戦後映画260作の世界記録・鶴田浩二&後輩・松方弘樹の24年18作


戦前から日本映画を支えてきた歴代上位の大スターや名優、さらに戦後の低迷期を支えた多くの俳優たちと共演していた松方弘樹ですが、その中には共演数がもっとも多い”世界記録を持つ大俳優”が存在していました。


前回記事⇒マスコミが訃報で無視 松方弘樹、高倉健の真の最大ヒット作を暴く



秘められた24年と18作の映画たち”序章”鶴田浩二という存在




大先輩・鶴田浩二とは1961年から1985年まで24年で18作にわたって共演していました。鶴田浩二は1948年に松竹映画でデビューし、1950年代の前半を代表する青春スターとしてブレイクし、多数の女性ファンを獲得して”松竹3三羽烏”の1人に数えられました。ですが、主演数や人気が高い割には多数の代表作数にあまり恵まれず、三船敏郎とコンビを組んだ東宝映画時代、数年間の大映映画への出演履歴などを経て、1960年に東映映画へやってきます。


鶴田浩二
上記写真は、晩年の1980年代頃のテレビドラマを中心に活動していた、50代後半から60代の頃の写真だと考えられます。


鶴田浩二は1963年からの『人生劇場』シリーズで東映や日本映画における任侠路線を確立させた俳優としても知られています。これは大きな痕跡です。詳しくは下記のリンクの裏側をご覧ください。



↓↓任侠路線を確立『人生劇場』シリーズと異なる発端に初代・飛車角の存在↓ ↓
任侠路線を確立や初代・飛車角の存在とオリジナルビデオ四天王

秘められた24年と18作の映画たち”序章”鶴田浩二の代表作たち




1960年代の鶴田浩二は『人生劇場』シリーズをきっかけにして、『博徒』シリーズ『博奕打ち』シリーズ、『関東』シリーズなどの任侠、やくざ、暴力、アクションなどの多数のジャンルの主演作で観客動員的にも大成功し、松竹時代以来の大ブレイクを果たし、それまでのどちらかといえば中心の女性ファンだけでなく、未開拓の多数の男性ファンも獲得に成功しました。通産の現代劇映画の代表作数は60作ほどに到達します。


また、時代劇映画は戦前の片岡千恵蔵の代表作をリメイクした『弥太郎笠』前後作、佐々木小次郎を演じた東宝の『宮本武蔵』(2、3作)、初の眠狂四郎の映像化である『眠狂四郎無頼控』3部作、歴代の時代劇作品の中でも上位の有名な役柄、清水の次郎長を演じた『次郎長三国志』シリーズなどの10作以上の代表作がありました。


鶴田浩二は、1960年代中盤から1970年代の前半のみでは高倉健と同等クラスの結果を残しましたが、幅広い通産のデータでは上回る部分が多くみられます。主演の映画代表作数は戦後デビュー俳優では高倉健を上回る通産で70作ほどに到達します。




秘められた鶴田浩二の戦後映画界の世界記録




鶴田浩二は戦後の映画主演数は150作強の片岡千恵蔵を抑えて、戦後の世界1位の165作強に到達、さらに主演100作以上の映画俳優では世界1位の戦後最多の260作強の映画出演数(比較例=高倉健は206)戦前を含めた歴代映画主演数でも10位だと確認しています。(比較例=高倉健は20位)


戦後の主な主演映画の通産代表作数は、1位の片岡千恵蔵勝新太郎森繁久彌(森繁久弥)に次ぐ歴代4位を記録し、鶴田浩二は歴代や戦後を通じても、日本映画を黄金期から低迷期を支えた代表するスターの1人でした。


*記事タイトルの”戦後映画260作の大先輩・鶴田浩二”の「260作の世界記録」は主演100作以上のスターの最多のことを指しています。


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秘められた24年と18作の映画たち”共演歴”




この鶴田浩二と松方弘樹は多数の共演履歴が存在していました。以下のように約24年間、18作で共演しています。


<鶴田浩二と松方弘樹の映画共演歴(すべてが東映)>
1961『幽霊島の掟』 主演・大川橋蔵
1962『地獄の裁きは俺がする』 主演・片岡千恵蔵
1963『次郎長三国志』 主演・鶴田浩二
1963『続・次郎長三国志』 主演・鶴田浩二
1964『次郎長三国志 第三部』 主演・鶴田浩二

