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【映画神業】西悟郎と木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇蹟






時代と向き合うことは戦前からの映画音楽家にも求められてきました。それは現代も変わることはありません。音楽が流れる日本映画は1930年代前半からごく少数のみが存在していましたが、1930年代中盤からだんだんとその数を増やしていき、全般的になりました。

全体がトーキー映画になっても、あえてトーキー映画に逆らい、サイレント映画を作り続けた映画会社の大都映画が存在していましたが、その数年後には時代の流れに飲み込まれていきました。当時の映画界は今以上に移り変わりが早く激動状態でした。

前回から取り上げている西悟郎(別名義は主に西悟朗)は、特に時代劇映画において戦前に自分の地位を確立させ、時代劇映画、時代劇の音楽を形成に大きく貢献、映画音楽そのものが初期の1934年からから活動していた日本映画を代表する音楽家の一人です。



前回記事⇒世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家



。今回は西悟郎が関与した有名映画の鮮烈さと凄み、魅力に独自に迫ります。「【映画神業】西悟郎木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇蹟」スタートです。




あの頃映画 マダムと女房/春琴抄 お琴と佐助 [DVD]
巨匠に該当する五所平之助が日本で最初のトーキー映画の現代劇『マダムと女房』を撮影して、初物として当時話題になりました。ですが、まだまだ時代が早かった。音楽や声があるトーキー映画『マダムと女房』が公開されましたが、1931年はサイレント映画の全盛期の後期であり、トーキー映画は年間600作ほどの映画公開作の中で数えるほどだったのです。





西悟郎の鮮烈な映画デビュー作はあの国民的題材映画





西悟郎の映画デビュー作は鮮烈でした。それはデビュー作がいきなりのオールスター映画であり、しかも国民的映画題材の忠臣蔵でした。1934年の『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』は日活映画の新春作品として大スケールで描かれた時代劇・忠臣蔵の映画でした。西悟郎はこの作品で映画音楽家としてのデビューと同時に日本トップの映画製作に参加しました。ここから時代劇映画音楽の歴代上位の実積を残すことになる活躍のスタートの火蓋(ひぶた)が切られました。








当時やその将来を背負うホープばかりの大製作陣が集結






忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の監督は時代劇、時代劇映画形成のリーダーであり、時代劇の父とも称され、大河内傳次郎との名コンビだけで、30作近いの代表作残すなど、数多くの功績を残した大巨匠の伊藤大輔、応援監督として、片岡千恵蔵とのコンビでナンセンス時代劇の形成で革命的な大評価を受けた伊丹万作、そして尾崎純です。この尾崎純という人物は監督数15作、残念ながら1937『宮本武蔵 地の巻』(主演・片岡千恵蔵)、『旅の風来坊(1938)』(主演・沢村国太郎)などの2作ほどのみの主な代表作に留まり、尾崎純はこの『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』の応援監督がもっとも大きな代表作であり、時点残念ながら監督のみとしては成功しませんでした。



脚本は伊藤大輔伊丹万作、尾崎純、特に伊藤大輔は200作以上の映画脚本家としても、時代劇、現代劇の多くの代表作があり、、伊丹万作は監督としても10作ほどの代表作があり、大成功を収めましたが、稲垣浩と片岡千恵蔵のコンビの代表作の脚本家としても数本で成功しています。さらに死後も『無法松の一生』などにおいて脚本が何度も映画化で使われています。伊藤大輔伊丹万作の豪華脚本が実現したただ一つ、唯一の作品が『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』です。





