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セミドキュメンタリー形成巨匠 新型コロナ蔓延から国立映画アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」





映画愛子は我が身を沈めて苦難と忍耐を求められる辛く険しい道を行くのか


映画記事は海外だけに逃げることは非常に簡単です。ブログとしても気軽に済んでしまいます。海外映画は視聴していても非常に気持ちが楽で都合が良く観れてしまう、ですがその反面に自分の国の映画、邦画は非常にまじめになる、考え込みすぎて作品を評価してしまう、何度も感じることがあります。

外国映画を見ていれば気持ちがラク、ですが自分の国だという責任の伴う日本映画と向き合うことは、避けて通れない自分とも向き合うこと、取り上げるのも自分の国のことを取り上げるほうが大変です。なぜなら他国にことはどんなに気持ちを組んでも他人事でもありますが、自分の国のことは他人事ではないからです。文章を書いたり考えていても感じることがあります。自分の国のことを考えているほうが、多様性を意識しながら他に無いような個性も出す、非常に神経を使いますし、疲れと時間は膨大に消費します。



あえて言わせていただきますが、気軽で楽なほうは選ばずに、我が身を沈めて苦難と忍耐を求められる、辛く険しい道を行く、これがこのブログのやり方の一端だと感じています。<セミドキュメンタリー形成巨匠 新型コロナ蔓延から国立映画アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」>の開始です。



前回記事⇒浅野内匠頭を超えて内幕の忠臣蔵千姿万態 岡部美濃守役から映画社長と女優のガッチンコ
忠臣蔵映画のこともまた期間をおいて取り上げる機会があると考えています。ですが、今はしばし別れのとき、仰げば尊しです。







ドキュメンタリーやセミドキュメンタリー形成的監督 新型コロナウイルス蔓延と国立アーカイブ「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」への道






映画愛子は新型コロナウイルスが徐々に力を拡大しつつあった2020年1月21日~3月8日の期間、東京の京橋、国立映画アーカイブ(日本で唯一の国立映画機関)を何度か訪ねていました。今回上映されていた企画が「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」です。映画ファンにとっては非常に重要な作品群ばかり、約1ヵ月半で66作品が上映されました。


国立映画アーカイブ関連の記事は、国立映画アーカイブが現在の名称に変わる前の東京国立近代美術館フィルムセンターの名称だった頃の某月某日 映画愛子が東京国立近代美術館フィルムセンターへやってきたからの流れ以来となります。思い返しても、”東京国立近代美術館フィルムセンター”は名称が長く覚えにくく、ひとこと名称の”国立映画アーカイブ”またはさらに省いて”国立アーカイブ”になって正解だったと考えています。




新型コロナウイルス 国立映画アーカイブ 国立映画機関 戦後日本ドキュメンタリー映画再考












彼はぜんぜん最初じゃない是枝裕和の先人 「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の66作品の膨大数を前に







戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の66作品の全てを観たいが全ては観られないながらも何度か参加させていただきました。その中で印象に残った部分へ独自な解釈と内容を絡めて迫れたらと考えています。


日本のドキュメンタリー映画は形を変えて海外にも知られています。たとえば是枝裕和の映画の母体にある映画内容はドキュメンタリー要素(セミドキュメンタリー映画)です。彼はフジテレビなどのテレビドキュメンタリー番組のデイレクターの経歴を持ちます。今回取り上げる”とある巨匠”ともつながりますし、ドキュメンタリーからセミドキュメンタリーの流れが同じです。

海外映画の基本であるリアリズム重視もドキュメンタリー映画と大きくつながりがあります。真実や事実を記録することを重視したドキュメンタリー映画、または真実や事実に製作者の作家性を加えて映画にすることも、ドキュメンタリー映画です。

彼のみが凄いのではなく、彼の映画の後ろには、多くのドキュメンタリー映画の流れをつなぎ、多彩で大勢の先人たちの印影が積み重なってつむいできた、事実が存在していることを忘れてはなりません。