1964『博徒』 主演・鶴田浩二
1964『博徒対テキ屋』 主演・鶴田浩二
1967『あゝ同期の桜』  主演・鶴田浩二
1968『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』 主演・鶴田浩二
1968『人生劇場 飛車角と吉良常』 主演・鶴田浩二
10
1971『日本やくざ伝 総長への道』 主演・高倉健
1971『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』 主演・高倉健
1972『博奕打ち外伝』  主演・鶴田浩二
1974『あゝ決戦航空隊』  主演・鶴田浩二
1977『やくざ戦争 日本の首領』  主演・佐分利信、鶴田浩二
15
1981『ちゃんばらグラフィティー斬る!』 尾上松之助、片岡千恵蔵など
1984『修羅の群れ』 主演・松方弘樹
1985『最後の博徒』 主演・松方弘樹
18


*『ちゃんばらグラフィティー斬る!』は東映に関わりを持つ俳優を中心に時代劇映画の出演場面を戦前や戦後から集めた部分、
数名のインタビューを含めた異色映画であり、アンソロジー映画です。




鶴田浩二の東映初の年間観客動員ベスト10と松方弘樹の3本目のクロス




鶴田浩二は監督・岡本喜八の1960年『大学の山賊たち』を最後に東宝を去り、1960年の『砂漠を渡る太陽』から東映への出演が始まりました。二人の初共演の1961年のオールスター時代劇映画『幽霊島の掟』は監督・佐々木康、主演・大川橋蔵で公開され、年間観客動員ベスト10へランクインの大ヒットを記録しました。鶴田浩二にとっては主演作ではありませんでしたが、東映へ移籍して13作目で初の大ヒット&1958年以来の500万人級ヒットへの出演を果たしました。


松方弘樹にとって『幽霊島の掟』は1961年『赤穂浪士(1961)』に次ぐ、2本目の年間観客動員のベスト10への映画出演となりました。その後、前々回の記事でも取り上げている1962年『地獄の裁きは俺がする』で鶴田浩二は2番手的な役柄を勤め、2度目の年間観客動員ベスト10作品への出演、松方弘樹も3、4番手と捉えられる役柄で出演しており、3作目の年間観客動員ベスト10作品への出演を果たしました。


『地獄の裁きは俺がする』に関して↓↓
大ヒット『地獄の裁きは俺がする』から察する松方弘樹の存在価値を探れ!!



主演契約を切られていた可能性危機感をバネにヒット&評価




松方弘樹は今後を期待される俳優であり、比較的に成功を求められない状況で映画出演を重ねていきましたが、鶴田浩二は東映への移籍前から主演スターしての地位が存在しており、出演だけに留まらずに早急なヒット作への主演が求められていました。


1962年『地獄の裁きは俺がする』が大ヒットした翌年の1963年にようやく鶴田浩二は主演でヒット作に恵まれました。それが1963年『人生劇場 飛車角』(監督・沢島忠)から始まる通算4作の”人生劇場シリーズ”でした。東映への移籍からギリギリの3年程が経過していました。


ギリギリの理由はもう1年やそれ以上のヒット作がなければ、鶴田浩二は東映の主演契約を切られていた可能性もあったからです。『人生劇場』シリーズは多くの観客動員数や一部の映画評論家から高い評価も受けました。高倉健や梅宮辰夫は出演していましたが、松方弘樹の出演はありませんでした。



『博徒一家』と鶴田浩二




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博徒シリーズの7作目に該当する1970年『博徒一家』(監督・小沢茂弘)、


オールスターの表記がありますが映画愛子はオールスターではなく、”5スターもの”という判断をしています。オールスターは”5スターもの”以上の最低でも6名以上の主演スター俳優が求められるという考えを重視しています。ですが、写真に載っていない桜町弘子(東映の黄金期の時代劇映画でヒロイン女優として上位の活躍)も出演しているため、オールスターという写真内の文字も正しいとも言えるのかも知れません。

通算10作が製作さられた『博徒』シリーズは全般的に鶴田浩二が主役でしたが、この7作目の『博徒一家』は高倉健へ主役の座を明け渡して、あえて2番手的な立場で出演しています。写真からも分かりますが、高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、大木実、藤純子のスター俳優がメインで出演していました。



裏記事も公開しました↓↓
任侠路線を確立や初代・飛車角の存在とオリジナルビデオ四天王
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2017/03/16 00:07 | 超大物俳優COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