西悟郎と木下忠司の映画大音楽家同士が一つになった奇跡【映画神業】の瞬間





下部分をだんだんとご覧ください。



(初回生産限定) 傑作時代劇 長谷川伸シリーズ DVD-BOX


上記は「長谷川伸シリーズ」(1972~1973)です。左から降下順に鶴田浩二と菅原文太、中村錦之助(萬屋錦之介)と西村晃、片岡千恵蔵と中村玉緒、次いで左斜め下の北島三郎、女優は高田美和、日色ともゑでしょう。右の上部から降下して長谷川一夫と山本富士子、、美空ひばりと浅丘ルリ子、そして長門勇かな??いえ彼は出演していません、 長門裕之か勝新太郎 、松方弘樹かな、横顔なので判別が困難です。同じカメラの録画を見直してみないと分かりません。右斜め下の最後は杉良太郎、松原智恵子の顔が確認できます。全30話で主演から脇役まで含めて、100名ほどの有名俳優が出演した、オールスター名作テレビ時代劇「長谷川伸シリーズ」の音楽は、あの大音楽家の木下忠司です。

なぜこのテレビ作品をここで出したのか、上記でも取り上げている『旅の風来坊(1938)』(主演・沢村国太郎)の旅の風来坊がこの「長谷川伸シリーズ」で映像化されています。「長谷川伸シリーズ」の「旅の風来坊」の主人公の関戸の佐四郎は片岡千恵蔵が演じました。 長谷川伸原作の映画の「旅の風来坊」は1932年に松竹の時代劇スターの坂東好太郎、1937年に嵐寛寿郎、1938年に戦前の日活などで活躍した時代劇スターの沢村国太郎などで映像化され、好評を博した長谷川伸の股旅小説の数多くある代表作のひとつです。ちなみに嵐寛寿郎は「長谷川伸シリーズ」(1972~1973)のとあるエピソードに助演で出演しています。




さらに驚くべきことがさらにあります。西悟郎が音楽を担当した名匠・山中貞雄と河原崎長十郎『街の入墨者』(1935)が「町のいれずみ者」として、近藤正臣とテレビ時代劇の名作『新撰組血風録(1965)』や『用心棒シリーズ』(1967~1969)、映画は東千代之介との数十作のコンビで知られる、名監督の河野寿一のコンビで映像化されています。この「長谷川伸シリーズ」の音楽は木下忠司、なんと、1935~1972なので約38年越しに西悟郎と木下忠司の大音楽家同士が映画テレビドラマを隔てて映像作品でつながった奇跡の瞬間です。





+裏は2018年7月1日公開映画歴代撮影者師弟傳 谷本精史と宮川一夫(Kazuo Miyakaw)

Kazuo Miyakawを産んだ男の謎




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2018/06/30 15:54 | 邦画の探求COMMENT(7)TRACKBACK(0)  

世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家




先日、著名音楽家としては長編映画世界最多の410作を越す、日本映画界を代表する大音楽家が多くの人々に惜しまれつつ逝去されました、2018年4月30日に102歳で”天寿を全う”されました。日本の歴代の有名音楽家の中で最高齢でした。*天寿を全う=十分長生きして亡くなるの意味、今回は木下忠司につながる、戦前にデビューして映画音楽家活躍した映画音楽の大先輩に迫ります。



本数は最多なので現実的に嘘ではないです。とあるアニメ映画の主題歌記録のように20や30のレベルでは無理すれば可能なレベルなのでほぼ評価できません。さらに数十程度なら海外にはいくらでもいますが、100や200でもそれほどたいしたことはないです。もちろん質も求められますが、今回は「世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家」と題して展開していきます。




戦前から活躍し続けた大音楽家の存在





戦前の時代劇映画の黄金期を支えた日活で1930年代中盤に映画音楽デビューした、西悟郎は最低でも130作以上の音楽を手掛け、映画スターだと関与順で大河内傳次郎片岡千恵蔵阪東妻三郎嵐寛寿郎などの大スターの主演映画代表作の音楽を担当しました。西悟郎は西悟朗の名義の音楽担当作もありますが、大半の名義だった西悟郎で統一していきます。



