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生き天国生き地獄 大映映画を巡る四大六大花火の交差点と伝説書籍「千恵蔵映画」







さらにねっとりと深々、日の光が見えそうで見えない、届きそうで届かない暗闇深いトンネルに差し掛かる、前回の流れをさらにディープに噛み砕いていきます。映画会社も俳優も真の波乱万丈の日々、まさに映画人生が生き天国と生き地獄、テレビやマスコミが伝えない真の映画伝説たちが存在しています。

「生き天国生き地獄 大映映画を巡る四大六大花火の交差点と伝説書籍「千恵蔵映画」 」と題してスタートです。






前回記事⇒映画概念 時代劇六大スター&七剣聖&日活三大スター&大映四大スター&両御大体制の禁断




交差点1 大映四大スタ-崩壊の序曲と崩壊の足跡 大映を巡る事実上のトップ2から震源激震







1947 12月に片岡千恵蔵は、現代劇映画の十八番のひとつ「金田一耕助シリーズ」の1作目『三本指の男』(1947年公開、最初の金田一耕助題材の映像化作品)から、現代劇を東横と大映、時代劇は大映の2刀流の独自な活動をスタート、全体的ではないが部分的には最初に大映を飛び出したともいえる。このことが翌年の大映四大スターの崩壊の最初のきっかけに亀裂が入る。

1948 11月に阪東妻三郎の名作『王将(1948)』が公開、これを最後に大映を飛び出す。このときに大映四大スター体制が崩壊、この1ヵ月後の12月末(事実上の1949の正月映画)に片岡千恵蔵の最後の大映主演出演、ヒット現代劇・多羅尾伴内シリーズ4作目の『三十三の足跡』の公開を最後に大映を離れ、東横(現・東映)へ移籍、事実上の東映最初のトップ俳優となる。

崩壊のきっかけの形成や部分的に飛び出したのは千恵蔵の方が先だが、映画活動の全体を大映外に移したのは、阪妻の方が最初になる。この2点が特に重要な部分です。千恵蔵と阪妻が大映四大スタ-崩壊させたことになります。


スーパースター阪東妻三郎の映画世界記録は残念ながらゼロですが、千恵蔵は映画世界記録も多数あります。この部分は大映四大スタ-崩壊を招いたという面では大きなつながりですが、映画世界記録においては2人の大きな違いともいえます。





片岡千恵蔵木暮実千代『三十三の足跡』ポスタ-
片岡千恵蔵木暮実千代『三十三の足跡』ポスタ-

公開当時の非常に貴重なポスターです。探偵・多羅尾伴内の事件解決を探るはてなの要素と、ポスター内のはてなマークと”七つの顔の男”を当てはめたアイディアが斬新です。「四度び登場」とありますが、これが多羅尾伴内の4作目の映画ということです。ここでは触れませんが、ポスタ-表記の俳優に詳しい方ならすぐわかると思いますが、オールスター映画(小規模)です。

驚くべきことに7名の顔の中に女性があり、なんと千恵蔵は現代劇で女性(正確には男性でもある)役を演じています。当時に脇役、助演や喜劇スターではなく、正当な国民的スターが現代劇映画で女性を演じる、正当な国民的スターという面では世界的にも前例はなくこれも伝説です。

1960年代前半まで、千恵蔵×松田定次(娯楽映画の大巨匠)×比佐芳武(東映最初の大脚本家)の多数の中規模ヒット作や5作ほどの1000万人の大ヒットを合わせて、数十本も残したゴールデントリオ、1920年代から千恵蔵映画の名作を数十本撮影し、縁が深い名撮影者の石本秀雄を含めるとまさにゴールデンカルテット、映画史上屈指の4名による制作陣です。触れるときりがないレベルですが、辻久一(当時の特に大映や東映映画の”企画の表記”は制作プロデューサーを意味している)は、大映の名プロデューサーです。