この事実を知る、再認識するためにも「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」は非常に意味があるものでした。



映画雑誌の秘かな愉しみポスター ’19912「国立映画アーカイブ」室

映画雑誌の秘かな愉しみポスター ’19912「国立映画アーカイブ」室

国立映画アーカイブは企画展示などで定期的に映画ポスターの展示も行っています。







ドキュメンタリー映画 是枝裕和 セミドキュメンタリー映画







日本ドキュメンタリーの形成に貢献した名門の岩波映画羽仁進







「戦後日本ドキュメンタリー映画再考」の前に、導入として、羽仁進(はにすすむ)について話す必要があると考えています。


羽仁進は日本のドキュメンタリー映画の流れに大きく貢献した重要人物です。ドキュメンタリーやその要素の映画の枠を飛び越えた日本映画そのものの巨匠または名匠の一人です。事実上のドキュメンタリー映画やセミドキュメンタリー映画(ストーリーなどの劇の要素がある)の形成監督、映画ファンに知られているという面では、正確には形成的な役割を担ったといってもよいでしょう。


名匠レベルだと考える方もいるかと思いますが、個人的には彼のこれまでの実積や影響力を配慮すると十分に巨匠だと考えています。現代の是枝裕和などの彼の路線を引き継いでいる多くの後輩たちも大きな影響を受けています。


羽仁進は1928年(昭和3年)生まれで、現在も存命、2020年に92歳を迎えます。岩波映画(正確には岩波映画製作所、略称が岩波映画、基本は略称で通じるほど映画界では浸透)の創立の一人として関与し、監督のキャリアをスタートさせています。元は1947年に共同通信社の記者だったとされています。



岩波映画は1949年の第1回制作し、日本のドキュメンタリー映画を定着させることに貢献、ドキュメンタリー映画自体は戦前からも存在するが、一定の大きな規模のおおやけにこのジャンルを広めたという面でも、事実上の日本のドキュメンタリー映画を形成したということもでき、日本映画の歴史に非常に重要な役割を果たしてきた映像制作会社です。

岩波映画は、現在も多くの映像作品を制作していますが、映画製作はあまりしていません。過去の作品を管理することが中心の現在の日活(現代も映画製作はしているが、共同制作やピンク映画、数館上映作品など規模や本数は少ない、またCSチャンネルのチャンネルNECOの運営)と近い状況ともいえます。

チャンネルNECO=日活株式会社衛星メディア事業本部が運営する、CS放送中心の映画、ドラマ、アニメなどのチャンネル名





羽仁進 岩波映画 岩波映画製作所 チャンネルNECO 日活株式会社衛星メディア事業本部









羽仁進 日本のドキュメンタリー映画とセミドキュメンタリー映画を背負って来た巨匠







羽仁は確認できる限りで1952~1983年までの約31年間、22作の映画を監督しています。多くの秀作や名作、意味のある要素の映画を残しています。大手映画会社は松竹の1本のみですが、ドキュメンタリーやセミドキュメンタリー、2本の日本と外国の合作、また5本の外国ロケ作品、自身の映画会社である独立映画会社の略称の羽仁プロ(正式は羽仁進プロダクション)、カルトな支持を誇る有名な独立映画会社のATG(日本アート・シアター・ギルド)とのかかわりなど本数は少ないものの、実に多彩です。


また当時の映画監督としては多くはない、多くの受賞作品を誇ります。特に当時の日本映画は基本的に前衛作品が受賞しやすい傾向があるので、彼の監督としての路線が受賞の要素に当てはまり、受賞が続きました。


羽仁進は簡単なところだけの受賞の代表作は、『教室の子供たち』=ブルー・リボン賞、教育映画祭一般教育部門最高賞、『絵を描く子供たち』=キネマ旬報ベストテン短編第1位など、『法隆寺』=ロカルノ映画祭短編映画最高賞、文部省芸術祭賞、『不良少年』=キネマ旬報ベストテン第1位(長編)、キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞、日本映画監督協会新人賞など、『彼女と彼』=ベルリン映画祭特別賞・主演女優賞(左幸子)、『手をつなぐ子ら』=モスクワ国際映画祭審査員特別賞があります。

