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生誕110年天下大巨匠マキノ雅弘伝 浪人旋風影響に黒澤明 近衛十四郎 三船敏郎 阪東妻三郎




2018年は天下の大巨匠マキノ雅弘の生誕110年の年であり、CSチャンネルなどで特集が組まれました。2018年12月、あれこれ悩んだ平成最後の12月末、やっぱりこれにたどり着きました。そう天下の大巨匠で行こうと。


彼の映画は現代に見ても新鮮で光を放つ作品ばかりです。日本映画史上歴代最多と考えられますが、最低でも100作を軽く越す秀作を残していたと考えられ、個人的には2018年2本の彼の映画を見ていますが、2作とも海外の歴代巨匠を上回る2018年の年間上位にランク付ける高い評価をしています。まさに世界のマキノ、一人の映画ファンとしても名作2本にめぐり合えたことは幸運でした。


マキノ雅弘は特に戦前は映画評論家や文化人に評価される”作家時代劇路線”でも大成功を収め、総合的には大衆に評価されたりヒット作を多数残す”娯楽時代劇路線”を貫いたマキノ雅弘でしたが、個性的な演技の付け方やまくし立てる場面展開の課数々、演技や展開だけでも引き込まれてしまいますし、常に現代的な手法を時代劇映画として消化させた部分なども魅力的であり、現在でも独自さと個性を失わず輝きを失いません。


前回の流れから今回は「浪人街シリーズ」についてさらに迫ります、これもテレビやきちんと評価されてきていない大巨匠の功績です。「生誕110年天下大巨匠マキノ雅弘伝 浪人旋風影響に黒澤明 近衛十四郎 三船敏郎 阪東妻三郎」と題してスタートです。




前回記事⇒安室奈美恵 SPEED DA PUMPが存在がなかった 日本初映画大巨匠の死と大量退社騒動直後の名作





世界的にも珍しく真の意味の最長&多彩に活躍した映画人であり活動屋




浪人街シリーズ」の通産映画化作品7作中の6作(シリーズはマキノ監督版のみの6作説もあり)は時代劇映画の大巨匠のマキノ雅弘が監督しました。マキノ雅弘時代劇四大巨匠(一.伊藤大輔=大河内傳次郎と名コンビで大成功、二と三.マキノ雅弘と稲垣浩=片岡千恵蔵と名コンビで大成功、四.衣笠貞之助=林長二郎、のちの長谷川一夫と名コンビで大成功)に含まれるほどの大きな貢献度を誇り、戦前から戦後の時代劇&時代劇映画のそのものの形成と黄金期を牽引しただけではなく、多くの映画スターの飛躍に40年以上関与、次郎長映画の確立と牽引や仁侠映画の形成と牽引など多数の部分に大きく貢献しています。もちろん大まかな部分でさえ、これだけではありません。



マキノ雅弘は日本映画史上ベスト3の80作ほどの主な映画監督代表作がありますが、この「浪人街シリーズ」においては日本の時代劇や時代劇映画に”浪人もの”という新しいジャンルを確立させたといっていいでしょう。


さらにマキノ雅弘は1928年から1990年まで映画人として活動、監督は当時最長クラスの1926~1972年の約47年、最初の名子役から監督録音プロデューサー脚本、最後の監修など、1912年から1990年までの日本歴代最長クラスの78年間で関与と貢献を果たしました。彼は年数だけではなく、多彩な大活躍を成した人物、これは世界的にも珍しく、真の意味の最長と考えることもできます。


海外は多彩に手を出した、手を出すだけなら多数が存在していますが、ここまで多くで深く真に功績を明確に残した人物はほぼいません。他分野になりますが今後もノーベル賞や金メダルを獲得する日本人は数多く出るでしょうが、世界中に大勢が存在する受賞レベルをはるかに越え、他の人物が近づけない自分だけの独自な境地に到達しました。






浪人街シリーズ」から時代劇三大スターへの明確な影響






戦前に誕生した”浪人もの”という新しいジャンルは1910年代からボツボツ存在していますが、ヒットはしておらず、明確な流れの源流はマキノ雅弘の「浪人街シリーズ」からだったといえます。浪人街シリーズが作られた後の1930年代に多くの浪人題材の時代劇が作られています。


たとえば阪東妻三郎主演の1933『新釈清水一角 浪人祭』(製作=阪東妻三郎プロダクション、通称阪妻プロ、配給=新興キネマ)は忠臣蔵題材(清水一角、別名義は清水一学は、吉良側を支えた凄腕の剣士として描かれることが大半)と”浪人もの”要素を組み合わせた作品です。忠臣蔵といえば、本伝は討入る側から描かれることは大半ですが、これは討ち入られた側(本来の敵役)を主役に添え、当時としては非常に攻めた時代劇映画でした。また、同時に剣戟スター阪東妻三郎の得意な剣戟要素の強く押し出した時代劇映画だとも考えられます。この映画のにちに阪東妻三郎は1939~1940「鍔鳴浪人』(前後篇)にも主演し、これは阪妻の浪人ものの代表的作品です。


さらに阪東妻三郎のライバルでもある市川右太衛門は1931『家賃と娘と髭浪人』(製作=市川右太衛門プロダクション、通称右太プロ 配給=松竹キネマ)で浪人役を演じたものと考えられますし、大河内傳次郎は1931『浪人と阿片』(製作配給=日活、監督は渡辺邦男)で浪人役を演じています。

