生きています。

ニュージーランドはお隣の大面積を誇るオーストラリアとほぼ同様にイギリス人を中心とした、ヨーロッパ各地からの移民によって現在の国が形成されました。いわゆる白人系が中心の国です。

政治マップニュージーランド( 36





ニュージーランド映画から日本映画の発端に隠された謎






2015年の調査の日本の人口は1億2700万人なのに対して、ニュージーランドの人口は最近の調査では470万人ほどであり、大規模な人口差が確認できます。ですが、ニュージーランドの映画は日本と近い歴史が存在し、そのいくつかが最初の映画の上映、映画製作、公開年数などにみられます。


日本やニュージーランドの映画の上映自体に関しては欧米人が製作の映画であり、日本は1886年、ニュージーランドは1885年から行われていましたが、自分たちで製作するところまで至りませんでした。ほんの1年違いです。

日本映画の製作は明治22年の1898年が最初とされていますが、なんと、ニュージーランドは1898年が最初とされています。奇遇なことに日本と同じ西暦年数にニュージーランドの映画製作がスタートしていたと記録が残されています。



ニュージーランドの風景
ニュージーランドは風景や景色に定評のある自然の豊かさを押し出している国です。カメラマンのデクラン・オニールによる幻想的な世界はニュージーランド映画ともつながる風景や景色が感じられます。



救急浮上してきたイギリス人の男性のAlfredHenryWhitehouseアルフレッド・ヘンリー・ホワイトハウスと若大将




さらに日本もニュージーランドの共通点が存在し、最初の自国の製作映画は同様に娯楽を記録したドキュメンタリーに該当するジャンルの映画でした。ドキュメンタリー映画は多数の国で最初に製作されたジャンルであり、日本の最初の自国製作の公開は1889年の歌舞伎を記録したドキュメンタリー映画芸者の手踊り』だといわれています。一方、ニュージーランドの場合はAlfredHenryWhitehouseというイギリス人によって1888年の12月末に公開(当時は上映)された、「オークランドカップ」のドキュメンタリー映画だったと考えられています。

製作は同年だったわけですが、ニュージーランドの自国製作による最初の映画の公開自体は日本より1年先だったということになります。「オークランドカップ」のドキュメンタリー映画は1889年にAlfredHenryWhitehouseによってニュージーランドの都市部を回って上映されたと記録が残されています。多くの人に観られたという面では日本と同じ1889年だったともいえるのかもしれません。


AlfredHenryWhitehouseアルフレッド・ヘンリー・ホワイトハウス、Alfred Whitehouse=アルフレッド・ホワイトハウスの表記もあり、ここでは多く使われているアルフレッド・ヘンリー・ホワイトハウスを採用します。この人物はイギリスからニュージーランドにやってきたイギリス人で映画の興行師となって、ニュージーランド映画の自国による最初の映画製作者だったといわれ、残した映画は10作ほどと本数は少なめでしたが、のちの影響力は大きくニュージーランド映画のパイオニアともいわれる人物です。

オークランドカップ=ニュージーランドの競馬の競走、「オークランドカップ」のドキュメンタリー映画はこの競馬の競走をl記録した作品



日本とニュージーランドの最初の映画の上映年数、自国による映画製作、その公開年数>

・最初の映画の上映=日本1886年 ニュージーランド1885年
・最初の映画製作=日本映画1888年 ニュージーランド1888年
・最初の自国映画の公開年数=日本映画1889年 ニュージーランド1888年または1889年の説





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日本とニュージーランドというと東宝映画の1969年に公開された『ニュージーランドの若大将』が挙げられます。まさに救急浮上です。いわゆる「若大将シリーズ」14作目です。加山雄三と酒井和歌子です。加山雄三の主演映画の代表作は「若大将シリーズ」とその他の数本を含めた20作に満たない数です。加山雄三はのちの歌手やタレント活動のため、知名度が先行して高い人物ですが、当時の映画スターとしての代表作数は多くありません。




日本とニュージーランドは上記の”日本とニュージーランドの最初の映画の上映年数、自国による映画製作、その公開年数”や『ニュージーランドの若大将』などを通して、関わりがほとんどない風に考えられていても、両国にいくつかの面で共通点が存在していました。



今回のウラ記事
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ピーター・ジャクソン降臨 ニュージーランド映画と日本映画の歴史の極秘共通点【救急浮上若大将】裏側
ピーター・ジャクソンの活躍の影に極秘人物の存在




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2017/10/20 00:01 | 洋画・探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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