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「THE破天荒男!!」渡り鳥シリーズそのものの

日本国内で渡り鳥しすぎて日本から収まりきらなくなる。とある映画監督の現実のエピソードです。さらに、とある監督は、絶大な影響を与えていた、彼に脱線してしまう展開へなってしまうのも、また良し。滝沢英輔の足跡を探る上で、今回は彼へと行き着いてしまいました。

滝沢英輔は時代劇メインの時代の日活から、1939年から東宝で作品を残してゆくその前回の記事長谷川一夫の「伊那の勘太郎」(1943)も代表作に入り、戦中には、大河内伝次郎で「日本剣豪伝」(1945)もあります。若山セツ子の「おスミの持参金」(1947)も三国連太郎の「江戸一寸の虫」(1955)(7)野球史に残る選手と監督で大活躍した川上哲治も出演した「川上哲治物語 背番号16」(1956)も代表作である。
*おスミの持参金、川上哲治物語 背番号16は現代劇で、他は時代劇。

(7)江戸一寸の虫」は、CSチャンネルのチャンネルNEKOで2012~2013にかけて放送された日活100年の「この人この1本 100年残したい日活映画<スタッフ編>」で、今は元映画監督の江崎実生が”100年残したい日活の名作”として選んでいたタイトルです。以前に選んだ理由を語っているインタビューを見ました。この人は、舛田利雄という(名監督に該当する可能性がある活躍した)監督の助監督を経ていわゆる青春・若者・アクション路線時代の日活(1950年代中盤から1970年代前半)で活躍した監督です。その後、いわゆる大映ドラマで監督をしていました。映画愛子としては、以前に「わが映画人生」という日本映画監督協会が製作したその監督の履歴やエピソードを自ら語っているインタビュー映像作品で約1時間くらいの舛田利雄のインタビューを見たこともあります。聞き手は江崎実生でした。この2人が仲がよくて、井上さん井上さんという名前が出てきてて何故か、印象に残ります。今も深く印象の残ってたりします。
浅丘ルリ子の主演デビュー作です。一部で有名なこの映画も監督(井上梅次が)しています。
井上さんとは、おそらく名監督に該当するであろう井上梅次(基本はうめじではなく、うめつぐと読む)のことです。井上梅次はデビューした新東宝から移籍し、日活でも一時的に、籍を置いて監督をしていました。当時(1950年代)の日活の若手監督は(舛田利雄もですが)相当に刺激を受けていたようです。何故にこの人と思う方が居るかもしれませんが、井上梅次という監督は普通な監督では有りませんでした。日本でも指折りに入る多彩な作品を手がけた監督としても知られています。数年前に亡くなったときには、テレビ報道では、有名作で石原裕次郎の主演の「嵐を呼ぶ男」の監督としか取り上げていなくて、衝撃を受けたのを覚えています。有名でも有るし、ナンバーワンはそれだといわざる得ないです。ですが、それだけでは断じてないです。
さらに代表作といえる明確なものは意外と少ないのですが、当時としては、実に異色で多彩なジャンル(大まかなだけでも音楽・歌謡、青春、アクション、喜劇、時代劇、アイドル、ドキュメンタリー、児童、ギャング、任侠、海外作など)を手がけていて、映画会社も渡り鳥のように移動を繰り返していて、ものすごく忙しい人でした。助監督の時から期待が高く、センスも良く、脚本も製作もおまけに作詞までできて、多分な才能にあふれていたのですが、才能や仕事量のわりには、突き抜けた代表作が少なくてもったないところがある監督です。痕跡としては、1960年代後半には日本を飛び出して、香港の映画会社のショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)で15本以上監督していた異色な経歴も持ちます。のちの洋のハリウッドと呼ばれた映画会社です。小林旭の「渡り鳥シリーズ」を自分で体現したような監督です。
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2014/06/19 23:12 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

滝沢から黒澤へ、映画なのに、考えられない意外な結びつきから急転直下の大、大脱線

同じ沢と澤つながり同士。読み方や書き方次第で同じでも違いはだいぶあります。

滝沢英輔のソクセキは名監督という範囲に納まらないほどの痕跡がある。

滝沢英輔監督は、前進座総出演キャスト作をいくつか監督しているのも大きな特徴です。戦国群盗伝の3作の他にも、「逢魔の辻 江戸の巻」「武道千一夜」があります。大河内伝次郎の大石蔵之助や長谷川一夫の浅野内匠頭で贈る東宝オールスター時代劇「忠臣蔵 前篇」(1939)(5)さらに、大河内伝次郎の「梅里先生行状記 龍神剣」(1941)(6)も重要な作品です。