そのほかにもさまざまな俳優や会社で多数の浪人ものが作られていますし、ここの題名の通り、「浪人街シリーズ」から時代劇三大スターへの明確な影響がありました。






なんと戦後の黒澤明三船敏郎近衛十四郎も大影響





戦後の1960年代の浪人ものの要素が多くある黒澤明の「七人の侍」「用心棒」や「椿三十郎」、三船敏郎近衛十四郎のテレビドラマの素浪人シリーズなど数多くの作品が大きな恩恵を受けています。マスコミやメディアは黒澤明の実積や映画のオリジナリティを大きく落とすことであり、都合が悪いのか、マキノ雅弘の恩恵を大きく受けていたことをほぼ取り上げません。


さらにマキノ雅弘の形成した浪人ものの影響はテレビドラマへとつながります。1960年代中盤からの近衛十四郎は「素浪人 月影兵庫」(テレビドラマ)や「素浪人 花山大吉」(テレビドラマ)など、1970年代の三船敏郎は「荒野の素浪人」(テレビドラマ)、個人的に好きな「剣と風と子守唄」(テレビドラマ)などの”三船敏郎の素浪人シリーズ”、下記部分を見てもらえればさらに分かりますが、先人の血と汗が染み込んでいます。これらは映画「浪人街シリーズ」の流れを受け、浪人が用心棒として、またはそのまま浪人として活躍する作品群の代表格たちです。



<浪人街ものと大巨匠のマキノ雅弘>
マキノ雅弘の監督 マキノ正博は1~5、6の『浪人街(1957)』はマキノ雅弘の名義

1928『浪人街 第一話 美しき獲物』  マキノ  母衣権兵衛=南光明
1929『浪人街 第二話 楽屋風呂第一篇』  マキノ  不破伝五左衛門=南光明  
1929『浪人街(総集編)』  マキノ  不破伝五左衛門 南光明
1929『浪人街 第三話 憑かれた人々』  マキノ  小日向惣左衛門=沢村国太郎 *マキノオールスター
1939『浪人街(1939)』  日活  福富半助=月形龍之介 木村長門守重成=沢村国太郎 *改題前 慶長踊りとある
1957『浪人街(1957)』  製作=京都映画 配給=松竹  荒牧源内=近衛十四郎


<マキノ雅弘の総監修の浪人街>
1990『浪人街(1990)』 製作=松竹、日本テレビ放送網など、配給=松竹 荒牧源内=原田芳雄 赤牛弥五右衛門=勝新太郎 監督=黒木和雄




*マキノ正博の名義の時代もありますが、全般的な名義はマキノ雅弘であるため、こちらを選択しています。
*マキノはマキノプロダクション、マキノ映画ともいわれる。



『浪人街 第一話 美しき獲物』から1990『浪人街(1990)』まで約72年にわたり、浪人街や浪人ものに監督と監修の製作で関わりました。これは一つの題材やある種のシリーズで最長クラスです。また、上記の1939『浪人街(1939)』 は、1929『浪人街 第三話 憑かれた人々』で主演を勤め、事実上の自身最大の代表作とした木村長門守重成(木村重成)役で前回記事で取り上げている沢村国太郎が相手役(2番手)で出演しています。
さらに『浪人街(1957)』に主演した近衛十四郎はのちの1960年代の中盤からの「素浪人 月影兵庫」(テレビドラマ)や「素浪人 花山大吉」(テレビドラマ)のいわゆる”近衛十四郎の素浪人シリーズ”に主演するなどの大影響を受けています。マキノ雅弘がいなければ彼のテレビドラマの代表作はなかったかもしれません。





70作以上の浪人ものはタイトル マキノ雅弘と「浪人街シリーズ」の影響






”浪人もの”はタイトルが明確なものだけでも時代劇映画が大半、多少の現代劇映画を含めると最低でも70作以上が作られています。そのほとんどが「浪人街シリーズ」の後です。このシリーズが大きな影響を与えていたことは明白です。


「浪人街シリーズ」(最初は1928~1929)による浪人ものの影響は時代を飛び越えて、1930年代の阪東妻三郎や大河内傳次郎市川右太衛門の浪人要素のある映画や戦後の1960年代の黒澤明三船敏郎や近衛十四郎の代表作につながり、マキノ雅弘の血と汗の活動がなければ存在していなかったのです。





下記はマキノ雅弘の総監修の浪人街もの浪人もの、1990『浪人街(1990)』は主演は原田芳雄、助演で勝新太郎などが出演、

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勝新太郎とマキノ雅弘とコンビは1969『悪名一番勝負』(悪名シリーズ、現代劇)と近代ヤクザの祖ともいわれる吉田磯吉を演じた1970『玄海遊侠伝 破れかぶれ』(ぎりぎり現代劇扱い)の2本のみ、時代劇は1本もなく残念でしたが、高く評価していた人物がマキノ雅弘でした。マキノ雅弘の戦後は東映映画が中心であり、勝新太郎の大映映画とは縁がなく、ほとんど関連を持つ機会がありませんでしたが、大映倒産寸前にある種のラブコール(それそれが互いを求めた)の末、2作の監督と主演のコンビ作が大映映画で作られました。それが『悪名一番勝負』と『玄海遊侠伝 破れかぶれ』でした。

勝新太郎の『浪人街(1990)』への助演出演はマキノ雅弘に対する尊敬と敬意がこもっています。





裏側も来週中に公開予定 ↓
        一直線女子の映画向上会


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2018/12/17 22:52 | 邦画の探求COMMENT(6)TRACKBACK(0)  

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