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爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作の実力



今回は大&名製作者・玉木潤一郎から少しそれます。松田定次に関してももう少し取り上げますと沼田紅緑は撮影時代の松田定次にも大きく関与していました。この二人のコンビ作には市川右太衛門も6作に出演していたことがわかります。

前回記事⇒映画界の大重鎮が大巨匠の息子に仕掛けた大陰謀


監督・沼田紅緑×撮影・松田定次のコンビ8作




監督・沼田紅緑×撮影・松田定次のコンビ8作
公開 タイトル         ・主演
1925「剣かたばみ」   市川右太衛門
1925「黒髪地獄 前後篇」  市川右太衛門
1926「孔雀の光 前篇」  市川右太衛門
1926「孔雀の光 第二篇」 市川右太衛門
1926「外道」 高松錦之助
1926「孔雀の光 第三篇」  市川右太衛門
1926「討たるゝ兄弟」   市川右太衛門(2役)
1926「憤怒」   大谷友三郎(のちの伊井友三郎)

市川右太衛門の「孔雀の光」3部作を生み出すなど、たった2年間でしたが、濃厚な時間でした。撮影時代の経験は監督としての活動していく松田定次の飛躍にも大きく関わっていました。戦後の松田定次は市川右太衛門と監督と主演俳優の関係で多くのヒット映画を残しました。


*高松錦之助と大谷友三郎(のちの伊井友三郎)については裏ブログ
裏側の「爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作」


松田定次と市川右太衛門の戦後の黄金期とオールスター




松田定次と市川右太衛門は監督と主演俳優で名コンビを形成し、その映画数は35作以上、市川右太衛門の松田作品へのオールスターの出演数は2番手、主要を含めて片岡千恵蔵に次ぐ、18作に到達、1950年の千恵蔵と右太衛門のダブルキャストによる刑事、ギャング要素の大作映画「にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」や「旗本退屈男捕物控 七人の花嫁」、「旗本退屈男捕物控 毒殺魔殿」、1956年「赤穂浪士 天の巻 地の巻」、映画出演300本記念作の「旗本退屈男(1958)」など通産で18作が存在しています。


にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」について、ギャングシリーズなども裏ブログの方で多めに触れています。
裏側の「爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作」


ものすごいことにこの18作のほとんどがベスト10に含まれなくてもある程度のヒットをしています。その時点でも歴代でも数名しかいません。市川右太衛門は戦前から上位の国民的映画スターでしたが、戦後の黄金期にも大成し、歴代上位の国民的映画大スターに到達しました。


「赤穂浪士 天の巻 地の巻」は2000万人級の観客動員




旗本退屈男捕物控 七人の花嫁」、「旗本退屈男捕物控 毒殺魔殿」は戦後初の旗本退屈男シリーズであり、通算10作目、11作目に該当する大作でした。特に1956年1月公開の「赤穂浪士 天の巻 地の巻」は、1960年代にダブルで映画主演300作に到達することになる、片岡千恵蔵と市川右太衛門の国民的大スターの2大競演を軸に若手スター、名脇役ら数十名を要して大オールスターを形成し、”1955年度の観客動員1位”の大ヒットを達成、現在では困難な2000万人近い観客動員を集めたと考えられています。あのSMAPや「君の名は。」もお手上げ状態の真の国民的でした。


*1956年「赤穂浪士 天の巻 地の巻」は公開は1956年の1月ですが、
公開時期の集計のルールから1955年のランキング側へ含まれています。



爆発的観客動員が東映へもたらすもの、年間観客動員1000万人が4作の実力




1955年は大手6社の中で東映は松竹に次ぐ躍進を遂げました。松田定次と市川右太衛門のコンビは1956年「旗本退屈男 謎の幽霊船」(シリーズ20作目)も1956年度の観客動員5位に入る大ヒットを記録しています。この1956年、東映は大手6社(左から創立順の表記=日活、松竹、東宝、大映、新東宝、東映)の中で初の観客動員1位を記録しました。1956年の東映は4作がベスト5にランクインしています。その後も東映の1位が何年か続きます。


