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某月某日 映画愛子が東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきた



某月某日にわたくしこと映画愛子は東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきました。行ってきました。某月某日といっても題名上のことなので、日にちは2018年2月24日です。


前回記事⇒トリオインパクトは『第90回米アカデミー賞』『第41回日本アカデミー賞』『第12回声優アワード』で発動




某月某日 映画愛子が東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきた




東京国立近代美術館のフィルムセンターは映画の復元や管理だけではなく、上映も行っています。その上映企画として発掘された映画たち2018(Cinema: Lost and Found 2018)が2018年1月30日から3月4日まで開催されていました。映画愛子もいくつかの上映に参加したわけですが、その中でも一つ取り上げると森紅、彼の映画を見るためにやってきたことがありました。



   発掘された映画たち2018(Cinema: Lost and Found 2018)↓ 
2月24日 森紅・服部茂の作品の上映チケット
*1280 x 853の3枚目、個人情報と関わる可能性があるため、部分部分をモザイクを入れさせてもらいました。現実に前売り券で購入した”森紅服部茂の作品の上映チケット”です。




グーグル検索リンク ↓
東京国立近代美術館フィルムセンター

発掘された映画たち2018

Cinema: Lost and Found 2018






発掘された映画たち2018(Cinema: Lost and Found 2018)
*詳しい写真(1280 x 853)の全貌はクリックしてご覧ください。大ホール2Fの部分に”カメラを覗き込むおじさん”がいますが、安心してください。これは映画愛子ではありません。



今回はこの森紅(もりくれない)についてレポート的な要素を織り交ぜた内容と含めて取り上げたいと思います。その前に・・・戦前の日本映画に関して少し彫ることもあるかと考えてみました。






戦前の日本映画も女性が活躍していないというイメージは嘘





日本映画と簡単にいっても凄く深いです。戦前の日本映画も女性が活躍していないというイメージを持たれる方もいるかと思いますが、そんなことはありません。かなり活躍している人は活躍していました。ただマスコミがきちんと取り上げていない人物が多すぎるだけの染み付いたイメージなのです。


たとえば原節子が亡くなって半年くらいのときに書籍を出販した女性が数年前にNHKのラジオで戦前の女優はほとんど活躍していないと何度も言っていましたが、それは嘘だと考えています。彼女はいくつかの部分を見ただけで物事を捉えてしまい、戦前の日本映画をぜんぜん理解していないわけですね。ただ女優以外の製作者は今以上に男性ばかりで、これに関しては事実ですが、だいぶ活躍している女優は数多くいましたし、どの辺の範囲からにもよりますが、活躍したと判断しているだけでも最低数十名います。実は戦前のアメリカと比較してもかなり多く、日本は戦前だけで映画100作以上に出演した女優が多くいます。


森紅に関しても、この原節子の件と重なる部分があるかと思いますが、後から、または戦後から誇張された戦前の日本映画イメージがぶち壊される部分が存在しているからです。今回のことでもこれは強くなりましたが、これまで考えられていた以上に戦前の日本映画は多様性において成熟していました。森紅の存在も幅の広く活動できた戦前の映画人を語る上で重要だからです。







貴重な1943年の戦時下の『映画旬報』切抜です。映画資料集として価値が高いです。





これまで忘れ去られたまたは知ってもらう機会がほとんどなかったアマチュア映画監督






今回取り上げる森紅という人物は長い間多くの人々から忘れ去られ、一時的な地域活動しただけで、全国的にはほとんど知られることがなく、時間を経過してきてしまったのです。ですが、今回の東京国立近代美術館のフィルムセンターの「映画の発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)における上映で、忘れ去られていた彼の名前が少しは浮き彫りになったことでしょう。




森紅とは

森紅(読み=もりくれない、別名義は服部茂、本名は森ひろし)は神戸を拠点に1920年代後半から1940年初頭くらいまで範囲で活動し、1944年に35.6歳で亡くなったと記録されています。戦前の日本のアマチュア映画の発展に貢献した人物であり、戦前のアマチュア映画の作家性を持つ先駆的、同時に代表格の一人といえるでしょう。


*本名は森ひろしのひろし部分は上映の際の説明からの引用なので名前のひろしはひらがなではなく漢字かもしれません。少なくても読みのひろしは正しいようです。


晩年の1940年代くらいには地元の神戸付近のアマチュア映画の発展に尽力したとされ、いくつかの役職に就き、活動が途絶えた理由は病死です。森紅(=服部茂)の現在の時点で確認できる映画本数は短編映画=ショートムービーの10作強~15作ほどのようです。その多くが映像の記録やテロップの挿入や編集によるドキュメンタリー要素が強いドキュメンタリー映画、そのほかに現代劇のストーリーものはいくつかのみです。代表作の自分の子供を記録した『私の子供』はバルセロナの短編映画賞にノミネートを果たしています。








某月某日 森紅(服部茂)の上映された作品群





今回に森紅(服部茂)の上映された作品群 すべて短編

・森紅名義
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー

・服部茂の名義
私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927   当時の忍術映画の影響を取り入れた現代劇で時代劇風の作品
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 海で泳ぐ男子学生とある兄妹をメインとした現代劇
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 男二人の揉め事を描くちょっと時代劇風刺の現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇 j喜劇要素あり
10
『さくら』 4分 1938 ドキュメンタリー
11


*服部茂の名義は基本は服部茂の扱いだが、少々異なる表記もあるが、全体的には服部茂




森紅はドキュメンタリーとストーリーがある作品を残しましたが、詳しくは次回になりますが、ドキュメンタリーのほうが圧倒的に印象に残りましたし、内容も良かったです。現在見ても何か心を動かしてくれる作品が存在していました。


次回は更に迫る予定です。



東京国立近代美術館のフィルムセンター前
*東京国立近代美術館のフィルムセンターの看板



黒と白の加減がちょうど良く落ち着いた哀愁が表現、雰囲気のある写真となりました。写真をよく見ていただくとわかるかと思いますが、NFC(ナショナルフィルムセンターの略称)とあります。NFCなのでついつい日本フィルムセンターの略だと勘違いしやすい部分です。




今回の裏話⇒東京国立近代美術館フィルムセンターの傍で撮影の不思議写真と残尿忠臣蔵映画記事こぼれ話


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2018/03/27 00:00 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

数日以内の準備中

現在、数日以内の公開へ向けて、数日かけての新記事を準備しています。仕事が忙しくて毎日が大変な状況ですですが、自分なりな探求ができればと思います。

次作まで年齢的に厳しい部分があったと思いますが、元気そうだったので高畑勲の死は衝撃でした。

No:145 2018/04/10 22:59 | 映画愛子 #- URL [ 編集 ]

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