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「時勢は接吻の彼方に」 菊池寛は映画原作者歴代上位の実り 死後70年以後も多大な影響が続く砲台





「時勢は接吻の彼方に」 菊池寛は映画原作者歴代上位の実り 死後70年以後も多大な影響が続く砲台






文春砲を生み出した。

映画原作者歴代上位でもある大作家の菊池寛をご存じでしょうか!

現代であれば”文化勲章”に値する大人物、彼に関しても、

映画監督だと小津安二郎や溝口健二、
俳優だと片岡千恵蔵、長谷川一夫と同様に

ただ時代が早すぎたのだ!

その彼の原作の映画の功績に迫ります。



菊池寛

小津安二郎 溝口健二 
片岡千恵蔵 長谷川一夫




前回の記事
【貴重写真7枚砲】「K」&松本人志が転がる週刊文春の菊池寛×片岡千恵蔵の「幻の映画」が蘇る。3名女優×明治二十三の国賊演説








菊池寛 映画原作者としても歴代上位 実業家と作家の大成功 週刊文春、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設 死後70年以後の現代も多大な影響が続く







菊池寛 1888年12月26日生まれ、1948年3月6日に59歳没

実業家としても文藝春秋社の週刊文春が生まれ、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設に尽力、原作者としての活躍と多くに面において出版界に貢献し、同時にマスコミや芸能に現在も大きな影響を与え続けています。

現代からすれば59歳没は、早めの人生です。

文藝春秋社 週刊文春 芥川賞 直木賞 菊池寛賞



主な上位の代表作7選と原作の出版年
『屋上の狂人』(1916年)
『父帰る』(1917年)
『無名作家の日記』(1918年)
『忠直卿行状記』(1918年)
恩讐の彼方に』(1919年)
『藤十郎の恋』(1919年)
『真珠夫人』(1920年)


代表作の上位7選の全てがデビューから5年圏内であるところが特徴です。作家としてピークが短すぎたともいえるかもしれません。

菊池寛は、100本を越す映画化を記録しています。これは日本歴代の作家の中で、吉川英治(210本ほど)、大仏次郎(大佛次郎、185本強)、川口松太郎(160本ほど)などに次ぐ歴代10選に含まれます。

そして、現代劇が8割以上の原作者では日本歴代1位だと考えられます。これが彼の映画関係者としての大きな評価です。7割台以上を含むと川口松太郎に次ぎ菊池寛は2位です。川口松太郎の映画は160本を越していて、本数は菊池と60本の大差があります。

吉川英治 大仏次郎 大佛次郎 川口松太郎


吉川英治や大仏次郎はほとんどが時代小説なので、現代劇中心だとこの両名が映画化本数の1、2位といえます。菊池寛は映画の原作者としても、歴代上位である事実は意外と知られていない重要な事実です。本数的に世界的なレベルです。








菊池寛の映画化 生涯唯一の達発監督と共に最初はほろ苦いものだった?






最初の映画化(映像化)とされているのが、『砂上の家』(松竹) 監督・主演は関根達発 サイレント映画で、短編だったと考えられます。

関根達発(読み・たっぱつ)は日本映画の現代劇路線の黎明期の映画スターの一人であり、名優です。映画110本以上に出演、1914年の大ヒット作『カチューシャ』で相手役が有名です。この映画が日活初とされる空前の記録的なヒット作、映画ポスターも残されています。


砂上の家 関根達発 カチューシャ


この関根達発が生涯唯一の監督作としたのが、菊池寛の映画化作品の『砂上の家』です。互いにとって記念すべき価値に残る映画ですが、互いに評価されることはなかったようです。ヒットした、または成功の記録ないためです。関根はこの監督のみで俳優に専念しています。


菊池寛の初映画化作品はほろ苦いものだったのかもしません。








初の時代劇の原作 『時勢は移る』の3度の映画化 主演助演の3名優の陰






1924年の『時勢は移る』が初の時代劇の原作、主演の杉田源之丞は、嵐璃徳(戦前に存在した伝説の映画会社の帝国キネマのナンバーワン俳優、単独主演170本を越す大スター)、1930年には林長二郎(のち長谷川一夫)主演で再映画化、1938年には中村時三郎(中村時之介)主演で3度目の映画化されています。



嵐璃徳は、日活の尾上松之助、松竹の澤村四郎五郎に次ぐ、1920年代前半の時代劇三大スター、事質3人目ともいえる映画スターです。記録は270本ほどが確認できますが、映画300本以上に出演したと考えられます。