松田定次×片岡千恵蔵の歴代の名コンビによる、清水次郎長の題材の全4部作のオールスター巨編の第1作「任侠清水港」が1位。主演・片岡千恵蔵と当時の若手監督・小林恒夫の和製ギャング映画の名作「恐怖の空中殺人」が3位、巨匠・佐々木康と東千代之介や中村錦之助、ヒロイン・美空ひばりによる若手中心のオールスター「曽我兄弟 富士の夜襲」が4位、この「旗本退屈男 謎の幽霊船」が5位でした。4作ともが軽く1000万人の大台を上回る超大ヒットを記録しました。



4年連続10億人への最大の貢献を実現させた東映




1957年から1960年にかけて、日本映画は全体で4年連続10億人を記録していますが、この4年間で連続1位だったのが東映であり、同時に大手6社の中で10億人に一番貢献したことも明らかです。マキノ省三賞の初期の受賞者にも戦前からの功績以外にもこの4年間の貢献や影響も大きくみられます。

残念ながらマスコミやテレビは現在へお金を落とすため、この事実を正確に伝えていません。日活や東宝以上に東映が一番の貢献を残した真実がさまざまな面から存在しています。



市川右太衛門の出演300作を記念したオールスターキャスト「旗本退屈男(1958)」



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実は映画出演300本記念作のシリーズ第23弾「旗本退屈男(1958)」は興行ではベスト10には含まれませんでしたが、ヒットは記録したと言われている作品です。個人的にも録画したハイビジョン版を何度もオープニングを見てしまいます。

松田定次と市川右太衛門のコンビを中心としたオールスターキャストで「旗本退屈男(1958)」は、市川右太衛門、片岡千恵蔵、中村錦之助、大友柳太朗、東千代之介、大川橋蔵、大河内伝次郎、月形龍之介などの歴代上位の映画俳優に加えて、里見浩太郎、北大路欣也、南郷京之助、山形勲、原健策、進藤英太郎、薄田研二、柳永二郎、横山エンタツ、花柳小菊、大川恵子、桜町弘子、丘さとみ、長谷川裕見子、浦里はるみ、千原しのぶ、花園ひろみ、植木千恵など若手俳優、名脇役、女優陣が出演。


*ドラマブログで映画に関しても取り上げています。
坂本龍馬や近藤勇などの有名題材に挑んだ傷だらけの阪東妻三郎

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2016/12/28 00:25 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

映画界の大重鎮が大巨匠の息子に仕掛けた大陰謀



映画界の歴代を代表する大&名製作者・玉木潤一郎の俳優時代は、歴代上位の数多くの映画スターたちとの出会いにありました。こうした俳優たちとの出会いが戦後の日本映画最大の黄金期の到来を呼ぶことになることは、俳優時代からは知るよしもありませんでした。

前回の記事⇒8名の主演100本俳優の大作映画と年間観客動員10億人の超立役者

前々回の歴代の名製作者の閉ざされたサビ鍵扉をこじ開けたら、国民的大作家がいたに少し戻りますが、玉木潤一郎の俳優時代の映画出演の代表作の鳴門秘帖には続きがあります。



玉木潤一郎が参加していた鳴門秘帖シリーズの主演交代




吉川英治の大ヒットした大衆小説を元にしたヒット作鳴門秘帖は1篇から3篇までは市川右太衛門が主演でしたが、1927年「鳴門秘帖 第四篇」から法月弦之丞役は、嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)に変更されます。何故変更されたのか、それが主演俳優に原因があるものと考えられます。

1篇から3篇の主演である市川右太衛門がデビューから多くの作品でコンビを組んできた、名匠・沼田紅緑が亡くなったこと市川右太衛門マキノプロダクションから独立して自分の映画製作会社”市川右太衛門プロダクション”を創立したため、主役は交代になったと考えられます。


鳴門秘帖シリーズ 製作=マキノプロダクション
<公開年「タイトル」>     <役名・主演>        <玉木潤一郎の役柄>
1926 「鳴門秘帖 第一篇」  法月弦之丞 ・市川右太衛門 侍乳の多市
1926 「鳴門秘帖 第二篇」  法月弦之丞 ・市川右太衛門 侍乳の多市
1927 「鳴門秘帖 第三篇」  法月弦之丞 ・市川右太衛門 侍乳の多市
嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)に変更はこの部分↓↓
1927 「鳴門秘帖 第四篇」  法月弦之丞・嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎) 侍乳の多市
1927 「鳴門秘帖 第五篇」  法月弦之丞・嵐長三郎    侍乳の多市
1927 「鳴門秘帖 第六篇」  法月弦之丞・嵐長三郎    侍乳の多市
1927 「鳴門秘帖 最終篇」  法月弦之丞・嵐長三郎    侍乳の多市

