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吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星






日本映像芸能形成は、牧野省三(マキノ省三)を事実上の祖とする映画に発端を持ち、尾上松之助の天下の1910年代から1920年代前半の事実上のスターの一強時代から、その後輩たちの国民的映画スターの時代劇六大スター(1927~1953)らのトップのスターピラミッド序列によって大きな個性や幅に広さ、高い競争力を生み出し、現在の日本映像芸能につながる源流が形成されました。

過去と現在を比べることが多くあるわけですが、大筋にやってることは今も昔も変わることはありません。言い方にもよりますが、ただ時代ごとに背負う、纏う要素が異なります。

吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星」スタートです。金星は”きんせい”ではなく、”きんぼし”です。





前回記事⇒日本国を未来永劫平和に導く究極リーダー「歴代の北条時宗映画」






変わらない芸能 現代と過去の大交差 会社飛び出し騒動と二大スター





吉本興業の芸人暴動&騒動、SMAPの解散、AKBグループのNGT48騒動など、現在も昔も何らかの理由で所属している会社が嫌になり、会社を出るということが戦前からたくさんありました。吉本興業の場合はまだ飛び出しは正式ではありません。

会見や芸人の反応など含めて互いに酷い内容ばかりでしたが、芸人ファーストとではなく、見たり聞いたりしてくれるお客が一番、お客様ファーストであるべきだと感じています。その次に芸人や会社側が来るべきです。

SMAPの解散は同時に3名が親会社のジャニーズ事務所を飛び出す関連の騒ぎへとつながり、AKBグループのNGT48騒動は暴行未遂とファンとメンバーの強い癒着や暴行を仕向けたメンバーが居たなどの数多くの疑惑を生み、何名かが脱退する辞退、NGTは2019.8月時点で事実上の大きな活動ができない壊滅状態が継続、メンバーや元メンバーは日本よりも大きく劣る芸能史を持つ韓国へ活動を移すケースや卒業も多数出ています。


2019年から90年ほど前になりますが、1928年に数十名によるマキノプロダクション(戦前の大手映画会社の一つ、今で言う芸能事務所の要素もあり、当時の映画俳優は映画会社と専属契約が基本)の飛び出し騒動がありました。このときの特に最有名人物だと片岡千恵蔵嵐寛寿郎が飛び出しました。

1928年にネガが焼けずに完全版であれば2時間30分を越す超大作&マキノオールスター『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の主演俳優の大石内蔵之助を演じた伊井蓉峰(当時の舞台の新派の重鎮俳優)が偉ぶって撮影現場でずっとひどかったと嵐寛寿郎の有名証言が残されています。千恵蔵は服部一郎右衛門と萱野三平の2役、嵐寛は脇坂淡路守と寺坂吉右衛門の2役、ちなみの月形龍之介は清水一角、大石主税は監督メインで活動中、こんも映画時点で最低でも160作以上のの映画に出演していた元子役スターのマキノ正博(マキノ雅弘)、戦後の東映の大プロデューサーの玉木潤一郎は脇役の具足屋為五郎など有名俳優が総勢40名出演しています。. 


伊井蓉峰のこれは同時に制作と監督の牧野省三がこの暴言暴動を容認していたことにもなり、2名が会社を飛び出す理由の少なくても一つになったと考えられています。新派の重鎮俳優だったため、のちに影響があるかもしれない、敵を作る可能性から日本映画の父、世界的大巨匠の牧野省三でさえも口出しが出来ない部分があったのでしょう。『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の公開から数ヶ月、千恵蔵は千恵プロ、嵐寛寿郎は寛プロで活動に入つたわけですが、飛び出す理由のそのものが違っても現代と同様になんらかの不満があったわけです。


1942年に日活から大映へ移籍した片岡千恵蔵嵐寛寿郎、阪東妻三郎の日活三大スターたちは、日活の上層部に勝手に移籍が契約がさせられており、自分たちに拒否権がなかったといわれています。日活三大スターはその後も大きな活躍したことで美談になっていますが、国民的映画スターに拒否権がなかった現実はかなり厳しいものでした。