西悟郎が担当した4大スター主演映画の代表作の音楽 大河内傳次郎片岡千恵蔵





西悟郎の通産の特徴の一つは大河内傳次郎片岡千恵蔵阪東妻三郎嵐寛寿郎の主演映画の代表作の音楽を多数担当しました。これは4名の半数以上が1930年代に集中していることも大きな功績です。何故なら当時、これほど多くの大映画スターの音楽を手掛けた音楽家はほとんどいませんでしたし、歴代上位の俳優を4名という面では他にいませんでした。



大河内傳次郎(1934『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』、1935『丹下左膳余話 百万両の壺』、『大菩薩峠 鈴鹿山の巻 壬生島原の巻』 、『大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻』、『栗山大膳(1936)』 )、大映=1954『丹下左膳 こけ猿の壺』
 6作

片岡千恵蔵=(日活時代=1937『曠原の魂』、『自来也(改修・忍術三妖伝)』、鴛鴦もの1938『鴛鴦道中』、『忠臣蔵 天の巻』(浅野内匠頭で前半の主演)、1939『清水港』、千恵蔵の宮本武蔵もの1940『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』、『宮本武蔵 剣心一路』、『宮本武蔵 一乗寺決闘』、 大映時代=1942『独眼龍政宗(1942)』、『三代の盃(のちに改修)』、1944『土俵祭』、『東海水滸伝(のちの改修・東海二十八人衆)』、多羅尾伴内シリーズ1作目の1947『七つの顔』、1948『おしどり笠』 12作(計18作)


*以上の千恵蔵のオールスターは『曠原の魂』、『忠臣蔵 天の巻』、『清水港』、『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』、『宮本武蔵 剣心一路』、『宮本武蔵 一乗寺決闘』、 『東海水滸伝(改修・東海二十八人衆)』、『七つの顔』の8作






土俵祭 [DVD]

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片岡千恵蔵が相撲の力士に扮して、当時話題になったと伝えられる1944『土俵祭』、千恵蔵が恩人でセンスの良い時代劇映画を多く残した名匠の丸根賛太郎(まるねさんたろう)が監督、脚本は当時の東宝の期待の新人監督だった黒澤明が手掛けました。丸根賛太郎の時代劇は展開の力強さが良く個人的にもかなり評価しています。

丸根賛太郎片岡千恵蔵の主演作1939『春秋一刀流』で華々しく映画監督デビューを果たし、続く同年の『うぐいす侍』でも評価を得て当時は期待の新人といわれました。なので普通に恩人です。助監督のときに片岡千恵蔵から脚本を気に入られたことがきっかけで、早急の監督昇進を果たしたエピソードは有名です。晩年は代表作に恵まれずに苦しみましたが、通産で約60作の映画を残しました。



『土俵祭』は個人的にも録画していますが、商品化されていることに驚きました。この映画は1944年なので、日本が戦争末期で財政もっとも苦しかった時期、戦火の激化の影響でお金がかかる時代劇の製作が日本国に抑制され、比較的低予算で製作可能な現代劇映画『土俵祭』が製作された経緯となっています。

さらに黒澤明が脚本ですが、彼も片岡千恵蔵の『国士無双』などの時代劇映画に新風を叩き込んだ、1930年代のナンセンス時代劇に感銘を受けたと考えられます。のちの自分でも時代劇映画のある種の崩壊をやっているので影響は受けていたわけで、”映画人生の生涯で唯一の千恵蔵映画へ脚本提供が実現”したことは嬉しさもあったことでしょう。








西悟郎が担当した4大スター主演映画の代表作の音楽 阪東妻三郎嵐寛寿郎







阪東妻三郎=(1937『国定忠治(1937)』、『魔像(1937)』、『続魔像 茨右近』、1938『忠臣蔵 地の巻』(大石内蔵之助で後編の主演)、1940『江戸最後の日』、大映時代=『無法松の一生(1943)』、1945『狐の呉れた赤ん坊』、『国定忠治(1946)』、『王将(1948)』 8作(計26作)