篝火(かがりび)と新撰組の土方歳三、初めて映画の主演で演じた最高齢の映画スター


司馬遼太郎の小説の”燃えよ剣”の映画化は「土方歳三 燃えよ剣」が初めてでしたが、映画の主演で土方歳三を初めて演じたのは栗塚旭が最初ではなく、実は二人目でした。映画では初めて土方歳三を主役として描いた映画が、片岡千恵蔵の主演による「維新の篝火」(1961)でした。(篝火=かがりび)


前回の記事⇒土方歳三と栗塚旭と映画時代とまさかの予期せぬとらいあんぐる



あの源氏物語新撰組映画のまさかの関係性の浮上


この篝火の本来の意味は、野外で固定して使う照明具であり、内部の割り木に火をつけて周囲を照らす役割があり、利用手段は夜間の警護や純粋な照明や漁猟のときに使われていました。

維新の篝火となると、新しい時代が訪れる中で揺れたり消えゆく篝火=新撰組という集団や土方歳三とヒロイン(淡島千景)の恋愛模様などが消えようとしている篝火のようだとたとえていると考えています。篝火=夜間の警護=新撰組の見回りなどを連想させる部分もあります。

また、篝火の意味には、源氏物語の中に出てくる巻名の一つでもあり、そこからヒントを得たタイトルである可能性もあります。源氏物語では、光源氏が篝火をたかせて合奏を楽しんでいる話です。 源氏物語は長く奥深い物語であるので、維新の篝火というタイトルは、源氏物語と関連付けて幕末の深い物語であることが言いたいのでしょう。



土方歳三が主役で描かれている映画・新撰組映画にも該当




1961「維新の篝火」 (データ残る限りの土方歳三の主役が初)
土方歳三=片岡千恵蔵、お房=淡島千景、近藤勇=月形龍之介
山南啓介=岡田英次、弥兵衛=志村喬、安藤和馬=里見浩太郎(現・朗)など 
監督・松田定次、脚色・結束信二、原作=池波正太郎の「色」、製作・東映

1966「土方歳三 燃えよ剣」 (土方歳三の主役2作目)
土方歳三=栗塚旭、近藤勇=和崎俊也、沖田総司=石倉英彦、
七里研之助=内田良平、歳三の義兄=北村英三
監督・市村泰一、脚本・加藤泰、原作=司馬遼太郎の「燃えよ剣」、製作・松竹


初の土方歳三の主演映画「維新の篝火」と映画主演が300作俳優・片岡千恵蔵




世界の映画界で歴代3名のみの通産の主演が300作を越している片岡千恵蔵でもあり、「維新の篝火」の助演、脇役や端役の俳優は豪華です。上記の6名のほかにも有名な俳優が数多く出演しています。内容はというと悪くはない内容でした。松田定次が監督なので演技や空気感、展開など総合的にバランスが取れていて丁寧です。過剰な刺激はありませんが、好感が持てる良い時期の時代劇映画の魅力があります。

片岡千恵蔵の戦前から戦後の数多くの作品を視聴していますが、彼の中では上位には入らないという評価をしています。作品には貢献しているのですが、そこまでなはまる部分までは到達していませんでした。また、現代的な印象として存在している、栗塚旭が形成した土方歳三の役柄のイメージとは食い違う部分があります。それがよい部分であり、問題を感じる部分ともいえるかもしれません。

つまり、片岡千恵蔵には土方歳三はあまりかみ合う役柄ではないという部分もあるかと思います。ですが、さすがですね。かみ合わないなりに役をつかむ能力は歴代上位の映画スターの特有な魅力があると感じさせてくれました。また、片岡千恵蔵がこの映画「維新の篝火」で土方歳三を演じた当時は58歳でした。1961年に58歳で30代前半から中盤の土方歳三を演じること、このものすごさを感じる作品です。


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2016/10/04 18:31 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

映画に関する前人未到の大記録とあの松竹の映画スターの悲劇


映画に関する前人未到の大記録とあの松竹の映画スターの悲劇とは、今回は映画に関する前人未到の大記録に関してもひとつを掲載しています。果たしてどんな記録なのかは見て確かめてください。