交差点2 今なき大映四大スタ-と時代劇六大スター 大映を巡る残痕3名






1949 7月(千恵蔵が去った7ヵ月後)に市川右太衛門最後の大映主演出演の時代劇『大江戸七変化』公開、大映を離れる。11月に長谷川一夫の新演技座の制作で初大映映画(初の大映配給という意味)の主演出演時代劇『甲賀屋敷』公開

、12月に阪東妻三郎の現代劇『破れ太鼓』(のちの巨匠・木下恵介監督作)から活動の中心を松竹を中心に移す。同12月に長谷川一夫と大河内傳次郎の大映初主演出演時代劇『蛇姫道中』(ダブル主演、初の大映の制作という意味で長谷川一夫の初)公開、さらに年間部分として、嵐寛寿郎は大映出演本数を極限減少させ継続、本数的には新東宝メインとなった。

1950 12月に長谷川一夫が大映専属の1作目といえる主演時代劇『紅蝙蝠(1950)』公開



1951 4月に東横の流れで東映が正式創立、元大映四大スターの片岡千恵蔵と市川右太衛門の東映二大スター体制(両御大体制のスタート)、5月に両者と月形龍之介を加えたトリプル主演で最初の時代劇『豪快三人男』公開、大映の最大のライバルとなる。

1952 2月に嵐寛寿郎の最後の大映主演作『あばれ熨斗』公開、その後、1953年まで第一次の新東宝メインなどと続く、1952年5月前半に長谷川一夫は自身の制作会社で新演技座制作の最後の大映配給作の『続修羅城秘聞 飛竜の巻』公開、同時に新演技座の最後の映画となり、新演技座は経営失敗の解体、1952年5月末の『銭形平次捕物控 地獄の門』(長谷川の銭形平次3作目)から完全なる大映専属スターとなる。

1953 7月 元大映四大スターの一人のスーパースター阪東妻三郎が病気で死去、戦後の上昇気流の中で日本映画全体、芸能界全体に落胆ムード漂う。


王将 [DVD]
王将 [DVD]

映画「王将」は下記部分で理由も取り上げていますが、KADOKAWA(角川映画)が販売元になっています。時代劇の父・大巨匠伊藤大輔と阪東妻三郎の名コンビの代表作の一つ、伊藤と阪妻の通産コンビ本数は少なめですが、戦後の年間観客動員ベスト10を2作、名作2作の計4作の代表作を記録しています。この映画「王将」は時代劇ではなく現代劇です。伊藤大輔は時代劇の大巨匠といわれますが、実は現代劇の監督と脚本、原作でも数本の代表作が存在しています。時代劇だけではない、これは伊藤大輔を知る、評価する意味でも重要です。




*一応触れておきますが、記事題名の生き天国生き地獄 大映映画を巡る四大六大花火の交差点と伝説書籍「千恵蔵映画」 の”四大六大”部分は、時代劇六大スターと大映四大スターを絡めた独自な造語です。”花火部分”はうまく打ち上がるものもあれば、全然魅力を出せないものもある、活躍した俳優や苦戦した俳優とかけています。





交差点3 時代劇六大スター崩壊後の元4三大スタ- 若手台頭から日本映画最大黄金期





1954 4月に東映で次世代を担う大スター中村錦之助、東千代之介が専属デビュー、特に同年に『新諸国物語 笛吹童子』3部作で大ブレイク、大映を興行、観客動員、人気でさらに突き放す、遅れて8月に大映で市川雷蔵と勝新太郎(主演ブレイクは1961年『悪名』)がデビューで東映に対抗、12月に人気が低迷していた大河内傳次郎の大映最後の主演作『丹下左膳 こけ猿の壺』の公開、これを最後に大河内は映画主演メインの活動を徹退、映画助演が中心(この後も主演はいくつかあるメインがラスト)となり、大河内も良くも悪くも大映と深い縁を持つ俳優だった。

1955年 両御大スター千恵蔵&右太衛門と若手大スターの錦之助&千代之介、ベテランと若手の国民的俳優が多数機能した東映が1位の松竹に次いで興行収入、観客動員の年間2位を記録、美空ひばりが東映と松竹に出演