時勢は移る 杉田源之丞 嵐璃徳 帝国キネマ 林長二郎 長谷川一夫 中村時三郎 中村時之介



時勢は移る』は菊池の上記の代表作に含まれていませんが、3度の映画化からもわかるように評価された原作とその映画だと考えられます。


父帰る・藤十郎の恋 菊池寛戯曲集 (岩波文庫 緑63-4) [ 菊池 寛 ]





1924年に阪東妻三郎主演、沼田紅緑監督の『時勢は移る』という同名の映画が製作されていますが、これは菊池の原作ではなく、馬場春宵という無名な映画人の原作です。監督5、脚本8、原作4が確認できますが、活躍した人物と言えません。


新国劇の舞台の大スター澤田正二郎主演、マキノ青司(牧野省三)監督の『国定忠次(1925)』の脚色参加が唯一の有名作であり、事実上の代表作です。彼も日本映画の父・牧野省三の膨大に存在した事実上の門下だったようです。





時勢は移る』の3度目の映画の主演の中村時三郎(のちの中村時之介)、中村時之介というと、戦後の映画大スター中村錦之助(萬屋錦之介)や美空ひばりが中心の脇役俳優として、映画200本以上の出演で知られている名優です。戦前の中村時三郎時代に、3本の主演作のうちの1本が、1938年の『時勢は移る』です。


1924年『時勢は移る』の翌年1925年に『恩讐の彼方に』が公開、澤田正二郞が下僕役で主演、映画の殺陣の概念の形成に大きな影響を与えた人物です。『恩讐の彼方に』は舞台でも演じた記録ある題材で、原作は上位の代表作に含まれています。


阪東妻三郎 沼田紅緑 馬場春宵 新国劇 澤田正二郎 マキノ青司
牧野省三 国定忠次(1925) 中村錦之助 萬屋錦之介 美空ひばり

恩讐の彼方に







第二の接吻の『京子と倭文子』の3本の競作と戦後の没後の28年ぶりの4本目






1926年『京子と倭文子』は、日活、松竹、聯合映画芸術家協会の3社競作、菊池の「第二の接吻」が原作です。





京子と倭文子』の3本の競作と戦後の没後の4本目

聯合(聯合映画芸術家協会=伊藤映画研究所)版の『京子と倭文子

 大巨匠・稲垣浩の父の舞台俳優の東明二郎(父親役)を押し出した映像化、吉村哲哉(のちの風間宗六)の主要 主要の京子と倭文子役の女優は無名 監督・脚本=伊藤大輔 伊藤映画研究所の大巨匠伊藤監督が映画人6年間の大河内傅次郎との名コンビのスタート前です。
松竹(蒲田)版の『京子と倭文子
聯合版と異なり、松竹の当時のスター女優の筑波雪子と松井千枝子の2名を押し出した映画、鈴木傳明と3名が主演 監督=清水宏、当時はデビュー3年目の若手
日活(大将軍)版の『京子と倭文子』   
岡田時彦、岡田嘉子、梅村蓉子の豪華3名主演 監督=阿部豊 応援監督=溝口健二 米国で「ジャック・アベ」の俳優経験を持ち、巨匠セシル・B・デミルの映画出演履歴の、多作100本近い名匠の阿部豊と大巨匠溝口の豪華組み合わせ 当時の3スターを押し出した松竹版と近い形だとわかります。




京子と倭文子 聯合映画芸術家協会 第二の接吻

稲垣浩 東明二郎 吉村哲哉 風間宗六 伊藤大輔 伊藤映画研究所 大河内傅次郎

セシル・B・デミル

筑波雪子 松井千枝子 鈴木傳明 清水宏
岡田時彦 岡田嘉子 梅村蓉子 阿部豊 ジャック・アベ


さらに競作3本後の事実上の4本目が戦後に公開

菊池寛が1948年の没後に公開された1926年以来の28年ぶりの4本目が1954『第二の接吻』です。製作=滝村プロダクション 配給=東宝 監督=清水宏 主演は川辺京子=三浦光子、山内倭文子=高峰秀子、村川貞夫=池部良

ポスターにはオールスターキャストとありますが、これは正確ではありません。


三浦光子 高峰秀子 池部良




第二の接吻』画像
第二の接吻




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1919年の原作の代表作の一つ、1925年に映画化の『恩讐の彼方に






菊池寛 恩讐の彼方に


大正8年(1919年)「中央公論」江戸時代後期に、豊前国(大分県)の山国川沿いの耶馬渓にあった交通の難所に、青の洞門を開削した実在の僧の史実に取材した作品。



1919年の原作の代表作の一つ、1925年に映画化の『恩讐の彼方に』の朗読 雰囲気がなんとなくわかります。






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