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映画『決算!忠臣蔵』と忠臣蔵映画112年の軌跡に巨弾アラカン19つの影




2019年は令和元年ということで新しい元号の初年、過去に注目してもらうための取り組みが数多く行われ、日本の文化の成熟がいかに過去の人物たちの尽力や努力の積み重ねのおかげであるのか、改めて感じさせられた1年です。私たちは先人の耕した硬い土地の畑に土足で乗っかっているだけの存在なのかもしれません。


先人への敬意、敬愛を深める機会が多くありました。今の日本がある程度なのはまさに先人のおかげ、とはいっても今の映画しか知らない方々は「何を書いているんだ」といわれるかもしれませんが、過去を最低限も理解しておらずに、日本ことを知らずに、アメリカ映画ばかりを語る、

まあ名前は出しませんが、映画評論家、著名人や芸能人よりは、まだ地に足が着いているのではないかと考えていますし、海外に住んでアメリカ映画のことばかり話している日本人ならまだ良い訳ですが、彼らは町山智浩のようにそれをしません。”日本に住んでいながら日本語をしゃべらずに英語だけを話しているような日本人”にはなりたくはありません。

映画愛子は外国人や外国人かぶれの日本人が直ぐに言う”誇りに思う”という言葉が安易過ぎてあまり好きではありませんが、ある種の敬意、敬愛は重要だと考えています。



「映画『決算!忠臣蔵』と忠臣蔵映画112年の軌跡に巨弾アラカン19つの影」スタートです。



前回記事
アラカン映画の謎の綜芸プロの全貌の影に3人の中村正太郎の謎と永遠のライバル






映画の先人たちへの敬意と敬愛に忠臣蔵映画の影






先人への敬意、敬愛は映画に関しても同様です。例えば日本やアメリカ、インドなど映画大国のようには大手映画会社が乱立していない国がたくさんあることをご存知でしょうか。国産映画という概念がほぼなく極少数、国内の公開映画のほとんどが海外制作の輸入作品を中心としている国たくさんあります。こうした国は悲しいと思えてしまいます。


日本も他人事ではなく、数多くの製作者や映画スターなどの先人の血と汗が無ければ、戦前と戦後の映画黄金期がなければ、日本は海外制作の輸入作品を中心の道を辿っていたことも考えられますし、1950年代後半の日本映画の最大黄金期は年間で600本近い一般映画が公開されていた時がありました。

例えば、ニュージーランド映画のケースを取り上げると、人口が日本よりも非常に少ない現状ですが、年間の国産映画が数本のみです。ニュージーランドの映画館の新作の上映作品の一般作品のほとんどが海外作品であり、自分の国の映画を見るという概念がほぼ存在していません。近年の日本の一般映画は100本ほど(ピンク映画や巡回上映、単館上映含めると500以上)公開されています。


2019年は日本らしさを見つけるべき1年でしたが、2020年は東京五輪であり、この流れは続くことでしょう。





映画『決算!忠臣蔵』と忠臣蔵映画112年の軌跡に巨弾アラカンの影







映画『決算!忠臣蔵』が吉本興業と松竹などの主な制作により、2019年の11月22日から公開されています。吉本興業は東映と数本の時代劇映画(ドキュメンタリーとストーリー物)を2019年で85歳の大ベテランの中島貞夫で2本製作していた流れから、今回の時代劇映画『決算!忠臣蔵』に至っています。

松竹はこのような王道からは遠ざかった題材の時代劇を近年に多く制作公開しています。例えば最低限な観客動員した引越しもありましたし、今回の『決算!忠臣蔵』は喜劇や討ち入るためのお金です。忠臣蔵と喜劇やお金がテーマ、内容はともかく、とりあえずは時代劇映画を制作してくれるだけでもありがたいです。令和元年なので日本映画を代表する題材の忠臣蔵をもう一度という経緯となったのでしょう。


過去の映画愛子の記事で、2017/12/16公開<11代目の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵九段目」と幻映画『忠臣蔵五段目』に隠された残像>などでも書いています。この記事の中で日本映画で最初に作られたと考えられる忠臣蔵映画を取り上げており、1907年に公開された11代目片岡仁左衛門(1858年1月18日~1934年10月16日)が主演した1907年の『忠臣蔵五段目』です。

