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数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆



数十の功績の前例稀なる44歳の若さで逝去した左側巨匠の真実 破天荒俳優の先駆





世の中に多くの巨匠や名匠は数多いが、一国における真の多彩なる世界的な巨匠とはマキノ雅弘牧野省三、外国だと特にフランスのジョルジュ・メリエス、そして彼のことをいうのではないだろうか。




前回記事=左の翼を備えた両名匠六対決 羽仁進VS黒澤明 マスコミ無視の衝撃勝利の行方結末





マキノ雅弘


マキノ雅弘 牧野省三の長男、日本初の映像名子役で子役から青年俳優までに170以上(200以上とも)の映画に俳優で出演、尾上松之助と50以上で共演、数え年22歳までの映画最多出演、日本の娯楽映画路線歴代でトップ監督ともいわれる。

監督数280弱、映画代表作は渡辺邦男、松田定次と競う世界上位の70以上を記録、渡辺邦男と並ぶ映画会社大手5社(関与順でマキノ、日活、松竹、東宝、東映)で映画監督10本以上を記録、マキノ、日活、東映の大手3社で50本を記録(渡辺邦男の改修版を含むとタイ記録だが、含まないと最多j記録)、

俳優、監督、製作=プロデューサー、録音の4役で100に到達と多数の代表作、一国における世界最多タイを記録、日本最多の20名以上の中規模以上の映画スターの代表作を監督、稀な戦前と戦後の二つの時代で歴代上位の活躍



牧野省三


牧野省三 日本初の映画巨匠や日本初の映画大製作者=プロデューサー、日本映像芸能の父。日本初の大映画スター、世界映画最多映画主演数の950、出演数世界最多の1000強を記録の尾上松之助と、映画500作以上のコンビを形成、世界最多の監督と俳優のコンビ数 一国としては世界最多の巨匠10以上、映画スター10以上を輩出 名映画人は30以上、映画数はジョルジュ・メリエスと競う世界最多級の監督数500作以上 

”世界歴代ナンバーワンの映画一家”、マキノの祖として「牧野家」を形成、映画一家としては世界最多の映画2500以上(複数役職を含む)を記録 剣戟、忍術(特撮映画)、忠臣蔵、水戸黄門、怪談、国定忠治、清水の次郎長まどの軽く50を越す日本映画ジャンル(ほぼ時代劇)の開拓、長男のマキノ雅弘を含む時代劇四大巨匠(4名に関与)や時代劇六大スターなど(6名に関与、6名の一人の長谷川一夫も衣笠貞之助を通じて大関与)へ流れを託す



ジョルジュ・メリエス


ジョルジュ・メリエス 事実上の世界初の映画巨匠、映画を生み出したフランス映画最初の巨匠、映画人が成功するという概念を形成 監督数500以上 一定の本数と成功という面では世界初の映画俳優、世界初の映画巨匠 SF、ホラー、大作など10を越す映画ジャンルの開拓と定着、晩年に関与していたマルセル・カルネ、ルネ・クレールなどのフランスビック5(フランス5大巨匠)にフランス映画を託す





マキノ雅弘 牧野省三 尾上松之助 渡辺邦男 松田定次 ジョルジュ・メリエス 

世界歴代ナンバーワンの映画一家 牧野家 時代劇四大巨匠 時代劇六大スター 長谷川一夫 衣笠貞之助

世界初の映画巨匠 マルセル・カルネ フランスビック5 フランス5大巨匠 ルネ・クレール







村田実





村田実 1920年代が全盛期の日本映画の巨匠の一人、映画界に監督、制作、刊行、影響などで、多彩な映画監督の活動の形成に貢献、後のさまざまな映画監督に多大な影響、1936~1937年の日本映画監督協会(日本の映画監督の多彩な活動と地位向上を目的)の初代理事長、二人目は溝口健二、三人目は小津安二郎、四人目は五所平之助が就任、

1920年代から1930年代にかけての日本映画で映画賞自体がわずかな時期に、文芸映画の多くで受賞歴、力強さのある日活の男性現代劇映画に大きな足跡を残し、後の東映(日活⇒大映の千恵蔵一派が事実上中心に形成した映画会社)の片岡千恵蔵、高倉健、鶴田浩二、菅原文太(主な東映の現代劇映画四大俳優、千恵蔵は同時に時代劇を代表する俳優でもある)の男性映画、