マキノプロダクション牧野省三(別名義・マキノ省三など)が1925年から1929年までの短期間で、日本映画を背負う映画の大スター、のちの名脇役、のちの巨匠や多くの製作者を輩出した、当時の概念で大手に該当する映画制作会社



市川右太衛門と恩師の悲劇的別れと鳴門秘帖シリーズ




市川右太衛門の最後のシリーズ3作目「鳴門秘帖 第三篇」は1927年の2月に公開し、嵐寛寿郎が引き継いだシリーズ4作目「鳴門秘帖 第四篇」は1927年の5月の公開、この空白の3ヶ月に沼田紅緑の監督の休止や死、コンビ解消という出来事が続けてありました。

市川右太衛門プロダクションは1927年の4月に稼動を開始したため、「鳴門秘帖 第四篇」はその後に公開されたことになります。不思議なことに自分がそれまで主演していた、「鳴門秘帖シリーズ」が別の俳優で再始動していることを横目に見ながら、市川右太衛門はその作品や俳優のライバルとして、新たな道を突き進んでいったことになります。



戦後黄金期の東映で名コンビ・巨匠・松田定次玉木潤一郎の意外な出会い




玉木潤一郎はこの主役交代劇にも流されずに鳴門秘帖の全7作に「侍乳の多市」役で出演しているとされています。市川右太衛門が去ったマキノプロダクションの「鳴門秘帖 第四篇」から「鳴門秘帖 最終篇」 の4作は嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)で作られましたが、スタッフの変更もありました。

4篇から牧野省三を支えた撮影者の重鎮・田中十三から松田定次に変更されました。松田定次・・・まさか、世界の映画界の歴史の中で、ナンバーワンのオールスター映画を25作以上を手がけた、あの大巨匠・松田定次、その人です。



日本映画の父・牧野省三が息子・松田定次に仕掛けた陰謀




「鳴門秘帖 第四篇」に撮影者で参加した頃の松田定次は監督の仕事を行う前であり、撮影者時代を経て監督になるための時期でした。5作以上の監督補佐を行いながら同時に10作以上の撮影をしていたのが、この1927年でした。この頃の松田定次の父・牧野省三は撮影から現場を学ばせて、のちに監督をさせようと考えていたことが伺い知れます。日本映画の父・牧野省三が松田定次に仕掛けた”良い意味での陰謀”だったのでしょう。



孔雀の光」で実現していた名匠・沼田紅緑、撮影・松田定次、主演・市川右太衛門




玉木潤一郎か少しそれますが、松田定次は撮影者としてマキノプロダクションで働きだした1925年から市川右太衛門の主演作を撮影しています。このころの撮影の代表作が主演・嵐寛寿郎の「鳴門秘帖 第四篇」から「鳴門秘帖 最終篇」 の4作と下記の主演・市川右太衛門「孔雀の光」の3部作です。この作品は市川右太衛門のデビュー2年目のヒットシリーズです。

公開 「タイトル」        ・監督   ・撮影   ・主演
1926「孔雀の光 前篇」    沼田紅緑 松田定次 市川右太衛門
1926「孔雀の光 第二篇」  沼田紅緑 松田定次 市川右太衛門
1926「孔雀の光 第三篇」  沼田紅緑 松田定次 市川右太衛門



市川右太衛門の恩人・沼田紅緑と日本映画最大の黄金期を牽引した大巨匠・松田定次




また、市川右太衛門の恩人としても知られる沼田紅緑は、松田定次にも影響を与えていました。それを示すのがコンビ作です。監督・沼田紅緑×撮影・松田定次は全部で8作のコンビを組んでいました。1925年から1928年の松田定次は撮影をこなしながら監督の勉強をしていた時期です。沼田紅緑は市川右太衛門の映画スターとしての形成に大きく関与しただけではなく、のちに東映ナンバーワンや歴代オールスター監督などの異名を持つ巨匠・松田定次の形成にも、影響を与えていたことが推測できます。