前回の記事⇒2016年以降も日本の未来を担う映画会社。松竹の隠された数多くの秘密たち大公開

映画に関する前人未到の大記録・戦前と戦後を通じての映画の大スター


前回は高田浩吉の戦前と戦後で主演作が80作以上ある部分を取り上げましたが、高田浩吉は10本単位で示すと(戦前90、戦後80)ということになります。高田浩吉は280作以上の映画に出演して通算の脇役数は100作ほどあり。日本の映画スターは110年以上の歴史の中で1位の片岡千恵蔵(約160、約150)、2位の市川右太衛門(180、120)、3位の長谷川一夫(150、120)、4位の嵐寛寿郎(150、90)に次ぐ歴代で5位の”戦前と戦後の両方においてダブル80作以上の主演映画の本数”を記録しています。

もちろん数字がすべてではありませんが”マスコミの誇張やでっちあげなどが届かない真実”を物語っています。(約160、約150)から機会があればいずれ詳しく取り上げたいところですが、片岡千恵蔵だけが日本で世界で、ただ一人だけの戦前と戦後でダブル150という前人未到の大記録を達成しています。

ちなみに戦前にも活躍した他の大スターの戦後は、大河内伝次郎(約40作台)、阪東妻三郎(20作台)や女優の田中絹代(40作台)です。この3名でさえ戦後の主演本数が50作にさえ到達していない真実があります。前人未到の大記録は幼稚園児や小学生でも誰が本当の部分がお分かりいただけると思います。

”戦前と戦後の両方においてダブル80作以上の主演映画本数”は世界の映画スターにもほぼ居ません。すべて確認しているわけではないので一応ほぼにしていますが、有名俳優では世界に日本のこの5名を除いて他に誰も存在して居ません。それだけ戦前と戦後の両方でダブル80作以上は彼が国民的大スターだったことも同時に物語っています。

あの松竹の映画スターの悲劇・2大映画俳優の数奇な運命


伝七捕物帳シリーズ」は東映に移籍してからも2作が作られています。1962年の「伝七捕物帖 影のない男」と1963年の「伝七捕物帖 女狐小判」です。残念なことに松竹時代は1級作として制作されていたのが、B級に近い作品に変貌しています。そこにはとある理由が存在しています。高田浩吉にとっての松竹時代の戦後は、1953年の阪東妻三郎の死などが幸運に運び、戦後の松竹時代劇の小さな範囲(松竹は主に現代劇メインの会社)で事実上のトップになります。



高田浩吉は松竹時代劇の更なる縮小の影響もあり、当時の映画界で大物映画スターが一番多く在籍していた時代劇が中心の東映に1960年に移籍します。東映時代の主演作は18作で、出演の約半分が助演作になります。18作といっても*ほとんどがB級に近い”第二東映”や”ニュー東映”などの作品群ですが、助演では1級作に多く出演しています。若手の映画スターや若手監督のおもりや自分より目上の大物映画スター(片岡千恵蔵市川右太衛門)などの脇役の要因がメインになってしまいます。華々しい活躍の裏側には映画スターの厳しい闇の部分が存在しているのです。

ほとんどがB級に近い”第二東映”や”ニュー東映”(=片岡千恵蔵や美空ひばりなどのトップ俳優の主演のみ、1級作品)

高田浩吉の松竹時代の活動における一番の代表作シリーズが「伝七捕物帳シリーズ」です。皮肉なことに1953年の阪東妻三郎の死後の1954年からスタートしています。阪東妻三郎は1960年代まで生きていれば、松竹の時代劇のトップを張った可能性が高かった大物スターです。”高田浩吉は2番手のはずだった”と個人的には考えています。まさに数奇な二人の運命、松竹の2大映画スターの悲劇です。阪東妻三郎は生きていれば、戦後も数多くの代表作や当たり役を映画で残した片岡千恵蔵ほどは厳しかったと考えていますが、戦後の当たり役に恵まれた可能性もありました。

高田浩吉の戦後の作品は今でも蔵出し放送がある状況ですが、戦前の作品に関しては、ほとんど放送されない残念な俳優でもありますが、2015年に松竹版の「伝七捕物帳シリーズ」11作(1954~1960)がすべてハイビジョン化されて放送さました。ブルーレイディスクに完全に録画しました。衛星劇場は2015年の松竹120周年の記念すべき年に放送するために数年前から用意していたようです。
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2016/02/03 19:00 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

