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【映画秘話】忠臣蔵映画の起源のナゾと現代なら人間国宝の歌舞伎名優のヒミツ



日本人と忠臣蔵映画の歴史は世界の映画史の中で、もっとも長い一つに数えられ、2017年で約110年といわれています。忠臣蔵映画は現在確認しているだけで、300作以上の本伝と外伝を合わせた数が存在しています。


イギリスのシャーロックホームズ映画は同一の原作者でいうと1位ですが、明確な題材映画でいうと忠臣蔵映画に次いで、世界で2位だと考えられます。今回は【映画秘話】忠臣蔵映画の起源のナゾと現代なら人間国宝の歌舞伎名優のヒミツと題して進行して参ります。



忠臣蔵映画の本伝とは、基本的に討ち入りがあるものや大石内蔵之助(大石蔵之助の表記もあり)などの特定の人物が定義付けられています。
忠臣蔵映画の外伝とは、本伝の主演から外れ、忠臣蔵の関連人物を主役にしたり、関連エピソードを中心にするなどが中心です。

前回リンク⇒【栄耀栄華】新人監督のニュージーランドスクリーン賞2作の快挙と往年名優ピーター・オトゥールが結ばれた理由



忠臣蔵映画の起源となった名歌舞伎俳優の存在と15代目片岡仁左衛門





忠臣蔵映画の歴史はとある俳優から始まったと考えられています。


それが片岡仁左衛門です。

仁左衛門というと現在の以前は本名の片岡孝夫でテレビドラマでも活躍したことがある片岡仁左衛門は15代目(1944年~仁左衛門の襲名は1998年)ですが、もちろん彼ではありません。


彼の父親である13代目片岡仁左衛門(1903年~1994年)の養父である11代目片岡仁左衛門が最初だとされています。13代目の実父は実業家の安田善三郎です。つまり現在の15代目片岡仁左衛門からすると祖父にあたる人物で、今回は取り上げませんが13代目と15代目の間に挟まる12代目や14代目など、複雑な人間関係の流れを経て、現在の15代目の片岡仁左衛門は存在しているわけです。


十五代目襲名記念 写真集 片岡仁左衛門
・これは15代目の片岡仁左衛門です。この風貌の影に11代目の面影が存在しているのかもしれません。11代目片岡仁左衛門は1934年(昭和9年)に亡くなった人物であり、80年以上前であることから、直接に関するアイテムが存在していません。
十五代目襲名記念 写真集 片岡仁左衛門




11代目片岡仁左衛門は1934年に亡くなっていますが、現在でいうと人間国宝に該当する芸の持ち主や功労者だと考えられます。息子の13代目片岡仁左衛門や孫の15代目片岡仁左衛門人間国宝に認定されていますし、ある意味でそれ以上の貢献の可能性を秘めた彼は人間国宝を与える概念が形成される前に残念ながら亡くなりました。ちなみに重要無形文化財及び保持者(人間国宝)の指定や認定が行われたのは有名ですが1955年2月15日からです。


忠臣蔵映画というと目玉の松ちゃんこと、主演映画数は世界最多の1000作にのぼったといわれる、今で言えば完全に真のギネス記録ですが、忠臣蔵映画の最初というと日本映画最初の大スターの尾上松之助を思い出される人もいますが、実は彼は最初ではなく、最初は11代目片岡仁左衛門でした。映画の大スターとしては最初だった部分が一人歩きしたことで、こうしたイメージも定着してしまいました。


裏側リンク
ギネス記録の悪「男はつらいよ!」VS「忠臣蔵」「鞍馬天狗」&紅白 倉木麻衣VS新世代のアニソン女王LiSA






11代目片岡仁左衛門尾上松之助の忠臣蔵映画はどちらが最初?!





11代目片岡仁左衛門は下記のこれらの忠臣蔵映画に出演しました。1907年から1911年までの約4年間の5作が確認できます。



11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵題材の映画出演 すべてが主演、役は不明

1907   『忠臣蔵五段目
1908   『忠臣蔵五段目』 
1908.10 『忠臣蔵』
1908.11 『忠臣蔵』
1911   『仮名手本忠臣蔵』



1908年の10月公開の『忠臣蔵』と同年の11月公開の『忠臣蔵』、『仮名手本忠臣蔵』は大石を少なくても演じていたものと、いえ正確には可能性があると考えられます。他にも浅野内匠頭や吉良上野介などの主要を一人で演じていた可能性が多くありますがそこはさらに不明です。明確な役名は不明ですが、史上初めて忠臣蔵映画の本伝で主演と描かれることが多い、大石内蔵之助を映画で演じたと考えてよいでしょう。

尾上松之助の最初の忠臣蔵映画は1910年2月の横田商会による『大石蔵之助一代記』が最初だからです。この横田商会とは、のちの時代劇映画の最王手の映画会社日活を形成する会社の一つです。11代目片岡仁左衛門は3年ほど前に史上初の忠臣蔵映画に主演していました。



目玉の松ちゃん―尾上松之助の世界 (岡山文庫 (178))
目玉の松ちゃん―尾上松之助の世界 (岡山文庫 (178))
残念ながら尾上松之助の映画は『渋川伴五郎』を除いては完全な形で現存するものがないといわれ、そのほとんどが断片や部分的に残されたものがいくつかのみです。




11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵映画1907年と1908年の『忠臣蔵五段目』のナゾ






さらに気にかかるのは上記の”11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵題材の映画の出演”の1907年と1908年の『忠臣蔵五段目』についてですが、これは歌舞伎の忠臣蔵五段目大石内蔵之助が登場しないため、この映画にも登場していない可能性が高いと考えられます。


歌舞伎の忠臣蔵五段目は、忠臣蔵映画に登場することがある男女のおかると勘平を描いており、そこに千崎弥五郎(神崎与五郎)や終盤に定九郎、さらに老人が主に登場する展開とあらすじとされています。11代目片岡仁左衛門はおかると勘平、中軸に登場する千崎弥五郎を一人で演じていた可能性がありますが、明確な役柄は不明です。ですが、忠臣蔵映画に歌舞伎の名優の11代目片岡仁左衛門が出演していた証拠が残されていました。上記の5作以外にも忠臣蔵映画に出演していた可能性がありますが、データは存在していないため、とりあえずは5作とここではいわせていただきます。



歌舞伎名作撰 假名手本忠臣蔵 (道行・五段目・六段目) [DVD]
假名手本忠臣蔵 (道行・五段目・六段目)、現在に多く使われている仮ではなく、こちらの假です。これを見るとこで11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵映画や映画 『忠臣蔵五段目』の内容のイメージがしやすくなります。



裏側リンク
ギネス記録の悪「男はつらいよ!」VS「忠臣蔵」「鞍馬天狗」&紅白 倉木麻衣VS新世代のアニソン女王LiSA

最初に考えていた「ギネス記録の問題汚点と11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵映画 鞍馬天狗や異様広告会社の影」とは書いてみたら大きく異なる内容になりました。

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2017/12/03 00:00 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

忠臣蔵映画110年のシフト

前回記事のニュージーランド映画に関しても実は続きがありました。ですが12月と忠臣蔵映画110年ということでシフトしてしまいました。

No:140 2017/12/06 12:05 | 映画愛子 #- URL [ 編集 ]

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