(5)「忠臣蔵 前篇」(1939)は東宝で監督しています。忠臣蔵といえば日本で一番に該当する時代劇の題材です。それだけ、滝沢英輔は実力を評価していたわけです。ちなみに「忠臣蔵 後篇」(1939)は、名監督とも巨匠とも言われる山本嘉次郎が監督して、黒澤明が助監督を勤めている。黒澤明は少年期から時代劇が好きでした。助監督時代に基本的な良い時代劇の製作に満足してしまったのかも知れません。だから当時では破天荒な作品「用心棒」などを作り、時代劇にはあるまじき、血が飛び出すシーンをOKしてしまったのです。現実にありえないシーンを面白くいじり誇張してしまったわけです。当時は他の時代劇監督から相当なヒンシュクがあったようです。のちにあれは今で言う”ダメなエンタメ”のため、やるべきではなかったと本人も語っていたようです。それが世界で評価されてしまい日本もアレを評価せねば成らなくなり、それまで受け継がれてきた正当な時代劇の全盛期にひびが入った可能性を考えてしまいます。あそ辺で全盛期は終わったのかもしれません。未だに考えさせられる部分です。「忠臣蔵 前篇」(1939)は梶原金八メンバーでもある三村伸太郎が脚本。
(6)「梅里先生行状記 龍神剣」は、大河内伝次郎の水戸光圀(水戸黄門)を演じた作品の1作目にも該当します。大河内伝次郎は水戸光圀を主演で5作で演じていて代表的役の一つに入ります。大河内伝次郎の代表的役は丹下左膳だけではありません。当然ながら一番は、元祖・反逆のヒーローといわれる丹下左膳になるのは間違いがない事実ですが他にもいくつかあります。

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2014/06/13 21:56 | 巨匠COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

名匠と巨匠の狭間で揺れる某監督の理想と現実

映画における名匠と巨匠の狭間とは微妙な出会いが大事なのです。ちょっとした変化が思わぬ糸を手繰り寄せ、思いもよらぬ活躍する流れに突入していくケースが存在するからです。監督同士のライバル関係もそのケースと通じています。

ちなみに監督の滝沢英輔は(前回からの流れのリンク)時代劇と現代劇の両方で活躍しましたが、時代劇歴代で上位の巨匠・稲垣浩とデビューが同時期です。監督昇進は滝沢英輔が1年後(1929年)です。ですがトータル的には稲垣浩が巨匠という意味で、監督としての差がついてしまいましたが、名監督には間違いなく入る監督です。特に時代劇においては該当します。この2人は特に、1930~40年代は良いライバル関係が存在していました。

時代劇の大スター嵐寛寿郎の「宮本武蔵 地の巻」(1936)。実はこの武蔵が吉川英治の原作の宮本武蔵では初映像化でしたが、評判はあまりよくなかったようでシリーズ化がされませんでした。(*1)1937年に代表作に一つとなる前進座オールスターキャスト作出演の(河原崎長十郎の主演)「戦国群盗伝 前篇 虎狼」「戦国群盗伝 後篇 暁の前進」や「戦国群盗伝(総集編)」を監督する。(*2前進座の中村翫右衛門の息子で、テレビドラマの「遠山の金さん」や「伝七捕物帳」で知られる時代劇スターだった中村梅之助が筆。テレビドラマの遠山の金さんも数多くの俳優が演じていますが、これも東映時代の片岡千恵蔵の「遠山の金さんシリーズ」計18作の日本映画史上、歴代最多数と評判がなければ、のちに東映でドラマが作られることはありませんでした。千恵蔵とはそれだけすごいのです。
*注目部分(*1)片岡千恵蔵もサイレント映画で1929年(原作なし)に一度は、宮本武蔵を演じていました。嵐寛寿郎版から約1年後の1937年に再び演じて、片岡千恵蔵の主演版は大ヒットし、のちにもシリーズ的や題材作的に製作されたわけです。日本映画史上歴代、断とつ最多の11作12編で演じています。(*2)滝沢英輔の戦国群盗伝は総集編含めて、3作あるわけですが 「戦国群盗伝(総集編)」しか見ることができません。普通な前後作バージョンも見たいです。さらに映画やドラマでもリメイクがされている名作時代劇です。もちろん内容では最初の映像化シリーズが一番です。

トータル的には、名脇役で有名な藤原釜足らで「東海道は日本晴れ」(1937)(*3)トータル的には松竹現代劇がメインのスターの藤井貢の主演作で現代劇の「地熱 (1938)(*4)これも滝沢英輔の代表作に該当します。さらに、作家や戯曲家の三好十郎も脚本で参加しています。藤井貢の数少ない商品化の中でも現存している「金環蝕」
*注目部分(*3)「東海道は日本晴れ」は山中貞雄の脚本で「梶原金八」です。このころから東宝でも監督を始めます。それが、滝沢英輔にとっての新たな出会いを生むこととなります。(*4)「地熱 (1938)」には黒澤明が製作主任で参加しています。のちの東宝の監督なのでこのときは滝沢英輔とは奇遇なめぐり合わせでしたね。言うまでもないですが、監督としては滝沢英輔のほうが黒澤明より約14年先輩です。

藤井貢というスター俳優は、全8作わたったヒット作の藤井貢版の「若旦那シリーズ」1933~39年(初期は名匠・清水宏が監督)でも知られています。この人も前回のブログ記事の沢村国太郎のように、戦後を機にスター性の低下も重なって、脇役への転向を余儀なくされました。のちに同じ東宝で、加山雄三の「若大将シリーズ」につながる若者青春系シリーズのさきがけとしても大変に重要な作品です。
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2014/06/05 18:34 | 巨匠COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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