また戦後の日活の石原裕次郎、小林旭の男性映画にも大きな影響、主役の強い男性映画へつながる現代劇の原型にも制作面で関与、悲哀のある松竹男性映画形成の巨匠牛原虚彦とは長年のライバルでもあり、現代劇が中心に通産映画監督数56(60弱)を監督、代表作は18作、(20作近くを記録しました。


村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼監督(のちの今井正、黒澤明どへ多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳(43歳が正確)の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。




村田実 日本映画監督協会 溝口健二 小津安二郎 五所平之助 

片岡千恵蔵 高倉健 鶴田浩二 菅原文太 東映の現代劇映画四大俳優 男性映画

石原裕次郎 小林旭 牛原虚彦




村田実は他にも日本における外国影響作品(日本内における制作の外国映画を形成、定着)、日本で最初に文芸映画路線(外国の影響)で代表作を残し、事実上の急進的、革新的、革命的な映画路線の左翼的監督(のちの今井正、黒澤明など膨大な人数、多大な影響)とも言われ、



戦後の東宝が多く制作した外国影響作品=外国的日本映画(特に1960年代までに多数が制作、たとえば極端ですが東宝の戦争映画は外国的、松竹の戦争映画は日本目線)や東宝や大映の文芸路線などにも大きな影響を与えています。だが一方で長年にわたって体が弱く、映画作のたびに体調悪化、病気がちに陥り、残念ながら1937年に44歳の若さで逝去

今井正は違いなく意識はしていたでしょうが、黒澤明は自分の映画監督としての路線が重なるところも非常に大きく、村田を大尊敬していたというエピソードがいくつか残されています。



今井正 黒澤明







村田実の主な映画監督の代表作





新派要素、反戦、文芸、大作、前衛、外国原作、競作、受賞作品など、実に幅広い代表的作品群を残しています。




村田実の主な映画監督の代表作
1921『路上の霊魂』  松竹キネマ研究所
小山内薫 新派の重鎮の小山内薫を起用、ロシアの文豪のゴーリキー、ドイツのシュミットボンの原作をいじくった日本映画の初期の前衛名作
1924『清作の妻(1924)』  日活京都第二部
葛木香一、浦辺粂子 日本最初の反戦映画とされ、評論家の高い評価を得た  
1924『金色夜叉(1924)』  日活京都第二部
通算20度近く映画化の尾崎紅葉原作の超有名題材 鈴木傳明 浦辺粂子 
1925『街の手品師』  日活京都第二部  
近藤伊与吉、岡田嘉子 「大正14年度朝日新聞最優秀映画」受賞、日本映画初の受賞映画 オーストリアとハンガリーの著名な劇作家の影響作とも言われる。
1926『孔雀の光 第一篇』 
前田曙山原作の日活、マキノ、松竹、帝キネの4社競合の公開映画の文芸超話題作
1926『孔雀の光 第二篇』 
日活版を担当 「鳴門秘帖」七篇で知られる時代劇スター谷崎十郎の主演
1926『日輪 前篇』  日活大将軍 
岡田嘉子、山本嘉一 のちの巨匠、時代劇の父こと伊藤大輔との競作で大きな話題
1926『日輪 後篇』  
日活大将軍 第3回(1926年度)キネマ旬報ベストテンで第2位に選出 雪之丞変化の三上於菟吉原作
1927『椿姫』  日活大将軍  
外国のオペラの影響作、当時大ヒットを記録   夏川静江、東坊城恭長(入江たか子の実兄で俳優兼実業家) 
1928『激流 前篇』  日活大将軍
入江たか子 岡田時彦 小杉勇 島耕二 夏川静江 高木永二
1928『激流 後篇』  日活大将軍  
日輪や雪之丞変化の三上於菟吉原作の文芸作
1929『灰燼』  日活太奏
灰燼の読み=かいじん 徳富蘆花原作の悲劇、第6回(1929年度)キネマ旬報ベストテン第2位  三桝豊、英百合子、小杉勇、中野英治 夏川静江
1929『摩天楼 争闘篇』  日活太奏 
中野英治 第6回キネマ旬報ベストテン第5位、『灰燼』と共に2作ランクイン 左翼的外国映画の影響作
1930『摩天楼 愛慾篇』  日活太奏  
中野英治 砂絵呪縛や伝七捕物帳(共同原作)の土師清二など5名原作
1930『この太陽 第一篇』  日活太奏 
3部作にわたる超大作 林不忘の別名義の牧逸馬の原作 若者たちの希望と悲劇の群像劇、 小杉勇、夏川静江、、島耕二、入江たか子がメイン
1930『この太陽 第二 多美枝の巻』  日活太奏 
 2作目は1930年代に高い人気を誇った品格と純白の女優の入江たか子の多美枝役をクローズアップ
1930『この太陽 第三篇』  日活太奏 3部作の完結篇
1934『霧笛(1934)』  新興京都 
霧笛の読み=むてき 第11回(1934年度)キネマ旬報ベストテン第9位に選出 多路線の代表作がある文豪大佛次郎の現代劇の代表的原作  中野英治