*この中だと阪妻のオールスターは『忠臣蔵 地の巻』のみ、阪東妻三郎はオールスターに満たない豪華俳優が多く、千恵蔵と比べると通産のオールスター映画は圧倒的に少ない俳優でした。その分は自分のみを強く見せるための映画を路線や得意としていました。これは下記の嵐寛も同様です。


嵐寛寿郎=(1938『出世太閤記』、1942『鞍馬天狗(鞍馬天狗 黄金地獄)』、新東宝=1952『鞍馬天狗 青胴鬼』、1953『右門捕物帖 からくり街道』、東映=1953『鞍馬天狗 疾風雲母坂』、1953『危うし!鞍馬天狗』、宝塚映画と東宝=1954『右門捕物帖 妖鬼屋敷』 7作(計33作)

なんと驚くべきことに西悟郎が担当した4大スターのみの主演映画の代表作はここまでで33作になります。




*現存作を含むとそれぞれが数作増えますが、今回は含んでいません。たとえばわかりやすいところでいうと1940『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門』(存在していないオリジナル142分版)は『宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門(現存版)』(110分)が存在。さらに3作の総集編の『宮本武蔵(総集編)』などは含んでいません。特に片岡千恵蔵はこれを含むと5作以上も増えます。




宮本武蔵 総集編 [DVD]
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『宮本武蔵(総集編)』といいますが、映画の片岡千恵蔵版ではなく、その流れを受けたドラマの役所広司版です。実は同タイトルが存在しています。宮本武蔵以外に役所広司は1963年の名作映画「十三人の刺客」のリメイクなどでも片岡千恵蔵の演じた役柄を演じています。役所広司も直接な共演はありませんでしたが、千恵蔵の遺伝子や影響を受けている膨大な俳優の中の一人です。







さらに西悟郎は前進座時代劇映画の河原崎長十郎、日活の若手時代の原健作へ貢献





西悟郎はほかにも1930年代に河原崎長十郎、中村翫右衛門ら(1935『街の入墨者』1936『河内山宗俊』、『股旅千一夜』 の前進座時代劇映画の3作の音楽も手掛け、原健作(戦後は主に原健策)の主演代表作の1940『まぼろし城』第一部~第三部、、1941『天兵童子』第一話~第四話の計7作の音楽も担当しました。上記の33作とプラス取ると代表作は43作となります。


前進座は歌舞伎俳優の新しい仕事場の劇団として創立され、初期のトップ主演俳優となった四代目の河原崎長十郎らが中心に映画進出を果たし、時代劇映画の一つのジャンルとして前進座時代劇とも称されています。1931年から1955年にかけてあわせて20作ほどの映画製作や俳優の主演に関りました。




原健作(原健策)についての外部リンク
  ↓               ↓
歴代5大映画俳優と30作以上で共演の希少名優 映画460作の原健策と7大巨匠の大映画音楽家
原健作がどんな俳優だったのか、謎の多い西悟郎についてもさらに深く触れています。





西悟郎の功績を現代に伝える必要性






作家路線の映画の音楽家はいくらでもぶり返えされますが、娯楽映画の音楽家はきちんと評価されてこないまま現代に至っている部分があります。娯楽映画は大衆とともにあるもっとも大切な映画群です。西悟郎もマスコミからきちんと評価されてきていない部分があり、この時代だからこそ、彼の功績を現代に伝える必要はあるのではないでしょうか。今回はそんな想いも込めて投稿させていただきました。



膨大な量なので分かりやすく分けるために分けています。よければこの先もご覧ください。



さらにつっこむ今回記事の裏側リンク
木下忠司と西悟郎はただの映画音楽家としての後輩だけじゃない部分もあり、
そこにも迫っています。
    ↓    ↓
50作近く膨大な代表作を残した映画大音楽家の行く末『国士無双』





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2018/06/15 00:00 | 邦画の探求COMMENT(11)TRACKBACK(0)  

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