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巨匠・松田定次の数多いオールスターの代表作の一つが、この1959年「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」でした。東映にとっても当時を象徴する大きな巨額で製作された超大作でした。

この映画が公開された1959年に映画会社・東映は”歴代で最大の観客動員数を記録し、大手6社(左から創立順の表記=日活、松竹、東宝、大映、新東宝、東映)の中でダントツ1位を記録”しました。この観客動員数は今も破られいませんが、1959年の2位は日活でした。そして「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」の企画者はなんと玉木潤一郎です。


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2016/12/15 00:00 | 邦画の探求COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

8名の主演100本俳優の大作映画と年間観客動員10億人の超立役者



戦後の日本映画黄金期は1950年代、数度の年間観客動員10億人に到達しました。この観客動員に大きく貢献した立役者の1人がテレビやマスコミがちゃんと取り上げることがない、大人物の製作者(企画者)の玉木潤一郎です。

前回の記事⇒歴代の名製作者の閉ざされたサビ鍵扉をこじ開けたら、国民的大作家がいた


数度の年間観客動員10億人の立役者・玉木潤一郎




玉木潤一郎は、特に片岡千恵蔵の1950年代の数多くの時代劇・現代劇の多彩な代表作に貢献し、牧野省三賞を第2回で受賞。この玉木潤一郎は戦前の俳優時代に沼田紅緑と市川右太衛門が関与していました。

市川右太衛門との共演作自体は最低でも6作がありますが、その内の5作が市川右太衛門と沼田紅緑のコンビ作だったことも不思議な縁です。下記がその5作です。

主演俳優・市川右太衛門と監督・沼田紅緑のコンビ作へ玉木潤一郎が出演した5作

<公開年「タイトル」> <役柄・主演>
1926「討たるゝ兄弟」    都築角太郎と兄の三四郎・市川右太衛門(2役)
1926「牡丹燈籠(1926)」  荻原新三郎・市川右太衛門 お露・松浦月枝(のちの松浦築枝
1926「鳴門秘帖 第一篇」 法月弦之丞 ・市川右太衛門
1926「鳴門秘帖 第二篇」 法月弦之丞 ・市川右太衛門
1927「鳴門秘帖 第三篇」 法月弦之丞 ・市川右太衛門

製作は全てがマキノプロダクション(牧野省三の映画会社)



市川右太衛門と沼田紅緑のコンビ作に玉木潤一郎の姿!?そこに天下の名女優の姿




俳優時代の玉木潤一郎は市川右太衛門と最低でも6作で共演を果たしています。しかも、その内の5作が市川右太衛門と沼田紅緑のコンビ作だったことも不思議な縁です。

有名な怪談映画の題材の「牡丹燈籠(1926)」にも玉木潤一郎はストーリー展開に関与する”医者の山本志丈役”で出演しています。ヒロインのお露・松浦月枝(のちの松浦築枝)は、1920年代はヒロイン女優として活躍していたスターでした。個人的にも多くの作品で目撃していますが、戦後は数多くの東映を中心とした時代劇映画で存在感を示した名女優でした。

松浦築枝の通産出演映画は驚愕の300作以上といわれ、戦前と戦後の両方で活躍し、脇役が中心の日本映画界を代表する名女優の一人でした。市川右太衛門と松浦築枝は戦後も東映の時代劇映画でも多く共演しています。



天保水滸伝を題材の東映オールスター「血闘水滸伝 怒濤の対決」




個人的にも確認しているだけでも、市川右太衛門と松浦築枝は1959年の東映時代劇映画の名作「血闘水滸伝 怒濤の対決」においても共演を果たしています。ですが、劇中では同じシーンには出ていません。市川右太衛門と松浦築枝は最低でも「血闘水滸伝 怒濤の対決」までの1926~1959年の33年間以上の共演歴が存在しています。