1956年 東映が興行収入、観客動員の日本映画大手6社の全体で初の1位、時代劇では圧倒的1位、創立から5年のスピード記録、1960年代前半まで連続1位をキープし、この間の2位のほとんどが東宝、1959のみが日活が2位、東宝3位と記録が残る。12月に大川橋蔵が東映でデビュー、美空ひばりが松竹から東映に正式移籍、さらに東映の連続1位が強固、日本映画最大の黄金期を牽引、現在も京都の東映太秦映画村にその痕跡が残る。時代劇2位の大映はその後も東映、東宝、日活に次ぎ、松竹と4、5位を争いさらに大きな苦戦を強いられることになっていく、

1962年 7月 日本映画を牽引してきた時代劇六大スターの一人の大河内傳次郎が東映の助演俳優として死去




交差点4 最大黄金期消滅の時代劇六大スターと元大映俳優、新芸能と旧芸能の道



1963年以降 日本映画の観客動員は急激に衰退 大映は低迷を事実上の責任を背負う形で1964年に長谷川一夫の映画引退、その後は市川雷蔵と勝新太郎の事実上の2大スター体制となってもある程度の支持は得るが、上位1、2位の東映や東宝、3位の多い日活とも絡むことはできず、大映は観客動員で低迷にあえぐ松竹を中心に競い合い続ける。1960年代中盤以降も苦戦を強いられ、1969年の大スター市川雷蔵の急死がさらなる痛手となって、さらに観客が遠のき、1970年代前半の巨額負債の大映倒産へ追い込まれていく。

1970年代の元大映四大スターたちの片岡千恵蔵は御大(俳優では歴代数名のみ、多く御大といわれた記録が残るのは千恵蔵のみ)とも呼ばれ、映画やテレビドラマの主要級の助演活躍、嵐寛寿郎は脇役メインながら映画の出演数を急激の伸ばしていき、長谷川一夫と市川右太衛門はほぼ舞台中心に活躍、千恵蔵と嵐寛は映像俳優、長谷川と右太衛門は舞台俳優、4名は事実上の二つのグループを形成し、晩年は新芸能と旧芸能の道を隔てました。まさに右と左とも通じるかもしれません。


2004年、過去の大映映画の権利は角川に買収され、角川映画角川映画株式会社)となっています。その後、2013年から吸収や合併などによるKADOKAWAの映画事業の扱いとなっています。



千恵蔵映画 (1980年)
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千恵蔵映画 (1980年)
千恵蔵映画はまさに日本映画の概念です。出演は400作近いといわれていますが、データが確認できるだけでも主演350作ほどが作られ、最多10を越す異名、最多オールスター出演100作以上&最多主演80以上、歴代最多の主演の当たり役10以上、世界唯一戦前と戦後の両輪唯一の主演150本越、軽く通産3億人以上の映画観客動員など、数十の記録を残した事実上のナンバーワン俳優の片岡千恵蔵の「千恵蔵映画」は非常に貴重な書籍です。マキノ、千恵プロ、日活、大映、東映時代の主に5つの時代の希少ポスターや秘蔵写真、数多くのエピソードを網羅、 映画ファン涙もの、253ページのボリューム、東映太秦映画村映画資料館の編集とあります。リンク先から書籍掲載写真が数枚が確認できます。

膨大な代表作の一つの1933年の忠臣蔵映画『堀田隼人』(千恵蔵は主演の堀田隼人と浅野内匠頭の2役を演じ、月形龍之介が千坂兵部役で大名演と伝わる、監督・脚本は大巨匠伊藤大輔、原作の大作家・大佛次郞による幻の名作映画)も掲載されています。1980年4月の出版とあり、書籍「千恵蔵映画」は千恵蔵御大の亡くなる1983年の3年前に発刊されています。





裏記事は映画を極めろ一直線女子の裏道ばやりへ公開予定です。

現時点記事⇒革命児渡辺邦男の83作とオードリー・ヘプバーン ただの過去英雄譚ではなく多様評価時代







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2019/09/18 22:26 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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