原節子と初代・金田一耕助のたった1度の交わりとアメリカのナンバーワン映画スター

原節子と初代・金田一耕助の唯一の交わりとアメリカのナンバーワン映画スターと題して記事は進んでいきます。何名かの巨匠の作品に出演していた原節子は、初代・金田一耕助に出演しています。評価されたことで歴代の映画スターとの共演の機会が巡ります。原節子片岡千恵蔵の初代・金田一耕助シリーズの1作目・1947年の「三本指の男」に初代・白木葉子役でヒロイン出演しています。

前記事⇒歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠

原節子と初代・金田一耕助の唯一の交わり


片岡千恵蔵原節子の二人はこの「三本指の男」が生涯で唯一の共演作です。戦前の時代劇6大スターに位置づけられ、宮本武蔵、忠臣蔵、万花地獄シリーズなど数多くの代表作があり、すでに歴代上位スターであった千恵蔵は、”戦後の直後には現代劇で”大ブレイクを果たします。戦後直後の片岡千恵蔵は、オールスター作品や大型時代劇、「多羅尾伴内シリーズ」や「にっぽんGメン」から端を発する千恵蔵の「ギャングシリーズ」などを兼任しながらヒットさせたのが、この「初代・金田一耕助シリーズ」です。

横溝正史の”国民的探偵の金田一耕助の初の映像化作品”が、片岡千恵蔵による初代・金田一耕助シリーズの1作目「三本指の男」です。日本の映画や映像史においても歴史的な作品であり、原節子との唯一の共演(交わり)もあったことも重なって、同時に記念すべき作品になりました。

原節子は戦前から東宝に専属で所属していたため、東横(数年後から東映)から声がかかって調整が完了したのち、東宝から東横に呼ばれて特別出演を果たしたのです。「三本指の男」は片岡千恵蔵市川右太衛門との数十作に到達した名コンビでも知られ、東映トップといわれた巨匠・松田定次の監督作です。「三本指の男」は1947年に1度目の期間で公開され、1950年と1953年の2度の期間にも再公開がされています。合計で3度の期間で公開されているということになり、これは大変に珍しいことのようです。続編が公開される前ということも考えられますし、それだけなら他にも再公開が多くあってもいいようですが、当時や現在も正式な再公開の期間が設けられることはほとんどないので、当時にそれだけの評価や評判があったことも物語っています。

原節子 あるがままに生きて (朝日文庫)

原節子やアメリカのナンバーワン映画スターでさえ大差で恐れる初代・金田一耕助の男


強かったころのアメリカの象徴であり、アメリカのナンバーワン映画スターともいわれる西部劇を事実上、牽引したあのジョン・ウェインでさえ、映画の主演数は120作強です。戦前のジョン・ウェインは立派な映画ですが、戦前はB級作に主演している時期もありました。最終的には映画の主演300作を上回る超大スターの片岡千恵蔵とは、300と120でわかると思いますが、主演数が千恵蔵の半分以下の大差となっています。もちろんジョン・ウェインも素晴らしい俳優ですが、アメリカのナンバーワン映画スターを2倍以上も上回っていることからもいってしまえば、千恵蔵は世界のトップの映画スターに該当します。

1947年の「三本指の男」の時点で、片岡千恵蔵は戦前から含めて170作に近い映画の主演作があります。片岡千恵蔵が主演した”初代・「金田一耕助シリーズ」”の1作目「三本指の男」の出演時の原節子は、主演数(ヒロイン含む)は通算で25作ほどであり、当時、主演作が170作の片岡千恵蔵と大差が存在しています。原節子は徐々に評価され始めたものの、片岡千恵蔵からすれば大きく格下であり、相手役のスター女優が原節子でした。
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2015/12/21 17:57 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠


戦後の世界の最多映画監督数140作以上を誇る巨匠・渡辺邦男は数多くの歴代の映画スターの活躍に貢献しています。今とはレベルが違うほど個性があり、多分野で活躍したのスターたちです。歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組んでいます。戦前から戦後の両方で映画監督数の世界1位の265作以上の記録を持ち、戦後の世界の最多映画監督数2位の巨匠・マキノ雅弘でさえ、成しえなかった大きな金字塔です。下記の8大スターが存在しないことや日本映画の黄金期が終了している理由で今後もこの記録は破られることは難しい。

⇒前回の記事ついにひらくヒロイン女優の大輪の花・原節子と”のちの3大巨匠たち”