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主な出演・市川右太衛門、片岡千恵蔵、中村錦之助 、大川橋蔵東千代之介大友柳太朗、月形龍之介、美空ひばり、若山富三郎、大河内伝次郎、進藤英太郎、山形勲、阿部九洲男、長谷川裕見子、花柳小菊、丘さとみ、大川恵子、千原しのぶ、原健策、喜多川千鶴、里見浩太郎 (現・朗)、伏見扇太郎、薄田研二、松浦築枝


監督・佐々木康と市川右太衛門のコンビ、天保水滸伝を題材とした侠客の東映オールスター時代劇映画は、東映では忠臣蔵映画に次ぐほどの超豪華な俳優陣です。上記の商品化のタイトルは何故か「血闘水滸伝 怒濤の対決」ではなく、「血斗水滸傳 怒涛の対決」となっています。闘が斗、伝が傳です。文字の表記が現代的に異なるだけであり、おおよその意味は同じです。


俳優に豪華さに関しては、のちに主演300作は千恵蔵、右太衛門の2名、主演100作が千恵蔵、右太衛門、錦之助 、大友柳太朗、月形、ひばり、大河、九洲男の8名、主演50作が12名越え、歴代でも上位です。また、現役の主演スターや元主演スターが一つの作品に15名以上出演しています。特に主演100作が7名は、海外作品や戦後の東宝や大映、日活、松竹、新東宝などの他社ではありえなく、東映だから実現した凄さです。



世界的な大記録もあり、佐々木康が巨匠の理由




劇中では片岡千恵蔵が1933年から通算で8度目の当たり役・国定忠治を演じ、市川右太衛門の主演・笹川繁蔵に次いで、2番手的立場を果たしています。監督の佐々木康は1952年以降の東映時代、市川右太衛門の「旗本退屈男」を戦後の21作中で10作(最多数)、「大名シリーズ」を9本中で最多の6本も手がけ、戦後では松田定次に次いで、オールスター映画を2位の9作で任されました。その実積だけでも巨匠に該当すると言えるでしょう。

さらに佐々木康は、戦後の東映の2大巨星スターの市川右太衛門を27作、(主演は26作)、片岡千恵蔵を24作 (主演は22作)を手がけたことでも知られています。監督で主演俳優と20作のコンビを2名と形成を成した戦後の一般映画監督は、佐々木康松田定次だけです。アメリカなどの海外には誰もいないことからこれも世界的な大記録と言えます。


「血闘水滸伝 怒濤の対決」で「牡丹燈籠(1926)」の玉木潤一郎、市川右太衛門と松浦築枝が再集結




驚くことに、この「血闘水滸伝 怒濤の対決」は玉木潤一郎が企画を担当しています。

配役も素晴らしいと感じました。大川橋蔵の旅がらすと笹川の子分の東千代之介の死の友情、大友柳太朗の平手造酒の愛する女と刺客として仕えた主人との板ばさみ、片岡千恵蔵の国定忠治と笹川繁蔵との渡世の絆の心地良さ、月形龍之介と美空ひばりのムフフに若山富三郎の登場、戦前の大スター・大河内伝次郎と超名優・薄田研二が一緒に地獄?

さらに、時代劇映画を100作以上に参加し、歴代でもっとも多くの映画スターと共に活躍した、殺陣師ナンバーワンの足立伶二郎と魅力や個性ある俳優陣の侠客もの独自な殺陣の素晴らしさ、数多くの名シーン、見所は多彩でした。いずれこまかく書くことにしますが、良い時代劇映画は見る人の力で作品がさらに面白くなります。また、今回の記事で取り上げている松浦築枝は、東千代之介と長谷川裕見子が主役のシーンで登場して効果的な機能を果たしています。


前半で取り上げている「牡丹燈籠(1926)」で、市川右太衛門と松浦築枝と俳優時代に共演していた玉木潤一郎が、1959年「血闘水滸伝 怒濤の対決」で企画者として、約33年後の二人の共演にも関与していたことが明らかになりました。日本映画の歴代でも少ない珍事です。

裏も更新
裏の「8名の主演100本俳優の大作映画と年間観客動員10億人の超立役者」

「歴代の名製作者の閉ざされたサビ鍵扉をこじ開けたら、国民的大作家がいた」の裏側


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2016/12/02 19:45 | 邦画の探求COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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