吉本興業というと歴代芸人コンビ&ピンでも活躍した映画スター(金星)







芸人と親会社同士が泥沼化している吉本興業というと歴代は、花菱アチャコ横山エンタツの2名が戦前から戦後に掛けて大人気を博しました。1941年公開のダブル主演の「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」(「人生は六十一」)からです。吉本興業と東宝の共同制作、喜劇の神様こと巨匠の斉藤寅次郎が監督です。個人的にもこの映画録画済みです。


日本映画傑作全集「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」 主演 横山エンタツ 花菱アチャコ 斉藤寅次郎監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)
日本映画傑作全集「エンタツ・アチャコの人生は六十一から」 主演 横山エンタツ 花菱アチャコ 斉藤寅次郎監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) (キネマ倶楽部)






アチャコ、エンタツは吉本興業の現在に続くコンビの事実上の最初の大スターでした。現代もコンビで番組をやっている芸人が吉本やそれ以外にも多くいますが、この2人が先駆的存在となり、コンビ数の主演は戦前のほうが大半を占めています。アチャコとエンタツのダブル主演は1936~1957年の24作が存在、片方が主演、両者が助演やを含んだ共演本数は、ダブル主演24作も含んだ36作があります。

戦前はどちらかといえば横山エンタツのほうが人気があったようですが、戦後に花菱アチャコの方だけが映画で再大ブレイクしてしまい、大差は付きました。

花菱アチャコの戦後は、自身主演によるラジオが元で7本作られた家庭&生活喜劇「お父さんはお人好しシリーズ」と伴淳三郎とダブルキャストで10本作られた戦争喜劇「二等兵物語シリーズ」の通産17作が代表作になるなど強く当たるなど150作以上の映画に出演しましたが、横山エンタツの戦後は主演映画で当たりがほぼなく、助演がほとんどで時代劇の脇役が目立つなど、通産で100作近い映画出演数に留まりました。








エンタツ&アチャコのご両名は水戸黄門映画で格さん、助さんのそのものは演じて・・・







「水戸黄門漫遊記(1938)」は1938年の東宝の喜劇時代劇映画「水戸黄門漫遊記 東海道の巻」と「水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻」を合わせた作品です。こちらも巨匠斉藤寅次郎が降臨していますが、両者にとって記念すべき初の時代劇主演作がこの映画でした。

実は両名は格さん、助さんのそのものは演じて・・・いません。2名は横山エンタツは大工の辰五郎、花菱アチャコは大工の阿茶古を演じ、水戸黄門は助演で登場、映画の活弁士としても活躍した映画名優の徳川夢声が演じました。



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2019/08/13 20:27 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

韓国男が日本女性襲撃 韓国の大量○○○過去と優れた慰安婦制度

韓国で韓国人男性に襲われた日本人女性のニュース、テレビはほぼ取り上げていません。これから韓国にいる男女は気をつけたほうがいいかもしれないです。韓国好きの日本人女性は過去と現代も知らずに無知で頭が悪すぎるからです。


これからこうした事件が多発する可能性があるからです。日本人は韓国人に優しいのですが、韓国人は日本人に感情丸出しで襲いかかる現実があったのですから。

還流ドラマのような韓国人は究極に美化された朝鮮人、現実は野獣です。

ベトナム戦争で韓兵がベトナム人女性たちにした大量レイ○の連鎖は慰安(お金を支払う)さえも許しませんでした。現実はひどすぎます。韓国統治時代の日本が設けた慰安婦制度(収入が得られて拒否が伴う)は非常に優れています。

なぜなら韓国人がベトナムにしたような大量のレイ○(暴力と強制)ではないのですから


No:252 2019/08/24 23:13 | 韓国男が日本女性襲撃 韓国の大量○○○過去と優れた慰安婦制度 #- URL [ 編集 ]

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