この映画は世界最多の映画題材であり、通算300作以上作られている忠臣蔵映画の最初とされており、日本映画史にとって非常に意味がある重要な作品、2019年から112年前で、現在の15代目片岡仁左衛門(片岡孝夫)から数えると4代前の仁左衛門です。




11代目片岡仁左衛門の忠臣蔵題材の映画出演作
1907   『忠臣蔵五段目』
1908   『忠臣蔵五段目』 
1908.10 『忠臣蔵』
1908.11 『忠臣蔵』
1911   『仮名手本忠臣蔵』

すべてが主演、役は不明だが、ほぼ、または全てで大石内蔵助は演じていたと考えられ、2役以上に可能性もあり、





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町山智浩 ニュージーランド映画 決算!忠臣蔵 吉本興業 中島貞夫 忠臣蔵五段目 忠臣蔵映画 15代目片岡仁左衛門 11代目片岡仁左衛門





忠臣蔵を現代に伝えた歴代忠臣蔵映画の三大スーパースター






忠臣蔵映画に関して今回は上記リンク記事以来、久しぶりにメインで取り上げます。忠臣蔵映画は尾上松之助(日本最古の大手映画会社の日活最初の大映画スター、日本最初の国民的映像スター、数多くの題材に挑戦、1920年代の日本映画の初の観客動員1億人にも貢献)、大河内傳次郎(国民的な支持と人気の時代劇六大スターの一人、丹下左膳で現代でいうダークヒーローの形成、時代劇の父こと、伊藤大輔との30本以上の名コンビなど多数で知られ、時代劇の形成に大きく貢献)、

片岡千恵蔵(国民的な支持と人気の時代劇六大スターの一人、明朗時代劇や股旅時代劇などを形成、もっとも幅広く有名題材や名作を数多く残し、数多くの巨匠・名匠で多数大当たり、シリーズ代表作は歴代最多、現在の時代劇の概念にもっとも貢献、また現代劇でも大活躍、歴代契約映画スター最長の活躍、ナンバーワン俳優として東映を邦画黄金期の7年連続1位に導く、日本映画4年連続10億人に大貢献など、書ききれない記録や功績)の主演の三大スーパースターが牽引してきた題材が忠臣蔵です。


尾上松之助は40作以上の忠臣蔵映画に出演した記録が残されていますが、明確なヒット作はごく少数に留まり、大作の長編もありますが、ほとんどが短編映画です。千恵蔵や大河内はほぼ長編映画や超大作映画で、1000万人以上は1本もありませんが、大河内は千恵蔵に次ぎ、主演の忠臣蔵映画のヒット作(戦前のみだが)が多い俳優です。







忠臣蔵俳優の顔 300作以上の強烈な競争力の忠臣蔵映画歴代1位俳優






忠臣蔵映画で最多のヒットの記録が残されているのは片岡千恵蔵です。彼の忠臣蔵映画の代表作は軽く10を上回り、戦前と戦後で歴代多数です。まさに自身の当たり役の一つの多羅尾伴内(七つの顔の男)ではありませんが、”忠臣蔵俳優の顔”も持っています。





千恵蔵は戦前から戦後で当たり役の一つの浅野内匠頭を映画で10度以上演じ、戦後に大石内蔵助を5本で演じていますが、大石は全てがヒット、的中率100パーセントの記録が残されており、戦後初の忠臣蔵映画は千恵蔵で、東映創立の2年目の1952年から大石や浅野を演じた「赤穂城3部作」が作られてヒットを記録、

特に日本映画黄金期の千恵蔵自身の代表的な役の一つの立花左近(江戸へ向かう大石が重要な名場面で対峙する有名な役柄)を演じた1956『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 は年間観客動員1位で2000万人近くを動員、東映は年間で初の1位、大石内蔵助の1959『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』は年間観客動員ベスト10入りの1500万人以上、この年の東映は歴代で最大の観客動員を記録、



5度目の大石内蔵助の1961『赤穂浪士(1961)』も年間観客動員ベスト10入りを果たして1000万人以上を記録しました。大石内蔵助役の主演で2作が1000万人以上は歴代で彼だけあり、『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 の立花左近の事実上の2番手的役柄を含むと酒宴2、2番手1で3作1000万人以上も歴代で彼だけです。大記録です。また歴代の通産の忠臣映画の代表作がもっとも多い主演と上位助演の俳優です。ちなみに両御大も片方の市川右太衛門の大石内蔵助は大ヒットを記録しましたが、生涯で1度だけでした。