歴代映画8大スターと10作以上のコンビを組み、多大な貢献した稀代の娯楽の巨匠



映画監督・渡辺邦男が15作以上のコンビを組んだ俳優は1位の長谷川一夫の18作、2位の片岡千恵蔵が17作のみと2名のみと歴代では少ないですが、10作以上の主演コンビ作の8名は、世界最多記録です。また、すべてが大スターであるところも最多記録で、他にも数多くの特徴があります。

巨匠・渡辺邦男が生涯で関わった歴代の映画スターたち
(10作以上の主演のコンビのみ表記・助演除く)
1位 長谷川一夫が18作
2位 片岡千恵蔵が17作
3位 大河内伝次郎が13作
3位 市川右太衛門が13作
3位 榎本健一が13作
6位 美空ひばりが12作
6位 岡譲司が12作
7位 森繁久彌が11作

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(数多くを省略)
・・・・ 原節子は3作(10作以下のため、8大スターから除く、比較のため表記)

岡譲司渡辺邦男とコンビを組んでいた岡譲二の芸名時代に主演俳優として活躍、戦後はほとんど助演俳優

10作以下の上記にない関わった歴代の有名俳優たち(難しいですが、大きい順で表記)
月形龍之介嵐寛寿郎高田浩吉市川雷蔵鶴田浩二大友柳太朗高倉健勝新太郎山本嘉一柳家金語楼若山富三郎山田五十鈴黒川弥太郎木暮実千代李香蘭山口淑子)など、長期にわたって活動して現代には存在しない規模のスターばかりで多彩な個性の持ち主と関わりを持っています。1度以上の人数だけではマキノ雅弘も幅広いです。

渡辺邦男原節子は「麗人」のみですが、渡辺邦男が10作以上のコンビを組んだ8名の大スターの代表作が多い人物は、長谷川一夫片岡千恵蔵大河内伝次郎市川右太衛門榎本健一美空ひばり岡譲二森繁久彌(左から多い順)がいます。

特に上記からの5名が大きいといえます。まずは長谷川一夫は「白蘭の歌」から始まるいわゆる”大陸3部作”の2作、大映オールスターキャストの「忠臣蔵(1958)」、「日蓮と蒙古大襲来」の中規模オールスター、大作の「水戸黄門海を渡る」などが主にあります。

渡辺邦男は写真の”森繁久彌のサラリーマン・社員モノ”の1955年の「森繁のやりくり社員」にも関与し、翌年の1956年から開始する”社長シリーズ”の形成にも貢献しているといえるでしょう。


渡辺邦男と片岡千恵蔵のコンビは17作ありますが”遠山の金さんシリーズ”の最初の2作と「飛びっちょ判官」の3作(3作ともオールスター的でもある)、ハマリ役の一つの森の石松が主役の「殴られた石松」、前期の「大菩薩峠」の3部作、東映オールスター&大作の「日輪」。”初代・金田一耕助シリーズ”の犬神家の一族が原作の「犬神家の謎 悪魔は踊る」などで多いです。

大河内伝次郎は「丹下左膳シリーズ」から4作、「煩悩秘文書」の3部作、榎本健一の「エノケンのホームラン王」、「エノケンの天一坊」の有名タイトル。美空ひばりの「ひばりの三役 競艶雪之丞変化」の前後作、代表作の「べらんめえ芸者シリーズ」の3作など、これら5名の有名作が多いのでセレクトして書きました。

上記の5名が特に代表作が多く”名コンビ”といえるでしょう。これでも多数を省略しているので他にも数多くあります。これほど幅広い個性を持つ主演俳優と10作以上で関与した監督は渡辺邦男以外にはいない。世界にも10作で8名以上は誰も居ません。あのマキノ雅弘小津安二郎などの他の評論家に評価が高い方向の監督でさえ、生涯で関与した多少やかなりの起用した俳優の方向に偏りがあるからです。主演スターを撮った大半以上の映画作が歴代の映画スターであるのも渡辺邦男のすごさです。代表作のジャンルはオールスター、大作、時代劇、文芸、喜劇(時代、現代)、アクション、戦争、歌謡、ミステリー、女性モノ、サラリーマンモノ、海外合作など、戦後直後から1960年代まででは、一番多彩だった監督の一人です。

時期が時期なので、忠臣蔵について取り上げたかったのですが、去年同様に今年も無理でした。機会を見て取り上げたいです。

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2015/12/13 18:00 | 超大物俳優COMMENT(1)TRACKBACK(0)