当時は今以上に受賞数を積みにくい時代、映画は賞を獲得するだけが全体の評価ではありませんが、これも評価の一つです。



独立映画会社 羽仁プロ 羽仁進プロダクション ATG 日本アート・シアター・ギルド キネマ旬報ベストテン 教室の子供たち ブルー・リボン賞 教育映画祭一般教育部門最高賞 絵を描く子供たち キネマ旬報ベストテン短編第1位 

法隆寺 ロカルノ映画祭短編映画最高賞 文部省芸術祭賞 不良少年 キネマ旬報ベストテン第1位 キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞 

日本映画監督協会新人賞 彼女と彼 ベルリン映画祭特別賞・主演女優賞 左幸子 手をつなぐ子ら モスクワ国際映画祭審査員特別賞





不良少年 羽仁進 山田幸男 RFD-1149 [DVD]
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不良少年(1961)』は製作は岩波映画、配給は新東宝でしたが、劇映画で素人俳優を起用するという概念を定着させた受賞作の明確なスタート的、記念碑的な要素があります。素人のため、最初から演技が上手いできないとわかっていることを意識した、演出や映像、カメラの使い方、音声音楽の起用など、さまざまな革新的な要素のスタートです。



ちなみに主演の素人俳優の山田幸男は『不良少年(1961)』の作品が評価されたことで、翌年の1962年の製作は新東宝、配給は大映の『悲しみはいつも母に』(母親女優で知られる名優の望月優子が主演した母物映画、監督は巨匠の中川信夫)にメインキャストで息子役、1963年の日活映画『川っ風野郎たち』(監督は若杉光夫)にも助演で出演していますが、映画出演はこの3本のみに留まっています。

不良少年は1956年の東宝映画『不良少年(1956)』(監督は谷口千吉)、1980年の東映映画『不良少年(1980)』(監督は後藤幸一)にも同名映画が存在しています。そのため(1956)の西暦を付けて差別化しています。



後藤幸一は羽仁と同様に『正午なり』(1979)でATG映画で監督している共通点だけでなく、不良少年の同名映画『不良少年(1980)』のタイトルによる共通点も存在しています。

羽仁は『不良少年(1961)』以降も、たとえば全ての出演者が素人でないにしても、プロの俳優は主要のみのでその他は素人の起用などのように、変化を付けながらもd素人を起用すると路線をライフワーク的に撮りつづけています。またプロの俳優たちにも演じすぎない自然な演技を作品に応じて要求するなど、この後の多くの監督にも影響を与えており、これらも評価される部分でしょう。




不良少年(1961) 不良少年(1956) 谷口千吉 不良少年(1980) 後藤幸一 正午なり 山田幸男 悲しみはいつも母に 母親女優 望月優子 川っ風野郎たち 若杉光夫 悲しみはいつも母に 中川信夫




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2020/03/16 23:16 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

恐怖安藤サクラそっくりな外国人ユーチューバーの耳舐め衝撃

ユチューブのASMRを観ていたら安藤サクラに似たそっくりな顔の外国人(女性スペイン言語圏のラテン系)が耳舐めしていて衝撃でした。

あの顔個性的なオカオで見つけられて、吸引音が異常wある意味で本当の恐怖の連続ですが、激しく耳を責めてくる、日本人でカメラのガン観は少ないが、中国人や韓国人、アメリカやラテン系にガン見系が多いように感じます。

あるASMRで某整形が噂されている中国人女性が笑いながらゲップしていて品が無く萎えました。


日本人は品があるから顔出しはあまりできないですが、某バンドリ声優も耳系やっていますが、ASMRで何故だがニワカな映画トークを交えてきて、本当に萎えました。

No:271 2020/03/24 01:55 | 恐怖安藤サクラそっくりな外国人ユーチューバーの耳舐め衝撃 #- URL [ 編集 ]

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