これまで当ブログや裏側のブログで何度も忠臣蔵関連の記事を取り上げてきましたが、今回は前回までの流れを重視して、片岡千恵蔵の最大にライバルでもあった巨弾俳優の嵐寛寿郎の忠臣蔵にも迫ることにしましょう。記事は下の次の見出しからです。



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1950年代後半以降に千恵蔵御大といわれた、超巨星の片岡千恵蔵の戦後最多5度目の大石内蔵助が1961『赤穂浪士(1961)』で実現しました。この映画は東映で最後の観客動員1000万人以上を記録した大ヒット作です。東映最大の黄金期を支えた名音楽家の深井史郎、1959年の彼の没後に招かれた音楽家が『赤穂浪士(1961)』の富永三郎です。富永三郎は短期間ですが東映映画の大作の音楽を多く手掛け、いくつかの代表作を残しています。この映画でも彼の会心の名曲たちが作中で桜花乱舞します。




尾上松之助 大河内傳次郎 丹下左膳 片岡千恵蔵 多羅尾伴内 七つの顔の男 忠臣蔵俳優の顔 浅野内匠頭 大石内蔵助 年間観客動員ベスト10 立花左近 赤穂浪士 天の巻 地の巻 忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻 市川右太衛門 赤穂浪士(1961) 千恵蔵御大 深井史郎 富永三郎






嵐寛寿郎の通産の忠臣蔵映画






嵐寛寿郎の忠臣蔵映画は数え方にもよるわけですが、通算19作だと考えられます。日活三大スター、バンツマ、チエゾウ、アラカンなど戦前でも最多級の名優が勢ぞろいした1938『忠臣蔵 天の卷 地の卷』は大ヒットした忠臣蔵映画です。残念ながらオリジナルの全長3時間と近くといわれた作品は戦争の影響で焼けてしまい存在しておらず、『忠臣蔵 天の巻 地の巻(総集編)』の90分ほどの映画のみです。

1938『忠臣蔵 天の卷 地の卷』はアラカンの出演した忠臣蔵映画の唯一の大ヒット作です。ですが、主演ではなく前半は2番手的扱い、後半は3番手的扱いです。『忠臣蔵 天の巻』は千恵蔵(浅野)に次ぐ事実上の2番手的扱い、『忠臣蔵 地の巻』は阪妻(大石)と千恵蔵(立花左近)に次ぐ事実上の3番手的扱いですが、脇坂淡路守と清水一角は忠臣蔵の上位に有名なキャラクターを演じています。



嵐寛寿郎の忠臣蔵映画 19作 1927~1956 29年 主演は7作

1927『仮名手本忠臣蔵七団目』  マキノプロ 星野勘平、寺岡平右衛門、斧定九郎  脇役
1928『忠魂義烈 実録忠臣蔵』  マキノプロ 脇坂淡路守、寺坂吉右衛門信行  脇役
1928『間者』  マキノプロ 小林平八郎 *千恵蔵と主要キャストで共演 主要
1928『実録忠臣蔵』(忠魂義烈 実録忠臣蔵と間者の改修) マキノプロ 脇坂淡路守、寺坂吉右衛門信行 脇役
1929『二刀流安兵衛』  東亜キネマ京都 中山安兵衛 主演1
1932『口笛を吹く武士』  寛プロ 清水狂太郎、浅野内匠頭 主演2
1936『安兵衛十八番斬り』  寛プロ 中山安兵衛 主演3
1938『忠臣蔵 天の巻』 日活京都 脇坂淡路守 助演 千恵蔵(浅野)に次ぐ事実上2番手扱い
1938『忠臣蔵 地の巻』 日活京都. 清水一角 助演  阪妻(大石)と千恵蔵(立花左近)に次ぐ事実上3番手扱い
1938『忠臣蔵 天の卷 地の卷』(3分尺の断片版) 脇坂淡路守、清水一角 2番手と3番手的 助演
10
1941『討入前夜』  日活京都 清水狂太郎、浅野内匠頭 主演4
1941『忠臣蔵 天の巻 新篇(前編)』 日活京都 脇坂淡路守   助演 千恵蔵(浅野)に次ぐ事実上2番手扱い
1941『忠臣蔵 地の巻 新篇(後篇)』 日活京都 清水一角 助演  阪妻(大石)と千恵蔵(立花左近)に次ぐ事実上3番手的扱い
19??『忠臣蔵 天の巻 地の巻(総集編)』 日活京都 脇坂淡路守、清水一角 2番手と3番手的
1944『高田馬場前後』  大映京都 中山安兵衛 千恵蔵(浅野)とダブル主演 主演5
1951『中山安兵衛(1951)』  新東宝=綜芸プロ 中山安兵衛 主演6
1953『初祝二刀流(高田馬場前後)』  大映京都  千恵蔵(浅野)とダブル主演  主演7
1956『忠臣蔵 天の巻 新版(前編)』 日活京都 脇坂淡路守 助演 千恵蔵(浅野)に次ぐ事実上の2番手扱い
1956『忠臣蔵 地の巻 新版(後篇)』 日活京都 清水一角 助演 阪妻(大石)と千恵蔵(立花左近)に次ぐ事実上3番手扱い
19