1924『清作の妻(1924)』 は、日本の映画女優(助演、脇役メイン)で歴代上位の映画出演数300以上を誇る名女優の浦辺粂子も当時はヒロイン女優です。お家芸とも言われるおばあさん役が飯田蝶子や沢村貞子などと並んで、日本映画歴代でもっとも定着している、特に”おばあさん役の名女優”の一人が浦辺粂子です。





清作の妻 [ 若尾文子 ]


1950年代から1960年代の黄金期の大映映画を代表する映画女優の若尾文子が主演した「清作の妻(1924)」の再映画化作品が「清作の妻(1965)」です。相手役の名優の田村高廣の代表作の一つでもあります。監督はのちに巨匠の増村保造、増村監督は外国で映画技法の修行し、大映の監督として活躍、独自な映像の外国的映像表現に挑戦しましたが、この映画だけに留まらない外国的志向の強かった岡田監督に影響が同じ外国的という面でも存在しています。




浦辺粂子 飯田蝶子 沢村貞子 若尾文子 清作の妻 田村高廣 増村保造






歴代母親役女優 破天荒俳優の先駆的存在の中野英治





1927『椿姫』 の夏川静江は最低でも180作近くの映画に出演、当時の女優としては最長級の実働1919~1979 映画61年、日本の映画女優の概念の草分け時期からの活動、1920年代後半から1930年代中盤にかけて主演やヒロイン女優で50作以上(確認できる限りでは主演33(男性とのダブル主演も含む)、男性に次ぐ扱いのヒロイン25)に出演して活躍、1950年代は映画20作以上で主にに助演の母親役女優(三益愛子、望月優子などに次ぐとも言われる)としても好評を得た。映画の主演、ヒロインと助演で長期間で活動した女優です。


村田実の代表作にいくつか出演している中野英治は、特に日活の数年間の現代劇映画でサイレント映画の短期間で高い人気を誇った俳優で、プライベートは非常に破天荒で、少年時代は女と喧嘩に明け暮れ、映画デビュー後の異常な外国好きと愛人が多数、博打や度重なる借金を繰り返したといわれています。また加賀まりこの実父の加賀四郎(戦後の大映映画の製作者や実業家、映画の代表作はほとんど無い)は少年時代の遊び相手だったと証言が残されています。のちに麻薬の逮捕でも有名な勝新太郎(麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年など)の彼の流れです。


中野英治は1925年(大正14年)に「大地は微笑む」の好演でデビュー1年目の「キネマ旬報」の第1回映画俳優人気投票で男優の第1位の阪東妻三郎(雄呂血で同年にブレイク)に次ぐ男優第2位、このときからの短期間が彼の人気の最大のピークでした。


戦前の日活現代劇の青年主演スターを代表する小杉勇や島耕二(戦後は両名とものちの映画監督としても活躍、戦後の小杉は助演俳優兼娯楽監督で多くの代表作、島は俳優を辞めてほぼ監督に専念し多くの秀作、佳作)と多数共演、巨匠村田実作品の代表作作の常連俳優としても知られています。




椿姫 夏川静江 日本の映画女優の概念の草分け 三益愛子 望月優子

中野英治 加賀まりこ 加賀四郎 小杉勇 島耕二

市川団十郎 市川左団次 小山内薫 千田是也







演技術の日本近代 (単行本・ムック) / 笹山敬輔/著

演技はさまざまな形を通じて「心を表現するもの」、村田実はこの貴重な書籍「演技術の日本近代」に、「第5章 舞台の演技から映画の演技へー村田実と演技の法則」で執筆しています。

歌舞伎の2大名優の市川団十郎や市川左団次、日本の演劇界の革新を与えた小山内薫、舞台の名優千田是也などの執筆も魅力的です。











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2020/05/01 22:12 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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