『忠臣蔵 天の巻』と『忠臣蔵 地の巻』 はオリジナル、新篇、新版を含めてここでは2作ずつの扱いをしています。






嵐寛寿郎 忠臣蔵 天の卷 地の卷 忠臣蔵 天の巻 地の巻(総集編) 忠臣蔵 天の巻 忠臣蔵 地の巻 脇坂淡路守 清水一角 






架空の忠臣蔵の登場人物の清水狂太郎山中貞雄の『口笛を吹く武士






映画愛子は、嵐寛寿郎の通産の忠臣蔵映画の中から1932『口笛を吹く武士』  制作=寛プロ、配給=新興キネマ 、役柄=清水狂太郎、浅野内匠頭(2役)に注目してみます。清水狂太郎というと、忠臣蔵を最低限ご存知の方なら直ぐ、吉良方の剣客の清水一角の名前が思い浮かぶかと思いますが、これは兄です。

清水一角は赤穂浪士の討入りのときに対抗した剣客集団のリーダー格の一人として描かれることが多く、リーダーのトップとして描かれることが多い、小林平八郎に次ぐ存在、重要な場面でラストが描かれています。小林平八郎(映画やドラマでは小林平七、小林平八の名前も多数あり)の部下として描かれている作品が多数あります。

口笛を吹く武士』 は、丹下左膳などで知られる林不忘の原作や映画では、清水一角の兄として清水狂太郎が登場しており、創作の架空または、存在していたかもしれない兄をモデルにした人物だと考えられます。簡単に言えば林不忘の原作を描く上の空想上の人物といえるでしょう。しかも主人公として描かれています。『口笛を吹く武士』の監督と脚本はあの天才といわれた名監督の山中貞雄です。


口笛を吹く武士(ゴマブックス大活字シリーズ)
口笛を吹く武士(ゴマブックス大活字シリーズ)

林不忘の口笛を吹く武士のデジタル書籍、オンデマンド (ペーパーバック)です。


こちらは通常の書籍バージョンです。



嵐寛寿郎の映画制作会社の通称・寛プロ(かんぷろ)は1928~1937年にかけて、80作近くの映画を製作、断片版などを含めなければ通産76作が確認できます。

寛プロは1928年の第一次と1931年から1937年の第二次がありますが、功績に一つとして、この間の1929年から1931年の東亜キネマ時代にスタートした「右門捕物帖シリーズ」とマキノ、マキノプロとも略される日本映画の父・牧野省三による映画製作会社のマキノプロダクション時代の1927年から続く「鞍馬天狗シリーズ」の2つを、それまで以上に強固な二大シリーズとして確立させたこと、もう一つの大きな功績が監督、脚本家、原作者としても優秀な山中貞雄を発掘したことでも知られ、二大シリーズの確立には、一次的に東亜キネマへ移籍し、寛プロの第二次をスタートさせる流れを作るための並ならぬ尽力があリました。





口笛を吹く武士 清水狂太郎 山中貞雄 小林平八郎 小林平七 小林平八 林不忘 寛プロ 第一次寛プロ 右門捕物帖シリーズ 牧野省三 鞍馬天狗シリーズ マキノプロダクション






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2019/12/16 23:48 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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